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消えた山高帽子 / 翔田寛
消えた山高帽子
− チャールズ・ワーグマンの事件簿 −

翔田 寛
東京創元社 2008-08
(文庫)
★★

[副題:チャールズ・ワーグマンの事件簿] 明治6年、激動期の日本。 横浜の外国人居留地界隈を舞台にした連作ミステリ。
探偵役のチャールズ・ワーグマンはイギリスのニューズ特派員として、幕末から明治の大変革期の動向や、日本人の暮らしぶりを精力的に海外へ発信した実在の人物なのだそうです。
日本古来と西洋伝来と、その接触によって生まれた和洋折衷の風変わりな文化とが、一見平穏に混在している風景の中から、不可解な事件が顔を覗かせます。 時代の変転と異文化の交錯に揉まれる人々を見つめるワーグマンの眼差しは、冷静で、あくまでも温かく。 事件解決後、本国に送る電文記事にはワーグマン流の検閲が入って、いつも真相が微妙にぼかされたりするのですが、そこに彼の優しさが集約されているような感じがします。
着物や骨董、ゲイシャなど、日本かぶれな西洋人とか、日本人を蔑んでいる神父とか、苦界に落ちた元武家の娘とか、生糸産業で浮いたり沈んだりする貿易商人たちとか・・ 役者は結構揃っているし、考証も手を抜いていないけれど、時代の奔流をこれ見よがしに描こうとしたり、蘊蓄をこねようとしたりといった力みがなくて、あまりガツらずに自然体なのが何だかよかったです。 正統派のミステリが背景や人物に支えられて綺麗に浮き上がってくるのが心地よくて。
医師のウィリスや居留地取締長官ベンソンといった探偵チームの脇役陣も、セオリー的な役割をきちんと果たしているのが嬉しくなってくるし、彼らが日本人と西洋人、どちらかに加担するような論法をとっていないのも気持ちがいいのです。
日常の謎的な表題作の「消えた山高帽子」が一番好きでした。 シェイクスピアと歌舞伎を絡めた趣向が楽しかったです。 ミステリなので悲しい話もあるんですけれど、読んでいてキリっと清々しい作品ばかりでした。
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千両花嫁 / 山本兼一
千両花嫁
− とびきり屋見立て帖 −

山本 兼一
文藝春秋 2008-05
(単行本)


[副題:とびきり屋見立て帖] 開国か攘夷か。 佐幕か勤皇か。 政情激変の渦中で、国の行く末を懸けて奔走する侍や浪人たち。 眼に強い光を宿した漢たちが跋扈する幕末の京の都で、我が身や家族を守りながら、日々の暮らしに身骨を砕き、逞しく生き抜く庶民の気概がキラリと光る。
三条木屋町に小さな店を構える“とびきり屋”は、なんでも商う町場の道具屋。 老舗の茶道具屋の愛娘ゆずと、奉公人の真之介の駆け落ち夫婦が店を切り盛りしながら、商いを通して成長していく連作短篇集。
やり取りや筋運びのベタっぽさが擽ったいんだけど、そんな感じも嫌味にはならない楽しく爽快な作品だった。 一話毎に幕末期の有名人がご登場。 庶民から見た新選組隊士や勤皇の志士たちの造形が、観相術を絡めたりしながら描かれていてなかなかに新鮮。 自分は二話目の「金蒔絵の蝶」がよかったなぁ。
見立て違いを時々やらかす真之介より、ゆずの方が筋がよく、一枚も二枚も上手だし、大概ゆずの機転で難局を乗り切ったりしていて、ゆずはいったい真之介の何処に惚れたの? と野暮な問いが脳裏に暫く居座っていたんだけど、働き者であること以外、これといった取り柄を描かないのに、読んでいるうちにだんだん真之介に愛着が湧いてくるのがさり気によいのです。
商いの綾、道具の目利き、贋作に込められた遊び心などなど、京言葉ではんなりと綴られ、京商人魂が馥郁と香る。
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なぜ絵版師に頼まなかったのか / 北森鴻
なぜ絵版師に頼まなかったのか
−明治異国助人奔る!−

北森 鴻
光文社 2008-05
(単行本)


