鳥類学者のファンタジア / 奥泉光
モーダルな事象」を読んだら、セット読みしたくなって急きょ再読です。 メビウスの輪のように荒唐無稽なりの秩序あるプロットだし、ストーリー的にも(奥泉さんにしては)平明なので読み易くて楽しい楽しい。
いや〜忘れてるもんですね。 ピアニストだった祖母に呼ばれるように戦時中のドイツにトリップする時空旅行もの・・くらいは覚えてましたが、ケプラー氏や脇岡孝太郎左衛門は、あんなに面白いのに殆ど抜けてしまってました・・orz でもコフマン少佐は異様に覚えてた・・のは何故かw 流石に桑幸は出てきませんがね、北川アキって“わたしの馬鹿心”の人だったんだ・・ブブッ。
「モーダルな事象」では“泣ける!”をあれほどコケにしていたくせにズルい^^; 何故か今回読んでいて、登場人物ですらない池永牧彦という不在の人物に照準が合ってしまって・・ 二匹のパパゲーノと暮らし、二人の“霧子”の父であり息子であった彼の祈りの物語だった気さえして、そんな心持ちで読んでいたから、ずっとうるうるしっぱなしでした。 祈ることと忘れないことはとても近しい感情なんだな・・という想いがじんわり胸の内に広がりました。
こんなにも「モーダルな事象」とリンクしていたことに(今さらながら)びっくり。 ピュタゴラスの天体、オルフェウスの音階、宇宙オルガン、雨宮道祐博士、トーマス・ハッファー文書、神霊音楽協会、メギス夫人、フィボナッチ数列、七角形の部屋・・ それらしいモチーフがざっくざく♪
桑幸の幻視もフォギーのタイムスリップも、此の世ならざる不可思議の全てはロンギヌス物質(やっぱり正体は「ダーク・マター」だったんですね!)に依拠しているわけで。 ロンギヌス物質の霊力に魅了されたり、振り回されたり・・ 愚かで哀れで愛しい人間の物語が位相を変えて描かれているんだなーと感じます。
幸か不幸か、ロンギヌス物質に漸近した時、あちら側へ行って(逝って)しまうのか、こちら側に留まるのか、その境界線上の揺らぎが、どちらの作品からも感じ取れた気がします。 人間であることを放棄しなければ(人格を消滅させなければ)あちら側の住人になることはできないのだけれど、美しい完璧なる世界を夢想し渇望せずにいられないのもまた人間・・
一瞬の交歓を例えば、論理とは別の道筋を通って訪れる発想の転換や、此の世の外から下りてくるインスピレーションとして、あくまで“こちら側”の次元の中に消化吸収し、自らを推し進める糧に変えられたら・・ それが一番ハッピーな取り扱い法(?)なのではなかろうか。 地上という物質世界にしがみついて泥臭く汗臭く、歓びや哀しみと共に生きるのが人の定めであればこそ。
でも、ロンギヌス天体に仮託される存在(非存在?)をそっと胸に秘めることは、時に、とりわけ死を前にした時、計り知れない救いになる・・それもまた真実なのだろうと思う。 乱暴を承知で書くのですが、ロンギヌス物質をめぐる思想性って般若心経に通ずるものがある気がして・・うまく言えないんだけどなんとなく。
雨宮博士だけは、なんかちょっと超越してる気がする^^; 自分としては「モーダルな事象」における桑幸的に、その何倍もベートーベンがカッコ良かったです><。 天球の音楽に自ら到達する才能を存しながら、最後までそれを拒絶し続けた地上の楽聖・・ 彼の音楽性を的確に捉えた挿話であったことに唸らされました。
霧子は引き返してきた人。 猿渡は逝ってしまった人。 その点、フォギーは迷いがないというか揺るぎがない。 いや、迷ってるんだけども、ちゃんと地に足つけて迷ってるから魂の危うさがない。 ジャズで培った即興的しなやかさは、強さとイコールで結ばれている。 ジャズが天球の音楽に相反する“地上の音楽”のメタファーだったかもしれない。 だからジャズ・ピアニストで非完璧系(笑)の彼女を主人公に据えたこの物語は根っこが元気であったかで気持ちがいい。 とってもイカシテるのだ♪


鳥類学者のファンタジア
奥泉 光
集英社 2004-04 (文庫)
関連作品いろいろ
★★★★
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