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ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ / ケイティ・ビービ
ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ
ケイティ ビービ
光村教育図書 2015-12
(大型本)
★★★★

[S・D・シンドラー 絵][千葉茂樹 訳] 四旬節の初めの日、ユーゴ修道士は、修道院の図書館に聖アウグスティヌスの本を返すことができませんでした。 なぜなら、おことばのあまい香りを嗅ぎつけたクマに本を食べられてしまったから。 修道院長はユーゴ修道士に申しつけます。 グランド・シャルトルーズ修道院へ行って同じ本を貸してもらい、すべて書き写し、わが修道院の図書館におさめ直すようにと。 かくして四旬節のあいだ中、ユーゴ修道士は写本室に閉じこもり、同僚たちの助けを借りて写本作りに励むことになったのでした。
骨身を削る作業を無事に成し遂げ、最後は借りた本をグランド・シャルトルーズ修道院へ返しに行くのですが・・ふふふ。 めでたしめでたしなのかと思いきや、なにこのすっとぼけた終わり方w ちょっと童謡の“やぎさんゆうびん”を思い出してしまった。 クマに食べられて写本を作りっこしちゃうエンドレスパターンじゃないのかこれ? お話は単純なのだけどウィットがあっていい味出てます。 食べませんけどね^^;
写本の作業工程を伝えることがメインテーマとなっている絵本。 当時の修道院を中心とした写本文化がどういうものだったのか垣間見させてもらいました。 印刷技術が発明される以前、すべて手作業で一冊の本を作り上げていた中世の頃のお話ですが、元ネタがあるなんてびっくりです!
巻末の“歴史的背景”によると、12世紀、現在のフランスにあたる地域に学問と本で有名な二つの修道院があったそうで、どちらにも大きな図書館があり、手紙のやり取りで議論をしたり、本の貸し借りをしたりしながら交流していたという。 本作品で描かれているのがその二つの修道院、ペトルス・ヴェネラビリス率いるクリュニー修道院と、グイゴ率いるグランド・シャルトルーズ修道院なのです。
しかも、クリュニー修道院の聖アウグスティヌスの書簡集がクマにかじられ消失してしまったことも史実で、ペトルス修道院長がグランド・シャルトルーズ修道院に宛てて貸し出しの依頼を綴っている手紙が残ってるんだって。 そっかぁ、そこから生まれたんだね。 この可愛い本は。
現実的に言うと羊皮紙とインクの素材の匂いがクマ好みなのかな? お話の中では“ハチミツより甘い”尊いみことばが書かれている中身の芳しさという含みがもたせてあってファンタスティックなのだ。
木枠に張って滑らかに伸ばして作る羊皮紙、“虫こぶ”を砕いて雨水に浸し、そこへゴムの木の樹液と緑礬を混ぜて作るインク、鵞鳥の羽根ペン、飾り文字・・ 神の知恵を次の世代に受け渡すために作られ、神聖なことばのありがたみを最大限に表すため、美しく豪華に仕上げられた写本。
文字は一語一句間違えないよう写すことが求められたでしょうが、物語を彩るために埋め尽くされる飾り絵は、写本作者の裁量に委ねられる部分が大きかったんでしょうねぇ。 オックスフォードのボドリアン図書館に収蔵されている写本の中に、作り手の修道士が自画像を描いて“絵描きのユーゴ”と署名を残している写本があるそうで、著者は主人公のユーゴ修道士をその実在した一人のお茶目な写本作者へ捧げているようです。
クリュニー修道院はフランス革命の時に破壊されてしまったそうですが、グランド・シャルトルーズ修道院は現存しているんです。 ロマンだなぁ。 カリグラフィーや額絵や蔓の意匠など写本を意識したイラストも素敵。 修道士さんたち、やっぱりみんな髪型がザビエルなんだ
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サロメ / オスカー・ワイルド
[平野啓一郎 訳]  紀元一世紀のキリスト教誕生前夜、帝政ローマの属州だったオリエント世界のとある宮殿の、月の夜の一場の悲劇。
ヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の息子)の命により洗礼者ヨハネが斬首されたという「新約聖書」の“マルコ伝”と“マタイ伝”の記述に依拠した19世紀末の戯曲ですが、同様にサロメ伝説をモチーフとした既存の文学や芸術を応用しつつ改変し、母親ヘロディアの代弁者ではなく、初めてサロメという娘に意思を持たせたことで名高い古典です。
原本テキスト中に眠るサロメの少女性に着目した訳者によって、少女の無邪気な残酷さとしてサロメ像を捉え直す試みが、この新訳における一つのテーマだったとも言えそうです。 その結果、ビアズリーといったん切り離し、世紀末デカダン美学という先入観から「サロメ」を解放した・・という順番であればこその意義深さなのでしょう。
以前に旧字旧仮名遣いの岩波版、福田恆存訳でビアズリーの挿絵(厳密には挿絵というよりワイルドの「サロメ」に想を得たビアズリー独自の個性的な作品と捉えた方が良さそうなのですが)と共に読みながらも、やはりサロメは妖女や毒婦というよりも、もっとキリキリとした痛みを伴って思い出す存在です。 人と人の断絶が圧倒的で、その無慈悲なまでの理不尽さに酔ったのです。 そしてまた再び・・
むろん文体が刷新され、ライブ感が増していますが、自分の中では今回の新訳によって大きな方向転換がなされたという認識はなく、むしろそのことにホッとしたくなります。 原作(福田訳)だけ読んでいて、芝居もオペラも日夏訳も知らなかったら、およそこんな感覚なんじゃないかなぁ。違うかなぁ。
シンプルな人物配置の奥に、繊細な意識構成で織り上げられた玄妙な空気を感じながらも掴み切ることのできない象徴性が、名状し難いカタルシスをもたらす所以なのだろうかと、漠然とそんなイメージで記憶していましたが、サロメが担っているのは“原罪”なのだと訳者に指摘されて、胸にストンと落ちるものがありました。
愛と憎、聖と俗、清と濁、精神と肉体、生と死・・対称性を帯びた想念がダイナミックにぶつかり合う世界観が、地理的かつ歴史的な混淆を孕んだ一幕の舞台空間に凝縮されていたことを認識し、この計り知れない濃密さが何処から来るものなのか、改めて読み直す体験となりました。 もともと好きだった原作の魅力を、自分の中で更に深められたことが何より嬉しい。
本書は、注や解説などの論考部がボリューミーで、新時代のサロメやワイルド研究に触れる機会が持てたのも収穫。


