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江戸ふしぎ草子 / 海野弘
江戸ふしぎ草子
海野 弘
河出書房新社 1995-08
(単行本)
★★★★

江戸時代初期から幕末に至る各々の時勢、あるいは大江戸をはじめとする諸国津々浦々の、その土地ならではの事情を反映した、庶民風俗を伝える二十話の掌篇集。 文献史料に遺されている奇談珍談や不思議話にインスパイアされて生まれたのではないかと思われ、洒脱ならではの素朴が香ります。 史料の背後に想いを馳せ、歴史に書かれなかったささやかな隙間を埋める淡い幻影のような物語なのですが、特殊な芸や技で民間の文化を潤し、支えた名も無き人々へ捧げられているような・・ 主張しないその声がそっと掬い取られていて、しみじみと、ほろりとさせられる佳篇ばかり。
江戸市中から外れて自由な気風が育ち、江戸っ子の遊びの解放区となった深川。 武士も町人とともに商売や遊びにうつつを抜かした田沼時代。 古典に対する興味が起こり、庶民に浸透する国学ブームをもたらした元禄文化。 太平の世では見世物になり、秘密の魔術や忍術と似てきた砲術。 江戸の先生と地方の弟子の俳句添削通信のために発達した俳諧飛脚。 退廃的な文化を繰り広げた文政年間に現れた“まじない横丁”。 上野山下の広小路の遊女“けころ”。 幕末から明治にかけて職人たちが腕を競ったスーパー・リアリズムの“生人形”。 家元に属さず段位も受けられなかったが名人もいたらしい在野の将棋指し。 夢見のいいおまけ絵を付けて町を流した枕売り・・
表紙は春信の「清水の舞台より飛ぶ女」。 以下、何篇か覚え書き。
【結び人】 江戸中期の旗本で有識故実の学者であった伊勢貞丈は、宝暦十四年、古くから伝わる結びの技法をまとめた「結記」を出版する。そのあとがきで貞丈は、“これらの結びは伊勢家のものではない”、“結びには流儀はない”と繰り返しているという。この書物の成立には、市井に生きた無名の“結び人”の助力の影が感じられはしないか・・ そんな発想から生まれた物語なのだろう。
【煙芸師】 煙草の煙を芸にする“煙芸師”は、いったいどんな凄技を持っていたというのだろう。見たい者に見たいように見たいものを見せたのではなかっただろうか。寛政三年、手鎖五十日の刑を受け、憂さを持て余した山東京伝も心の目で煙を追って慰めを得た一人かもしれない。京伝がのちに煙草入れ店を開く伏線的な含みも感じさせる物語。
【神足歩行術】 勝海舟を後援した幕末の実業家で、地元(射和)の開発と振興に尽くした竹川竹斎は、“神足歩行術”の使い手だったという。文明開化の波の中に埋もれてしまうが、竹斎が書き遺した歩行術はなかなかに合理的な内容であるらしい。晩年は事業の失敗でひっそり暮らしたそうだが、日本の新しい方向に眼差しを注ぎ、激動の時代を生きた竹斎の小さな伝記である。
【鋳物師】 江戸中期の長崎に津村亀女という女鋳物師が実在する。豪放な性格、自由な芸術家気質は幾つかのエピソードに伝えられるそうだが、女性らしい感性の繊細な小物の作り手だったという。長崎の鋳物師の作品は海外でも好まれた。亀女の人生にもこんな秘話があったら素敵だ。
