中国民話集 / 飯倉照平 編訳
中国の諸民族のうち、人口の90%以上を占める漢民族によって語り伝えられる民話から、四十四篇が訳出されています。 口碑伝承を直に採集したような素朴なおとぎ調の昔話系。 有名どころと、あとは特に日本や朝鮮との比較研究の視点で集められているためもあるのでしょうけど、馴染み深く、懐かしく、日本の昔話の祖型として思いを馳せたくなる空気が詰まっていました。
「トントン、カッタン、サラサラ」と「ヌングアマ」と「蛇の婿どの」は、中国で最も広く知られる子供向けの三大昔話であるらしく、どれも直接知らなかったとはいえ既視感が湧きますねぇ。 “話型”の組み合わせからあちこち無限に連想が及んでいく途方のなさは、民話や昔話ならではの醍醐味。
正直者の真似をした強欲者が痛い目に遭う“瘤取り爺”型を踏襲する話が多かった気が。 「小さなドラ」は、そこに「ジャックと豆の木」や「打ち出の小槌」要素がミックスした感じなんだけど、強欲サイド(兄と兄嫁)が妙に淡々としていて、結末もシュールでいい味出てます。 好き。 この話に出てくる“長い鼻”のモチーフは、中国ではわりに有名らしいのだけど、日本ではあまり聞かない?!
定番の異種結婚譚もいろいろと。 そしてその悉くがビターエンドなのが切ない。 まぁ、日本もそうなんだけど。 日本の「田螺の息子」は(例外的に?)ハッピーエンドだったなぁーと、ふと思ったのだが、その中国版とも言えそうな「蛙の息子」の蛙は神仙の領域に還って行ってしまいます。 当然ながらさまざまなサブタイプがあり、成長した蛙が武勲をあげて王女と結ばれるなんていう展開(国王と蛙が入れ替わる借着譚型)もあるらしい。 「蛇の婿どの」も蛇に嫁いだ末の妹は幸せになれないばかりか、蛇を横取りしようとする姉に繰り返し殺される(このあたりは「花咲爺」風です)痛ましさが際立つ話なのだけど、そこは最も有名な昔話の一つとあって、ハッピーエンド版もたくさんあるという。 まぁ、おそらくは子供向けに改変されたんだろうなって気はするけど。
本編に採られている牽牛織女伝説「天の川の岸辺」は、羽衣伝説と融合したタイプの、やはり異種結婚譚で、織女は牽牛が嫌で嫌で仕方ないヴァージョン。 天帝は離婚の調停役といった感じだし、年に一度会うにしても牽牛が一年間使った食器(わざわざ洗わずに溜めている!)を一晩かけて洗わなくてはならない織女なんて・・こんなん初めて知ったよ^^;
そうかというと「長靴をはいた猫」と「花咲爺」がミックスしたような「犬が畑を耕す」のラストはこんなオチでいいのか心配になるくらいお下劣でバカバカしいのだ。 これは笑話の一種なんだろうね。 “犬が畑を耕す”というのは中国特異のモチーフなのだそうで、犬が穀物をもたらしたとする古伝承と無縁ではないらしい。 この話や「蛇の婿どの」をはじめ、三人(二人も含む)兄弟や姉妹が登場する話はどれも末っ子良い子の法則が成り立っているものの、「トントン、カッタン、サラサラ」だけは逆で珍しいなと思った。 あと、西洋ではカササギというと不吉な鳥のイメージだけど、中国では(日本もそう?)逆に人の訪れを告げる吉祥の鳥なんだね。 “喜鵲”と呼ばれるらしい。
日本の「猿蟹合戦」は、前半部が「毛蟹の由来」、後半部が「ヌングアマ」だねこれ。 柿じゃなくて桃なのが中国らしい。 「毛蟹の由来」の他にも起源譚が沢山あって面白かったな。 中国の狛犬(じゃなくて獅子だけど)が片方だけ石の玉をくわえている訳を何気に説明しているのは「魚売りと仙人」。 「人を食う蚊」では蚊の起源が、「猿にさらわれた娘」では猿の尻尾はなぜ短いか(或いは猿の尻はなぜ赤いか) が、「かまどの神の由来」では竃神のダメダメ神様縁起が・・と枚挙にいとまなく紐解かれています。
“底に沈んだ臼から塩が無限に出続けているので海の水は塩辛い”という起源譚は、同じ話を日本の昔話として読んだこともあるし、北欧(だったかな)の昔話として読んだこともあって、ずっとモヤモヤしていたのだけど霧が晴れた気がする。 中国には“塩吹き臼”の類話がほぼ見当たらないらしく、本編収録の「海の水が塩からいわけ」は台湾の民話であり、これはむしろ統治期に日本から伝播している可能性を考慮した方がよいのではないかと。 そして日本においても古くからの伝承とは捉え難く、明治以後に入ってきたヨーロッパの話の翻案が定着したとする説が妥当なのではないかと。 なるほどーと思った。
気になっているのは小鳥前生譚の一つ「トンビになった目連の母親」。 この母子にはお盆行事の由来にまつわる有名な伝説があるけれど、こんなにも強烈なお母さんだったなんて! ちらっと紹介されていた「大根」の目連尊者も不憫すぎる・・orz でもお母さんには妙に惹きつけられるものがあったりして^^; 目連救母の伝承を集めた本とかあったら読んでみたいw
