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笑ってばかりで、ゴメンナサイ!! / アンソロジー
ティーンズ向け叢書、“読書がたのしくなる世界の文学”シリーズの一冊。 十八世紀から二十世紀初頭にかけての海外文学の短篇作品が、“笑い”をテーマに選りすぐられています。 古き良き訳で味わうというのがコンセプトになっているようで、作者もさることながら訳者が錚々たる面々。
なにぶんオーソドックスな、けれどそれだけ物語の力強さがストレートに伝わってくる作品ばかり。 語りの随所にユーモアを噛ませるというよりか、オチのウィットや一筋縄ではいかない余韻を愉しむといった、ストーリーそのものの反映として生まれてくる“笑い”には、様々な余地が付随し、馥郁とした奥深さがありました。 諧謔精神という気概の鉱脈に触れさせてもらった気分
対象の名前を知れば相手を支配出来るという概念が込められた、いわゆる“名前の神秘性”をテーマとしていることで知られる「ルンペルシュチルツヒェン」は、道徳的な教訓が見当たらないグリムの一作として、妙に存在感があって記憶に残っています。 チャーミングで不敵でシュールで、確かにどこかコミカルなものが潜んでるんですよね。
「葬儀屋」は、怪奇幻想風味のドタバタ喜劇譚。 主人の強欲さと後ろめたさが風韻を漂わせています。
“枠物語”の「飛行鞄」は、どこか「千一夜物語」を想わせるものがあるんですが、調べてみたら、その「千一夜物語」の影響を受けたとおぼしきフランスの東洋学者フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ作の「千一日物語」の中の「マレクとシリン王女の物語」を下敷きとしているらしい。 人を喰ったようなラストに味があります。
「糸くず」は、それこそまさに“たった一本の糸くず”で破滅に至る男の悲哀と滑稽さ、“嘲笑”というものの怖さをシニカルに描いていると言える最も苦みの強い一篇でした。
互いの思い違いを叙述トリック風にさばいた「老僕の心配」は、巧い!の一言。 唯一(?)ハッピーエンドと言える一篇で、心温かくクスクスっとさせてもらいました。
「幸福な家庭」は、『幸福な家庭』というタイトルの小説を書き始めた小説家の思惟の流れをたどるエスプリの効いたメタ風味な作品で、小説家の世知辛い実生活と、描こうとしている小洒落た理想世界とのギャップが切ないのだ。 読みながら常に笑いが伴う点で非常に楽しかった一篇。
掉尾を飾る「破落戸の昇天」は、正確にはモルナール・フェレンツの戯曲「リリオム」を森鴎外が翻案した作品だそうです。 原作を知らないので、異同がどれほどのものかはわかりませんが、一握の抒情に胸がいっぱいになります。 偏見かもしれないけど、この機微は日本人に馴染み深いんじゃないかなぁ。 主人公のツァウォツキーには、どことなくダメダメな江戸っ子のメンタルを想わせるものがあって^^;

収録作品
ルンペルシュチルツヒェン / グリム兄弟(楠山正雄 訳)
葬儀屋 / アレクサンドル・プーシキン(神西清 訳)
飛行鞄 / ハンス・クリスチャン・アンデルセン(菊池寛 訳)
糸くず / ギ・ド・モーパッサン(国木田独歩 訳)
老僕の心配 / オー・ヘンリー(吉田甲子太郎 訳)
幸福な家庭 / 魯迅(井上紅梅 訳)
破落戸の昇天 / モルナール・フェレンツ(森鴎外 訳)


笑ってばかりで、ゴメンナサイ!!
アンソロジー
くもん出版 2014-12 (単行本)
関連作品いろいろ

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教えたくなる名短篇 / アンソロジー
教えたくなる名短篇
アンソロジー
筑摩書房 2014-06
(文庫)


[北村薫・宮部みゆき 編] 北村薫さんと宮部みゆきさんが珠玉の短篇を持ち寄って編んだ“名短篇シリーズ”、初読みです。 本編は一番最近の一冊。13篇収録で、巻末にお二人の対談も付載されています。
個性の強い作品が多め。 読み慣れず、とっつき難さもあったのですが、でも、ここを入口と思いたい。 以下、お気に入りをメモ。
「青い手紙」は、都市伝説風味の作品で、「謎の物語」に収録されていた「謎のカード」の元ネタらしい。 話のど真ん中に底の見えない暗い穴がぽっかり空いてるようなリドル・ストーリー。 作者の前フリは物語の一部なのか、そうじゃないのか、メタ的な揺さぶりも魅力です。 「謎のカード」は残念ながら忘れてしまってるんだけど、最近読んだ「物語の魔の物語」所収の「牛の首」に近しいものを感じます。
「人間でないことがばれて出て行く女の置き手紙」は、いろんな民話で同工異曲が見受けられるシチュエーションだけど、ほとんど数センテンスで済まされてしまうんじゃないかというシーンをクローズアップしてくれたのが嬉しい!楽しい! と思った。 出だしが“おまえさんへ”で始まるので、無意識のうちに「昔話」かと思いきや、読み進めるうちにわかるんだけど、なんと「現代日常ベース」のお話! 一気にシュールになるんです。
「ほんもの」は、漂う皮肉とペーソスが素晴らしかった。 旧時代の類型と新時代の芸術が相性最悪なのは火を見るより明らかであることを若い画家の目線で端的に描いていて、目のつけどころも洞察力も感服してしまう。
「蛇踊り」は、ほろ苦いショートショート。 青春の光から影へ「叙述トリック」で鮮やかに暗転させるオチが見事。
「ささやかな平家物語」は、歴史ロマン随想の佳篇でした。 平家が関門海峡で滅びなければならなかった理由から出発し、夢想は優雅に羽ばたきます。 平家とコンスタンチノープルのコムネノス家の運命がシンクロし、平家一行の黄泉の国巡りの遍歴がラングスドルフ艦長との邂逅を呼び・・ やがて翼はたたまれ、机上の一点へと収束させる運びの美しさよ。
よくわからなかった作品もお二人の解説が助けになり、読み直して再認識。 「焼かれた魚」なんてまさにそれ! 「音もなく降る雪、秘密の雪」も再読の方がはるかに沁みた。 一番もやもやしていた「荒涼のベンチ」は宮部さんの読解が腑に落ちました。
コンラッド・エイケンは今のところほとんど邦訳がないようですし、長谷川修は時代に埋もれてしまっていたとのこと。 名篇を掘り起こしてくださる作業の尊さを思う・・

