笑ってばかりで、ゴメンナサイ!! / アンソロジー
ティーンズ向け叢書、“読書がたのしくなる世界の文学”シリーズの一冊。 十八世紀から二十世紀初頭にかけての海外文学の短篇作品が、“笑い”をテーマに選りすぐられています。 古き良き訳で味わうというのがコンセプトになっているようで、作者もさることながら訳者が錚々たる面々。
なにぶんオーソドックスな、けれどそれだけ物語の力強さがストレートに伝わってくる作品ばかり。 語りの随所にユーモアを噛ませるというよりか、オチのウィットや一筋縄ではいかない余韻を愉しむといった、ストーリーそのものの反映として生まれてくる“笑い”には、様々な余地が付随し、馥郁とした奥深さがありました。 諧謔精神という気概の鉱脈に触れさせてもらった気分
対象の名前を知れば相手を支配出来るという概念が込められた、いわゆる“名前の神秘性”をテーマとしていることで知られる「ルンペルシュチルツヒェン」は、道徳的な教訓が見当たらないグリムの一作として、妙に存在感があって記憶に残っています。 チャーミングで不敵でシュールで、確かにどこかコミカルなものが潜んでるんですよね。
「葬儀屋」は、怪奇幻想風味のドタバタ喜劇譚。 主人の強欲さと後ろめたさが風韻を漂わせています。
“枠物語”の「飛行鞄」は、どこか「千一夜物語」を想わせるものがあるんですが、調べてみたら、その「千一夜物語」の影響を受けたとおぼしきフランスの東洋学者フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ作の「千一日物語」の中の「マレクとシリン王女の物語」を下敷きとしているらしい。 人を喰ったようなラストに味があります。
「糸くず」は、それこそまさに“たった一本の糸くず”で破滅に至る男の悲哀と滑稽さをアイロニカルに描き、同時に“嘲笑”というものの怖さをシニカルに描いていると言える最も苦みの強い一篇でした。
互いの思い違いを叙述トリック風にさばいた「老僕の心配」は、巧い!の一言。 唯一(?)ハッピーエンドと言える一篇で、心温かくクスクスっとさせてもらいました。
「幸福な家庭」は、『幸福な家庭』というタイトルの小説を書き始めた小説家の思惟の流れをたどるエスプリの効いたメタ風味な作品で、小説家の世知辛い実生活と、描こうとしている小洒落た理想世界とのギャップが切ないのだ。 読みながら常に笑いが伴う点で非常に楽しかった一篇。
掉尾を飾る「破落戸の昇天」は、正確にはモルナール・フェレンツの戯曲「リリオム」を森鴎外が翻案した作品だそうです。 原作を知らないので、異同がどれほどのものかはわかりませんが、一握の抒情に胸がいっぱいになります。 偏見かもしれないけど、この機微は日本人に馴染み深いんじゃないかなぁ。 主人公のツァウォツキーには、どことなくダメダメな江戸っ子のメンタルを想わせるものがあって^^;

収録作品
ルンペルシュチルツヒェン / グリム兄弟(楠山正雄 訳)
葬儀屋 / アレクサンドル・プーシキン(神西清 訳)
飛行鞄 / ハンス・クリスチャン・アンデルセン(菊池寛 訳)
糸くず / ギ・ド・モーパッサン(国木田独歩 訳)
老僕の心配 / オー・ヘンリー(吉田甲子太郎 訳)
幸福な家庭 / 魯迅(井上紅梅 訳)
破落戸の昇天 / モルナール・フェレンツ(森鴎外 訳)


