特別料理 / スタンリイ・エリン
2012.05.03 Thursday
[田中融二 訳] 巧緻な傑作としてレジェンドを打ち立てた処女作「特別料理」他、全10篇を収めた第1短篇集にして、“クイーンの定員”に指定された珠玉作品集。 クイーンその人が序文を寄せていて、エリンにまつわる打ち明け話、こぼれ話を披露したりと名調子を振っているというプレミア付き。 奇妙な味のクライム・ストーリー的なジャンルや、EQMMでの活躍など、ロバート・トゥーイと重なる部分が多いと思うんですが、なんと対照的な。 トゥーイ好きのわたしは、こんなにも輝かしい栄光に包まれているエリンについ嫉妬・・><。
「特別料理」のみ既読でしたが、改めてこの香り立つノワールな空気を堪能しました。 一つ一つ緻密に計算し、吟味し尽くされた言葉から発せられる意味深長なニュアンスが、会話の端々に期せずして含蓄される皮肉となって否応なく読者を魅了する叙述の妙味・・ 何度読んでも素晴らしい。
根源的な発想も然ることながら、2人の紳士客とチェシャ猫のような異相の料理店主という人物設定まで・・ エリンはもしや何処かで触れる機会があったの? って勘繰りたくなるらい、無性に賢治の某作品が想起されるのですが、当然ながらこの類似性によって「特別料理」という作品が貶められる感覚は皆無です。 強いメッセージ性を宿した賢治の童話的色彩が、エリンによって都会的で洒脱なホラーへと蘇ったような・・ ま、そんな気がするだけなんですけども^^; だからこそ、その偶然の好対照をなんだか嬉しく感じたりしている。
全ての作品において、洗練された文章のセンスと、明晰かつ精緻なディテールがずば抜けています。 緊張の密度が濃く、完成度が高く、読み応えがありました。 特に、芝居とも現実ともつかぬカラクリの中に幽閉される「パーティーの夜」がお気に入りの一篇。
経済的、あるいは精神的安定への欲求に餓えた人々が、“社会的通念”の範疇を気づかぬうちに逸脱して、病的な執着や歪んだ生き甲斐に取り憑かれ、回避し難い結論に向かって盲進してしまう狂気・・ 社会生活の小さな歪みに虫眼鏡を当ててじっくり観察されるような怖さというのかな。 彼らのような特徴の一端は誰でも持ち合わせていることを突き付けられる不安や不気味さなのかな。 上質なサスペンスであると同時に啓示的な深みを感じる作品集でもありました。
「特別料理」のみ既読でしたが、改めてこの香り立つノワールな空気を堪能しました。 一つ一つ緻密に計算し、吟味し尽くされた言葉から発せられる意味深長なニュアンスが、会話の端々に期せずして含蓄される皮肉となって否応なく読者を魅了する叙述の妙味・・ 何度読んでも素晴らしい。
根源的な発想も然ることながら、2人の紳士客とチェシャ猫のような異相の料理店主という人物設定まで・・ エリンはもしや何処かで触れる機会があったの? って勘繰りたくなるらい、無性に賢治の某作品が想起されるのですが、当然ながらこの類似性によって「特別料理」という作品が貶められる感覚は皆無です。 強いメッセージ性を宿した賢治の童話的色彩が、エリンによって都会的で洒脱なホラーへと蘇ったような・・ ま、そんな気がするだけなんですけども^^; だからこそ、その偶然の好対照をなんだか嬉しく感じたりしている。
全ての作品において、洗練された文章のセンスと、明晰かつ精緻なディテールがずば抜けています。 緊張の密度が濃く、完成度が高く、読み応えがありました。 特に、芝居とも現実ともつかぬカラクリの中に幽閉される「パーティーの夜」がお気に入りの一篇。
経済的、あるいは精神的安定への欲求に餓えた人々が、“社会的通念”の範疇を気づかぬうちに逸脱して、病的な執着や歪んだ生き甲斐に取り憑かれ、回避し難い結論に向かって盲進してしまう狂気・・ 社会生活の小さな歪みに虫眼鏡を当ててじっくり観察されるような怖さというのかな。 彼らのような特徴の一端は誰でも持ち合わせていることを突き付けられる不安や不気味さなのかな。 上質なサスペンスであると同時に啓示的な深みを感じる作品集でもありました。
![]() | 特別料理 スタンリイ エリン 早川書房 2006-07 (単行本) 関連作品いろいろ ★★ |
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九マイルは遠すぎる / ハリイ・ケメルマン
2012.04.29 Sunday
[永井淳・深町眞理子 訳] 収められている8篇の執筆には20年が費やされたという、なんとも悠々としたペースで纏められた、1967年刊行の連作ミステり。 英語・英文学教授のニッキイ・ウェルトを探偵役とするシリーズは、本篇が虎の子の一冊であるらしく、この希少さゆえか、お宝度が割増しする心持ち♪
探偵の特殊な能力や知識が介在することがなく、読者は探偵が得るのと同じ手掛かりを与えられ、謎は純粋な論理によってのみ解決される・・系? と言えるでしょうか。 論理に大胆な飛躍や断定が垣間見えるものの、構造的にとてもシンプルで削ぎ落とされた鮮鋭な印象を残す名品です。 古典的推理小説を折り目正しく継承した芳しさも堪りません。
ワトソン役を務める“わたし”が、法学部教授の職を辞して郡検事になって以来、かつての同僚だったニッキイ教授に、度々、難事件の解決を手助けしてもらうという手筈です。 間接的に伝わり聞いたデータをもとに、事件の真相を洞察するニッキイ教授は、俗に言う“安楽椅子探偵”。
奇妙な訳知り顔で人をイライラさせたり、わざと謙って興がってみせたり、皮肉っぽい薄笑いを浮かべて恩着せがましい態度をチラつかせてみたりと、なんとも食えない名探偵なんですが、出来の悪い生徒のように扱われる“わたし”は、そんな役割を甘んじて耐え忍ぶことが満更でもない様子・・ふふ。 表題作はあまりに有名ですが、読むのは初めてでした。
総じて、言葉の細部への拘りから物語が引き出されていく感じがします。 全篇もれなく楽しめましたが、チェスモチーフが美しかった「エンド・プレイ」や「梯子の上の男」がお気に入り。 でもわたしのナンバーワンは「おしゃべり湯沸し」かな。 表題作と構想が似ているんですが、こっちの方が上じゃない? と思っちゃった。
憎々しいほど頭の切れるニッキイ教授なのに、何故かチェスが弱いんですよw しかも負けると必ず口実を見つけたり、ぐちぐち根に持ったりと、負けっぷりの悪さがツボなんだ^^
犯罪捜査の常道ともいうべき、泥臭く地道にコツコツと事実を絞り出す捜査法を揶揄するような・・ あくまでも、椅子に座りこんで仮説をもてあそぶ、鼻持ちならない(笑)知的遊戯の娯楽に特化した読み物ですので、どちらかというとコアなファンにおすすめ・・かな。
探偵の特殊な能力や知識が介在することがなく、読者は探偵が得るのと同じ手掛かりを与えられ、謎は純粋な論理によってのみ解決される・・系? と言えるでしょうか。 論理に大胆な飛躍や断定が垣間見えるものの、構造的にとてもシンプルで削ぎ落とされた鮮鋭な印象を残す名品です。 古典的推理小説を折り目正しく継承した芳しさも堪りません。