収録作品
【第一部】
青い手紙 / アルバート・ペイスン・ターヒューン(各務三郎 訳)
人間でないことがばれて出て行く女の置き手紙 / 蜂飼耳
親しくしていただいている(と自分が思っている)編集者に宛てた、借金申し込みの手紙 / 角田光代
手紙嫌い / 若竹七海
【第二部】
カルタ遊び / アントン・パヴロヴィチ・チェーホフ(松下裕 訳)
すごろく将棋の勝負 / プロスペル・メリメ(杉捷夫 訳)
【第三部】
ほんもの / ヘンリー・ジェイムズ(行方昭夫 訳)
荒涼のベンチ / ヘンリー・ジェイムズ(大津栄一郎 訳)
【第四部】
蛇踊り / コーリー・フォード(竹内俊夫 訳)
焼かれた魚 / 小熊秀雄
音もなく降る雪、秘密の雪 / コンラッド・エイケン(野崎孝 訳)
【第五部】
舞踏会の手帖 / 長谷川修
ささやかな平家物語 / 長谷川修
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物語の魔の物語 / アンソロジー
物語の魔の物語
−異形ミュージアム2 メタ怪談傑作選−

アンソロジー
徳間書店 2001-05
(文庫)


[副題:メタ怪談傑作選][井上雅彦 編] 物語そのものをモチーフとした物語であるメタフィクション志向の怪談を選りすぐった精華集。
メタフィクションの悪魔的なメカニズムについて触れた編者による解題も興味津々。 恐怖を排除する結果をもたらすと同時に、恐怖への防波堤をも撤去してしまうメタ怪談の自己言及的な特質を、“悪夢の中で、これが悪夢だと気がついても覚めることのできない状態”と喩えておられ、“現実が怪談を解体し批評する面白さと、怪談が現実を解体し批評する怕さ”と評しておられます。 確かに、被書空間と直に対面させられていることに気づいた時の、はっとするような得体の知れない感覚というのがメタフィクションを読む醍醐味なのだよなぁ。
しかしまぁホント、洒脱でレトリカルで、摩訶不思議な読後感を体験できる一筋縄ではいかない作品ばかりでした。 “魔の物語の魔”、“魔の物語の物語”、“物語の魔の魔”という三つのセクションに分かれていて、これだけで既にグルグルと頭が混乱してしまうのだけど、まず最初の二編が“語られるべき物語の中身が不明瞭な話”で、メインの九篇が“語るべき者と語られるべき物語の中身が干渉し合う話”で、最後の二篇が“語るべき者が不明瞭な話”といった三系統に分類されているのではと察せられます。
トップバッターの「牛の首」は、メタ怪談の金字塔だろうと思う。 既に半ば都市伝説化している節さえありそう。 とても怖いらしいが誰も内容を知らない『牛の首』という怪談話を巡る怪談なのだが、著者の創作が元祖なのか、著者が古い巷説を作品化したのかさえ、この先どんどん有耶無耶になってしまうんじゃないだろうか。 「死人茶屋」も同種の話なのだが、こちらの元ネタは正真正銘かつて存在した上方落語の演目らしい。 継承者がいなくなり、タイトルだけは記録に残っているが噺の中身は失われてしまった演目の一つだという。 タイトルの不気味さも手伝ってか、この噺を演じると怪現象が起こり、あまりの怖さに誰も演じたがらなくなったという都市伝説が実しやかに流布しているらしく、本篇はその認識を踏まえたSF作品で、禁断のコマンド的な薄ら寒さが結構好き。
人の好奇心によって育っていく“生きている怪談”系の話として「牛の首」や「死人茶屋」と同類なのだけど、中身のみ伝承されて作者がわからないという逆タイプなのが「何度も雪の中に埋めた死体の話」。 一番のお気に入りかも。 読みながら自分もどっかで聞いた話だぞと思って、“見えざる語りべが人々の夢の中で伝えていく異次元のフォークロアではないだろうか”の心境を共有しながらゾワゾワさせてもらったのだけど、初出の「奇譚草子」を既読だったという(笑) 物語が秘める魔性について語るエッセイと読むべきか、そういう体裁を採用して書いた確信犯的な物語と読むべきか、見分けのつけようがないところが小面憎いのです。
怖さというより、ショートショートとしてのウィットを愉しんだのが「ある日突然」や「残されていた文字」。 「殺人者さま」も巧いなぁと唸りました。 「読者が犯人」と銘打ったミステリを何冊か読んだことがあるけれど、本篇を越える効果はないと思えるくらい、その一点における鮮やかさは究極的です。
あと好きだったのが「丸窓の女」。 モダン情緒と底の見えないハイブローなヤバさの余韻がいい。 この「丸窓の女」や、ある種寓話的で諷刺的とも取れる 「鈴木と河越の話」は、語る者と語られる者の関係性をドッペルゲンガー的に描いたサイコチックな趣きです。 「五十間川」は「登場人物と作者が入れ替わる」趣向にチャレンジした非常に実験的な作品ですが、円環を成す構造や内在する批評性の観点からも「怪奇小説という題名の怪奇小説」を連想しました。 作中作として埋め込まれた百けん調の掌篇の、一篇一篇もその集合的雰囲気も美味。 美味といえば昭和初期風怪奇小説の小暗いロマン香る「猟奇者ふたたび」もまた、それ自体が怪奇小説への批評性をそなえた作品。
本編は二冊しか出てない異形ミュージアム叢書の一冊なのですが、もうこれで打ち止めなのかな。 シリーズ名には、既存の銘篇を陳列したコレクション空間としての“博物館”的意味合いと、虚構の遊戯芸術に値する絵のない騙し絵を収めた言葉の“美術館”的意味合いという二重の編集意図が込められているそうです。 因みにもう一冊の方は時間怪談傑作選。 そちらも読んでみたくなりました。