笑ってばかりで、ゴメンナサイ!!
アンソロジー
くもん出版 2014-12 (単行本)
関連作品いろいろ

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物語の魔の物語 / アンソロジー
[副題:メタ怪談傑作選][井上雅彦 編] 物語そのものをモチーフとした物語であるメタフィクション志向の怪談を選りすぐった精華集。
メタフィクションの悪魔的なメカニズムについて触れた編者による解題も興味津々。 恐怖を排除する結果をもたらすと同時に、恐怖への防波堤をも撤去してしまうメタ怪談の自己言及的な特質を、“悪夢の中で、これが悪夢だと気がついても覚めることのできない状態”と喩えておられ、“現実が怪談を解体し批評する面白さと、怪談が現実を解体し批評する怕さ”と評しておられます。 確かに、被書空間と直に対面させられていることに気づいた時の、はっとするような得体の知れない感覚というのがメタフィクションを読む醍醐味なのだよなぁ。
しかしまぁホント、洒脱でレトリカルで、摩訶不思議な読後感を体験できる一筋縄ではいかない作品ばかりでした。 “魔の物語の魔”、“魔の物語の物語”、“物語の魔の魔”という三つのセクションに分かれていて、これだけで既にグルグルと頭が混乱してしまうのだけど、まず最初の二編が“語られるべき物語の中身が不明瞭な話”で、メインの九篇が“語るべき者と語られるべき物語の中身が干渉し合う話”で、最後の二篇が“語るべき者が不明瞭な話”といった三系統に分類されているのではと察せられます。
トップバッターの「牛の首」は、メタ怪談の金字塔だろうと思う。 既に半ば都市伝説化している節さえありそう。 とても怖いらしいが誰も内容を知らない『牛の首』という怪談話を巡る怪談なのだが、著者の創作が元祖なのか、著者が古い巷説を作品化したのかさえ、この先どんどん有耶無耶になってしまうんじゃないだろうか。 「死人茶屋」も同種の話なのだが、こちらの元ネタは正真正銘かつて存在した上方落語の演目らしい。 継承者がいなくなり、タイトルだけは記録に残っているが噺の中身は失われてしまった演目の一つだという。 タイトルの不気味さも手伝ってか、この噺を演じると怪現象が起こり、あまりの怖さに誰も演じたがらなくなったという都市伝説が実しやかに流布しているらしく、本篇はその認識を踏まえたSF作品で、禁断のコマンド的な薄ら寒さが結構好き。
人の好奇心によって育っていく“生きている怪談”系の話として「牛の首」や「死人茶屋」と同類なのだけど、中身のみ伝承されて作者がわからないという逆タイプなのが「何度も雪の中に埋めた死体の話」。 一番のお気に入りかも。 読みながら自分もどっかで聞いた話だぞと思って、“見えざる語りべが人々の夢の中で伝えていく異次元のフォークロアではないだろうか”の心境を共有しながらゾワゾワさせてもらったのだけど、初出の「奇譚草子」を既読だったという(笑) 物語が秘める魔性について語るエッセイと読むべきか、そういう体裁を採用して書いた確信犯的な物語と読むべきか、見分けのつけようがないところが小面憎いのです。
怖さというより、ショートショートとしてのウィットを愉しんだのが「ある日突然」や「残されていた文字」。 「殺人者さま」も巧いなぁと唸りました。 「読者が犯人」と銘打ったミステリを何冊か読んだことがあるけれど、本篇を越える効果はないと思えるくらい、その一点における鮮やかさは究極的です。
あと好きだったのが「丸窓の女」。 モダン情緒と底の見えないハイブローなヤバさの余韻がいい。 この「丸窓の女」や、ある種寓話的で諷刺的とも取れる 「鈴木と河越の話」は、語る者と語られる者の関係性をドッペルゲンガー的に描いたサイコチックな趣きです。 「五十間川」は「登場人物と作者が入れ替わる」趣向にチャレンジした非常に実験的な作品ですが、円環を成す構造や内在する批評性の観点からも「怪奇小説という題名の怪奇小説」を連想しました。 作中作として埋め込まれた百けん調の掌篇の、一篇一篇もその集合的雰囲気も美味。 美味といえば昭和初期風怪奇小説の小暗いロマン香る「猟奇者ふたたび」もまた、それ自体が怪奇小説への批評性を具えた作品。
本編は二冊しか出てない異形ミュージアム叢書の一冊なのですが、もうこれで打ち止めなのかな。 シリーズ名には、既存の銘篇を陳列したコレクション空間としての“博物館”的意味合いと、虚構の遊戯芸術に値する絵のない騙し絵を収めた言葉の“美術館”的意味合いという二重の編集意図が込められているそうです。 因みにもう一冊の方は時間怪談傑作選。 そちらも読んでみたくなりました。

収録作品
【魔の物語の魔】
牛の首 / 小松左京
死人茶屋 / 堀晃
【魔の物語の物語】
ある日突然 / 赤松秀昭
猟奇者ふたたび / 倉阪鬼一郎
丸窓の女 / 三浦衣良
残されていた文字 / 井上雅彦
セニスィエンタの家 / 岸田今日子
五十間川 / 都筑道夫
海賊船長 / 田中文雄
鈴木と河越の話 / 横溝正史
殺人者さま / 星新一
【物語の魔の魔】
何度も雪の中に埋めた死体の話 / 夢枕獏
海が呑む〈1〉 / 花輪莞爾