サロメ
オスカー ワイルド
光文社 2012-04 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
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終りのない紡ぎ唄 / 岸田今日子
終りのない紡ぎ唄
− ギリシャ神話の女たち −

岸田 今日子
中央公論社 1984-09
(大型本)
★★★

[副題:ギリシャ神話の女たち][絵:東逸子] ギリシャ神話に登場する15人の女性たちを描いたショートストーリー集。 焼き直し的なお話というよりは、神話世界をそのままに、行間に香るエッセンスで女性像を膨らませ、岸田さんの言葉で物語を綴られてる感じ。 瞬発力のあるイメージの喚起と深い余韻をもたらしてれる、詩情豊かな作品集でした。
汲めども尽きぬ泉のように湧き零れる愛と欲望のコラージュ。 抑制を保った文章の中で、ふと奥底に秘めた感情の欠片が弾けてズキンとくる感じがよかったです。 蠱惑的な艶めきと、茫漠とした虚しさが交錯するような一瞬。
アフロディテが海の泡から生まれた経緯は初めて読んだかもしれないですが、ヘラ、パンドーラ、デメテル、エコー、ダフネ、メディア、プシュケ、ヘレネ、ペネロペなど、馴染み深い女神や女人たちばかりですし、有名どころの物語が揃っているので、内容的には手に取り易いと思います。 喰い足りなさがないの。 手元に置いてバラバラしたい雰囲気なんですよねぇ。
ギリシャ彫刻のように端正で、それでいて匂い立つように神秘的な、東逸子さんの挿絵との相性もよくて、とっても素敵な一冊でした。 時の彼方に取り残してしまうのは本当に勿体ない。 文庫になったら絵が惜しいけど・・ お手頃なサイズ&価格で復刊して欲しいなぁ。
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ギリシア・ローマ神話 / トマス・ブルフィンチ
ギリシア・ローマ神話
− 付インド・北欧神話 −

