滝沢馬琴 / 杉本苑子
江戸後期の著名な戯作者であり、狷介孤高の居士として名を残す滝沢馬琴の晩年です。 後年広く流布し、いみじくも本書のタイトルに冠せられた“滝沢馬琴”とは、本名(滝沢解)と、筆名(曲亭馬琴)を混ぜこぜにした、おそらく馬琴が聞いたならば卒倒するほど嫌忌する呼称かもしれないけれど、この名こそが、馬琴が生涯苦しみ抜いた業の象徴のようにも映り、読み終えて表紙の文字を見返した時、思わぬ感懐に揺さぶられました。
自尊心とコンプレックスの狭間で今にも引き裂かれそうな戯作者としての懊悩と、武士に名を連ねる滝沢家再興の本懐と引き換えに背負わざるを得ない家計不如意の辛酸や家族縁者への骨折りなど、家長としての絶え間ない煩労・・
語弊があるかもしれないけれども“愚かしく、間違ってるけど恰好いい”的な江戸っ子たちの粋に対して、“理屈には、かなっているけど腹が立つ”的な野暮ったさとでもいったらいいでしょうか。 心の持ち方一つで安泰に暮らせそうなものなのに、適切かどうかではなくて正しいかどうかに常に拘らずにはいられない融通の利かなさが苦労性の端緒となって何処までも付き纏う馬琴の、悪意ではなく人間味の底から滲み出る始末の悪い憎らしさといったら(笑)
もし馬琴が自分の父親だったら思春期に絶対グレるなぁ〜と惟みつつ、それなのにそのはずなのに。 大人になった時、性質は性質のまま、老いてなお意固地な後姿をどうしようもなく労わりを込めて見つめる日が到来るであろうことを予見してしまう・・ そんな気持ちに駆り立てられる馬琴像が心に沁て沁みて泣きたくなりました。  
代表作「南総里見八犬伝」の制作は、文化11年から天保12年の28年に及びますが、本編は、天保4年に右目の視力を失い、その後徐々に左目の視力を失う中で執筆活動を継続し、やがて盲目となってからは、亡息の嫁のお路という口述筆記役を得て、もはや妄執と化していた八犬伝の大団円に向けて漕ぎ出し、漕ぎ着き、命の灯を燃え尽きさせるまでの十年余りが舞台に採られています。 仏頂面を突き合わせて机上に向かう、不器用な馬琴とお路の、言葉を超越した火の玉のような一体感が激しく静かに胸を打ちます。
北斎と娘のお栄、山東京山、為永春水、柳亭種彦、また、渡辺崋山や矢部定謙など、時に馬琴と対比的に、時に時代を映す鏡のように配置される歴史上の人物たちによって、多角的に世相風俗が織り込まれているのも特徴的です。 杉本さんらしく、登場人物は冷静に客体化されているのですが、お路が渡辺崋山に寄せる秘めた恋心が物語に仄かな抒情を添えているのが何とも切なく胸に残ります。 蛮社の獄や天保の改革を通して描かれる、蘭学の台頭や頽廃した町人文化への脅威を腕力で捩じ伏せようと喘ぐ末期的な幕藩体制を象徴する不穏な時代背景が、儒教道徳に雁字搦めになりながらも自己矛盾と戦い続けて揺れる馬琴の生き様に投影されていたのではなかったか・・そんな余韻に耽ります。


滝沢馬琴 上
杉本 苑子
講談社 1989-11 (文庫)
杉本苑子さんの作品いろいろ
★★★★
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