【花火師】 江戸時代、大川(隅田川)以外の花火は禁じられていた。秩父の村で大掛かりな花火があがったという通報があり、役人が調べたが花火師を見つけることはできず、村人が狐に化かされたのだろうということになった、という文政年間の記録があるそうだ。その裏舞台を夢想する花火師ロマン。
【松前風流女】 女性の旅は厳しく制限されていた時代に、蝦夷から京都まで一人旅をした女性がいたいう記録が奇談として遺っているという。その女性の作として物語の中に織り込まれている和歌や詩も、史料を引用したものなのだろうか? だとしたら本当に、ふらり気楽な旅路の様子が垣間見えて感興をそそる。
【甘酒売り】 享和の頃、浪華新町の遊郭で全盛を誇った桜木太夫が零落し、浪華橋のたもとで甘酒を売って暮らしを立てたという記録がある。その影にこんな助っ人がいたかもしれないという物語。作者不明(?)の“花はむかし名は桜木の一夜ざけ”という句を、芭蕉が詠んだと匂わせるラストがいい。 時代は違うのだけど芭蕉はきっと冥府から甘酒を飲みに(句を捻りに)訪れたのだろう。
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御書物同心日記 / 出久根達郎
御家人の三男坊で冷や飯食いの身の上だった丈太郎は、古い書物をいじるのに目がなく、市井の古本屋からも頼りにされる本道楽。 縁あって、跡取りのいない御書物方同心役、東雲栄蔵の目に留まり東雲家の養子に迎えられ家督を相続することに。
御書物方同心とは、御書物奉行の配下、天下の奇本珍本がひしめく徳川将軍家代々の蔵書を納める紅葉山御文庫の管理保護を行うお役目。 城内紅葉山の御書物会所へ出仕(二班交代性の隔日勤仕)して、同僚の白瀬角一郎とともに鼠にかじられた本の残骸と顔をつき合わせ、修復作業に精を出す日々。 諸大名から献上された古書を入庫する際の照合点検作業や、重複本や傷本を貸本屋に払い下げる際の入札の立会い等臨時仕事も経験するうちに、夏の土用入りから始まり、およそ六十日にわたって実施される年に一度の最大の行事、“御風干し”の時節を迎えます。
著者らしい古書への愛好目線が濃厚で非常に楽しめました。 紅葉山御文庫を中心にすえた古本蘊蓄の江戸編といった趣きもあるのだけど、実は御文庫に蔵書印はないそうです。え〜〜っ! つまり商いを禁じられた廃棄印のない不法帯出本なんていう存在もそっくりそのまま出久根さんの創作なのだと巻末の著者による解説「附・江戸城内の書物」で知って、そ、そこがガセ? と軽く狼狽した;; かなり真に受けて読んでたので。 全体、考証から少し距離を置いた想像以上に自由な物語空間が広がっていたのかもしれない。 化かされるとこだった・・あぶないあぶない。 一の蔵(歴代将軍の手沢本を所蔵する最も古く重要な書庫)に棲みついている“ヌシ”に供物を捧げる慣わしとか、まさかね・・orz
人擦れしていないウブな好青年風情の丈太郎と、いつか何かをやらかしそうでヒヤヒヤさせる危なっかしい遊び人風情の角一郎との新米同心コンビの友情や、情欲の煩悩に乏しい本の虫の丈太郎に甲斐甲斐しく見合いを仕組む良きタヌキ風情の養父、栄蔵との父息子関係など、深々と描くわけではないのにしみじみする。 上野のお山の桜見物、莨屋の裏商い、暑気払いの泥鰌鍋・・ 江戸情緒を背景に綴られる進展や決着もおぼろな物語の、飄逸洒脱な味わいがふくふくと心地よかった。