[副題:明治異国助人奔る!] エバンスならぬ“絵版師”という耳慣れない言葉が気になったのですが、この言葉は文明開化の嵐の中で、生まれては消えて、歴史の襞に埋もれていった数々の言葉の中の一つなのでした。
本書で活躍するエルヴィン・フォン・ベルツは、明治政府の下、お雇い外国人として日本に招かれたドイツ人医師。 日本の近代医学の発展に尽力した実在の人物なんだそうです。 ベルツ宅に給仕として雇われて、その後書生となった医学生、葛城冬馬を主人公に、開化に沸き返る帝都に蠢く事件を追っていく連作ミステリ。
う〜ん、ぬるい;; なんで主人公をこんなに薄っぺらくしてしまったんでしょうか。 何か魂胆があるのかもしれませんがわかりません。 ベルツ博士が日本贔屓なのはよいとしても、もうちょっと冬馬くんに苦労させても・・ 軽妙なのは好きですが甘々なのは苦手で、むず痒くなってしまいます。 まぁ、昨今の流行りなんでしょうか。
それぞれの事件は新時代の闇を掬い取り、社会の陰影を刻み込んでいて興味深いんですが、安全な場所から首を突っ込んでくるお利口さんの坊やを通してしまうと、対岸の出来事のようにしか感じられなくて。 純粋にミステリとして謎解きを楽しめばいいって話なのかもしれませんが、なんだか勿体なかったです。
イトウの恋」の亀吉のような狂おしい内面とまではいいませんが、「横浜幻灯館」のおりんのように、事件を肌身に感じ取って成長していく姿とか・・ いっそベルツ博士を主役にしてもよかったんじゃないかなぁ〜なんて(←誰も読まない?)。 個人的には、単なる日本贔屓ではない、もっと奥深いベルツ博士の内面を垣間見たかったです。 当然、日本を見下している外国人が圧倒的だったのだから、そういう対抗馬をもってくるとか・・
でも、一見ストーリーの中で無造作に見えるんですが、要所要所で史実と符合させてくるあたりは流石です。 特に、森鴎外が脚気の伝染病説をなかなか捨てなかったのには深い理由があったとする筋書きは、実に憎いです。
初めて世界の表舞台へ飛び出した弱国の日本は、外交の免疫もないまま列強の脅威に晒されて、赤子のような扱いを受け、その危機感や焦燥感や屈辱感から、歪んだ猛進ぶりを露呈していく暗い影が醸成されています。 急速に高まる軍拡への意識や、闇雲に西欧文化を移植し、古来の伝統を葬り去ろうとすらしている日本を、またそこまで追い込んでしまう諸外国の偏見や圧力をベルツ博士は真摯に憂いていたようで、この作品からもそんな姿勢がうっすらと窺えます。
そういえば尾崎紅葉がチョイ役で出てくるんですが、まさにハマり役でした^^
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消えずの行灯 / 誉田龍一
消えずの行灯
−本所七不思議捕物帖−

誉田 龍一
双葉社 2007-10
(単行本)


[副題:本所七不思議捕物帖] どの事件も“本所七不思議”と絡めているのだけれど、不思議の裏には絶対に絡繰りがあるはずだ! という信念で、江戸の怪しさを吹き飛ばすような主人公たちが活躍する捕物連作集。
時は幕末の江戸本所。 黒船に大砲を積んでペルリがやってきた年の物語。 この頃には蘭学を志す若者も多く、人々は文明に科学に目覚め始めている一方、先の読めない世の中で、辻斬りや蔵破りや贋金作りが横行したり、治安は相当に乱れていて、明と暗とがごっちゃに混ざり合った、エネルギッシュな時代の空気が伝わってくる感じ。
ミステリの謎解きと同時に、毎回ゲストさん(若かりし日のアノ人やコノ人)が登場して、その人物がいったい後の誰なのか、最後に明かされるという趣向が楽しかった。 そもそもこの主人公グループ(武家の次男坊と町人の4人組)の中にもびっくりするような人たちが混ざっている。 ちょっと大盤振る舞い(笑) 人物がかなり大味な感じがしてしまったことと、ふとした言葉遣いや描写が不自然(江戸っぽくない)のが惜しいなぁと思ったけれど、幕末という舞台と七不思議に科学を当てるという趣向がとてもマッチしていたし、有名人の飛び入り参加も楽しませてもらった。