物語の魔の物語
 ―異形ミュージアム2 メタ怪談傑作選―

アンソロジー
徳間書店 2001-05 (文庫)
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怪奇小説日和 / アンソロジー
[副題:黄金時代傑作選][西崎憲 編] 1992〜93年に刊行された「怪奇小説の世紀」全3巻から13篇を選出し、さらに訳しおろし含め新たに5篇を加えて再編集した文庫版。 姉妹アンソロジー「短篇小説日和」と同じく19世紀後半から20世紀半ば頃に発表された、主に英国作家の作品を軸としたセレクト。 西崎憲さんのボリューム感ある巻末エッセイも健在。
一時代に花開いて散っていった、いわゆる“怪奇小説”あるいは“ゴースト・ストーリー”と呼ばれる一種独特のジャンルには、えもいわれぬ味わいがあります。 怖さというよりクラシカルな雰囲気を堪能するものだよなぁーと、しみじみ感じ入ってしまう。 とは言え怖いとなると底無しに怖い。 そういう一面を隠し持つような洗練された作品ばかりです。
正統的なゴースト・ストーリー、心理主義、モダニズム、ロマン派チックなものから、ワン&オンリーな個性派まで実に粒ぞろい。 ガツガツ読んでしまったのが悔やまれます。 忘れた頃に一篇だけ読み返したら、どれもこれも更なる輝きを放ってそう。
「岩のひきだし 」と「遭難」は、それぞれノルウェーの海とスイスの山の怪異。 ノルウェーの民間伝承に材をとったとおぼしき「岩のひきだし」は、漁師と海の精霊(魔物)との異種結婚譚めいた話で、土着的な息吹きがよかったです。 海の岸辺に切り立つ岩壁が家財道具の詰まった抽出しになっていて、その抽出しを引っ張って開けるための壁面の小さな輪が指から抜けなくなり、その指輪が異界との逃れられない契約になってしまうという初耳のモチーフにワクワクしました。 伝承といえば「妖精にさらわれた子供」は、炉辺話のような素朴さといい、アイルランド貧村地域の自然風土といい、ケルト民話の世界そのものでした。 ただし民話を短篇小説へと昇華させた哀切な余韻が流石。
余韻の半端なさにやられる作品が圧倒的な中で、白眉だと思ったのが「失われた船」。 結末の謎めきが醸す遣る瀬なさは言葉にならないなぁ。 この一篇をラストに持ってくる辺りが憎い。 物語の構成力と詩美性が完璧なエレガンスを奏でる「墓を愛した少年」は、こちらもまた、第一話目として序曲に相応しい佳篇。 構成力と言えば、怪異の小道具として“旅行時計”の存在感を見事に際立たせた、その名もズバリなタイトル「旅行時計」も外せない。 ラストのささやかなウィットがお洒落で好き。
一番のウィット系は「ボルドー行の乗合馬車」でしょうね。 著者は実話怪談の収集家だそうなのだけど、もっと広い意味で巷談の収集家でもあったということなのか。 だってこれは・・ まぁ、不条理で不気味な小話なんですが小話は小話だもの^^; どこで仕入れたものか、めちゃめちゃ既視感あるんだよなぁ。 落語の「馬のす」のオチなしヴァージョンぽくもあります。 もう一篇、ウィット系なのが復讐する気のない幽霊に居座られちゃう「がらんどうの男」。 こちらも落語を思わせる人を食ったようなところが無きにしも非ずで、オチのオチまでついてる格好ですが、逆に幽霊の虚無性にゾワリとさせられる一抹の怖さがあります。 古典落語の「三年目」に取材した山本昌代さんの「居酒屋ゆうれい」をちょっと思い出したw 
「陽気なる魂」が何気に一番印象深いです。 3回読んでしまった。 誰か解説してください・・orz 語り手を含めた登場人物(登場しない人物の影も含めて)の誰もかれもの得体が知れない。 読解を支える拠りどころがどこにもないというのか、いや、あるのだろうけど全く掴ませてもらえない怖さに魅入られてしまった感じです。 同様にハイブロー系なのが「列車」。 タイトルが示す通りに、“列車”という一つのイメージによって鮮烈に染め上げられた怪異。 こちらの恐怖の実体はそれなりに掴める感触があるので置いてきぼりにはなりませんが、ラストの反転感にグラッとなり、戦慄を伴う眩暈に襲われます。
「真ん中のひきだし」は正統派の中の正統派の趣きで、自分が思い描く古き良きゴースト・ストーリーど真ん中なイメージ。 「フローレンス・フラナリー」や「ターンヘルム」は魔の顕現が圧巻で、ロマン派寄りの香り高さと濃密な気配が美味でした。 「七短剣の聖女」もロマン派っぽいと言えなくもないのですが、ドン・ファン伝説異聞というのか、もう一人のドン・ファン伝説というのか・・ 17世紀のアンダルシアを舞台とした中世古譚風の騎士物語に神話やお伽噺モチーフがふんだんに鏤められていて、このラインナップにあってはひときわ異彩を放っています。 カトリックとイスラムが綾なすバロックな映像美に惑溺しました。
巻末エッセイでは、怪奇小説が隆盛だった19世紀後半から20世紀前半(通史的にはゴシック小説とモダンホラーの間の期間)を黄金時代と位置づけ、その前後でどのような移行がなされたか、宗教観や社会観や人間観の変化といった精神史的な観点から恐怖を扱う物語の変遷を紐解く考察がなされていて、勉強になりました。
批評研究の歴史も興味深かったです。 ゴシック小説の膨大な研究の成果に対し、怪奇小説の研究たるや片々たるものであるという。 そもそもというか未だにというか、研究対象としての関心が薄い分野なんですね。 誠にさみしい。 怪異や奇蹟が当たり前だった時代が終わり、科学進歩の黎明によって教会万能主義が崩れると、信じる信じないの間で大きなエネルギーが生じ、怪異がより身近な好奇心として改めてクローズアップされたのが黄金時代だったんだろうなぁ。 二十世紀中葉以降の科学妄信の時代を迎えると、居丈高な批判にさらされたり、そっぽを向かれ打ち捨てられたであろうことは想像に難くありませんが、もうそういう時代でもなかろうし、無知を知る境地に近づきつつある(と思う)現代では、むしろ怪奇小説を読み返す土壌が回復しているんじゃないかと、願いも込めて。 まぁ、コアなファンがいる分野なんでよもや忘れ去られることはあるまいが、この先、学術研究が盛んになってくれると嬉しいなぁ。

収録作品
墓を愛した少年 / フィッツ=ジェイムズ・オブライエン(西崎憲 訳)
岩のひきだし / ヨナス・リー(西崎憲 訳)
フローレンス・フラナリー / マージョリー・ボウエン(佐藤弓生 訳)
陽気なる魂 / エリザベス・ボウエン(西崎憲 訳)
マーマレードの酒 / ジョーン・エイケン(西崎憲 訳)
茶色い手 / アーサー・コナン・ドイル(西崎憲 訳)
七短剣の聖女 / ヴァーノン・リー(西崎憲 訳)
がらんどうの男 / トマス・バーク(佐藤弓生 訳)
妖精にさらわれた子供 / J・S・レ・ファニュ(佐藤弓生 訳)
ボルドー行の乗合馬車 / ロード・ハリファックス(倉阪鬼一郎 訳)
遭難 / アン・ブリッジ(高山直之・西崎憲 訳)
花嫁 / M・P・シール(西崎憲 訳)
喉切り農場 / J・D・ベリズフォード(西崎憲 訳)
真ん中のひきだし / H・R・ウェイクフィールド(西崎憲 訳)
列車 / ロバート・エイクマン(今本渉 訳)
旅行時計 / W・F・ハーヴィー(西崎憲 訳)
ターンヘルム / ヒュー・ウォルポール(西崎憲・柴崎みな子 訳)
失われた船 / W・W・ジェイコブズ(西崎憲 訳)


