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わが愛しのローラ / ジーン・スタッブス
わが愛しのローラ
ジーン スタッブス
早川書房 1977-01
(新書)
★★

[青木久恵 訳] 「懐かしいラヴ・ストーリーズ」からの芋づる本第一弾。 「雪あらし」がよかったのでジーン・スタッブスを調べてみたら、ミステリもお書きになってたことが判明。 ポケミスから邦訳が二作ほど出てました。 本篇はその一冊。 1974年のエドガー賞候補作、ということで古いです。 なおかつ忘れられた作品に近いんじゃないかと思うんですが、“ヴィクトリアン・ミステリ”と銘打たれているのは伊達じゃなかった! ちょっとした掘り出し物に出会えた気分♪
ロンドンの南西部、ウィンブルドンの瀟洒な邸で、三人の愛らしい子どもたちに恵まれ、成功した実業家の夫セオドア・クロージャーとともに誰もが羨むような贅沢な暮らしを送る見目麗しい貞淑な夫人ローラ。 社交界での評判も良く、不幸の匂いを嗅ぎつけることなどできそうにない立派なクロージャー家の実態は、しかし存外に冷え切ったものだった。
そんな或る日、クロージャー氏が急死する。 かかりつけの医師は病死と診断するのだが、のちにその医師のもとへセオドアの弟タイタスとローラの道ならぬ関係を誹謗中傷し、セオドアに対する二人の殺意をほのめかす匿名の手紙が舞い込む。 墓が暴かれ、死体解剖がなされてみると、死因は多量のモルヒネ摂取と判明するのだった。 事故か自殺か他殺か・・スコットランド・ヤードのリントット警部による捜査が開始され、謎が解き明かされていく・・のか?
最後の?マークはちょっとしたヒントになってしまうんですが、神の視点を与えられている読者だけがすべてを知り得る幕引きは、裏と表、内と外を分かつ深い溝を孕んだ時代性をいろんな意味で体現しているようななんとも言えない読み心地。 体裁は一応ミステリなんですけど、サスペンスあるいはノワールとして読むと光るものがあります。 その方が断然にお得。
“ロシア風邪”の名で呼ばれたインフルエンザがヨーロッパで猛威を振るった1889年から1890年にかけて、クロージャー家の人々の関係を映し出すような、霜と霧に閉ざされたひと冬を背景に、ヴィクトリア朝後期ロンドンの光と影が緻密な時代考証のもと、濃厚に描かれていきます。 一見、ゴシックかなって雰囲気もあるんですが、いっそ社会劇に近いかもしれない。 “人形の家”というワードが繰り返し埋め込まれていることからもわかるようにイプセンの「人形の家」への目配せが感じられます。 フェミニズム志向が強いといえる作品ですが、むしろ「人形の家」のシニカル・ヴァージョン的イメージかな。 ヴィクトリア朝の封建社会における断固とした男性至上主義や硬直的な道徳観念の柵を徹底的に柵として描き、あくまでその抑圧の内側で自立できない(“家を出る”という選択肢を持たない)女性が如何にサバイバルしていくか・・というスタンスなので。
女は知恵を持つべきではなく、代わりに庇護されるべき存在であり、美しく、か弱く、愛らしく、愚かであることが魅力的とされた時代。 従順さと引き換えに、妻を自分の所有物として大事にし、見栄えよく着飾らせるための出費は惜しまない厳格な夫セオドアと、父親に溺愛され、ゴージャスな暮らしの中でしか生きられないものの、義務と体裁ばかりで愛のない結婚生活に失望する妻ローラ。 そこへ一枚加わるのがセオドアの弟で、一分の隙もないマナーと巧みな言葉を振りまいて、なんでも自分の思い通りにしてしまう快楽的な自由人タイタス。 この三角関係を三者三様に善悪の二元論で描いてないところが人間ドラマとしてワンランク上のクオリティを感じさせます。
更に使用人たちの様々な心象が浮き彫りにされたりして。 邸の表方と裏方が重層的に描かれている辺りは、ちょっと「ダウントン・アビー」チックです。 使用人の種類や階層の違いで主人に対して抱きがちな感情の類型が掴めた気になりました。 また、貧困、悲惨、欲望、退廃の渦巻くロンドンの闇世界もストーリーに有機的に関わってきます。 途中、リントット警部がいかがわしい界隈を歩きながら、悪所のあらん限りを回想するシーンがあるのですが、ここはフラグの役目も果たしています。
婉曲表現をちりばめた会話、ならではの不文律、調度品、服飾、生活様式、クリスマスの風習・・ 時代の空気感の構築に心血が注がれていて非常に満ち足りました。 タイムズに載ったブラウニングの死亡記事を朝食のテープルで家長のセオドアが声を響かせ家族に読み聞かせるシーンなんかがあったりして、史実とも要所できちんと整合させています。 各章の冒頭には章内容とリンクしたエピグラフを掲げていて、キャロル、ディケンズ、ワイルド、スティブンソンなど時代を彩る文人や知識人の銘句を引用しているが一興。 以下はその一例。
“家庭は娘には牢獄であり、女にとっては救貧院である”
by ジョージ・バーナード・ショウ 「人間と超人間」より