御書物同心日記
出久根 達郎
講談社 2002-12 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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浮世女房洒落日記 / 木内昇
浮世女房洒落日記
木内 昇
ソニーマガジンズ 2008-12
(単行本)
★★★★

作中作の趣向を利用して、江戸後期を生きた町屋の女房の“架空の手記”という遊びを含ませた作品に仕上げられています。 そのせいか後世の創作臭さが何処となく漂う気がするのもオツなんですよねぇ
神田のとある長屋の表店で、小間物屋の小商いをしていた一家の女房のお葛さん(27歳のちょい年増)の目を通して、世知辛くも微笑ましい長屋暮らしのよしなし事が日めくりのように綴られています。
もうねぇ。古川柳や古典落語の風景そのまんまなんです。 “紅葉狩り、行ってくっかなぁ〜”ってキョドり気味の亭主が言い出した時は思い切り吹いてしまいました。(←「風流江戸雀」ご参照) カラッと小粋で温かくて・・笑う門に福が来ちゃってる感いっぱいです♪
帳面と睨めっこしては頭を揉み、家事に育児に精を出し、ぐーたら亭主の尻を叩き、日々、うつつに打たれて逞しくなっていくばかりのお葛さんですが、時には火事場見物で火消しの男っぷりにポッとなったり、お肌のお手入れは余念なく、甘味やお喋りの誘惑も尽きることがありません。
働き者の清さんと、お年頃のさえちゃんとの恋路の行方にヤキモキしたり、糸の切れた凧のような亭主へのぼやき節がまたよいんだなぁ 喧嘩っ早くて忘れっぽい江戸っ子の吹き流しっぷりに怒れども怒れども笑いの種になるばかり。
四季折々の節句や諸行事、暦に合わせて市が立ち、季節によって様変わりする屋台や振り売りの声・・ 春夏秋冬の風物詩を愛でる当たり前の感覚が、慎ましくも活気に満ちた営みの中にキリッと溶け込んでいます。
特別なことが起こるわけじゃないんだけど、毎日の他愛のない喜怒哀楽と共に、人の情が廻り廻っているのが見えるようだ・・ 身過ぎ世過ぎの勘どころがしっかりと埋め込まれているような。
泣き笑いしながらほっこり読めて、じんわりと滋味深い。 「茗荷谷の猫」に続いて大好きな一冊となりました〜。
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風流江戸雀 / 杉浦日向子
風流江戸雀
杉浦 日向子
新潮社 1991-06
(文庫)
★★★★

先ごろ、田辺聖子さんの「古典の森へ」を読んで、古川柳に感電するがごとき有りさまだった身にとって、本書は草の根分けても出逢いたかったような一冊でした。
柳多留などの古川柳を題材に、その馥郁たる世界が見事に“視覚化”され、川柳と戯画と物語が共鳴し、江戸庶民の瑣末な日常風景の粋が、ふくふくとした笑いの中に映し込まれています。
雪見、花見、夕涼、行水、蚊帳、紅葉見、火鉢・・ 風物詩と切っても切れない町屋の暮らし向きが、一掬の微苦笑を誘いつつ、しみじみと浮かび上がります。
川柳だけでは情景がイメージし辛いものも、あー、こんな風趣を詠んだ一句だったのかぁ〜と目ウロコぽろぽろ。 例えば・・
紅葉見と 聞いて内儀は 子をさずけ
紅葉見と託けて、吉原に繰り出すのが暗黙の了解事なんですね。 それを逆手にとった女房が、澄まして意趣返しをする図ですね この題材から膨らませた小さな物語がまた秀逸で。 これが一番好きだったかなー。 脛っかじりの若旦那の話もお気に入り♪
ドライな物言いの中に琴線に触れる情緒が隠れていて、面映ゆげに顔を覗かせていたり、世知辛さをサックリと笑いに託す生きっぷりの格好よさ・・ 照れ屋でやせ我慢な江戸っ子たちが息衝く愛おしい句の数々が選び採られています。
少しばかり挙げてみると・・
雨やどり ごおんとついて 叱られる
明かぬ戸を 外で手伝う 夜そば売り
屁をひって おかしくもない 一人者
みんな見放すに 藪医の頼もしさ
ほととぎす 口舌の腰を 折って行き
あと、夫婦の機微で面白かったのがこれ。
朝帰り 命に別儀 ないばかり
朝帰り 首尾の良いのも へんなもの
対になって、ますます味が出ちゃってますね
因みに“日向子浮世絵”と題して、田辺聖子さんが序文を寄せられているのですが、目頭が熱くなりそうな名文で、日向子さんへの讃辞が送られています。 プチ情報ですが、再販の単行本の方は宮部みゆきさんが巻末エッセイを寄せられているらしく、そちらも素晴らしいんだとか。 読みたいなぁ〜。
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侠風むすめ / 河治和香
侠風むすめ
− 国芳一門浮世絵草紙 −

河治 和香
小学館 2007-05
(文庫)


