謎のあの店 1 / 松本英子
近寄りがたい空気、来るものを選ぶディープな気配を発散させている“怪しい店”二十軒の敷居をまたいで、その謎めく佇まいの内側をレポートする実録コミックエッセイ。 東京下町の街角や路地裏や古い商店街を中心に、時には銀座界隈や温泉地や地方の田舎町などを交えつつの、昭和レトロ趣味満載なテイスティングに大変興をそそられました。 的確な観察眼で細大漏らさず描写された店の内観や街の景観を舐めるように観賞しつつ、ひと時のノスタルジックなトリップ感に浸り、上々の気分です。
柳原商店街、立石仲見世、浅草観音温泉、銀座青汁スタンド、立岩バーガー、ドイツビアレストラン・ゲルマニア、鷹匠茶屋、鉄オタの集う立ち呑みバー・キハなど、有名スポットの通な楽しみ方系や、噂に名高いマニアックな店への潜入系も面白くないわけじゃないんだけど、そういった世間の興味に応えるリサーチ趣向よりも、追憶と分かち難く結びついた超プライベート領域の、特別な私だけの感溢れる名も無き(比喩です)店に積年の思いを成就させるべく、意を決して踏み入る生活圏内に密着した話の方が好みでした。
そこだけ時が止まっているかのような・・ 営業しているのかさえ定かでないほど鄙びた外観。 しかし醸し出す雰囲気がなぜか気になって仕方ない店のあれこれ。 そういう店っていざ入ってみたら不思議のヴェールがすっかり剥ぎ取られて、拍子抜けするくらいどーってことなかったり、残念感よりの気持ちに押し寄せられるのが関の山だったりするものなのだけど、そんなところもひっくるめて素敵なのだ。 というのは、行動によって得たどんな結果も楽しんでしまおうとする著者の心意気が、この本の隅々にまで行き渡っているからに違いなく、白茶けた感慨が一つの“物語”になってしまうだけの強度を有し、そこに捨てがたい風情が生まれているからに他ならず。 店主さんとの束の間のとるに足りない交感が淡くて濃密で。 ほっこりと、しっぽりと、きゅんと、クスクスっとさせてもらったり。 自分の記憶を引っ張り出して二、三軒の店を思い浮かべずにはいられなくなるんじゃないかな。 今はもうない懐かしいあの店やこの店までも・・
ケーキ屋、美容室、占い屋、レストラン、旅館、小料理屋、ラーメン屋辺りの回がマイベスト。 特にお気に入りは「あのレストラン」。 上質な掌篇のように読ませる作品で、甘やかな痛みにまだ心が疼いています。
しかしほんと、松本英子さんは男前なチャレンジャーですわ^^; 自分なんかそもそも行動派じゃないし、どうしようもないビビリだから絶対ムリで、一回きりの人生、どんだけ損してるんかなぁーって、こういう無駄な情熱(の満喫っぷり)に触れると遣る瀬ない憧憬と嫉妬で身悶えしてしまいます。 この二十軒の中で自分がなんとか入れそうな気がしないでもないのは青汁屋と喫茶店くらいか;; 一人となるとどちらもムリかもわからん。


