現代語で読む「江戸怪談」傑作選 / 堤邦彦 編訳
主に江戸時代に編まれた冊子を出典とする怪談選集。 具体的には『平仮名本 因果物語』、『諸国百物語』、『御伽婢子』、『新御伽婢子』、『耳嚢』、『奇異雑談集』、『新著聞集』、『宿直草』などから三十数篇が採られています。 実録と創作のあわいを縫うような聞き語り調の素朴な話が多く、現代語に訳されると少しばかり味気なく感じてしまう部分はあるのですが、逆にいつか原文でチャレンジしたいなぁと、そういう気持ちを芽生えさせてくれる本でもありました。
第一章は女性の嫉妬、第二章は名家の没落縁起、第三章は哀しい愛のかたち、第四章は異界と接する時空間、第五章は悪業の報い・・と、五つのテーマに分けられ、各章末にはテーマに沿った論考がまとめられていて、各話ごとのルーツや系譜をめぐる補足も親切。 解説パートが非常に充実しており、怪談文芸の豊かな地下水脈の一端に触れることができました。 民話や巷説にオリジナルが加わり、類話のヴァリエーションが生まれていく展開というのは想像に難くないのですが、こと怪談に関しては仏教説話の影響力が非常に大きかったようですね。 仏教説話に用いられた題材が典拠となって、そこから俗伝が広がり、民談化していくというケースが大きな一つの流れになっていたらしい。 “愛”という概念が肯定的に扱われず、むしろ人間の罪深い本性とみなされていた前近代の宗教道徳観を内在させているからこそ、江戸怪談が物語る恋路の闇はこんなにも息苦しく、もの狂おしいのでしょうねぇ。
自然の世界に根ざす神霊の成れの果てが妖怪なのに対して、幽霊や怨霊といった類いはこの世に何かしらの未練を残し、あるいは悪しき生き様を引きずって成仏できない人間の魂魄に由来します。 本書のほとんどは後者にまつわる怪異と言えます。 情念や業の深さや因果の渦巻く“うらめしや”の境地。 「疫神を助けた男」は前者っぽいというか、ちょっと毛色が違う気がしたんですが、実はこれがお気に入りだったりする^^;
浄瑠璃の「播州皿屋敷」を江戸の講釈師の馬場文耕が牛込御門内の番町に舞台を置き換えアレンジしたという「番町皿屋敷」は繰り返される祟りの連鎖を伏線としていて、もっとも読み応えある肉づけがなされていた一篇。 最後にお菊の成仏という宗教色を付与したことにより、江戸の寺々でお菊鎮魂の縁起伝承が生まれたそうで、「番町皿屋敷」がメジャーになった一因はその辺りにもあるみたいです。
あと有名どころでは、中国古典に拠りながら、舞台を室町時代の京に改変した浅井了意の「牡丹の灯籠」と、ラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」の原話となった「平家怨霊と琵琶法師」が入っています。 この二篇の幻想性は別格で、やはり一番好きだなぁ。
女霊のあさましさが強調される第一章の中で、落語の「三年目」を典拠とする「破約の果てに」は、恐怖を笑いに転ずる江戸人の心意気が光った一篇。 また、首をはねられた家来の報仇譚「最後の一念」に一捻り加えた頓智ストーリーがラフカディオ・ハーンの「かけひき」だし、夏目漱石や内田百聞も題材にしている「こんな晩」系の怨霊転生譚「切腹の朝」の笑話ヴァリエーションが落語の「もう半分」といった類縁関係も喚起させられて面白い。 一つの話型として比較することで原話パターンからの逸脱の糸口が見えてきて一段と興味深さが増すものですね。
人気の高いモチーフであるらしい旅の尼僧をめぐる奇怪な懺悔譚として、明治の講談師、松林伯円の「死者の手首」が紹介されており、杉浦日向子さんの『百物語』の中の「尼君ざんげの話」と同一素材であることが指摘されていたり、道成寺伝説の流れを汲む「女人蛇体」や、比良八荒伝説に連なる「湖を渡る女」、また、井原西鶴作品も「草むす廃墟」と「三十七羽の恨み」の二篇が採り上げられています。


現代語で読む「江戸怪談」傑作選
堤 邦彦 編訳
祥伝社 2008-07 (新書)
