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櫓の正夢 / 星川清司
[副題:鶴屋南北闇狂言] 文政8年、中村座で初演された四世鶴屋南北作の世話物狂言「東海道四谷怪談」の創作秘話。 遅咲きの立作者、齢七十一にして円熟期の南北が、かの有名な怨霊劇をいかようにして世に送り出したかの物語です。
「仮名手本忠臣蔵」の外伝として、また、当時巷に流布していたお岩伝説(出処は享保年間成立の実録読物「四谷雑談集」に記されている於岩稲荷縁起)に見立てて拵えられていますが、既存の狂言を足掛かりにした書き換えではないオリジナルの演目であり、押しも押されぬ代表作となったその謂れが、著者の描く虚構を掻い潜って迫ってくるかのようで、風俗を、人物を活写し、事実以上の真実を焙り出して見せる力量に心酔しつつ読みました。
田宮家に配慮して、伝説の発祥地である四谷左門町から雑司ヶ谷の四谷に舞台を据え変えたというのが定説のようなんですが、ここでは、まず、雑司ヶ谷の四谷ありきで話が進みます。 四谷といえば・・と、後からお岩伝説にアレンジすることを思いついたみたいな、そういう着想。
生首や毒薬や鼠といったモチーフ、或いは岩の妹の“袖”や、袖に懸想する薬売りの存在など、お岩伝説の余白を埋めるエピソードの数々、伊右衛門お岩の表舞台に引き写される前の、破滅的な色悪と淪落の遊女が立ち回る裏舞台。 善も悪も呑み込んで混沌する愛憎・・ その原風景がまことしやかに明かされていきます。
渡辺保さんの解説によると、南北の他の狂言の登場人物や、それを演じてきた役者のイメージなどが散りばめられているらしく、虚構と現実が交錯する“変転奇妙な遊び”がこの作品の醍醐味だそうだから、通な人にはとことん面白いんだろうなー。 いいなー。
新作の構想に行き詰まり、タネを探して俗世にアンテナを張っていた南北の目に映り込む、不吉な翳りのある一人の浪人。 荒んだ洒落者に創作意欲を掻き立てられ、深追いしていく南北がやがて目にする男女の運命の綾なす無情は、同時に南北自身の内面へと逆流するように重ね合わされ、希代の立作者の人間像を彫琢していく誘因にもなっています。
死霊の祟りか狂気の沙汰か・・ 閉塞した時世に蔓延する満たされない渇きが、浮世を茶にした偽悪的な物言いの底で焼けつくように疼いていて、贅の極みと惨い事が繰り返される文政期の頽廃美がゾクッとするほどの香気を放っています。 芝居と戯作周辺の、時代を彩った文物の粋が能う限り詰め込まれているのも魅力的で、近年世を去った大田南畝の回想、藤岡屋由蔵との路上での遣り取りなどは、ことにふるった仕込みです。
小説と作劇術が溶け合うような文体と構成。 この作品そのものに、南北のシナリオ的な律動感が刻み込まれていて、ふと情景が書き割りに変じる感覚がせり上がり、細やかに練り上げられた生世話の舞台を見せられている心地がしてくるのです。 浸りました。