収録作品
【魔の物語の魔】
牛の首 / 小松左京
死人茶屋 / 堀晃
【魔の物語の物語】
ある日突然 / 赤松秀昭
猟奇者ふたたび / 倉阪鬼一郎
丸窓の女 / 三浦衣良
残されていた文字 / 井上雅彦
セニスィエンタの家 / 岸田今日子
五十間川 / 都筑道夫
海賊船長 / 田中文雄
鈴木と河越の話 / 横溝正史
殺人者さま / 星新一
【物語の魔の魔】
何度も雪の中に埋めた死体の話 / 夢枕獏
海が呑む〈1〉 / 花輪莞爾
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コドモノセカイ / アンソロジー
コドモノセカイ
アンソロジー
出版社 2015-10
(単行本)


[岸本佐知子 編訳] 主に英米現代作家の“子供にまつわる短篇”を集めたアンソロジー。 イスラエル作家のケレットのみヘブライ語→英語からの重訳とのこと。 これまで岸本さんの紹介で何篇か触れたことのある作家さんもチラほら。 本編とあとがき情報で、また更に読みたい作家&作品が増えてしまった。
岸本印なので変てこな子供ばかり登場するのだが、彼ら彼女らが映し出す奇異な世界には、確実にリアルに繋がる回路があって。 まだ分析を知らず“辛い”が“怖い”と直結していた感覚や、通念を知らず渦巻く謎のように思えたあれこれ。 無秩序で不条理で未分化だった頃の、切実なのに整合性あるかたちに変換できない心象が、様々なタッチで浮き彫りにされていたと思う。
外向き、内向きとベクトルは反対なんだけど、自分にしか見えない敵と戦っている「追跡」や、自分の中にうとましい異物を感じる「弟」あたり、ひりつく痛みが鮮烈だった。 やはりとても孤独なのだけど、宇宙からの侵略者に怯える「まじない」には、なにかキュンとするような可愛らしさが漂っていたような。 同じく父と息子の隔たりをアイロニカルに描いた「ブタを割る」も、瑞々しい情感を滲ませる一篇。
「最終果実」のみ既読で、これが一番好きな作品だった。 再読して完全に愛着が湧いてしまった。 アリゾナの町が舞台なのだけど、ロシア(スラヴ)民話のババ・ヤガー伝説が下敷きにあるせいか、御伽話のようにビビットな映像を結び、異国への好奇と憧れがそこはかとなく感じられて。 甘苦しいような気持ちを呼び覚まされる初恋の物語。
あと「トンネル」の不気味なインパクトが忘れ難い。 説明がなさ過ぎて怖い。 いかようにも解釈を膨らませたくなる隠喩の化け物みたいな一篇。 読後しばらく悩ましさを持て余してしまった。
「王様ネズミ」や「ポノたち」や「薬の用法」は追懐調の作品で、子供時代の内省の部分に現在の大人の思いが混在しているので入り込み易い。 特に「薬の用法」は、残酷で滑稽で物悲しい“禁じられた遊び”の映像が脳裏に暗くきらめくのだった。 無為で無用な振舞いが、避けては通れなかった子供時代の碑だったことを想い、遠い痛みを手繰り寄せたくなる衝動に突き動かされる。
ほとんどが掌編の中にあって、掉尾を飾る「七人の司書の館」は、読み応えある長さと、由緒正しい物語小説の体裁を備えていて、安穏な気持ちでランディングさせてもらったように思う。 忘れられ、取り残されて、森に閉ざされた古色蒼然たる図書館を舞台に、子供の成長の道筋を辿るストーリーが密やかな夢のように紡がれていて、図書館ラヴァーにはご褒美みたいな佳篇。

収録作品
まじない / リッキー・デュコーネイ
王様ネズミ / カレン・ジョイ・ファウラー
子供 / アリ・スミス
ブタを割る / エトガル・ケレット
ポノたち / ピーター・マインキー
弟 / ステイシー・レヴィーン
最終果実 / レイ・ヴクサヴィッチ
トンネル / ベン・ルーリー
追跡 / ジョイス・キャロル・オーツ
靴 / エトガル・ケレット
薬の用法 / ジョー・メノ
七人の司書の館 / エレン・クレイジャズ
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怪奇小説日和 / アンソロジー
怪奇小説日和
−黄金時代傑作選−