“もしあなたのためにすべてを捨てたなら、あなたは私のすべてとなって下さいますか”
by ブラウニング夫人 「ポルトガル語ソネット集」より

“売春は貞節を守る最も効果的な方法である。売春なくしては無数の清らかにして幸福な家庭が汚されるであろう”
by W・E・H・レッキー 「ヨーロッパ道徳史」より

“女は、男によって文明化される最後のものだと思う”
by ジョージ・メレディス 「リチャード・フェヴェレルの試練」より

“イギリスの良家のあの狭量で、締めつけるような専制的なところ――あんなものは他に例がありません・・・。
by フロレンス・ナイチンゲール
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チャンティクリアときつね / バーバラ・クーニー 文/絵
チャンティクリアときつね
バーバラ クーニー
ほるぷ出版 1975-10
(単行本)
★★★

[ジェフリー・チョーサー 原作][平野敬一 訳] イギリス中世の農家を舞台にした動物寓話。 悪賢いきつねと気位の高いおんどりの知恵比べのお話です。 英国で昔から親しまれてきた民話だそうです。 子供向けの昔話って味気なく感じてしまうこともあるんだけど、素敵な絵とともに一話をじっくり読むのは心の保養になるなぁと、新たな発見がありました。
黒を引き立て黒に引き立てられる原色系の少ない色遣いが独特の味わいを醸し出しています。 クーニーは友人からニワトリを借り受け、観察しながら描いたそうで、その精密さと晴れやかさは、どことなく若冲を思わせるものがあります。 ページの端の飾り絵が中世らしさをそれとなく引き立ててくれていたかもしれない。
原作は、十四世紀イギリスの詩人チョーサーの手になる叙事詩「カンタベリー物語」中の「修道女につきそう司祭の話」だそうです。 つまり“司祭が語った話”ということですね。
藁葺き屋根の小さな一軒家、父親を亡くした母娘三人の慎ましい暮し向き、普段の服装、家畜や薬草畑やミツバチの巣箱・・ 当時の雰囲気を忠実に伝えることに心血を注いで絵を描かれたそうなので、どうなんだろう、文の方も韻文詩を現代の散文に書き改めた際、子供向けに整えた部分はあったにしろ、ほとんど潤色を施してはいないのだろうと察せられる素朴さがあります。
きつねと家禽の知恵比べモチーフは「マザー・グース」にも類例があるらしいです。 そして北欧にも非常によく似た「おんどりときつね」という類話があるのを知ってるんですが、 物語の完成度としてはこちらの方が整っています。 チョーサー版は北欧型の前半部に、イソップ物語やラ・フォンテーヌの「カラスとキツネ」パターンを継ぎ足したようなイメージかな。
やられてやり返しての二段構えのストーリーの、前半が“目を閉じる(大事なことを見ない)”、後半が“口を開ける(余計なことを喋る)”と、どちらも“うっかりおだてに乗って”しまっての失敗談と、そこから導き出される教訓が対を成し、綺麗に照応しているのが見事なのです。
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ナイン・テイラーズ / ドロシー・L・セイヤーズ
ナイン・テイラーズ
−乱歩が選ぶ黄金時代ミステリー BEST10 −

ドロシー L セイヤーズ
集英社 1999-04
(文庫)


