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気になる部分 / 岸本佐知子
気になる部分
岸本 佐知子
白水社 2006-05
(新書)
★★★

岸本さんが会社勤務から翻訳家へ転職してまだ間もない頃のエッセイ。 これが初エッセイ集かな? たぶん。 1993年から1999年に雑誌掲載されたものが集められている。 バリバリ90年代で意外と昔なんだけど、らしさに溢れていて全然古さを感じない。
岸本さんが何十年にも渡って“なかったこと”にして心の底に押し込めてきた結果のドロドロの発酵物を集めたのがこのエッセイであるとのこと。 しっくりこなくても腑に落ちたように無理やり呑みくだし、日々の暮らしに支障がないよう、誰もが少なからず無意識に自分を制御しながら生きているものだと思う。 それがあまりに常態化していて、“ドロドロの発酵物”があったとして目を向けることができないし、感じることもできなくなってしまうんだろうと思う。 普通はもう。
一章の「考えてしまう」は、目のつけどころに感服するような身辺雑記風で、日常の些細な違和感やこだわりや人間観察など、ときどき、ん? とか、ふふって妄想が混じるくらいのテイストなんだけど、そこから遣る瀬ないような人生の悲哀が立ちのぼってくる。 あとはやはり、“言葉”に向けられる鋭敏な眼差しが異次元。
二章の「ひとりあそび」は、回想を中心とした現実と虚構の境界を行き来するような領域のエッセイ。 脆い地盤の上に立つ自分という存在の曖昧さが際立っている。 子供の頃の奇妙な体験や不思議だったこと、孤独だったこと、岸本さんはなんでこんなにも覚えているんだろう。 ある種の才能(異能?)だと思う。 自分にも似た感覚が確かにあったような気がして、そんな残滓を刺激されて、どうしても思い出したくなって、泣きたくなるような気持ちになっても、やっぱり思い出せない。 あまりにも特殊でグロテスクすぎる記憶は、俗事にかまける大人の頭で破棄しちゃうんだろうな。 自分が壊れてしまわないように辻褄の合わないこと、受け入れがたいことは記憶を修正して、修正したことすら綺麗に忘れて生きている。 そう考えると現実(と思っていること)の方がよっぽど虚構なのかもしれない。
三章の「軽い妄想癖」は、もう完全にエッセイの域を出た文芸作品。 岸本さんは本格的に小説をお書きになる気はないのだろうか。
四章の「翻訳家の生活と意見」は、言葉と言葉が交感する最前線の景色の一端に触れるような得難い興趣を味わせてもらった。 ブックガイド的エッセイも収穫。 特に日本人作家の書評は新鮮だった。 巻末には、川上弘美さんとの架空の思い出の中に遊ぶuブックス版ボーナストラックも。
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なんらかの事情 / 岸本佐知子
文藝雑誌“ちくま”の連載をまとめた第二弾。 「ねにもつタイプ」の続編です。 エッセイ集・・というよりエッセイ風掌篇集の趣きは健在で、前回の炸裂感は影を潜めたものの、奇妙な味? ナノ文学? そっち系のハイセンスな才能が、匠の域に迫っていたのではないかとお見受けします。
途中までは、一生ついていきます!お師匠様! って気分でお供をするんだけど、さようなら〜と後ろ姿を見送る分岐点が・・ ふふ、やみつき。 特に後半は常人の到達し得ないアナザーワールドへ旅立たれておられました。
でも、ヤバいというよりは、作者のヤバがらせる芸を愉しんでいるに近いような意識、あるいは、変人度の高い人の粋狂的遍歴、なんでもないことに面白どころを見つけてツッコミを入れる比類なき感性とそこから広がりゆく妄想力・・といったような無駄な思考の贅沢さを賞翫しつつ読んでいると、ふっと足元を掬われてドキっとする瞬間がある。 社会の裂け目から顔を覗かせる不明瞭な日常感覚の中に潜む何かを、真実の一片の影として的確に掬い上げているからなんだろうか。
主観に落ち込んだトリビアルな物事の、極めてフェティッシュな視点の考察でありながら、秘密の扉を開いてくれたような共感を抱かずにはいられないし、心に応える奇妙な衝撃がある。 嗜好品のようにクセになる味わいです。
間が持たない気がしてついつい入れてしまった飾りについてや、五十音界の勢力図や、古いカーナビの感情分析や、それだけを凝視しているとありふれた物や言葉や身体の部位が珍奇に見えてくる不思議や、もはやショートショート作品として完成されてる「ハッピー・ニュー・イヤー」「遺言状」「選ばれし者」などなど、どの話が好きってしぼれないくらいみんなよかったけど、むしろ掌篇同士の相乗効果というのか、馴染みのある日常がグラっと傾ぐ酩酊感がそこはかとなく、(クラフト・エヴィング商會さんの挿絵も含めて)全体の醸し出す品質の調和が素晴らしい。