それと「十人兄弟」がお気に入り。 民話の中で秦の始皇帝は悪玉に仕立てられる場合が多いらしいのだけど、その流れを汲む話。 話型が備えたオチと始皇帝にまつわる“孟姜女”の逸話とを巧みに融合させたなんとも豪快な話。 甲賀三郎伝説の中国版といった趣きの「雲から落ちた刺繍靴」には話型やモチーフがわんさか散りばめられていて楽しかった。 まるで中華ファンタジーの原石みたい。
恩返しされてつけあがる者や、仲良し同士が一方の裏切りで仲違いするパターンや、“忘恩の狼”ものまであって、非人情で残酷だったり、善人が間抜けとして語られたりする世知辛い話も目立つ中で、仏教説話風の「幸せをさがしに」に心洗われ、癒されてしまった。 「手品師の娘との恋」も好き。 からりと陽気なピカレスク・メルヘン風でとってもチャーミング。
日本の「炭焼長者」型の話を、月の模様モチーフと結びつけて語っているのが「生まれつきの運」。 日本では餅をついている月の兎が、中国では薬をこねているのだとは聞いたことがあったのだけど、月には丹桂(薬の木)が生えているという言い伝えもあるのだよね。 治水事業の痕跡を感じさせる「“年”という獣」は、 水害に勝利した(或いは勝利したいと祈った)遠い昔の人々の思いに引き寄せられる心地がした。
日本の「腰折雀」に当たる「小鳥の恩返し」、「古屋の漏り」に当たる「“漏る”がこわい」、「犬と猫と指輪」に当たる「仲たがいした犬と猫」、「絵姿女房」に当たる「羽根の衣を着た男」、「俵薬師」に当たる「エンマ様をぶち殺した農夫」など、ほとんど直接に対応している話も少なくないです。 「十二支の由来」もその一つ。 運動会風は日本ヴァージョンなのかな? “猫とネズミ”は一緒。 “ネズミと牛”は日本ヴァージョンが健闘してる。 “雄鶏と竜(とムカデ)”のテーマは知らなかった。 解説によると竜王と鶏身をした雷神との葛藤を反映しているのだとか。へぇ。
“竜宮に引き止められて暮らす”とか、“義兄弟の契りを結ぶ”とか、“みすぼらしい身なりをした物乞い老人が実は仙人”とか・・それとやはり虎が登場すると中国らしさが倍増しますね。 弱虫な虎やおバカな虎など、案外とコミカルに描かれる中、「木こりと虎」は伝説として見栄えのする報恩の虎のかっこいい話。 この民話が採集された湖北省における虎への信仰の深さとの関係が指摘されていました。 パンダ出てこないねパンダ!
中国内の地域性に根ざした類話の数々、漢民族以外の少数民族をはじめ、朝鮮や日本のみならず、モンゴルやインド、グリム辺りまでも含めてのモチーフの異同は非常に興味深く、その分岐点や交差点を探る巻末付載の「比較のための注」が参考になりました。


中国民話集
飯倉 照平 編訳
岩波書店 1993-09 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★
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突然ノックの音が / エトガル・ケレット
[母袋夏生 訳] ホロコースト第二世代としてテルアビブに生まれたイスラエル作家の短篇集。 と聞くと、なにか重厚なテーマを双肩に担ってそうな巨匠のイメージを連想しがちなのだけど、ケレットは極めて庶民感覚の作家。 一回揺する度にガラリと変わった映像が立ち現れる万華鏡のような読み心地の超短篇38作は、家庭や仕事や恋愛をめぐる日々の暮らしの中で、生きることの実感を希求する身近な思いに満ちています。 苦い痛みは残るけれど切なる願いの種が撒かれていて、人々を肯定的に見つめる眼差しが印象深くもありました。 そして、そんな思いを機知に変容させるべく、生彩ある筆致を自在の境地に遊ばせています。 説明を排して極度に切り詰めたテクスト。 日常的な感情の次元と奥行きを秘めた奇想の次元を軽々と跨ぎつつ、有無を言わせぬ状況に向き合うことを余儀なくされる人々の、可笑しみや悲しみの陰翳を濃いものにしていく手ぶれのなさ。 本文中に出てくる“月並みを変わったアングルとライトで壊す”という言葉がぴったりくる感じ。
マイベストは表題作の「突然ノックの音が」。 シュールな不条理劇なのだけど、緊張感とユーモアが絶妙。 ドアの外に待ち受ける危険への恐怖と可能性への希望とが綯い交ぜになった狂おしさが行間から滲み出ていて、言いようのない輝きがありました。 “ノックの音”は 本作品集でケレットが用いる最も強力なバネだったのではないかと思います。 同趣のシチュエーションは繰り返し変奏されますが、物語的な冴えを見せる「金魚」が中でもよかったなぁ。 扱われているのは孤独や疎外感なのだけど、胸の奥に哀憫と慈愛の小さな灯りがともるようで。 願いを三回叶えてくれる金魚という道具立てはロシア民話に材を取っているのだそう。
