屋根屋 / 村田喜代子
屋根の雨漏り修理にやってきた屋根屋は、十年前に妻を亡くし、心の病気に罹って以来、医者に勧められた夢日記をつけ続けるうちに、見たい夢を自在に見ることができるようになったという。 熊本訛りの朴訥な大男、永瀬屋根屋に導かれるまま、専業主婦の“私”の夢の旅が始まる。 夜と眠りを共有する二人のランデブー。 ある時は、博多の真言宗東経寺の反り屋根に腰掛け、月明かりの下で携帯ポットの焙じ茶を飲みながら語らい、またある時は、室町時代の瓦師、寿三郎が気の赴くままの独り言を刻んだ屋根瓦のヘラ書きを見に橿原の瑞花院吉楽寺へ。 そしてまたある時は、ノートルダム寺院の鐘塔の天辺からパリの絶景を一望し、菜の花の草原に横たわるシャルトル大聖堂の青い大十字架を鳥瞰し、夥しい彫像や絵画や金銀細工が詰め込まれたアミアン大聖堂の上で魂だけの透明な体になる・・
“殻のない薄皮一枚の生卵の中”に籠るような夢、その皮膜を破らぬように寄せては返す往還の、いったいどこまでが夢だったろう。 現実は案外、屋根屋が来て働いて帰っていった、ただそれだけだったかもしれない。 ラストさえ覚めやらぬ夢の中なのでは・・という思いがよぎる。 “私”が屋根屋の望むものの影なのではなく、屋根屋こそ、“私”の煩悩が生んだ影であり、孤独、鬱屈、寂寥、性欲に心を縛られているのは屋根屋ではなく“私”自身だったのではなかったろうかと。
身も蓋もないことを言ってしまうと、これ、熟年女性の自慰小説以外のなにものでもない気がするのだが、ここまで自分のために都合よく夢を作ることができたら、ヤバいくらい気持ちよかろうなぁ。
屋根とは、下界を眺め、空を望みながら靄のように想念を廻らせる此岸と彼岸の境のような場所。 “私”が秘めていた屋根への焦がれは、蜃気楼の光の檻に閉じ込められたような永遠への焦がれであり、地上からの逃避、タナトスへの仄かな傾斜だったろうか。 危うさと癒し、どちらに転ぶのだろう・・ 朦朧とした余韻が悩ましく蠱惑的。
夢の世界の映像であっても、実体を忠実に再現しているので小説風トラベローグにもなっていて、その上、屋根うんちく満載のちょっとした建築小説だった! ってところが大いにツボでした。 ゆったりと広がり西方浄土へ飛んでいきそうな日本寺院の屋根、神に近づこうと何処までも天空を目指す西洋寺院の塔・・ 和洋の技術的な対比や、そこから読み解く思想的な対比など、多くの学究的考察が盛り込まれている点も特徴的な作品。 自分としては、12世紀後半から13世紀前半に鎬を削って次々着工されたフランスのゴシック寺院に関するあれこれや、“懸垂式”に屋根の相輪から吊るされた心柱が固定されないまま振り子のようにバランスをとる五重塔の耐震技術など、良きお勉強が思いがけなくできてご満悦。


屋根屋
村田 喜代子
講談社 2014-04 (単行本)
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