[副題:国芳一門浮世絵草紙] 玄治町に居を構える歌川国芳とその門下の弟子たち周辺の浮世模様を描いたシリーズ一作目。 一門の能天気でカラっとした笑いや、青春の甘やかさやほろ苦い心象風景が、国芳の娘で絵師でもある登鯉の目を通して活写されます。 江戸風俗を掬いとるタッチが瑞々しい。
各章扉には、本編に因んだ浮世絵が添えられていて、お陰でイメージを喚起しやすかったのが好感触。 国芳画塾の気風を伝える河鍋暁斎の「暁斎幼時周三郎国芳へ入塾の図」からは、社中の活気や奔放さ、師匠の温かさや懐の深さが、余すところなく汲み取れる気がします。(国芳の傍には猫がいっぱいw)
舞台となる天保10年代は、水野忠邦による改革の嵐が吹き荒れ、雨のように “御触れ”が降ってきたという御時世。 しかし既に爛熟、頽廃に傾く世の中の流れを食い止めるのは手遅れで、あらゆる“ゆとり”をもぎ取られた庶民は、なおいっそ捨て鉢な明るさをまとい、無頼に染まり、いよいよ内側へと驕奢に淫靡に揺らめいていく・・ そんな江戸末期の不安な世相が鮮やかに映し出されています。
国芳の水滸伝豪傑シリーズの武者絵がきっかけとなって総身彫りが主流になり、ブームに拍車がかかる彫りもの文化や、風流に信心が結びつき、凝った千社札に嵌っていく庶民の様子などが物語の中に巧みに取り入れられています。
御禁制を掻い潜りながら、猫や子供に見立てて芝居絵を描いたり、憂いをパロディにして笑い飛ばしたり、幾ばくかの諷刺を込めて世に送り出された国芳の戯画は、江戸庶民に熱狂的に迎え入れられていくのですが・・
初めて出逢う江戸言葉が結構あって。 とってつけたような解説も殆どなくて、前後の脈絡でふむふむ味わっていく感じ。 ちょっと通気分 良作。
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実さえ花さえ / 朝井まかて
実さえ花さえ
朝井 まかて
講談社 2008-10
(単行本)
★★★★

種苗を扱う“なずな屋”は、向嶋にひっそりと開いた小体の店。 切り盛りするのは、育種の腕を磨いた花師の新次と女房のおりんの若夫婦。 樹木や草花と人々の想いが交差し、寛政期の江戸の町を切なく温かく包みこむ。
ほんとに新人作家さん? 上手過ぎるのが心配なくらいだ。(大きなお世話だ)
夫婦、親子、友人、恋人・・ ほろ苦い人間模様を写しとる確かさも秀逸だし、それだけではなく、植物と鳥や蝶、人間とが共に生き共に育んだ時間の流れがゆったりと染み込んでいて。 胸の中でいつまでも転がして慈しんでいたくなるような作品。
本草学が盛んになって育種技術が飛躍的に高まったという江戸時代。 変化朝顔に狂奔する姿は有名だけれど、総じて江戸っ子が大の花好きだったことが、ひしひしと伝わったくる話だったなぁ。
“あとは野となれ山となれ”という言葉は、人事を尽くして天命を待とうという生き方を象徴していたり、時にはちょっと投げやりな響きに感じないこともないのだけれど、最後の最後には全てを預けられる拠りどころとしての豊かな自然環境がなければ決して生まれ得ない言葉なんだな。 野山に甘えてるといってもいい。 日本の土地の四季の恵みが育んだ言葉。 バックボーンの深さを思い知って、自分はそこにハッとされられてしまったんだけれど、人それぞれの感じ取る心に合わせて、自然からのいろんなメッセージが受け取れるんじゃないかな。
“花競べ”の催し、隅田川堤の花見遊山、吉原の夜桜見物など、華やかでうっとりするような情景が活写され、その奥には“自然天然と人の技が呼応し合うぎりぎりの美しさ”を求める職人魂が垣間見えてじんわりと、いい。
それから最後は染井吉野秘話にもなっていて。 哀しい異形の桜・・だからこその美しさも、ある。 あぁ〜だめだ。今度、染井吉野を見たら涙出そう。 お爺ちゃんかよぅ;;
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二つ枕 / 杉浦日向子
二つ枕
杉浦 日向子
筑摩書房 1997-12
(文庫)
★★★★