[門野集 訳][副題:乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10] 登場人物一覧の長さと馴染みのない鳴鐘法とやらの衒学チックな難解さを前に、のっけから挫折しそうになったのだけど、勇気を出して読んでよかった。 芳醇な世界観を満喫できました。
ちなみにタイトルの“ナイン・テイラーズ”とは、死者を送る弔いの鐘の意。 このワードは物語のためのセイヤーズの創作なのか、一般的な用語なのか・・ そこがこんがらがってしまった(泣)
セイヤーズは、ディレッタントな貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿を創出した作家。 本作はそのウィムジイ卿シリーズの9作目に当たる長篇作品。
舞台はイギリス東部の小村。 低地に平野が広がるフェン(フェンズ)と呼ばれる沼沢地帯は、長い長い開拓の歴史を刻む水郷です。 個人的に大好きな舞台。 水路から立ちのぼる湿った空気の揺曳が印象的だったジム・ケリーの「水時計」にインスピレーションを与えた作品とのことで、いつか読んでみたいと思っていました。
1930年代のこの地方の風土、農村の牧歌的な生活が洒脱な筆で活写され、みるみる引き込まれました。 クリスティーもそうですが、類型的な人物の造形描写にウィットが溢れています。 そんな村の住人たちの個性をいっそう際立たせるためでしょうか、ウィムジイ卿はかなり没個性だった気が。
様々な謎が綾を成し、人々の思惑や衝動や時代の事情が連鎖して、ミステリが織り上げられていきますが、まだまだ精神的にも実質的にもコミュニティの支柱であった教会の佇まい、その敬虔さや揺るぎなさ、神秘性や畏怖性が物語の精髄だったと言っても過言ではありません。
終盤近くまで陽気な謎解きミステリの顔を振りまいておきながら、ラストで積み上げてきたものを瓦解させてしまうと言ったら言い過ぎでしょうか。 探偵小説愛好家には少々肩透かしと映る向きもあるかもしれません。 触れ込みの“奇抜なトリック”とはこういうことなのか・・と。 しかし真相から浮かび上がる象徴性は、これ以上ないほどに物語を成就させています。
解説によれば、このような構想は意図的であり、セイヤーズの意識は後期になるにつれ、“クロスワードパズルから風俗小説へ”とシフトしていくのだそうです。
中世から現代へ連綿と時を重ねながら、教会の鐘楼が西洋の人々の深層心理に如何に溶け込んできたのか、どのような集団的無意識を形づくってきたのか、とても理解することなどできないけれど、各々に来歴を有し、名を持ち、銘を刻む鐘たちの生身のような響き、人々の暮らしとともにあり続けた先の理を超えた奥行きに想いを巡らす機会になりました。
トレブル(最高音鐘)からテナー(最低音鐘)まで、一つの鐘を一人の鳴らし手が受け持ち、一揃いの鐘をある一定の規則に基づいて順番を変えながら鳴らしていく転座鳴鐘法(巻末に解説あり!)がギミックとなって全編を彩っています。

<付記>
転座鳴鐘法(転座鳴鐘術)による奏鳴の動画を見つけ拝聴しました。 ことに数学的法則による制約が厳しく、音楽的要素が薄いという本場イギリスの転座鳴鐘法は、何か宇宙の神秘めいたものを想起させ、少し怖かったです。 いや、本作の影響が大きいだけなのかも。 作中場面がフラッシュバックし、重なり合い、ゾクゾクと鳥肌が止まらなくなってしまいました。
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血染めのエッグ・コージイ事件 / ジェームズ・アンダースン
血染めのエッグ・コージイ事件
ジェームズ アンダースン
扶桑社 2006-09
(文庫)
★★