櫓の正夢 − 鶴屋南北闇狂言−
星川 清司
筑摩書房 1999-05 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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謎の団十郎 / 南原幹雄
主に技芸や商いの分野に焦点を当てた江戸文化の香り豊かな歴史ミステリの短篇集。 史料上のとある事実に着目し、なぜそこに至ったのかという謎や疑問点を独自の発想で追求しながら時代相を浮き彫りにしていくスタイルが鮮やかに花開いています。
東西の二大歌舞伎や物資の流通上の対立をめぐり、江戸と大坂、双方の意趣が錯綜したり、絵師や地本問屋の貪欲で阿漕な生きっぷりと、モデルとなったことで翻弄される芸者や町娘の身過ぎ・・ その核に歴史秘話をさり気なく嵌め込みつつ、物語として深い味わいを醸す腕前が見事。
前半の3篇は江戸末期(嘉永6〜7年)を舞台にした団十郎絡みの連作仕立て。 1話目の「初代団十郎暗殺事件」では、元禄17年、役者の生島半六に舞台上で刺されて非業の死を遂げた初代団十郎の追善興行を企画する八代目が探偵役となって、様々に取り沙汰されるも決定的な説を持たない初代暗殺の謎に迫るという趣向。 その八代目自身にもまた、迫りよる死の足音・・ 第1話と第2話を、3話目の伏線のようにそつなく機能させている辺りに擽られてしまいます。
2話目の「死絵六枚揃」は、視点を変えた団十郎ものといいましょうか。 人気絶頂での突然の死を悼み、300種以上(普通の役者なら10種そこそこ)が版行されたという八代目の死絵(とむらい絵)。 その先陣を切って売りだされた六枚揃いの竹半版が群画を圧して売れまくった経緯を、当の死絵で懐を潤した絵師を主人公に描いています。 死絵から離れられない苦悩が遣る瀬無く沁みる妙品で、わたしはこれが一番好きかなぁ。
3話目の「油地獄団十郎殺し」は、江戸歌舞伎の最大の謎とされる八代目の死(一般的には自殺とされているが動機は諸説いろいろ)を、江戸と大坂の油問屋の対立という切り口から解明しようとした作品。 油相場の駆け引きなどは頗る面白く読んだんだけど、死の真相としてはちょっとなぁ。 あれだけ完膚なきまでに出し抜いておきながら・・了見が狭かぁないかい? 粋が泣くぜ江戸っ子よ。 痛み分ける度量はないのか。 という気持ちになってしまい・・ まぁそれだけ江戸と上方の遺恨は深いということなのかもしれないが。
6篇全部、歴代団十郎モチーフなのかと思っていたら後半3篇はまた別の話。 で、期待と違ったものだから一瞬落胆しかけたんですが、前半に勝るとも劣らぬ佳品揃いで堪能させてまらいました。
南原さんは大坂の豪商、鴻池一族の野望を描いた長編を何作かお書きになっているそうなのですが、4話目の「長州を破った男」は、そこからスピンオフしたかのような一篇で、商業資本と武士階級の対立を描いた力作。 大坂の豪商というキーワードは八代目の死の謎と微かにリンクし、構図の奥行きを深めています。
5話目の「伝説歌まくら」と6話目の「北国五色墨」は、歌麿が残した一枚の美人画に触発され、その背景にキラッと光る物語をでっちあげた浮世絵秘話で、大好きな趣向です。 絵師としての無心さと裏腹の情け深さを持った厄介な歌麿像が、小品ながら巧妙に描出されているのが心憎い。 絵の中にモデルは今も燦然と生きている。 それが絵師から娘たちへの唯一の真心であるのだろう。


