私のいない高校 / 青木淳悟
読み終わった時の鳥肌感がヤバかった。 なんでこんなに怖いと感じるのだろう。 禁書とは言わないけどイケナイものを読んでしまったみたいにゾワッときた。 多かれ少なかれ、主眼がアイデンティティの不在に置かれていることは確かだと思うのだけど、これほど“消しゴムで書く”ことに徹した手法で“不在の存在”を暴いた作品はなかなか例を見ないのではないか。 テーマへの真摯なアプローチと文学的実験の展開とが共存共鳴した傑作だと、わたしには思えた。
ブラジル系カナダ人留学生、ナタリー・サンバートンを受け入れた神奈川県下の女子高、国際ローゼン学園二年普通科菊組の1999年度1学期の様子が日誌風に綴られていく。 時間割、身だしなみチェック、留学生の個別指導、ロングホームルーム、部活動、健康診断、所持品紛失、席替え、修学旅行の準備、修学旅行四泊五日の道程、避難訓練、模擬試験、定期試験、生徒総会・・ カリキュラムやエピソードが担任教師の雑感とともに流れていく。 それだけ。
本編は、実在する「留学生受け入れ日誌」にヒントを得て、その内容を踏襲しつつ、(いみじくも著者が述べる通り)全体をフィクションとして改変・創作した“小説”なのだ。 これが本当らしくて嘘くさい“ヘン”な空気を醸し出す。 日誌風と言っても日誌ではなく、単純にドキュメント趣向の小説といった定型には収まらないものを孕んでしまった。 担任教師の目線を拝借しながらも、その上位から作家本人かどうかもわからない何者かが傍観しているような・・ テキストの内と外を成す半二重性、半メタ性が安定を欠いた浮遊感を生じさせている。 怖いと感じるのは、この傍観者の透明な眼のせいなのだろう。 自分の思考の外のことは誰にも考えられないのだと突きつけるかのような。
まずもって、どういう毛色の小説なのか、その決め難さに戸惑いながら読み進めていくことになる。 小説の“色”、あるいは“顔”がないのだ。 しかし段々と意識の裏に薄気味悪さが張りついて離れなくなる。 この挑戦的なまでに上滑りしていく“正常”な空間が日誌ではなく“現実”として描かれている気味の悪さと言ったらいいか。 日誌が日誌風となり、三人称となることで担任教師の心象は解放されているはずなのに、何の検閲を受けているというのか、もはや自分が自分を検閲してることに気づかずにいるのか。 微笑ましい、問題意識を持った、憂慮する、残念な、大いに感心する・・等々の良識的感慨は薄い皮膜越しにしか響いてこず、協調性を身につけ、精神修養を図る人間形成の場において、懇切丁寧に管理される生徒たちは一様にのっぺらぼうで、平板なホログラム状になって漂う名前としてしか認識できない。
あたかも“日誌のように”体裁良く、想定内のアクシデントやハプニングの刺激を得てより魅力的に健全化された日常、それら“他愛のない普通”を体現するお誂え向きなリアリティの破片は、どこか懐かしい青春学園風の善良で温順な、誰もが羨むお手本のような空気の中に居心地よく収まり、満更でもない誇らしさを礼儀正しい慎みで覆い隠しているかのよう。
不吉な亀裂はどこにも生じはしないのだけれど・・ 書かれないからこそどうしようもなく喚起させられる意識がある。 “普通”から外れたことによって排除され、あるいは抑圧されているかもしれない心地よさの裏側の、蓋をし、眼を背けたくなる何がしかを凝視するよう促す衝迫力が本作品にはあった。 嗜みとして他人の心に深入りしない・・人に見られて恥ずかしくないために・・作法としての思いやり・・思い出作り・・至れり尽くせりのおもてなし・・


私のいない高校
青木 淳悟
講談社 2011-06 (単行本)
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★★★★
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