怪奇小説日和 ―黄金時代傑作選―
アンソロジー
筑摩書房 2013-11 (文庫)
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★★
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変愛小説集 日本作家編 / アンソロジー
[岸本佐知子 編] “変な愛”を集めた翻訳アンソロジー「変愛小説集」の日本作家バージョンです。 変愛小説愛好界のカリスマである岸本佐知子さんが選者を務めた十二篇。 全てこの企画のために書き下ろされた作品らしい。
恋愛とは、その純粋な姿をつき詰めて描こうとすればするほど、グロテスクな、極端な、変てこなものになっていく・・ 変愛を集めてみたら“変愛=純愛”の図式が成立していることに気づいてしまった的な、確かそんなニュアンスだった翻訳アンソロジー。 今回、日本版の執筆依頼にあたっては、“愛について”というシンプルなテーマ以外、あえて何の注文もしなかったそうです。 しかしそこはやはり現代日本を代表する変愛小説の書き手として変愛通の選者が白羽の矢を立てた精鋭の競作となれば推して知るべし。 恋愛至上主義へのカウンター的意思表示ででもあるかのような一筋縄ではいかない妙篇揃い。
“愛”の範疇そのものが漠としていたためかもしれないのだけど、もんやりと複雑な気持ちを呼び覚まされはすれど、安易な共感を超越した境地に突入している作品が多く、どうにもわたしの中では、“純愛”という肌合いに直結しなかったのだよなぁ。 海外編の純愛度の方がより鮮烈に思えたのは、それだけすんなり感情移入ができたから・・なのか。 結局のところ恋愛とは人それぞれに帰着するものなのだ。 日本編を読んで一番感じたのはそんなこと。 人の恋愛なんてわからないのが当たり前なのだとすれば、ここにこそ逆説的に真の“純愛”が描かれていたかもしれないではないか、とも思うのだ。
大丈夫。真弓は清らかだよ。きっと、真弓も、お母さんも、友達も、三人とも清らかなんだ。だから他の人の清潔な世界を受け入れることができないんだ。それだけだよ。
「トリプル」の作中の言葉は、この本を読むわたし自身に跳ね返るものがあったかもしれない。 心に留めておきたい、おかねばと感じた言葉。
まぁそれでも、馴染みのある作家さんはそれぞれに“らしいなぁ〜”と思いながら読みました。 これダメでしょ、ってくらいぶっ飛んでたのが「天使たちの野合」で、告白すると一番好き。 アイロニカルな視点で見下ろされる矮小な男どもに、作者の私刑が炸裂するラストの突き抜け方が気持ちいいほどバカバカしくて。 そして「韋駄天どこまでも」の超絶技巧に痺れた。 この縛りの中で、何たる闊達自在な筆さばきだろう。 言葉遊びをふんだんにしでかしてる小説が海外にはざらにあるわけですが、訳者さんがどんなにご苦労くださっても完全には味わい尽くせてないんだよなぁーという常日頃の鬱積を帳消しにしてもらえた気分。 人の営みと文字そのものとが響き合う漢字の特質を活かし、漢字文化ならではの言語遊戯を駆動力にしたこんな稀有な小説が日本語の文章で書かれている喜び。 擬古風チックで独特な饒舌体が読者を圧伏する「逆毛のトメ」も気に入りました。 ファンキーでパンクなおとぎ話みたいだった。 初読みの作家さんでしたがマニアックな作品集を過去に一冊だけ出してるらしいので要チェック。
遠未来の神話世界的イメージが静謐で美しい「形見」は、唯一ストレートにキュンとくるものがあった。 なんとはない日常の中に潜む夫婦間の危うい均衡にズキッとなる「藁の夫」、ひんやりとしていながらフェティッシュで物狂おしい「男鹿」あたりにより強く嵌りましたが、特異な構築力とイマジネーションを満遍なく見せつけてくれる濃厚な一冊でした。

収録作品
形見 / 川上弘美
韋駄天どこまでも / 多和田葉子
藁の夫 / 本谷有希子
トリプル / 村田沙耶香
ほくろ毛 / 吉田知子
逆毛のトメ / 深堀骨
天使たちの野合 / 木下古栗
カウンターイルミネーション / 安藤桃子
梯子の上から世界は何度だって生まれ変わる / 吉田篤弘
男鹿 / 小池昌代
クエルボ / 星野智幸
ニューヨーク、ニューヨーク / 津島佑子


