逃げ水半次無用帖 / 久世光彦
根津から上野界隈を縄張りにした新米御用聞きのお小夜と、捕物の最中に足腰を挫き、お小夜に十手を任せた佐助。 この父娘宅に少年の頃から預けられ、今も離れに同居している絵馬師の半次。
半ば狂言回しといった役どころのお小夜が情報を持ち帰り、半次と佐助がお小夜の後ろ盾となって絵解きする趣向の時代ミステリ連作集です。 が、短篇は最終章で鮮やかに長篇へと転じます・・
捕物というよりも、どっちかというと安楽椅子っぽい判じ物でした。 久世さんはミステリ書きではないのに、これがどうして、想像以上にミステリパートが楽しめたー。 俳句を捩った暗号系アナグラムなんか嬉々として練られたんじゃないかな^^
お白州裁きまではいかず、岡っ引きの裁量が物を言う、市井の営みの中の割と小さな面倒事が糸口なんですが、包囲殲滅戦はせず、“日陰の花をお天道さまに曝すようなまね”をしない決着の優しさ・・そこに混じり合う名付けようのない悲しさ。
夜叉か童女か淫婦か慈母か・・燃え惑う憐れな女の情念や、母の影に縛られ続ける半次の憂いは、彼岸と此岸をさすらう逢う魔が刻の薄明かりや、可哀想な心が忍び歩く夜のしじまに滲んでいるようなイメージ。 濡れた闇と花鳥風月の妖しい瞬きに塗り込められた耽美な作品です。
(後期の)江戸情緒には違いないのだけれど、昏く艶めかしいのに、あえかでキンと澄んだ世界のそれは、唯一無二の和モダン情緒といった方がしっくりきそうな独特の色香を醸しています。 半次たちが日々ほっつき歩くテリトリーも、蛍小路、暗闇坂、帯解け池・・といい感じにそそるんですよねぇ。
夢みたいにきれいで、とりつく島がなく、女たちが追っても追っても届かない逃げ水のような半次を、時に戸惑いながらも生娘らしく恋い慕うお小夜の初々しさが、物語に真昼の光を注ぎ込むコントラストになっていたように思います。 気楽な夜鷹稼業に酔狂で身を落しているとしか思えない辻君のお駒がまた、さばけた好い女風情で、お小夜とは別の角度から温かな春の日差しを半次に灌いでいます。 やがて娘ばかりではない、そっと半次へ向けられた眼差しの縁と因果が紐解かれ・・
真の虚無は虚無でしかないのだから、半次の胸に巣食う古井戸の底の水色の石は、どこか拵え物めいた柔弱な匂いを発散させている。 男のこんなナイーブさが、ぞっとするぼど甘美な色気へのトリガーになるんだろうな。 遊民然と水色の石を転がしていられたのは、守られてきたからこそだったんじゃないのかなって。 その証しのような半次の色気。
長篇としては、因果を浄化する“縁”のロマンを感じました。 すごく感傷チックで華のあるクライマックスなので、知っちゃいないのに歌舞伎の舞台を勝手に思い描いてチョットときめいてしまいました。 胡粉まみれの摩耶夫人像の極彩色や、無数の絵馬が鳴子のように音を立てる両国回向院の絵馬堂が焼きつくほど印象的。


逃げ水半次無用帖
久世 光彦
文藝春秋 2002-02 (文庫)
久世光彦作品いろいろ

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