その可能性はすでに考えた / 井上真偽
十五年前に秘境地のカルト宗教施設で起こった集団自殺事件の、その唯一の生き残りとなったかつての少女から依頼され、過去の事件の真相を解明する上苙丞の探偵譚である。
不可能犯罪ものなのだけど、斬新なのは“奇蹟の証明”が探偵の悲願である点。 つまり探偵は、奇蹟がこの世に存在すること(謎が合理的には解けないこと)を証明するため、 すべてのトリックが不成立であることを立証しようとする、いわば本来の探偵の逆張り的なポジションに立っています。 そんなウエオロ探偵の前に、対戦ゲームのダンジョンのように次々と対決者が現れ、勝負を挑みます。
当然ながら、めぼしい可能性を否定できたから奇蹟の証明に成功したなどという論理法則は存在しないわけで、すべての可能性とは“無限”を意味します。 証拠は問題でなく、僅かな可能性さえあれば仮説の構築が許される対戦者に対して、探偵側はその可能性に反証を突きつけて片っ端から潰していかなければならない、という趣向になります。 仮説を立てる側が一見有利に感じられるんですが、どこか一箇所を狙って崩せさえすれば構築された論理が自ずと瓦解してしまうんだなっていうコツが見えてきて面白い。
で、その、“可能性さえあればなんでもあり”な立場を誇張するかのように大道芸トリックを糞味噌に盛り込んだトンデモ仮説を引っ提げて現れる外連味たっぷりな対戦者たち^^; 時たま素に戻って、己れは何を読んでるんだ? と自問自答したくなるくらい無理を承知の滑稽問答のバカバカしさが充満してるのですが、推理の拠りどころとなるテキストが文章ナゾナゾに近いくらい隙のないパズルに徹して職人的に作り込まれていて、その土台の確かさが判ってくるとつい読み入ってしまうんですよね。 並列的な多重推理で終わらせず、階層的ベクトルへ切り込んでいく終盤がなんといっても肝。 可能性の否定を一つ一つ積み重ねていった先に、いきなり奈落が開くようにアンチテーゼが出現する。 ラスボスとの“信念”をかけた推理対決は、複数仮説を否定していく過程で生じるパラドックスをどう突き崩すかが焦点となり、弁証法の方法論そのものをミステリ的技巧の歯車にしちゃってるというか、まるで弁証法のなんたるかをストーリー化して描こうとしたみたいな展開になっていくんですね。
青髪にオッドアイの美青年、ウエオロ探偵。 彼の探偵活動はほぼその“奇蹟の存在証明”のためにあり、この大いなる欠点が他の美点をことごとく殺してしまっているらしい。 遺漏のないことを証明するという、いわゆる“悪魔の証明”に取り憑かれているわけで、これはまさに終わりのない物語なのです。 コンセプト倒れ系ではなく、奇蹟の証明法がきちんと命題になっている点が本作の強みです。
探偵の相棒を務めるのが老仏爺(西太后の愛称)の渾名を持つ、中国黒社会出身の女悪党フーリン。 常識外れの天然聖人キャラ探偵と、その探偵にかかると何故かマトモな常識人キャラのツッコミ要員と化してしまうフーリン。 なんとも矛盾だらけのコンビで、ヒューマニズムと不条理ナンセンスの兼ね合いに若干座り心地の悪さがあり、ノヴェルとしての肉質はちょっと微妙かなぁ^^; そこにも、二項対立を融合して何かを生み出そうとする弁証法的な図式を潜ませていたのかもしれませんが。 しかし今後に期待が充分持てます。 全体に極々ライトな読み口ですが、文理問わず雑多な薀蓄トリビアが散りばめられているのが楽しいし、フーリン目線のテキストには中国語のフレーズが散りばめられているのも風狂♪ フーディーニとドイルの比較照査が命題に対しても示唆的で興味深かったな。


その可能性はすでに考えた
井上 真偽
講談社 2015-09 (新書)
関連作品いろいろ
★★
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