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怪談 お露牡丹 / 領家高子
貧乏御家人の四男坊に生まれながら画工を志し、根岸の里を中心に一派を成す江戸琳派の祖、酒井抱一に師事する丈岑は、抱一の暮らす“雨華庵”にほど近い建徳寺の襖絵を描く大役を任されることに。 一年間の準備期間を願い出て、寺の離れに寄宿し、画帖を広げ、素描に明け暮れる日々。 画人文人たちが隠棲を好んだ閑雅の里で、若ざかりの絵師が体験する浮世を離れた逗留譚。
時は文化から文政への改元期で、世の中は爛熟した化政文化の全盛期です。 枯淡と雅味の気風が根付く、この、箱庭細工のような別天地に、財政に行き詰まった水野忠成の執政が、暗い影を落とし始めます。
この世の異種、輪廻、予知夢・・ 江戸版ロマンテックSF風味と言えなくもない数奇で甘美な光沢が、硬質な文体の醸し出す格調高さと融合して、凛然とした気品を漂わせています。
タイトルに冠せられた“怪談”は「怪談 牡丹燈籠」に肖ってのことでしょう。 物語的にも牡丹灯籠テクストを踏まえているんですが、描かれているのは“怪しさ”ではなく“妖しさ”です。 幻想的な幽玄美は、円朝というより、むしろ浅井了意に近い雰囲気を感じたかも。
もしや若き日の鈴木其一? と、途中で一瞬思い立ったんですが違います・・orz そりゃ違うよね。 牡丹灯籠モチーフなのだからラストは推して知るべし。 でも、丈岑に仮託されているタナトスは、怨念はもとより狂気や頽廃のそれではありません。 “個を通じ、個を超えて普遍へ及ぶ奪われようのない夢“の体現者として、本然の力と美とを取り戻すために絵師の宿業を極めたその姿は、生死を超えた悠久の中にあるかのようです。 ものを見る天与の眼を授けられた丈岑もまた、この世の異種だったのかもしれません。
匂いの根源を探れば、諸個人の無意識の深奥で通底している“守るべき故郷への想い”に敷衍する向きもあり、空気の肌合いに心を凝らす静謐さ、清澄さに、作者の慈しみの眼が向けられているのを感じます。
どうだろう、最初は恋物語に軸足を置いていた節があるんだけど、ラストは前述したテーマへ明らかに変調していくので、雑誌初出の前半三章と、書き下ろしの後半二章で結節点が薄く、分断されている印象が否めなかったかなぁ。 でも、丹念に読むと、天からこの世へ零れ落ちた一粒の“露”である命の尊さを見届けた、儚くも崇高な初恋の時間が、彼をして生の境地を夢の水位にまで高めさせたということなのか・・
丈岑が目指した“金箔銀箔の沈黙の底へ根を張った命の躍動”を想わせる美意識を、物語そのものに昇華させた世界観が麗しかったです。


怪談 お露牡丹
領家 高子
角川書店(角川グループパブリッシング) 2010-09 (単行本)
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怪談 牡丹燈籠 / 三遊亭円朝
アンソロジーの「牡丹灯籠」を読んでから、円朝の「怪談 牡丹燈籠」の全容に興味が湧いて読んでみました。 序文はなんと坪内逍遥! 速記という新しい技法を用いて口語調で書かれた文章の躍動感を称えています。 同じく序文を記した速記者の若林玵蔵も“言語の写真法を以って記した”と誇らしげ。
大衆に広く親しまれ、のちの言文一致運動に大きな影響を与えた講談速記は、明治17年出版の本作、「怪談 牡丹燈籠」に始まります。 正直、現代人には当たり前すぎて、有難味すら全くわからないわけなのですが、心を凝らせば、この画期的な書物を手に取った当時の人々の感動に想いを馳せることができるという別の感動がありましょう。 そしてむしろ、耳慣れないのに懐かしい昔言葉の名調子は、またちょっと違う価値観で現代人の心を擽るものがありましょう。
辻褄の合わないところは幽霊のせいにして、上澄みを掬い取るように読むのが手本なのかもしれませんが、敢えて、斜め裏読み(?)的な色眼鏡で読みたくなってしまう・・そういう気持ちを掻き立てられる話だなぁと思いました。