謎の団十郎
南原 幹雄
徳間書店 1998-02 (文庫)
南原幹雄さんの作品いろいろ
★★
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滝沢馬琴 / 杉本苑子
江戸後期の著名な戯作者であり、狷介孤高の居士として名を残す滝沢馬琴の晩年です。 後年広く流布し、いみじくも本書のタイトルに冠せられた“滝沢馬琴”とは、本名(滝沢解)と、筆名(曲亭馬琴)を混ぜこぜにした、おそらく馬琴が聞いたならば卒倒するほど嫌忌する呼称かもしれないけれど、この名こそが、馬琴が生涯苦しみ抜いた業の象徴のようにも映り、読み終えて表紙の文字を見返した時、思わぬ感懐に揺さぶられました。
自尊心とコンプレックスの狭間で今にも引き裂かれそうな戯作者としての懊悩と、武士に名を連ねる滝沢家再興の本懐と引き換えに背負わざるを得ない家計不如意の辛酸や家族縁者への骨折りなど、家長としての絶え間ない煩労・・
語弊があるかもしれないけれども“愚かしく、間違ってるけど恰好いい”的な江戸っ子たちの粋に対して、“理屈には、かなっているけど腹が立つ”的な野暮ったさとでもいったらいいでしょうか。 心の持ち方一つで安泰に暮らせそうなものなのに、適切かどうかではなくて正しいかどうかに常に拘らずにはいられない融通の利かなさが苦労性の端緒となって何処までも付き纏う馬琴の、悪意ではなく人間味の底から滲み出る始末の悪い憎らしさといったら(笑)
もし馬琴が自分の父親だったら思春期に絶対グレるなぁ〜と惟みつつ、それなのにそのはずなのに。 大人になった時、性質は性質のまま、老いてなお意固地な後姿をどうしようもなく労わりを込めて見つめる日が到来るであろうことを予見してしまう・・ そんな気持ちに駆り立てられる馬琴像が心に沁て沁みて泣きたくなりました。  
代表作「南総里見八犬伝」の制作は、文化11年から天保12年の28年に及びますが、本編は、天保4年に右目の視力を失い、その後徐々に左目の視力を失う中で執筆活動を継続し、やがて盲目となってからは、亡息の嫁のお路という口述筆記役を得て、もはや妄執と化していた八犬伝の大団円に向けて漕ぎ出し、漕ぎ着き、命の灯を燃え尽きさせるまでの十年余りが舞台に採られています。 仏頂面を突き合わせて机上に向かう、不器用な馬琴とお路の、言葉を超越した火の玉のような一体感が激しく静かに胸を打ちます。
北斎と娘のお栄、山東京山、為永春水、柳亭種彦、また、渡辺崋山や矢部定謙など、時に馬琴と対比的に、時に時代を映す鏡のように配置される歴史上の人物たちによって、多角的に世相風俗が織り込まれているのも特徴的です。 杉本さんらしく、登場人物は冷静に客体化されているのですが、お路が渡辺崋山に寄せる秘めた恋心が物語に仄かな抒情を添えているのが何とも切なく胸に残ります。 蛮社の獄や天保の改革を通して描かれる、蘭学の台頭や頽廃した町人文化への脅威を腕力で捩じ伏せようと喘ぐ末期的な幕藩体制を象徴する不穏な時代背景が、儒教道徳に雁字搦めになりながらも自己矛盾と戦い続けて揺れる馬琴の生き様に投影されていたのではなかったか・・そんな余韻に耽ります。


滝沢馬琴 上
杉本 苑子
講談社 1989-11 (文庫)
杉本苑子さんの作品いろいろ
★★★★
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写楽まぼろし / 杉本章子
差し詰め“写楽○○説”に連なる系譜の作品ではありますが、江戸文化最盛期の偉大な担い手の一人であった蔦屋重三郎の評伝小説という視座から、写楽像に切り込んでいくという趣向が採られています。
安永、天明、寛政期における江戸出版界の立役者的存在であり、綺羅星の如き絵師や戯作者をプロデュースした蔦重が、吉原の大門口に開いた小さな絵草子屋から身を立て、類い稀なる先見の明で、通油町に店を構える一流の地本問屋にのし上がり、やがて寛政の改革で時制に媚びずに凋落するまで。
この時代、蔦重を主役に据えようものなら、もうそれはそれは文化人がザックザクってなことになってしまうわけでありまして。 美味し過ぎます♪ 大盤振る舞いなんかじゃなくて、当たり前に出てくるから凄いんです。
ざっと挙げると、平賀源内、喜多川歌麿、恋川春町、朋誠堂喜三二、大田南畝、山東京伝、そして東洲斎写楽。 何らかの差し障りが生じて戯作から身を引いたという志水燕十が、こんな風に肉付けされてしまうなんて! (馬琴や一九も蔦重の恩を受けていますが、活躍するのはチョイ後ですね・・)
わたしは「じょなめけ」で知ったんですが、蔦重にとって初代中村仲蔵は親戚筋に当たるんですよねぇ。 当然、杉本さんがそこを見逃すはずもなく、仲蔵がしっかり物語に食い込んでいるのも嬉しかったです。
蔦重の人間性や生き様を紐解いていく先に見えてくる写楽・・ なぜ10ヶ月という短い期間に大量の芝居絵を残して忽然と消えたのか、なぜその間、急激に画技が衰えたのか、なぜ蔦重はここまで写楽に入れ込んだのか、なぜ実像が見えてこないのか・・ 要所要所で丹念に史実と整合させる基軸の間に、大胆な秘話を織り混ぜながら、杉本章子流の構想が一幅の絵のように浮かび上がってくることに唸らされます。 それと同時に、写楽へ辿り着く論拠で瞠目させるというよりは、人情味溢れるドラマチックな一篇の物語小説として愛され、称えられるに相応しい作品のように思った次第です。
仲蔵が病没し、春町が自害し、喜三二が筆を折り、南畝が変説し、歌麿が離反し・・ 蔦重の晩年を読むのは、いつもいつも辛いんですが、奥行きのある人物なので、作家さんによる味付けが楽しみで仕方がないんです。 本編は、何かこう、写楽という舞台装置を使った蔦重への手向けのようにも思えるのでした。
杉本章子さんは、時代考証が盤石なので、疑り深くならずに安心して江戸情緒に浸らせてもらえるような心持ちになります。 粋と品の良さを兼ね備えた江戸市井の空気感が大好きです。