白い石の下の穴の中に広がる別世界を夢想した「嘘の国」の優しさ、ボタンのかけ違いのような負の連鎖を描いた「チーザス・クライスト」の鋭利さも魅力的だった。
閉塞感を逃れようと居場所を探してる感じは凄くあって、変化への期待と恐れは“ノックの音”以外にも転生やパラレルワールドや変身モチーフに投影されていたのではなかったかと思いました。 転生ものも結構多いのだよね。 その中で一番のお気に入りは「終わりのさき」。 キュンと切なくなって堪らなかった。
安息日、シェケル通貨、割礼式、キパ(帽子)、清浄食規定、ファラフェル屋台、兵役、シオニスト、ノブレス(イスラエル煙草)、仮菴の祭・・ 馴染みのない単語が無造作に出てきたり、自爆テロが日常と隣り合わせだったり。 移民国家の民族的多様性、マジョリティとマイノリティ、地域の特色や格差など、当然ながら作者との理解の共有が出来ておらず、文化的記号表現が分からずに様々な機微や妙味を見逃していることは間違いないだろうし、さらに本作品は、“スラングまじりの市井の言葉”を多用しているそうで、登場人物が自分の日常的な言葉で喋る、その語り口はどんなにか強い喚起力に満ちていることだろうと、これもまた想像するしかありません。 にもかかわらず、読みの可能性を摘みとらない姿勢はどこまでも読者を選ぼうとしておらず、国や文化を事もなげに超えて、生身の人間の息遣いとして心を繋げずにはおれない普遍性に行き着いています。


突然ノックの音が
エトガル ケレット
新潮社 2015-02 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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『吾輩は猫である』殺人事件 / 奥泉光
吾輩は猫である。名前はまだ無い。吾輩はいま上海に居る。
この出だしで小躍りw ビールの酔いに足を取られて、水瓶の底に溺死する寸前、意識を失くした吾輩は、気つけば東亜の大都市、上海に暮らしている・・という、ぶっ飛んだ設定ながら、正統的に原典を引き継いだといえる続編、後日談風快作(怪作?)です。
文体模写が堂に入っちゃってます。 漱石の「猫」そのままのご機嫌なリズムで些細な癖まで完璧トレース。 しかも、“牡蠣的性質”だの“屋根の上のぺんぺん草”だの“原稿用紙に鼻毛”だの、個人的なツボりネタはもれなく拾われていて痒いところ掻き放題^^
なぜか1906年の上海で野良猫として生きるはめになってしまった或る日、日本人租界を徘徊中、かつての主人だった苦沙弥先生横死(しかも密室!)の報に接し、驚愕する吾輩。 吾輩が当地で得た知友、パブリック・ガーデンに集う諸猫たちが“苦沙弥先生殺害事件”の推理に乗り出します。
猫サロンの面々は、啓蒙家にして艶福家のフランス猫・伯爵、老長けた皮肉屋のドイツ猫・将軍、ロシアの美猫・マダム、上海生まれの憂国の猫・虎君、イギリスの探偵猫・ホームズ君とその盟友の博士猫・ワトソン君・・と国際色豊か。 上海の複雑な政治情勢やお国柄の一端が猫たちの言動に投影されていたり、時には文化の誤解で突拍子もない珍説が飛び出したりしながら、喧々諤々の推理合戦が意外と意外にきちんと本格ミステリしていて頼もしい。
で、容疑者となるのが迷亭、寒月、東風、独仙・・のお馴染み“太平の逸民”たち。 臥龍窟を賑わした諸氏たちの特徴や振る舞い、下宿時代のエピソード、山芋盗難事件、超然的夫婦仲、風邪をひいて死んでしまった三毛子、生後間もない吾輩と書生との出会い・・などなど、あの場面この場面、よくもここまで料理したなーと。 こんなノワールな角度から光を当てられてしまって、漱石先生、草葉の陰で目を白黒させているんじゃないかしらん。
しっかし後半から終盤は打って変わって大冒険ロマン。 知ってた^^; 奥泉さんが規格内ミステリ書くと思ってないからw 蕉鹿の夢の如き阿片の幻覚を軸に、かなりのウェイトで「夢十夜」モチーフも織り込まれていましたし、未読なので詳しくは分りませんが、おそらくそこに「バスカビル家の犬」もリミックスされてそう。 埠頭の外れの桟橋から、仲良く尻尾を並べて霧に霞んだ“虞美人丸”の船影を眺める猫たちの後ろ姿が、なんか無性に可愛いくて。
苦沙弥先生殺害の謎を解くカギが「吾輩は猫である」のテキスト中に隠されているというミステリ的趣向だけでも非常に面白いのですが、「吾輩は猫である」という作品そのものをメタフィクションとして使ったSF的プロット(これネタバレですが;;)などは著者の真骨頂じゃないかと思う。 最後、ん?・・あっ、あっー!・・ん??という感じ。 謎オチ・・だよね? あれ? そうだよね??