主従や親子の血筋の因果が廻る仇討話に、男女の転生の因果という幻想的な風合いを織り込んだ人情もの・・ですが、軽やかに舞台を転じながら視点と場面がテンポ良く入れ替わる展開や、ストーリーの巧妙さ、勧善懲悪的な様式美を愛でるだけではあまりに勿体ない。 なんかね。 尖んがった幻想作家が書いた型破りの推理小説っぽい面白さですよこれ。
今日、カランコロンの幽霊譚として独り歩きしている一場は、むしろ、中国明代の民話「牡丹燈記」や、それを翻案した浅井了意の「牡丹灯籠」の円朝バージョンとして完結させた趣きですが、確かに、全く本筋ではない新三郎とお露の悲恋譚の、儚さや存在感の希薄さが“幽霊的”でとても綺麗な印象を残します。 と同時に、全編通して読むと、ほんとに幽霊だったの? という陰翳がそこはかとなく深いんです。 新三郎殺しは種明かししたけど、あとは勝手に想像してね的な突き放し感がクールですらある。 今日では、白翁堂勇斎が直に幽霊を見たことになったりしてるけど、円朝はそう語っていなかった。 “幽霊を見た”のは、恋に狂って神経を病んだ新三郎と悪党の伴蔵だけなんだよね。
この語りの特徴として、内面描写と客観描写に納まりきれない“本人の言い分”とでもいうべき建て前描写(?)が堂々と紛れているため、一部の真実は最後まで読者に明かされていない可能性があることを念頭に置くべきです。 少なくともそのような嫌疑をかけて然るべき余地は十分にあります。 つまり、なぜそんな嘘をついているのか? なぜそんな思い込みをしているのか? ということが説明できれば、いかようの解釈をも拒まない寛容さがあるんです。 そう考えると百両の流れもチラリホラリと仄見えてきそうではないか?
新三郎が舟の上で見た怪夢や、徳の高い良石和尚や白翁堂の千里眼など、本当の不思議の要素と、不思議を隠れ蓑にした人間のあさましき姦計を平然と同列に語ることで生まれる曖昧さが、非常にノワールなのである。
リアル小説の不文律を無視した語り(騙り)が、今読むと逆に斬新さを提供してくれることが嬉しく、この解放的な底巧みには、現代小説の閉塞感(なんてものがあるとすれば)を破る一つのヒントが隠されているように思えてならなかったです。


怪談 牡丹燈籠
三遊亭 円朝
岩波書店 2002-05 (文庫)
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★★★★
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百物語 / 杉浦日向子
年寄りの侘住は退屈でならないから・・と、百本の伽羅の線香を百物語の勘定に見立て、訪れる客人に一話ずつ奇妙な話を所望する閑居暮らしの御隠居。 客人から御隠居への口頭伝承という体裁をとって巷説の趣きを引き立たせた九十九話の江戸怪異譚。
“不思議なる物語の百話集う処、必ずばけもの現われ出ずると・・”という趣向で、百物語の恐怖は佳局を迎える手筈なんですが、日向子さんの百物語ときたら、そんな気配を全く発していなかったというのが個人的な感想です。 九十九話を読み終えた時は逆にパンドラの箱のようで。 怖いものは出尽くし、ほっこりと優しく、慈しみ深い温もりが最後に残された・・そんな印象で締めくくられていたんです。
おそらくオリジナルではないのでしょう。 江戸の随筆に取材した再話集じゃないかと思います。 丹念な渉猟と真摯な凝視の跡が窺え、時代相を完璧なまでに再現しつつ構築した民話的世界は悠揚と広がり、そこに、絵でなくては伝えられない滋味もしっかり描き込んでいる。
いわゆる鳴り物入りのヒュードロの怖さじゃなく、中にはゾクっとくる話もありますが、因果律も及ばぬような取るに足りない瑣末な一風景にすぎません。 市井の暮らしに溶け込んで、ふとした隙間にぽっかと浮かぶ普段使い(?)の怪異です。 叱ったり、なだめたり、あやしたり、あれらはそういうもんだよ・・といった寛容の中に居場所を分け与えられているとでも言ったらいいのか、ちょっと手の焼けるご近所さんのような扱いなんですよねぇ。 解決できない実現象を消化するツールとして、怪異は人々の精神衛生に深く寄与してしたんだな・・ そんな想いが心の古層に響いて取りとめのない懐かしさをさざ波立たせる。