変愛小説集 日本作家編
アンソロジー
講談社 2014-09 (単行本)
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法月綸太郎の本格ミステリ・アンソロジー / アンソロジー
[法月綸太郎 編] マニアには物足りないかも・・と仰ってますが、拡張型本格とでもいうべきジャンルの可能性を感じさせてくれるような・・ 本格コードに収まらないエスプリの効いた作品が多く、らしさが匂い立つセレクト。 雑食気味のわたしとしては大いに堪能させてもらいました。 自分の趣味を優先しつつ、意外に見落とされがちな短篇に光を当てることにも力を入れたとのこと。 総じて“語り=騙り”を機軸に据える本格観がそこはかとなく示されていた印象。
軽い肩ならし→密室トリック→犯人当て→異色風味と、テーマの異なる四つの章で構成されています。 辻真先さんの「仮題・中学殺人事件」の章立てに倣ってコンセプトを絞ったのだそうです。 手元の文庫新版を点検してみたら“おわかれしま章”がないので旧版を再読してみたくなってしまった。 関係ないけど;; 章間には“栞”と題された箸休めエッセイが三たび挟まれており、ハードボイルド風本格、密室短篇、海外クラシック・ベスト20、と、それぞれのテーマに沿ったオマケの作品紹介も楽しめます。
一つの方向へ釘付けにされた意識が、蓋然性と意外性を備えた全く別の発想の導入によって覆されるときの、爽快なまでの心地よい敗北感は、本格ミステリを読む醍醐味でありましょう。 法月さんが「はかりごと」を“本格スピリットの萌芽”と捉えた感覚に膝を打ちたくなった。 これがいわゆる“意表をつく着想” と“エレガントな解法”の端的な例なのかなと思わされる。
一番好きなのは「死とコンパス」。 本格ミステリのパロディなのだけど、無意味な対称と偏執狂的な反復を寄せ集めた館で××××る探偵というシンボリックな世界観が圧巻で、彼が、“個人的感情から離れた、ほとんど誰のものでもない悲哀を感じ”るところで痺れまくった。 後期クイーン問題を予言するようだ・・と解説されていて、自分は未だクイーンの後期作品を読んでないんですが、その何たるかの尻尾を掴んだ気になりました。 探偵(小説)が抱えるジレンマを物語に昇華し、優れた批評を内在させた作品。 この最終話と対をなすように配置されているトップバッターの「ミスター・ビッグ」も、(またちょっと違う意味で)本格(というよりハードボイルド)ミステリを形而上学的にアレンジしたパロディ。 高尚な哲学フィールドを弄り倒さんばかりのアイロニーが炸裂するバカバカしくも辛辣な一篇。
「偽患者の経歴」もよかった。 ノンフィクション・エッセイということなのだが、上質なサイコ・スリラーとしか思えない・・不謹慎かもしれないけど。 何が真で何が偽なのか? ラストの煙幕がまた素晴らしい。
「動機」は、乱歩が紹介したというお墨付きの超有名作らしいですね。 案の定、全く知らず。 もう、タイトルそのままなんだけど、自分の中のノックスイメージを補完してくれるような拗れた作品。 これは記憶に残るわぁ。 あと、個人的には「密室 もうひとつのフェントン・ワース・ミステリー」がツボ。 稚気満々の密室ものパロディ。 しかし、ニヤニヤしながら読んでるとラストのメタ展開に撹乱され、いなされてしまう。 ん? え? 作者が小説内人物にこの小説を読ませてる・・のか??
常々読みたいと思っていた作家、クリスピンが入っていたのも嬉しかったです。 「誰がベイカーを殺したか?」はシリーズ探偵のジャーヴァス・フェン教授もの。 なぞなぞ感覚の引っ掛け問題で、“話し方自体が重要”なことと、“不適切な疑問の一例”であるという親切なヒントが与えられるため、難易度はそれほどでもないのだけど、きちんと張った伏線を理詰めで回収していく解法が鮮やかな佳篇。 英国のインテリ層が醸し出す雰囲気も美味。
中西智明さんに幻の短篇があったなんて知りませんでした。 「ひとりじゃ死ねない」は、読者への騙しと作中での謎解きが乖離しながら両立している技巧の美しさに惹かれる。 作品に関するコメント(というか注釈というか言い訳というか)が中西さんご本人から寄せられるというファンサービスも。 詭弁?なのかどうかもわからないくらい易々と説得されてしまった。 もしかして完璧主義者? ふふ。 戻ってきて欲しいな。

収録作品
ミスター・ビッグ / ウディ・アレン(伊藤典夫 訳)
はかりごと / 小泉八雲(田代三千稔 訳)
動機 / ロナルド・A・ノックス(深町眞理子 訳)
消えた美人スター / C・デイリー・キング(名和立行 訳)
密室 もうひとつのフェントン・ワース・ミステリー / ジョン・スラデック(越智道雄 訳)
白い殉教者 / 西村京太郎
ニック・ザ・ナイフ / エラリー・クイーン(黒田昌一 編訳)
誰がベイカーを殺したか? / エドマンド・クリスピン & ジェフリー・ブッシュ(望月和彦 訳)
ひとりじゃ死ねない / 中西智明
脱出経路 / レジナルド・ヒル(秋津知子 訳)
偽患者の経歴 / 大平健
死とコンパス / ホルヘ・ルイス・ボルヘス(牛島信明 訳)


法月綸太郎の本格ミステリ・アンソロジー
アンソロジー
角川書店 2005-10 (文庫)
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★★
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モンスターズ / アンソロジー
[副題:現代アメリカ傑作短篇集][B・J・ホラーズ 編][古屋美登里 訳] “モンスター”に因んだ短篇を集めたアンソロジー。 版権上の都合でしょうか。 全訳ではない(2篇外されてる)ようでちょっと残念。 2012年にアメリカで刊行され、編纂者も出版元も執筆陣もマイナー尽くし・・と紹介されています。 でも、エイミー・ベンダーとケリー・リンクが入ってるだけで十分そそられるものがあります。 訳者さん見逃してるけど、ジェディディア(ジュデダイア)・ベリーの「探偵術マニュアル」も2011年に東京創元社から邦訳出てますので念のため補足。
がしかし。 期待したほどにはフィットしなかったのだよなぁ。 ファンキーでポップでナンセンスな奇天烈系っぽい感じを勝手に想像しちゃってたギャップもあって。 フランケンシュタイン博士の怪物やヴァンパイアやゾンビや・・ モチーフは目白押しなんだけど、結局、自己の内部のモンスター性を具現する手段としてモンスター的な演出を採用するというお定まりの比喩的解釈ばかりで、社会の中に生きる人間の心理にスポットが当てられていた印象。 手に負えない自身の違和を持て余し、またそのせいで周囲と齟齬を来たしたり、居場所をなくしたり探し求めたり・・みたいな現代人のさまよえる魂を如何に群像化するかのヴィジョンが中心だった。 現実との密着感&ウェット成分が嫌じゃなければ問題なくお勧めできるし、良作揃いだったとは思うのだけど。 うーん・・わたしとしてはモンスターが足りない;;
身体の内側に抱えたおぞましさを逆にモンスターのメタファとして描いてるのが「わたしたちのなかに」で、ここまでくるとゾッとするくらいの凄みがあった。 ひょっとすると「受け継がれたもの」が一番オーソドックスなのにもかかわらず、視点の違う示唆と妙味を返って新鮮に感じたかも。 それとやはり「モンスター」の展開力は群を抜いてた気がする。 グロテスクで滑稽で意味不明で不気味。 個人的に気に入ってるのは「ゾンビ日記」。 無駄に(?)前向きで協調生のない俺キャラ(一人称“ぼく”だけど)がなんだか捨て難くて^^; あと「モスマン」はちょっときゅんとくるね。 絵は強しっ♪

