泥ぞつもりて / 宮木あや子
きゃー。 王朝萌えです♪ 宮木さんの小説を“R指定の宝塚”って表現されてた評者さんがおられたと思ったけど、ドロドロなのに重厚さがなくて、透き通った綺麗な皮膜が舞台をきらきら覆い、はらはらと泣かせてくれるような・・ まさにこのヅカりまくりの空気感が好きなのです。
西暦800年代後半の平安前期。 清和天皇、陽成天皇、(光孝天皇を経て)、宇多天皇と、それぞれ三代の帝に入内した女御や后たちの内裏での歳月を描く三篇。 待ち焦がれることを運命づけられ、満たされぬ想いや癒えぬ傷を疼かせ続ける女人たちの狂おしい吐息が耳元を掠めるかのようです。
因みになぜ光孝天皇がスルーされてるかというと、即位した時には既に齢五十を超えた隠居の御身にあったので萌えないから・・ですね。きっと。
政治では藤原良房の基盤を引き継いだ基経が実権を握っていた仁明系の時代。 摂関政治への流れとそれを食い止めようとする思惑が暗い火花を散らし合い、男たちの政争の小道具として呑み込まれていく姫や、強い後ろ盾を持たずに入内さえできない姫、帝の寵愛を受けながら身籠れない姫や、后妃となり親王に恵まれながら寵愛を得られない姫・・ 生々しくも可憐な、餓えるように情熱的で遣る瀬無い慕情は、かたちを持たずに池の底に溜まっていく泥に仮託され、時を経てなお恋の残滓は澱のように淀んでは募り、さざめき燃え立ちます。
史料に僅か名前ばかりが残されている程度の女人を主人公格に抜擢し、血の通った女として生き生きと蘇らせる筆さばき、断章形式のように繰り出される複数視点と、三篇を行き来する時間軸を巧みに操作し、雅やかな一大恋愛絵巻を浮かび上がらせる手腕、応天門の変や菅原道真の失脚、藤原高子(二条后)と在原業平との恋物語、陽成天皇の家臣殺害事件など、要所要所で時代を彩る事件やスキャンダルとキッチリ符合させてくるあたりにも貫禄を感じますし、感性が隅々にまでゆき届いた美文、和歌へ凝集させる物語の筋立てといい、厭味にならない泣かせオチといい、もうこれは職人芸の域だと思う。 お若いのに・・
不思議と自分は、姫たちよりも帝たちに思い入れを深くしたなぁ。 なぜだろうか・・ 暗愚というにはあまりに幼い陽成天皇、賢さを隠して生き抜く道を見出した清和天皇、菅原道真への屈折した想いを時平に利用される宇多天皇の弱さ・・ 久しぶりにガッツリ平安ものを読んでみたくなってきたー。


泥ぞつもりて
宮木 あや子
文藝春秋 2008-11 (単行本)
関連作品いろいろ

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夢の狩人 / ニール・ゲイマン
[副題:The sandman][夢枕獏 訳、小野耕世 監訳、天野喜孝 画]
「サンドマン」シリーズの特別企画もので、天野喜孝さんとのコラボが実現した絵物語です。 「もののけ姫」の英語版執筆に際して、日本の歴史や神話の本を読み漁ったというゲイマンが、平安の雅と闇の世界を妖しく美しく織り上げました。
なまめかしさが迸る絵に呑み込まれるように耽読。 聖と頽廃が混沌と香る感じが凄く好みです。
日本の昔話の古い英訳本の中から、サンドマンの世界観に非常に近しいものを感じたという「狐、僧と夢の都」なる一話に着目し、この物語を下敷きに語り直した作品なのだとか。(原典の原典はどの辺りにあるのかしらん? 今昔かなw)
小さな寺の若い僧と美しい雌狐の恋物語に、サンドマンとダークな陰陽師が介在してストーリーが練り込まれています。 異種恋愛譚は悲劇と相場が決まっているので、だいたい話は読めちゃうのですけど、もうそんなことは関係ないですね。
描写のきめ細やかさ、幻想美を浮き立たせる発想のセンス、確かな素養から繰り出されるジャパネスク・ホラーな演出の巧みさ、素晴らしかったです〜。 所々に西洋的モチーフがふと紛れ込んだり、訳が少しぎこちない(わざとなのかなー?)のも不思議と雰囲気を壊さない・・というより平安からほんの少し時空のずれたような独特なポジションが逆に幻夢的でそそられます。
