小村雪岱 / 星川清司
小村雪岱 物語る意匠」を読んで雪岱をもっと知りたくなり探してみたら、星川清司さんがお書きになっていたので嬉しくて飛びつきました。 小説なのかと思ったら違かった。 評伝と言えなくもないがそれも微妙に違う。 雪岱が生まれた明治中期から没する昭和初期までの時好を振り返りながら、雪岱とその周辺の人々の面影を訪ね、えにしの糸を手繰り、文運盛んな過ぎし日の東京を懐かしく垣間見るような・・ 文化風俗史を見わたす読み物なのですが、そこはかとなく迸る余情に導かれるまま、肌の下に籠り疼くがごとき時代の熱へと心を繋げたひとときでありました。
俯瞰した視線で言葉の向こうにあるものを捉え、風情をつかんで真髄を描破しようとする作者の姿勢は、何かしら小村雪岱その人を想起させるものがあったかもしれない。 同時代の文人らが遺した随筆等から拾い集めた先人たちの言葉を点綴し、寄せ集め細工のように多声的に織り上げていく筆致。 そこには精神風土がありのまま活字として封じ込められており、歳月の輪郭が濃密に留められているのです。
河岸の並び蔵、枝垂れる柳、駒下駄ならして芸者が現れそうな細い路地、夢が巣ごもる掛行燈、のどかな黒板塀、小暗い家の奥できこえる三味線の音〆・・ 日本橋檜物町の仕舞た屋で暮らした画学生時代に、身に沁みついた花街の静寂な情趣。 感情表現の起伏を抑えた潔い線描と機知ある構図の狭間に、繊細な詩情と物語の余韻を響かせる雪岱の画風の原風景がここにあり、それは後に泉鏡花の文学世界を絵で表したと評される装幀の中に昇華されます。 小説作者と装幀画家の幸福な出会いを果たす鏡花と雪岱の、互いにそれといわぬままの師弟同然の間柄は生涯にわたり続きました。
鏡花と深交を結ぶ鏑木清方、水上瀧太郎、里見とん、久保田万太郎らと鏡花を囲んで集う“九九九会”、13代目守田勘彌や6代目尾上菊五郎に請われ手がけていく歌舞伎の舞台美術、挿絵画家としての雪岱を開花させた売れっ子時代風俗作家・邦枝完二の新聞連載小説「おせん」、第1回直木賞を受賞した川口松太郎とその朋友で昭和の挿絵の第一人者だった岩田専太郎らの動向、大スター花柳章太郎の衣装考証をはじめとする新派のための舞台や映画美術、鏡花の後を追うように54歳で急逝する直前の仕事となった林房雄の新聞連載小説「西郷隆盛」第86回目の挿絵・・
この世にありえないような美しさへの感興が造り出すロマン。 その底に押し込まれ逼塞する漠とした翳り。 近代という一時代の薫香をどこかに具現しつつ、色褪せぬ存在感を遺した不世出の名人の生涯に想いを馳せ、また吐息まじりに作品集を繰ってしまいそうです。


小村雪岱
星川 清司
平凡社 1996-01 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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北神伝綺 / 大塚英志 + 森美夏
大塚英志さんの同名の小説を森美夏さんの作画でコミカライズした作品。 民俗学の始祖である柳田國男のダークサイド的な物語でもありました。 昭和初期、国粋主義が勢いを増す中、柳田が切り捨てた裏の民俗学領域を引き受けた異端の“邪学者”が見つめた正史の闇。 かつて柳田が提唱した、日本の先住民の末裔である“山人”をめぐり展開される伝奇&歴史ミステリ。
宮沢賢治の15冊目の手帳、北一輝の霊告日記の原本、伊藤晴雨の責め絵と竹久夢二の抒情画のモデルを同時期にこなしたというお葉の怨霊、甘粕正彦と李香蘭秘話などなど、あっ、乱歩も登場します。 でもやはり、国家と自説の間で自己矛盾に陥っていたであろう柳田國男の懊悩とは如何ばかりだったか・・というところに一番気持ちが残りました。 島崎藤村の“椰子の実”の一節が、柳田の心情と響き合うようで、著者の柳田に対する幾ばくかの愛惜が込められているように感じられ、熱いものが込み上げたり。 賢治や夢二が時代に抗うように、ひっそり逝ってしまうのと、なんとも言えないコントラストをなしていて・・
著者は本書の主題を“国家の歴史への違和の表明”と言明しているとおり、大和民族による選民思想を強める大日本帝国で、勝者の歴史として捏造された正史の裏で、歪められ、抹殺されていったもう一つの歴史を明るみにしていく趣向で、とても興味深かったですし、力によって築かれた歴史にメスを入れる話は好きです。
異様な熱に浮かされた時代の暗黒面がざわさわと押し寄せ、脳裏に絡まり付いて離れないです。森美夏さんの絵が凄烈なのもあるかな。 銀座界隈を中心に昭和の消費文化が華開き、女学生たちが清く正しく美しく生きていた「街の灯」や「俳風三麗花」と同じ時代ですもんね・・ なんと陰影の濃い時代だろう。