遊郭を舞台にした初期の作品が集められている。 遊女と客の何気ないひとコマを切り取った、しっぽりと小粋な短篇集。 芝居がかった戯れの中のささやかな実、他愛もないやり取りから滲みだす一揺らぎの機微。
物語として読んでる感覚ではなくなっちゃう。 江戸吉原の郭の一室のとある風景にそのまま身体が溶け込んでいくような。 ここは江戸なんだなぁ〜って。 日向子さん、江戸に連れてきてくれてありがとう〜ってくらい浸ってた。
等身大の江戸なんて、絶対味わえないわけなんだけど、やっぱりこの作品の中に、それを感じてしまう気持ちを止められない。 あ〜もぅ、語ることが野暮に思えてくる。 読んで感じて。 それしか言えないです・・ 北方謙三さんの巻末解説もラブリー♪

<余談>
表題作の「二つ枕」は、4短篇のオムニバス形式なんですが、すべて浮世絵風の画線で描かれています。 4作目の「雪野」の線は歌麿っぽいなぁ〜と思って、そこではたと気がついたんですが、作品毎のタッチが微妙に(というか、よくよく見ればまるで)違うんです。 無性に気になりだして調べてみたら、それぞれ春信、英泉、国貞、歌麿の画風に準えて描かれているみたい!
しかも作品の構成は山東京伝の洒落本「傾城買四十八手」に準えているのだということも知りました! 奥が深い。。。
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甘露梅 / 宇江佐真理
甘露梅
−お針子おとせ吉原春秋−

宇江佐 真理
光文社 2004-06
(文庫)


[副題:お針子おとせ吉原春秋] 宇江佐さんは、最初に読んだ髪結い伊三次シリーズが大好きで、他にも手を出す気になって数冊読んでみたんだけど、たまたまなのか・・合わないものに当たってます;; 話のまとまり感は流石だなと思うんだけど、合わないというのはどうしようもないのです。 苦手だった「卵のふわふわ」と同じニオイがします。
吉原の遊郭にお針子として住み込みで働き始めた町家の女房の目線を通して、内緒での悲喜交々、花魁たちの心模様などを連作長編のような構成で描いていく作品。
遊郭ならではの年中行事や四季の風情が色濃く織り込まれているんだけど、取ってつけたような郭情緒が、どうにも煩く感じてしまって・・ これは多分、わたしの穿った見方なんだと思う。
とにかく一言でいってしまうと、“主人公のおとせが嫌いっ!”という感情に終始してしまったので、本来ならプラスに働く様々なエッセンス全てに意地悪な反応を示したくなっているんだわ、きっと;; 内輪の会話で、こんなベタなありんす言葉を使うんかなぁ〜とか、そういう些細なことまで、いちいち鼻についちゃうありさまで。 ほっといたら、おとせの悪口を延々書いてしまいそうなので、もう自粛します。
どうにもこうにも野暮ったい吉原なんだよなー;; でもでも! 髪結い伊三次シリーズは大好きです!
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七代目 / 竹田真砂子
七代目
竹田 真砂子
集英社 1998-03
(単行本)
★★★★