サンドマンは“夢の世界の王”なので、古今東西、あらゆる人々の夢のかたちに合わせて自在に姿を変えることができるし、シリーズ通して様々なアーティストが絵を提供しているといいます。 わたしはコミックを読んでないんですけど、またこうして舞台が変わり絵が変わっても全然違和感ないんじゃないかな? 国や時代を超えて無限に広がりゆく可能性を秘めた要素って、物語の宝だなぁーって思いました。
夢枕獏さんが翻訳を手掛けられているのですが、やはり白羽の矢が立てられちゃったんでしょうかね^^ ご登場するのは晴明や道満とは似ても似つかぬ残念無念な陰陽師なんだけどね;; (道満は黒いけど残念ではない)
でも夢枕に獏が出てきますから・・ふふ。


夢の狩人 −The sandman−
ニール ゲイマン
インターブックス 2000-10 (単行本)
関連作品いろいろ

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源氏物語 巻七 / 瀬戸内寂聴 訳
「柏木」から「紅梅」まで。 源氏四十代後半から五十代前半。 「雲隠」と8年の空白を経て、孫世代が主役となる宇治十帖の序章へ。
やっと本編終了です。はぁ〜。 ホントにこの物語は女をなんだと思っとるんじゃいゴルルァと思う自分を抑えるのに難儀しました。 でもここは平安京なのですから。 これもひとえに現代人の感性にフィットするようなアレンジなど挟まず、瀬戸内さんが忠実に原文を訳しておられる賜物なのかしら。
柏木の“一途な情熱”もあまりに独り善がりで酷い男です。 彼は自分の死を引き換えにして読者から許してもらえたのでしょう。 死によって昇華され美化される柏木ですが、女三の宮からの返歌を読んで、死の床で歓喜するのが痛いです・・最後まで。 女三の宮は自分自身の哀れさを詠んだだけなのに・・
ちょw 夕霧ぃぃ! んもうー不器用なんだから。 本編ラストに差し掛かり、憂愁に包まれていく荘厳さの中で、悪目立ちったらないです。 中年にして恋に狂い咲く堅物親父と鬼嫁のホームドラマさながら。 なんで紫式部はこのストーリーをこんなところに差し挟んだんだ? センス良すぎw 後の帖で“月に15日ずつ、律儀に通い分けている”と、騒動の後日談がちゃんと書かれているのが笑いを誘います。 子沢山父ちゃん頑張れ〜。 やっぱりコメディだよw
夕霧は生真面目一方といわれますが、根っからそうだったのかな? とつい、考えてしまいます。 若い頃から源氏の君に抑圧され続けてきただけなのでは・・ お父さん、相当睨みを利かせてましたから。 “自分のようにはならないでもらいたい”などと息子のためを思っているかのような、もっともらしい事を云いながら、その実、六条の院周辺の女君たちに横恋慕されることを異様に警戒してましたし、息子が自分以上に“洗練された色男”になるのはプライドが許さなかったとしか思えないんですけど。 夕霧はその辺りを結構鋭敏に感じ取ってたと思う。 紫の上の死後、変わり果てた情けない姿の源氏の君を甲斐甲斐しく支える夕霧を見ていて、やっと精神が安定したように映ったくらいです。
あと印象深いのは、出家後の女三の宮が、いい女になってます。 頼りなく、あどけないばかりだったのが、背負ってしまった重さを精一杯受け止めているような、凛とした気高い美しさを宿しているのです。 紫の上を失って、悲嘆に為す術もなくなった源氏の君が、慰めて欲しくて女君たちの元を訪れるのですが、女三の宮は源氏の女々しい感傷に付き合いません。 案の定、源氏の君は心の中で紫の上と引き比べて女三の宮を軽蔑するんですが・・
結局、源氏の君が“世話をしてやっている”と思っている女人たちは、最後は源氏の君を置き去りにして、精神的な高みへと昇っていく。 そしてその人たちの慈悲の中で、源氏の君は生かされている。 けれどそのことには気付けない・・一生。 なんだかそんな物語だった気がします。 いや、どうだろう。 そこが瀬戸内訳の狙いだったのか?
