ねむり姫の謎 / 浜本隆志
[副題:糸つむぎ部屋の性愛史] ヨーロッパの中世から十九世紀にかけて、“糸つむぎ部屋”は女性たちの仕事場であると同時に、若い男女の会合の場でもありました。 その糸つむぎ部屋の、特に農村社会における習俗と絡めてグリムの「いばら姫」を紐解く試みがなされています。 民衆文化を掘り起こした性愛の風俗史と「いばら姫」のルーツや成立事情、どちらもそれはそれとして非常に興味深いのだけど、両者の絡め方がやや強引な気がしないでもなかったかなぁ。 そこは当時のグリム童話ブームを意識してのアプローチだったのかな。
冬の期間、娘たちが紡錘や糸車を持ち寄り、暖炉のまわりでくつろぎながら亜麻から糸を紡ぐ恒例の共同作業を行ったのが“糸つむぎ部屋”。 当然の成り行きでそこへ青年たちが訪れるようになり、これまた当然の成り行きでおしゃべりや歌やダンス、艶っぽい悪ふざけに興じる社交の場へと発展していったという。 この“糸つむぎ部屋”の冬の夜の集いは、地縁にもとづく仕来りやルールのもと、民衆文化として深く根を張り定着していたことが窺えます。 教会に風紀紊乱の温床として目をつけられ、度々規制の対象とされながらも、習俗が途絶えることはなく、産業革命により“糸つむぎ部屋”そのものが本来の役割を終えるまで、共同体を活性化させる一つの役割を長年にわたり担ってきたようで、その事実は、淫らであけすけな男女の愛の戯れが“糸つむぎ部屋のお祭り騒ぎ”と形容されるくらい認知されてもいたみたいです。
古来から糸つむぎは女性の仕事であり、紡錘は女性のシンボルだったと言います。 ルーツはギリシャ神話の運命の三女神に探ることができ、一人が糸をつむぎ、一人が割り当て、一人が断ち切るという、元々は運命を司る役割りとしての意味合いが強かったようだけど、時代が下るとともに女性の結婚と結びついて一般化していくんですね。 「いばら姫」の原型とも言える古フランス語で起草された十四世紀の古譚「ペルセフォレ」で、王女の運命を予言するのは三人の女神であり、ギリシャ神話の名残りを色濃くとどめているように感じられます。
この「ペルセフォレ」と、十七世紀前半にイタリアの詩人バジーレが著した「ペンタメローネ」の中の一話「太陽と月とターリア」、十七世紀末のペローによる「眠れる森の美女」、そして十九世紀初頭のグリム兄弟による「いばら姫」の四作が、“眠り姫”モチーフを継承する類話として比較検証されているのが面白かった。 大雑把に言うと「ペルセフォレ」は前半のみ(性的要素あり)、「太陽と月とターリア」は前半〈性的要素あり〉+後半(人食いモチーフあり)、「眠れる森の美女」は前半〈性的要素なし〉+後半(人食いモチーフあり)、「いばら姫」は前半のみ(性的要素なし)となる。
時代背景や作者の社会的立場などの違いによる変遷の跡が如実に表れているのだよね。 「ペルセフォレ」は、中世の騎士道精神に基づく愛のかたちが貫かれているのと、凍てつく冬の眠れる大地である女性と種を蒔き大地を芽吹かせ蘇らせる男性のメタファであるかのような性的関係が、どこか神話めいた色合いを感じさせもします。 「太陽と月とターリア」は、なんとまぁ人間臭いことか! どうしてこんなにも即物的でえげつないのか、バジーレについて、「ペンタメローネ」について、もっと知りたくなってしまいました。 「眠れる森の美女」は、以前に詳しく学びましたが、バロック時代のフランス宮廷文化風エスプリが味噌。 そして「いばら姫」はというと、熱心なカルヴァン派だったグリム兄弟が、産業革命以降の市民社会が目指したブルジョア家庭に育つ子供たちを啓蒙するための“童話”として書いたのだから、教育的に不健全と判断した性的要素がカットされているのは自明の理、というものでしょう。
その「いばら姫」のテキストからグリム兄弟が消し去ろうとしても完全には消し去れず、テキストの奥に埋もれている性的要素を掘り起こすことが本書の目的だったのですが、まぁ、女性の恋愛や通過儀礼と関わりの深い糸つむぎモチーフが、暗示的な痕跡をとどめていそうな気配は薄っすら感じることができたかなぁとは思います。 ルーツである「ペルセフォレ」や「太陽と月とターリア」がもともと性的要素を含んでいるのだから当然と言えば当然ですが、時期に合致した運命の王子だけにいばらの道が開かれ、その選ばれし王子だけが塔の中の姫のもとへ辿り着けるというストーリーは、確かに妊娠のプロセスを想起させますし、“糸つむぎ部屋”の習俗を知った後では、国王が国中の糸つむぎの道具を廃棄させようとしたこと、それでも廃棄し尽くせなかったことが意味深に思えてきたりもします。 でも基本的に一番の疑問符は、紡錘に刺される≒性交渉とする点。 だとしたら、よからぬ男に純潔を奪われて死ぬ邪悪な呪いをかけられたけど、(なかったことにはできないが)やがて傷は癒えて新たな男と幸せになれるよう呪いを軽減してもらったという解釈になってしまわないか? それともそういう物語だったのか??
あと、グリム童話はゲルマン神話をルーツとした純粋なドイツの民話であるという“グリム神話”が、1975年まで信奉されていたのだそうで、そのことにちょっとした驚きがありました。


ねむり姫の謎
 ―糸つむぎ部屋の性愛史―

浜本 隆志
講談社 1999-07 (新書)
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