[宇野利泰 訳] 欧米における“ネオ本格”の潮流に乗って1975年に上梓され、脚光を浴びた作品。 本格ミステリ黄金期の1930年代英国を舞台にした時代ミステリです。 長い熟成を経て、黄金期の本格ミステリが古臭い遺物からビンテージへと変容した時期の機運を捉え、的確に体現しているかのようなシンボリックな作品。
舞台となるのは第二次大戦前のヒトラー台頭期。 人里離れた貴族のゲストハウスが密かな国際外交の場として利用され、華やかなパーティーに紛れて密談が交わされた・・という、当時の事情を彷彿とさせる(?)設定が採用されています。
バーフォード卿が所有する田園地帯の閑寂として壮麗な荘園屋敷“オールダリー荘”には、中欧のとある公国の特使、イギリス政府の閣僚、銃マニアのアメリカ人大富豪、海軍を退官した物書き、放蕩貴族の青年、フランスの麗しい男爵夫人、没落貴族の娘・・といった多様な顔ぶれが集い、社交風景が展開されます。
そしてついに嵐の晩、失踪事件、盗難事件とともに登場人物一同が容疑者となる殺人事件が起こり、名探偵が登場し、混迷を極める事態を収拾し、みなを集めて真犯人を指摘します。 そんな王道中の王道パターンを斜に構えることなく愛情たっぷりに真正面からやってのけた清々しさ溢れる快作なのです。
雷鳴轟く真っ暗なお屋敷の中、滞在者がそれぞれの思惑で右往左往する状況は、まるで歌舞伎の“だんまり”を連想したくなるような外連味を有していて楽しい。 深夜に勃発したスラップスティック劇さながらのもつれたコンテクストの、その糸を一本一本取り外すように、客人たちの中に潜り込んだ怪しげな輩(国家の諜報局員、フリーランスのスパイ、天下の宝石泥棒など・・)を、誰が誰やら的などんでん返しの連続で暴いていき、殺人犯という最後の一本の糸を手繰り寄せる怒涛の終盤は技巧の醍醐味でした。
銃器室に飾られたロマノフ王家ゆかりの高価な拳銃、中世の伝奇物語張りの秘密通路、キッチンの食器棚の引き出しに一揃い仕舞われたエッグ・コージイ(茹で卵覆い)、食卓につくのは不吉な十三人、忠実な老執事、名刺を置いていく怪盗の出没・・ 古雅なお屋敷内の大振りな舞台美術も然ることながら、地元の刑事ウィルキンズという探偵役の、まるでポアロの模造品といった風態にニヤッとなります。
しかもその中身はというと、自信の無さを自認する冴えないキャラの真逆タイプw “最近のイギリスの上流階級では、この種の事件が何百と発生している”なんて言及があったりするし、現実というよりも本格ミステリ・ワンダーランドの出来事なんじゃないかな的な・・ 隠れメタの興趣をそこはかとなく滲ませてもいたり。 バカミス認定級の物理トリックがまたファンタスティック!
総じて登場人物は薄味なキャラ設定(与えられた役割に準じているというべきか・・)なのが特徴的で、ロマンスや復讐や陰謀や欲心など盛り込まれたドラマはウィットとして処理され、深刻さは皆無。 それらは推理小説の構図として練られた道具立てに過ぎません。 あくまでも推論を確証させていく道程を楽しみ、旺盛な遊び心を愛でるためのスマートでお洒落な夢のようなミステリなのです。 それでもヒロイン女性の逞しさがふとした印象とて淡く胸に残る読後感。
小山正氏による巻末解説の、“カントリーハウス・マーダー・ミステリ”を主軸に置いた本格ミステリ史概説がちょっとした保存版です。 本格ミステリ黄金期の1920年代から30年代頃には、カントリーハウスものが陸続と生み出されたそうですが、同時代を舞台にしていても必ずしも世相を反映していたわけではなく、凡そ十九世紀のカントリーハウス全盛期への郷愁に彩られていたんですねぇ。 その時点で既に。 わかっていそうでわかってなかった気がする。 黄金期ミステリの味わい方がまた少し広がった気分。
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領主館の花嫁たち / クリスチアナ・ブランド
領主館の花嫁たち
クリスチアナ ブランド
東京創元社 2014-01
(単行本)