意地悪な事、いっぱい書いてごめんね源氏;; せっかく読んでるんだから好きになれたらいいなぁーと思ってたんだけど・・ まだ自分には受け止めてあげられるだけの度量がないのだと思う。 もっと齢を重ねてから読んでみたい物語でもありますし、他の訳も気になります。 てか、まだ終わってないし。 宇治十帖は一休みしてからにしようかな・・
「柏木」「横笛」「鈴虫」「夕霧」「御法」「幻」「雲隠」「匂宮」「紅梅」
女三の宮、薫を出産ののち出家。死去した柏木の横笛を源氏が預かる。夕霧、女二の宮と結婚。紫の上の死を悲しみ源氏出家。源氏亡き後、元服した匂宮と薫の物語が始まる。


源氏物語 巻七
紫式部 著 / 瀬戸内 寂聴 訳
講談社 2007-07 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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源氏物語 巻六 / 瀬戸内寂聴 訳
「若菜 上」「若菜 下」。 源氏、三十代の終わりから四十代後半まで。 紫式部が並々ならぬ魂を込めて描いたといわれる帖に差し掛かりました。 第二部の幕開けと共に、悲劇のシーケンスへと雪崩れ込んでいくかのようで、一気に物語は重厚さを増して迫りくるのです。 源氏物語の真髄は若菜以降にあると言われるそうですが、今までの長い長い物語は、「若菜」のために存在していたんじゃないかって、読んでいると確かにそんな風に思えてきます。
源氏の君の手によって源氏好みの女性へと育て上げられた紫の上。 後ろ盾もなく、源氏の君の愛情に縋って生きることしか許されていない自身の寄る辺なさに、はたと気づいて立ち止まり、人生を振り返ってしまいました。 空っぽの人生を。 以降の紫の上は不幸です。 ひたすら不幸です。 源氏の君の他愛もない浮気心を敏感に察知して、可愛らしくヤキモチを焼いたり拗ねたりと、サービスを尽くして喜ばせる術を心得ている彼女が、ヤキモチを焼かなくなっていく過程が本当に哀れです。 気持ちを外に出せなくなって、深く暗い孤独の淵へと落ちていきます。 特筆すべきは、紫の上の身体に異変が起こるまで、源氏の君は全く兆候に気付かないこと。 表立っての仲睦まじさに変わりのない二人の、内面の温度差が素知らぬ風に描写されていて、なおいっそう胸を抉られます。
紫の上の心離れ、六条の御息所の消えない情念、そして、女三の宮と柏木の密通、裏切りは、そのまま延いては2人の父親である朱雀院と太政大臣(もとの頭の中将)にスライドして見えてくるようでもあり、長年に渡り溜めこまれた源氏への無意識の遺恨の結晶であるかのようにさえ感じられます。 また一方で、源氏自身と藤壺との過ちが二重写しに見えてくることは言うまでもありません。
“報い”という言葉を使っては安直に過ぎるのでしょうけれど、源氏の君に対する人々の許容量が、遂に目には見えない飽和点に達してしまったように映ってなりません。 人に痛みを強いてきた源氏の君の心は、明確な悪意を意識していない(つまり相手の痛みをわかっていない)だけに、残酷で罪深いものに思えるのです。 それをずっとずっと許してもらってきたのに、それなのに・・ 人の厚情、大きな赦しに甘えて生かされてきたことに、ここに来ても未だ気づくことができません。 心に余裕がある時は隠しおおせていた醜さが一気に顕在化して、源氏の君の人間像に暗翳が投じられていきます。 どこまでもどもまでも、自分の痛み、自分の哀しみしかわからない・・ “あなたのために”という言葉が虚しく響きます。 けれど源氏の君が決して特異な人間ではないということなのです。 自分自身の姿のように見えてくるのです。
「若菜 上」「若菜 下」
春、玉鬘が源氏の四十の賀に若菜を進上。朱雀院の愛娘女三の宮が六条の院の源氏に降嫁。明石の女御が3人の皇子を次々と出産。柏木が蹴鞠の日に女三の宮を垣間見て恋慕し、密通。冷泉帝が譲位し、明石の女御の第1皇子が東宮となる。朱雀院の五十の賀宴を催す。


源氏物語 巻六
紫式部 著 / 瀬戸内 寂聴 訳
講談社 2007-06 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
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源氏物語 巻五 / 瀬戸内寂聴 訳
「蛍」から「藤裏葉」まで。 源氏30代後半。 この巻は、モテモテ玉鬘と夕霧の青春といった感じで、少しばかり源氏の君は脇役的にもなってるのですが、さり気なく巧妙な手腕は至る所で発揮されていますし、光源氏の半生の大団円がとてもシンボリックに描かれている巻でもありました。
「藤裏葉」の帖で、遂に冷泉帝の実父として准太上天皇に上り詰め、この世は意のまま、並ぶ者なき栄華の頂点を極めます。 この帖を以って源氏物語は第一部の幕を下ろすのだそうです。
弘徽殿の女御(内大臣の娘)をさしおいての秋好中宮(源氏が後見人)の立后、雲居の雁(内大臣の手駒の姫)に横やりを入れる夕霧(源氏の息子)を苦々しく思っていたことから、しっくりいってなかった源氏の君と内大臣でしたが、玉鬘をめぐる縁が取り持つように、わだかまりも薄らいで和解へ向かいます。 お互い内心含むところはいろいろあるようですけれども。
それにしても玉鬘。 見目麗しい公達ばかりか帝にまで懸想され、求婚者が後を絶たずあんなに引く手数多だったのに、よりによって鬚黒の大将と結ばれてしまうなんて;; いや、鬚黒だって身分の申し分ない立派な殿方なんだけど・・ まぁでも、北の方とのイザコザ、結ばれてもなお釣れない玉鬘との間でアタフタする鬚黒の図は、読み物としてとても面白いです。
「野分」の帖で、妻戸の隙間から初めて垣間見た紫の上の美しさ、几帳の端をそっと引き上げて覗き見た玉鬘の華やかさに胸を撃ち抜かれてしまう夕霧も忘れ難い。 優艶で雅やかな情景が印象深いシーンなんですが、水を差すようなことを言ってしまうと、ギャグ漫画ならまさに鼻血の場面。 紫の上と源氏の君、玉鬘と源氏の君、それぞれの睦まじさ(はっきりいってイチャラブ)に中てられて、悶々とした想いに掻き乱され、そぞろに落ち着かない日々を送る夕霧くん・・ ガンバレ若者〜!
