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海に住む少女 / ジュール・シュペルヴィエル
[永田千奈 訳] 1931年刊行の第一短篇集の全訳に、1938年刊行の第二短篇集から二篇を加えた短篇コレクション。 詩的痕跡を随所に残した美しき結晶の首飾りみたいな小品たち。 現実と幻想のあわいにあって、仄かに明滅している孤独が奥ゆかしげに疼くような・・孤独というほども輪郭のはっきりしない、舫い綱の外れた小舟のような心許なさが、条理というフックを欠いた夢を見続けてでもいるかのような御伽話めいた佇まいの中に溶かし込まれている。 それでいながら、くすくす笑いがこみ上げる可愛らしさ、人懐っこさが隙を狙って顔を覗かせ、いい具合に腰を折ってくれるところが素敵なんです。
シュペルヴィエルの作品は複眼的視点が特色なのだそうですが、この作品集にもそれは顕著に表れていました。 自己の檻から離れて世界を眺める視点、その仮初の存在は、他ならぬ自己の投影なのではなかろうか。 亡霊や幻影や動物、波の上や海の底や天空から逆照射するように“現し世に生きる人間”に光が当てられていた印象を強く持ちました。 存在感を喪失した影絵のような魂は、それでも虚しさに押し潰されず、寂しさをやり過ごすためにもがいている。 正解はおろか答えがなくても諦めるという選択肢を持たないいぢましさが、読む者の心を波立たせるのかもしれない。 あなたは何処に向かっていますか? そんな問いに答えられる人間がどれだけいるだろうかと、胸に手を押し当ててしまう・・
名もなき人々の、墓石もなく埋もれてしまうようなちっぽけな(けれど切実な)哀しみの一粒一粒を神様はちゃんと見ていてくれているの? 神通力がなくなりつつある世界の寄る辺のなさの中で、懸命に形を保っている信仰心の一端を読みとることもできるのではないかと思うのですが、そんな希求の想いは、作品の地下水脈を静かな祈りのように貫流していて、浮上してくることはありません。
一話目の「海に住む少女」と最終話の「牛乳のお椀」が、シンメトリックに響き合っているのが見事で、静止した時間に幽閉された情調でサンドする構成が実に憎い。 やはり自分は「海に住む少女」のこの上ないポエジーな輝きにやられました。 「飼葉桶を囲む牛とロバ」も好き。 イエス生誕の一場に材を取り、その断面を拡大した物語。 大切な人を傷つけたくない・・ そんな気持ちを拗らせて、甘やかな内省の中に閉じてしまった牛の姿が哀しくて。 “静かな狂気”めいたお話なんですが、だからこそラストの救済が奏でる予定調和の音色がとても甘美で、まさに一幅の絵のように心に残りました。


海に住む少女
ジュール シュペルヴィエル
光文社 2006-10 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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