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ある閉ざされた雪の山荘で / 東野圭吾
“本格推理のイミテーション”であり、“本物とは一味違うところがミソ”と、東野さん曰く。 なるほど、当時の新本格ムーブメントを揶揄るようなチクリとしたスパイスが利いてたり。 でも、パロディなんておふざけの次元じゃないと見ました。 メタ趣向を用いてリアル社会に適合しうるガチ本格をやってのけることで純然と内側から揚げ足をとった挑戦作。 “演技者”という属性を皮肉なまでに有効利用した狡知な手腕が心憎く、アイデアとテクニックが掛け値なしに痛快。
演出家の指示のもと、高原のペンションに集められた役者志願の男女7人の若者たち。 ペンションを“閉ざされた吹雪の山荘”に見たてた、シナリオのない創作推理劇の舞台稽古が幕を開ける。 織り込み済みの演出なのか、殺人鬼の暗躍なのか・・ 芝居の中の現実と現実の中の芝居が並走し、錯綜し、膠着し、その狭間で宙吊りにされた登場人物たちをめぐる不穏な空気が徐々に醸成されていくプロセスもスリリング。
フーダニット的には人物造形でピンと来る(ように敢えて仕向けられている?)からこそ、「アリバイ崩し」というレッドへリングを嗅がされることになり、どんでん返しの仕掛けに唸るほかなかった。 そこへ真打ちたる視点トリックが畳み掛けてきて、微かに燻っていたアンフェア疑惑を一掃していく巧者ぶり。
ディスカッション場面で、ノックスの十戒に代わる新時代の鉄則と称し、作中人物が揚言するあれやこれやは、今にしたらお題目のような本格批判なわけなのだけど、時代に則したミステリを模索する変革的スピリットから生まれた強度を持ち、本格ミステリ史に刻みたい意義と輝きを内在させている作品だと感じました。
種明かしの段では、見える悪意、見えない悪意、愛と憎しみ取り混ぜて動機周辺のドラマが掘り下げられ、ゲームで終わらせないための“人間を描く”の有言実行が試みられていたのかもしれないのだけど、個人的には蛇足に感じちゃうんだなぁ。 ここのベタベタさえ削ぎ落とせば傑作なのに惜しい・・と思っちゃうのは考え違いなのかしら;;


ある閉ざされた雪の山荘で
東野 圭吾
講談社 1996-01 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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