顎十郎捕物帳 / 久生十蘭
半七捕物帳」と並び称されるほどの捕物帳の名作、でありながら、今日の知名度が作品の真価に見合っているとは思えない・・ 久生十蘭という作家の御し難さを追求するベクトルからは少し外れたところにポッカリと陽気に浮かんでるような作品だなぁという印象だった。 ちがうかなぁ。
江戸末期を舞台にした全二十四話の連作短編集。 北町奉行所の筆頭与力、森川庄兵衛の甥の“顎十郎”こと仙波阿古十郎を探偵役とした判じ物。 一説にはシラノ・ド・ベルジュラックが顎十郎のモデルとされているとか。 へぇ、指摘されなければわかりませんが、なるほど確かに、長生糸瓜さながら末広がりにポッテリと長く伸びた(鼻ならぬ)顎をブラブラさせているという異相の持ち主で、気だてのいい器量よしの従妹(庄兵衛の秘蔵っ娘)に恋心を抱いていそうな含みもあり・・ 少なくとも出だしはそうでした。
しかしねぇ。 設定に執着がない! なさすぎ! 物語的にこれからっていう良さげな頃合いでバンバン切って惜しげもなく転調していく柵のなさっぷりにあんぐり。
甲府勤番の伝馬役を半年足らずで投げ出し、ひょろりと江戸へ舞いもどり、与力の叔父の手引きで北町奉行所の同心見習いとして例繰方におさまった顎十郎が、難事件を解決しては叔父に手柄を立てさせてうまうま小遣いをせしめるというのが前段。 “れいの遠山左衛門尉が初任当時ちょっとここにいただけ”で、あとはパッとしない存在の北町奉行所が、顎十郎の活躍で俄かに盛り返し、北と南の鍔迫り合いが繰り広げられる中段。 悪党に嵌められて、あわや御用となりかけた失態をいいことにお役御免を願い出て、しがない駕籠かき渡世に(殆ど酔狂で)身を転じるも、かつての子分である御用聞きのひょろ松から師匠の先生のと頼りにされて、成り行きで知恵を貸してやることになるのが後段。 といった具合。
顎十郎は“年代記ものの、黒羽二重の素袷に剥げちょろ鞘の両刀を鐺さがりに落としこみ、冷飯草履で街道の土を舞いあげながら、まるで風呂屋へでも行くような暢気な恰好の浪人体”で、名うての風来坊。 トホンとした顔つきをして悠揚迫らぬところがあって捉えどころがないといった風ですが、その実は推才活眼。 読んでいて一番面白かったのは、南町奉行所のホープ藤波友衛との遣り合い譚。 といっても一方的にライバル視して“顎化け”と一騎打ちだー!って鼻息荒いのは藤波さんばかり。 どこ吹く風の顎十郎が、飄々と手柄を譲ってくれたり、命を救ってくれたりするから、なおいっそうムキー!ってなっちゃう屈折ぶりが微笑ましくて不憫^^;
全体的に理詰めで綾を解くパズラーっぽい趣向で、ミステリとしての輪郭をくっきりと感じることができます。 御三家奥女中の一行が芝居見物の帰途、乗物もろとも煙のように消え失せたり、両国垢離場の見世物小屋の鯨が一瞬のうちに忽然と姿を消したり、今しがたまで行われていた長閑な日常の様子をそっくり留めたまま、相模灘の海上で無人の遠島御用船が発見されたり、いわゆる消失ものだとか、金座から勘定屋敷へ送る御用金の小判がすり替えられたり、舶載したばかりの洋麻の蕃拉布(ハンドカチフ)を巻いた開花人が次々と殺められたりする衆人環視ものだとか、縁起まわしの大黒絵や、呉絽服連の帯地に施された都鳥の織り出しと辞世の句に秘められた暗号解読ものだとか。 あとは定番の怪異の絡繰りものもいろいろあって、越後信濃由来の妖魔かまいたち、蛇神の祟り、五寸釘で梁に打ちつけられた守宮の祟り(「西鶴諸国ばなし」に出てくる有名なモチーフがここにも!)などなど。 怪談「金鳳釵記」に擬えた見立て殺人なんてのも。
万年青づくり、鶴御成、凧合戦、二十六夜待、谷中の菊人形、賜氷の節、六所明神の真闇祭り、小鰭の鮨売りの甘い呼び声・・ 精緻な世相風俗が描き込まれ、ラストにごちゃごちゃ付け足さない寸止め加減が、よりいっそう、いなせな江戸情緒を香り立てるのですが、虚の中に実を、実の中に虚をシレッと放り込む知的法螺吹き感が心憎く、現在形や体言止めを用いた風を切るように軽やかで、踊るようにリズミカルな文章に浸っていると、ほんとに江戸なのかしら?と一種、不思議な浮遊感に駆られるのが忘れ難い味わいです。