北神伝綺 上北神伝綺 下
大塚英志 + 森美夏
角川書店 2004-09 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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告白 / 町田康
初町田さん。 明治中期に河内の水分村にて、城戸熊太郎と谷弥五郎が引き起こした惨殺事件は、河内音頭のスタンダードナンバー「河内十人斬り」のモデルとなって、任侠ヒーロー伝説のように唄い継がれているという。 この事件に至るまでの熊太郎の生き様を内面から執拗に追っていく道程がこの小説。 ところが町田さんの手にかかった熊太郎は、アンチヒーロー、アンチ任侠の申し子のようで、アホ臭くて切実で痛くて哀しい、ダメダメ熊太郎。
極度に思弁的な熊太郎は、思ったことを言葉に変換できずに発散できない自意識を常に頭の中で捏ね繰り回している。 他人の視線を意識し過ぎて自分を取り繕おうとすればするほど益々思弁に毒され、思いと行動と言葉とがどんどんチグハグになっていく。 うぅ・・身につまされるなぁ。 これって現代の若者が少なからず苦しんでいることではないのか? でも熊太郎の場合は、明け透けで朴直な河内の百姓文化の中で、たった独りで社会と繋がれない孤独を背負ってしまっている。 そんな熊太郎が、曲がりなりにも彼なりに死ぬまで社会と係わって生きようともがき続けた克明な記録、破滅へ突き進む負の連鎖のドツボが描かれていくわけなのだけれど、町田節とはこれかぁー! と体感しました。 疾走感と脱力感、洗練された表現と俗っぽい言い回し、反復するビートのような怒涛のリズムは土着的な空気と絡み合い、根源的で猥雑なエネルギーがぶつかり合うような奔放さを漲らせている。 なのにそこに描かれる熊太郎の途方もない閉塞感といったら・・ 読み出したら止まらない強烈なリーダビリティ。 ズブズブと小説の中に埋もれていきました。
ところで、葛木ドールと葛木モヘア兄弟が、完璧頭の中に居座ってます;; 正味の節ちゃんと合羽の清やんも飛び交ってます;; 恐るべきネーミング。 ていうか、描いてしまうんですよ。 ドールやモヘアの顔をね。 ベンと紙があるとつい。 つつっと手が動いて。 どうにかして欲しい・・正味。


告白
町田 康
中央公論新社 2008-02 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
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鏡花幻想 / 竹田真砂子
鏡花作品はもっと読みたいと思いつつも、文語調(?)に立ち向かう勇気が持てずにもじもじしている;; そんなわけで代償行動に走ってみた。 本書は泉鏡花の評伝小説。 恋女房すゞの目線で物語られる、鏡花とすゞ二人三脚の後半生。
近代以前の日本の美を近代以後に繋いでくれた作家さんだよなぁと、しみじみ思う。 ヨーロッパから発信された自然主義の台頭とともに、日本の文学界もまた、前時代的なものを執拗に排斥しようとしていた時期に、その矢面に立たされながら、よく孤軍奮闘してくれたなぁと。 実際には前時代的な“文学”なのではなく、江戸の“様式美”を受け継いだだけなのだけど、時流に乗らない鏡花の描く孤高の作品世界は、攻撃するのに都合がよかったのだという。 でもその一方では“鏡花宗の信者”とまでいわれた熱狂的な愛読者たちに支えられてもいたようで、そりゃそうだろうと思う。
鏡花の逸話の多さは薄っすらと聞きかじってはいたけれど、これほどまでとは(笑) 潔癖症に幻覚、思い込みの激しさといい、傍から見ればずいぶん危なっかしく手のかかる御仁であった様子。 登場人物に著者が言わせていたように、元来の気質的なものだったのか、それとも作品のために自分で自分を追い込んでいったのかはわからない。 でも、主観として広がる世界を完全に信じ切った生き方というのは、ある種、非凡な人の業のような気もする。 自分に見えるものだけでは不安なので、客観的な目線を常に意識していないといられないのが一般人だろうけど、人によって事実は幾らでも違う形に映ってしまうんだから、自分に見えた事実をとことん掘り下げて、それを世に問うというのは芸術や文学を志す者の本懐かもしれない。
当時流行りの“自由恋愛”のような形で結ばれた、江戸っ子芸者と神経質な文士の巡り合わせは、それこそ神仏のご加護だったんじゃないかと思えてくるほど、互いの鋳型がぴったりと嵌ったよう。 というよりも、自分の型に合うようにお互いを育てていったようにすら映る。 すゞが鏡花を支える献身的な姿があまりに印象的なんだけれど、すゞは尽くすことによって尽くされてるっていうか・・ここまで完璧に依存し合える姿というのは、いっそ潔い。
竹田さんを読むのは2作目。 この方の筆というのは、やっぱり好みだわーとまたしても思った。 登場人物にベタベタしないし、かといって突き放すわけでもなく、程よい距離感で見守られながら、人物が独りでに動き出すようなしなやかさが心地よい。