ワトソン役を務める“わたし”が、法学部教授の職を辞して郡検事になって以来、かつての同僚だったニッキイ教授に、度々、難事件の解決を手助けしてもらうという手筈です。 間接的に伝わり聞いたデータをもとに、事件の真相を洞察するニッキイ教授は、俗に言う“安楽椅子探偵”。
奇妙な訳知り顔で人をイライラさせたり、わざと謙って興がってみせたり、皮肉っぽい薄笑いを浮かべて恩着せがましい態度をチラつかせてみたりと、なんとも食えない名探偵なんですが、出来の悪い生徒のように扱われる“わたし”は、そんな役割を甘んじて耐え忍ぶことが満更でもない様子・・ふふ。 表題作はあまりに有名ですが、読むのは初めてでした。
九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ何でもないような一文から、可能な推論を組み立て、ゆくゆくは殺人事件を論破してしまうという^^ この“風が吹けば〜”的な強引さは、ミステリの極北的手法といっても過言ではないかもしれないですが、“論理は必ずしも事実とは一致しない”ことを証明するはずだったのに・・というオチがつくことで、推理小説としてのウィークポイントを見事にカバーしてしまう切り返しが秀逸だなぁーと思いました。
総じて、言葉の細部への拘りから物語が引き出されていく感じがします。 全篇もれなく楽しめましたが、チェスモチーフが美しかった「エンド・プレイ」や「梯子の上の男」がお気に入り。 でもわたしのナンバーワンは「おしゃべり湯沸し」かな。 表題作と構想が似ているんですが、こっちの方が上じゃない? と思っちゃった。
憎々しいほど頭の切れるニッキイ教授なのに、何故かチェスが弱いんですよw しかも負けると必ず口実を見つけたり、ぐちぐち根に持ったりと、負けっぷりの悪さがツボなんだ^^
犯罪捜査の常道ともいうべき、泥臭く地道にコツコツと事実を絞り出す捜査法を揶揄するような・・ あくまでも、椅子に座りこんで仮説をもてあそぶ、鼻持ちならない(笑)知的遊戯の娯楽に特化した読み物ですので、どちらかというとコアなファンにおすすめ・・かな。
![]() | 九マイルは遠すぎる ハリイ ケメルマン 早川書房 1976-07 (文庫) 関連作品いろいろ ★★★ |
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ぶたぶたの休日 / 矢崎存美
2012.03.17 Saturday
東京には山崎ぶたぶたが出没するのが自慢です♪ そろそろ逢えないかなぁ〜(と思いたい)。 いやいや、すけべぇ心があるうちはダメかも(とか思いたい)。 これはシリーズ第3弾。
ぶたぶたは喋るけど、動くけど、やっばり“ただのぬいぐるみ”なんだよね。 自分の分身のような、鏡のような存在なのかもしれない。 円らなビーズの点目に語りかければ心にストンと応えが届く。 涙を拭えば手の先っぽの濃いピンクの布貼りやムクムクとした鼻先を濡らしながら拭き取ってくれる。 抱きしめる時、抱きしめられている・・
ぬいぐるみファンタジーというのか、具象化されたぬいぐるみに託した作者さんの想いというのは、見事なまでに自浄作用に集約されていて、ぶたぶたがぶたぶたであることの必然性がジワ〜ンと伝わってきます。 何でもないけど凄く特別で、凄く特別だけど何でもない存在・・そんなニュアンスがいい感じで香ばしさを増しています。
ある時は見習い占い師、ある時は定食屋の従業員、ある時は助っ人刑事・・と、ぶたぶた属性が変わるごとに、また一人、都会の片隅の寂しん坊がほっこりと温もるのです。 そしてわたしのハートまで。
一方、メイン短篇群の合間に挟まれるようにして「お父さんの休日」と題された、普通の家庭のお父さんの休日バージョンのお話が少しずつ進行していきます。 図らずも(果たして?)煤けたピンクのぶたのぬいぐるみと遭遇してしまった主婦やら高校生やら職業人やらがリレーで、プライベート編ともいえそうなぶたぶたお父さんの一日の生態をウォッチングしていく格好。 ニアミス加減が楽しい楽しい。 ちょっとベッドタイム・ストーリー的な即興感もあって。
ぶたぶたが中年のおっさん(意外と声が渋いw)なのってちょっとどうなのぉ〜? という気に全然させないばかりか、無類のチャームポイントに反転させてしまうところに矢崎さんのセンスを感じるし、この辺にもシリーズ成功の鍵が隠れているかもね。
ぶたぶたは喋るけど、動くけど、やっばり“ただのぬいぐるみ”なんだよね。 自分の分身のような、鏡のような存在なのかもしれない。 円らなビーズの点目に語りかければ心にストンと応えが届く。 涙を拭えば手の先っぽの濃いピンクの布貼りやムクムクとした鼻先を濡らしながら拭き取ってくれる。 抱きしめる時、抱きしめられている・・
ぬいぐるみファンタジーというのか、具象化されたぬいぐるみに託した作者さんの想いというのは、見事なまでに自浄作用に集約されていて、ぶたぶたがぶたぶたであることの必然性がジワ〜ンと伝わってきます。 何でもないけど凄く特別で、凄く特別だけど何でもない存在・・そんなニュアンスがいい感じで香ばしさを増しています。
ある時は見習い占い師、ある時は定食屋の従業員、ある時は助っ人刑事・・と、ぶたぶた属性が変わるごとに、また一人、都会の片隅の寂しん坊がほっこりと温もるのです。 そしてわたしのハートまで。
一方、メイン短篇群の合間に挟まれるようにして「お父さんの休日」と題された、普通の家庭のお父さんの休日バージョンのお話が少しずつ進行していきます。 図らずも(果たして?)煤けたピンクのぶたのぬいぐるみと遭遇してしまった主婦やら高校生やら職業人やらがリレーで、プライベート編ともいえそうなぶたぶたお父さんの一日の生態をウォッチングしていく格好。 ニアミス加減が楽しい楽しい。 ちょっとベッドタイム・ストーリー的な即興感もあって。
ぶたぶたが中年のおっさん(意外と声が渋いw)なのってちょっとどうなのぉ〜? という気に全然させないばかりか、無類のチャームポイントに反転させてしまうところに矢崎さんのセンスを感じるし、この辺にもシリーズ成功の鍵が隠れているかもね。
![]() | ぶたぶたの休日 矢崎 存美 徳間書店 2001-05 (文庫) 関連作品いろいろ ★★ |
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精霊たちの家 / イサベル・アジェンデ
2012.02.07 Tuesday
[木村榮一 訳][池澤夏樹=個人編集] 議会主導政治の二十世紀初頭から、共産主義の台頭、やがて軍政下の恐怖政治に突入した70年代頃まででしょうか。 百年・・には少し足りないけれど、チリの二十世紀史を駆け抜ける縦軸に、政治や思想や恋愛や・・ 折々の時代の狭間で、世相を映しつつ繰り広げられる家族の愛憎劇という横軸を絡ませて描いた、あるブルジョア一族の物語。
感傷的になることを拒むようなサバサバと張りのある文章から鮮烈に浮かび上がる女性たち三世代の来歴。 そして彼女らの夫であり、父であり、祖父であり、憎まれ、愛された一家の主である一人の男性像を、まるで皺の一本一本まで克明に彫琢していくかのような筆力・・圧巻です。