なんらかの事情
岸本 佐知子
筑摩書房 2012-11 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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生半可な学者 / 柴田元幸
'90年前後に雑誌連載されたエッセイをまとめた、たぶん初エッセイ集。 “どこかで英語に繋がっている”っぽい雑話が採り揃えられていて、ゆるゆると小気味良い生半可テイスト(?)が癖になりそう。
“駆け出しの翻訳者”(ご本人曰く)であり、30代前半だったりする柴田さんの初々しさが垣間見れるかもぉ〜ぐふふ。なんていう助平ぇ心はぎゃふんって感じで。 高い視点から常に全体を見回しながら、嬉々として細部を語るという、憎らしいほどエレガントな、あの一流の、人を食った(ような)やる気なさげな風格が、既に完成されている気配。
まずは基本なところで、言葉のチョイスや文章の組み立て方の的確さに惚れ惚れ・・しているようでは失礼かもしれないですが;; そして内容もまた、わたしの心を擽る話材がザックザク♪
ことわざや比喩、行動パターンにみる日米比較や、日常的な事物をめぐる意識の変遷といった文化の今昔、英語に定着した外国語の傾向から見えてくる国民性、致命的な誤植によって彩られた悪しき聖書のあれこれ、言い間違いが異彩を放っている街中の看板や貼り紙、表現の由来についての眉唾な珍説、大真面目な書物ならではの止むに止まれぬ可笑しさ、和製英語の変てこな楽さ・・
これらはあくまで“面白きことは善きことなり”に徹した視座から、時には辛辣なユーモアを覗かせながら、素知らぬ顔で縷々語られていくのです。
“この上もなく強靭な思考力が、もしかしたら何の役にも立たないかもしれない主題のために惜し気もなく浪費される眺めの壮観さ”というものを柴田さんはこよなく愛しておられるようなのですが、まさに、この本がそれを体現しているといってもいいのではないかしら? 乱暴を承知で言えば、形式上の遊びの要素をふんだんに取り入れたポストモダン文学って、この考えの延長線上にあるような気がしてくるのです。 わたし自身、かの文学のそこに愛着を感じるんじゃないかと気付いた。
抽象と具体、冷静と情熱のバランス感覚が尋常じゃないです・・柴田さん。 根本的に隔たった世界観や哲学の間で、原概念を普遍的なかたちに変換して共有させることの難しさと快感。 そういうものに取り憑かれてしまった人達なんだろうなぁ。翻訳家って。 と、これまた乱暴なんだけど、そんなことも思ったりして。

<付記>
話中で触れられていた本のうち、読みたくなった興味津々の5冊。
「文章教室」 金井美恵子
「外人処世訓」 ジョージ・ミケシュ
「道具づくし」 別役実
「中二階」 ニコルソン・ベイカー
「舞踏会へ向かう三人の農夫」 リチャード・パワーズ


生半可な学者
柴田 元幸
白水社 1996-03 (新書)
関連作品いろいろ
★★★
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世界音痴 / 穂村弘
人間が自分可愛さを極限まで突き詰めればどうなるのか、自分を使って人体実験をしている38歳の頃の穂村さん。 本書はその報告書だそうです。
凄いね。自分マニア^^ 大人少年節全開のエッセイです。 社会の中の自然のルールと自意識との間に生じる齟齬を捏ね回す情熱に溢れておりました。
狙いすましてご自身を追い込んだり、作家ですから当然芸達者な部分はあろうかと思うけど、中二の頃の硬度や純度や密度をここまでキープしようとなさるキラキラ信奉っぷりに若干ビビりつつ、自分に熱中するにもほどがある的なエネルギーの使い道に感服しますw それだけ一瞬の感度を大事にされているんだろうなー。
穂村菌の恐るべき感染力の所以が何となくわかったかも。 自己諧謔や自己相対化の武装が完璧なので厭味がないし、自分を弄り倒す一人SMチックなドギマギ感もちらり・・みたいな。 痛いところにすり寄って、擽りのめす術に長けたスマートさと、世界の中心で孤独を叫ぶような青臭さを併せ持つ、歌人らしい感性を迸らせた自意識遊戯の書です。
最初のうちは沸点の低い笑いに結構ツボってたんだけど、すぐにお腹いっぱいになっちゃった。 ちょっと喰いつきそびれたな。わたしは^^; ごめんなさい。媚態を感じちゃうんだよね;; 自分だけはあなたをわかってあげられる! って気にさせられそうなところがジゴロっぽくて。 ま、それも可愛いんだけど。 こういう男はモテるんだ。