謎のあの店 1
松本 英子
朝日新聞出版 2012-08 (単行本)
関連作品いろいろ

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英国メイド マーガレットの回想 / マーガレット・パウエル
[村上リコ 訳] リアルメイドさんだった著者の回想記。 今日では、家事使用人史の重要な資料にもなっているらしい。 ロマンス小説のようなお話ではありません^^; 刊行は1968年、原題でもある“below stairs”とは、薄暗い穴倉のような地下階を生活の場とする“使用人たち”の代名詞で、あらゆるものが贅沢で快適な生活ぶりを反映した地上階に暮らす“主人たち”を意味する“upstairs”と対を成して使われる言葉なのだとか。
二十世紀初頭、ロンドンを南に下った海辺の町ホーヴで、貧しい労働者階級の長女に生まれ育ち、裕福な家庭の家事使用人として働き先を転々としながら、キッチンメイドからコックへとキャリアを積んで、やがて結婚して家庭を持ち、来し方を見つめ直す機会を得ることになる著者の半生が、主に使用人生活の遍歴を中心に語られていて、ちょっとしたメイド論といってもいいくらい、自身の行動や思考を通して、心理的、社会的真実を考察しています。
著者が住み込みの家事使用人として過ごした青春期は、大よそ第一次大戦から第二次大戦の間の時期。 第二次大戦後、政治制度、社会制度が劇的な変化を遂げて、教育レベルが底上げされたり、報道の自由が浸透したりするまでにはまだ遠い一時代ではあるのですが、それでも、使用人待遇が少しずつ改善され始めるのと反比例するように黄昏ていく上流階級の様子など、緩やかな変化の兆しを興味深く読みました。 実際、最初と最後では“必要悪の劣等人種、影法師”から“交渉相手、一家の構成員”ほどにも違いがあったのですから。
彼女にとって、仕事はその時々の生計を立てる手段に過ぎず、この境遇を抜け出すために自分に相応の結婚相手を見つけることをきっぱりと目標に定めていて、ブレがないところが天晴れ。 きっと無理だろうなぁ・・わたしは。 甘い誘惑に落ちていった夢見がちなメイドや、化石のようになった老メイドたちに、むしろ感情移入しつつ読んでしまう節がありました;;
多かれ少なかれ後付けの判断もあるでしょうが、身分の差とは“そういうもの”だった時代にあって、社会の価値観に甘んじることなく、人の尊厳を根本から見つめていたようなところのある女の子なんです。 それって知識欲が強く、本好きだった彼女が読書によって培った性質だったのかなと考えたり。 上流階級の人たちは、まさにそのワーキングクラスの知的覚醒を恐れていたんだよね。
そんな女の子だった分、時間によって磨滅されない想いも人一倍あるようで、語り口は些か辛辣なんてすが、飾り気なくサバサバしているので全く不快ではありません。 雇い主や他の使用人仲間に対する鋭い観察も、また、そのような認識を持つ自身に対する冷静な分析も、心の在り様の根拠として率直に示されているのが清々しい。 ただ、そんな彼女さえ、彼女だから、無知ゆえの恐怖心こそが、道を踏み外さないための抑止力になっていたと述懐する辺りがなんとも切ない。
青春期には、短期、長期合わせて9ヶ所(かな?)の住み込みの仕事先を渡り歩くのですが、さながら上流家庭9景といった趣き。 主人や女主人の性質や性癖、使用人同士の諍いや反目など、ちょっとしたウィットも織り交ぜながら語られていて、虚栄や欺瞞、怒りや嫉妬など、マイナスオーラを発散するシビアな局面も、陰気な気分にならずに読めるのが美点。 コメディ・ドラマもかくやというような似非コックのムッシュー・レオンの話がお気に入り^^ 多少は盛ってるんだろうけど、ホントにこんなことが・・と思い出すたびクスクス笑いが止まらない。 あと、ハンサムの反対語の“バスの後ろみたいな顔”っていう表現がジワジワ来るんだよね^^;
使用人の種類とその序列をざっくりと理解できたのも収穫。 キッチンメイドは、家の中で一番下っ端の仕事を引き受ける最低ランクのメイドであるらしく、一方、同じ担当部門の言ってみれば上司のような関係にあるコックはといえば、女使用人中トップクラスで一目置かれる存在なのだから、キッチンメイドからコックへのステップアップが如何に大きな転身だったかが偲ばれるというもの。
黒のウールやプリント地のワンピースにメイドキャップやギャザーのエプロン、黒いストッキングと黒い靴・・ マーガレットが隷従の象徴のように嫌悪していたコスチュームも、耽美でガーリーなカワイイ素材として消費され、彼女たちが舐めた辛酸は遠くなりにけり・・な当今は、それはそれで有難いわけですが、現在に続く歴史上に間違いなく存在した過去として、等身大のメイドの姿を忘れないでいたいと思いました。