写楽まぼろし
杉本 章子
文藝春秋 1989-01 (文庫)
杉本章子さんの作品いろいろ
★★
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源内万華鏡 / 清水義範
清水さんは源内がお好きなんだなぁーと^^ その熱い想いが(ちょっと可愛らしいくらいに)伝わってきます。 講釈師のような軽妙な語りで紐解かれる源内の万華鏡人生。 作者の想像と史実を明確に書き分けない技法を採用した、エッセイと小説の中間くらいに位置する評伝作品なので、個人的にはやや混乱する部分もあったんですが、科学の胎動を感じさせる時代の申し子のような・・ 平賀源内その人の異彩溢れる息吹きをガッツリとキャッチさせていただきました。 源内入門書としてお手頃な良書です。
高松藩との間に生じた、男女の仲を想わせるほどに悩ましい軋轢が、源内の人生プランを大きく狂わせてしまったのかもしれないけれど、高松藩に縛られることによって、逆に全てのことから自由であれと強いられた皮肉な運命が、源内の生き様を形づくっている辺りからしてドラマ性に満ちている・・
人生半ばで諦めなくてはならなくなった地位も、山っ気を出して一攫千金の夢を見た金銀も、全ては心置きなく学問を行い、実社会に役立つように応用化する愉しみのため、更にはその成果によって齎される名声のための道具のように考えていたといっていいかも。 人をあっと言わせたくて仕方ない漢なのです。
杉田玄白×源内がよいです♪ 玄白は、源内の善き理解者だったんだろうなぁ。 せっかちな源内があっさり「コロイトボック」の邦訳を断念してしまうのに対して、しぶとく地道な努力を積み重ねて仲間と共に「ターヘル・アナトミア」の邦訳という偉業を達成する玄白。 この時とばかりに誇ってもよさそうなものなのに、源内から受けた精神的な恩恵に想いを馳せずにはいられないのだ。 源内から影響、感化を受けて遊戯的文学に目覚めたくせに、源内が残した俳諧人としての結果だけを忖度する大田南畝には、思わず玄白との度量の違いを感じて笑ってしまうんだけども、癪に障るから口外しなかっただけで、内心ではまた、違う思いがあったかもしれない。
源内は話が面白くて厭味がなく、茶目っ気があって可愛げがある半面、相当に気分屋だったり、自惚れ屋だったり、くわせ者だったりしたわけなので、関わった数多の知識人たちとの相性を探っていくと、さぞや面白かろうとニヤニヤしてしまったり。
アンテナが多く、動けば必ず何かに引っ掛かる道草人生。 やりたいことだらけで執着心が薄い分、一つのことにしくじっても何らへこたれない。 そこからアイデアを得て横道に逸れた何処かで、柔軟性、合理性豊かな天性の直観力でもってチャチャッと意外な布石を打ってしまったり・・
様々な分野を股にかけ、歩いた跡に振り撒かれた有形無形の種が発芽して、どれだけ多くの花を咲かせ、実を成らせたことかと。 人生そのものがどこか・・錬金術師めいてもいるし、それよりなにより本草学者の面目躍如ではないか。まるで。
でも、そういうことは時代を下らないと可視化されないわけで。 同時代人にとってはまさに“学問芸人”の粋たる存在以外の何ものでもなかったんだろうね。 その精神は言ってみれば一発屋。 源内の比類のなさの一端は、一発屋的瞬発力で何百発もの花火を打ち上げ続けたところにあったと思う。 したれば拭いきれない一発屋臭が付き纏うんだけど、そのケレン味やフェイクな感じといい、終生野に在り異端を極めた怪人っぷり(器用貧乏めいたチャーミングさも含めて)は、清々しいまでに格好いいではないか。
本人がどの程度まで自覚していたかは分からないけど、結果論として、“科学と産業の振興による国益”という時代を先取りした発想の持ち主だった源内。 彼が落した沢山の置き土産が、後世に開封され、熱い視線を投げかけられていることを知ったら、さぞかし鼻高々だろうなぁ。 そんな面影を想像しながら、源内を偲びたくなるのでした。