単語こそ出てこないけれど、この作品のSF要素には、かの“ロンギヌス物質”が関係してるよね・・くらいの緩やかさで「モーダルな事象」や「鳥類学者のファンタジア」との接点が感じ取れます。 似たような立地条件の作品として、コニー・ウィリスの「犬は勘定に入れません」を連想しました。 名作古典へのオマージュであり、SFと本格ミステリの融合であり、自作の姉妹編でもあり、なんたって突き抜けた諧謔精神と衒学的遊び心が奏でたパスティーシュのコラージュがもうね。
漱石の「猫」を読むと、漠然となんだけど、知識階級の人間に対する反発心が芽生えるのは、「猫」の太平楽で酔狂な物語時間と同時進行しているはずの日露戦争について、小説中で(まるで他人事のように)ほとんど触れられていないからなのかもしれないと気づかされた。 そしてその背後には、文化とは対極にある戦争への単なる無関心ではなく、無関心でいられることの後ろめたさのような陰翳が貼り付いていたのではないかという指摘が心に響きました。 今度、「猫」を読む時は、一段深い感慨が湧きそうです。


『吾輩は猫である』殺人事件
奥泉 光
新潮社 1999-03 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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死との約束 / アガサ・クリスティー
[高橋豊 訳] 「ナイルに死す」に続いての中近東もの。 舞台となるのはローズレッド・シティと呼ばれる薔薇色のペトラ遺跡。 クリスティーは雰囲気を過剰に描かないのだけど、禍々しげで妖しげなエキゾチシズムが、今回は少しばかり幻想的で香り豊かでした。
魔力を持った不気味な偶像のように君臨する老女に唯々諾々と付き従う夢遊病者のような家族たち・・ キャンプに参加した一行の中に、奇異に映るアメリカ人一家の姿があった。 しかし、異常な権力欲にとりつかれた独裁者にしてその死が誰をも幸福にする醜怪な家長の老女は、皆が散策に出かけている間に宿舎用の祠で急死する。 旅先での持病の悪化としてなんら不自然なところはないかに見えた矢先、一行に加わっていた医師の部屋から治療用の劇薬と注射器が失くなっていることが発覚し、さらに死体の手首に針の跡が確認されるに至り、誰も望まない殺人事件の捜査が始まることに。 近郊を訪れていたポアロが急きょ呼ばれ、真相解明を託されます。
走行中の乗り物という舞台や、非日常感を活かした豊かな演劇性などの共通項を具えていた「ナイルに死す」も、「オリエント急行の殺人」と好対照に映りましたが、本篇もまた別の意味で「オリエント急行の殺人」を意識して構築したであろうことが想像されます。 虐げられてきた容疑者全員が垣間見せるいかにも犯人らしい不審な行動や、いわくあり気な嘘の数々。 既視感めいた“あの”チグハグな状況を再現し、それを巧妙に反転させる極端なアイデアが採用されていて、読み終えてみればその見事さにニヤリとなります。 相変わらず甚大な想像力を必要とする伏線ばかりで勘に頼らない限り見破れないパターンですが、奇をてらった趣向が仕組まれていて個人的には満足度高めです。 「オリエント急行の殺人」に比べると地味ですが、このやり過ぎ感は双璧と言っていいと思うよ。 証言と時間の推移をその検証とともに(ある法則性に則って)綺麗に逆行していく解明パートが上出来で心踊ってしまいました。
訳のせいもあるのかどうか、ユーモラスなところがほとんど皆無で、ポアロがいつになくクソ憎らしく感じます^^; 圧制者から解放されやっと訪れようとしている家族生活の平和を踏みにじるキャラ的な、あえてヒール役というか、それもまぁ一種のミスリードだったかもしれないのだけれどね。 全体的にトーンが暗いように感じられるのは、目前に迫った第二次大戦の影が否応なく落ちているからなのかな。 ゲストヒロインは新米の精神科医ですし、心理学の大家が登場したりもして、潜在意識の中に潜む人間の悪魔性に対して差し迫った注視のほどが感じられもする。 険しい赤い崖の上の聖地から、残虐性と恐怖の基盤の上に置かれた暴力世界のドアを今まさに開こうとする狂乱の下界を眺めるシーンは、何かしら暗示的で、瞑想的で。 “多くの人を救うための一人の死”をめぐるクリスティーの葛藤がほのかに透けて見える気さえして。 でも踏み込まない解決が自身の役目と心得たエンターテナーが見せるエンディングの軽やかさが、逆にどこか苦しくて心がざわついてしまった。 ちょうど最晩年のフロイトがナチスの迫害を逃れてイギリスに亡命した時期と重なる頃の作品かなと思うと感慨が湧きます。


