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毒笑小説 / 東野圭吾
怪笑小説」より更に笑える要素が薄れ、求めてるものから離れてしまった。 合わないなぁ;; ブラック・ユーモアは、さもしい嗤いではないと、自分は思う。 嘲弄されてる者の痛さを笑う気になれないっていうか。 まぁ、それも単に描き方の巧拙にすぎないのかもしれないが。
東野さんは物語小説の書き手なのであってアイデア小説の書き手ではないってことなのか・・ 「超・殺人事件」が好きで、あのセンスを期待してページを繰るのだけど、どうも記憶そのものに自信がなくなってきた・・orz 背後の主義主張をもう少し隠さないと笑いには昇華できないと思う。 そういうテクニックをわざと使わないのだとしたら読者を舐めてないか?
今読むとお題目のような古臭さを拭えないし、浅ましい価値観や社会意識の諷刺が暑苦しく、悪い意味で品がないのだけど「誘拐電話網」は巧いと感じた。 チェーンメールをフィーチャーした作品に思えるけど、加害者と被害者がいとも簡単に逆転してしまう怖さや、責任逃れ的な心理の盲点を鮮やかに突いた戯画になってる。 電化製品の取扱説明書(の煩わしさ)をパロディ化した「殺意取扱説明書」や、本格ミステリマニアのための“なんでも鑑定団”をやってみました的な「本格推理関連グッズ鑑定ショー」の着眼や捻りは流石だと思う。 後者は何気にメタなんだよねw おまけに「名探偵の掟」所収のとある短篇の後日談(真相のどんでん返しバージョン)にもなってるんだね。 個人的には一万円札の鑑定結果がツボだった^^ 笑わせ方が下手なのが勿体無い。
文庫は京極夏彦さんとの巻末対談付き。 色々と興味深かった。 このお二人にしたってユーモア小説なんて生ぬるい、ユーモア小説を書くのは格好悪い、ユーモア小説という言葉自体が冴えない、我々が書くのはユーモア小説なんかじゃなくてもっと意識の高い嗤いだ!ってスタンスなんだね。 そういう力みが逆にフットワークを重くしてないか? この対談自体も笑いの要素は皆無だし・・ クソ真面目さにふふってなるけど。
まぁ、お二人がどんな小説を指して“ユーモア小説”と軽んじているのか今一つ理解できてないし(筒井康隆作品をリスペクトしておられるのは伝わってきた)、昨今とは若干事情が違うのだろう。 でも、寒いことになってたらどうしよう、面白くない奴と思われたくないと恐怖しながらも書く! そのスピリットはメチャメチャ尊敬する。 この対談当時(1998年?)に比べたら、良質な笑いを提供する小説の地位は明らかに向上してるんじゃないだろうか。 そう考えるとセンスはなくても許したい気持ちにもなる。 ユーモア小説のルネサンスを標榜し牽引した功績は大きい。


毒笑小説
東野 圭吾
集英社 1999-02 (文庫)
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