人情話に落ちるかな? と極め込んでいると呆気なく裏切られ、薄情にも(笑)さらっと終わってしまう心地よさ。 泣けるような話でもないのに、素っ気なさと可笑しみに紛れた不思議な切なさにやられて、十話くらい涙ちびっちゃいました^^; 飾り気もなく飄々としているようで、どこか放っておけない繊細さが滲んでいるんだなー。 好きな話がいっぱいで書ききれないんですが、「狢と棲む話」がマイベストかな。
「猫と婆様の話」は、森銑三さんの「新編 物いう小箱」にも採られていて大好きなんです! 絵で賞翫できる悦びに浸りました。 別の時空に囚われ彷徨う「旅の夢の話」や、時空が交錯する微かな甘酸っぱさの匙加減が絶妙な「竹林の再会の話」のように短いながら馥郁と物語のエッセンスを香り立たせていた話も佳いし、人が堕落する寓話のような「地獄に呑まれた話」などは、芥川が小説にしていてもおかしくないような茫とした輝きを放っていて印象深いです。
何故かしら「鰻の怪の話」の、人間に化けた鰻の小さな笑顔の一コマが忘れなれなくて・・クソッ、こんなところで><


百物語
杉浦 日向子
新潮社 1995-11 (文庫)
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★★★
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お化けだぞう / 村田喜代子
元禄の追い風に乗って、一代で名を成した日本橋呉服問屋の主人、浜田屋藤兵衛と、その妻タキ、供を務める手代の佐七らが、草木の怪異を求めて、日光、伊勢、天城、伊豆、奥州、嵯峨野、越中富山、信濃、長崎・・と、諸国を漫遊する連作仕立ての道中記。
江戸前期の市井ものって、馴染みが薄かったんですが、意匠を凝らした小袖の臆面もない華やかさや、後期の商家とは桁違いの豪商っぷりに、何時にない味わいが楽しめてよかったです〜。
宝永・正徳年間。 時は家宣・家継の治世。 華美と遊技に明け暮れていた世相は、ようやく改まろうとしているものの、繁栄の坂を登りつめた元禄の余波は、そう易々とは鎮まりようもなく、依然、呉服商いは順風を極め、富裕な商人たちは伸び伸びと趣味の世界へ身を投じていたりする。
藤兵衛が心酔しているのは本草学。 といっても正統な学問からは離れ、市井の好事家たちが集って、もっぱら珍種や奇種の発見に尽きぬ悦びを見出しています。
わなわなと立ち上がる松の倒木、床下や杉の木に生えいずる毛髪、地の縛を放れて風と共に流離う草毬、海の底に沈む樹林、生き馬を吸い込む楠の古木、凶作の窮時に雨の如く降り注ぐ穀物・・
本草講の例会で諸国の噂を聞きつけては、草木探訪へ心誘われる藤兵衛。 人間の値打ちは外見の形(なり)でしか把握できないというのが呉服屋としての信条なのですが、その反動でもあるのでしょうか。 物事の表皮の下に隠された此の世の深部へと、憑かれたように興味を掻き立てられていく様子。 天と地と草木の間に介在する、人の預かり知れぬ堅い盟約を見極めることに焦がれて・・
幽霊ではなく妖気の世界です。 アンチ幽霊譚といってもいいかも・・と思いました。 江戸も後期になると、自然より人間優位に傾倒していくようで、死後の魂魄の存在を象徴する幽霊譚が幅を利かせていくのは、その証左といえるかもしれません。 死せる者は何処へ行くのか・・ 肥大した自意識を脱ぎ捨て、再び、自然の一部としての人間であることに立ち還りたい・・ そんな願いの発露としての死生観が訥々と沁々と描かれていた気がします。
特に一篇を挙げるなら、名を残すことはなくとも草木の精に愛された藤兵衛の師の葬儀の不思議な出来事が語られる「弔いの木」が白眉。 天の米蔵へ差し出された五穀が、風を伝い廻っているという「天くだる五穀」も大好き。 藤兵衛とタキが結ぶ夫婦の誼みが、さり気なくいいんだなぁ。