源氏譲りの美青年なのに、ちょっとばかり実直で地味ぃちゃんなところがまた可愛ゆいのですが、そんな夕霧も「藤裏葉」の帖では、仲を裂かれて七年越しの想い・・遂に幼き日の初恋を実らせて雲居の雁と結ばれます。 亡き大宮(2人を可愛がって育ててくれたお祖母様)の御殿を直して、そこを夫婦の新居にするなんて憎いですねぇ。 思い出深い御殿で、大宮を懐かしみながら、水も漏らさぬ仲の良さで語り合う2人が微笑ましいです。
また巻五では、末摘花、源典侍に続く笑われ部門担当で、近江の姫君が異彩(?)を放ってくれます。 おきゃんで明け透けなところが平安時代の姫としては思いっきりのDQNキャラなんですが、そんな姫に対して紫式部の筆はホント辛辣;; でも貴女のような女君がいてくれるから、源氏物語がなお生き生きと豊穣な魅力を湛えるのよ・・って言ってあげたくなってきます。
平安貴族って空気を吐くように嘘をつくし、通念を重んじる意識が強いので当然なのかもしれませんが、調和を乱す言動をモノ笑いの種にすることが下品ではないどころか、品位の証のように感じていたりしますから、時に洗練さの対極にあるような悪意のない純心さや素朴さが蔑みの対象になって、ちょっと毒々しいのです。 近江の姫君じゃないけど、おーコワ、おーコワ;;
源氏物語は、後宮に勤める女房が語り手となって聞き手(読者)に語りかけるような体裁をとっているのですが、この語り手が、源氏の君の多情さや気取りぶり、自惚れ気質に時々チクリと突っ込みを入れるんですよ。 瀬戸内さんの訳し方も上手いのだと思うのですが、わたしは源氏物語のそんなところが妙に好きです。
「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」「藤袴」「真木柱」「梅枝」「藤裏葉」
源氏たちの恋慕する玉鬘を手中にした鬚黒は、北の方に香炉の灰をかけられる。夕霧と雲居の雁が結婚。紫の上は、入内した明石の姫君の後見を、生母の明石の君に委ねる。


源氏物語 巻五
紫式部 著 / 瀬戸内 寂聴 訳
講談社 2007-05 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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源氏物語 巻四 / 瀬戸内寂聴 訳
「薄雲」から「胡蝶」まで。 三十代前半、脂の乗り切った源氏です。 着々と出世を遂げ、攻めの時期から一転し、どっしりと構えるかのような余裕が感じられ始めました。 この巻は、映像的に凄く美しい。 栄華の象徴となる壮麗な六条の院が完成し、春夏秋冬それぞれの御殿に、四季折々の風景が映えます。 絢爛たる饗宴や、女君たちへ贈る年賀の衣裳の品定めなど、優雅で華やかなシーンが満載。
葵の上が産んだ夕霧も元服し、一緒に育った従姉の雲居の雁との初々しい恋も描かれます。 夕霧は源氏の子供なのに、華々しさがまるでないのですよ。 雲居の雁の父君の内大臣(もとの頭の中将)に睨まれたり、源氏の君からもかなり突き放されてるし(お父さん、厳しい〜〜!)、可哀そうに・・ちょっと屈折気味かも;; 源氏の君は自分が自分だっただけに、夕霧のことは相当警戒してますね。 紫の上には絶対近づけませんから!