波間に漂う舟の如く時代のうねりに浮沈しながら、脈々と続く苦痛と血と愛の果てしなさを象徴するかのように、一家の暮らす“家”こそが舞台となっているのですが、むしろ俗に言う家族的な物語を作者は描きません。 夫と妻、父と娘、母と娘、祖父と孫、祖母と孫、叔父と姪、乳母と養い子、義姉と嫁、嫡出子と庶子・・と、視点はいつもパーツに注がれているようなイメージ。 家系を構成する個々人の交叉によって綾なされる糸が、繊細かつエネルギッシュに紡がれて、網の目も見えないほど縦横無尽に物語空間を埋め尽くし、常に人と人の個性がぶつかり合い局所局所でスパークしている感覚というか・・
それが不思議と読み終える頃には、“家系”という侵すことのできない摂理、 人間の営みの原点の、そのどっしりとした揺るぎのなさに打ちのめされて胸がいっぱいになっている。 人は運命を引き受ける大地のような強さを得て、はじめてその呪縛から解放されるんだろう。 物語ることはその掛け替えのない原動力なんだね・・きっと。
心底良かれと思っていることが決定的に違うのだから、思想の対立というのはとても根深い。 でも逆に“心底良かれと思っている”ところに救いがあり、その本気さや切実さ、偽りのなさこそが、対話や共感への第一歩に成り得るのだと信じてはいけないだろうか。 この物語の対立と和解の中に沢山の勇気をもらった気がしたのです。
生活の中に神秘が混沌と根ざした“魔術的”なるマジックリアリズムの世界観には、あまり触れる機会が持てずにいて、そのせいでますます気後れしていたものですが、天性の物語作家といわれるアジェンデの名品を手に取れて、本当によかった。
家の其処彼処に息衝き、存在を決して主張しない密やかな精霊たちは、どこか・・家の守り神のような印象を残しました。 ラテン・アメリカの人たちの熱い血潮や苛酷な現実を吸収するクッションのような役目をずっと果たしてきたのかな・・なんて、ふと思い巡らせたり。 彼らに幻想という言葉を与えたらこの世界を侮辱してしまうような気さえするのです。
感傷的になることを拒むようなサバサバと張りのある文章から鮮烈に浮かび上がる女性たち三世代の来歴。 そして彼女らの夫であり、父であり、祖父であり、憎まれ、愛された一家の主である一人の男性像を、まるで皺の一本一本まで克明に彫琢していくかのような筆力・・圧巻です。
波間に漂う舟の如く時代のうねりに浮沈しながら、脈々と続く苦痛と血と愛の果てしなさを象徴するかのように、一家の暮らす“家”こそが舞台となっているのですが、むしろ俗に言う家族的な物語を作者は描きません。 夫と妻、父と娘、母と娘、祖父と孫、祖母と孫、叔父と姪、乳母と養い子、義姉と嫁、嫡出子と庶子・・と、視点はいつもパーツに注がれているようなイメージ。 家系を構成する個々人の交叉によって綾なされる糸が、繊細かつエネルギッシュに紡がれて、網の目も見えないほど縦横無尽に物語空間を埋め尽くし、常に人と人の個性がぶつかり合い局所局所でスパークしている感覚というか・・
それが不思議と読み終える頃には、“家系”という侵すことのできない摂理、 人間の営みの原点の、そのどっしりとした揺るぎのなさに打ちのめされて胸がいっぱいになっている。 人は運命を引き受ける大地のような強さを得て、はじめてその呪縛から解放されるんだろう。 物語ることはその掛け替えのない原動力なんだね・・きっと。
心底良かれと思っていることが決定的に違うのだから、思想の対立というのはとても根深い。 でも逆に“心底良かれと思っている”ところに救いがあり、その本気さや切実さ、偽りのなさこそが、対話や共感への第一歩に成り得るのだと信じてはいけないだろうか。 この物語の対立と和解の中に沢山の勇気をもらった気がしたのです。
生活の中に神秘が混沌と根ざした“魔術的”なるマジックリアリズムの世界観には、あまり触れる機会が持てずにいて、そのせいでますます気後れしていたものですが、天性の物語作家といわれるアジェンデの名品を手に取れて、本当によかった。
家の其処彼処に息衝き、存在を決して主張しない密やかな精霊たちは、どこか・・家の守り神のような印象を残しました。 ラテン・アメリカの人たちの熱い血潮や苛酷な現実を吸収するクッションのような役目をずっと果たしてきたのかな・・なんて、ふと思い巡らせたり。 彼らに幻想という言葉を与えたらこの世界を侮辱してしまうような気さえするのです。
![]() | 精霊たちの家 イサベル アジェンデ 河出書房新社 2009-03 (単行本) 関連作品いろいろ ★★★ |
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物しか書けなかった物書き / ロバート・トゥーイ
2012.01.20 Friday
[小鷹信光 他訳][法月綸太郎 編] メジャーな成功とは縁遠くも目利きのファンに愛されたという異才、トゥーイの本邦オリジナル短篇集です。 “悲運の作家”などと評されることがあるようですが、そんな称号もトゥーイにあっては眩しい勲章のように感じられてしまうのは何故だろう。
奇想に富んだ短篇小説のスペシャリストですが、その、ナンセンスでオフビートな作風の基軸をなすのはクライム・ストーリー。 作品ごとに意表を突く多彩な癖球を投げ分けてくれるのに、気がつけばあれ? どれもクライム・ストーリーを逸脱していないんだね。 そんなところにも、ふと、職人気質的な頑固さが垣間見える気がして。
どの作品にも不条理感がそこはかとなく漂います。 振り回される人々の徒労や葛藤や諦念が、ユーモアとペーソスで彩なされていく。
社会の底辺で苦境に立たされ、ドロップ・アウトの境界線上を綱渡りしているかのようなダメダメな登場人物たち。 孤独で荒涼とした、それでいてどこか滑稽な悲哀というのか、むしろいっそ、悲哀を剥奪された悲哀とでもいうのか・・ だけど、彼らによせる作者のさり気ない共感や愛着のせいか、そっと愛おしい肌合いが紛れ込んでいて、思わぬ瞬間キュンと胸熱に・・そんな場面が何度もありました。
一番好きだったのは幻想小説の趣きの強い「墓場から出て」。 収録作品中、最も陰鬱なホラーなんだけど・・惹き込まれました。 回復ではなく執行猶予のような息苦しさに曝されながら、トワイライト・ゾーンを揺曳する剥き出しの魂。 それでも生き延びているしぶとさと倦怠が、爛れそうなくらい沁みてきて。
あと、アル中の三文作家が書き続けているハードボイルド小説の主人公が、お払い箱にされないために必死に延命策を講じる「いやしい街を…」が大好き。 “ここ三作ばかり一粒の飯も口にしていない”とかボヤいてたり、クスクス笑いながら読んでるうちに、生き延びようとする健気さが段々切なくなってきて・・わたし的に胸熱度No1でした。 あっ、No1はやっぱ「八百長」かなー。悩む>< ツイストの効いた作品群の中にあって、巧まざる文芸として不滅だと思った。 素晴らしかった。 主人公へのシンパシーが訳もなく疼いて、ラスト、ふっと笑って、ポロポロ泣けて・・
ていうか、全ての短篇がレベル高すぎ! “偶然警報発令中”的な物語の拘束性をグロテスクに皮肉った「階段はこわい」とか、奇天烈な超感覚で小説家を揶揄ってみせた「物しか書けなかった物書き」とか、30年代黄金期探偵小説へのオマージュにして、EQMM編集部まで特別出演させてしまった「犯罪の傑作」とか・・