トマス ブルフィンチ
岩波書店 1978-01
(文庫)
★★★

[副題:付インド・北欧神話][野上弥生子 訳]
お行儀の悪い神々」を読む前に予習してみたくなって、本棚の奥の奥の奥から探し出してみました。 大昔に読んでるはずなんですが、がっつり忘れてるので、殆ど新鮮で楽しかったです。 生命の萌芽を感じさせる素朴な物語に英気を養ってもらった気分。
ブルフィンチの原書が世に送り出されたのは1855年。 トロイア遺跡が発掘される前なのですよね? 因みに本書(翻訳本)の序文として夏目漱石から厚意が送られています。 なんか凄いです・・
原書のタイトルは、"The Age of Fable"で、ギリシア・ローマ神話を中心に、インドや北欧神話も含めて総括的に(キリスト教から見た)異教の神々の伝承を解説してるといった感じになるのかな。 文章が平易で読み易く、雄壮な叙事詩が体系的に浮かび上がってきます。 人名(神名)が覚えられないのがイタイ;; 読んだそばから忘れていくって身も蓋もない(泣) 巻末の索引を確かめつつ、何度も立ち返り、でもそんな行為すら楽しくて。 苦にならなかったです
エロスの矢によって弄ばれてしまうアポロンとダプネの恋物語がお気に入りです。 アポロンが出てくる話は殆ど好きなんです。 パッと視界が明るくなるような気がして。 アポロンに焦がれて向日葵の花になってしまったクリュティエの話も好き。
今回読んでツボだったのは、森のニンフのポモナに恋をした、四季の神のウェルトゥムヌスが、お婆さんの姿に身を変えて彼女の元へ自分をアピールにいくんですけど、その一生懸命さが可愛かったです。 “ウェルトゥムヌスは宿無しの神ではありません”とかアピっちゃってて^^ ここ、ウケました。
ヘラクレスやペルセウスの英雄譚あり、“イリアス”のような大スペクタクルあり、“オデュッセイア”のような冒険譚あり、植物や星座の由来など、自然の摂理を解き明かすようなウィットのある物語あり・・ 人間臭い神々の愛と欲望と哀しみとが重層的に響き合った、豊穣な世界観を満喫することができました。
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ある家族の会話 / ナタリア・ギンズブルグ
ある家族の会話
ナタリア ギンズブルグ
白水社 1997-10
(新書)
★★★

[須賀敦子 訳] ユダヤ系のブルジョア家庭に末娘として生まれ、イタリアを代表する女流作家となった著者が、第二次大戦の陰影を色濃く映し出す一時代を生きた家族の記録を綴った自伝的小説。 ファシズムに翻弄されたイタリアの現代史と折り重なるように描かれていく。 あくまでも健やかに、温かく、鋭く、客観的に、静かに、淡々と・・ そして、澄まし顔した穏やかな諧謔、軽くおちょくるくらいの愛に満ちた可愛らしさと共に綴られている。
あの時、父がこんなことをした。 母がこんなことを言った。 兄が、姉が、友人たちが・・ 何かを殊更に訴えるでもなく、家族や親類の間で交わされた会話や生活風景という質素な素材だけで構成された単調なまでのストイックさの中に、深い慈愛がゆったりと流れていて、誰かの他愛もない言葉が、ある瞬間にふと、心の琴線に触れてしまい、熱いものが込み上げて、この物語に流れる空気ごと抱きしめたくなる衝動に駆られるような場面が何度もあった。
誰が正しいとか間違っているとか、何が好きとか嫌いとかいうのとは全く別な次元で、この物語の中に一貫して漂う凛とした揺るぎのない精神性はなんだろう。 それこそが、家族固有の言葉遣いや言い回しの反復の中にのみ生まれることを許された、命の共同体の証しであり、かけがえのない財産なのかも。
ギンズブルグという作家の言語が、自分の中の地下水脈と繋がっている印象を持ったというようなことを、須賀さんがどこかで語られていたのを思い出します。
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ハドリアヌス帝の回想 / マルグリット・ユルスナール
ハドリアヌス帝の回想
−ユルスナール・セレクション1−