顎十郎捕物帳
久生 十蘭
朝日新聞社 1998-04 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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逃げ水半次無用帖 / 久世光彦
根津から上野界隈を縄張りにした新米御用聞きのお小夜と、捕物の最中に足腰を挫き、お小夜に十手を任せた佐助。 この父娘宅に少年の頃から預けられ、今も離れに同居している絵馬師の半次。
半ば狂言回しといった役どころのお小夜が情報を持ち帰り、半次と佐助がお小夜の後ろ盾となって絵解きする趣向の時代ミステリ連作集です。 が、短篇は最終章で鮮やかに長篇へと転じます・・
捕物というよりも、どっちかというと安楽椅子っぽい判じ物でした。 久世さんはミステリ書きではないのに、これがどうして、想像以上にミステリパートが楽しめたー。 俳句を捩った暗号系アナグラムなんか嬉々として練られたんじゃないかな^^
お白州裁きまではいかず、岡っ引きの裁量が物を言う、市井の営みの中の割と小さな面倒事が糸口なんですが、包囲殲滅戦はせず、“日陰の花をお天道さまに曝すようなまね”をしない決着の優しさ・・そこに混じり合う名付けようのない悲しさ。
夜叉か童女か淫婦か慈母か・・燃え惑う憐れな女の情念や、母の影に縛られ続ける半次の憂いは、彼岸と此岸をさすらう逢う魔が刻の薄明かりや、可哀想な心が忍び歩く夜のしじまに滲んでいるようなイメージ。 濡れた闇と花鳥風月の妖しい瞬きに塗り込められた耽美な作品です。
(後期の)江戸情緒には違いないのだけれど、昏く艶めかしいのに、あえかでキンと澄んだ世界のそれは、唯一無二の和モダン情緒といった方がしっくりきそうな独特の色香を醸しています。 半次たちが日々ほっつき歩くテリトリーも、蛍小路、暗闇坂、帯解け池・・といい感じにそそるんですよねぇ。
夢みたいにきれいで、とりつく島がなく、女たちが追っても追っても届かない逃げ水のような半次を、時に戸惑いながらも生娘らしく恋い慕うお小夜の初々しさが、物語に真昼の光を注ぎ込むコントラストになっていたように思います。 気楽な夜鷹稼業に酔狂で身を落しているとしか思えない辻君のお駒がまた、さばけた好い女風情で、お小夜とは別の角度から温かな春の日差しを半次に灌いでいます。 やがて娘ばかりではない、そっと半次へ向けられた眼差しの縁と因果が紐解かれ・・
真の虚無は虚無でしかないのだから、半次の胸に巣食う古井戸の底の水色の石は、どこか拵え物めいた柔弱な匂いを発散させている。 男のこんなナイーブさが、ぞっとするぼど甘美な色気へのトリガーになるんだろうな。 遊民然と水色の石を転がしていられたのは、守られてきたからこそだったんじゃないのかなって。 その証しのような半次の色気。
長篇としては、因果を浄化する“縁”のロマンを感じました。 すごく感傷チックで華のあるクライマックスなので、知っちゃいないのに歌舞伎の舞台を勝手に思い描いてチョットときめいてしまいました。 胡粉まみれの摩耶夫人像の極彩色や、無数の絵馬が鳴子のように音を立てる両国回向院の絵馬堂が焼きつくほど印象的。


