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アンの想い出の日々 / ルーシー・モード・モンゴメリ
[村岡美枝 訳] 亡くなる1942年に完成したモンゴメリ最後の作品。 アン・ブックスの最終巻を、作者が望んだかたちで刊行した初めての完全版。
ブライス医師一家の噂話や消息が聞こえてきたり、時には脇役として登場もするサイドストーリーと、自分自身や戦死した息子ウォルターの書いた詩をアンが家族に読み聞かせる炉辺荘の団欒風景とを交互に綴る趣向で、内と外の視点からブライス家を捉えています。 二部構成のうち第一部は第一次大戦以前、「炉辺荘」「虹の谷」辺り(子供達が小さかった頃)の時代、第二部は第一次大戦後から第二次大戦勃発前後の「リラ」以後(子供達が成長してから)の時代が描かれていて、ことに内側視点における二つの時代の明暗の落差が痛ましい。
愛と友情と信仰、清らかな歓びと誠実な悲しみ、美しい自然と憩いの家、崇高な理想と色褪せない思い出・・ 光の糸が紡ぐ旧世界の“明”を謳い上げた、白日の夢のようなアン・ブックス。 それはまるでアンが掛けた魔法のような物語でした。
でも、第一次大戦中を描いた(時系列上の)最終巻とされてきた「リラ」を読んだときの、侵されたくない世界が変な風に侵されたような落胆に近い戸惑いが苦い記憶となってしこりを遺していました。 愛国心と自己犠牲の物語で幕引きだなんて・・ 身の置き場がなくて。
本篇がボーナストラックなどではなく、正統な最終巻であったことを慶賀。 各短篇は、ややトーンは暗いものの、奇跡や運命や天邪鬼的な心理の綾が采配を振るう構成力の巧みなロマンスが中心で(それでいながら、子供と老人を描かせたら女史の右に出る者はない)、諷刺の効いたユーモアなど、慣れ親しんだ風合いが感じられるのですが、短篇の合間に挟まれる詩篇とブライス家の団欒パートの異色さに殊更目を奪われます。 第一部でのアンとギルバートのイチャラブが(もぉー、貴方たちだから許す!)、ファンにはご褒美なだけに、第二部の衝撃が尋常でない。
ひょっとするとカタストロフ(の予兆)かもしれないと不吉なことを思ってしまった。 違うかもしれないが。 でもこのラストが胸に突き刺さり、強く惹かれずにはいられないのです。 怯えるほどなのに。
思い返せば・・ 完璧なる少年が、キューピッドの矢に射抜かれたように、たった一人、振り向かせることのできない光の子たる少女に恋をして、少女に相応しくあろうと誓い、自らを高め、時を耐え、試練を乗り越え、愛を勝ち得るその一方、ひとたび愛に目覚め愛を与えたかつての少女は、かつての少年の行く末に寄り添い、道を照らす永遠の女神となる・・という神話のように揺るぎのない一生もんのラブストーリーがゾクゾクするくらい好きだった・・のに。
アンは死んでしまうかも。 読み返せば読み返すほどその考えが頭を離れず怖くなった。 わたしの思い込みであって、当然いろんな解釈があるべきだと思います。 あーでも。 以下は妄想に過ぎません。
ウォルターの死を愛国心で贖おうとする思いは、アンにとって自己暗示に過ぎなかったのではないか。 まだ暗示から覚めやらぬ第一次大戦終結直後、束の間、癒えに向かう兆しさえ覗かせていた心が暗転したのは、戦地から遅れて届けられたウォルターの詩稿、「余波」に触れたせいではなかったろうか。 アンはその時、“偉大なる戦争”と決別したのでは・・ 独り、静かに。
以降のアンは、愛情に満ちた家族の中にあってさえ孤独です。 第二次大戦の軍靴の音が、一層深く彼女を絶望へと駆り立てていくという事情も窺われるように思われ、日増しにウォルターへと傾斜し、ついにラストの詩「余波1」と「余波2」で完全に2人はシンクロしてしまったかのよう。
悲しみを何かと結びつけることなく、ただ悲しみとして一心に見つめ、人間が生きるために備えた“忘れる力”を拒絶したアンと、“忘れる力”を味方につけ、春の到来を信じ、命ある日々を友とすることを疑わないギルバート。
アンに向けたギルバートの最後の台詞は、軽口であるはずはなく、戯れに見せかけた心からの問いかけだったとわたしは思いたくて、ただ、必ず支えてみせるという強い確信があったのか、不安と苦しみに苛まれていたのか、どちらだったのだろう。 どちらであっても悲しい。
≫ 僕は病気と苦痛と無知に挑戦するんだ・・・それはみんなつながり合っている一族なんだよ。僕はね、アン、この世界にある、誠実な、貴重な仕事に加わって自分もその一部分の使命を果たしたいんだ。
≫ あたしは人生の美しさを増したいと思うの。自分がこの世に生きているために、ほかの人たちが、いっそうたのしく、暮らせるというようにしたいの・・・どんなに小さな喜びでも幸福な思いでも、もしあたしが、なかったら味わえなかったろうというものを世の中へ贈りたいの。
<第2巻「アンの青春」より>
ギルバートとアンというのは・・ 実質的な繁栄と美しく生きるという哲学の、要するに文明と詩の幸福な結婚の象徴だったのかもしれないと、ふと思うのです。 どちらかに偏ったり、繋いだ手と手が離れてしまったら、まったき世界の魔法は破れ、呆気ないほど脆く崩れ去ってしまう。
変わりゆくもの、変えられないもの、変えなければならないもの、変えてはならないもの・・ 眼の前で進行していく歴史は最も鮮明であるはずなのに、その判断はあまりに危うい。 人々が選び取る未来への憂いが刻印されていたのではなかったろうか。
第1巻が児童文学の名作なら、この第11巻は純文学の名作だったとわたしには思えたのです。 第二次大戦最中に行われた重い意思表示であったと。


アンの想い出の日々 上
ルーシー モード モンゴメリ
新潮社 2012-10 (文庫)
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★★★★★
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