源内万華鏡
清水 義範
講談社 2001-10 (文庫)
清水義範さんの作品いろいろ

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鶴屋南北の恋 / 領家高子
文化文政期に遅咲きの大輪を咲かせた当代髄一の歌舞伎狂言作者、四代目鶴屋南北(大南北)の最晩年。 「東海道四谷怪談」で大当たりをとった一年後(文政9年)からの四年に満たない長逝までの歳月は、最期の焔を撹拌させるように、恋の艶めきの中で激しく静かに流れてゆく・・
――― 深川黒船稲荷敷地内。 南北、最晩年のもうひとつの家もうひとつの暮らし。 江戸根生いの歌舞伎狂言作者には、隣家の離れに住まわせている女がいる。 戸板返しの終の栖。 鶴屋南北一世一代の浮世離れである ―――
大南北に相応しい成功裏の幕引きを案出する直江重兵衛。 自らが役者となり作者となり、身を切るように的確な配役を置き、趣向を凝らす。 大南北の嫡男の、一世一代の奇策であった。
時代の巨大な飢えに応え続ける宿命を負った芝居者が纏う非情さは、醜悪すれすれのところで懸命に形を保っている純心のよう。 人間の業を無残に描き込みながら、なぜここまで美しいか。 嘘と真を包みこんで、男と女の思念が生めき揺らぐ、爛れてなお清冽な魂の官能・・ それすらも命の遊びと嘯いてみせる。
些か達者に過ぎるくらいの科白回しも、南北狂言へのオマージュであるかのような物語世界にとても似つかわしく、また、混迷への兆しを孕んだ危うい時代、芝居国に過ぎる暗雲の最中、鶴屋南北という巨星を支える使命感に生きたかのような重兵衛を、“もう一人の鶴屋南北”として描こうとする領家さんの着眼が素晴らしかった。 影の役回りを引き受けた男への、手荒くも優しい追悼のようにさえ思えた。


