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ワカタケル大王 / 黒岩重吾
ワカタケル大王 上
ワカタケル大王 下
黒岩 重吾
文藝春秋 2003-12
(文庫)
★★★

久々の古代。 日本史に現われた最初の個性的人格といわれ、日本書紀の中で“大悪にして有徳”と評されたというワカタケル大王とは、第21代雄略天皇のこと。 “倭の五王”最後を飾る“武”である。
大和朝廷による平定がほぼ完了したとはいえ、まだまだ地方の有力豪族との連合国家的な性格を強く残していた時代。 専制王者への野望を胸に、ワカタケル大王が目指した中央集権化は、後の官司制度の萌芽となったといわれている。
なんといっても強烈な個性。 武勇に秀で、知識欲も旺盛。 勇猛にして暴虐。 允恭大王死後、5人の王子と従兄弟王による血みどろの大王位争いを勝ち抜き、巨大豪族の権威を失墜せしめるべく政権抗争を繰り広げていく激しい生きざまを人間味豊かに描きながら、五世紀半ばの時代の息吹を運んでくれる。
古事記の解説本を斜め読みした程度の薄ら知識はあったのだけど、古事記仕様のお伽噺系エピソードは全く出てこないし、一見何の変哲もないような粗筋が、深い考証と洞察に基づいた陰影を施され、躍動感溢れる歴史ロマンへと生まれ変わっている。 多くの記録により時代の実情が見え始める以前とはとても思えないリアリティ・・って、こら〜黒岩重吾さんをどなたと心得るか。
宋王朝と朝鮮半島諸国と倭国。 当時の国際情勢がとても興味深い。 民族の基盤がまだ流動的なためか、中世よりもよほど国際的に映る。 宋王朝の冊封体制を巡って優位に立とうとする各国の思惑や、高句麗、百済、新羅の緊張関係の中に組み込まれ、利用される倭国。 海に守られのんびりとした気風の後進国に甘んずることを是とせず、新時代を先取りしようと、熱い血を滾らせた異端の革命児が、黒岩さんの手によって爛々と蘇るのだった。
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隼別王子の叛乱 / 田辺聖子
隼別王子の叛乱
田辺 聖子
中央公論社 1978-01
(文庫)
★★★★★

古墳で有名な第16代仁徳天皇(大鷦鷯の大王)一族をめぐる物語。 ついこの前、阿刀田高さんの「楽しい古事記」を読んだばかりで、まだ頭に残っていたので、大きな流れは把握していました。 でも、よくぞここまで想像の翼を広げて、美しくも悲しい愛に満ちた物語を紡ぎ出してくださったなぁ〜と感服してしまいます。
第一章は、大鷦鷯の大王の弟皇子の隼別王子と、大王が新しい妃として迎え入れようとしていた女鳥姫が恋に落ち、愛を貫いて大王に反逆し破滅するまで。 第二章は、大后(大鷦鷯の皇后)の磐之媛の晩年、愛と憎しみに彩られた激しい生の尽きるまでを描く。
実は随分以前に1度読んでいるのだけれど、その時は第二章の良さがわかってなかったんじゃないかと思う。 今回再読してみて、第一章の、恋の絶頂期に散りゆく夭折者の美しさも然ることながら、第二章の、現の世を濁々と生きた磐之媛の心の襞に寄り添えてしまえる自分がいて、それどころか無性に沁みて沁みて・・これは年をとったってことなんでしょうかねぇ。
もしも情熱の限りを傾けて愛を貪り合う隼別王子と女鳥姫の若い2人が、幸せに結ばれていたのなら、何十年か後の愛のかたちはどうなっていたんだろう。 嫉妬、探り合い、冷え切った愛、愛の代償・・大王と磐之媛の姿には、その1つの答えが暗示されているようでもあり、でも決してそれは醜いばかりではないのだと力強く訴えかけてくるものがある。 第二章にこそ物語の真髄があって、第一章はそのための布石のような感じすらしてくるし、でも、第二章によって第一章もまた、より輝きを増しているのだともいえそう。 好対照の愛のかたちを配置させた素晴らしい構成。
そしてさらにこの作品の佳きところは、登場人物の誰かに肩入れすることが全くないところ。 いっそ冷徹なほどに。人物の個性が色眼鏡なしでストレートに伝わってくる感じが非常に心地よかったのです。
「私はもはや、ハヤブサ・ワケにはなれない。あれは、私たちのときだけだった。ハヤブサ・ワケとメドリに、私たちがなれたのは。私がハヤブサ・ワケであり得たのは、あなたがメドリであった、あの二人とも若かった日のことだった」
私は、大鷦鷯のいおうとすることがわかってはいたが、彼の差し出した手を握ることはしなかった。
「あなたは、若いメドリを得られた。それで充分ではありませんか」
大王は黙して去った。
この別離の会話の中には、二人の愛(どこまでもすれ違ってしまう愛)が凝縮されているようで悲しすぎます・・ タイトルの“隼別王子”には、固有名詞というよりもメタファー的なニュアンスを感じずにはいられません。 若さ、情熱、剥き出しの放胆さが放つ輝きにも似た・・
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小説 出雲王朝挽歌 / 三枝和子
小説 出雲王朝挽歌
三枝 和子
読売新聞社 1996-02
(単行本)
★★