死との約束
アガサ クリスティー
早川書房 2004-05 (文庫)
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ナイルに死す / アガサ・クリスティー
[加島祥造 訳] 「メソポタミアの殺人」に続く中近東もの長篇二作目に当たる作品で、クリスティーのお気に入りでもあり、ファンも納得の傑作です。 入り組んだプロットですが、計算の行き届いた巧妙な構築力が発揮されており、異国情緒と浪漫と皮肉に彩られたとびきりファンタスティックな物語。
美貌の資産家リネットと夫サイモンが新婚旅行に選んだのは、黄金の大地に雄大なナイルの横たわるエジプト。 しかしリネットにとってはかつての親友であり、サイモンにとっては元恋人であるジャクリーンが、二人の後を嫌がらせのようにつけ回し、行く先々に姿を現します。 復讐をほのめかすジャクリーンでしたが、ナイル河を遡る遊覧船上で遂に殺人事件が・・
遊覧船カルナク号に乗り込み、アスワンからワディ・ハルファへ向かう船旅を渦中の三人と共にするのは、不実な遺産管理人、寡黙な弁護士、扇情的な女性作家、過激な共産主義者、アメリカ人の我儘な老嬢、ゲルマン気質のドイツ人医師、イタリア人考古学者、邪心ありげなメイド、名探偵エルキュール・ポアロなどなど、紛々たる個性のエキセントリックな面々。 そこに紛れる宝石泥棒や殺し屋や・・といった具合で、様々な思惑や人間関係が犇めき合い、縺れ合い、殺人事件の真相は連動する不慮のファクターによって幾重にも覆い隠されてしまいます。
「メソポタミヤの殺人」では、“心理の地層に分け入り、秘められた過去を蘇らせ”たポアロですが、本篇では、“付着している無関係なものを削り落とし、発掘したい真実だけを取り出し”て事件を解決します。 どちらも考古学者に見立てたパブォーマンスぶりで、そんな辺りも気が利いてるんですよね。 今回のポアロの相棒は英国特務機関員にして準レギュラーのレイス大佐です。
現実を束の間忘れさせてくれる佳き逃避文学の味わいが濃厚です。 旅先という非日常空間を生かした舞台劇のような雰囲気。 実際、クリスティーは後に本作を戯曲化しているらしいです。 まるで文明社会を離れた別天地で、荒々しい本能をひととき解放するかのような・・ 戯画的な登場人物たちが冴え冴えと映え渡っています。 まさに “ここは内緒内緒の家”なのです。 ポアロによる恩赦という特別ルールの適応があったりして、ある意味「オリエント急行の殺人」の船ヴァージョンともいうべき類比性が見て取れたと思います。 推理のベクトルが合成か分解かといった点においても、(意図したわけではないのでしょうが)この二作は対を成しているように見えて面白いですし、「オリエント急行の殺人」がハートフルなコメディ劇なら「ナイルに死す」は辛辣な諷刺劇ほどの印象の違いがある点にも興をそそられます。 ただし、そこへ更に甘露なメロドラ要素をミックスすることで生まれる一種コッテコテのケレン味を湛えた躍動感が、本篇を本篇たらしめる最大の魅力だと思いました。
いかんせん、小粒ながら非常にシャープな短篇傑作「砂にかかれた三角形」(「死人の鏡」所収)を直前に読んでいたので脳内に傾向と対策の回路ができておりました。 幸か不幸かメインの筋書きと、そこからの推測でトリックも見抜けてしまい、おおかた答え合わせ的な読みになりましたが、いやいやどうして余裕で楽しかった。 クリスティーの場合、直球的伏線が少なく、その点あまり親切ではないものの、代わりと言ってはなんだけど、特に本篇では殺人に至るまでの道程を辿る第一部において、二重の意味を文章に隠し込む叙述トリックが大いなる伏線の役割を担って華麗なまでに供されており、ミステリを読む醍醐味である“してやられた感”を小憎らしいほど擽ってくれました。
順番に読んでいるポアロシリーズ。 ここ数作は推理=心理分析の傾向が強く隔靴掻痒の感が拭えなかったんだけど、本篇では手掛かりがきちんと提示されているため、ポアロの脳内ブラックボックスが小さく、ポアロとほぼ対等の立場で読者も謎解きに参加できる納得度が嬉しい。
今回のゲストヒロインは一人に絞れません。 リネット、ジャクリーン、ロザリー、コーネリアの四人とみる線が妥当なところか。 運命の明暗となるとまた別の話ですが、彼女たちのうちパパ・ポアロの愛を勝ち得るのはロザリーとジャクリーンの二人だったように思います。 密かな苦悶を抱える女性にポアロは優しいのです。 てか、心理的興味を掻き立てられるんだろうね^^; コーネリアは天然モノのいい子なのだけど、秘密がなさすぎてたぶんポアロの趣味じゃないのだわ。 リネットに至っては・・いやこれはもうポアロというよりクリスティーの冷淡さでしょうか。 明らかにヒロイン級の扱いでありながら、徹底して愛の欠如に晒されて、妬まれ、カモられ、嫌われ、忘れられていきます。 自分の王国に君臨する王女のごときリネットは、西洋的秩序を離れたナイルの水面で、封印を解いた人々の心の魔に呑み込まれてしまったかのよう。 ラスト一行まで軽妙にして痛烈。