しかし意外にもこの巻の源氏の君はというと、梅壺の女御、朝顔の姫宮、玉鬘と立て続けに三人の女君に懸想しますが、拒まれ、想いを遂げることができません。 朝顔の姫宮はともかくも、梅壺の女御や玉鬘は娘同様。後見人の立場なんですからねぇ。 困ったことです。 “あえて苦労の種になる恋を直向きに思い詰める生憎な癖”は性懲りもなく発揮されています。 でも、一度縁を結んだ女君のことは、いつまでも面倒を見て、自分から見捨てることは決してしない・・というのが源氏の君の美質。 梅壺の女御と玉鬘にしても、それぞれ六条の御息所と夕顔の娘であるという深い縁が、彼の心の中にはずっと息衝いているのでしょう。 この巻では、むしろ紫の上をはじめ、長く取り持った深い絆をしっぽりと温めるような場面が多かった気がします。
明石の上は、源氏の子を身籠ることができましたし、長生きしますし、紫の上や葵の上を凌ぐ勝ち組のような手堅さを感じるんですが、彼女が存在感を発揮するのは「薄雲」の帖の序盤に描かれる子別れの場面に尽きるような気がしてしまいます。 それまでは、受領の娘というコンプレックスとは裏腹に、非の打ちどころのない態度が身についてしまっている者の愁いというか・・その狭間に揺らぐような気の滅入り方をしてたんですが、紫の上に幼い姫君を託してからは、哀しみの純度がまるで違うような印象です。 娘と離れ離れになってしまった寂しさに堪える明石の上には、美しさと気高さが深く香ります。 「初音」の帖の中で、娘君から届いた母を慕う鶯の歌が嬉しくて、因んだ古歌や自作の返歌を独り、紙に書き散らしていたものを源氏の君が見つけて微笑む場面が好きです。
それにしても、あっちのご機嫌をとり結び、こっちをなだめすかし・・マメマメしいことこの上ないです。 この御仁。 それぞれの女君に対して、少しずつ愛情の種類は違うんだけど、手抜きをすることも一切せず、細やかな気配りをし続ける姿には・・やっぱりある種の美徳のようなものを感じざるを得なくなってきてます。 質・量ともに半端ない底なしの愛情の泉を宿命のように宿している人なんでしょうね・・ あ〜これはもう、まんまと物語の思うツボですねぇ;;
「薄雲」「朝顔」「乙女」「玉鬘」「初音」「胡蝶」
明石の君と姫君の別れ、藤壺の宮の崩御。冷泉帝の出生の秘密漏洩。朝顔の姫宮が源氏の求愛を拒否。夕霧が雲居の雁と初恋、大学入学、惟光の娘に懸想。壮大な六条の院に夕顔の娘玉鬘と女君たちを住まわせ、衣装を配り、正月に訪ねる。


源氏物語 巻四
紫式部 著 / 瀬戸内 寂聴 訳
講談社 2007-04 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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源氏物語 巻三 / 瀬戸内寂聴 訳
「須磨」から「松風」まで。 20代後半から30代始めの源氏。 須磨・明石への配流という貴種流離譚と、華々しい政界での復権が描かれます。 謹慎の身がよほど屈辱だったのか、返り咲いてからは権力志向が強まっている感があり、更なる栄華を求めて着々と足場を固めつつあるかのようです。 失脚した源氏の君から人々は離れ、みんな保身に立ち回るばかりの中、寂れた須磨の地へ慰問に訪れてくれたり、女君をめぐって切磋琢磨(?)してきた盟友である頭の中将でしたが、舞台を政治の場に変えての権力争いに引きずり込んでしまいますし、気の弱い朱雀院をはじめ、自分を陥れたり、蔑ろにした人々へのしたたな復讐心も窺えます。
一方で、十代の頃のような無茶は治まったものの、一筋縄ではいかない恋に萌え〜な性分は相変わらず。 ホントこの人は、“メンドクサイ恋”が大好きなんです。 素人好きタイプよねぇーと思っていたら、遊女の流し目などには全く興が乗らない・・みたいなことを何処かでぼやいてて笑ってしまいました。