後半にいく程どんどん滋味深くなっていく感じだった。 文章が現代調なので最初、ん? と思ったんだけど、作者が物語の中で語るのではなく、外側から一歩引いた距離感を保って語る手法が、感傷を抑制するクールな効果を引き出していたように思えて、何時の間にか好感を持って読んでいた。
季節の行事や風物、街道や宿場の風景、様々なお国訛りや未開の山野を覆う土地固有の活力・・と、史料文献の丹念な読み込みが窺われ、妥協のない質の高さが馥郁と香ります。


お化けだぞう
村田 喜代子
潮出版社 1997-06 (単行本)
村田喜代子さんの作品いろいろ
★★
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猫絵十兵衛 御伽草紙 2巻 / 永尾まる
猫絵師の十兵衛と猫仙人(?)のニタが、人情と猫情を取り持つ助っ人役となって、江戸市中の人と猫の心の安寧をそっと守っていくみたいなお話なんです。
江戸と猫と怪異は本当に相性がいいですねぇ。 そして、相変わらずベタ甘な江戸っ子たちに愛されて、猫たちがゴロゴロ喉を鳴らしてそうな幸福な空気に蕩けてしまいそうです。
甘切な擽った系の報恩譚が、今回ちょっとループっぽくて、わたしには単調に映ってしまったのだけど(擦れっ枯らし&飽きっぽいためだと思われ;;)、そんな中、前巻からニタとの相性に難ありな弥三郎(猫を大の苦手としている心優しい浪人者)が、傷ついた野良猫をへっぴり腰で看病する奮闘記(?)が楽しかったな。 猫がおっかなくて仕方ないのに、不思議と懐かれちゃうんだよね。 居候猫が2匹になっちゃってるし^^; トラ助の小っさいトラ柄の背中がツボ過ぎてヤバいですけど、でもやっぱりブサ猫ニタ公が一番のお気に入り。(ニタの麿眉にもひっそり萌えw) ワルノリして弥三郎を怖がらせる悪趣味が素敵^^
空の彼方に続く根子岳大明神の猫王の葬列が不気味綺麗で、絵的に一番ハマってました。(“根子岳”を“根子缶”と読んでいたことにたった今気付いた・・orz)
一話毎に一人と一匹とが通わせ合う情を軸に物語が進むんですが、登場する猫たちのキャラも属性も様々ですし、また、作者さんは江戸の職人さんに萌え燃えなのだそうで、木彫り師、大工、左官職人たちが、各々の話の主役にも選ばれていたり、工芸品を始め、史実や民話からのエッセンスを巧みに取り入れて、マニアックにならない加減で優しく奥行きのある江戸ワンダーランドを描いてくれています。


猫絵十兵 衛御伽草紙 2巻
永尾 まる
少年画報社 2009-09 (単行本)
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ころころろ / 畠中恵
しゃぱけシリーズ8作目。 若だんなの失明騒動を軸に繰り広げられる人と妖と神様の饗宴。 成り行きで話を組み立ててるんじゃないかと思えるような取っ散らかり具合も、ま、神様の気紛れや理不尽と思えば許される・・のかどうかは疑問ですが、ラストの切ない無常観は何時になくよかったなぁ。
若だんな一途の仁吉と佐助が、止むを得ず若だんな以外へ目を向けなくてはならない状況に嵌る辺りも新鮮。 仁吉と同格の存在でありながら幾分作者に愛されていない佐助が不憫だったんですけど、出番があってよかったね佐助。 皮肉屋の仁吉にはないちょっと優しいところが垣間見れました。 仁吉はというと柄にもない子守の図(?)を披露してくれて思わずニヤリ。
連作短篇の痕跡を残しつつも、今回は長編趣向。 この方が時間を稼げていいんじゃないかと思った。個人的には。 このシリーズ、時間軸の機能した主人公成長型の物語なのに、若だんなを見ていると相対的にどんどん幼児化(あるいは隠居老人化)していくように思えて、いいかげん忍びなくて;; いっそ永劫回帰型のがよかったんじゃ・・と危ぶんでたけど、そか、このペースならまだまだいけそうかなぁどうかなぁ・・という手触りの今作でした。