逃げ水半次無用帖
久世 光彦
文藝春秋 2002-02 (文庫)
久世光彦作品いろいろ

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お狂言師歌吉うきよ暦 / 杉本章子
踊りの師匠である三代目・水木歌仙に見込まれて、お狂言師の水木一座に取り立ててもらった宿駕籠屋の娘、お吉ですが、諸大名の屋敷に出入りできる有利性を買われ、お小人目付(隠密回り)の手駒として密命を負うことに。 鳥居耀蔵の“四羽目の烏”といわれる勘定奉行の行状を探るうち、公儀にかかわる陰謀に巻き込まれていきます・・
お狂言師というのは、お呼びのかかった大名家の奥向きにあがって、江戸三座さながらの狂言や踊りの芸を披露する女役者のことなのだそうです。 水木歌吉の名を貰ったお吉が、お狂言師として身を立てる覚悟を決めるに至るまでの心情や、お軽勘平道行の立役・勘平の稽古風景、藤娘を踊る見せ場など、芸道小説としての華もありますが、展開としては、徐々に緊張感を募らせていくサスペンスタッチ。 町娘に忍び寄る毒手、娘を守る隠密、淡い恋・・の公式もありです^^
時代は天保の改革の真っ只中。 商家取り潰しが後を絶たず、江戸三座が繁華街から浅草の一角に追われたり、七代目団十郎が江戸追放になったり・・幕藩体制末期状態の中のあの改革です。 あくまで“功罪ともに洗ったうえで、正邪曲直をただす”ことはせず、裁く人間の意のままとばかり、水野忠邦に倣って(?)杉本さんも杉本流で、そうとうに徹底した勧善懲悪趣向の娯楽小説として描いています。 というか、水野忠邦や鳥居耀蔵を好意的に描いた小説にはまだ出会えてませんが;;
杉本章子さんの時代小説は言葉の選び方が美しいし、時代考証もしっかりしているので、安心感があります。 江戸にすぅ〜っと溶け込んでいける幸せを感じます。
で。最終章が・・;; うーん、どうしてあ〜なってしまうのか。 ストーリー以前にそのセンスがわかりません><。 格調高く、折り目正しく、典雅な情趣が滴るほどの世界をぶち壊して、B級的お手軽さで締めるというムチャぶりに近い気が。 どう受け止めてよいのかわからず、ページを閉じて暫し呆然と虚空を見つめてしまいました(泣)

<追記>
宮部みゆきさんの「孤宿の人」を忘れてました! あの耀蔵はなんと滋味深かったことか。(なら忘れるな!)


お狂言師歌吉うきよ暦
杉本 章子
講談社 2008-12 (文庫)
杉本章子さんの作品いろいろ
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巴之丞鹿の子 / 近藤史恵
[副題:猿若町捕物帳] シリーズ一作目。“巴之丞鹿の子”という人気女形の名前のついた帯揚げが当世流行りの江戸市井。それを身につけた娘が次々に殺される。事件を追うのは南町奉行所同心の玉島千蔭。甘いものと遊女が何よりの苦手という硬派な漢。しかしいまいちキャラ立ちが・・加えて筋運びに精彩がなかったかなぁ。ほろ苦い人情ものでさらりと読み易くはあった。
江戸三座が浅草猿若町に移転してからの芝居町界隈。なので天保の改革以降の、幕末に近づきつつある時勢が舞台となっている模様。芝居もより倒錯し、妖気を放つような艶やかさへと流れ、町方のファッションも、地味極まる縞柄をぞろりと着こなすのが粋という時代。そんな屈折した世の中の頽廃の香りがほんのりと織り込まれていたかな・・いないかな・・いたかな・・くらい。
河岸見世の女郎張りな総籬の花魁って・・ちょっ、イメージが;; それともあれが末期江戸風なの?? ところどころ・・う〜ん、ちょっとした細部の考証がしっくりこないと萎えちゃう自分は重症。せっかく背景が魅力的な時代なのだから、丹念に描いたら、すんごく物語に映えそうな気がするんだけど。でも、似せ若衆の趣向とか、浅草奥山の矢場とか、色を殺してデザインする当世風な渋好みとか・・雰囲気はぽつんぽつんと伝わってくる。目立たないところに粋を尽くす末期江戸っ子の心意気が詰まったような帯揚げがキーアイテムになっているのも憎い演出。町方は芝居町から流行を受け取って、芝居町は町方から狂言の趣向を取り入れる・・持ちつ持たれつ練り込まれてきた江戸文化が仄かに匂い立つ・・とまではいかないんだよなぁ。
何のかんの言いつつも、近藤さん、最近めきめき腕を上げてるので、このシリーズは追う気満々。巴之丞と梅が枝花魁の出生の秘密なんかも紐解かれていくのかな。