英国メイド マーガレットの回想
マーガレット パウエル
河出書房新社 2011-12 (単行本)
関連作品いろいろ

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チャリング・クロス街84番地 / ヘレーン・ハンフ
[副題:書物を愛する人のための本][江藤淳 訳] “イギリスの神保町”とも呼ばれるロンドンのチャリング・クロス街にある一軒の古書専門店マークス社に宛てて、ニューヨークに暮らす劇作家の女性(著者)が送った一通の注文書をきっかけに、1949年から1969年の二十年に渡って交わされた手紙のやり取りを編集した往復書簡集。 本好きなら、きっと誰もが憧れずにはいられないような、軽い嫉妬を覚えるほどの素敵な交流の記録です。
米ドルの力が示すアメリカの繁栄と、戦後の痛ましい窮乏から徐々に立ち直るイギリス。 第二次大戦後二十年の両国の背景が透かし絵のように刻まれているのも、奥行きを感じさせる一因なのでしょう。
古き良きイギリスとその文学に惹かれる利発なアメリカ人女性と、彼女の要望と快活な語り掛けに対して折り目正しい誠実さに控えめなウィットを忍ばせて応えるイギリス紳士・・という構図なんですが、著者ヘレーンと担当者のフランク・ドエル氏、両者の呼吸が紡ぎ出す空間の居心地のよさといったら、本好きなら・・ふぅ。 以下略。
どうだろう・・ ヘレーンの心を覗くことはできないけれど、長の年月、夢に見ていたイギリスへの訪問を、結局ずっと躊躇っていたようにも窺えて。 チャリング・クロス街84番地の古書店を通して、ずっと彼女の傍に寄り添っていた文学の中のイギリス、心のイギリスを壊したくなかったのかな・・ 生前、お二人が一度も会わず仕舞いだったことが、いつまでも鼻の奥をジーンとさせるのです。 そこに“文通”の持つ淡く甘やかな美風を重ね合わせ、名状し難い余韻とともに本を閉じました。
イギリスの食料が配給制だった時期、ヘレーンは盛んに卵やハムの小包をマークス社に送るんですが、フランクが出張中だったりすると、“フランクのハンフさん”に、勝手に手紙を書いていいものかと、同僚たちがおずおずと気を揉みつつ、でも居ても立っても居られずとばかり、各々こっそり(?)御礼状をしたためていたり、イギリスを訪れたヘレーンの友人夫婦が、マークス社に立ち寄ってみたら、“ハンフさんのお友達”を歓迎するためにぞろぞろと店員さんたち挙って出て来ちゃったり・・ 微笑ましくて温かくて心擽るエピソードの数々♪
17世紀から19世紀ごろの英国古典文学が手紙の中で綺羅星の如く踊っています。 わたしは全くついていけないんですけど、著者が愛する、その馥郁とした息吹は胸いっぱいに吸い込むことができました。 歳月が育んだ古書のゆかしい美しさと一緒に。