「支払い期日が過ぎて」もお気に入り。 杓子定規を振りかざしてずかずか踏み込んで来る法律や権威を手玉に取った言葉ゲーム(叙述トリックですね)が小気味よい超絶報復譚・・ リッチーにも似た着想の名品がありますね。ふふ・・楽しい。
奇想に富んだ短篇小説のスペシャリストですが、その、ナンセンスでオフビートな作風の基軸をなすのはクライム・ストーリー。 作品ごとに意表を突く多彩な癖球を投げ分けてくれるのに、気がつけばあれ? どれもクライム・ストーリーを逸脱していないんだね。 そんなところにも、ふと、職人気質的な頑固さが垣間見える気がして。
どの作品にも不条理感がそこはかとなく漂います。 振り回される人々の徒労や葛藤や諦念が、ユーモアとペーソスで彩なされていく。
社会の底辺で苦境に立たされ、ドロップ・アウトの境界線上を綱渡りしているかのようなダメダメな登場人物たち。 孤独で荒涼とした、それでいてどこか滑稽な悲哀というのか、むしろいっそ、悲哀を剥奪された悲哀とでもいうのか・・ だけど、彼らによせる作者のさり気ない共感や愛着のせいか、そっと愛おしい肌合いが紛れ込んでいて、思わぬ瞬間キュンと胸熱に・・そんな場面が何度もありました。
一番好きだったのは幻想小説の趣きの強い「墓場から出て」。 収録作品中、最も陰鬱なホラーなんだけど・・惹き込まれました。 回復ではなく執行猶予のような息苦しさに曝されながら、トワイライト・ゾーンを揺曳する剥き出しの魂。 それでも生き延びているしぶとさと倦怠が、爛れそうなくらい沁みてきて。
あと、アル中の三文作家が書き続けているハードボイルド小説の主人公が、お払い箱にされないために必死に延命策を講じる「いやしい街を…」が大好き。 “ここ三作ばかり一粒の飯も口にしていない”とかボヤいてたり、クスクス笑いながら読んでるうちに、生き延びようとする健気さが段々切なくなってきて・・わたし的に胸熱度No1でした。 あっ、No1はやっぱ「八百長」かなー。悩む>< ツイストの効いた作品群の中にあって、巧まざる文芸として不滅だと思った。 素晴らしかった。 主人公へのシンパシーが訳もなく疼いて、ラスト、ふっと笑って、ポロポロ泣けて・・
ていうか、全ての短篇がレベル高すぎ! “偶然警報発令中”的な物語の拘束性をグロテスクに皮肉った「階段はこわい」とか、奇天烈な超感覚で小説家を揶揄ってみせた「物しか書けなかった物書き」とか、30年代黄金期探偵小説へのオマージュにして、EQMM編集部まで特別出演させてしまった「犯罪の傑作」とか・・
「支払い期日が過ぎて」もお気に入り。 杓子定規を振りかざしてずかずか踏み込んで来る法律や権威を手玉に取った言葉ゲーム(叙述トリックですね)が小気味よい超絶報復譚・・ リッチーにも似た着想の名品がありますね。ふふ・・楽しい。
![]() | 物しか書けなかった物書き ロバート トゥーイ 河出書房新社 2007-02 (単行本) 関連作品いろいろ ★★★★ |
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三人の名探偵のための事件 / レオ・ブルース
2011.12.28 Wednesday
[小林晋 訳] 古典ミステリの埋もれた名品を発掘、再評価する気運に乗じ、90年代になって初めて翻訳紹介された作品のようですね。 訳者が“ミステリグルメのための特別料理”と評した通り、清々しいほどディープな本格ミステリでした。
××シリーズの一作目なのだそうですが、単品として読むと“名探偵は誰?”という付加価値も有していて、そこもまた興趣の一部なので、シリーズ名はあえて伏字にしてみました^^ ま、なんとなく・・展開は読めてしまうんですけどね。 そして実際に大当たり(大筋だけです)だったんですが、全く失望しないばかりか、読み終えた時には会心の微笑が顔に張り付いていたものです。
本作品が発表された1936年は、探偵小説が黄金期から爛熟期を迎えたあたり。 型を創造し、型を極め、そして型を破り・・ あらゆる意味で“型”を意識し続けてきたクラシカル・ミステリの、ひとつの到達点と言うに相応しい作品で、いわゆる「毒入りチョコレート事件」風味の多重解決ものです。 折り目正しく“型”を継承しながら、同時に自らの“型”を諷刺することで、探偵小説の特質を華麗に描破してみせた妙技には、ある種の神々しささえ漂う気がしました。
サーストン医師の邸宅で開かれたウィークエンド・パーティの夜に起こる密室殺人事件。 本格ミステリの確固とした存在原理、共通認識に徹した舞台立てが意図的に披露される中、難事件と聞き付けて、“どこからともなく”手練の名探偵がわらわらと3人ほどやってくるのです。 まるで湧いて出たかのように^^ 1人は執事を伴った青年貴族、1人は小男の外国人、1人は小男の聖職者・・ってこれ、セイヤーズのウィムジイ、クリスティーのポアロ、チェスタトンのブラウン神父をそれぞれパロッた人物造形。 訳者によると、めっぽう芸が細かいらしいのだが自分にはそこまでの素養がないのがさみしい。
この自信家揃いの名探偵たちが、田舎者の巡査部長そっちのけで、3人それぞれに自分の流儀で捜査をして仮説を打ち立て、事件を再構成し、独創的な“物語”を描いてみせてくれる。 そして・・
ワトソン役の語り手が、順繰りに3人の助手を務めながら所感を綴りつつ事件を記録する(正確には回想録)スタイルなのですが、リアル世界ではなく、自分はあたかも本格ミステリ世界の住人なのだと思っているかのような、語り手のモチベーションがなんとも不思議で、この微妙なメタっぽさに擽られるのです。 名探偵たちが“どうしてやって来たのだろうか?”と自問する件などは、声を出して笑ってしまいました。
冒頭、パーティの席上で勃発する2人の登場人物による探偵小説論争がよいフックになっています。 方や“探偵小説は実人生とは何の関係もない事柄でできた下らないゲームだ!” 方や“そこがいいんじゃないか!”と、リングを現代に移しても決着のつかないバトル^^; わたしね、ここでもさり気なくメタを効かせているんじゃないかと思った。 犯人が言い当てられて初めて作者の心憎い手回しに思い当った気がしたのです。 名探偵ばかりが脚光を浴びますが、探偵小説においては、実は犯人こそが芸術家であり、迷宮のごとき華麗なる絵空事のクリエーターなのですよね。 ネタバレのようで申し訳ないんですが、あの論争には犯人(役)に対する労い・・そんな感懐も込められていたのではなかっただろうか・・ひょっとして。
××シリーズの一作目なのだそうですが、単品として読むと“名探偵は誰?”という付加価値も有していて、そこもまた興趣の一部なので、シリーズ名はあえて伏字にしてみました^^ ま、なんとなく・・展開は読めてしまうんですけどね。 そして実際に大当たり(大筋だけです)だったんですが、全く失望しないばかりか、読み終えた時には会心の微笑が顔に張り付いていたものです。