[猪俣美江子 訳] 本邦初訳なのかな? たぶん。 児童書も手がけたらしいのだけど、ブランドというと毒のある犀利なミステリってイメージしか持ってなくて。 しかも前知識なしで読んだから、あんぐりという感じだった。 紛うことなきノン・ミステリ。 幽霊譚と双子奇譚を絡ませたクラシカルなゴシック・ロマン。
「嵐が丘」や「ジェーン・エア」や「高慢と偏見」辺りの正統派少女小説と、脈々たる系譜を持つイギリス怪奇小説の香気を漂わせつつ、細部の辻褄はかなり強引というか、大時代的な様式性に徹した趣き。 愛に破れた者が手にする憎しみと、それを断ち切り浄化する甘美な自己犠牲・・といった由緒正しいドラマチックな運命悲劇的テーマが踏襲されている。
亡霊も亡霊とは思えないほど“人間”として描かれていたりするのだけど、ひんやりとした優雅さや入れ替えモチーフなど、随所にブランドの面目は躍如していたと思う。 最後の長篇、そう思って味わうことに意義がありそう。
1840年、ヴィクトリア朝初期の荘園屋敷が舞台。 ウェールズ北部に広大な領地を有する高貴な一族に、かつてエリザベス一世の御代、とある呪いがかけられ、末代までの祟りが宣告された。 一族子々孫々・・未来永劫・・もう二度と・・
低い丘の谷間に佇立し、餌食をその壁の中に囲い込む古い屋敷。 亡霊たちの冷たい手が、暗黒の闇へと、悪意の深みへと手招きしている陰鬱なマナーハウスに、一人の若い女家庭教師がやってくるところから物語は動き始めます。
聡明で薄幸そうな(そして何かいわくありげな)ガヴァネス、無邪気でこの上なく愛らしい双子姉妹(母親を亡くしたばかり)、上の空の父親(Sirの称号を持つ紳士)、屋敷を牛耳る意地悪な小母様、変わり者で謎多き領地の管理人(離れた小屋に一人で住んでいる)など、もうこれだけでご飯三杯いけそうな黄金設定。
設定だけじゃない。 幽霊を隠れ蓑にした推理ものでも、双子を素材としたアイデンティティにまつわる心理サスペンスでもなく、愛をめぐって沸き立つ感情の大仰な振り幅や、“受け継がれる呪い、降りかかる悲劇”を地でいく中世色濃厚なストーリーが、混じり気なしのゴシック感を掻き鳴らしています。 クライマックスなんてオペラの舞台でも観てるみたいな(観たことないけど)気分になったし、それと、やはりジュブナイル・レーベルな印象はあったかな。 どうだろう・・
小さな差でしかなかったのが、成長とともに助長され、増幅されていく双子の個性。 良からぬ方向へ導き伸ばすことに加担してしまう何気ない振る舞いの積み重ねは、それがほとんど無自覚であるがゆえに根が深い。 亡霊たちの冷たい手、その不吉な力を遠い破滅へと繋がりかねない悪しき習慣のメタファーと読むならば、子育てへの警鐘のようなものを孕んでいたのではないかと、大人として読むと、実際その部分が一番こたえた。
お屋敷の外観や内装や調度、令夫人の服装、社交の慣例、使用人の実情といった文化風俗のあれこれや田園地帯の自然美など、物語を支える美術が熟達していて、伝統的英国のパノラマにどっぷりと身を浸すことができます。 19世紀半ばにおける田舎の上流社会の諸相を詳らかに写しとった質の高い時代小説の印象も強いです。
にしても、お屋敷ものを読んでると、“なぜかドアの前でばったり会う”というシチュエーションが、ほとんど(盗み聞きの)慣用表現のように出てきて笑える。 英国お屋敷ものにおける一つのお約束ネタなのかな^^
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みまわりこびと / アストリッド・リンドグレーン
みまわりこびと
アストリッド リンドグレーン
講談社 2014-10
(単行本)
★★★★

[キティ・クローザー 絵][ふしみみさを 訳] 「長くつ下のピッピ」の作者リンドグレーンが書いた、スウェーデンの妖精トムテのおはなし。 トムテはスウェーデンのサンタクロースともいわれる農家を守る妖精で、北欧ではお馴染みの小人なんだって。
このおはなしのトムテも、とある農場の納屋の片隅にずっと昔から棲み着いている家つきの妖精さん。 トムテについてうたった古詩をもとに1960年代初頭に書かれた童話だそうです。 なんと最近まで埋もれていたのだとか。
アストリッド・リンドグレーン記念文学賞受賞作家のキティ・クローザーが絵を添えて。 澄んだ冷気と灯し火 の明かりに包まれているような・・ 慈しみ深い世界を宿した絵本として蘇りました。
森に囲まれ、雪に閉ざされた農場の、しんと更けた夜。 冬の長い国に暮らす人々や動物たちの眠りを、年をとった小人がそっと見守っています。 小屋から小屋へ、足音を忍ばせて、夜毎の見まわりを欠かしません。 耳には聞こえない小さな言葉のぬくもりは、凍てつく静寂の中に、みんなの夢の中に沁み渡っていくようです。 夏に備えた豊かな眠りであるように・・と、ささやき続けています。
冬は きて、また さっていく もの。
夏は きて、また さっていく もの。
こうやって厳しい冬を受け入れてきたんだなぁーって。 自然への畏敬を底流した民話の持つ力強さがしっかりと伝わってきて、震えるくらい素敵だった。
小人への感度はやっぱり動物たちの方が良好です。 姿も見えてるみたいだし、耳には聞こえない小人の言葉もちゃんとわかります。 人間の子供なら見えるかもしれないし、わかるかもしれないのだけれど、
子どもは 夜、ぐっすり すやすや ねむる もの。
なので、確かめることができないのです。 でも、朝になって雪にてんてんと残った小さな足あとを子供は見つけることができるし、 大人にだってできる。 たとえ見つけられなくても、そんな子供時代を過ごした大人なら、もちろん小人がいるのを知っています。 見えない小人がひっそりと棲める納屋を心の奥にこしらえてあるのです。 つつがない日々の暮らしへの静かな祈りを込めて。
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闇のしもべ / イモジェン・ロバートスン
闇のしもべ 上
闇のしもべ 下
イモジェン ロバートスン
東京創元社 2012-09
(文庫)