鶴屋南北の恋
領家 高子
光文社 2009-07 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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きりきり舞い / 諸田玲子
小町娘と持てはやされてきた十返舎一九の娘の舞も、気付けば婚活ラストスパート(?)なお年頃。 嫁き遅れてなるものかとばかりに虎視眈眈と玉の輿を狙っているのですが、思わぬ茶々や横槍が入って難行苦行。 さてその前路は如何に。
大ヒット作「東海道中膝栗毛」で一躍名を挙げてから書きに書きまくり、江戸で唯一の専業作家となった当代人気戯作者の十返舎一九ではありますが、一家は銭に窮する貧乏暮らし。 そこへ婚家を飛び出した北斎の娘のお栄が転がり込み、得体のしれない浪人者が居候し、我が物顔でのさばり始める始末。
長年の大酒が祟ってそろそろ身体に支障を来たし、偏屈や癇癪持ちに磨きのかかる一九を筆頭に、さながら奇人屋敷の様相を呈する我が家で、舞の過ごす“きりきり舞い”の日々。 パワフルで朗らかで気軽に楽しめるサクサク本。
常人離れした絵師も戯作者も、身内にとっては厄介な生き物に他なりませんが、そこを超越した家族や父娘の慈しみが、湿っぽくならずにサラッと温かく描かれていて、筆にも安定感があって、良質だと思いました。
筋立ての中で一九の前半生や出自の謎が紐解かれていくのですが、小田切土佐守との関係が 「そろそろ旅に」とは、また違った説を採っていて興味深いです。
そういえば、北斎が吉良家の剣客であった小林平八郎の子孫だと自分で(笑)言い触らしていた史実に絡んだ小粋な怪談話が盛り込まれているのが高ポイント♪ (希代の引っ越し魔で居所知れずの北斎は、影や噂だけで実際には登場しなかったのがちょっと淋しい・・)
ただね。個人的にはキャラが微妙。 お栄に萎えてしまったのが痛かった。 いや、これはこれでありなんだと思うんだけど。 杉浦日向子さんや山本昌代さんの洗礼を浴びた身には、プシュ〜っといろんなもの(あからさまなファザコンぶりや、子供じみた意固地さ、いぢましさとか・・)が滲み出し過ぎるのが気に障ってしまいました。
秘めた情熱の凄まじい抑圧によって、不細工でも底知れない色香が漂う、徒で伝法で投げ遣りなお栄ちゃんに恋しているので・・


きりきり舞い
諸田 玲子
光文社 2009-09 (単行本)
関連作品いろいろ

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当世浮世絵類考 猫舌ごころも恋のうち / 蜜子
ほの淡く腐の薫る浮世絵師物語♪ 春信、歌麿、写楽、北斎、国貞、国芳、広重、暁斎、芳年・・ 江戸後期から明治初期に活躍した浮世絵師がザックザクw 萌え要素を前面に押し出して煮詰めて凝縮させたキャラがバリ立ちです。 大満足の面白さでした。 絵がムンムンと可愛いよぅ。
“浮世絵や逸話から想像を膨らませて絵師の心情を考察する”という作業を作者さんがきっちり踏んでおられるので、とっても説得力あるんです。 浮世絵師たちの逸話に因んだ掌編集なのですが、お友達関係がまたよろしくて。 まず、人物紹介を見て、相関図を見て、ニヤニヤ面が元に戻らなくなるの。ぐふふふふ・・
戯作者の馬琴が友情出演してるんですが、北斎×馬琴のキャットファイトが心擽ります。 いいぞっ! 馬琴っ! ナルシーでマザコンだけど実は意外と硬派な歌麿や、暗黒面に揺らめく鬱気質の芳年や、ちょっぴり天然系のトロさがカワユい広重や、それから国芳門下の落合芳幾って初めて知ったんですけど、クールなメガネ男子なのに師匠愛に厚いところが( ´艸`) 鳥居清政説を採用した泣き虫ヘタレ写楽や、国貞のちょっと性格悪いんじゃないの系も何気にお気に入りw
今、小さい国芳ブーム来てません? この漫画でも国芳は中心的存在として描かれていて、河治和香さんの「侠風むすめ」に始まる国芳一門浮世絵草紙シリーズに出てきたエピソードのあれこれがここにも! ってことは創作ではなくてしっかり典拠があったのかー! と今更気付いて感動してました^^; 「猫絵十兵衛御伽草紙」の十兵衛の師匠も国芳がモデルだし♪
でもね。ニヤニヤして油断してると、歌麿の「女姿」の蔦重の台詞がジーンと沁みたり、暁斎の「子どもの気持ち」にはうっかり泣いてしまった><。 ペーソスの混ざり加減も程よかったと思う。
月代のお兄さんが出てくるだけで3割り増しくらいにテンションが上がってる自分は確実にハゲージョ認定だと思った。 ハゲージョはマイノリティに違いないと自覚はしているのです。ちゃんと。 でもこれ続編出て欲しいよぅ。ハゲしく切望。
北斎と同棲中の英泉と、写楽の世話女房の十返舎一九ももっと出してー。


当世浮世絵類考 猫舌ごころも恋のうち
蜜子
ふゅーじょんぷろだくと 2009-10 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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三悪人 / 田牧大和
三悪人
田牧 大和
講談社 2009-01
(単行本)