収録作品
クリーチャー・フィーチャー / ジョン・マクナリー
B・ホラー / ウェンデル・メイヨー
ゴリラ・ガール / ポニー・ジョー・キャンベル
いちばん大切な美徳 / ケヴィン・ウィルソン
彼女が東京を救う / ブライアン・ボールディ
わたしたちのなかに / エイミー・ベンダー
受け継がれたもの / ジェディディア・ベリー
瓶詰め仔猫 / オースティン・バン
モンスター / ケリー・リンク
泥人間(マッドマン) / ベンジャミン・パーシー
ダニエル / アリッサ・ナッティング
ゾンビ日記 / ジェイク・スウェアリンジェン
フランケンシュタイン、ミイラに会う / マイク・シズニージュウスキー
森の中の女の子たち / ケイト・バーンハイマー
わたしたちがいるべき場所 / ローラ・ヴァンデンバーグ
モスマン / ジェレミー・ティンダー


モンスターズ
アンソロジー
白水社 2014-08 (単行本)
関連作品いろいろ

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ダブル/ダブル / アンソロジー
[マイケル・リチャードソン 編] 20世紀に書かれた(アンデルセンの「影」だけ例外)西洋の現代小説の中から双子、分身、鏡像、影といった、“一人が二人で二人が一人”の物語を集めたアンソロジー。 錯綜し分裂する自我、混乱する視点、デジャヴのような二重感覚、選択されなかった可能性、アナグラムのような別の世界・・ “ダブル”モチーフとして括られていても、いや、括られているだけに、そのヴィジョンの多様性に目を奪われてしまいました。
地域を問わず神話の時代から人の営みとともにあったテーマですが、“私”というものに対する意識の昂まりを投影した19世紀文学において、“ドッペルゲンガー”モチーフとして妍を競うように花開いたと言います。 アイデンティティの探求というテーマが深化されていく20世紀文学では、ドッペルゲンガーに代わり、或いはその捉え直しとして“影”の概念が頻出するようになると編者は指摘します。 自己を見つめようとすればするほど自己への違和が見えてしまうのは必然かもしれない。 コスミックな枠に収まりきれず無形化していく現実が、形而上学的な色合いを帯びて濃さを増し、それこそ“影”のように揺らめいている・・ ここに採られた作品からもそんなオーラが漂うような。
なにかしら自己の他者性、二重性という主題への関心を窺わせる作家が並んでいるとも言えそうです。 編者によるちょっとしたナビゲートが短篇ごとに添えられていて(また、そこまできちんと訳出してくださっているのが)喜ばしい。 錚々たる面々の隠れた佳篇的セレクトである本アンソロジーを編む上で霊感の源になったという古典の名作で編んだ架空の書物をドッペルゲンガーと称し、装丁、表紙、題辞、目次・・と頭の中で拵えていく編者の空想が楽しい。 因みにその目次は以下の通り。
分身 / E・T・A・ホフマン
オルラ / ギル・ド・モーパッサン
ウィリアム・ウィルソン / エドガー・アラン・ポー
加賀美氏の生活 / ナサニエル・ホーソーン
並外れた双子 / マーク・トウェイン
大法律家の鏡 / G・K・チェスタトン
書記バートルビー / ハーマン・メルヴィル
秘密の共有者 / ジョゼフ・コンラッド
拾い子 / ハインリッヒ・フォン・クライスト
懐かしの街角 / ヘンリー・ジェイムズ
泣く子も黙りそうなマスタービーズ感です。 しかし、無残にも殆ど読んでおりません。 せめて陳列して飾っとこうかと;;;
さて。 本編にもハズレは一篇たりとてないのですが、特にお気に入りをいくつか。 生と死の、光と影の対比を抒情豊かに刻印した「華麗優美な船」が好き過ぎる。 進化のプロセスの分岐点というものに想いを馳せずにいられない、あの郷愁を揺さぶるイマジネーションにやられてしまった。 現実とは見るものの中にしか存在しないのだということを悪魔的に見せられて震撼した「あんたはあたしじゃない」も好み。 ゴーゴリ的手法を用いてゴーゴリの奇異性に迫った「ゴーゴリの妻」は、グロテスクな誇張法による変種の評伝かと見紛うばかりの押し出しが圧巻。 自分から真に逃れる方法を“抹殺”ではなく“複製”に求めた男を描く「ダミー」は、とぼけた味の中に薄ら寒いものがあって妙に惹かれる。 双子の母親は娘なのか母親なのか? 青い目の男(=私)はマラカイの父親でもあったのか? 魔術的な眩暈を誘う「双子」も凄くよかった。 人の魂と不気味に結びつく物語が多い中で、人生に安心を見出す契機として“有用なやり方”で分身モチーフを調理している「二重生活」は貴重な一篇。 そして縁あって再読となった「パウリーナの思い出に」はエレガントで悍ましくて素晴らしい。 精緻な美しさに改めて魅せられた。

収録作品
かれとかれ / ジョージ・D・ペインター(共同訳)
影 / ハンス・クリスチャン・アンデルセン(菅原克也 訳)
分身 / ルース・レンデル(菅原克也 訳)
ゴーゴリの妻 / トンマーゾ・ランドルフィ(柴田元幸 訳)
陳情書 / ジョン・バース(柴田元幸 訳)
あんたはあたしじゃない / ポール・ボウルズ(柴田元幸 訳)
被告側の言い分 / グレアム・グリーン(菅原克也 訳)
ダミー / スーザン・ソンタグ(柴田元幸 訳)
華麗優美な船 / ブライアン・W・オールディス(菅原克也 訳)
二重生活 / アルベルト・モラヴィア(菅原克也 訳)
双子 / エリック・マコーマック(柴田元幸 訳)
あっちの方では / フリオ・コルタサル(柴田元幸 訳)
二人で一人 / アルジャーノン・ブラックウッド(柴田元幸 訳)
パウリーナの思い出に / アドルフォ・ビオイ=カサーレス(菅原克也 訳)