「蓬生」の帖は、末摘花のちょっとしたシンデレラストーリー。 解り易くて素直に好きです。 でも末摘花の健気さや芯の強さ、それに感動する源氏・・という美しい構図とは若干違う気も。 自分の娘の侍女にさせようと企む叔母の下心なんかに、末摘花は気づいてもいなかったように思えるし、ただひたすら全く違う環境に身を置くことが死ぬより怖かっただけなんじゃなかろうか。 結果的に臆病さの勝利といった感じがします。 源氏の君にしても、あまりの愚直さがいじましく思えたんだと思うし、さらに言えば荒れ尽くされた廃屋に籠るかつての愛人という、“普通ではない数奇なシチュエーション”に酔っちゃったんじゃ・・;; でも、たとえそうであったとしても結果オーライでよかったね、末摘花。 そして気持ちは残っていないのに、ここまで出来るってなんか凄いよ源氏・・と、妙な感動が湧いてくるのでした。
空蝉との再会を描いた掌編「関屋」でも、空蝉はロマンチックに溺れないんだよなぁーと改めて思った。 他の女君たち同様、確かに行動と感情との狭間で煩悶してはいるんだけれど、行動が意志的なので、なよなよめそめそ感が殆どないという、平安人にしては捌けてるというか、クールというか・・物語中で稀有な存在感がある。 老夫の死後、継息子に色目を使われたり、相変わらず言い寄ってくる源氏の君との駆け引きなど、鬱陶しい浮世に身を置くことを嫌ってスパっと出家しちゃう。 そうすることによって、逆に源氏の君の心に自分の面影を強く残せることを知っていたから・・ わたしはそこまで正確に思い至れてなかったんだけど、巻末を読んで、空蝉の計算高さを勘定に入れる瀬戸内さんの解釈に納得。 空蝉の醸し出すどこか知的で実利的な雰囲気は、やはりそれだけの内面性があってこそなんだと思いました。
「須磨」「明石」「澪標」「蓬生」「関屋」「絵合」「松風」
光源氏、須磨に謫居。宰相の中将(もとの頭の中将)の慰問を受ける。暴風雨のあと、明石の入道に迎えられ、その娘明石の君が懐妊。都に戻り、女君たちと再会。六条の御息所の遺児前斎宮が冷泉帝に入内。明石の君と娘を大堰に迎える。


源氏物語 巻三
紫式部 著 / 瀬戸内 寂聴 訳
講談社 2007-03 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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源氏物語 巻二 / 瀬戸内寂聴 訳
「末摘花」から「花散里」まで。 源氏十代の終わりから二十代前半までを追った巻二では、一段と物語に奥行きと広がりが生まれています。
六条の御息所の情念、葵の上の死、紫の上との初枕を描いた「葵」、六条の御息所との別離、藤壺の出家、朧月夜との情事の露見を描いた「榊」に至って俄然惹き込まれます。 女君たちの描き方が神懸かってるくらい凄い。 ことさらに内面を描かないんですけれど、だからこそ、行間から溢れ出てくる情趣で充ち満ちている感じ。
病床の葵の上が、院の御所へ出かける源氏の君をいつにない熱い瞳で見つめる・・彼女の内面を感じさせる描写はここだけなんですが、想いが集約されていて胸が詰まります。 最後の最後に信頼できてよかったねって、読んでいて熱いものが込み上げてきます。
若紫が源氏好みの女性に育っていく移り変わりや、若紫から紫の上になった日の乙女の恥じらいなど、全く露骨な書き方はしないのに、研ぎますされた文章の中に艶めかしさが息衝いています。 その朝、起きてこない若紫。 引き被った夜着を無理やり捲ると前髪を汗でびっしょり濡らしていた・・というような描写があるんですが、これ凄すぎます!
