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贖罪 / イアン・マキューアン
[小山太一 訳] 1935年夏。 ブルジョア邸宅の広大な庭の美しいバロックの噴水の前で、シノワズリーの壺を奪い合う若い男女。 姉セシーリアと使用人の息子ロビーの“無言劇”を窓辺から見つめているのはセシーリアの妹ブライオニー。 物書きを志す多感な13歳の少女だった。
眩しい陽光のもとで繰り広げられた光景を、一人前の作家になるための運命的な“啓示”として受け取った少女は、子供部屋の外で演じられる人生劇の舞台へ上がるための格好の物語をこしらえる衝動に駆り立てられていく。
一日の夜に訪れる破滅の予兆を微かに孕む緊張感の中で、秩序と調和に覆われた危うく濃密な時間が、絹のような滑らかさで流れていきます。
それは、子供らしい無邪気で残酷な破壊願望だったろうか、潔癖な正義感の中の自己陶酔だったろうか、大人たちに称賛されたいと欲する功名心だったろうか、抑圧した恋心の裏返しだったろうか、言葉を操り場を支配する恍惚だったろうか・・
想像が想像を呼び、邪推の色に染め上げられたストーリー。 ひとたび起動したプロセスは、少女の手の及ばない速さで不可逆的に動き出し、現実を乗っ取り、歪め、踏みにじり、恋人たちを無残に引き裂いたのです。
第二次大戦下、1940年のフランス、イギリスへと時代を移す下巻では、異様な高揚感と狂熱の去った後、砂を噛むような現実と向き合わざるを得ない、暗澹たる途方もない喪失の様が、戦争がもたらす破壊的な負のエネルギーと呼応するかのように描かれていきます。
これぞ小説の為せる技とばかりの凄絶なコントラストで、“あの日”とその後の戦時下の日々を対比して見せる筆致に心を鷲掴みにされました。 素晴らしかったです。
ここまで読み、読者には小説の構造に関わるある仕掛け(薄々感づいていたかもしれない)が明かされることに。 が、しかし、小説の本領は実はここから。
短い最終章、作家になる夢を実現させ、77歳となった晩年のブライオニーの手記として、あたかも補足のような体裁で描かれる1999年。 ここに最大の仕掛けが用意されているのですが・・
主題はメタフィクションに隠されていますが、ジャンルオーバーなところが魅力な作品です。 特にミステリ要素が強めで、真犯人は誰なのか? 或いは、どこまでが現実でどこまでが物語なのか? マキューアンは多視点構造を突く繊細な描写で、ミステリ作家のようにテクスト上に手掛かりを残していきます。 終盤あたりを読んでいて、そこはかとなくナボコフの「ロリータ」を想起させられました。 おぼろげながら意識の端に違和感が引っかかるように読者は誘導され、謎と秘密が主旋律で扱われ、極上のエンタメ小説を読む喜びもありました。 ただ、その謎と秘密の読み解きは一般のミステリよりずっと厄介です。
様々な作家や小説が俎上に乗せられているのも特徴的で、なかでもエリザベス・ボウエンは(間接的ではあるにせよ)カメオ出演まで果たしているのが心憎いです。
が、しかしなのです。 何度も言いますがこの小説はこんなもんではなくて。 愛と忘却の主題とは、それは一周回ってとりもなおさず、慣れ親しんだ“死と結婚の物語”への回帰なのかもしれないと、あわや和みかけてしまいそうな終幕の場の空気を演出させながら、語り手ブライオニーは恐ろしい毒を隠し持っているのではないのか?
小説を利用して現実世界に仕掛けようとしているある企みは、まるでデジャヴを見るかのよう。 確証のない思い込みのスパイラルではないか。 矛先をすり替えたに過ぎず、性懲りもなく同じ過ちを繰り返そうとしているではないか・・と。
疑い始めると、読者に打ち明けた虚構もあれば、打ち明けていない虚構もあるであろうテクストそのものの信憑性が大きく揺らぎ、違和感として微かに引っかかっていた事柄のあれこれが頭をもたげてくる。
そもそも小説として扱う以上、自分も含め実在の人物を“作中人物”として好きなように操ることのできる不遜さを出発点としているのだから、現実には贖罪も何もあったもんじゃない。 自己満足の権化でしょ?
ブライオニーの手記も、作家という生き物の性を担保とした開き直りとも取れる帰結を用意しているのだが、ことさらラストで述懐するまでもなく、当然ブライオニーは承知だったはず・・
ではなぜ、贖罪の物語を書こうとするのか? 罪滅ぼしをしたい思いがエスカレートしてしまったのか? 善人のふりして成し遂げたい意地悪のためなのか? そして自分の気持ちにどこまで自覚的なのか? 少なくともブライオニーの手記まで含めたマキューアンの「贖罪」というタイトルイには何かもっと辛辣な響きがありそうなのだ。
一つ思ったのは、神たる視点を持つ作中作家の外側には、作中作家を操るマキューアンがいて、その外側に読者がいるということ。 読者だけが作家の絶対性を揺るがすことができる存在なのではないのか。 その読者に向けて、マキューアンから何かしらのメッセージか投げかけられているのは確かであり、一度や二度の読書で看破できるはずもないのだけれど、それでも無性に惹きつけられずにはいられない魅惑に満ちた作品でした。

<追記>
ロリータ」を想起させられたのは、実は謎解き趣味ばかりではなく、おそらく小説の狙いそのものがとても似ていたからなのだと気づきました。 早くも忘れかけていたのだけど「ロリータ、ロリータ、ロリータ」の感想を読み返して眼から鱗が。 まるで「ロリータ」へのオマージュのよう!
・・と見せかけて〜 かもしれない。 いやいやいやいや、わかった気になるのは危険。


贖罪 上
イアン・マキューアン
新潮社 2008-02
(文庫)
★★★★
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