ナイルに死す
アガサ クリスティー
早川書房 2003-10 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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メソポタミヤの殺人 / アガサ・クリスティー
[石田善彦 訳] オリエントを舞台にした最初の長篇。 解説では“生涯の伴侶となった考古学者、マックス・マローワンとの出会いが生んだ記念の一冊”と紹介されていましたし、冒頭の献辞も、“イラク、およびシリアの遺跡調査に携わっている多くの友”に捧げられており、私生活が充実してそうなクリスティー。
チグリス川近郊の砂漠の丘で古代遺跡を発掘している調査隊の宿舎が舞台となる殺人事件です。 たまたまシリアでの一仕事を終えてバグダッドを観光しようとしていたポアロに事件の捜査が依頼されます。 心理の地層に分け入り、秘められた過去を蘇らせるポアロのパフォーマンスは、考古学者顔負けといったところ。
様々な職業や国籍の人材が集まった発掘チームの隊長、ライドナー博士に同行している妻ルイーズの、不可解なパニック状態の兆候や、かつては和やかだった宿舎の雰囲気を蝕む異様な緊張と気詰まりの元凶は一体何なのか? 強迫観念に苛まれる夫人の付き添い役を依頼された看護婦エイミー・レザランが今回のゲスト・ヒロイン。 第三者の立場にありながら事件にずっと関わることになったレザランが、公正な証人として手記を綴り、ポアロの助手も務めています。
なぜ殺され、誰が犯人なのかについての捜査は、“被害者の人格だけを出発点とした”とポアロが豪語するように、プロファイリング的要素が強く、ルイーズがどんな人間なのか、そのモンタージュ作りに重きが置かれていた気がします。 絵解きはあくまで、“事実を整合性ある場所に位置づけるための可能な限りの正しい結論”なのであって、具体的な証拠がないまま犯人の自白で落着します。
殺人の手段も確実性が薄いと言わざるを得ない方法ですが、込み入ったことをやって破綻しているパターンとは違って綺麗にまとまっており、自分としては素直に楽しめました。 被害者、犯人、容疑者たちの人間性(とそのせめぎ合い)に着目し、これは一種、ファムファタルものとして読むことをお勧めしたいなぁ。 ドラマチックな真相のおとぎ話的外観と、狂気的なまでに熱を帯びた内面性のギャップを愛でてしまいました。 犯人の破滅こそが何よりルイーズの魔性を物語っているのかもしれなくて。 さらっと描いてるんだけど実に芳醇な一面を秘めた作品という印象。
春日直樹さんによる解説で、“書き手の持つ力”のテーマが隠されていると指摘されてもいた通り、記録者であるレザラン看護婦の(文脈上の)個性も恐らくは読みどころだったんじゃないかと思うんです。 クリスティーは言わずと知れた“語りの技法”の名手だし、登場人物が同じような喋り方になっては個々の持ち味がなくなってしまうと言って、原稿に手を入れられる(文章を文法的に正しく直される)ことさえ嫌がったと、どこかで読んだ記憶もあるし。 レザラン自身が気づいていない融通の利かなさ加減にクスッとさせられる感じなんかは伝わってくるものがあったんだけど、“稚拙な手記としての面白み”は、翻訳されてしまうと正直いまひとつわからなかったのが残念。
レザラン看護婦の記述によると、事件解決の一週間後、オリエント急行で英国に帰る途中のポアロが、また新しい殺人事件に巻き込まれたとのこと。 時系列的には「オリエント急行の殺人」の直前に位置する話なわけですね。 発掘遺跡から聞こえてくるアラブ人労働者たちの単調な歌や、かすかな別世界を想わせる水車の軋る音などは、きっとクリスティーが経験した中近東の肌触りそのままなのでしょうねぇ。 発掘隊ならではの道具立ても盛り込みつつ、これ見よがしではないエキゾチシズムが上品で軽やかな読み心地を残します。


メソポタミヤの殺人
アガサ クリスティー
早川書房 2003-12 (文庫)
関連作品いろいろ

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マレー鉄道の謎 / 有栖川有栖