アンソロジー
筑摩書房 2013-11
(文庫)
★★

[副題:黄金時代傑作選][西崎憲 編] 1992〜93年に刊行された「怪奇小説の世紀」全3巻から13篇を選出し、さらに訳しおろし含め新たに5篇を加えて再編集した文庫版。 姉妹アンソロジー「短篇小説日和」と同じく19世紀後半から20世紀半ば頃に発表された、主に英国作家の作品を軸としたセレクト。 西崎憲さんのボリューム感ある巻末エッセイも健在。
一時代に花開いて散っていった、いわゆる“怪奇小説”あるいは“ゴースト・ストーリー”と呼ばれる一種独特のジャンルには、えもいわれぬ味わいがあります。 怖さというよりクラシカルな雰囲気を堪能するものだよなぁーと、しみじみ感じ入ってしまう。 とは言え怖いとなると底無しに怖い。 そういう一面を隠し持つような洗練された作品ばかりです。
正統的なゴースト・ストーリー、心理主義、モダニズム、ロマン派チックなものから、ワン&オンリーな個性派まで実に粒ぞろい。 ガツガツ読んでしまったのが悔やまれます。 忘れた頃に一篇だけ読み返したら、どれもこれも更なる輝きを放ってそう。
「岩のひきだし 」と「遭難」は、それぞれノルウェーの海とスイスの山の怪異。 ノルウェーの民間伝承に材をとったとおぼしき「岩のひきだし」は、漁師と海の精霊(魔物)との異種結婚譚めいた話で、土着的な息吹きがよかったです。 海の岸辺に切り立つ岩壁が家財道具の詰まった抽出しになっていて、その抽出しを引っ張って開けるための壁面の小さな輪が指から抜けなくなり、その指輪が異界との逃れられない契約になってしまうという初耳のモチーフにワクワクしました。
伝承といえば「妖精にさらわれた子供」は、炉辺話のような素朴さといい、アイルランド貧村地域の自然風土といい、ケルト民話の世界そのものでした。 ただし民話を短篇小説へと昇華させた哀切な余韻が流石。
余韻の半端なさにやられる作品が圧倒的な中で、白眉だと思ったのが「失われた船」。 結末の謎めきが醸す遣る瀬なさは言葉にならないなぁ。 この一篇をラストに持ってくる辺りが憎い。
物語の構成力と詩美性が完璧なエレガンスを奏でる「墓を愛した少年」は、こちらもまた、第一話目として序曲に相応しい佳篇。
構成力と言えば、怪異の小道具として“旅行時計”の存在感を見事に際立たせた、その名もズバリなタイトル「旅行時計」も外せない。 ラストのささやかなウィットがお洒落で好き。
一番のウィット系は「ボルドー行の乗合馬車」でしょう。 著者は実話怪談の収集家だそうなのだけど、もっと広い意味で巷談の収集家でもあったということなのか。 だってこれは・・ まぁ、不条理で不気味な小話なんですが小話は小話だもの 笑 どこで仕入れたものか、めちゃめちゃ既視感あるんだよなぁ。 落語の「馬のす」のオチなしヴァージョンぽくもあります。
もう一篇、ウィット系なのが復讐する気のない幽霊に居座られちゃう「がらんどうの男」。 こちらも落語を思わせる人を食ったようなところが無きにしも非ずで、オチのオチまでついてる格好ですが、逆に幽霊の虚無性にゾワリとさせられる一抹の怖さがあります。 古典落語の「三年目」に取材した山本昌代さんの「居酒屋ゆうれい」をちょっと思い出したw 
「陽気なる魂」が何気に一番印象深いです。 3回読んでしまった。 誰か解説してください・・orz 語り手を含めた登場人物(登場しない人物の影も含めて)の誰もかれもの得体が知れない。 読解を支える拠りどころがどこにもないというのか、いや、あるのだろうけど全く掴ませてもらえない怖さに魅入られてしまった感じです。
同様にハイブロー系なのが「列車」。 タイトルが示す通りに、“列車”という一つのイメージによって鮮烈に染め上げられた怪異。 こちらの恐怖の実体はそれなりに掴める感触があるので置いてきぼりにはなりませんが、ラストの反転感にグラッとなり、戦慄を伴う眩暈に襲われます。
「真ん中のひきだし」は正統派の中の正統派の趣きで、自分が思い描く古き良きゴースト・ストーリーど真ん中なイメージ。
「フローレンス・フラナリー」や「ターンヘルム」は魔の顕現が圧巻で、ロマン派寄りの香り高さと濃密な気配が美味でした。
「七短剣の聖女」もロマン派っぽいと言えなくもないのですが、ドン・ファン伝説異聞というのか、もう一人のドン・ファン伝説というのか・・ 17世紀のアンダルシアを舞台とした中世古譚風の騎士物語に神話やお伽噺モチーフがふんだんに鏤められていて、このラインナップにあってはひときわ異彩を放っています。 カトリックとイスラムが綾なすバロック?な映像美に惑溺しました。
巻末エッセイでは、怪奇小説が隆盛だった19世紀後半から20世紀前半(通史的にはゴシック小説とモダンホラーの間の期間)を黄金時代と位置づけ、その前後でどのような移行がなされたか、宗教観や社会観や人間観の変化といった精神史的な観点から恐怖を扱う物語の変遷を紐解く考察がなされていて、勉強になりました。
批評研究の歴史も興味深かったです。 ゴシック小説の膨大な研究の成果に対し、怪奇小説の研究たるや片々たるものであるという。 そもそもというか未だにというか、研究対象としての関心が薄い分野なんですね。 誠にさみしい。
怪異や奇蹟が当たり前だった時代が終わり、科学進歩の黎明によって教会万能主義が崩れると、信じる信じないの間で大きなエネルギーが生じ、怪異がより身近な好奇心として改めてクローズアップされたのが黄金時代だったんだろうなぁ。
二十世紀中葉以降の科学妄信の時代を迎えると、居丈高な批判にさらされたり、そっぽを向かれ打ち捨てられたであろうことは想像に難くありませんが、もうそういう時代でもなかろうし、無知を知る境地に近づきつつある(と思う)現代では、むしろ怪奇小説を読み返す土壌が回復しているんじゃないかと、願いも込めて。
まぁ、コアなファンがいる分野なんでよもや忘れ去られることはあるまいが、この先、学術研究が盛んになってくれると嬉しいなぁ。