本作品が発表された1936年は、探偵小説が黄金期から爛熟期を迎えたあたり。 型を創造し、型を極め、そして型を破り・・ あらゆる意味で“型”を意識し続けてきたクラシカル・ミステリの、ひとつの到達点と言うに相応しい作品で、いわゆる「毒入りチョコレート事件」風味の多重解決ものです。 折り目正しく“型”を継承しながら、同時に自らの“型”を諷刺することで、探偵小説の特質を華麗に描破してみせた妙技には、ある種の神々しささえ漂う気がしました。
サーストン医師の邸宅で開かれたウィークエンド・パーティの夜に起こる密室殺人事件。 本格ミステリの確固とした存在原理、共通認識に徹した舞台立てが意図的に披露される中、難事件と聞き付けて、“どこからともなく”手練の名探偵がわらわらと3人ほどやってくるのです。 まるで湧いて出たかのように^^ 1人は執事を伴った青年貴族、1人は小男の外国人、1人は小男の聖職者・・ってこれ、セイヤーズのウィムジイ、クリスティーのポアロ、チェスタトンのブラウン神父をそれぞれパロッた人物造形。 訳者によると、めっぽう芸が細かいらしいのだが自分にはそこまでの素養がないのがさみしい。
この自信家揃いの名探偵たちが、田舎者の巡査部長そっちのけで、3人それぞれに自分の流儀で捜査をして仮説を打ち立て、事件を再構成し、独創的な“物語”を描いてみせてくれる。 そして・・
ワトソン役の語り手が、順繰りに3人の助手を務めながら所感を綴りつつ事件を記録する(正確には回想録)スタイルなのですが、リアル世界ではなく、自分はあたかも本格ミステリ世界の住人なのだと思っているかのような、語り手のモチベーションがなんとも不思議で、この微妙なメタっぽさに擽られるのです。 名探偵たちが“どうしてやって来たのだろうか?”と自問する件などは、声を出して笑ってしまいました。
冒頭、パーティの席上で勃発する2人の登場人物による探偵小説論争がよいフックになっています。 方や“探偵小説は実人生とは何の関係もない事柄でできた下らないゲームだ!” 方や“そこがいいんじゃないか!”と、リングを現代に移しても決着のつかないバトル^^; わたしね、ここでもさり気なくメタを効かせているんじゃないかと思った。 犯人が言い当てられて初めて作者の心憎い手回しに思い当った気がしたのです。 名探偵ばかりが脚光を浴びますが、探偵小説においては、実は犯人こそが芸術家であり、迷宮のごとき華麗なる絵空事のクリエーターなのですよね。 ネタバレのようで申し訳ないんですが、あの論争には犯人(役)に対する労い・・そんな感懐も込められていたのではなかっただろうか・・ひょっとして。
![]() | 三人の名探偵のための事件 レオ ブルース 新樹社 1998-12 (単行本) 関連作品いろいろ ★★★ |
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暗い鏡の中に / ヘレン・マクロイ
2011.12.17 Saturday
[駒月雅子 訳] マクロイの最高傑作と評される端整な怪奇幻想ミステリが新訳で届けられました。 1950年作、第11長編だそうです。 精神科医ベイジル・ウィリング博士シリーズの一冊。
コネチカット州の女子学院に勤め始めて間もないフォスティーナという女性教師が、理由も告げられずに突然解雇されるという出来事を発端に物語は始まります。
19世紀ラトビアに伝わる“エミリー・サジェの伝説”を再現するかのような、影と実体が錯綜する生霊騒ぎの、その得体の知れない薄気味悪さがページを繰るごとに濃度を増して、妖しく美しく読者を魅了します。
心霊現象? 超能力? 催眠術? それとも合理的な解決に行きつけるのか、行きつけないのか・・ 超常現象に論理の光を当てるというミステリの奥義にしても、扱われている分身モチーフ自体にしても、極めてシンプルでオーソドックスなんです・・が、心の均衡を失っていくフォスティーナに張りめぐらされた心理的伏線の繊細な作用によって、核心部のトリックが全く陳腐なものに感じられないのが凄い。 そして、それこそ禁断の暗い鏡に魅入られたような、どこか陶然とした戦慄と、曖昧模糊とした幻惑感をもたらす読後。
世界を取り巻く物質と現象、肉体と魂をめぐる、心理学や哲学や民俗学を踏まえた知的談義によって、雑念のように誘発されていく憶測や想像は、プロットの肉付けに絶好の役割を果たしていますし、フォークロア的なヨーロッパ古来の迷信に囚われた恐怖の中に、クルチザンヌや魔女など、旧世界の話題が亡霊のように織り交ぜられ、生彩を放っているのも効果的。
パラダイムが急転する戦後間もないアメリカ社会で、焦燥感のような息苦しさを抱え、神秘主義から科学万能主義の間のどの辺りに自分は立てばいいのか煩悶しているかの如き寄る辺のなさが、物語の感度をまた一層高めていたのかもしれません。 現実社会の幻影が心理的基調として根底に貼りついているような・・
部屋に配置された装飾品や調度品、登場人物の姿形や衣装の描写は気品に満ちていて、また、神経質なほど微に入り細を穿ち、世界がこちらに浸透して来そうなくらい彩度や質感を際立たせているのですが、もしかすると、手を替え品を替え繰り出される形容表現は、伏線のカムフラージュの役割も果たしていたのかも? とりわけ、わたしは“匂い”の道具立てが印象的でした。
濃紺の夜空を背景に透かし絵のように耀くビルや、摩天楼の群れに薄っすら被さる白い朝靄、入り乱れながら汚れたアスファルトの路面を光で濡らすネオンサイン・・ 一番街、パーク街、マディソン街、ブロードウエーなど、1950年当時のニューヨークの街頭風景が活写され、遺伝子に組み込まれてもないくせに、心地よいノスタルジーに溺れてしまいそうでした。
コネチカット州の女子学院に勤め始めて間もないフォスティーナという女性教師が、理由も告げられずに突然解雇されるという出来事を発端に物語は始まります。
19世紀ラトビアに伝わる“エミリー・サジェの伝説”を再現するかのような、影と実体が錯綜する生霊騒ぎの、その得体の知れない薄気味悪さがページを繰るごとに濃度を増して、妖しく美しく読者を魅了します。
心霊現象? 超能力? 催眠術? それとも合理的な解決に行きつけるのか、行きつけないのか・・ 超常現象に論理の光を当てるというミステリの奥義にしても、扱われている分身モチーフ自体にしても、極めてシンプルでオーソドックスなんです・・が、心の均衡を失っていくフォスティーナに張りめぐらされた心理的伏線の繊細な作用によって、核心部のトリックが全く陳腐なものに感じられないのが凄い。 そして、それこそ禁断の暗い鏡に魅入られたような、どこか陶然とした戦慄と、曖昧模糊とした幻惑感をもたらす読後。
世界を取り巻く物質と現象、肉体と魂をめぐる、心理学や哲学や民俗学を踏まえた知的談義によって、雑念のように誘発されていく憶測や想像は、プロットの肉付けに絶好の役割を果たしていますし、フォークロア的なヨーロッパ古来の迷信に囚われた恐怖の中に、クルチザンヌや魔女など、旧世界の話題が亡霊のように織り交ぜられ、生彩を放っているのも効果的。