[副題:英国式犯罪解剖学][茂木健 訳] 18世紀後半を舞台にしたジョージ王朝時代ミステリ。 ゴシックと冒険活劇をミックスした重厚にして絢爛たるエンタメ仕立てで非常に読みやすかったです。
イングランド南部ウエスト・サセックスの田園地方で連続して起こる怪死事件の謎を追う厭世家の解剖学者クラウザーと才気煥発な海軍提督夫人ハリエットの眼前に立ちはだかるのは、広大な領地から周囲を睥睨する大貴族サセックス伯爵家。
その伯爵家を出奔し、ロンドンで楽譜店を営む嫡男一家が“ゴードン暴動”の最中に見舞われる惨事と、アメリカ独立戦争にイギリス陸軍士官として従軍した伯爵家次男のボストンでの体験が同時進行で物語られます。
これら各要素が終盤で一つに収斂されていく構成ですが、そこに想像を超える真相は見い出せないものの、予定調和な物語として存分に楽しめるプラスアルファの素地が光る作品でした。
貴族の腐敗、ブルジョア中産階級の台頭、貧困層の鬱積、自然科学思想や進歩思想の胎動・・ フランス革命が間近に迫るアメリカ独立戦争の最中にあり、植民地支配や産業革命の余波に揺さぶられる英国社会の、様々な光と影が投げかけられています。
特に転換期の世相を反映した階級の流動性や、逆に非流動的な目に見えない桎梏が浮き彫りにされるなど、各々の属性を与えられた登場人物のパーソナリティーに陰翳を刻む微妙な書き分けが達者。
“英国式犯罪解剖学”と副題にありますが、小難しい蘊蓄ものではなく、全体から漂うムードを総称したキャッチコピーなのでしょう。 言ってみれば科捜研や検視官ものの最初期バージョン的な立地にある作品であり、当時の医学や解剖学のレベルに準じて死体に残された殺人の痕跡を探る方法も読みどころではあるのですが、それ以前に、確証が得られない限り何も信じてはいけないことは不道徳な哲学者の警句であり、すべての人間が平等であるという思想は誤りであり、“町の外からやって来た行きずりのならず者の仕業”で一件落着してしまうような治安判事の捜査や王室財産管理官の審理がまかり通る時代にあって、自然科学の神に仕える“闇のしもべ”となり真実を究明しようとするイノベーティブな衝動が眩しかったです。
我らがクラウザー氏は、実在の外科医ジョン・ハンター博士の弟子という設定で、案の定ちょっとした変人扱い案件なんですけど、その辺のグロとユーモアの配分も巧いのです。
プロローグ感たっぷりなシーンをエピローグに使うセンスが新鮮。 全てが終わったカタルシスの中で眺めるこのシーンには名状し難い痛みがあります。 ヒュー視点でのレイチェル観がおそらくここで初めて明かされていたと思う。 ヒューとレイチェルの悲恋の物語としてもう一つのプリズムが反射し、煌めいた心地がしました。
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書物愛 海外篇 / アンソロジー
書物愛 海外篇
アンソロジー
東京創元社 2014-02
(文庫)
★★

[紀田順一郎 編] 書物愛をテーマにしたアンソロジーの海外篇。 大御所からマイナー作家まで、愛書狂の生態を赤裸々に暴くその種の珍品逸品を一堂に会したラインナップ。
1835年から1956年までに執筆ないし発表された十篇をほぼ年代順に並べ、背景もバルセロナの路地裏、パリのセーヌ河岸、ロンドンの街頭、ウィーンのカフェー、ドイツの田舎、フィレンツェの街角など、時代性や土地柄を多彩に編み込んでいます。
対象物に魅入られた蒐集家につきまとう破滅的、終末的匂いを基調音として響かせながらも、ミステリ、ホラー、上質な物語小説、笑劇風、アイデア・ストーリーなどバラエティーも確保し、読者を飽きさせない構成にも感服させられます。
手写本や揺籃期本(インクナビュラ)の擦り切れた頁、色褪せた羊皮紙の塵や埃や黴のにおい・・ 幾重にも積もった時間の層のしじまから漏れてくる、古の好事家たちの熱く遣る瀬無い溜息を傍受した心地。
第一次大戦とインフレを背景に、古きよき庶民的社会意識の黄昏を描いて名状し難い郷愁をそそるツヴァイクの二篇、「目に見えないコレクション」と「書痴メンデル」が珠玉の輝きを放っていました。 老いて視力を失くした田舎者の版画コレクターと、古本学の無名の大家というべき無比の記憶力を備えたユダヤ人古書仲買人。 外界と隔絶した精神世界の住人である彼らが時代の変化に蹂躙されるその、哀れで、滑稽で、手の施しようもない崇高と、無力にも彼らを守ろうとする絶滅間もない無垢が胸に迫るのです。 “本が作られるのは、自分の生命を越えて人々を結びあわせるためであり、あらゆる生の容赦ない敵である無常と忘却とを防ぐためだ”の一文を抱きしめるように心に仕舞いました。
「薪」は、アナトール・フランスの出世作「シルヴェストル・ボナールの罪」の第一部に当たるのだとか。 日本風に言うと“情けは人の為ならず”なハートウォーミング・ストーリーなのだが、語りの妙味が実に魅力的だった。 書物の魔に囚われた筋金入りの書痴と、書痴に人生を狂わされた老嬢とのバトルが炸裂するグロテスクコメディ「シジスモンの遺産」や、古き怪奇小説のモダン香る「ポインター氏の日記帳」も好み。 フローベール少年期の作品「愛書狂」は、一見、皮肉の効いた巧妙なストーリーに映るのだが(そして実際その通りなのだが)、実話をもとに書かれたのだと知れば、西洋における愛書文化のスケールと濃度に眩暈がしそうになるのだった。