収録作品
墓を愛した少年 / フィッツ=ジェイムズ・オブライエン(西崎憲 訳)
岩のひきだし / ヨナス・リー(西崎憲 訳)
フローレンス・フラナリー / マージョリー・ボウエン(佐藤弓生 訳)
陽気なる魂 / エリザベス・ボウエン(西崎憲 訳)
マーマレードの酒 / ジョーン・エイケン(西崎憲 訳)
茶色い手 / アーサー・コナン・ドイル(西崎憲 訳)
七短剣の聖女 / ヴァーノン・リー(西崎憲 訳)
がらんどうの男 / トマス・バーク(佐藤弓生 訳)
妖精にさらわれた子供 / J・S・レ・ファニュ(佐藤弓生 訳)
ボルドー行の乗合馬車 / ロード・ハリファックス(倉阪鬼一郎 訳)
遭難 / アン・ブリッジ(高山直之・西崎憲 訳)
花嫁 / M・P・シール(西崎憲 訳)
喉切り農場 / J・D・ベリズフォード(西崎憲 訳)
真ん中のひきだし / H・R・ウェイクフィールド(西崎憲 訳)
列車 / ロバート・エイクマン(今本渉 訳)
旅行時計 / W・F・ハーヴィー(西崎憲 訳)
ターンヘルム / ヒュー・ウォルポール(西崎憲・柴崎みな子 訳)
失われた船 / W・W・ジェイコブズ(西崎憲 訳)
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変愛小説集 日本作家編 / アンソロジー
変愛小説集 日本作家編
アンソロジー
講談社 2014-09
(単行本)


[岸本佐知子 編] “変な愛”を集めた翻訳アンソロジー「変愛小説集」の日本作家バージョンです。 変愛小説愛好界のカリスマである岸本佐知子さんが選者を務めた十二篇。 全てこの企画のために書き下ろされた作品らしい。
恋愛とは、その純粋な姿をつき詰めて描こうとすればするほど、グロテスクな、極端な、変てこなものになっていく・・ 変愛を集めてみたら“変愛=純愛”の図式が成立していることに気づいてしまった的な、確かそんなニュアンスだった翻訳アンソロジー。
今回、日本版の執筆依頼にあたっては、“愛について”というシンプルなテーマ以外、あえて何の注文もしなかったそうです。 しかしそこはやはり現代日本を代表する変愛小説の書き手として変愛通の選者が白羽の矢を立てた精鋭の競作となれば推して知るべし。 恋愛至上主義へのカウンター的意思表示ででもあるかのような一筋縄ではいかない妙篇揃い。
“愛”の範疇そのものが漠としていたためかもしれないのだけど、もんやりと複雑な気持ちを呼び覚まされはすれど、安易な共感を超越した境地に突入している作品が多く、どうにもわたしの中では、“純愛”という肌合いに直結しなかったのだよなぁ。 海外編の純愛度の方がより鮮烈に思えたのは、それだけすんなり感情移入ができたから・・なのか。 自分勘違いしてるけど、そもそも純愛がテーマじゃないからねw
結局のところ恋愛とは人それぞれに帰着するものなのだ。 日本編を読んで一番感じたのはそんなこと。 人の恋愛なんてわからないのが当たり前なのだとすれば、ここにこそ逆説的に真の“純愛”が描かれていたかもしれない? とも(強引に)思ったり。 いや“純愛”から離れろてw
大丈夫。真弓は清らかだよ。きっと、真弓も、お母さんも、友達も、三人とも清らかなんだ。だから他の人の清潔な世界を受け入れることができないんだ。それだけだよ。
「トリプル」の作中の言葉は、この本を読むわたし自身に跳ね返るものがあったかもしれない。 心に留めておきたい、おかねばと感じた言葉。
まぁそれでも、馴染みのある作家さんはそれぞれに“らしいなぁ〜”と思いながら読みました。 これダメでしょ、ってくらいぶっ飛んでたのが「天使たちの野合」で、告白すると一番好き。 アイロニカルな視点で見下ろされる矮小な男どもに、作者の私刑が炸裂するラストの突き抜け方が気持ちいいほどバカバカしくて。
そして「韋駄天どこまでも」の超絶技巧に痺れた。 この縛りの中で、何たる闊達自在な筆さばきだろう。 言葉遊びをふんだんにしでかしてる小説が海外にはざらにあるわけですが、訳者さんがどんなにご苦労くださっても完全には味わい尽くせてないんだよなぁーという常日頃の鬱積を帳消しにしてもらえた気分。 人の営みと文字そのものとが響き合う漢字の特質を活かし、漢字文化ならではの言語遊戯を駆動力にしたこんな稀有な小説が日本語の文章で書かれている喜び。
擬古風チックで独特な饒舌体が読者を圧伏する「逆毛のトメ」も気に入りました。 ファンキーでパンクなおとぎ話みたいだった。 初読みの作家さんでしたがマニアックな作品集を過去に一冊だけ出してるらしいので要チェック。
遠未来の神話世界的イメージが静謐で美しい「形見」は、唯一ストレートにキュンとくるものがあった。 なんとはない日常の中に潜む夫婦間の危うい均衡にズキッとなる「藁の夫」、ひんやりとしていながらフェティッシュで物狂おしい「男鹿」あたりにより強く嵌りましたが、特異な構築力とイマジネーションを満遍なく見せつけてくれる濃厚な一冊でした。

