竹取物語 / 上坂信男 訳
「源氏物語」に、“物語の出で来はじめの祖”と位置づけられた「竹取物語」。 成立は9世紀後半から10世紀前半。 作者は未詳。 本書は、現存する古写本の一つ“吉田博士蔵本”の注釈付き全訳版。
「竹取物語」がどのような作品か、これまでなされた多くの論及の結果として、21通りもの性格が序文で紹介されていてびっくり。 しかし、どうもあまりピンと来なかった;; 自分にとって一番近いのは(どれかっていったら)7番目の“成人向芸術童話”辺りかなぁ。
徹頭徹尾、俗と超俗の、地上と天上の対比で構成され、物語られていたんですね。 訳者さんはそこに“幼き人”と“大人しき人”との対比という観点を強く投影し、現実の渦中であくせくしている人々に、真の価値ある生き方の回復を訴えかける寓話として捉えることを奨励しています。 確かに世俗的な欲求と超俗への憧憬が葛藤する物語ではあったんだけど、なんていうか・・ 教訓は挟まず、優劣も善悪も超えて、ただ目に映る対比だけを見つめた時、深い感銘に到達できる心地がした・・かも。
自分は “宿運の物語”として読んだというのが一番近かったかな。 大切に育てた女の子が、娘盛りで死んでしまった時、もし父親に文才があったら書きたくなる(そして慰めを得たくなる)だろう寓話に思えてならないのだよなぁ。 罪によって下生した者が、時を経て罪を許されるという、根っこは輪廻転生の仏教思想なのかもしれないけど、宇宙からやってきて地上で仮初めの命を生き、また宇宙へ還るという、もう普通に自然科学の死生観として、どうしようもなく沁み込んでくるものがあって。
かぐや姫は人間的俗情と相容れない存在なのだけど、翁が示す子供への愛情と、帝が示す恋情の中の、我が身を省みない無心の成分だけが人の持ち得る超俗さのポテンシャルのように描かれていたこと、訳者さんのナビゲートによって理解を深めました。 地上と天上、あるいは生と死の間には侵すことのできない理がある。 だからこそ翁と帝が辛うじて許されたかぐや姫とのささやかな交感が、どんなに特別なものだったか・・と思うのです。 ラスト、不老不死の妙薬を手渡されながら、それを飲まなかった翁と帝の行為に、自分は不思議とカタルシスを得ました。 大きな定めの中に生きていることを感じてしまう何か。
来迎引摂のイメージが繰り広げられる終局のスペクタクルは、眼裏に残るような映像美。 それと初めて知ったんですが、5人の貴公子の求婚失敗譚には、それぞれ諺の起源説明(風)に掛けことば(ダジャレ?)を用いたオチがついてるんだね^^ 物語全体の締めまでも兵士(ふぇいし)≒不死(ふし)≒富士(ふじ)。 で、富士山の山名秘話になってるという。 ここに一番日本人の心を感じた・・orz だからダジャレを侮るなってあれほど! 好きw


竹取物語
上坂 信男 訳
講談社 1978-09 (文庫)
関連作品いろいろ
★★
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