わが愛しのローラ / ジーン・スタッブス
[青木久恵 訳] 「懐かしいラヴ・ストーリーズ」からの芋づる本第一弾。 「雪あらし」がよかったのでジーン・スタッブスを調べてみたら、ミステリもお書きになってたことが判明。 ポケミスから邦訳が二作ほど出てました。 本篇はその一冊。 1974年のエドガー賞候補作、ということで古いです。 なおかつ忘れられた作品に近いんじゃないかと思うんですが、“ヴィクトリアン・ミステリ”と銘打たれているのは伊達じゃなかった! ちょっとした掘り出し物に出会えた気分♪
ロンドンの南西部、ウィンブルドンの瀟洒な邸で、三人の愛らしい子どもたちに恵まれ、成功した実業家の夫セオドア・クロージャーとともに誰もが羨むような贅沢な暮らしを送る見目麗しい貞淑な夫人ローラ。 社交界での評判も良く、不幸の匂いを嗅ぎつけることなどできそうにない立派なクロージャー家の実態は、しかし存外に冷え切ったものだった。
そんな或る日、クロージャー氏が急死する。 かかりつけの医師は病死と診断するのだが、のちにその医師のもとへセオドアの弟タイタスとローラの道ならぬ関係を誹謗中傷し、セオドアに対する二人の殺意をほのめかす匿名の手紙が舞い込む。 墓が暴かれ、死体解剖がなされてみると、死因は多量のモルヒネ摂取と判明するのだった。 事故か自殺か他殺か・・スコットランド・ヤードのリントット警部による捜査が開始され、謎が解き明かされていく・・のか?
最後の?マークはちょっとしたヒントになってしまうんですが、神の視点を与えられている読者だけがすべてを知り得る幕引きは、裏と表、内と外を分かつ深い溝を孕んだ時代性をいろんな意味で体現しているようななんとも言えない読み心地。 体裁は一応ミステリなんですけど、若干フェアじゃないというか、叙述トリック崩れみたいな未熟な印象は拭えません。 でもサスペンスあるいはノワールとして読むと光るものがあります。 その方が断然にお得。
“ロシア風邪”の名で呼ばれたインフルエンザがヨーロッパで猛威を振るった1889年から1890年にかけて、クロージャー家の人々の関係を映し出すような、霜と霧に閉ざされたひと冬を背景に、ヴィクトリア朝後期ロンドンの光と影が緻密な時代考証のもと、濃厚に描かれていきます。 一見、ゴシックかなって雰囲気もあるんですが、いっそ社会劇に近いかもしれない。 “人形の家”というワードが繰り返し埋め込まれていることからもわかるようにイプセンの「人形の家」への目配せが感じられます。 フェミニズム志向が強いといえる作品ですが、むしろ「人形の家」のシニカル・ヴァージョン的イメージかな。 ヴィクトリア朝の封建社会における断固とした男性至上主義や硬直的な道徳観念の柵を徹底的に柵として描き、あくまでその抑圧の内側で自立できない(“家を出る”という選択肢を持たない)女性が如何にサバイバルしていくか・・というスタンスなので。
女は知恵を持つべきではなく、代わりに庇護されるべき存在であり、美しく、か弱く、愛らしく、愚かであることが魅力的とされた時代。 従順さと引き換えに、妻を自分の所有物として大事にし、見栄えよく着飾らせるための出費は惜しまない厳格な夫セオドアと、父親に溺愛され、ゴージャスな暮らしの中でしか生きられないものの、義務と体裁ばかりで愛のない結婚生活に失望する妻ローラ。 そこへ一枚加わるのがセオドアの弟で、一分の隙もないマナーと巧みな言葉を振りまいて、なんでも自分の思い通りにしてしまう快楽的な自由人タイタス。 この三角関係を三者三様に善悪の二元論で描いてないところが人間ドラマとしてワンランク上のクオリティを感じさせます。
更に使用人たちの様々な心象が浮き彫りにされたりして。 邸の表方と裏方が重層的に描かれている辺りは、ちょっと「ダウントン・アビー」チックです。 使用人の種類や階層の違いで主人に対して抱きがちな感情の類型が掴めた気になりました。 また、貧困、悲惨、欲望、退廃の渦巻くロンドンの闇世界もストーリーに有機的に関わってきます。 途中、リントット警部がいかがわしい界隈を歩きながら、悪所のあらん限りを回想するシーンがあるのですが、ここはフラグの役目も果たしています。
婉曲表現をちりばめた会話、ならではの不文律、調度品、服飾、生活様式、クリスマスの風習・・ 時代の空気感の構築に心血が注がれていて非常に満ち足りました。 タイムズに載ったブラウニングの死亡記事を朝食のテープルで家長のセオドアが声を響かせ家族に読み聞かせるシーンなんかがあったりして、史実とも要所できちんと整合させています。 各章の冒頭には章内容とリンクしたエピグラフを掲げていて、キャロル、ディケンズ、ワイルド、スティブンソンなど時代を彩る文人や知識人の銘句を引用しているが一興。 以下はその一例。
“家庭は娘には牢獄であり、女にとっては救貧院である”
by ジョージ・バーナード・ショウ 「人間と超人間」より

“もしあなたのためにすべてを捨てたなら、あなたは私のすべてとなって下さいますか”
by ブラウニング夫人 「ポルトガル語ソネット集」より

“売春は貞節を守る最も効果的な方法である。売春なくしては無数の清らかにして幸福な家庭が汚されるであろう”
by W・E・H・レッキー 「ヨーロッパ道徳史」より

“女は、男によって文明化される最後のものだと思う”
by ジョージ・メレディス 「リチャード・フェヴェレルの試練」より

“イギリスの良家のあの狭量で、締めつけるような専制的なところ――あんなものは他に例がありません・・・。
by フロレンス・ナイチンゲール


わが愛しのローラ
ジーン スタッブス
早川書房 1977-01 (新書)
関連作品いろいろ
★★
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