収録作品
形見 / 川上弘美
韋駄天どこまでも / 多和田葉子
藁の夫 / 本谷有希子
トリプル / 村田沙耶香
ほくろ毛 / 吉田知子
逆毛のトメ / 深堀骨
天使たちの野合 / 木下古栗
カウンターイルミネーション / 安藤桃子
梯子の上から世界は何度だって生まれ変わる / 吉田篤弘
男鹿 / 小池昌代
クエルボ / 星野智幸
ニューヨーク、ニューヨーク / 津島佑子
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12星座小説集 / アンソロジー
12星座小説集
アンソロジー
講談社 2013-05
(文庫)


[群像 編] 12人の小説家が自分の星座をモチーフに12の物語を紡いだ競作。 文庫オリジナル。
物語の登場人物に星座的性格が与えられている作品、作品が作者自身の星座的影響を受けている(体裁の)作品、星座の形像をシンボリックに使った作品、星占いそのものを俎上にのせた作品、それらが渾然一体となった作品、などなどです。 その中に、ささやかなりとも作風や興味の矛先など、もしかしたら知らず知らず自身の星座に導かれて・・なんてことはあるのでしょうか、ないのでしょうか。
以前、「十二宮12幻想」というアンソロジーを読んだことがあるのですが、企画としては似ています。 確かあちらも鏡リュウジさんの解説付きだったはず。 あちらは全般ダークファンタジーやホラー系だったと記憶していますが、本編は特に縛りはなく、ザ・文芸!といった趣き。
鏡リュウジさんの巻末解説によると、各星座の持ち味はこんな感じらしい。↓
牡羊座 I am.
牡牛座 I have.
双子座 I think. I communicate.
蟹座 I feel.
獅子座 I create.
乙女座 I analyze.
天秤座 I balance.
蠍座 I desire.
射手座 I explore.
山羊座 I use. I endure. 
水瓶座 I solve.
魚座 I believe.
書き始める前、自分の星座に関する情報収集とかしたのかなぁ。 企画に寄せてる方と、けっこう奔放でそうでもないように感じる方とマチマチでした。 お気に入りは「安政元年の牡羊座」と「山羊経」と「美人は気合い」。
「美人は気合い」のみ再読。 “壊れてなかったら可能性というものはなかった” 絶望を奪われた人工知能の壊れてなお前向きな・・胎内の我が子を守る母のような姿が尊くて。 奇跡はイレギュラーから生まれるのだと信じたい佳篇なのだけど、なのだけど〜! 一方で思いっきり盛大に胎教をパロってるみたいなところが可愛くて。 たまらなく好きすぎる。
「山羊経」は、亡き父が大日如来になって現れてしまうというね(笑) 占いをおちょくり倒しているかのような(似非)御託宣?が笑えるのだが、幻を探し求め、なんとか“生”の意味を見出そうとしている主人公が痛々しいような虚しいような滑稽なような、でも無性に切実なのだ。 山羊経って穢土をさすらう生者に向けた経なのかな。
「安政元年の牡羊座」は、牡羊座の性格をちょっと茶化し気味に料理していて、めっちゃ企画に寄せてくれている作品。 恬淡とした文章の可笑しみと相まって、読後は得難い爽やかさ。

収録作品
安政元年の牡羊座 / 橋本治
クラシックカー / 原田ひ香
星と煉乳 / 石田千
二十六夜待ち / 佐伯一麦
サタデードライバー / 丹下健太
乙女座の星 姫野カオルコ
天秤皿のヘビ / 戌井昭人
いいえ私は / 荻野アンナ
夏に出会う女 / 宮沢章夫
山羊経 / 町田康
美人は気合い / 藤野可織
透明人間の夢 / 島田雅彦
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法月綸太郎の本格ミステリ・アンソロジー / アンソロジー
法月綸太郎の
本格ミステリ・アンソロジー

アンソロジー
角川書店 2005-10
(文庫)
★★

[法月綸太郎 編] マニアには物足りないかも・・と仰ってますが、拡張型本格とでもいうべきジャンルの可能性を感じさせてくれるような。 本格コードに収まらないエスプリの効いた作品が多く、らしさが匂い立つセレクト。 個人的には大いに堪能させてもらいました。 ご自分の趣味を優先しつつ、意外に見落とされがちな短篇に光を当てることにも力を入れたとのこと。 総じて“語り=騙り”を機軸に据える本格観がそこはかとなく示されていた印象。
軽い肩ならし→密室トリック→犯人当て→異色風味と、テーマの異なる四つの章で構成されています。 辻真先さんの「仮題・中学殺人事件」の章立てに倣ってコンセプトを絞ったのだそうです。 手元の文庫新版を点検してみたら“おわかれしま章”がないので旧版を読んでみたくなってしまった。 関係ないけど;; 章間には“栞”と題された箸休めエッセイが三たび挟まれており、ハードボイルド風本格、密室短篇、海外クラシック・ベスト20、と、それぞれのテーマに沿ったオマケの作品紹介も楽しめます。
一つの方向へ釘づけにされた意識が、蓋然性と意外性を備えた全く別の発想の導入によって覆されるときの、爽快なまでの心地よい敗北感は、本格ミステリを読む醍醐味でありましょう。 法月さんが「はかりごと」を“本格スピリットの萌芽”と捉えた感覚に膝を打ちたくなった。 これがいわゆる“意表をつく着想” と“エレガントな解法”の端的な例なのかなと思わされる。
一番好きなのは「死とコンパス」。 本格ミステリのパロディなのだけど、無意味な対称と偏執狂的な反復を寄せ集めた館で××××る探偵というシンボリックな世界観が圧巻で、彼が、“個人的感情から離れた、ほとんど誰のものでもない悲哀を感じ”るところで痺れまくった。 後期クイーン問題を予言するようだ・・と解説されていて、自分は未だクイーンの後期作品を読んでないんですが、その何たるかの尻尾を掴んだ気になりました。 探偵(小説)が抱えるジレンマを物語に昇華し、優れた批評を内在させた作品。
この最終話と対をなすように配置されているトップバッターの「ミスター・ビッグ」も、(またちょっと違う意味で)本格(というよりハードボイルド)ミステリを形而上学的にアレンジしたパロディ。 高尚な哲学フィールドを弄り倒さんばかりのアイロニーが炸裂するバカバカしくも辛辣な一篇。
「偽患者の経歴」もよかった。 ノンフィクション・エッセイということなのだが、上質なサイコ・スリラーとしか思えない・・不謹慎かもしれないけど。 何が真で何が偽なのか? ラストの煙幕がまた素晴らしい。
「動機」は、乱歩が紹介したというお墨付きの超有名作らしいです。 案の定、全く知らず。 もう、タイトルそのままなんだけど、自分の中のノックスイメージを補完してくれるような拗れた作品。 これは記憶に残るわぁ。
あと、個人的には「密室 もうひとつのフェントン・ワース・ミステリー」がツボ。 稚気満々の密室ものパロディ。 しかし、ニヤニヤしながら読んでるとラストのメタ展開に撹乱され、いなされてしまう。 ん? え? 作者が小説内人物にこの小説を読ませてる・・のか??
常々読みたいと思っていた作家、クリスピンが入っていたのも嬉しかったです。 「誰がベイカーを殺したか?」はシリーズ探偵のジャーヴァス・フェン教授もの。 なぞなぞ感覚の引っ掛け問題で、“話し方自体が重要”なことと、“不適切な疑問の一例”であるという親切なヒントが与えられるため、難易度はそれほどでもないのだけど、きちんと張った伏線を理詰めで回収していく解法が鮮やかな佳篇。 英国のインテリ層が醸し出す雰囲気も美味。
中西智明さんに幻の短篇があったなんて知りませんでした。 「ひとりじゃ死ねない」は、読者への騙しと作中での謎解きが乖離しながら両立している技巧の美しさに惹かれる。 作品に関するコメント(というか注釈というか言い訳というか)が中西さんご本人から寄せられるというファンサービスも。 詭弁?なのかどうかもわからないくらい易々と説得されてしまった。 もしかして完璧主義者? ふふ。 戻ってきて欲しいな。