以下、備忘録です。 本書で紹介されている“本所七不思議”。
実は七つだけではなくてもっと沢山あるらしく、説もこれまたごっそりとあるようで、以下はほんの1バージョンということです。
【消えずの行灯】 南割下水の近くに出ている二八蕎麦の屋台には人がいないのに、いつも行灯の明かりだけが点いている。 その明かりが消えると縁起が悪く、消した者には祟りがあるという。
【送り提灯】 夜、道に迷うと提灯が現れて道案内をする。 前から送るのは狸が化けた悪意のない良い提灯、後ろから送るのは狐が化けた悪意のある悪い提灯。 ちゃんと送り届けてもらったら、御礼に握り飯を作って道端に供える。
【足洗い屋敷】 旗本のお屋敷で、夜中寝ていると突然に“足を洗え”といいながら、大きな血だらけの足が天井を突き破って下りてくる。
【片葉の芦】 駒留橋のかかる堀近くには、茎の片側にしか葉のつかない芦ばかり生える時がある。 その昔、留蔵という男が駒という娘を殺し、片手片足を切り落として堀に投げ込んだ事件の祟りだという。 橋の名前もこの男女の名に由来する。
【落葉なしの椎】 松浦豊後守の上屋敷には立派な椎の木があるが、いつ見ても庭に落葉がない。
【置いてけ堀】 堀縁で釣りをしていると、どこからともなく“置いてけ、置いてけ”いう恐ろしい声が聞こえてくる。 釣り人が逃げ出すと、魚籠の中の釣り上げた魚がなくなっている。 魚を無理に持ち帰ろうとする釣り人は、堀に引きずり込まれる。
【馬鹿囃子】 夜中にお囃子が聞こえてくるが、音だけで、近くで宴を開いているところはない。
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円朝芝居噺 夫婦幽霊 / 辻原登
円朝芝居噺 夫婦幽霊
辻原 登
講談社 2007-03
(単行本)
★★★★★

これって、え? どこまでがフィクションなんですか? え? どうなのよ??? 三重のミステリみたいなことになってて、最後の一皮だけは剥がさずに余韻が残る。 でも“訳者後記”の中で紹介されている芥川龍之介の「奉教人の死」の構成が全てを物語っているように思えたのだけれど・・違うのか? 構成力とセンスに完璧にやられた。すんごく面白かったぁ〜!
まず作中作となる「夫婦幽霊」の口演だけでも楽しい。 三遊亭円朝の語りにどれだけ肉迫しているのか、残念ながらわたしには分からないのだけれど、明治の御世の寄席の末席に鎮座しながら江戸末期に想いを馳せている気分にさせてくれたし、その世界を一歩抜け出しても、円朝と朝太郎の、悲しくも愛おしい親子物語に惹き込まれていったし、さらにその世界をまた一歩抜け出して「夫婦幽霊」という古い速記文を解読している(はずの)現代の速記事務所の方々や辻原さんのご苦労にまで胸を熱くしてたりして、もう、わたしにとっては大満足の一冊だった。
なんといっても作品全体が壮大な文学史ミステリーのベールで覆われていて、読者を香り高い知的迷宮へ誘って、迷わせ酔わせ楽しませ、出口が見えるか見えないかの辺まで送り届けてくれる感じ。 登場人物も三世中村仲蔵や、高島嘉右衛門(占いの神様的な人)や、芥川龍之介など、適材適所で絶妙な存在感を発揮しているのも素晴らしかった。
“声の領分を限りなく物語の中にとどめている小説”として言文一致運動の先駆的業績と評価される円朝の作品が、口演(話された言葉)から出版に至る過程には、速記による暗号化と文字への翻訳という作業が介在し、それなくしては成し遂げられなかったのだと知って、速記が果たしてきた役割にほとんど感動を覚えたし、もうこれってロマンと言わずしてなんだろうよ! って、興奮冷めやらぬまま書き散らかしてます;;
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銀座開化事件帖 / 松井今朝子
銀座開化事件帖
松井 今朝子
新潮社 2005-02
(単行本)
★★