巴之丞鹿の子 −猿若町捕物帳−
近藤 史恵
幻冬舎 2001-10 (文庫)
関連作品いろいろ
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我、言挙げす / 宇江佐真理
[副題:髪結い伊三次捕物余話] シリーズ8作目。 全て連作短篇形式で進みながら、緩やかな長編としての時間軸がくっきりしているシリーズなので、読み応えがあります。 もうかれこれ7、8年近く話は進んでるんじゃないかな。 登場人物たちの成長や境遇の移り変わりなど、時にドラマチックに、でも無理なく、ずっと質を落とさずに書き続けて下さってありがとう〜という気持ち。 わたしにとって宇江佐さんは、ちょっと当たり外れが激しい作家さんなんで、時たま糞生意気にも難癖つけてごめんなさいっ><! このシリーズはラヴです。
ここ何作かは、伊三次&お文視点と、龍之進視点と、交互に描かれていくスタイル。 物語も町人ものと武士絡み、また、しっぽりとした夫婦の情愛と青春の輝きとがほどよくミックスされていて多彩です。
なかなか店を持てない伊三次なので、お文も芸者勤めが辞められません。 ちょっとお疲れ気味かしら? 今、宇江佐さんの関心は成長期の龍之進(晴れて番方若同心になりました)に移っているので、伊三次ファン(ってか、お文とのペア萌え)のわたしにとっては、このところ、伊三次の影が薄くなる一方なのが寂しい・・ でもそんな中で、ふっと5話目の「雨後の月」のラストシーンのような、伊三次×お文のしみじみとした極上ワンカットを織り交ぜてくれるから、あ〜もうこれでいっかぁ〜って気分になっちゃう。 この5話目と最終話の「我、言挙げす」が特によかったです。
鉈五郎って、最初はクールで切れ者の印象受けたんだけど、存外可愛げのある俗物なのね。 気立てのよい娘だったのに、結婚してから薄幸な影を纏っているおみつのことも気になります。 大人の階段を上る龍之進は、やはり今回も一番輝いてます。 そしてそして伊与太坊のお喋りにメロメロ〜♪ 伊与太坊だけは大きくならないでくだちゃい。