用心棒をしながら蕎麦屋の二階をねぐらに放蕩中の遠山金四郎、無役の普請組だった頃の鳥居耀蔵、寺社奉行時代の水野忠邦。 後に歴史に名を残す若き日の三人の御仁が、目黒祐天寺の火事を契機に繰り広げる知恵比べロマン。
忠邦につけ入って出世の足場を固めようと奸計を巡らす金四郎と耀蔵を同時に手玉にとって弄ぼうとする忠邦・・ 乱暴にいったらこんな構図なんですけど、金四郎は実は男気のある本領を隠し持っていたり、耀蔵は耀蔵で忠邦に対して屈折した憧れを抱いていたりと、ちゃんと後々の布石が敷かれています。
悪といっても三者三様。 忠邦は冷酷で狡猾で、どこか危うい傲慢さを湛えた白皙の美貌の持ち主。 か黒い悪を幽気のようにまとっております。 金四郎はイナセで無頼で遊び人風情の野趣があり、粋を絵に描いたような漢っぷり。 同時に抜け目なさを秘めた皮肉屋ですが悪というより正義といった方が通りがよさそうな・・
この御二方の間で、些か軽んじて見られている向きの耀蔵は、まだ掴みどころがなく、一見図太く無神経に見えて鋭い直感を覗かせたり、力に餓えているような末恐ろしさを垣間見せるものの、狛犬のごとき異相といい、野暮天さといい、思わぬ人の良さといい、なんともいえない愛嬌を振り撒きます。
それぞれの思惑で優位に立とうとする腹の探り合い、駆け引きの妙味に加え、着想そのものが魅力的なのですが、行動原理が今一つ空回りしているようなしっくり来ないものを感じてしまったのと、ピカレスクになりきれない中途半端な甘さが、ちょっと馴染めなかったんです。
でも将来像がそのまま思い描けそうな金四郎と忠邦に対して、妖怪変化(笑)する前の、まだ悪を開花させていないウブな耀蔵キャラにプチ萌えました。 こんな耀蔵に出逢えただけでも吉♪ って力の入れどころを間違えてるかもしれません;;
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じょなめけ / 嘉納悠天
じょなめけ 1巻 2巻 3巻
嘉納 悠天
講談社 2007-12〜2008-03
(単行本)
★★


日本近代出版の先駆者といわれる蔦屋重三郎の若き日の物語。 通油町に進出する前の、吉原大門の傍で書肆を開いていた20代の頃の蔦重です。 おバカでエッチで、でも男気があって、面倒見のよいエネルギッシュな若者です。
まだ無名の山東京伝(伝蔵さん)や、絵師のたまごの歌麿(勇助少年)、偉人なのか奇人なのか判然としない源内先生、定九郎で有名な初代中村仲蔵(蔦重の義理の甥ってホントなの?)など、脇役陣も豪華で、蔦重との絡みに笑ったり、ホロッとさせられたり。 もちろん舞台が吉原なので、綺麗な花魁との細やかな機微や、桃色絵巻なんかも盛り込まれていたりして。
元禄の最盛期から80年、活気を失くした吉原の再建を目指して奮闘する姿に惚れてしまいそうです。 吉原細見(吉原のガイドブック)のリニューアルに奔走したり、イベントを企画したり、宣伝攻勢かけたり、噂を逆手に取って巻き返しを図ったり、名プロデューサーの片鱗を遺憾なく発揮してます。
こうやって、人々の望むものを鋭く見抜く力や先見性を身につけていったんだろうな、そして少しずつ広がっていく豊かな人脈が、一つの財産になっていくんだろうなって・・ 未来の蔦重が自然と思い描けるようなストーリーテリング。 快作です。
全3巻で第一幕が終了。 第二幕はいつ頃が舞台なんだろうか。 突然オッサンになってたら寂しいかも;; ま、オッサンになってからが本領発揮ではあるんだが。

<ご参考>
蔦屋耕書堂 ← 蔦屋重三郎を紹介しているサイトさん。
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