顎十郎捕物帳 / 久生十蘭
半七捕物帳」と並び称されるほどの捕物帳の名作、でありながら、今日の知名度が作品の真価に見合っているとは思えない・・ 久生十蘭という作家の御し難さを追求するベクトルからは少し外れたところにポッカリと陽気に浮かんでるような作品だなぁという印象だった。 ちがうかなぁ。
江戸末期を舞台にした全二十四話の連作短編集。 北町奉行所の筆頭与力、森川庄兵衛の甥の“顎十郎”こと仙波阿古十郎を探偵役とした判じ物。 一説にはシラノ・ド・ベルジュラックが顎十郎のモデルとされているとか。 へぇ、指摘されなければわかりませんが、なるほど確かに、長生糸瓜さながら末広がりにポッテリと長く伸びた(鼻ならぬ)顎をブラブラさせているという異相の持ち主で、気だてのいい器量よしの従妹(庄兵衛の秘蔵っ娘)に恋心を抱いていそうな含みもあり・・ 少なくとも出だしはそうでした。
しかしねぇ。 設定に執着がない! なさすぎ! 物語的にこれからっていう良さげな頃合いでバンバン切って惜しげもなく転調していく柵のなさっぷりにあんぐり。
甲府勤番の伝馬役を半年足らずで投げ出し、ひょろりと江戸へ舞いもどり、与力の叔父の手引きで北町奉行所の同心見習いとして例繰方におさまった顎十郎が、難事件を解決しては叔父に手柄を立てさせてうまうま小遣いをせしめるというのが前段。 “れいの遠山左衛門尉が初任当時ちょっとここにいただけ”で、あとはパッとしない存在の北町奉行所が、顎十郎の活躍で俄かに盛り返し、北と南の鍔迫り合いが繰り広げられる中段。 悪党に嵌められて、あわや御用となりかけた失態をいいことにお役御免を願い出て、しがない駕籠かき渡世に(殆ど酔狂で)身を転じるも、かつての子分である御用聞きのひょろ松から師匠の先生のと頼りにされて、成り行きで知恵を貸してやることになるのが後段。 といった具合。
顎十郎は“年代記ものの、黒羽二重の素袷に剥げちょろ鞘の両刀を鐺さがりに落としこみ、冷飯草履で街道の土を舞いあげながら、まるで風呂屋へでも行くような暢気な恰好の浪人体”で、名うての風来坊。 トホンとした顔つきをして悠揚迫らぬところがあって捉えどころがないといった風ですが、その実は推才活眼。 読んでいて一番面白かったのは、南町奉行所のホープ藤波友衛との遣り合い譚。 といっても一方的にライバル視して“顎化け”と一騎打ちだー!って鼻息荒いのは藤波さんばかり。 どこ吹く風の顎十郎が、飄々と手柄を譲ってくれたり、命を救ってくれたりするから、なおいっそうムキー!ってなっちゃう屈折ぶりが微笑ましくて不憫^^;
全体的に理詰めで綾を解くパズラーっぽい趣向で、ミステリとしての輪郭をくっきりと感じることができます。 御三家奥女中の一行が芝居見物の帰途、乗物もろとも煙のように消え失せたり、両国垢離場の見世物小屋の鯨が一瞬のうちに忽然と姿を消したり、今しがたまで行われていた長閑な日常の様子をそっくり留めたまま、相模灘の海上で無人の遠島御用船が発見されたり、いわゆる消失ものだとか、金座から勘定屋敷へ送る御用金の小判がすり替えられたり、舶載したばかりの洋麻の蕃拉布(ハンドカチフ)を巻いた開花人が次々と殺められたりする衆人環視ものだとか、縁起まわしの大黒絵や、呉絽服連の帯地に施された都鳥の織り出しと辞世の句に秘められた暗号解読ものだとか。 あとは定番の怪異の絡繰りものもいろいろあって、越後信濃由来の妖魔かまいたち、蛇神の祟り、五寸釘で梁に打ちつけられた守宮の祟り(「西鶴諸国ばなし」に出てくる有名なモチーフがここにも!)などなど。 怪談「金鳳釵記」に擬えた見立て殺人なんてのも。
万年青づくり、鶴御成、凧合戦、二十六夜待、谷中の菊人形、賜氷の節、六所明神の真闇祭り、小鰭の鮨売りの甘い呼び声・・ 精緻な世相風俗が描き込まれ、ラストにごちゃごちゃ付け足さない寸止め加減が、よりいっそう、いなせな江戸情緒を香り立てるのですが、虚の中に実を、実の中に虚をシレッと放り込む知的法螺吹き感が心憎く、現在形や体言止めを用いた風を切るように軽やかで、踊るようにリズミカルな文章に浸っていると、ほんとに江戸なのかしら?と一種、不思議な浮遊感に駆られるのが忘れ難い味わいです。


顎十郎捕物帳
久生 十蘭
朝日新聞社 1998-04 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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