パラダイムが急転する戦後間もないアメリカ社会で、焦燥感のような息苦しさを抱え、神秘主義から科学万能主義の間のどの辺りに自分は立てばいいのか煩悶しているかの如き寄る辺のなさが、物語の感度をまた一層高めていたのかもしれません。 現実社会の幻影が心理的基調として根底に貼りついているような・・
部屋に配置された装飾品や調度品、登場人物の姿形や衣装の描写は気品に満ちていて、また、神経質なほど微に入り細を穿ち、世界がこちらに浸透して来そうなくらい彩度や質感を際立たせているのですが、もしかすると、手を替え品を替え繰り出される形容表現は、伏線のカムフラージュの役割も果たしていたのかも? とりわけ、わたしは“匂い”の道具立てが印象的でした。
濃紺の夜空を背景に透かし絵のように耀くビルや、摩天楼の群れに薄っすら被さる白い朝靄、入り乱れながら汚れたアスファルトの路面を光で濡らすネオンサイン・・ 一番街、パーク街、マディソン街、ブロードウエーなど、1950年当時のニューヨークの街頭風景が活写され、遺伝子に組み込まれてもないくせに、心地よいノスタルジーに溺れてしまいそうでした。
![]() | 暗い鏡の中に ヘレン マクロイ 東京創元社 2011-06 (文庫) 関連作品いろいろ ★★★ |
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モンタギューおじさんの怖い話 / クリス・プリーストリー
2011.12.01 Thursday
[三辺律子 訳] 木々が葉を落とした寒い森と、牧草の伸びた放牧地を抜けて、変わり者の老人、“モンタギューおじさん”の住む丘の上の小さな家へ、怖い話を聞きにやって来るエドガー少年。
悪魔を象った版画、中身のない金の額縁、真鍮の望遠鏡・・ 洞窟のように暗い書斎に、所狭しと飾られた風変わりな品々は、それぞれに痛みや恐怖に共鳴した物語を持っていて、モンタギューおじさんは、そんな望まれぬ品々のコレクターのだという。 いわくありげなモンタギューおじさんの口ぶりに、半信半疑になりながらも、呪われた品々にまつわるお話をせがまずにはいられないエドガー少年。
児童書コーナー本ですが・・容赦ないです。 オカルト的な怖さもですが、それよりむしろ、上質な心の闇系ホラーとして、大人が読んでもなんら遜色ないと思ったし、わたしなぞは、些か子供が読むには苛酷すぎやしないかと心配になったものです。 でも、大人が思っているほど、“子供騙し”は子供に通用しないんですよね。
教育や愛情をはきちがえた大人が、子供を軽んじ、本気で接しようとしなければ、子供はそれを敏感に察知し、大人を馬鹿にし、反感を強めていく・・ そんな悪循環の中に放置され、疎外感、孤立感を深め、生意気になっていくしか術のなかった不幸な子供たちが、モンタギューおじさんが語るお話の中の主人公なのです。 そして、お話に耳を傾けるエドガー少年自身の家庭的背景にも、おぼろげながら同種のニオイが嗅ぎとれて、得体の知れない呪縛の餌食になってしまったお話の中の子供たちがこちら側に浸潤し、エドガー少年とオーバーラップしていくような不穏な圧迫感が、じわじわと募っていく・・
一見、古典的でモダンな怪奇幻想の風合いを凝らした不条理もののようでいて、実は“魂の死”にも通じる、とても根深い社会病理を潜ませている辺りが特徴的かなと思いました。 もし、自分が子供だったらどんな読み方をしていただろうかと、好奇心をそそられます。 今読むと、“子供を侮る大人への警告”のような響きの方がより強く感じられて、そちらに気を取られて素直にアンティークな怪談の恐怖(完成度が高い!)を満喫できなかったのが、それはそれでちょっと残念に思いました。 個人的な好みは、「ノボルノ、ヤメロ」「剪定」辺り。
不遜、残酷、虚無、絶望、善意や良心の名残の非力さ・・ 読み進めるうちに心にどんどん負荷がかかって、暗澹とした気分になりかけましたが、やはりそこは流石です。 連作長編として、きちんと着地点が用意されていました。 「迷える子供たちの御魂の守り人、あるいは鎮魂のような役割が、モンタギューおじさんの贖罪」なのだと思えた時、そこにささやかな救いと安堵と、幾ばくかの甘やかな哀しみを感じることができました。
本当は怖いのに、怖がってなんかいないんだと自分に言い聞かせて強がってみせたり、ジェットコースターが頂点まで上がってしまってから、やっぱり怖い! と思う時の心境だったり、水を流す音が怖くて、その音に追い立てられるようにトイレを飛び出した記憶とか・・ エドガー少年の内面を追いながら、自分の子供時代を懐かしく思い起こしたなぁ。
悪魔を象った版画、中身のない金の額縁、真鍮の望遠鏡・・ 洞窟のように暗い書斎に、所狭しと飾られた風変わりな品々は、それぞれに痛みや恐怖に共鳴した物語を持っていて、モンタギューおじさんは、そんな望まれぬ品々のコレクターのだという。 いわくありげなモンタギューおじさんの口ぶりに、半信半疑になりながらも、呪われた品々にまつわるお話をせがまずにはいられないエドガー少年。
児童書コーナー本ですが・・容赦ないです。 オカルト的な怖さもですが、それよりむしろ、上質な心の闇系ホラーとして、大人が読んでもなんら遜色ないと思ったし、わたしなぞは、些か子供が読むには苛酷すぎやしないかと心配になったものです。 でも、大人が思っているほど、“子供騙し”は子供に通用しないんですよね。
教育や愛情をはきちがえた大人が、子供を軽んじ、本気で接しようとしなければ、子供はそれを敏感に察知し、大人を馬鹿にし、反感を強めていく・・ そんな悪循環の中に放置され、疎外感、孤立感を深め、生意気になっていくしか術のなかった不幸な子供たちが、モンタギューおじさんが語るお話の中の主人公なのです。 そして、お話に耳を傾けるエドガー少年自身の家庭的背景にも、おぼろげながら同種のニオイが嗅ぎとれて、得体の知れない呪縛の餌食になってしまったお話の中の子供たちがこちら側に浸潤し、エドガー少年とオーバーラップしていくような不穏な圧迫感が、じわじわと募っていく・・
一見、古典的でモダンな怪奇幻想の風合いを凝らした不条理もののようでいて、実は“魂の死”にも通じる、とても根深い社会病理を潜ませている辺りが特徴的かなと思いました。 もし、自分が子供だったらどんな読み方をしていただろうかと、好奇心をそそられます。 今読むと、“子供を侮る大人への警告”のような響きの方がより強く感じられて、そちらに気を取られて素直にアンティークな怪談の恐怖(完成度が高い!)を満喫できなかったのが、それはそれでちょっと残念に思いました。 個人的な好みは、「ノボルノ、ヤメロ」「剪定」辺り。
不遜、残酷、虚無、絶望、善意や良心の名残の非力さ・・ 読み進めるうちに心にどんどん負荷がかかって、暗澹とした気分になりかけましたが、やはりそこは流石です。 連作長編として、きちんと着地点が用意されていました。 「迷える子供たちの御魂の守り人、あるいは鎮魂のような役割が、モンタギューおじさんの贖罪」なのだと思えた時、そこにささやかな救いと安堵と、幾ばくかの甘やかな哀しみを感じることができました。
本当は怖いのに、怖がってなんかいないんだと自分に言い聞かせて強がってみせたり、ジェットコースターが頂点まで上がってしまってから、やっぱり怖い! と思う時の心境だったり、水を流す音が怖くて、その音に追い立てられるようにトイレを飛び出した記憶とか・・ エドガー少年の内面を追いながら、自分の子供時代を懐かしく思い起こしたなぁ。