収録作品
ミスター・ビッグ / ウディ・アレン(伊藤典夫 訳)
はかりごと / 小泉八雲(田代三千稔 訳)
動機 / ロナルド・A・ノックス(深町眞理子 訳)
消えた美人スター / C・デイリー・キング(名和立行 訳)
密室 もうひとつのフェントン・ワース・ミステリー / ジョン・スラデック(越智道雄 訳)
白い殉教者 / 西村京太郎
ニック・ザ・ナイフ / エラリー・クイーン(黒田昌一 編訳)
誰がベイカーを殺したか? / エドマンド・クリスピン & ジェフリー・ブッシュ(望月和彦 訳)
ひとりじゃ死ねない / 中西智明
脱出経路 / レジナルド・ヒル(秋津知子 訳)
偽患者の経歴 / 大平健
死とコンパス / ホルヘ・ルイス・ボルヘス(牛島信明 訳)
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モンスターズ / アンソロジー
モンスターズ
−現代アメリカ傑作短篇集−

アンソロジー
白水社 2014-08
(単行本)


[副題:現代アメリカ傑作短篇集][B・J・ホラーズ 編][古屋美登里 訳] “モンスター”に因んだ短篇を集めたアンソロジー。 版権上の都合でしょうか。 全訳ではない(2篇外されてる)ようでちょっと残念。 2012年にアメリカで刊行され、編纂者も出版元も執筆陣もマイナー尽くし・・と紹介されています。 でも、エイミー・ベンダーとケリー・リンクが入ってるだけで十分そそられるものがあります。 訳者さん見逃してる?けど、ジェディディア(ジュデダイア)・ベリーの「探偵術マニュアル」も2011年に東京創元社から邦訳出てますので念のため補足。
がしかし。 期待したほどにはフィットしなかったのだよなぁ。 ファンキーでポップでナンセンスな奇天烈系っぽい感じを勝手に想像しちゃってたギャップもあって。
フランケンシュタイン博士の怪物やヴァンパイアやゾンビや・・ モチーフは目白押しなんだけど、結局、自己の内部のモンスター性を具現する手段としてモンスター的な演出を採用するというお定まりの比喩的解釈ばかりで、社会の中に生きる人間の心理にスポットが当てられていた印象。
手に負えない自身の違和を持て余し、またそのせいで周囲と齟齬を来たしたり、居場所をなくしたり探し求めたり・・みたいな現代人のさまよえる魂を如何に群像化するかのヴィジョンが中心だった。
現実との密着感&ウェット成分が嫌じゃなければ問題なくお勧めできるし、良作揃いだったとは思うのだけど。 うーん・・自分としてはモンスターが足りない;;
身体の内側に抱えたおぞましさを逆にモンスターのメタファとして描いてるのが「わたしたちのなかに」で、ここまでくるとゾッとするくらいの凄みがあった。
ひょっとすると「受け継がれたもの」が一番オーソドックスなのにもかかわらず、視点の違う示唆と妙味を返って新鮮に感じたかも。
それとやはり「モンスター」の展開力は群を抜いてた気がする。 グロテスクで滑稽で意味不明で不気味。 個人的に気に入ってるのは「ゾンビ日記」。 無駄に(?)前向きで協調生のない俺キャラ(一人称“ぼく”だけど)がなんだか捨て難くて^^; あと「モスマン」はちょっときゅんとくる。 絵は強しっ♪