病弱&甘やかされを逆手に取ったような“今日も元気に寝込んでます!”感が影を潜めちゃったよね。 自分をお荷物だと考えてくよくよ自責しながら妖たちに傷を舐められてる若だんながイヤなんだろうなわたし。 悶々と己を苛みながら、こんなにもイジマシイほどに健気なんです! 的な若だんなに定着させたいらしい畠中さんは隠れSなのかそうなのか? と、最近思うに至ります。
可愛かった鳴家がウザくなってしまったやさぐれ者の自分は、もうこのシリーズに呼ばれていない気がするので、しおしお撤退するがいいと思います。 愛着が深いだけに思い余ってとんがりまくってごめんなさい。3作目まで大事な宝物です。


ころころろ
畠中 恵
新潮社 2009-07 (単行本)
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幻色江戸ごよみ / 宮部みゆき
久しぶりに再読してみました。 もっとホラー系だったかと勘違いしてました。 でも読んでる最中、じわっと情景が蘇る瞬間が多々あって、思っていたよりずっと心に留めていた一冊だったと気づかされました。 上質な時代物短編12篇。 寄る辺のない余韻を残します・・
怪異というガジェットを活かしつつも、そこはやはり宮部調で、貧しさや健気さや人情といった、足元の暮らしに根ざした真っ当さが主軸にあり、懸命に生きる人々を描いたヒューマンな趣きの作品集です。
四季折々の風物に、江戸市井の情趣が生き生きと映え、女中頭、商家の嫁、商家の隠居、職工、長屋の差配、丁稚の小僧など、町人たちの心模様を丹念に掬い取る確かさで貫かれています。
宮部さんの江戸ものは、シャキッとしたリズムのある文章がよいんですよねぇ。 ぽんぽんとテンポよく弾むような言い回しで転がっていく感じが大好きです。
「首吊り御本尊」が沁みましたねぇ。 前回読んだ時もこれが一番好きだったな。 物哀しい話、遣り切れない話も多いのですが、「器量のぞみ」の申し訳ないけど笑えてしまう感じとか、「春花秋燈」の人を喰ったようなウィットとか、わたしは、どうもその辺がお気に召しているようです。


幻色江戸ごよみ
宮部 みゆき
新潮社 1998-08 (文庫)
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猫絵十兵衛 御伽草紙 1巻 / 永尾まる
江戸好き、絵師好き、猫好き、御伽好きなもので。これは読まなきゃダメでしょ!
猫絵師の十兵衛と、相棒のニタ(猫又で喋りますw)が活躍する大江戸猫情(にゃんじょう)咄の連作集。六話収録。
猫絵師ってホントにあった職業なんだって。 “猫、かこう♪”と、声を張り上げながら振り売りみたいに市中を歩き廻っておりましたw 庶民たちは、鼠除けの猫絵を描いてもらって、お札のように台所や居間に貼ってたらしい。和むなぁ〜。
一話毎に茶屋の娘や、大店のぼん、浪人崩れ、花魁などが登場し、猫と人が織り成すほろりと切ない話、ククっと笑えてほっこり安らぐ話でハートを擽りのめしてくれます。 個人的に、猫を抱いた禿(かむろ)の図がツボ。 杉浦日向子さんの「二つ枕」にも描かれていたけど、どうしてこんなにラヴいの? 怒るよ。 御伽の江戸の庶民たちは、みんなあったかで、ふくふくしていて、猫にデレ甘〜♪ この先も、どうか反対のベクトルの感情は抜きで・・極力抜きでいてください〜。
煙管をふかして手酌で一杯、“にょほほ”と笑うニタが、ふてぶてしくて可愛くな〜い。のがメチャメチャ可愛い〜^^ 十兵衛のお師匠さんの吉野十玄は、浮世絵師の歌川国芳のイメージをフィーチャーしているらしい。無類の猫好きで猫絵をいっぱい描いたそうで、Cat-City Museum:猫と浮世絵 ←こちらを読んだら感動が込み上げる! 心なしかニタは国芳の猫に似てる気がしてきた^^
二話目のおバカな猫ちゃん(手拭いを被って猫又になる練習をしてますw)の話や、六話目のちょっとほろ苦くて優しい見習い絵師の成長物語などが特に好き。十兵衛やお師匠さんの含蓄のあるイナセな一言も光ます。十玄師匠、蔦屋にも見込まれているようです。実はスゴいんです。