世界音痴
穂村 弘
小学館 2009-10 (文庫)
関連作品いろいろ


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悶絶スパイラル / 三浦しをん
悶絶スパイラル
三浦 しをん
太田出版 2007-12
(単行本)


しをんさんの一連のエッセイを読むのは実は始めて。 “自由かつニュートラルに、ダメダメな毎日の内実を受け止める”というコンセプトで綴られる日常エッセイ。
熱い血を滾らせてるなぁ。 なんかこう・・沸々と燻るマグマのようなものを感じたなぁ。 ネタ的笑いというより、むしろストレートな鬱憤(?)の吐露に近いものが・・って失礼すぎ;; でもそこに否応なく滲み出てくる泥っこい人間味が共感を呼んじゃうのかも。 基本、ポジテイ〜ブで、正々堂々ぶっちぎってる感が好印象。
野球場の観客席や電車の中やファミレスなどなど、周囲の濃キャラな人々の挙動ウォッチや、言葉の微細なニュアンスに拘りをみせる小ネタ、“仕事漬け→欲求不満→八つ当たり”パターンや、“仕事漬け→現実逃避→妄想”パターンあたりは、定番だけどやはり、ぶぶっとくるっ
不可解なカツラの着脱に材を取った新作落語とか、家族の中で勃発したトイレで手を洗わない男についての論争も好きです
はたまた、理想的“シャツがイン”について猛然と考察をめぐらせております。“ダサい”という固定観念がグラっとくる揺らぎの中の色気・・みたいな? あぁ、美味。 ちょっとわかる気がしてくるんだけど、どうしよう。
理想のヒーローの1位に「アラベスク」のミロノフ先生というのも渋いんですが、3位に、「サイボーグ009」のアルベルト・ハインリヒ(004)が選ばれてるセンスに仰け反りつつ一票w BL図書館建設妄想で、さり気なくイケメン軍団を従えてるあたりに本質を垣間見た気がしています
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ねにもつタイプ / 岸本佐知子
ねにもつタイプ
岸本 佐知子
筑摩書房 2007-01
(単行本)
★★★

エッセイ? 疑似エッセイ? 掌編集? 岸本エッセンスが凝縮されたバラエティに富んだ妄想本。 ディテールに拘り、遠近感で遊び、無機物のフォルムやスペックに陶酔する・・
当たり前のことがどうしようもなくヘンテコに思える瞬間を切り取り、愚にもつかないことに執着し、ちょんまげについて、コアラの鼻について、とことん深く考える。
翻訳のお仕事と格闘しながら、有象無象の妄想に脳内を占拠されて思考は果てしなく脱線し、国会図書館では自分の分類カードの隣の“岸本Q助”さんの日常に想いを馳せたり、昔の子供向け動物図鑑を執念深くウォッチしてはその奇妙な味わいを追及する精神に絆される;; 愛執渦巻く思索とイマジネーションの迷宮に誘われ、心のスキマを埋めてもらってまいりました〜。
理性や常識の壁に阻まれて明確な思考や言葉に至ることなく溶けていった愛すべき雑念たちのお祭りのよう。 逸脱し暴走しているかのようでありながら、読んだ者がツボってしまうのは、ふとこの感覚は知っているなと、気恥ずかしい愛着心をズキンと刺激されるから・・その辺りに要因があるんでしょうか。
これを読んで岸本さんが本当にヤバイ人だとは誰も思わないでしょう。 イっちゃってる見せ方がオサレだし、どこか文学的だし、スタイリッシュで品があり。 はっきり言ってしまうと(見事な)“読みもの”に昇華しているワケなのです。 だからこそ安心してニヤニヤウホウホ楽しませてもらえるのですもん。
“べぼや橋”をググりたくなる衝動を抑えられないのはわたしだけではないと思いますが、因みに現時点で25,400件。 “べぼや橋”大出世です^^;
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