神話と古代史がリミックスされた出雲王朝の物語。 勇敢な開拓者“須佐之男”と、平和的統治者“大国主”親子によって繁栄をもたらされ、武器を持つことなく豊かになった出雲の国が、武力を強化し国土を広げつつあった邪馬台国の前に屈するまで・・という形で描かれる。
神話でいうと“ヤマタノオロチ退治”から“国譲り”までということになる。 邪馬台国(倭)は神話の“高天原”を暗示しているし、神話では確かアマテラスが出雲へ何度か使者を送って失敗していたと思うけど、そんな部分も上手くストーリーに組み込まれていたり、年に一度出雲大社に神様が集まることになったルーツなども物語られたり、神話チックな隠し玉がたくさん用意されていてワクワクする。
古代史的にはどうだったのか全く無知なのだけれど、戦争をすることなく国を譲るに至るまでの大国主や郷長たちの苦悩、そして苦渋の決断・・ “挽歌”というだけあって“国譲り”にまつわる物語がクライマックスに置かれ、ラストはなんとも言えない哀愁が漂う。
古事記か日本書紀かに載っているのか、オリジナルなのか。 フィナーレを飾る挽歌がいっそう哀しみをそそる。 神薨った須佐之男のために老韓人が歌い、人々が和して歌い舞ったという。
常世へに 雲立ちわたる
白鳥の 飛び去るかたへに
雲立ちわたる
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えびす聖子 / 高橋克彦
えびす聖子
高橋 克彦
幻冬舎 2003-08
(文庫)


古事記の出雲王朝神話をモチーフにした古代SF伝奇ロマン。 人類の歴史の黎明期に宇宙人が関与していた・・云々という眉唾話は洋の東西を問わずちょろちょろ聞こえてくるけれど、古事記も例外ではなくて“天の羅摩船”や“少彦名神”などは元来、ちょっとSFチックな香りを放っている。 本書はこの辺りをさらに大胆に解釈して展開していくんだけれど、古事記本来の世界に違和感なく溶け込んでいて楽しい。
オオクニヌシが豊葦原中国の王となるまでのエピソード・・ 因幡の白兎、八十神、赤い猪、根の国訪問、スサノオとスセリヒメなどなどがしっかり盛り込まれていて、しかも味付けも見事で、こうくるかぁ〜上手いなぁ〜と感服する。
本書は王になるためのオオクニヌシの試練行がクローズアップされた物語で、大いなる力に導かれたこの道中で、仲間を得て、友情を育み、魔物と対峙し、様々に仕掛けられた罠を潜り抜け、それはもう、RPGダンジョン張りの冒険ワールド。
この物語は、さぁこれから国つくりだぞ! というところで終わっているのだけれど、オオクニヌシは“国つくり”によって豊葦原の民と国土を豊かにした後、無血で“国譲り”を行っていて、あなたはほんとにそれでいいのですか? と、ちょっとうるうるしそうになる程なのだけれど、若かりしオオクニヌシの万物を愛する“優しさ”が本書にはたっぷり描かれていてよかった。
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日本の神話 / 松谷みよ子
日本の神話
松谷 みよ子
のら書店 2001-04
(単行本)
★★★