猫絵十兵衛 御伽草紙 1巻
永尾 まる
少年画報社 2008-12 (単行本)
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★★
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遊郭のはなし / 長島槇子
吉原・江戸町の格式高い遊女屋、“百燈楼”という大楼に伝わる怪談話。 妓夫、女将、内芸者、幇間、遣手、禿、花魁・・たちが入れ替わるように語り手となって、一見の客を案内し、もてなす行程を再現しながら、遊郭の七不思議を一つ一つ明かしていく。 そのうちに客は段々と抜けられない闇に落ちていく・・といった構成の連作長編。 松井今朝子さんの「吉原手引草」のような趣向で、吉原ツアー化け物屋敷バージョンっぽい感じ。
郭は魔窟。 妓楼は伏魔殿。 自害や心中、折檻で責め殺されたり、火事や疫病で非業の死を遂げた娼妓たちの幽魂が彷徨う郷。 何が出たっておかしくないといわれる江戸の遊郭は、怪異譚の聖地さながら幽霊との相性が抜群。 さらに幽霊沙汰は、妓楼に箔が付くとばかり、自ら噂を広める女将もいたとかいないとか・・
郭言葉や隠語をふんだんに使っていても全く鼻につかないし、解説も親切なのに煩わしくない。 張りと意気地の裏側に切々と流れる哀調。 嘘を買うのが通人といわれる遊郭の仁義。 見栄や粋で塗り固められた郭情緒が、滴るほどコアに描かれていたと思う。
文章が殆ど長唄調で構成されてるのも面白かった。 道で軍艦マーチに歩調が合っちゃって決まり悪くなるのに近いかも。 読書中、脳内に長唄が流れ続けているみたいで、なんだかこそばゆかったし。
途中までは面白かったんだよな〜。 すんごく喰いついて読んでた。 短篇毎に紹介される説話めいた怪談もそれぞれよかった。 後半になると短篇同士がリンクしていくような“予感”がして、パズルのピースが揃うと一枚の大きな怪談絵巻が・・って、期待を膨らませ過ぎちゃったのもいけなかったんだけど。 思ったよりもピースの収束感がなくて・・勝手だよなぁ。読者って。っじゃなくて、わたしって;;

以下、未読の方は読まないで! 備忘録です。
作中の“百燈楼”に伝わるという七不思議。 これは長島さんのオリジナルなの?(だったら神) それとも伝承を踏まえたもの?(それでも稀有な職人です)
ちょっと調べたくらいではわからなかったので書きとめておきます。 気になる。
【赤い櫛】 赤い櫛が落ちているのを見かけても、手に取ったり、拾い上げたりしてはいけない。 拾った者は必ず命を落とす。
【八幡の鏡】 使わない鏡を置いたままにしておくと、映った空間が取り込まれ、鏡の中にあるはずのない世界が生まれる。
【遣手猫】 色気の抜けない遣手婆が猫に化けて客に媚を売るとか、年老いた猫が遣手に化けて客に色目を使うとか・・
【鼠の道中】 妓楼に巣食う鼠は、食べられない小間物なども引いていき、集めた綺麗な小間物で飾り立て、花魁道中の真似事をするという。
【無常桜】 咲いたそばから散るという枝垂れ桜の名木。 花魁になれないままに若死にした禿や新造の霊魂が宿っているという。
【木魂太夫】 妓楼に棲む声だけの主。 古の太夫の変化だという。 滅多に現れないが気ままに出没し、人を助けたり惑わせたりする。
【一つ目の禿】 古道具が一つ目の子供に化けたおばけ。 遊郭では場所がらか禿に化けるという。 赤いべべ着て手鞠唄を口ずさみながら生首を鞠の代わりに突いているとも。
番外【紙縒の犬】 相手から来た文を裂いて紙縒りに縒って犬をつくり、飾っておく。 待ち人を呼び寄せるための娼妓のおまじない。


遊郭(さと)のはなし
長島 槇子
メディアファクトリー 2008-05 (単行本)
関連作品いろいろ
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