我、言挙げす −髪結い伊三次捕物余話−
宇江佐 真理
文藝春秋 2008-07 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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戯作者銘々伝 / 井上ひさし
黄表紙、洒落本、滑稽本、人情本、合巻など草双紙や読本の数々を江戸の世に送り出し続けた戯作者たちの生態を諧謔心たっぷりに描いた短編集。 12篇の表題がそれぞれ戯作者の名前になっているのですが知っているのは式亭三馬、山東京伝、恋川春町だけでした。 滝沢馬琴や十返舎一九や為永春水や大田南畝や・・ビッグネームが入ってないのは何故? と訝ったんだけど(唐来参和や芝全交や烏亭焉馬が著名人であることは後でしりました;;)、読んでいるうちに段々と納得がいくというか。
例えば「鼻山人」では、作者評判記に“盗作多し”と書かれてしまった当たり作のない戯作者からみた為永春水像が描かれ、春水が御上より咎手鎖のお裁きを受けるに至った経緯が物語られたり、「半返舎一朱」では、十返舎一九没後、二世一九を名乗る者が2人いたという史実の裏にはこんな悶着があったとか、「烏亭焉馬」では、平賀源内が殺人を犯して獄死したという事件の真相秘話が物語られたり、「式亭三馬」では、何かと比較されることの多かった滝沢馬琴との対比が、「恋川春町」では、無二の親友と言われた朋誠堂喜三二との友情が一筋縄ではいかない絶妙な切り口で描かれていたり・・ などなど、万事こんな具合で、内容としては結局のところビックネームが網羅されんばかりの勢いで、非常に充実感のある短篇集でした。
どこまでが嘘か真か。 戯作史ミステリみたいな趣向なんでしょうか。 わたしはとても読み尽くせませんでしたが、史実に対して限りなく細やかな目配りがなされているようで、通である程、いちいちに唸らされて、なかなか先へ進めないんじゃなかろうかと。 登場人物たちの一人称の語り調は、講談のように歯切れがよいし、ストーリーもラストは必ずオチがつくというお約束。 また戯作に纏わる裏話もてんこもり。 どこまでも小咄の楽しさが追及されていて、あっと驚いたり、にやっとさせられたり、ほろっとさせられたり、いやぁー面白かったです。
そして面白さの中に、それぞれの戯作者の人物像が自ずと立ち現われてきたり、戯作という茶番の持つ魅力や醍醐味や社会の中での確固たる役割が透けて見えてくる仕掛け。 流石です。
幕末の戯作者(あまり有名ではないみたい?)を描いた「松亭金水」が人物として一番魅力的だったなぁ。 おそらく井上ひさしさんご自身が、この作者に惹かれるものを感じていらっしゃるんじゃないかしら。
寛政の改革で、松平定信によって自害に追い込まれたとも、殺されたともいわれている恋川春町には、こんな台詞を語らせています。
世間の動きにチクリと滑稽の針を突き立てて撓みがあればそれを正す、歪みがあればそれを笑いのうちに直す、これが黄表紙というものの生命ではないか。おれは書く。


戯作者銘々伝
井上 ひさし
筑摩書房 1999-05 (文庫)
井上ひさしさんの作品いろいろ
★★★
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一の富 / 松井今朝子
[副題:並木拍子郎種取帳] このシリーズ、江戸っ子好みの掛詞風に、一、二、三、四・・と順に数字の入った言葉をタイトルに冠しているので、本書が一作目とすぐにわかります^^ 歌舞伎の人気狂言作家である並木五瓶と、そこへ弟子入りした変わり種、町方同心の次男坊の並木拍子郎コンビが活躍する捕物連作集。
時は文化年間。 当節、大時代的な台本は流行らずに、昨今の世相を細やかに写し取る世話物狂言が人気のご時世。 もっぱら拍子郎のお役目は、江戸市中で芝居のネタになりそうな噂話を拾い集めて師匠の五瓶に報告すること。
第一話目からして拍子郎の種取帳は、目出度く五瓶の狂言作りに結びついて大当たりを取っている。 いくら五瓶と今朝子さんの才覚を以ってしても、これでは瞬く間にネタが尽きてしまうではないか? と心配してしまったが、どうやら記念すべき一話目はご祝儀作品(?)であった様子。 二話目以降は、史実との絡みなどはあまり顔を覗かせず、純粋に時代小説としての読み物空間が広がっていく感じ。
主人公の拍子郎は、家柄の血が騒ぐのだろうか、ネタ拾いをしていたはずが、何時の間にか怪事件の深部へと踏み込んでしまい、事件解決に一役買うことになるというパターン。 存外にハードボイルドな見せ場も披露する^^ 作者見習いらしい旺盛な好奇心と町方同心譲りの正義感を持ち合わせる拍子郎は、町人と武士、芝居町と八丁堀の狭間で揺れ動く微妙な心を抱えていて、どこか捉え処がなく飄々とした風情。 芝居町の料理屋の娘・おあさは、時に猿股袢纏の男装で町を闊歩する男勝りなバラガキ娘ながら、拍子郎にそっと思いを寄せている。 上方から江戸へ下ってきた五瓶は、押し出しの良さや、ねちっこさ的な上方文化が染み着いているので、なにかと江戸っ子のサバサバし過ぎたところや、いざとなると気弱げなところがもどかしくてならない様子。 若い2人をヤキモキしながら見守っている。
・・といった感じの大きな緩やかな流れが微笑ましく、短篇毎には殺人事件など起きているんだけど、あまりシリアスになり過ぎることもなくて読み易く、二作目、三作目と追って行きたくなります。 そしてやはり、背景となる芝居町の細やかな風趣が、しっかりと物語を支えています。