![]() | モンタギューおじさんの怖い話 クリス プリーストリー 理論社 2008-11 (単行本) 関連作品いろいろ ★ |
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カーデュラ探偵社 / ジャック・リッチー
2011.11.18 Friday
[駒月雅子 他訳] カーデュラは、落魄れてしまった元貴族の伯爵(故郷は東ヨーロッパらしい)なのですが、現在(1970年代?)はアメリカに渡っており、人間離れしたタフガイっぷりを発揮して(空も飛べるので尾行が上手w)、生活のため探偵稼業に勤しむ日々を送っています。 でも営業時間は夜間のみ。
夜間営業ゆえか、警察に相談できない訳アリな依頼人満載のカーデュラ探偵社の事件簿7篇と、探偵を始める前の番外編(お金を稼ぐためボクサーに志願しちゃってるんですが、もちろん試合は夜間のみw)1篇を合わせたカーデュラシリーズ全8篇に、既刊の邦訳短篇集には未収録のノンシリーズ作品5篇を加えた本邦オリジナルの短篇集。
あちこちに分散したり埋もれかけていたカーデュラシリーズを一冊にまとめた完全版は、なんとこれが世界初なのだとか。GJ! 「クライム・マシン」に数篇収録されていたのを読んで以来、この完全版の刊行が、それはそれは待ち遠しかったです。
我らがカーデュラは全身黒づくめの紳士。 仕立てのよい服は幾分くたびれておりますが^^; “暫く陽の光を浴びたことがないような”なまっちろい顔色をしていて、糸切り歯が長くて、故郷の土を入れた煙草入れを持ち歩いていて・・などなど、バレバレの符丁がいっぱい。 カーデュラ(Cardula)という名前も、もちろん“アレ”のアナグラムです。 ただしカーデュラが“アレ”であることは、本文中ただの一言も記されてはおらず、遠回しな状況表現を積み重ねることで、痒いところをコショコショされるようなユーモアが作品中にどんどん充満していく感覚・・ それが絶妙にカーデュラを引き立てるんですよねぇ。
“人間の不実さにほとほと嫌気が差して”しまったカーデュラは、従僕のヤーノシュに「なんて物騒な世の中だろうね」などとこぼしちゃってます^^ “世間一般の印象とは裏腹に”道義をわきまえた正直者なのですが、軽やかに人間の法律を飛び越えて、カーデュラならではの価値観で悪事に制裁を科す超人っぷりが、一つの持ち味にもなっていて、ダークとロマンとウィットの混合物が堪らなく小粋。
そうそう、宿敵、ヴァン・イェルシング三世教授(時代を経て、若干綴りが変わったのかしらw)も登場します。 あとね、カーデュラ流デートの誘い文句に悶絶しました^^ ドライなユーモアとツイストの効いたクライム・コメディ・・ リッチー、好きだよー。 亡くなる年までカーデュラシリーズ書いてたんだねぇ。 もっと読みたかったなぁ。
夜間営業ゆえか、警察に相談できない訳アリな依頼人満載のカーデュラ探偵社の事件簿7篇と、探偵を始める前の番外編(お金を稼ぐためボクサーに志願しちゃってるんですが、もちろん試合は夜間のみw)1篇を合わせたカーデュラシリーズ全8篇に、既刊の邦訳短篇集には未収録のノンシリーズ作品5篇を加えた本邦オリジナルの短篇集。
あちこちに分散したり埋もれかけていたカーデュラシリーズを一冊にまとめた完全版は、なんとこれが世界初なのだとか。GJ! 「クライム・マシン」に数篇収録されていたのを読んで以来、この完全版の刊行が、それはそれは待ち遠しかったです。
我らがカーデュラは全身黒づくめの紳士。 仕立てのよい服は幾分くたびれておりますが^^; “暫く陽の光を浴びたことがないような”なまっちろい顔色をしていて、糸切り歯が長くて、故郷の土を入れた煙草入れを持ち歩いていて・・などなど、バレバレの符丁がいっぱい。 カーデュラ(Cardula)という名前も、もちろん“アレ”のアナグラムです。 ただしカーデュラが“アレ”であることは、本文中ただの一言も記されてはおらず、遠回しな状況表現を積み重ねることで、痒いところをコショコショされるようなユーモアが作品中にどんどん充満していく感覚・・ それが絶妙にカーデュラを引き立てるんですよねぇ。
“人間の不実さにほとほと嫌気が差して”しまったカーデュラは、従僕のヤーノシュに「なんて物騒な世の中だろうね」などとこぼしちゃってます^^ “世間一般の印象とは裏腹に”道義をわきまえた正直者なのですが、軽やかに人間の法律を飛び越えて、カーデュラならではの価値観で悪事に制裁を科す超人っぷりが、一つの持ち味にもなっていて、ダークとロマンとウィットの混合物が堪らなく小粋。
そうそう、宿敵、ヴァン・イェルシング三世教授(時代を経て、若干綴りが変わったのかしらw)も登場します。 あとね、カーデュラ流デートの誘い文句に悶絶しました^^ ドライなユーモアとツイストの効いたクライム・コメディ・・ リッチー、好きだよー。 亡くなる年までカーデュラシリーズ書いてたんだねぇ。 もっと読みたかったなぁ。
![]() | カーデュラ探偵社 ジャック リッチー 河出書房新社 2010-09 (文庫) 関連作品いろいろ ★★ |
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高慢と偏見とゾンビ / セス・グレアム=スミス
2011.10.15 Saturday
[安原和見 訳] なにこれw どんなセンスよっ! タイトルは「『高慢と偏見』とゾンビ」ですね^^ 紳士と淑女とゾンビ・・ですからね。 あの名作にオプションでゾンビを放り込んでみましたの巻。 放胆なw まさしくキ印認定級の珍品なんですが、にもかかわらず、全米では誰も予想だにしない(笑)ミリオンセラーを達成。 やだ、需要あり過ぎ♪
オースティンの描いた「高慢と偏見」の舞台である18世紀末頃のイギリスは、神に見捨てられた世紀末世界と化していて、感染するとゾンビ化する奇病が蔓延し、ゾンビがうようよしています。 結婚だの財産だの下世話な処世にかまける傍ら、脳味噌が大好物な生ける屍どもの襲撃に備えるべく、武術の稽古に精進するベネット家の五人姉妹・・そんな(どんなw)御時世なのです。
グロあり、ヴァイオレンスあり、戦闘シーンあり、ちょいちょい際どい下ネタありと、本来の典雅で長閑な物語背景とは全く相容れない装飾が施されていますが、登場人物の人間性は変質していません。 だから少しもイヤにならなかったのかも。
途中で脱線していくこともなく・・徹頭徹尾、オースティンの敷いたレールを忠実に走り抜けつつ、全成分がネタで出来た着せ替えレベルのコンテクストマジックが炸裂しています。 もうね、そのパロ加減が半端なくて。 こういうの、正確にはマッシュアップ小説というらしいです。
作者は日本人じゃないからあり得ないんだけど、あたかも“舞踏”が“武道”に、“紳士”が“戦士”に掛かっちゃったりしてるんじゃないのかと勘繰りたくなりました。 センテンス単位でゾンビ仕様の台詞に置き換えられていたりもするから、原典と逐一読み比べできれば、ニヤニヤが何倍増しになるか計り知れない。