チャリング・クロス街84番地
−書物を愛する人のための本−

ヘレーン ハンフ
中央公論社 1984-10 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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ヨーロッパ物語紀行 / 松本侑子
著者が少女時代から愛読してきた物語を訪ね歩く文学紀行。 そのヨーロッパ(大陸)編です。 南は地中海沿岸から北は北海、バルト海沿岸まで。 イタリア、ベルギー、スペイン、ドイツの四ヶ国、八つの街の九つの物語で編まれていて、作品の梗概、作者の境遇、町の景観や風情と共に所縁の場所を紹介し、国や土地の歴史に照らして物語を紐解き、また、作家の内面がどのように反映されているのか考察するなど、興味深い一冊に仕上がっています。
ヨーロッパ諸国は地続きなだけに、日本人にはちょっと想像し難いくらい、国と国の権力争いに明け暮れた歴史があって、文学もその荒波に揉まれるようにして生み出されてきたのだなぁ〜と、厳粛な気持ちにさせられます。
松本さんはロマンチック好き&ヒューマンなスタンスをお持ちで、衒いのない率直な感想は(該博な知識がおありなのに)読者の目線に近い位置で発せられている気がして親しみの持てる良き案内人だと思いました。
何か一つでも物語に夢中になった経験があるなら、その舞台だったというだけで、何の変哲もない場所がかけがえのない“夢の王国”に変貌することを知っているものです。 だから、その場所に立った時の感激や、虚構と現実の接点を見出した時の高揚感、小さな発見から物語や作家への理解を深めていける喜び、その一つ一つを追体験するように楽しませてもらいました。
必ずしも作家がその国の人物ではなかったりもして、「カルメン」や「フランダースの犬」など、色眼鏡的な偏向によって、地元の人には(ちょっと蟠りの残る程度に)微妙なニュアンスで受け止められていたりするのも興味深く、一つの作品を多面的に眺めることの大切さを感じさせられました。
一番心惹かれたのは「ロミオとジュリエット」。 松本さんの誘いで古典音痴のわたしがシェイクスピアを読んでみたくて堪らなくなったからなぁ。 古くから伝わる民話(ギリシア神話にも確か似た話があったような)に、中世ヴェローナの皇帝派vs教皇派の政治権力争いをめぐる名家の対立(“モンテッキ家”と“カッペレッティ家”の対立は史実!)という(当時の)今めかしい素材を組み入れて作られたですねぇ。 それとおぼしき家まで残っているなんて・・ロマンです。
アン王女の道行きを辿った銀幕のローマ廻りも(ミーハーっぽくて)楽しかったな。 そして最後は本当の作者にまつわる秘められた真実にじーんとなって・・
あと、第一次大戦後からナチス台頭までの短かったワイマール共和国という古き良き時代の息吹きを自由闊達に描いたケストナーの児童文学が心に響きます。 ベルリンの華やかなりし都市文化の光と影・・ この時代、ちょうど日本は昭和初期なんですよね。 国の境遇が似ていて切なくなりました。
あ、余談になりますが。 煙草は聞いたことがあったけど、トマトまで大航海時代に中南米から持ち帰ったものだったとは。 オリーヴのように地中海地方の地生えなのかと思っていたら。 なんか・・今やちゃっかり地中海顔してるよね。トマトって^^;

備忘録がてら、ざっとメモ。 タイトル&舞台となった場所と時代。
「ロミオとジュリエット」/ ヴェローナ(中世)
「ローマの休日」/ ローマ(20世紀半ば)
「フランダースの犬」/ アントワープ(19世紀半ば)
「カルメン」/ セビーリャ(19世紀半ば)
「エル・シードの歌」/ バレンシア(中世)
「みずうみ」/ フーズム(19世紀半ば)
「エーミールと探偵たち」/ ベルリン(20世紀前半)
「点子ちゃんとアントン」/ ベルリン(20世紀前半)
「エーミールと三人のふたご」/ ヴァルデミュンデ(20世紀前半)



ヨーロッパ物語紀行
松本 侑子
幻冬舎 2005-11 (単行本)
松本侑子さんの作品いろいろ
★★
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富士日記 / 武田百合子
富士山の麓、一合目近くに建てられた武田家の別荘、通称“武田山荘”での暮らしを綴った日記。 昭和三十九年から五十一年(泰淳逝去の年)まで。 赤坂の自宅とを往復しなからの、13年間に渡る、泰淳、百合子夫妻(ときどき娘の花ちゃんが参加したり、前半では犬のポコ、後半では猫のタマを交えたり・・)の山の家での生活風景が、ハッとするほどの鮮度で迫ってきて、心臓を鷲掴みにされた心持ち。
脆弱な自分の精神には余り過ぎる大きなものに圧倒されて、読み終えた今も、胸の奥の芯が熱を持ったまま震えていて・・ まだ今、そんな具合です。
地元の人たちとの交友、泰淳さんの作家仲間や出版社の来訪、日々の献立や買い物の子細な記録、樹木や草花、鳥や小動物や虫、月や星や雲、高原、湖、富士山・・ 素っ気ないくらいに簡潔な筆で書き留められていく暮らしの中の瑣事や近景。 その研ぎ澄まされように釘づけにされてしまうのです。
極力、感想や分析は述べられず、そのかわりに在りのままを凝視する姿勢を貫くことで、固定観念や陳腐さや平凡さが反旗の狼煙をあげるような凄みが、其処彼処に宿ってしまうとでもいったらいいのか・・ そんな満遍ない事物や事象に対する点描の中に、朝夕の、季節の、そして時代の移ろう呼吸音が聞こえてくるかのような興趣が息吹き、さざめく不思議。
百合子さんの、奔放にして節度ある眼差しのブレのなさ。 その反映として立ち現われる人や動物たちの、なんという愛嬌、可笑さ、清冽さ、哀しさであろうか。 生きることの残酷さや不条理、自然や動物と人との間に厳然と引かれた境界線から目を反らさずに、痛みを甘受する人だけが受け取ることのできる、神様からの授かりものなのだろうと思う。 澄明で端的で力強い、この巧まざる感性の煌めきは。
なんかもう、何も書けないくらい良くて。 何も書きたくないって心境です。 書き散らかしましたけど。 ただ、百合子さんの言葉を引き写して、たくさん書き留めて置きたいと思った。 活字と活字の間に満ち渡り溢れ返る魂ごと含めて。
文章の中に防衛線やバリアを張らない潔さが好きだ。 出されたお茶菓子を遠慮する場面で食べてしまうところが好きだ。 どこか動物のように全身全霊で生きてるところが好きだ。 泰淳さんと百合子さんは、時に母親と息子のようで、時に父親と娘のようであった。