マルグリット ユルスナール
白水社 2001-05
(単行本)
★★★★

[多田智満子 訳] 「ローマ人の物語」の中で塩野七生さんが触れていていつか読んでみたいと思っていた。 ユルスナールは須賀敦子さんが敬愛しておられた作家さんと知ってその思いは強くなった。 フランス人にとって、歴代ローマ皇帝の中でハドリアヌス帝が最も人気の高い皇帝の1人であるのは、本書の存在によるところが大きいという。
文章が難解でちょっとビビる。 名訳であるという定評の文章、悲しいかな、力不足なのだ;; 特に1章は死の淵にあるハドリアヌスの瞑想で占められ、美や食や恋や夢や人生や・・抽象的な随想がいきなり目まぐるしく展開して、あっけにとられてしまうという感じだった。 しかし諦めずについていくと、2章以降は人生の軌跡そのものの回想に入っていくためか(あるいは少し慣れたのか)、心はあっさりと2世紀のローマへ飛んでしまった。
本書は後々の皇帝となるマルクス・アウレリウスに宛てて、死を間近に悟ったハドリアヌスが自身の人生を振り返り、書簡をしたためるという形をとっている。 ハドリアヌス帝は“積極的な平和維持”の統治が高く評価されている賢帝の1人。 また芸術を愛し、恋に奔放な自由人だった。
物質的な豊かさと精神的な豊かさはなかなか両立しえないのが世の常、人間の性と考えてしまいがちだけれど、ハドリアヌスの偉大なところは、この両立を力強く目指したところだと感じる。 “苦悩を美徳とするな、豊かさから学べ”という厳格な快楽主義者像がユルスナールの筆を通して浮かび上がってくる。 哲学によって己を律し、道を切り開いていこうとした、美しくやんちゃで力強い古代の英雄たちが輝いていた時代に、最も相応しい皇帝だったに違いないという気持ちになってしまう。
そして、やっぱりどこか・・“自分のようになれとは言わない、でも視野を広く持ちなさい”というマルクス・アウレリウスへ向けたメッセージであったようにも思える。 マルクス・アウレリウスは、まるでハドリアヌスを反面教師にしたかのように、生涯、禁欲主義を貫いたストア派の哲人皇帝である。 彼の統治の下でパクス・ロマーナは終焉を迎えることになる。 それを想うとひたすらにやるせない。 とはいってもこれはユルスナールが書いたのだった。 物語であることをすっかり忘れて、本当にハドリアヌスが記した書簡を読んでいるような錯覚に陥っている。
はじめてページを開いたところにハドリアヌスの辞世の五行詩が掲載されている。 この時はまだ特に心にかかるものはなくさらっと読んでしまうのだが、本文最後、その五行詩がさり気なく挿入されている文章に触れた時、じわ〜と熱いものがこみあげ、胸がいっぱいになる。
小さな魂、さまよえるいとおしき魂よ、汝が客なりしわが肉体の伴侶よ、汝はいま、青ざめ、硬く、露わなるあの場所、昔日の戯れをあきらめねばならぬあの場所へ降り行こうとする。いましばし、共にながめよう。この親しい岸辺を、もはや二度とふたたび見ることのない事物を・・・目をみひらいたまま、死の中に歩み入るよう努めよう・・・
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獅子王アレクサンドロス / 阿刀田高
獅子王アレクサンドロス
阿刀田 高
講談社 2000-10
(文庫)
★★★★★

