現代語で読む「江戸怪談」傑作選 / 堤邦彦 編訳
主に江戸時代に編まれた冊子を出典とする怪談選集。 具体的には『平仮名本 因果物語』、『諸国百物語』、『御伽婢子』、『新御伽婢子』、『耳嚢』、『奇異雑談集』、『新著聞集』、『宿直草』などから三十数篇が採られています。 実録と創作のあわいを縫うような聞き語り調の素朴な話が多く、現代語に訳されると少しばかり味気なく感じてしまう部分はあるのですが、逆にいつか原文でチャレンジしたいなぁと、そういう気持ちを芽生えさせてくれる本でもありました。
第一章は女性の嫉妬、第二章は名家の没落縁起、第三章は哀しい愛のかたち、第四章は異界と接する時空間、第五章は悪業の報い・・と、五つのテーマに分けられ、各章末にはテーマに沿った論考がまとめられていて、各話ごとのルーツや系譜をめぐる補足も親切。 解説パートが非常に充実しており、怪談文芸の豊かな地下水脈の一端に触れることができました。 民話や巷説にオリジナルが加わり、類話のヴァリエーションが生まれていく展開というのは想像に難くないのですが、こと怪談に関しては仏教説話の影響力が非常に大きかったようですね。 仏教説話に用いられた題材が典拠となって、そこから俗伝が広がり、民談化していくというケースが大きな一つの流れになっていたらしい。 “愛”という概念が肯定的に扱われず、むしろ人間の罪深い本性とみなされていた前近代の宗教道徳観を内在させているからこそ、江戸怪談が物語る恋路の闇はこんなにも息苦しく、もの狂おしいのでしょうねぇ。
自然の世界に根ざす神霊の成れの果てが妖怪なのに対して、幽霊や怨霊といった類いはこの世に何かしらの未練を残し、あるいは悪しき生き様を引きずって成仏できない人間の魂魄に由来します。 本書のほとんどは後者にまつわる怪異と言えます。 情念や業の深さや因果の渦巻く“うらめしや”の境地。 「疫神を助けた男」は前者っぽいというか、ちょっと毛色が違う気がしたんですが、実はこれがお気に入りだったりする^^;
浄瑠璃の「播州皿屋敷」を江戸の講釈師の馬場文耕が牛込御門内の番町に舞台を置き換えアレンジしたという「番町皿屋敷」は繰り返される祟りの連鎖を伏線としていて、もっとも読み応えある肉づけがなされていた一篇。 最後にお菊の成仏という宗教色を付与したことにより、江戸の寺々でお菊鎮魂の縁起伝承が生まれたそうで、「番町皿屋敷」がメジャーになった一因はその辺りにもあるみたいです。
あと有名どころでは、中国古典に拠りながら、舞台を室町時代の京に改変した浅井了意の「牡丹の灯籠」と、ラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」の原話となった「平家怨霊と琵琶法師」が入っています。 この二篇の幻想性は別格で、やはり一番好きだなぁ。
女霊のあさましさが強調される第一章の中で、落語の「三年目」を典拠とする「破約の果てに」は、恐怖を笑いに転ずる江戸人の心意気が光った一篇。 また、首をはねられた家来の報仇譚「最後の一念」に一捻り加えた頓智ストーリーがラフカディオ・ハーンの「かけひき」だし、夏目漱石や内田百聞も題材にしている「こんな晩」系の怨霊転生譚「切腹の朝」の笑話ヴァリエーションが落語の「もう半分」といった類縁関係も喚起させられて面白い。 一つの話型として比較することで原話パターンからの逸脱の糸口が見えてきて一段と興味深さが増すものですね。
人気の高いモチーフであるらしい旅の尼僧をめぐる奇怪な懺悔譚として、明治の講談師、松林伯円の「死者の手首」が紹介されており、杉浦日向子さんの『百物語』の中の「尼君ざんげの話」と同一素材であることが指摘されていたり、道成寺伝説の流れを汲む「女人蛇体」や、比良八荒伝説に連なる「湖を渡る女」、また、井原西鶴作品も「草むす廃墟」と「三十七羽の恨み」の二篇が採り上げられています。


現代語で読む「江戸怪談」傑作選
堤 邦彦 編訳
祥伝社 2008-07 (新書)
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