ルチアさん / 高楼方子
[出久根育 装画] 鬱蒼とした庭にゆらゆらとすみれ色の空気が立ち込める“たそがれ屋敷”。 ずいぶん昔のこと、そこに美しく儚げな奥様と、ふたりの娘スゥとルゥルゥと、ふたりのお手伝いさんが暮らしていました。 ある日、新しいお手伝いのルチアさんがやってきます。 丸いからだを弾ませ、ハミングしているようにフンフン鼻息を立てながら元気いっぱいに働くルチアさん。 “気の毒”なルチアさんは、なぜか気の毒から一番遠いところにいるように見えます。 不平や愚痴や噂話や執着と無縁であると同時に、特別に何かを愛するということもないルチアさんの前では、誰もが心にしまった輝くような思いを表に出してみたくなるのです。
外国航路の船に乗るお父様がお土産に持って帰った異国の光る水色の玉。 そのスゥとルゥルゥの宝物にルチアさんはそっくりです。 姉妹にだけは彼女が水色に光って見えるのでした。
“どこか”のために“ここ”を忘れるか、“ここ”のために“どこか”を忘れるか、“ここ”か“どこか”の何かが満ち足りないか・・ そんな状態が世の常、人の常、生きることの定めみたいなものかもしれない。 “ここ”と“どこか”がひとつになり得て自足しているルチアさんは、なんとも不思議で稀有な存在に思えます。 おいそれと人が辿り着けないような手の届かない境地。 それこそ水色の光る実でも食べない限り。
ルチアさんの生き方を感じ、考えるボビーの明哲さや、それによって自己を再発見するスゥの柔軟さに、やはり現実としては最も近くありたいと願う読者は多いのではなかろうか。 肯定的に“ここ”に居ながら憧れの“どこか”を静かに思う・・ それが小市民な自分にとっての理想の限界かなぁって。 ちょっと諦観気味の大人の心をも切なく揺さぶる効用があるのですが、子どもの頃に読んでいたらどんな受け止め方をしたのだろうかと、その想像が上手くできなくて。 自分がルチアさんのきらきらに気づけないタイプの子どもだったからかもしれないのだけどね。 ちょっと、一抹の寂しさを味わったりもして。
生き方の物語なのだけど、生き方をどう感じどう考えるか(ルチアさんを触媒に)促される物語でした。 そしてその感じ方や考え方もまた一つの生き方なのだと。
光る水色の玉と実は、“どこか遠くのきらきらしたところ”の象徴として物語に鮮やかなイメージを吹き込みます。 ターコイズやアマゾナイトを連想したくなるのと、出久根育さんの仄かに装飾性を意識した絵のせいか、エキゾチックで神秘的な香りが一入なのです。 調べてみたら水色の石って色々あるんですね。 パライバトルマリン、ステラエスペランサ、ヘミモルファイト、ラリマー・・ みんなキレイ! 水色の実って全然思い浮かばなかったんだけど、ノブドウや、熟し途中の青葛、クサギの実あたりがそれっぽいかも♪
光る水色の実のシロップ漬けを広口瓶からひとつ取り出して水の入ったガラスのコップにぽとんと落とし、くるくるかき混ぜて出来上がる透きとおった輝く水色の液体。 魔女? 聖女? 真夜中の台所で水色の実の光るジュースを拵えるルチアさんと、その様子を窓の外の暗闇から慄きと憧れの瞳で息を呑んで見つめる子どもたちの光景がえも言われません。


ルチアさん
高楼 方子
フレーベル館 2003-05 (単行本)
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