ハンニバルが、カエサルが、その戦術を手本とし、古代の名将たちが憧れてやまなかったアレキサンダー大王の物語。 イリアスの愛読者だった大王は“アキレウスが羨ましい”と語ったという。 自分にはホメロスがいないと・・。 何をおっしゃいますか。 心配ご無用です。 どれだけの史家が作家が、あなたの勇姿を伝え続けてきたことか。 二千数百年後の世界中にあなたの名声は轟き、沢山のファンがいるのです。
冷静と情熱、愛と残虐、繊細さと大胆さ、強固な意志と柔軟性、理性と狂気、現実と神秘・・相反する究極の性質と強烈な自尊心を内に秘め、見果てぬ夢を追い求め続けた大王は、高潔な魂の王にして勇将にして・・そしてやはりわたしにはそれ以上に、開拓者であり、探検家であり、大冒険家であったように思えてならなかった。
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ルネサンスの女たち / 塩野七生
ルネサンスの女たち
塩野 七生
中央公論社 1996-06
(文庫)
★★★

塩野さんの処女作にして、女性にスポットをあてた数少ない(?)作品。 視野の狭さというと欠点のように響くけれど、その狭い聖域を全身全霊で愛したり守ろうとしたりするのは女性の本能的美徳ともいえるのではないか。 ルネサンス時代にささやかに名を残した4人の女性たちの共通点が、そのあたりにあるように思えてならなかった。 ルネサンスという生き生きとした大きなうねりの時代に、小さな自分のテリトリーの中で、したたかに、愚かに、無力に、大胆に、情熱的に生きた彼女たちが、痛々しくて、儚くて、誇らしくて、なんだか無性に愛おしい気持ちになってくる。 彼女たちの生き様を煽ることもなく、歴史の中に漂いながら流れ呑まれていく様が冷静な筆致で捉えられている。 強く響くものがあった。
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ローマ人の物語 / 塩野七生
ローマ人の物語 I ローマは一日にして成らず
 シリーズ (単行本は全15巻)
塩野 七生
新潮社 1992〜2006
(単行本)
★★★★★




昨年暮れに第15巻が刊行され、遂に完結。 待ってましたとばかりに飛びついて、ガツガツと貪るように読んでしまった。 キリスト教側からの考察を慎重に排除して描かれていて、それは塩野さんの主観とも言えるわけなのだろうけど。 現代社会のヒューマニズムの落とし穴とも言えそうな平等という名を借りた不平等に対しても警鐘を鳴らしていると思えてならなかった。
全巻を通じ、考えや姿勢が一貫していて迷いがなく、冷静な筆致にもかかわらず(だからこそ)熱い想いがダイレクトに響いた。 格調高く簡潔な論旨により、すっかり塩野さんの手中に落ちて全身全霊でマジックに冒されてしまった。 15年ありがとうございました。 心は当分古代ローマから離れられそうにない・・

<登場人物 ミーハー丸出し My Best 3〜♪>
 ☆ 1位 カエサル
シビれた! 比喩ではなくて、読書中何度体内に電流が走ったかわからない。 歴史上人物 My Best 1 の座は当分揺るがないと思う。
 ☆ 2位 ティベリウス
心を閉ざしてしまった誇り高き皇帝。 愚直なまでに偽善を嫌った人。 責任感だけを背負って生きた孤独な晩年・・ この人の人生を想うと張り裂けそうなくらい切ない。
 ☆ 3位 ハンニバル
ローマ人を震え上がらせたカルタゴの勇将。 孤高の戦士。 本人の声が殆ど残っていないのがミステリアスな魅力を倍増させる。 格好いいのだ・・
 ☆ 番外 マルクス・アウレリウス
塩野さんの評価は低いのだけれど、なぜか私にとって想い入れの激しい皇帝。 パクス・ロマーナの最後の皇帝だからかもしれない。 彼がローマに想いを馳せながら戦地で死を向かえた時のことを思い浮かべると、何度でも泣けてきてしまう。 彼の死と輝いていたローマの死を重ねてしまうのだと思う。
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