収録作品
愛書狂 / ギュスターヴ・フローベール(生田耕作 訳)
薪 / アナトール・フランス(伊吹武彦 訳)
シジスモンの遺産 / オクターヴ・ユザンヌ(生田耕作 訳)
クリストファスン / ジョージ・ギッシング(吉田甲子太郎 訳)
ポインター氏の日記帳 / M・R・ジェイムズ(紀田順一郎 訳)
羊皮紙の穴 / H・C・ベイリー(永井淳 訳)
目に見えないコレクション / シュテファン・ツヴァイク(辻ひかる 訳)
書痴メンデル / シュテファン・ツヴァイク(関楠生 訳)
ロンバード卿の蔵書 / マイケル・イネス(大久保康雄 訳)
牧師の汚名 / ジェイムズ・グールド・カズンズ(中村保男 訳)
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黄色い部屋の謎 / ガストン・ルルー
黄色い部屋の謎
ガストン ルルー
東京創元社 2008-01
(文庫)
★★

[宮崎嶺雄 訳] 1907年に新聞連載され、翌年に単行本化された最初期の長篇探偵小説ですが、ミステリ史上に燦然と輝く“密室もの”として、今なお愛好家のハートを掴み続ける名品。
聖ジュヌヴィエーヴの森の中のグランディエ城に、科学の研究のために引きこもって暮らす博士と令嬢。 見捨てられたような無住の地の陰鬱とした古城、その離れの“黄色い部屋”で令嬢の身に奇怪極まる惨劇が降り注ぎ・・
まるで幽霊のように鎧戸を通り抜けて行ったとしか思えない犯人、残された夥しい痕跡、容疑者の厄介な沈黙と被害者の奇妙な妨害が発する秘密の匂い、緑服の森番、旅籠屋“天守楼”、闇に響く“お使い様”の鳴き声、黒衣婦人の香水の香り・・
蒼古とした大時代的ロケーションが広がっていて、古典ミステリの中の古典ミステリといった堂々たる風格なんだけど、日本の新本格作家さんたちのせいですっかり馴染んじゃってるから、そうそうこれこれ! みたいな 影響力はかり知れない証拠というものでしょう。
金庫のように厳重に閉め切られた鉄壁の密室の謎を提供する“黄色い部屋”の事件に次いで起こる第二、第三の事件も、広義の密室というべき衆人環視のもとでの人間消失が扱われ、不可能ギミック盛り盛りなのですが、やはりメインの“黄色い部屋”の謎が白眉。 力技な物理トリックから発想の転換を図った虚を突く肩透かし技の創造に感服するのはもちろん、なんといってもスマートなのだ。 端正にしてクールな殿堂入り密室トリックを引っ提げたガチムチ本格が、お膝元の英米ではなくフランスで生まれたというのが興味深くもあるのだが、不思議とフランスから生まれるべくして生まれたような気もしてくるのだよね。
密室トリックの他に本作には“意外な犯人”を捻り出す絡繰りが用意されています。 更には、推理を元に証拠を見つける警視庁お抱えの私立探偵ラルサンと、自らの理性の輪の中に入る手がかりをもとに推理する青年新聞記者ルールタビーユの探偵対決の図式になっていて、ミステリ・マインドを擽る趣向がふんだんに凝らされているのです。
まぁ、なにかとルールタビーユの独り占め感が強く、伏線がなかったり、あっても機能的でなかったり、読者が推理の仲間に入れてもらえないので、その意味での満足感は薄いのですが、ルールタビーユの高慢なまでに横溢する若いバイタリティを、フーダニットのミスディレクションとして利用している辺りが達者だなぁと。
これラストどうなんだろうか? まさか・・との思いも過るんだけど、微妙に年齢計算が合わないですかね。 やっぱ違うんだろうか。 でももしそうだったとして、しかも仄めかすだけで寸止めたのなら・・と想像すると目に見えないドラマの奔流が一気に溢れてきて、もう独断と偏見でその気になっちゃって(違うんだろうけど;;)、そこはかとない読後の余韻に包まれて評価がガン上がってしまったのでした。