例えば、片田舎ロングボーンの社交生活を自慢するベネット夫人の痛い件は・・
エリザベスは中国で少林拳の師匠について修行したカンフーの達人なんだけど、それは邪道だとレディ・キャサリンは馬鹿にしてるんだよね。 日本のキョートで武士道の修業を積まないと一流じゃないんだって^^; その甥っ子のダーシーも日本武術の使い手で、かつてはキョートに留学してたらしいよ。 へぇー、あのダーシー卿が日本にねぇ♪ ま、その、いろんな誤解はあれど、オタク系欧米人の東洋趣味的な・・その辺の感覚がムズムズと楽しかったです。
枠組み、筋立ては、これ見よがしな程いじられてないんですが、小さな間違い探しは随所に散見され、幾分か、原作を逸脱する個所もあって、そんな中に、ひときわ疑問を抱く場面が二つ。
コリンズ氏はどうしてシャーロットの変容に気がつかないんだろう? リディアはどうしてウィカムとの結婚に満悦でいられるの? 自分の見たいものを見たいようにしか見ようとしない心の在り様が、オースティンが描いた“愚行の絡み合う喜劇”を通り越して、狂気じみて見えてくるのです。
真面目な感想を書くと、恐怖と隣り合わせの日常なのに、社交界のことで頭をいっぱいにしたり、平和主義を逃げ口実にゾンビのことは見て見ぬふりしたい人たち・・ 風穴を忌み嫌う、抑圧された旧弊社会の雁字搦めの停滞感というか、18世紀末イギリスの底部に巣食う退廃の象徴ででもあるかのようなゾンビ・・
なにはともあれ、原作を容赦なく逸脱するのは、詐欺師でジゴロなウィカムと卑屈な自信家コリンズ氏の境遇でしょうねぇ。 ビングリー嬢やレディ・キャサリンと違って報いを受けないから憎さ百倍キャラなんですが、この度のゾンビバージョンで、原作ファンの留飲も下がる・・どころか若干引いてしまうくらいの制裁が加えられておりまして、個人的にはやり過ぎじゃねーかと;; ま、B級だからいいのか。
ビングリーとベネット氏の“この秋最初のゾンビ撃ち”(原作では猟)がツボです。 餌にカリフラワーを置いて罠を仕掛けてました^^ “訳者あとがき”によると、本書へのもっぱらの不満の声は“ゾンビが足りない”だったらしい。 欧米人ってどんだけゾンビ好きなのーw
オースティンの描いた「高慢と偏見」の舞台である18世紀末頃のイギリスは、神に見捨てられた世紀末世界と化していて、感染するとゾンビ化する奇病が蔓延し、ゾンビがうようよしています。 結婚だの財産だの下世話な処世にかまける傍ら、脳味噌が大好物な生ける屍どもの襲撃に備えるべく、武術の稽古に精進するベネット家の五人姉妹・・そんな(どんなw)御時世なのです。
グロあり、ヴァイオレンスあり、戦闘シーンあり、ちょいちょい際どい下ネタありと、本来の典雅で長閑な物語背景とは全く相容れない装飾が施されていますが、登場人物の人間性は変質していません。 だから少しもイヤにならなかったのかも。
途中で脱線していくこともなく・・徹頭徹尾、オースティンの敷いたレールを忠実に走り抜けつつ、全成分がネタで出来た着せ替えレベルのコンテクストマジックが炸裂しています。 もうね、そのパロ加減が半端なくて。 こういうの、正確にはマッシュアップ小説というらしいです。
作者は日本人じゃないからあり得ないんだけど、あたかも“舞踏”が“武道”に、“紳士”が“戦士”に掛かっちゃったりしてるんじゃないのかと勘繰りたくなりました。 センテンス単位でゾンビ仕様の台詞に置き換えられていたりもするから、原典と逐一読み比べできれば、ニヤニヤが何倍増しになるか計り知れない。
例えば、片田舎ロングボーンの社交生活を自慢するベネット夫人の痛い件は・・
【原作】(阿部知二 訳)威圧的なお節介が鬱陶しいレディ・キャサリンに、エリザベスが品定めされる件は・・
「わたしたちは、二十四もの家族と食事をともにするのですもの」
↓
【ゾンビバージョン】
「お食事をごいっしょするお宅が二十四軒もあるのよ。いえ、いまは二十三軒だったわね――ミセス・ロングもお気の毒に」
【原作】(阿部知二 訳)ダーシーの尽力をエリザベスに打ち明けるガードナー夫人の手紙では・・
「わたしがあなたのお母さまを知っていたとすれば、家庭教師をつけることをぜひともすすめたでしょう」
↓
【ゾンビバージョン】
「あなたのお母さまを知っていたら、ぜひともニンジャを何人かお抱えなさいと、強くお勧めしたところですよ」
【原作】(阿部知二 訳)といった具合。
買収でもして軟化させないことには、彼女は信頼した人を裏切るようなことはしなかったのだろうと、わたしは想像します。
↓
【ゾンビバージョン】
顔や首のあたりに強烈にこぶしをお見舞いしなかったら、この女性が秘密を漏らすことはなかっただろうと思います。
エリザベスは中国で少林拳の師匠について修行したカンフーの達人なんだけど、それは邪道だとレディ・キャサリンは馬鹿にしてるんだよね。 日本のキョートで武士道の修業を積まないと一流じゃないんだって^^; その甥っ子のダーシーも日本武術の使い手で、かつてはキョートに留学してたらしいよ。 へぇー、あのダーシー卿が日本にねぇ♪ ま、その、いろんな誤解はあれど、オタク系欧米人の東洋趣味的な・・その辺の感覚がムズムズと楽しかったです。
枠組み、筋立ては、これ見よがしな程いじられてないんですが、小さな間違い探しは随所に散見され、幾分か、原作を逸脱する個所もあって、そんな中に、ひときわ疑問を抱く場面が二つ。
コリンズ氏はどうしてシャーロットの変容に気がつかないんだろう? リディアはどうしてウィカムとの結婚に満悦でいられるの? 自分の見たいものを見たいようにしか見ようとしない心の在り様が、オースティンが描いた“愚行の絡み合う喜劇”を通り越して、狂気じみて見えてくるのです。
真面目な感想を書くと、恐怖と隣り合わせの日常なのに、社交界のことで頭をいっぱいにしたり、平和主義を逃げ口実にゾンビのことは見て見ぬふりしたい人たち・・ 風穴を忌み嫌う、抑圧された旧弊社会の雁字搦めの停滞感というか、18世紀末イギリスの底部に巣食う退廃の象徴ででもあるかのようなゾンビ・・
なにはともあれ、原作を容赦なく逸脱するのは、詐欺師でジゴロなウィカムと卑屈な自信家コリンズ氏の境遇でしょうねぇ。 ビングリー嬢やレディ・キャサリンと違って報いを受けないから憎さ百倍キャラなんですが、この度のゾンビバージョンで、原作ファンの留飲も下がる・・どころか若干引いてしまうくらいの制裁が加えられておりまして、個人的にはやり過ぎじゃねーかと;; ま、B級だからいいのか。
ビングリーとベネット氏の“この秋最初のゾンビ撃ち”(原作では猟)がツボです。 餌にカリフラワーを置いて罠を仕掛けてました^^ “訳者あとがき”によると、本書へのもっぱらの不満の声は“ゾンビが足りない”だったらしい。 欧米人ってどんだけゾンビ好きなのーw
![]() | 高慢と偏見とゾンビ セス グレアム=スミス 二見書房 2010-01 (文庫) 関連作品いろいろ ★★ |
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