富士日記 上
武田 百合子
中央公論社 1997-04〜06(文庫)
関連作品いろいろ
★★★★★
富士日記 中 富士日記 下
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ドイツ おもちゃの国の物語 / 川西芙沙
[一志敦子 絵] ニュルンベルクやザイフェンなど、おもちゃの里の探訪記を交えながら、ドイツが育んだおもちゃの歴史を手引きしてくれる案内本。
殆ど写真ではなくてイラストで紹介されているんですが、読んでいくうちに全然違和感なくなってしまいます。 繊細さと素朴さを伝えてくれるイラストが“現実と空想の世界の橋渡し役”となって、心地よくおもちゃの国に誘ってくれるのでした。 でも写真も見たいな。今度♪
ケーテ・クルーゼの人形や、メルクリン社の鉄道模型、シュタイフ社のテディベアなどは有名ですが、大人をも魅了するドールハウス、錫とブリキの意匠、仕掛け時計やオルゴール、復活祭のたまご芸術、今なお進化し続ける仕掛け絵本・・ 故郷がドイツであったり、ドイツの地で花開いたり、他国に移り住んだドイツ人がパイオニアとなったおもちゃは想像以上に多彩。
わたしが一番心惹かれたのは、エルツ地方に伝わる木彫りやろくろ細工の木工民芸品。 特にミニチュアセットの可愛らしさは格別なのだけど、ザイフェンにこれが多いのは、昔のおもちゃ職人たちの貧しさと無関係ではないのだそうです。
女の子の人形やドールハウス、男の子の鉄道模型や揺り木馬など、ケースに入れて飾られるだけではなく、手に取って愛されながら、家庭の中で世代を超えて手渡される本物の温もり。 精密で巧緻であって、なおかつゾリート(堅牢、頑丈)なものが多いドイツ。 おもちゃ職人にも適応されるマイスター制度が、文化伝承の大きな基盤となっていることを窺い知ることができます。
また、商業主義に操られざるを得ない現状に警鐘を鳴らし、本当に子供にとって相応しいおもちゃとは何かを模索するムーブメントという切り口で、おもちゃの位置づけを検証するなど、堅実な考察がなされています。


