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ロリータ、ロリータ、ロリータ / 若島正
新潮文庫版「ロリータ」の訳者、若島正さんが、「ロリータ」解読のための一つの方向性と方法を教えてくれる手引書。 ナボコフの創作法や、全体の構図へと繋がる可能性を秘めた細部に焦点を当て、読者の取るべき思考の道筋の一端を示してくれる良書です。
“立体鏡を見るような奥行きを持ち、焦点が定まってはっきりとした像を結ぶことがなく、どこまで行っても読み尽くされない”小説「ロリータ」。 “人は小説を読むことはできない。ただ再読することができるだけだ”とはナボコフの言葉ですが、「ロリータ」を読むにあたり、再読がいかに大事な行為か痛感せざるをえません。 最後まで読まなければわからない事柄がそこら中にちらついていて、再読時にはそれらを回収しながら読む楽しみがあり、さらに拾いきれなかった事柄を再々読時に・・ 何度読んでも発見がある緻密で膨大な“仕掛け”が「ロリータ」の、いや、ナボコフ作品の大いなる特徴なのだと理解を深めました。 自分は小説に施された“仕掛け”が好きなタイプの読者なので、こういう小説との出会いは本当に嬉しい。 解釈していいんだよ! むしろとことん解釈しなさい!(できるものなら!)ってスタンスでナボコフは小説を書いている確信犯なんだよなぁ。
“ハンバートは改心していない”とするアーヴィング・ハウの指摘は目からウロコでした。 曰く“悔恨を告白する彼の言葉が自己満足の言葉だからだ”、曰く“哀れなロマンスを偉大なロマンスに引き上げようとしているのであり、彼は改心したかのように読者から見られたいのである”。 若島さんは補足します。 曰く “ロリータと二人、まるで墓の中に入るように「ロリータ」という書物の中に収まり、そこを避難所として永遠の命を得るという望みは身勝手なものである”、曰く“ロリータが死んでから回想記を出版して欲しいと望んだのは、歌い上げた己の幻想をロリータに邪魔されたくなかったからでは?”。 自分はとてもそこまで考えが及ばなかった・・orz
物語の向かう先が道徳の賛美に他ならないことには、正直、微かに違和感があったし、騙し絵のような油断ならぬものの影をぼんやりと意識しながらも、伏線を見過ごすミステリ読者の心理で、“こんなに素晴らしい文学を生み出したのだからハンバートの改心は本物だった”と、収まりの良さを求めて思考を補正してしまったのです。 今、全く途方に暮れてしまいました。 いったい、この小説はなんなんだ・・
小説内人物の視点で小説世界を読者に眺めさせたとき、その小説内人物の感受性に読者が影響される(誤解を共有してしまう)ことを踏まえた誤誘導的な罠の深さを屈辱的なほど思い知らされたわけなのですが、作者の戦略に気づいて、それに対抗しながら自覚的に読むための足懸かりを、第一部第10章でハンバートがロリータに出会う場面のテクストを例に挙げ、実践的に指南していただけたのが有意義な体験でした。
対立し矛盾するものを同時に視野に収めることや、一つのものを二つの目で立体的に捉えることが「ロリータ」を読むためには必要不可欠なのだけど、今度はそこを凝視し続けていると、テクストの夢想なのか読者自身の夢想なのか判然としない混沌の領域に囚われてしまうという・・ またそこで矛盾の受容と複眼視点が上位レベルで要求されることになるのでしょうね。
オリンピア・プレス第二刷がなぜ珍本たる資格を有しているかについてのコラムが笑えた。 作中人物のジョン・レイ・ジュニア博士による序文の前で、誰がどんな熱弁をふるったところで、小説「ロリータ」の一部に取り込まれちゃうんだよねw こんなところにも「ロリータ」という書物の魔性を感じたり。
自由間接話法(発話された言葉がそのまま地の文へと移行するような不思議感覚?)を魔術のように使うナボコフのテクストを、自由間接話法のない日本語の文脈でどのように表現するか・・ しっかし翻訳家泣かせの作家なのですね。 “ツチヤヨウコ”さんは見つかったのでしょうか? 著者のナボコフマニアっぷりにニヤニヤしつつ、自分もその気持ちがわかってしまうところまで来ています^^;


ロリータ、ロリータ、ロリータ
若島 正
作品社 2007-10 (単行本)
関連作品いろいろ
★★★★★
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