<追記>
本作品に登場する並木五瓶は実在の人物ですが、「東洲しゃらくさし」で、その人と成りが詳しく語られていますので、合わせて読むとより楽しめます。


一の富 −並木拍子郎種取帳−
松井 今朝子
角川春樹事務所 2004-06 (文庫)
関連作品いろいろ

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笑い姫 / 皆川博子
皆川さんの描く江戸もの、特に頽廃的な浮世絵や芝居の妖しい世界が大好き。 この作品も、時代風俗の香り豊かなことに変わりはないのだけれど、いやもう、物語のスケールにびっくり。 しかも主人公が正統派なので、ちょっと意外な印象を受けました。
改革の嵐が吹き荒れる天保の江戸。 幕藩体制が弱体化し、無謀な圧政を強いることしかできない老中・水野忠邦。 さらに異国船が出没し始め、目に見えない激しい胎動の気配が日本列島を覆っている。
阿蘭陀通詞(通訳)として過労死した父や、シーボルト事件の不条理を垣間見た主人公の蘭之助は、幕政に失望し、半ば世を捨てた気ままな戯作者風情。 著した戯作がきっかけで一蓮托生となった軽業師の小ぎん一座共々、幕府内の抗争に巻き込まれ、謀略に絡め取られ、江戸から長崎、小笠原へと運命を変転させていく。 江戸情緒に、エキゾチック長崎、そして南の海の小島は、もう異文化そのもの。 舞台背景だけでも楽しめてしまう♪
江川坦庵(洋学信奉者の開明派)、高島秋帆(洋式砲術をいち早く取り入れた兵制改革の祖)、鳥居耀蔵(洋学を嫌う守旧派の親玉)、間宮林蔵(蝦夷地を測量した探検家で幕府隠密)などなど、脇を固める実在人物の造形がしっかりと物語の骨格となっているところも流石。 調べてみたら、小笠原諸島の入植の歴史まで史実に沿って描かれていて驚き。 最初に住み着いたのはアメリカ人だったなんて。 セボリ(セイヴァリー)も、マザロ(マザルロ)も実在するのね! 本作で敵役として登場する鳥居の手先の本庄茂平次も実在しました。 本庄の末路を描いた「護持院ヶ原の敵討ち」は歌舞伎や小説となって流布しているらしい。 そうとうにダークな人物であった模様・・
もともと皆川さんは、繊細な心の動きをさらりと書く達人で、そこが凄く粋だったりするんだけど、この作品も人々の内面描写は抑制されていて、その分、作中作の戯作「狂月亭綺譚笑姫」によって、イマジネーションを喚起させられるようなレイヤー仕掛けが施され、そのため、土臭い歴史冒険活劇なのに、幻想的な艶やかさや儚さ、余韻に包まれたような不思議な印象を残す。
読んだことがないのでなんとも言えないのだけれど、当時、曲亭馬琴が打ち立て一世を風靡した作品主潮、伝奇小説的な読本の世界観を、この作品そのものが体現していたりもするのかもしれない。