ドイツ おもちゃの国の物語
川西 芙沙
東京書籍 1996-09 (単行本)
関連作品いろいろ

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パリ猫銀次、東京へいく / 村上香住子
フィガロジャポンに11年間連載され好評を博した「パリ毎日便」で、すっかり有名になったパリジャン猫の銀次。 コンピエーニュの森での村上さんとの出会いから、パリのアパルトマンでの暮らし、やがて住み慣れた地を離れ、遠い日本で晩年を過ごすまでの日々を愛情たっぷりに綴ったエッセイです。
白銀色のもこもこの毛並みとエメラルドグリーンの瞳を持つセレブリティなパリ猫ちゃんなのに、“江戸時代の巾着切りのような”名前をつけられてしまった銀次^^ 写真も満載! とろけるほどにカワユ〜♪
腕白で甘えん坊で筋金入りの小心者〜。 そんな銀次が引き起こす些細な騒動のあれこれや、可愛らしい仕草にクスクス笑みがこぼれます。 猫好きには堪えられないでしょう〜! 迷子になってしまった時の目の前が真っ暗になるような不安にも、シンパシーを感じる猫好きさんも多いのではないかしら。 窓からはライトアップされたノートルダム寺院が眺められるアパルトマンや、銀次を巻き込んでの隣人たちとの交流など、暮らしてみたいなぁ〜なんて思わず夢想が広がります。 ただ、銀次が外嫌い猫ちゃんなので仕方ないんですが、パリの街並みや郊外の風景とか、殆ど織り交ぜられていないのが勿体ないなぁ〜なんて思いました。
後半は、銀次の受難の日々が続きます。 本意ではないにしろ、銀次翁をこんな目に遭わせることになってしまった飼い主の著者さんを嫌いになってしまいそうでした。 そんなご自身を責めて責めておられるので、なんだかもう、読んでいてとっても遣りきれない気分になってしまったのです・・ わたしは本書で初めて村上さんと銀次を知ったので、フィガロの“あの”銀次という感覚がわかりません。 パリで暮らす銀次をリアルタイムで見守っていた読者さんたちには、本書はきっと思い入れ深い一冊となるのでしょうね。 羨ましい・・
今はどうしているのかしら? 美味しいものを食べて、シエスタして、ママンに甘えて、寂しいことや怖いこととは無縁の幸せな老後であって欲しいなぁ。 長生きして欲しいなぁ。


パリ猫銀次、東京へいく
村上 香住子
アノニマ・スタジオ 2007-07 (単行本)
関連作品いろいろ
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異国トーキョー漂流記 / 高野秀行
大学時代から冒険部に所属し、世界の辺境を渡り歩いて久しい伝説的貧乏作家(?)の高野さんは、驚異的な語学力の持ち主なんです。本書の中だけでも、在日外国人の素人先生らを捕まえては、フランス語、リンガラ語、スペイン語、中国語、アラビア語の習得にチャレンジして、みるみるモノにしてしまいます。達人w
著者が知り合った東京に暮らす異国人だちの目を通して、いつもと違う東京が見えてくる不思議・・ 東京が“トーキョー”に変わる瞬間の風景をプリズムのように映し出してくれます。高野さんが切り取ってみせてくれる風景やものの見方、感じ方には“発想の転換”的なものが溢れていて、こういう柔軟さって、やっぱり語学の学習能力にも通づるものがあるのだろうなぁ〜なんて硬い頭で感服してしまいます。
日本で“自分探し”に勤しむアンニュイなフランス人シルヴィ、日系(を名乗る)インディアン顔のペルー人ウエキ、マクドナルドが大好きな強面イラク人のアリー、プロ野球ヲタになってしまったスーダンからの盲目の留学生マフディなどなど。非常に愛すべきエキセントリックな異国人たちがそれぞれの思惑で右往左往する姿を見つめる高野さんの視線はべとつかず、突き放さず、軽い自嘲を込めて自らを“国際人”と語りながら、訳知り顔の人生哲学などもなく、ただただ痛快で温かく、そして彼らの在りのままの人間模様が滋味深くて少し切なくて、たまらなく愛おしい。