明治7年から8年の文明開化に沸き立つ銀座の光と影。 風景から室内の小道具に至るまで、生き生きと描きこむ筆力は本物。 ガス灯や人力車や赤レンガや十字架や外来語が、江戸の風情と混ざり合って渾然一体となったり、はたまたチグハグで浮き足立ったりしている街の喧騒が色鮮やかに立ちのぼってくる。 はじめは、そんな街角の様子がシニカルに描かれ、ふふっと笑っていたりしたのだけれど、段々と笑えなくなる。 シリアスな社会派ミステリ張りに・・。
産みの苦しみとでもいうのだろうか。 新しい時代の矛盾や混沌は深い歪みとなって、そこに暮らす人々の生活や心情を苛み弄ぶ。 それでも、異人さんとの恋や、身分の差を取った友情や・・ 新しい風は確かに吹いている。 それら全部ひっくるめて、明治の御世の大きなうねりがズンズンと響いてくる。

<追記>
この作品は「幕末あどれさん」という作品の続編であるらしいことが判明。 あ〜やっても〜た〜;; 独立した作品として楽しめるように作られていたとは思う・・けど、やっぱ緩やかな長編的な要素? あるな。うん。あったわ。
これからお得意の逆さ読みしますわ(>_<*)v
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散りしきる花 / 皆川博子
散りしきる花
−恋紅 第2部−

皆川 博子
新潮社 1990-03
(文庫)


ゆうと福之助の新たなる旅立ちの場面で終った「恋紅」の続編。 「恋紅」を読んで“ゆうがただ伸びやかに呼吸できる居場所を追い求め、福之助が心底芝居が好きだから、2人の苦労はどこか・・幸せそうに映る”などと記したわたしでしたが、続編では霞を食べては生きられないのだよ・・という話になっていた><。
「恋紅」の幻想美や情熱や愛や夢に陶酔したわたしには、かなりショッキングな続編となった。 「恋紅」が薄紅色の世界なら「散りしきる花」は泥色の世界。 ゆうが泥まみれになって生きていく苦闘の日々が濁々と描かれ、異様な凄みを放っている。
作者って、やっぱり自分の書いた小説の主人公には想い入れがあるだろうし、何かしらの華を持たせてあげるものなんじゃないかなんて、そんな思い込みは皆川さんには通用しないのだわ。 そういえば桐野夏生さんもミロを突き放してたよなぁ〜などと脈絡もないことが頭を過ぎったり。
なんだか、「恋紅」で作り上げた世界をぶち壊すために描いたんじゃないかってくらい、恋紅全否定みたいなものをわたしは感じてしまった。 あとがきで皆川さんは更なる続編への取り組みを示唆しておられたのだけど、お書きになられた気配はないです。 お書きになられても、わたしは読まないだろうなぁ。 ぐすん。
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恋紅 / 皆川博子
恋紅
皆川 博子
新潮社 1989-04
(文庫)
★★★★★

文章が美しい。 そしてところどころに描かれる染井吉野の情景が、読み終えてからよりいっそうに甘美な余韻となって残ることに気づく。 物語の中に吸い込まれる感覚・・凄い吸引力だった。 吉原の遊女屋の娘と小芝居役者の恋をさらりと描く。 なのに2人の息遣いまで聞こえてきそうなほどに深く響いてくる。 生々しい筆致ではないのに、生娘から“女”になる主人公ゆうのなんと官能的だったことか。 ゆうがただ伸びやかに呼吸できる居場所を追い求め、福之助が心底芝居が好きだから、2人の苦労はどこか・・幸せそうに映る。 続編「散りしきる花」で、その後の2人は、どんな風に描かれるのだろう。
この作品には、実在する歌舞伎役者の三世澤村田之助が、福之助とゆうの目線から描かれており、彼の壮絶な生き様の一端を垣間見ることになる。 皆川さんは田之助を主役にした「花闇」という作品を発表されているらしい。 俄然読みたい。
幕末から明治維新にかけての動乱の様子、特に文化面の混乱や変転の様子が、遊郭や芝居小屋を通して細密に描き込まれ、それはもう、ゆうと福之助を引き立てる背景などに納まるものではなかった。
このごろの東京の芝居は、守田勘弥と九世団十郎が中心になって、芝居の絵空事や荒唐無稽をとりのぞき、それといっしょに毒っ気や洒落っ気もぬきとられた、固苦しい史実にのっとったものばかりが高く認められる風潮だそうだ。でも、史実の“実”とは何だろう。絵空事や荒唐無稽でなくてはあらわせぬ真実もあるのだ。そうして、また、人の心の奥にひそむ魑魅は、舞台の魑魅に誘いだされ、日常では許されぬ魔宴をともにし、いっとき堪能し慰められて、また闇の眠りに帰ってゆくのだけれど・・・
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