笑い姫
皆川 博子
文藝春秋 2000-08 (文庫)
皆川博子さんの作品いろいろ
★★
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春朗合わせ鏡 / 高橋克彦
千一シリーズの3作目。 とはいってもこのシリーズ、千一こと北町奉行所筆頭与力の仙波一之進が主役を張るのは1作目の「だましゑ歌麿」だけ。 2作目の「おこう紅絵暦」の主役は新妻のおこうだった。 今回は、春朗こと若き日の葛飾北斎。
貧乏絵師と、陰間上がりの美青年、蘭陽の珍(?)コンピが活躍するミステリ連作集。 春朗は前2作でも脇役ながら要所要所で精彩を放っていたし、蘭陽は「京伝怪異帖」で、確か和み部門担当みたいな感じで、美味しい役どころを射とめていたような微かな記憶があるんですが・・
御用鏡師の叔父や幕府お庭番の父、追い出された古巣の勝川派からも、才能を見込まれ、かなり熱い眼差しを向けられているのだけれど、描きたいものを自由に描く絵師であり続けたいという情熱や、ほったらかしの家族に対する罪悪感や、胸の内には少し悶々としたものを抱える春朗なのだった。 でも気の置けない仲間たちや肉親との交流を深めながら、活き活きと日々を送っていく。 目を掛けてもらっている板元の蔦屋から挿絵の仕事などを回してもらったり、枕絵でこっそり稼いだり、なんとか暮らし向きを立てながら、未だ仕事にならない風景画など、熱心に描き続ける日々の中、ついつい持ち前の好奇心を発揮して巷の事件に首を突っ込んでしまうようで。
勝俵蔵(後の鶴屋南北)が、彼らしい舞台装置の仕掛け人として一役買う「夏芝居」がよかった〜! 筆職人や鏡職人にまつわる物語や、寛政の改革に首根っこを押さえつけられている江戸庶民の様子、もちろん浮世絵の薀蓄もあり、もろもろが事件と有機的に係わって、スカッとホロっと楽しい娯楽小説に仕上がってます。


春朗合わせ鏡
高橋 克彦
文芸春秋 2006-01 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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小説・江戸歌舞伎秘話 / 戸板康二
歌舞伎ミステリというスタイルがそのまま“偽史実”をもっともらしく映し出す歌舞伎の一趣向と重なり合うかのようで、1話1話が江戸歌舞伎の世界を題材にした“狂言”といった風情さえあって知的エレガンスが香る作品集。 たっぷり14篇が収められている。
文化文政期を中心とした江戸歌舞伎にまつわる秘話の数々は、すべて戸板康二さん作の巧妙なフィクションなのだけれど、歌舞伎を取り巻く歴史や文化考証がしっかりしているので、導きだされた物語にはそれぞれに説得力があって唸らされる。
南北や黙阿弥が書いた“毒婦の狂言”が生まれるきっかけになった出来事とか、「車引」の場で五世団十郎が、松王丸の襦袢だけ白にするというアイディアを披露した裏にはこんな事件があったとか、お嬢吉三と弁天小僧菊之助が“女装の男”という設定になった由来とか、四世半四郎が女形でありながら「暫(しばらく)」の主役を務めるに至ったエピソードなどなど。 仲蔵も出てきた♪ 当たり役となった定九郎の秘話。 立作者の金井三笑の嫌がらせで、チョイ役を振られたというのが通説のようだけれど、まったく違った角度からアプローチされてドラマが生まれている。
みんなよかったけど、特に気に入ったのは・・「仮名手本忠臣蔵」四段目、判官との別離の件で、大星力弥が悲しげに首を振ることで若衆形独特の色気を表現するようになったエピソードが描かれる「美しい前髪」。 密やかな甘美さが堪らなく好き。 「ふしぎな旅篭」は役者ならではの物語が楽しく、オーソドックスなのも大団円なのも時にはとってもよい。 「稲荷の霊験」は、「本朝二十四考」の“身替り”に関連した一篇なのだけれど、歌舞伎秘話としてのエピソードというより、純粋に物語として好きだった。
日常のちょっとした出来事や事件の断片が、立作者によって狂言に取り入れられ、さらにアレンジされていったり、暮らしのひとコマからヒントを得たりして、名場面を引き立てる“型”が生み出されたり、江戸の庶民と歌舞伎者とは、持ちつ持たれつタッグを組みながら、洒脱で粋なエンタテイメントを盛り上げてきたのだなぁ〜としみじみ思う。 戸板康二さん作の秘話に勝るとも劣らない本当の秘話が歴史の底に沢山眠っているのだろうなぁ。


小説・江戸歌舞伎秘話
戸板 康二
扶桑社 2001-12 (文庫)
戸板康二さんの作品いろいろ
★★
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