古事記の神代の巻をベースに、古代日本の神々の物語が国生みから、ヤマサチヒコとトヨタマヒメの物語まで連作長編趣向で描かれている。
古事記は簡単な解説本を何冊か読んだことがある程度の知識だけれど、上巻の神々の話が初心者のわたしには一番馴染み深い。 中巻、下巻と徐々に神々と人間との物語、人間(天皇家)の物語へと時代が下っていくと、系図があまりに複雑で頭が痛くなり、人間臭さや生々しい争いの場面も多くなる。 もちろんその中にも惹かれる逸話はたくさんあるのだけれど、やはり、おおらかで無邪気で骨太な神々の物語はよいなぁ〜と改めて思う。
特に日本書紀だと、出雲系の神様たちの扱いが淡泊らしいんだけど、風土記や各地の伝承からも説話を拾って、オオクニヌシノミコトの国つくりの場面も生き生きと描かれていて嬉しい。 古事記の中ではヤマトタケルノミコトが一番人気みたいだけど、わたしは元祖風雲児(?)のスサノオノミコトのファンなので、出雲の神様の話が好きなのです。
新嘗のお祭りをする尊い御殿にスサノオがクソをしました!と、アマテラスに言いつけられてますからね 笑 大人なのに・・神様なのに・・ ハチャメチャだけど憎めない。
それから、アメノヒボコ(異国である新羅の神様)とオオクニヌシノミコトが遭遇し、最初は争ったが共に国つくりに励むというのもよかった。 こういうのも好きだ。 これは風土記の説話らしい。
ヤマタノオロチを退治して、妻のクシナダヒメと過ごした出雲の御殿での日々・・スサノオが一番幸せそうな時の歌。
八雲立つ 出雲八重垣
妻ごみに 八重垣作る
その八重垣を
そして神代の巻のラストを飾るヤマサチヒコとトヨタマヒメの物語は美しい。 というか離れ離れになったふたりの恋の歌のやり取りがラストというのは心憎い。 山の神と海の姫との恋だものなぁ。
ヤマサチヒコとは、国ゆずりを受け、葦原の中つ国に下ったニニギ(アマテラスの孫)と、コノハナサクヤヒメとの間に生まれた末の弟。 トヨタマヒメとは海底のワダツミの宮に暮らすワダツミノカミの娘。 書いとかないと忘れちゃうので。
わたしは日本の神話がすきです。けれどもわたしが育った時代には、神々は、動かすことのできない歴史として教えられてきました。その思い出は戦争につながり、ある時期、わたしは神話を拒否しました。そうした現象は、おそらくわたしだけではないと思います。
しかしその後、「古事記」や地方神話にふれたとき、日本の神話のおおらかさ、無邪気さ、人間らしさに魅せられました。黄泉平坂にのこるすさまじいまでの人間の愛と真実、母なくして生まれたはずのスサノオが、母をもとめて泣きさけぶくだり、オオクニヌシとスセリヒメのめぐりあい、国引きの雄大さ、コノハナサクヤヒメのかなしみなど、古代人の心が、いきいきと時代をこえて、胸にせまってくるのを感じます。
わたしは、日本の神話と歴史を混同することなく、むかし話をたいせつに思う心と同じ心で、たいせつにしたいと思うのです。
−解説 松谷みよ子 より−
日本の昔話の伝達者であり、その第一人者である松谷みよ子さんの言葉は深い。 柔らかさの中に凛とした意思や品格が秘められていて、背筋を正したくなる。
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