自分は誰からも咎められないという安心感の上で、自惚れ道を邁進していく源氏の君ですが、父帝の崩御によって、その基盤が揺らいで威光に陰りが見え始める件もダイナミックかつ繊細に描かれていきます。 足元を掬われることを恐れ、身を呈して我が子(不義の東宮)を守るべく、断腸の想いで源氏の君を拒む藤壺、拒まれ拗ねる源氏の君・・ 政敵である右大臣側の姫君の朧月夜との大胆な密会や見つかった時のふてぶてしさなど、ちょっと棄てばち気味になっているかの如き心の荒れ模様が見え隠れするようです。 結局この事件で足元を掬われてしまうのですが、藤壺(の行動)との対照性を感じずにはいられません。
そんな中で、末摘花や源典侍とのエピソードは、深遠さを増していく展開とはまた少し違ったコミカルな興趣を添えてくれるのですが、正直、現代人(というか、単にわたしだけ?)の感覚からすると、悪ふざけが辛辣過ぎて、ちょっと引いてしまうんですよね。 人を蔑むところには、どこかさもしい気配が漂います・・ 瀬戸内さんも解説でチラっと述べられていたんですが、むしろ末摘花の、天然というかKYというか・・野暮ったさにも醜さにもコンプレックスを感じる世間擦れもないくらい、ある意味清らか過ぎるところにお姫様チックな真の貴族性が漂うような気がしてくるんです。 そういう意味では、源氏の君こそ物語の中で誰よりも俗物ようにも思える。 すっごく人間臭いです。 またそこが魅力にもなるわけです。
あと、個人的には、葵の上の葬儀が終って、源氏の君が左大臣邸を去る場面が無性に切ないです。 見送る舅の左大臣の消沈した佇まいが涙を誘います。 普通ならば、東宮に一人娘を嫁がせることを最優先で考えるだろうに、東宮には見向きもしないで、迷うことなく源氏の君に妻合わせ、夫婦の不和に気を揉みながらも、甲斐甲斐しく娘婿の面倒をみて、心を砕いて引き立ててきて、さぁこれからって時に娘が死んでしまって、源氏の君を恨んでもいいくらいなのに・・ 心底惚れ込んでしまったんでしょうね。 性格は、大していいとも思えないんだけど(ごめんね。源氏w)、美しさが人をこんなにも惹きつけて離さないというのでしょうか。
前半の山場ともいえそうな「葵」と「榊」の帖で、物語のうねりに圧倒された後に、ふっと気持ちを平らかにさせる掌編の「花散里」の、どこか静謐さを湛えた筆さばきも見事です。
「末摘花」「紅葉賀」「花宴」「葵」「榊」「花散里」
光源氏の不倫の皇子を生んだ藤壼の女御の出家、兄朱雀帝の寵愛する朧月夜との密会の露見、物の怪となって葵の上に取り憑いて死なせた六条の御息所との別離、若紫との新枕と花散里との淡い恋など五十四帖の骨子となる場面が展開。


源氏物語 巻二
紫式部 著 / 瀬戸内 寂聴 訳
講談社 2007-02 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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源氏物語 巻一 / 瀬戸内寂聴 訳
源氏物語の全訳を読むのは初めてなんです。 興味はずっと持ち続けてたんですが難しいのかなぁ〜という先入観が抜けず、翻案や解説本から入ってしまったクチです。 そのうちもう今更読まなくても・・なんて気分になっちゃって。 完全に順番間違えてるんですけど;; 何気にふと気持ちが動いたので、もう勢いで取っ掛かりました。
で、誰の訳を読んでいいかがまるでわかりません。 とりあえず(などと言っては失礼なんですが)最近の瀬戸内訳で。 ちょっと調べてみると、瀬戸内訳は原典に忠実との評価っぽい? で合ってるかどうかも分からないくらい無知なんで、初めて読むにあたり、あまり訳者のカラーが出てない方が望ましいかなぁと思いつつ。 そしてやはり文章そのものが現代人には非常に読み易いとの声も。
巻一は「桐壺」から「若紫」まで。 いやもう、源氏く〜ん! こんな人でしたっけ? というのが素直な感想。 色ボケっぷり、自惚れっぷり、なよなよっぷり、そんでもって世間体気にし過ぎ!! ステキ^^; 笑う場面ではないんだろうけど(多分・・絶対・・)、ちょっとこれ半分喜劇なんじゃないの?と思えしまう。 読み方完全に間違えてる(モロ現代人の感覚で読んだらアカン)のは承知なんですが、まだ入り込めるまでには至ってないかもな感じ。 源氏の君が引き起こす恋愛事件のイザコザは、困難な恋にしか情熱が湧かないという持って生まれた因果な性癖に由来する・・なんて。 お気の毒。 でも憎めないというか何というか;; まぁ、あくまで巻一は十代の旺盛かつ奔放な情熱の発露が生き生きと伝わってきたという感じでしょうか。
第二帖「帚木」、第三帖「空蝉」、第四帖「夕顔」の三篇は、後から枝葉的に付け加えられたのではないかという説があると聞いたことがあるんですが、こうして読んでみると妙に納得してしまいそうです。 「帚木」の前半の有名な場面“雨夜の品定め”は、続く「空蝉」と「夕顔」への確かな伏線となっているし、明らかにこの三篇で一つの物語が完結しているのがかわります。 すると本筋は「桐壺」から「若紫」へと連なるわけなんですが、そう考えると、これもやはり、なにかこう・・空白があるような印象を受けてしまうのです。 藤壺との初めての契りという肝心の場面がどうして抜けてるんだろう・・と。 解説本を先に読んでしまっている悪影響なんですが、ここでわたしの頭には「かがやく日の宮」という幻の帖の存在がちらついてしまいます。 でも結局は過去に存在していたにしろ、していないにしろ、現在存在していないのですから、“行間に神経を注ぎ、物語の髄を味わい尽くしたいと願う気持ち”で読めたらいいなぁと。 その気持ちが何ら変わるわけではありません。 そこは「雲隠」と同様です。