歌舞伎づくしです♪ 江戸初期から幕末間近まで、それぞれの年代を彩った名優さんたちを交えながら、歌舞伎に魅入られた江戸庶民の人間模様を小粋にしっぽりと描いた10篇の短篇集。
一話ごとに時代が少しずつ下っていくわけなのですが、市井の暮らしぶりとか、狂言の趣向など文化の変化には、あまりスポットは当てられていません。 とはいっても、後期の話では、豊かになった町人や、戯作者や噺家が登場したり、上方にリードされていた文化が、徐々に江戸から発信される庶民の文化へと変わっていく様子などがさり気なく垣間見られたりしますけれども、でもむしろ、歌舞伎という芸能の本質というか・・どちらかというと“変わらない”部分を大切に描いているように感じられました。
寛永元年に、初めて江戸で歌舞伎興行が認可を受けてからまだ間もない時期、空き地を竹矢来で囲って設えたような戯場で舞っていた初代・勘三郎の頃から、執拗に繰り返され続けた幕府からの弾圧を掻い潜り、役者も見物も舞台裏も一丸となって櫓を守り続けてきた逞しさや誇りや情熱が、一貫して底に流れていたような感じがします。
舞台上で殺されたという初代・勘三郎、若衆方で名を馳せながら唐突に出家してしまった市村竹之丞、元禄年間に伊藤小太夫が着て、上方にまで流行らせたという小太夫鹿の子、文政年間には、本櫓の市村座、控櫓の桐座まで倒れ、座元がずぶの素人だったという玉川座が健闘していたり、歌舞伎興行の取り潰しと引き換えに江戸追放となった七代目・団十郎(海老蔵)の話などの実在のエピソードに、生身の温もりや哀感や情念が吹き込まれて、心揺さぶる物語が紡ぎ出されています。
どれも外せないくらい、みんなよくて。 こういう雰囲気大好きなんです。 なんて言ったらいいんだろう。 人情っぽい話にも、情念っぽい話にも、どこか諧謔のようなものが潜んでいて、作者の一歩引いた目線がしっかりと存在しているような・・ 作者と物語とのこの距離感に、ぴったり嵌ってしまいました。
傾き(かぶき)続けた役者たちと、舞台に熱狂し続けた見物たちの熱い想いが、しんみり伝わってくる燻し銀のような作品集です。
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贋作天保六花撰 / 北原亞以子
贋作天保六花撰
−うそばっかりえどのはなし−

北原 亞以子
徳間書店 2004-11
(文庫)
★★

[題名ルビ:うそばっかりえどのはなし] 松林伯円作の講談「天保六花撰」を下敷きに、天保の世を騒がせた悪党たちの物語は、歌舞伎狂言などでいろんなバリエーションへと進化しているらしく、「黙阿弥オペラ」にちらっと登場した「河内山と直侍」もコレだったんだぁ〜と、無知丸出しで独り頷いています。 で、この作品も、北原版“天保六花撰パロディ”といった感じになるんでしょうか。 なんせ原作も歌舞伎狂言も知らないので比べ読みができません・・まいっか。
10篇で構成される連作長篇スタイルで、とってもテンポよく読めます。 六人の悪党たちが活躍するピカレスク小説なわけなんですが、笑えて、ちょっとうるっと来て、しんみりと優しい物語。 強請りと賭博で生きる色男、御家人崩れの片岡直次郎は、ひょんなことから借金だらけの貧乏武家へ婿入りしたのですが、浮世離れするほど無垢な心を持った新妻に、徐々に絆されてゆきます。 彼女の美しい心を守るため、悪事に手を染め続けなければならない、愛ある無頼者の切ない葛藤も読みどころ。 そして共に悪事を働く、河内山宗俊、金子市之丞、森田屋清蔵、暗闇の丑松、三千歳たち六花撰(原作と同じメンバーのようです)の個性も光り、繰り広げられる悪事のあれこれ、開き直りっぷりも愉快。
開府より二百二十年が経ち、暮らし方も物価も変わり、町人は豊かになったけれども、武家の俸禄だけが据え置かれ、貧乏武士や浪人ばかりが増える世の中。 幕藩体制の綻びが繕いきれないところまできてしまっている気配や、幕末への流れの予兆を孕んでいるかのような社会の歪みの中から生まれた悪党たちなのかもしれません。 飄々とした生き様の中に、徒侍たちの悲哀が込められているような気がします。

<追記>
ちょっと調べてみたんだけど、“天保六花撰”関連の小説っていろいろ出てるみたい。 読み比べるのも楽しそう♪
 ⇒ 「天保悪党伝」 藤沢周平
 ⇒ 「天保悪の華」 南原幹雄
 ⇒ 「練塀小路の悪党ども」 多岐川恭
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