ダブル/ダブル
アンソロジー
白水社 1994-09 (新書)
関連作品いろいろ
★★★
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ニュー・ゴシック / アンソロジー
[副題:ポーの末裔たち][鈴木晶・森田義信 編訳]  現実の中の隠れた部分に積極的にこだわる現代小説を“ニュー・ゴシック”と位置づけ、そのコンセプトのもとに集めた11篇。 20世紀後半の60年代から80年代頃、主としてアメリカで上梓された作品のセレクトですが、読みたいと思いながら読めずにいるメジャー作家から、まったく名前も知らない(翻訳も殆どされていない)掘り出し作家まで、鮮度の衰えを感じさせないラインナップでした。 異色なアングルに満ち、瘴気とエレガンスが立ち込める不穏な空間は、それぞれに極上風味でありました。
伝統ゴシック小説の別世界的な仰々しさを離れ、広義のミニマリズムとして捉えるべき作品が、本編が提唱する“ニュー・ゴシック”であり、狂気、病、死、幽霊、牢獄、廃墟など象徴的モチーフを継承しつつも、卑近なリアリティと隔絶しない距離感が保持されている印象です。
日常の小さな裂け目から覗く、理性では捉えられない闇の領域、狭義のミニマリズム(ニュー・リアリズム)が、示唆はしてもあえて描かないその呪われた領域を凝視するのが“ニュー・ゴシック”であるという、いわゆる定義のようなものが編訳者によって巻末解説されています。 そしてその対象化できない魔の領域を実体化し、一定の形を与えたのがモダン・ホラーであると。 なるほど、ミニマリズムとモダン・ホラーのあわいを縫うジャンルの独特なポジショニングがスムーズに理解できました。
ニュー・ゴシックにあって、“魔”とは外ではなく内に、現代人の心の中に巣食う何ものかであるのだろうなぁという感慨が湧くだけに、ざわざわとした恐怖や不安と同時に身につまされないとも言い切れないような愛着すら醸し出す作品が多かったように思います。
不合理な展開のなかに衰えゆく生命力を端的に暗示した「他者たち」が特に好みでした。 あまりにも得体の知れないゆえの怖さという点では「敵」のシンプルさが白眉。 時空超越者の“私”による俯瞰的視点が物語を眩惑する「熱病」の、短篇とは思えない濃度とスケールと、迸るヴイジョンに圧倒されました。 生者と死者が分かち難く共鳴する「幽霊と人、水と土」の漠とした抒情もよかったなぁ。
SFベースの「人類退化」は、その奇妙な切り口といい、五感を悩ませる気持ちの悪さといい、含み笑いが底流していそうな抑えたユーモアといい、作者の他作品が俄かに気になり出しています。 アメリカに渡り学者として成功を修め、ヴェネチアに帰郷した老ピノッキオが、魔都さながらの故郷を彷徨する「暗殺者の夜」は、2012年に邦訳された長篇「老ピノッキオ、ヴェネツィアに帰る」の第1章に当たるという理解でいいのかな? コッローディの「ピノッキオの冒険」のパロディにもなっているらしく興味津々なのですが、まずは本家を再読しないことには。
もっとも狂気らしく狂気を扱っていたと思える「監禁」は、思考の詐術にひっかかるが如く無意識に脳内構築していた全体像がグラっと歪むラストの驚きに妙味がありました。 もっとも“そこ”が企みの核心だったかは定かでない^^; 掉尾を飾る「ブラック・ハウス」は、体裁こそ極めてゴシック調ですが、その実態は怪異の介在しないサイコ・サスペンス・・なはずなのに、核を成す人間心理の抽出が圧巻で、名付けようのない“魔”の幻影が生々しく匂い立ちます。

収録作品
他者たち / ジョイス・キャロル・オーツ(鈴木晶 訳)
監禁 / パトリック・マグラー(森田義信 訳)
懐かしき我が家 / ジーン・リース(森田義信 訳)
人類退化 / T・コラゲッサン・ボイル(森田義信 訳)
敵 / アイザック・B・シンガー(鈴木晶 訳)
暗殺者の夜 / ロバート・クーヴァー(森田義信 訳)
北へ / メイヴィス・ギャラント(森田義信 訳)
牢窓 / ルイス・スタントン・オーキンクロウス(鈴木晶 訳)
幽霊と人、水と土 / ウィリアム・ゴイエン(鈴木晶 訳)
熱病 / ジョン・エドガー・ワイドマン(鈴木晶 訳)
ブラック・ハウス / パトリシア・ハイスミス(鈴木晶 訳)