旅先のマレーシアを舞台にした国名シリーズ第6弾。 クアラルンプールの観光を終えて、マレー鉄道に揺られイポーへ。 そこで英都大学時代の旧友である大龍(タイロン)に出迎えられて、高原のリゾート地、キャメロンハイランドに向かった火村とアリス。 大龍が営む雨傘椰子に囲まれたゲストハウスで旧交を温めながらゆったりと寛ぐはずの憩いのひと時は、殺人事件の勃発であえなく事件解決までのタイムリミット・チェイスへと急転してしまうことに。 “ジム・トンプソン失踪事件以来のキャメロンハイランドのミステリ”を追って“フィールドワーキング・ホリデー”と化した2人のとんだ休暇の顛末です。
作家アリスシリーズとしては、これまでで最長らしいんですが、とても座りのいい作品という印象でした。 目張り密室の物理トリックのHowも面白かった(こういうの好みですw)し、第二第三の殺人で力点の置かれたWhyと絡む仕掛けも堪能できたし、火村先生が犯人と対峙するWhoの見せ場も周到ですし、がっかりする要素が見当たらないと言っては失礼なのかもしれないけど、このボリュームでよくぞここまでスマートに纏めたなぁーと感服します。 背後に横たわる事件の骨組みとしての物語性も、灰汁がないのに不思議と悩ましく余韻を引くあたり、このシリーズの真骨頂という感じもします。
トラベローグ的にはそれほど濃くはないですが、バックパッカーや昆虫マニアの旅行客、突然のスコールや屋台料理など、南国リゾートの空気感も相応に味わえて、“ハロハロ”とか“オーケーラ”とか、マレー製英語がキュート♪
冒頭の“蛍の川の対話”がいいアクセント。 火村先生が犯罪者を狩り立てる理由は、相変わらず哲学問答のような犯罪談義のベール中に包み隠されていて、素顔を晒そうとはしないのですが、もうね、ずっとこのまま思わせぶりでいいと思うの。 ほのかで淡き“蛍なす”の枕詞に、薄っすらと物語が被覆されていたのも乙というものでしょう。
アリスの“どっちが行き止まりか教えるためのスカ推理”を冷やかす火村先生・・の掛け合いがこのシリーズの和み系お約束の構図だと思ってるんですが、国際的な恥じっかきもなんのそので、叩かれて大きくなるアリス(笑)はいつも通り愉しませてくれました。 もっと派手にやらかしてもいいよアリスw まぁ、でも今回は、サムライ・イングリッシュの操り手たるアリスに乾杯ってことで^^


マレー鉄道の謎
有栖川 有栖
講談社 2005-05 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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双子幻綺行 / 森福都
[副題:洛陽城推理譚] 長安から洛陽に都が移って8年余り、齢七十を越えた則天武后(聖神皇帝)が君臨する洛陽城中、城下で次々起こる面妖な事件に、宮城に出仕して間もない美貌の双子兄妹が立ち向かいます。
宦官として献上される兄、馮九郎について都に上り、女官として働き始めた妹、馮香蓮。 うら若き少年少女の2人が、互いを頼りに才気と勇気を奮い立たせて、深謀遠慮渦巻く伏魔殿を渡っていく姿・・ この凜乎として健気な双子愛が、結晶のように昇華される歴史秘話物です。
赤く燃え立つ躑躅の季節から翌仲春までの一年、九郎と香蓮、十五歳から十六歳の物語です。 九郎は、一見、柔和で礼儀正しい美少年なんですが、香蓮と二人きりになると途端にぶっきら棒。 肉体的な負い目という屈託を抱える狷介孤高な本性を香蓮にだけ曝け出します。 憎まれ口を叩き合いながらも、兄の唯一無二の理解者であるという矜持が、妹の宮廷での日々を支えているかのよう。 そして、怜悧な少年宦官の秘めたる野心が、妹の眼を通してひたひたと、しかし揺ぎ無い手応えとして窺い知れてくる。
忠臣、寵臣、佞臣、功臣、奸臣・・ 息をつく間もなく仮面を裏返す蹴落とし合い。 いったい誰が味方か敵か・・ 一癖も二癖もある曲者な脇役陣が、それはもう魅力的なのがいい。
洛陽城内の見取り図が付記されているので視覚的にイメージし易かったですし、もう、なんといっても、花の都(中国のロココ時代なんて言い方もされるんですか!)の驕奢な行事や風物詩、その艶めいた描写に酔いしれてしまいました。 洛陽の都そのものが、熟れすぎた桜桃のような、大輪の徒花のような、生温かい繭ような、媚薬が見せる靄のような・・ 雅やかで禍々しい色彩と芳香を放ちながら暗く妖しい熱に浮かされていて、何かこう、ある種の業火を見ているような興趣があります。 そしてこんな背景に、双子の生硬な輝きがよく映える!