鏡花幻想
竹田 真砂子
講談社 1994-09 (文庫)
竹田真砂子さんの作品いろいろ
★★★
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小美代姐さん花乱万丈 / 群ようこ
激動の昭和を生き抜いた浅草の売れっ子芸者、小美代姐さんの一代記。 小美代姐さんは、群ようこさんの三味線のお師匠さんらしいです。 どんな語り部だったんだろうなぁ〜なんて想像してしまいます。 お話を聞きながら、お師匠さんの評伝小説を書きたくてウズウズしてしまう群さんの心境にまで、想いを馳せてしまいました。
この時期の花柳界の物語というと、最近読んだ「さゆり」を思い出すのですが、あちらは、しっとりはんなりとした風情のある祇園の芸鼓さんの物語でした。 こちらは小粋な江戸前です。 好対照♪
ちゃっかり者の小美代姐さん。 強くて逞しくて、そして可愛い。 右手の障害、東京大空襲、悲恋、夫の死、借金・・一歩違えばじっとりと重量感のある苦労話に仕上がりそうだけれど、ちっとも湿っぽくなくて、 哀しみさえもカラっとしていて、そんなところがなぜか余計に沁みるのです。 転んでもタダじゃ起きない底力、物怖じしない切符の良さ、人の心をほぐし、決して嫌な気持ちにさせない芸者魂を支える温もり、そんな陽性気質を下敷きにしたお座敷でのエピソードや人生のこぼれ話に、クスクス笑って、ケラケラ笑って、油断してるとほろほろっとやられてしまいます。 平らかな気持ちにさせてくれる自然体の大らかさが、惚れ惚れするほど恰好いいのです。
最後、後半生が駆け足だったなぁというのが非常に惜しまれるのですが、「小美代姐さん愛縁奇縁」という続編(?)が出ているようで、その辺りを補ってくれているのでしょうか・・読まなくては!


小美代姐さん花乱万丈
群 ようこ
集英社 2005-12 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
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一葉の口紅 曙のリボン / 群ようこ
決してヒロインのように描いていないので、わたしにはそこが逆に気持ちがよかったし、樋口一葉という明治の一女性の短い生涯を冷静に傍観できたともいえそうな一冊。(感情移入したい人にはあまりお勧めできないかも;;)
自尊心とその裏に張り付く劣等感に苛まれ続けている姿ばかりが印象的。 何をするにも士族であったというプライドがついてまわったようで、そんなもの捨ててしまえば楽だろうに・・と思うのだがそれができないのが明治初期の女性だったんだろうか。 労働蔑視といわれてしまうのも働くことそのものというよりは、サービスを提供するという感覚がどうにも肌に合わなかったのかもしれない。 才能があることと幸せな一生とが必ずしもイコールで結ばれないのは、古今東西周知の事実とはいえ、自らみすみすどん底貧乏に陥って、しなくて済む苦労をしているように見えてしまうのは、やっぱり現代人の発想なのか。
本書の一葉は一貫して小説を書くことを楽しんでいない。 お金のために身を削るように書いている。 金策や他人への嫉妬や慢性の肩こりと頭痛で常に気持ちはいっぱいいっぱい。 作品が評価されても、この程度のものでチヤホヤされて、自分は馬鹿にされているくらいの勢いで憮然としているってどんだけ〜。 でも読み終えるころには、そんな一葉がなんだか少しだけ愛おしくもなった。
でも、薄々は気付いていたが(あとがきによれば)群さんは樋口一葉が好きではないらしい。 ならなんで伝記なんか書く? 今度は一葉を好きな人が書いた一葉を読んでみたい。


一葉の口紅 曙のリボン
群 ようこ
筑摩書房 1999-12 (文庫)
“樋口一葉”関連本
★★
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