異国トーキョー漂流記
高野 秀行
集英社 2005-02 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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霧のむこうに住みたい / 須賀敦子
一度に読んでしまうのが勿体ない・・ 本書は、須賀さんが亡くなられた後に単行本未収録作品をまとめた掌編エッセイ集。 日本語の美しさがまたとない奇跡的な輝きを放ったかのような、磨き抜かれた言葉で綴られる上質な文体、本来の深い眼差しや静けさをそのままに、時に掌編らしいウィットで軽やかなリズムも加味されています。 言葉によって紡がれる世界の豊かさに、ただもう僕となって平伏さんばかりのわたし。 他愛のない一場面から迸る馥郁たる芳香といったら・・ 簡潔な文章のうしろにどれだけの風景が広がっていることか。
小さなエピソード、心を奪われた本、街の風景、愛用の品々、イタリアの伝統行事などの点々とした記憶の原石が、大切な人々との絆と共に磨き込まれ、いつの間にか須賀さんの辿った軌跡を繋ぎ合わせて見せてくれる。 そんなしなやかな魔法の虜になってしまう。
この作品集には、イタリアの街々が、どんなに須賀さんを魅了したかを描いた場面がたくさん登場し、抑制された筆致から止め処なく溢れ出す、生き生きと伸びやかな情景が印象深かったです。
それと本について。 ナタリア・ギンズブルグの「ある家族の会話」や、アントニオ・タブッキの「遠い水平線」、マルグリット・デュラスの「北の愛人」など。 作家や作品世界をめぐる衒いのない真摯な思索に寄り添えることも大きな悦びのひとつ。
解説は江國香織さん。 そうと知らずに手にしたので、思いがけない嬉しいオマケでした。 江國さんが須賀さんの醸し出す空気と響き合うであろうことは容易に想像がついてしまいます。 「ある家族の会話」は、江國さんにとっても深く心に刻まれた一冊なのだとか。 
須賀さんがクロスワードマニアだったということを初めて知りました。 言葉に対してとってもストイックな須賀さんらしいなぁ〜と思え、なんだか感慨深いです。 かっちりと言葉の嵌った枡目の前で、瞳を輝かせている姿を想像できることは、これもまたわたしの悦び・・
あと是非とも書き残しておきたいのは、うじ虫に纏わる想い出が2篇入ってるんだけど、これがなんと須賀さんの手にかかると、詩的になってしまうんです。 うじ虫までもが。 しかも微笑ましくみえてくるんですよ。 ほんと・・うじ虫の可愛らしい描写が忘れられません。 こんな結びでいいのかっ!


霧のむこうに住みたい
須賀 敦子
河出書房新社 2003-03 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★★
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ユルスナールの靴 / 須賀敦子
マルグリット・ユルスナールは今世紀を代表するフランス人作家。 彼女の作品に魅せられた須賀さんが、ユルスナールの生きた軌跡を辿り、その作品世界に触れ、さらにそこから連なるヨーロッパの歴史、絵画、建築物、宗教にまで深い思索を廻らせ、そのヨーロッパの地に心を残し続けたご自身の半生を重ね合わせるという、一見アクロバティックな構成なのだけれど、評伝、エッセイ、紀行、小説の要素が見事に織り合わされ、作品そのものが重厚にして静謐な一幅の絵画のように浮かび上がってくるような美しさがあった。
人生の多くの時間を旅に費やしたというユルスナールと、日本を離れヨーロッパに傾倒していった須賀さんには、どちらも父親の影響が垣間見える。 遠いアメリカで祖国の悲劇を知ったユルスナールと、新しい祖国となるはずの地で夫を失った須賀さん・・圧倒的な喪失感を“霊魂の暗闇”という言葉を使って共有していた2人。 ユルスナールへの共鳴(時には反発)がどこから来るのか、内面をなぞり自身の内面と照合していく、精神の探求ともいえるような作業が、流れるように紡がれていく言葉の底で続けられている。 生き方を模索しながら彷徨う放浪者であり、巡礼者であり続けたかのような須賀さんのストイックさが、選び抜かれた言葉のひとつひとつから染み出してくるようで、胸が詰る想いだった。 この作品が生前最後の著作なのだと知りながら読んでいたせいかもしれないけれど。
ユルスナールの様々な作品が紹介されているのだけれど、なんといっても読んでないのが痛い。 何かもう一歩、深みへ踏み込めない壁に阻まれているような感じがい辞めなかった。 唯一読んだことのある「ハドリアヌス帝の回想」にまつわる章が、やはり一番心に掛かった。 自分もハドリアヌスが死の床で作ったといわれる詩に魅せられた1人だけれど、原文の味わいまではもちろんわからなかったから、言葉の響きにも敏感な須賀さんが、その美しい響きと、そこに込められている皇帝の温もりをそっと教えてくれたようで嬉しかった。


ユルスナールの靴
須賀 敦子
河出書房新社 1998-10 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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