中二階 / ニコルソン・ベイカー
[岸本佐知子 訳] 大学を出て会社に就職して2年になる“私”が、昼休みを終えて一階のロビーから中二階のオフィスへのエスカレーターを昇る束の間・・というのが小説のメイン舞台ってことになるんですかねぇ、一応。 その間の一寸の意識を、5年後の“私”が回想してるんですが、そこに5年後の“私”の現在進行形の意識も紛れていて、呼び覚まされていく想念の連鎖は脱線に次ぐ脱線を続け、エスカレーターのカットにどうやって戻るのか、いや、もう戻らないんじゃないのかと危ぶむことさえ忘れた頃にちゃんと戻るんだよねこれが。
本文の半分くらい(?)は脚注が占めていて、脚注も含めての小説なんです。 手にしているのは、切れた靴ひもの代わりに買った新しい靴ひもが入った(CVSファーマシーの)小さな白い紙袋と、ペンギンのペーパーバック(読みかけのマルクス=アウレリウスの「自省録」)。 目の前には中二階へと続くエスカレーター。 そこから派生していく意識が、本文を浸蝕するほどの脚注となって繁茂して、あれ? なんでこんな話になってんの? 何の話だったっけ? 自分は今どこにいるの? みたいなコンテクストの迷宮で遭難しそうな愉しさを満喫しました。
主人公の思弁小説という感じなんだけど、この彼の、些末な事物へ注がれる偏愛ぶりときたら! ヒトの行動、モノの仕組みや形状など、そこ? っていう細部や局所に異様にフォーカスされた観察と思考が炸裂していて、比喩表現や修辞のセンスに心擽られる文章も手伝って、ツボリどころは数知れず。 軽いパラノイア気質かってくらい偏執的かつ妄想的なんだけど、そんな自分を楽しんでいるドライさが心地よく、安心して付き合えるタイプの愛着の湧く主人公です。 特に彼の小市民的な性質は日本人なら身につまされる人多いかも。
自分に対しても他人に対しても、ドロドロとした人間臭い感情がおよそ欠落していて、人付き合いの希薄さ、干渉の乏しさが都会的で現代的な印象を残すのも事実。 でも、読者からどう見られようと、そこに悲観的な色合いはなく、常にポジティブシンキング。
人類共通ともいうべきあるあるネタにニマニマしながら、若干の時代のズレやお国柄の違い(80年代アメリカのエネルギッシュな消費社会)なのか、あるいは個性の違いなのか、時にはないない! とか、ほぉーとか、ポカン・・とか、そんなリアクションが雑じるのもまたよし。 めくるめく言及される企業や商品に対するイメージづけができなくて歯がゆいんですが、ネタが根本的にガセではないというのはわかりますし、そういう意味では身辺雑記風エッセイの要素もあるでしょう。 実際、これ読んでて、訳者の岸本さんのエッセイが頭を過ぎった^^ 岸本さんご自身も、この本から影響を受けたお一人なのかもしれない。 今も確実に継承され進化している“極小(ナノ)文学”の草分け的作品といえるのではなかろうか。
なんでもないオフィスの一風景が、彼のフィルターを通すと、空気を壊さないことで成り立っている奇妙な空間に変貌する感覚が凄く面白かったし、物質の表面に刻まれた溝やミシン目の美しさを讃えたり、シャツを裏返すテクニック、ストローやシャンプー史の講釈、ホチキス、便座、自動販売機、ペーパータオルのディスペンサー、紙ナプキン容器、耳栓、ポップコーン・・などなど、ミクロの目線で語り倒しています。 牛乳容器の変遷をめぐるセンチメンタリズムや、眠れない夜に数える羊の妄想がお気に入りです^^ あと、脳細胞は死んだほうがいいという四つの根拠はいただき! 我が身が嘆かわしくなったら、この論法を思い出して励まされようと思う。
記憶に留まることもなく消えてしまう日々の些細な想念や、地道で実用的でありながら余りにも小さ過ぎてニュースで報じられることもない文明の利器が、人生や社会の大きな進歩を深いところで支えているのだという信念。 万人の言われざる思いに形を与え、歴史に記録されることのめったにない日々の生活の手触りという無言の民間伝承を浮き上がらせて見せてくれたような・・
時代とは常に真理探究の“過渡期”なんだなぁーと、その流れの一部を担って生きてるんだなーと、ふと沁み沁み。 世の移ろいやすさを無常観に逃げて思考停止しないところが格好良かった。 あるいは、中二階という納まりの悪いフロアが、発展途上のメタファーだったのかな・・ 青々しさ、甘酸っぱさのようなものが微量に漂っていた感触もありました。


中二階
ニコルソン ベイカー
白水社 1997-10 (新書)
関連作品いろいろ
★★★★
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