<追記>
気になり過ぎて調べちゃいました。 どうやら当たりっぽいことが判明・・するも、判ってしまうとあんま嬉しくなかった;; じゃあ調べるなって話なんだけど
続編の「黒衣婦人の香り」で、その辺の事情にスポットライトが当てられ、赤裸々に物語られるみたい。 自分としては余韻のエンディングが「黄色い部屋の謎」を何より傑作たらしめている(違うw)と思い込み、心浮き立たせていたい気満々なので、勝手にこの一冊で完結ってことにしてそっと胸に仕舞おうと思う。
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郵便局と蛇 / A・E・コッパード
郵便局と蛇
− A・E・コッパード短篇集 −

A E コッパード
筑摩書房 2014-09
(文庫)
★★

[西崎憲 訳] 20世紀前半、二百作近くの短篇と一作の長篇を残した英国のマイナー作家、コッパードの日本オリジナル精選短篇集。 訳者解説によると、コッパードの作品は、キリスト教に関わるもの、村を舞台にしたもの、恋愛小説的なもの、ファンタジーの4種に大別できるそうで、それを念頭に置き、作品の選択に偏向がないよう心がけた、とのこと。 本編は作家の作品世界の縮図と考えてもいいのかもしれません。 やや難解な怪作的色合いが一つ一つの短篇から静かに立ちのぼっていて、読む者の心に“何か”を落としていく・・ としか言いようがなく、的確な言葉で表現できないのがもどかしいです。
炉端の前で語られる民話のような懐かしさを内在する肌触り、田園や森の自然美を写し込む詩情性・・ そういった表現法には、一世代前のロマン派を継承している趣きがあるのだけど、あくまでそれはパッケージとしてであり、物語の深部に潜ませた人間を見据える眼差しは、現代小説を知る読者にも“古さ”を感じさせるものでは決してなかったと思います。
特に「若く美しい柳」や「アラベスクーー鼠」の、生きることの強かな哀しさ、「辛子の野原」の、一回転したような複雑な感情の綾、「幼子は迷いけり」の物語性がないことが皮肉な物語になってしまう辺りのシビアな現実感覚、人が淡々と抱え続けるままならなさへの関心には、20世紀の小説家的側面を強く感じた気がします。
とは言いつつ、どちらかというと「うすのろサイモン」や「ポリー・モーガン」みたいに、何かこう、読み慣れた安定感のある作品が個人的には好みでした。 あくまで一回読んだだけでは、です。 “安定感”と思ったのは、どちらも円環的なプロットが非常に巧妙で美しかったからかもしれない。 「うすのろサイモン」は、どこぞのなんちゃって聖人伝みたいなユーモラスな寓話調で、「ポリー・モーガン」は、怪奇小説と見せかけて人間の意識の不確かさをえぐるジェイムズ張りの心理小説で、タイプは全然違うんですけど。 現代人と伝説の邂逅を鮮やかに描いた掌篇「郵便局と蛇」や、結ぼれのような柵をとぼけた味わいで描いた「王女と太鼓」も好き。
「銀色のサーカス」は、読んでいて、まるで落語の「動物園」! と思いました。 が、掛け合い的な遣り取りを交えてコミカルに進行する喜劇から、底光る暗さを発散する悲劇への反転はコッパードの捻り。 wikiに、落語の「動物園」も元ネタはイギリス圏の古いジョークとあったので、ははん、コッパードもそのジョークへの目配せで書いたね?って 解説によると、ウィーン滞在時に(ワルシャワで聞いた話として)知人から聞いた話しが典拠なのだとか。 どうりで、これだけ舞台がウィーンなんですね。(そしてどうも、イギリス圏のジョークというわけではないのかも・・)
「シオンへの行進」は、晦渋すぎて掴みきれなかったのですが、読後の徒労感はどこにもなく、不可解な奥行きが醸すムードだけで充足できてしまうものがあり、また読み返してみたくなる神秘の耀きを湛えた佳篇。
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