エドウィン・マルハウス / スティーヴン・ミルハウザー
[副題:あるアメリカ作家の生と死][岸本佐知子 訳] 1972年に出版された処女作。 行き過ぎた理想追求がカタストロフに至るという道筋を描かせたら真似のできない絶佳な眺望を見せてくれるミルハウザーの面目躍如な小説だと思う。 前衛性とエンターテイメント性を兼ね備えた構築力、加えて執拗なまでにフォーカスされた細部、鮮烈な詩趣・・ ミルハウザーを読む愉楽の全てが詰まっていて、創作活力の奔流を感じました。
本書は、11歳でこの世を去ったエドウィン・マルハウスなる天才作家の作品と生涯を、観察者として影のように付き従った同い年の友人ジェフリー・カートライトなる伝記作家が、エドウィンの死の直後に執筆した評伝作品(正確には絶版後に再刊された復刻版)という体裁をとった小説。 作家が子供ならその伝記作家も子供。 設定からしてぶっ飛んでいるのだけど、0歳の初対面時から始まる(およそ人間の手には余るほどの)克明な述懐といい、いかにも伝記作家調のインテリジェンスで流麗な(およそ子供の手には余るほどの)文体といい、その完璧さゆえの露骨な奇っ怪さがなんとも人を喰っているという他ない。 いわゆる伝記のパロディであり、辛辣な模倣であり、批評性を有した一種の風刺文学なのかもしれないし、そう思わせたいという(風刺文学の)パロディなのかもしれない。
常時進行中の説明されない何かで絶えず読者を惑わしながら、虚妄に満ちた端正なテクストに潜む不吉な亀裂を徐々に押し開け、隠された戦慄の鎌首をもたげさせる・・ その手腕が尋常でない。 巻頭のエピグラフ、“ふう! 伝記作家って、悪魔だな。ーーE・M・(談)”のコミカルで悲愴な一文が本小説の全貌を物語っているかのよう。 出口のない熱いランプシェードの中で狂ったように舞い惑う一頭の蛾を恍惚と見つめるジェフリーと、そっと目を逸すエドウィンの像が脳裡に明滅しています・・
創造物と創造者の関係を、作家とその伝記作家の関係に擬えて皮肉り、伝記文学の存在意義に波紋を投げかける・・といったメインストリームがあるにしても、ジェフリーだって後に伝記文学作品を残した一作家としてウォルター・ローガン・ホワイトなる研究者(復刻版の序文を書いている)によって論評される側になるのだし、ジェフリーや復刻版の序文の書き手だってミルハウザーの手の内にあるのだし、そのミルハウザーだって、分析され研究され評伝が書かれるのだよね。 作家と伝記作家による堂々巡りのいたちごっこには、追跡テーマの妙味を感得することもできてしまう。
遊びへの情熱は誰にも負けないひ弱な少年エドウィンが残した長篇小説『まんが』。 アニメ映画の技法を下敷きに独特の視覚と言語感覚を駆使するスタイルで真実をチープさの中に見出そうとした彼の最高傑作はどのようにして生まれたのか。 隠された運命の意図を見つけるべく、ジェフリーの手で天才作家としてのエドウィンの人生が紐解かれ、精神史が形作られていきます。 意味の付着しない音を最上の玩具とした前言語期、一つの言葉を覚える毎に味わった世界創造の喜び、文字の形状や語呂合わせへの愛好、漫画や写真や映写機が彼の文学芸術に与えた暗示・・エトセトラエトセトラ。
真面目なアナウンサーがなんでもない日常の光景を劇的に実況して笑いを誘うテレビ番組を見たことがあるけど、ジェフリーのエドウィン分析にはアレに通ずる可笑しみがひたひたと底流しているものの、感心してしまうのはその鮮やかな説得力。 真に迫った一流の評伝っぷりなのだ。 ミルハウザーは本気で遊んでやがるのです。 ひょっとするとエドウィンのモデルはミルハウザーその人なのかもしれないと不意に思ったり。 だからこんなにまで真実味を帯びてしまうのではないかと。 また、本小説のアレゴリーになっている作中作の『まんが』に対するジェフリーの言及には、ミルハウザーが本小説に対して言及しているのではないかと思えるような叙述トリックめいた言説の揺らぎがあり、エドウィンとジェフリーは次元を隔てたミルハウザーと得体の知れないやり取りをしているみたいなところがあるのです。 二重三重に幻惑する複眼的で重層的な露出が、内と外の裏返りの感覚を誘発し、眩暈を誘うのです。
『まんが』のラスト、あの予知(?)に鳥肌が立ちました。 実は普通の少年なんじゃないかと思えたりもするエドウィンは、やっぱり天才だったのかな? って。 あるいはエドウィン(それに復刻版の序文の書き手)の実在性を疑い、ジェフリーの狂気の淵をどこまでも探りたくなったり。 でもそうなるともはやジェフリーとミルハウザーはイコールで結ばれ、ジェフリーは狂人のふりをした小説家ということになってしまうし・・ あー、もう眩暈が;; 叙情的に読むならば、大人になろうとするエドウィンと、彼を子供の世界に封印しようとするジェフリーの精神が、突破の際で交錯し、結晶化するクライマックスシーンが白眉。
水彩絵の具のスケッチのように瑞々しい叙景として広がるコネチカット州の長閑な田舎町ニューフィールド。 終わりのない狂熱が繰り返される子供の王国で、エドウィンのイマジネーションを左右した(と称する)エピソードの数々が時代の美風とともに香り高く活写されています。 叩きつけ合うような関係の中に繊細な交感があり、傷つく瞬間が手に取るようにわかり、プリミティブな残酷さに締めつけられるような郷愁を掻き立てられる。 子供ならではのイレギュラーな関心ごとや無関心ごと、家庭や学校での教育風景、そこに立ち見て触れて感じた小さな自然や社会、空間の隅々までをも埋め尽くすほどに稠密に過剰に羅列され氾濫するお菓子とそのオマケ、玩具、漫画、絵本、遊び、雑貨、ガラクタ・・ 二十世紀半ば、現代アメリカの青春期をニューイングランド南部に生きた少年のリアルが煌めく粒子のように瞬く玉手箱のような作品。 忘れられない一冊になりました。


エドウィン・マルハウス
 ―あるアメリカ作家の生と死―

スティーヴン ミルハウザー
白水社 2003-08 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★★★
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