源氏物語 巻六 / 瀬戸内寂聴 訳
「若菜 上」「若菜 下」。 源氏、三十代の終わりから四十代後半まで。 紫式部が並々ならぬ魂を込めて描いたといわれる帖に差し掛かりました。 第二部の幕開けと共に、悲劇のシーケンスへと雪崩れ込んでいくかのようで、一気に物語は重厚さを増して迫りくるのです。 源氏物語の真髄は若菜以降にあると言われるそうですが、今までの長い長い物語は、「若菜」のために存在していたんじゃないかって、読んでいると確かにそんな風に思えてきます。
源氏の君の手によって源氏好みの女性へと育て上げられた紫の上。 後ろ盾もなく、源氏の君の愛情に縋って生きることしか許されていない自身の寄る辺なさに、はたと気づいて立ち止まり、人生を振り返ってしまいました。 空っぽの人生を。 以降の紫の上は不幸です。 ひたすら不幸です。 源氏の君の他愛もない浮気心を敏感に察知して、可愛らしくヤキモチを焼いたり拗ねたりと、サービスを尽くして喜ばせる術を心得ている彼女が、ヤキモチを焼かなくなっていく過程が本当に哀れです。 気持ちを外に出せなくなって、深く暗い孤独の淵へと落ちていきます。 特筆すべきは、紫の上の身体に異変が起こるまで、源氏の君は全く兆候に気付かないこと。 表立っての仲睦まじさに変わりのない二人の、内面の温度差が素知らぬ風に描写されていて、なおいっそう胸を抉られます。
紫の上の心離れ、六条の御息所の消えない情念、そして、女三の宮と柏木の密通、裏切りは、そのまま延いては2人の父親である朱雀院と太政大臣(もとの頭の中将)にスライドして見えてくるようでもあり、長年に渡り溜めこまれた源氏への無意識の遺恨の結晶であるかのようにさえ感じられます。 また一方で、源氏自身と藤壺との過ちが二重写しに見えてくることは言うまでもありません。
“報い”という言葉を使っては安直に過ぎるのでしょうけれど、源氏の君に対する人々の許容量が、遂に目には見えない飽和点に達してしまったように映ってなりません。 人に痛みを強いてきた源氏の君の心は、明確な悪意を意識していない(つまり相手の痛みをわかっていない)だけに、残酷で罪深いものに思えるのです。 それをずっとずっと許してもらってきたのに、それなのに・・ 人の厚情、大きな赦しに甘えて生かされてきたことに、ここに来ても未だ気づくことができません。 心に余裕がある時は隠しおおせていた醜さが一気に顕在化して、源氏の君の人間像に暗翳が投じられていきます。 どこまでもどもまでも、自分の痛み、自分の哀しみしかわからない・・ “あなたのために”という言葉が虚しく響きます。 けれど源氏の君が決して特異な人間ではないということなのです。 自分自身の姿のように見えてくるのです。
「若菜 上」「若菜 下」
春、玉鬘が源氏の四十の賀に若菜を進上。朱雀院の愛娘女三の宮が六条の院の源氏に降嫁。明石の女御が3人の皇子を次々と出産。柏木が蹴鞠の日に女三の宮を垣間見て恋慕し、密通。冷泉帝が譲位し、明石の女御の第1皇子が東宮となる。朱雀院の五十の賀宴を催す。


源氏物語 巻六
紫式部 著 / 瀬戸内 寂聴 訳
講談社 2007-06 (文庫)
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★★★★
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