収録作品
クリーチャー・フィーチャー / ジョン・マクナリー
B・ホラー / ウェンデル・メイヨー
ゴリラ・ガール / ポニー・ジョー・キャンベル
いちばん大切な美徳 / ケヴィン・ウィルソン
彼女が東京を救う / ブライアン・ボールディ
わたしたちのなかに / エイミー・ベンダー
受け継がれたもの / ジェディディア・ベリー
瓶詰め仔猫 / オースティン・バン
モンスター / ケリー・リンク
泥人間(マッドマン) / ベンジャミン・パーシー
ダニエル / アリッサ・ナッティング
ゾンビ日記 / ジェイク・スウェアリンジェン
フランケンシュタイン、ミイラに会う / マイク・シズニージュウスキー
森の中の女の子たち / ケイト・バーンハイマー
わたしたちがいるべき場所 / ローラ・ヴァンデンバーグ
モスマン / ジェレミー・ティンダー
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ダブル/ダブル / アンソロジー
ダブル/ダブル
アンソロジー
白水社 1994-09
(新書)
★★★

[マイケル・リチャードソン 編] 20世紀に書かれた(アンデルセンの「影」だけ例外)西洋の現代小説の中から双子、分身、鏡像、影といった、“一人が二人で二人が一人”の物語を集めたアンソロジー。
錯綜し分裂する自我、混乱する視点、デジャヴのような二重感覚、選択されなかった可能性、アナグラムのような別の世界・・ “ダブル”モチーフとして括られていても、いや、括られているだけに、そのヴィジョンの多様性に目を奪われてしまいました。
地域を問わず神話の時代から人の営みとともにあったテーマですが、“私”というものに対する意識の昂まりを投影した19世紀文学において、“ドッペルゲンガー”モチーフとして妍を競うように花開いたと言います。
アイデンティティの探求というテーマが深化されていく20世紀文学では、ドッペルゲンガーに代わり、或いはその捉え直しとして“影”の概念が頻出するようになると編者は指摘します。 自己を見つめようとすればするほど自己への違和が見えてしまうのは必然かもしれない。 コスミックな枠に収まりきれず無形化していく現実が、形而上学的な色合いを帯びて濃さを増し、それこそ“影”のように揺らめいている・・ ここに採られた作品からもそんなオーラが漂うような。
なにかしら自己の他者性、二重性という主題への関心を窺わせる作家が並んでいるとも言えそうです。 編者によるちょっとしたナビゲートが短篇ごとに添えられていて(また、そこまできちんと訳出してくださっているのが)喜ばしい。
錚々たる面々の隠れた佳篇的セレクトである本アンソロジーを編む上で霊感の源になったという古典の名作で編んだ架空の書物をドッペルゲンガーと称し、装丁、表紙、題辞、目次・・と頭の中で拵えていく編者の空想が楽しい。 因みにその目次は以下の通り。
分身 / E・T・A・ホフマン
オルラ / ギル・ド・モーパッサン
ウィリアム・ウィルソン / エドガー・アラン・ポー
加賀美氏の生活 / ナサニエル・ホーソーン
並外れた双子 / マーク・トウェイン
大法律家の鏡 / G・K・チェスタトン
書記バートルビー / ハーマン・メルヴィル
秘密の共有者 / ジョゼフ・コンラッド
拾い子 / ハインリッヒ・フォン・クライスト
懐かしの街角 / ヘンリー・ジェイムズ
泣く子も黙りそうなマスタービーズ感・・なのかどうかもわからん 笑。 無残にも殆ど読んでいません。 せめて陳列して飾っとこう;;
さて。 本編にもハズレは一篇たりとてないのですが、特にお気に入りをいくつか。 生と死の、光と影の対比を抒情豊かに刻印した「華麗優美な船」が好き過ぎる。 進化のプロセスの分岐点というものに想いを馳せずにいられない、あの郷愁を揺さぶるイマジネーションにやられてしまった。
現実とは見るものの中にしか存在しないのだということを悪魔的に見せられて震撼した「あんたはあたしじゃない」も好み。 ゴーゴリ的手法を用いてゴーゴリの奇異性に迫った「ゴーゴリの妻」は、グロテスクな誇張法による変種の評伝かと見紛うばかりの押し出しが圧巻。
自分から逃れる方法を“抹殺”ではなく“複製”に求めた男を描く「ダミー」は、とぼけた味の中に薄ら寒いものがあって妙に惹かれる。
双子の母親は娘なのか母親なのか? 青い目の男(=私)はマラカイの父親でもあったのか? 魔術的な眩暈を誘う「双子」も凄くよかった。
人の魂と不気味に結びつく物語が多い中で、人生に安心を見出す契機として“有用なやり方”で分身モチーフを調理している「二重生活」は貴重な一篇。
そして縁あって再読となった「パウリーナの思い出に」はエレガントで悍ましくて素晴らしい。 精緻な美しさに改めて魅せられた。

収録作品
かれとかれ / ジョージ・D・ペインター(共同訳)
影 / ハンス・クリスチャン・アンデルセン(菅原克也 訳)
分身 / ルース・レンデル(菅原克也 訳)
ゴーゴリの妻 / トンマーゾ・ランドルフィ(柴田元幸 訳)
陳情書 / ジョン・バース(柴田元幸 訳)
あんたはあたしじゃない / ポール・ボウルズ(柴田元幸 訳)
被告側の言い分 / グレアム・グリーン(菅原克也 訳)
ダミー / スーザン・ソンタグ(柴田元幸 訳)
華麗優美な船 / ブライアン・W・オールディス(菅原克也 訳)
二重生活 / アルベルト・モラヴィア(菅原克也 訳)
双子 / エリック・マコーマック(柴田元幸 訳)
あっちの方では / フリオ・コルタサル(柴田元幸 訳)
二人で一人 / アルジャーノン・ブラックウッド(柴田元幸 訳)
パウリーナの思い出に / アドルフォ・ビオイ=カサーレス(菅原克也 訳)
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