表紙カバーの折り返し部分に、田中芳樹さんの推薦文が載っているのですが、そこに“主人公兄妹の歴史上の正体も含め、みごとにやられた”との一文があり、これが気になって気になって。 しかしまぁ、いかんせん、中国史の知識を持ち合わせていないもので;; そこのご褒美にあずかることは諦めて読んでいたんですが、でも、この気になり加減が、思いがけず主人公2人の性格描写を丹念に追っていく契機にもなってくれて、特にラスト数行は鳥肌が立つような心地が得られたので、自分なりに満足です。 後でゆっくりネットで調べて余韻に浸ったことは言うまでもなく。


双子幻綺行 −洛陽城推理譚−
森福 都
祥伝社 2001-02 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★
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聊斎志異の怪 / 蒲松齢
[志村有弘 訳] 清代(17世紀末)に著された中国古典の快作「聊斎志異」。 作者の蒲松齢は、科挙の試験に落ち続ける傍ら、二十余年の歳月を費やして、口碑に取材した世界最大級の怪異譚アンソロジーを集成しました。
本書は、(現存するだけで)400篇を越える膨大な原話の中から訳出した40篇を、幽霊、神、妖怪、狐、女、龍、首、とカテゴライズして紹介する抄録集。
人間と異形のものが戯れ合うように交錯する幽艶奇抜な世界観が、因果律や血筋の支配という基調低音としなやかに共鳴しています。
恋愛や情交、結婚譚が比較的多いんですけど、あっけらかんと抑揚のない民話ならではの雰囲気なので、ひゅーっと一陣の風が吹き抜けるような飄然とした佇まい。 それでいて、玄妙な趣きを帯びた空気の微動がふと目に沁みたりもして。
エピソードを書き留めました的な簡素なものから、物語としての体裁を備えたものまで、事もなげに此岸と彼岸を往還するフットワークの軽さといったら・・
マイベストは「書物から出てきた龍(蟄龍)」。 まるで詩情が結晶化したみたいな奇跡の一篇でした。 どこかユーモラスな妙味のある「幽霊のにせもの(周克昌)」や、「狐の嫁女(狐嫁女)」なんかも好きだし、そぞろに寂しさを覚える冥土の村のイメージが心に留め置かれてしまった「死者の結婚(公孫九娘)」もよかった。
そして、本書における最大の特徴はといえば、「聊斎志異」に材を得た芥川龍之介の「酒虫」と、太宰治の「清貧譚」「竹青 ―新曲聊斎志異―」の三篇が巻末に併録されているということ。
芥川によって、正鵠を射るように命題に光を当てられた「酒虫」。 背反する事象とは相補的であり、切り離せない表裏であるのだと突き付けられることで、原話の大らかな余白は埋められてしまうんだけど、“気づく”ことでもたらされる知的感慨は、これがねぇ。一入なんです・・
一方、原話の「黄英」に息吹きを注入して豊かな物語性を引き出した太宰の「清貧譚」。 「竹青」は、原話そのものが改変され練り直されていました。 どちらも主人公の個性がいい。 うざったくてメンドい奴なくせに、癪だけど妙に憎めないってところが太宰印。 正直「竹青」はイマイチ(自分は原話のが好きだ・・)な気がしたんだけど、「清貧譚」は瑞々しい佳作に生まれ変わっていたなぁと思う。 太宰が言ってるように原話の「黄英」自体が、“読んでいるうちに様々な空想が湧いて出て、優に三十枚前後の好短篇を読了した時と同じくらいの満酌の感を覚える”魅惑の一篇なんだよね・・ほんと、その通りだと思った。
こうして比べ読むことで、目の付けどころというか・・インスパイアのされようにニヤっとするし、この不世出の古譚集が、汲めども尽きぬ物語の源泉であることを再発見する思いでした。


聊斎志異の怪
蒲 松齢
角川書店 2004-08 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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イスタンブールの群狼 / ジェイソン・グッドウィン
[和爾桃子 訳] 昔日の花形軍団でありながら、無頼化して厄介者となったイェニチェリを粛清した“イスタンブールの慶事”より10年。 19世紀中葉、老いたスルタン・マフムート二世が統治するオスマントルコ帝国晩期のイスタンブール。
スルタンの権威と近代軍を内外に誇示するための閲兵式を間近に控えた或る日、近衛新軍の4名の士官が行方不明となり、次々と惨殺されるという事件が発生します。 調査を託された宦官のヤシムを主人公に配し、宮廷のハレムや市街を舞台に繰り広げられる冒険(踏査)ミステリ。 事件を追っていくうちに見えてくる影はイェニチェリの残党なのか? 落日の帝国に巣食う“群狼”が焙り出されていきます。
断章形式かつ場面転換が目まぐるしいので、どーにも読み辛いのが難点なのですが、なかなかヒーローになりにくい宦官のイメージを打ち砕くようなヤシムの造形が好感触。 内面の屈折との付き合い方が大人な彼。 ハードボイルドもお色気もこなしちゃってます。 相棒役的な存在で登場する亡国のポーランド大使・パレフスキーも、その飲んだくれなピエロっぷりにそこはかとない味があってよかったなぁ。
でも、この本の最大の魅力は、歴史家の著者による確かな考証のもとに、背景となるイスタンブールの街の鼓動がドクンドクン伝わってくるところにあると思いました。 多種多様な民族が往来する無国籍な喧騒、歴史と文化の層が綾を成し、西と東、聖と俗、富と貧、火と水が混淆する迷宮のような都。 ビザンツの残影とコンスタンチノープル征服以来築かれてきたオスマンの伝統を背負う古代都市は、1500年に及ぶ権力の澱を沈殿させ、自らの重みに軋み、緩慢と膿み腐っていくかのような・・ その甘い腐臭が芳しく立ち込めているのです。
産業革命や市民革命の進むヨーロッパ列強の干渉、南下を画策するロシアとの緊張関係、平定したギリシアやエジプトの離反、ムスリムの魂と近代化の狭間で錯綜する思惑・・と、国内外に渦巻く不穏な情勢。 苦節の時を迎え、苦悶する帝国の咆哮にすっかり魅了されていました。


イスタンブールの群狼
ジェイソン グッドウィン
早川書房 2008-01 (文庫)
関連作品いろいろ

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