印象的な場面もたくさんありました。 廃家での逢瀬で、源氏の君が勿体振って初めて面を取って素顔を見せた時、夕顔がちらっと横眼遣いに源氏の君を見るんですが、彼女この時、すっごくときめいたんじゃないかと感じるんですよ。 その幸せな動揺が、心にもないことをぶつけてしまう歌の底にあるような気がして・・このシーン、凄く好きでした。
あと、本筋じゃないんですけど、六条の御息所のもとから朝帰りをする時に、美しい侍女に見送られるんですが、案の定、源氏の君はふらふらと心を動かされてしまうんです。 この時侍女は、女主人を立てて、やんわりとした毅然さで対峙し、動揺を見せません。 なんかこう・・高潔な感じがしました。 「夕顔」の帖では、艶っぽく、しかもうら寂しげな情景が多くて、和歌も夕顔にちなんだものがたくさん出てくるんですが、この場面、ここだけが朝顔なんですよね。 朝露の滴るきらきらした庭の風景と重なり合って、夕顔とのコントラストが不思議と印象深いシーンでした。
「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」
光源氏の誕生から若紫との出逢いまでの物語。桐壺帝と更衣の間に光源氏の誕生。3歳で死別した母更衣に似た藤壺の宮への憧れ。葵の上との結婚。空蝉、軒端の荻との契り。夕顔との出会と死別。若紫との出会。


源氏物語 巻一
紫式部 著 / 瀬戸内 寂聴 訳
講談社 2007-01 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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竹取物語 / 上坂信男 訳
「源氏物語」に、“物語の出で来はじめの祖”と位置づけられた「竹取物語」。 成立は9世紀後半から10世紀前半。 作者は未詳。 本書は、現存する古写本の一つ“吉田博士蔵本”の注釈付き全訳版。
「竹取物語」がどのような作品か、これまでなされた多くの論及の結果として、21通りもの性格が序文で紹介されていてびっくり。 しかし、どうもあまりピンと来なかった;; 自分にとって一番近いのは(どれかっていったら)7番目の“成人向芸術童話”辺りかなぁ。
徹頭徹尾、俗と超俗の、地上と天上の対比で構成され、物語られていたんですね。 訳者さんはそこに“幼き人”と“大人しき人”との対比という観点を強く投影し、現実の渦中であくせくしている人々に、真の価値ある生き方の回復を訴えかける寓話として捉えることを奨励しています。 確かに世俗的な欲求と超俗への憧憬が葛藤する物語ではあったんだけど、なんていうか・・ 教訓は挟まず、優劣も善悪も超えて、ただ目に映る対比だけを見つめた時、深い感銘に到達できる心地がした・・かも。
自分は “宿運の物語”として読んだというのが一番近かったかな。 大切に育てた女の子が、娘盛りで死んでしまった時、もし父親に文才があったら書きたくなる(そして慰めを得たくなる)だろう寓話に思えてならないのだよなぁ。 罪によって下生した者が、時を経て罪を許されるという、根っこは輪廻転生の仏教思想なのかもしれないけど、宇宙からやってきて地上で仮初めの命を生き、また宇宙へ還るという、もう普通に自然科学の死生観として、どうしようもなく沁み込んでくるものがあって。
かぐや姫は人間的俗情と相容れない存在なのだけど、翁が示す子供への愛情と、帝が示す恋情の中の、我が身を省みない無心の成分だけが人の持ち得る超俗さのポテンシャルのように描かれていたこと、訳者さんのナビゲートによって理解を深めました。 地上と天上、あるいは生と死の間には侵すことのできない理がある。 だからこそ翁と帝が辛うじて許されたかぐや姫とのささやかな交感が、どんなに特別なものだったか・・と思うのです。 ラスト、不老不死の妙薬を手渡されながら、それを飲まなかった翁と帝の行為に、自分は不思議とカタルシスを得ました。 大きな定めの中に生きていることを感じてしまう何か。
来迎引摂のイメージが繰り広げられる終局のスペクタクルは、眼裏に残るような映像美。 それと初めて知ったんですが、5人の貴公子の求婚失敗譚には、それぞれ諺の起源説明(風)に掛けことば(ダジャレ?)を用いたオチがついてるんだね^^ 物語全体の締めまでも兵士(ふぇいし)≒不死(ふし)≒富士(ふじ)。 で、富士山の山名秘話になってるという。 ここに一番日本人の心を感じた・・orz だからダジャレを侮るなってあれほど! 好きw


竹取物語
上坂 信男 訳
講談社 1978-09 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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