ニュー・ゴシック −ポーの末裔たち−
アンソロジー
新潮社 1992-09 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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ねじの回転 / ヘンリー・ジェイムズ
[副題:心霊小説傑作選][南條竹則・坂本あおい 訳] 巨匠ジェイムズの心霊怪奇譚を集めた選集。 表題作含む中短篇、五篇を収録。 イギリスあるいはアメリカ(ニューイングランド地方)の19世紀終盤という時代性を如実に映している観のあるスピリチュアルな雰囲気や、上流階級の人々が暮らすお屋敷の重苦しさに、しっとりとねっとりとまとわりつかれた気分。
ジェイムズは難解な文章の書き手だったそうだから、この、読み口のよい滑らかさは訳者さんの資質に負うところが少なくないのかもしれないけど、滲み出てくる品位や格調は、ジェイムズならではの肌触り・・なのかな。 「ねじの回転」のみ既読でしたが、いやもう、何度読んでも凄いね。 これ一篇なら自分のなかの溺愛度は五つ星。
今回読んでみて前回以上に頭をめぐったのは、歪んだ愛がもたらす昏い甘美な淫楽・・のようなものだった気がする。 ヴィクトリア朝期らしい“性の抑圧”が、ほとんどテーマと言っていいくらいに迫ってくる感じがして、眩いばかりの美しいパノラマのなかに隠秘された悍ましさに魅入られてしまったのだった。
天使のような子供たちを(猥りがわしさを体現しているらしい)邪悪な幽霊の魔の手から守ろうとしていたはずの女家庭教師自身が、結局は子供たちを蠱惑し、虐げる亡者に他ならないという、分身譚、トランスフォーム譚っぽいイメージなんだよなぁ。 もしかしてフローラは、マイルズを取られた嫉妬による憎しみ(ブラザー・コンプレックス)で女家庭教師に対抗したから毒牙に落ちず命拾いをしたのだろうか・・などとつらつら考えてしまった。
少なくとも、女家庭教師はそうした自身が抱えているエゴイスティックな支配欲に対して終始一貫無自覚なんだよね。 で、わたしの脳裏を、質朴で善良なるグロース夫人陰謀説が掠め通るのである。 女家庭教師の禍々しい欲望をそれとなく助長させ、自己破壊をアシストしているように思えてならなくて。 前任者も彼女に仕向けられて破滅に追い込まれたのかも。
マイルズとダグラスの相似も気になるところで、もしかすると二人はイコールなのであって、手記のラストは朗読者たるダグラス(=マイルズ)が自身の“心象”を表すためにアドリブで改竄したのかも・・ いや、それをやった者がいるとすれば一番外側の“私”なんじゃ? 女家庭教師が書いた手記をダグラスが読み聞かせている光景を記している“私”、という多重構成の、どこにどれだけの主観(信用ならざる要素)が混在しているだろうか、いないだろうか・・
合理性に拘ろうとすると必ず何かしらの反証に阻まれるし、詮索を始めたらきりがなく、そもそも初めから答えなど用意されてはおらず、とどのつまりどんな想像をも許容する不確かさこそを狙った作品なのだと理解しています。 しかも、符丁やら暗喩やら伏線らしきものを意味ありげにちらつかせて、辻褄の合う種や仕掛けを求めて探りを入れたい衝動を抑えられなくさせる超絶妙技が、長きに渡り解釈をめぐる論争へと読む者を駆り立ててきた決め手なんじゃないかということも。
表題作が抜きん出ていて他が若干霞んでしまう向きもあるんだけども、どれも心理の迷宮へ分け入るような香しさがありました。 その中では、飄逸洒脱なラストがいい味出てる「本当の正しい事」がお気に入り。


ねじの回転 −心霊小説傑作選−
ヘンリー ジェイムズ
東京創元社 2005-04 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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ノディエ幻想短篇集 / シャルル・ノディエ
[篠田知和基 編訳] フランス幻想文学の祖とされる小ロマン派(主流ではなくマイナーポエットなロマン派といった感じか?)の作家、ノディエの短篇ないし散文6篇を収めた精選集。
フランス革命とその後の混乱のさなか、狂気を抱えて生きたというノディエは、自身の感覚や意識の内的な働きだけが信じるに値する確かなものだと肯定し、揺るぎがないのです。 逃避と片付けるのは簡単ですが、現実社会への絶望からの極度の揺り戻しであり、反時代性が露わにされているからこそ、生き残る力があるのかもしれません。
夢、夜の幻、亡霊、妖精、恩寵に満ちた狂人や超俗的人間・・ そんなキーワードが浮かびます。 地上に生きる窮屈さや虚しさ、飛翔する魂への焦がれ、古典主義的権威や近代的合理精神に取り残され、置き去りにされたものへの郷愁が、切々と刻まれているように感じます。
とある貧しい藁ぶき小屋に棲みついた炉端の精霊と、その家に暮らす若妻の恋物語「トリルビー」は、バレエ「ラ・シルフィード」の原作なんですよね。 バレエは観ていないですし、粗筋しか知らないのでストーリーの単純比較さえ正確にはできませんが、印象としては別物くらい違います。 異種恋愛譚の鉄則どおりの美しい悲劇なんですが、原作では、地上の愛としてのカタストロフではなく、天上の愛の不滅性が謳いあげられていました。 既婚未婚の属性が変わってますし、性別の設定も逆です。 (原作の)いたずら小妖精トリルビーに対するジャニーの愛は、死産した我が子への思いに重なる含みがあったんじゃないかと感じました。 恋愛という狭い枠には収まりきれない愛のかたちが、悲しみを純化させる伏線になっていたように思えたのです。 また、異教に対する寛容派と排斥派の拮抗という構図を援用しながら、スコットランドにおけるキリスト教と民間信仰の関係を、民話(おそらくケルト?)の香りを濃厚に封じ込めたお伽話の中に展開し、アーガイル地方の自然美を幻想的詩情で包み込むように讃えた繊細優雅な世界観が本当に素敵。
「スマラ」は、眠りの神秘にまつわる物語で、複層構造のうえ、意識の主体が眩惑的です。 なんていうか・・ 混じり気なしの、それゆえに底無しにヤバい本物感があり、幻視の凄まじさを叩きつけられました。 “二重の存在の秘密”へのアプローチは、著作活動における一つの大きなモチベーションになっていたのではないかと。 全篇に何かしら通底するものがあったように思いました。 抜きん出ていたのは、やはり「トリルビー」と「スマラ」かなぁ。
実は、訳者解説に見つけたこんな一文に意表をつかれ、ときめいてしまった。
ノディエは失意をのりこえてこの年、フランスのみならず世界の文学の歴史の中にいまにいたるまで例をみない奇書である実験的な作品「ボヘミヤの王と七つの城の物語」を刊行、(以下略)
この題名で検索してもノディエとスターンしか出てこない・・ってことは、もしやこれって、ノディエはスターンを読んでいて「トリストラム・シャンディ」の作中に挿入されていた例の、いっこう始まらず終わってしまった話(笑)を自分で書いちゃったってことでOKですか? 内容からしてスターンへのオマージュなのかしら? わー、読んでみたーい!と思ったら訳本なくてガックリ。


ノディエ幻想短篇集
シャルル ノディエ
岩波書店 1990-03 (文庫)
関連作品いろいろ

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