近世物之本江戸作者部類 / 曲亭馬琴
[徳田武 校注・編] 天保4年から5年(1833〜1834年)頃に馬琴が著した江戸中期から後期にかけての戯作文学者の評伝。
朋友から所望されて執筆したプライベート本なので主観ポジションに仁王立ちして相当やらかしてます。 流石にこれは公刊できないわ。 写本の形でのみ伝わる秘本なのだそうです。
しかし、世相を反映した出版事情の変遷とそれに伴う戯作趣向の流行り廃りを捉えて体系化したその的確さは、今日の戯作研究を支える大きな遺産になっているのだから恐れ入る。 当時巷に囁かれたり、或いはごく一部にしか知られていなかったような諸作者にまつわる下世話事や、作者と版元の内々のせめぎ合いなど、一次資料としての生々しい証言を兼ね備えており、同時代人にしか書けない江戸文壇史として魅力満点の読み物でした。
ちょっとした勘違いや不足などは適宜校注で補われているけれど(これが誠に有り難かった!)、馬琴の奔放な語りが飽くまでも尊重され損なわれていないので、どこまで信用していいものやら・・ 評価が定まっている今日では味わうことのできないような玉石混淆ぶりが逆に新鮮に感じられ、そんなところも面白く読みました。
最初、赤本(主に黄表紙・合巻)作者の部では有名無名つぶさに洗い出そうとする勢いが感じられるのですが、その作業に倦んでしまったのか、続く洒落本・中本(滑稽本・人情本)作者の部では目ぼしい作者だけの記載にとどまり、いよいよ馬琴にとっての真打ちたる読本作者の部に至って、取り分け第一人者として君臨する自身について存分に語り尽くしたところですっかり満足し切ったらしく、予定していた読本作者の部の後半、浄瑠璃作者の部、画工・筆工・彫工の部は未執筆に終わっています。 なにこの流れw 人間臭くて憎めませんねぇ。
はっきり言って自負心と自己正当化の権化のごとき著述なのだけど、師弟関係とは逆にまるで兄のような尊大さながら、山東京伝に対してだけは深い感慨が読み取れる。 京伝が吉原の遊女に入れ込んで三年も原稿を滞らせたり、京伝と組んだ豊国が腕に驕り図に乗って俺様化してしまったり・・ 落とし話のような版元泣かせの逸話などは、身近で見ていた者の目線として伝わってきます。 例の手鎖五十日の経緯を詳らかに記しながら京伝の名誉を努めて守護ろうとしていたり。 まぁ、読本グラウンドでは馬琴の完全勝利だから余裕の顕れなのだろうけど。
余談ですが。 絶筆となった「双蝶記」での京伝の挑戦は、円朝や二葉亭四迷の功績大きい言文一致運動の萌芽だったんじゃないのかな。 まだ時が早すぎて受け入れられず、馬琴などはそら見たことかと思ったかもしれないけど。
浮世を茶にした作は好まず、勧善懲悪を旨として暗に読者の蒙昧を醒ますような徳のある儒教思想を汲んだナラティブな著述を重んじる馬琴にとっての戯作の正統とは、筋や構成にプライオリティを置く“読本”に他なりません。 そして、読本とは中国の稗史小説に拮抗できる日本版の稗史小説でなければならず、翻案が首尾一貫していればいるほど理想に近づくと主張するのが馬琴流。 「水滸伝」を換骨奪胎し、日本の古語で綴った建部綾足の「本朝水滸伝」を(原典を踏襲しきれてないので)未熟だとしながらも読本の嚆矢と位置付けて、その意義深さを説きます。 ここら辺、精神的山場の一つだったように感じました。
もっぱら作者評は貶し(欠点の強調や粗探し)か、嫌味まじりの褒めか、上から目線の憐れみか、興味なさげなふりか、自分アゲアゲのどれかなんだけど、朋誠堂喜三二と恋川春町は(黄表紙の生みの親として)皮肉抜きに評価してると思えたし、芝全交、唐来参和あたりに対しても滑稽の上手、趣向の上手と評し、まぁ好意的と言っていいくらいだし、大田南畝や平賀源内の(戯作以外の)才能には一目も二目も置いています。 一方、十返舎一九や柳亭種彦などはしぶしぶ評価しながらも手厳しく、蔦重も書肆としての並外れた才は認めているが遺恨ありげ。 豊国はその驕りぶりが気に入らないけど単純バカだから許してやろうくらいな感じか。 式亭三馬や為永春水に至ってはクソミソ。
そして京伝の弟の山東京山との確執。 京伝の没後に起こった家督の相続をめぐる騒動周辺の事情は付録として収められている「伊波伝毛乃記」(馬琴による山東京伝の評伝)に詳しく、更には、京山による馬琴の評伝「蛙鳴秘抄」が追録されており、亡き京伝を挟んだ馬琴と京山の反目のあらましを双方向的に読むことができます。 「伊波伝毛乃記」は、史実として鵜呑みにできるかは別として、因果応報の整った構成と運びは一篇の物語のように秀逸。 わたし、これを読んで京伝への愛着が一入です。 世俗が“牡丹餅の印”と呼んで親しんだ京伝愛用の“巴山人”の印をひと目拝みたくて画像を探してしまいました。
絵師、狂歌師、浄瑠璃語り、落語家、狂言作者など、戯作を本業としない烏亭焉馬や初代林屋正蔵、四世鶴屋南北(戯号は姥尉輔)や、葛飾北斎(戯号は時太郎可候)など、また逆に戯作から他文芸へ転向して成功した鹿都部真顔や桜川慈悲成などの名前も見受けられます。 しかし専業作家の馬琴にしてみたら片手間野郎は気に入らないとばかり殆ど一蹴。
当代の人気歌舞伎役者が戯号を用いて著した作の殆どは代作だったらしいのだけど、これについては歌舞伎役者の名を借りて自作を出版し恩恵を受ける無名の戯作者側に罪過ありとし、代作を生業とする作者の志の低さや、作家を唆す版元の儲け主義や、善し悪しを解さない読者のミーハー感覚を腐していたり、才技の伴わない者が名誉を欲しがる俗情から手っ取り早く古人の名号を継いであたら由緒を冒す傾向にも毒づいています。
馬琴自身が本意ではないものを版元に書かされる時の別号は、傀儡子、玉亭、逸竹斎達竹など。 他にも著作堂主人、蓑笠翁、信天翁、蟹行散人、彫窩、玄同・・など様々使い分けるのですが、理由あっての改称であることを釈明し、その道義を説き、独自の美学をアピールすることは怠りません。 それとこれとは違うとして例えば、三馬に“三”の文字を受け継ぐ弟子が大勢いるのは、むやみに別称を名乗らせ、実際の人数よりも弟子の数を水増しして虚栄を満たしているからだといちゃもんつけてみたり、円屋賀久子なる女流戯作者は為永春水の成りすましに違いなく、自作が売れないから婦人の作という物珍しさで世間を騙くらかそうとしている的な言いがかりをつけてみたり。 馬琴はこうでなくちゃ! という期待を見事に裏切らないのが頼もしい・・なんて油断してると、ごく稀には完膚なきまでの正論に穿たれもするし、杓子定規の不器用さに絆されもする。 なぜか嫌いになれない人。
寛政の改革によって世の時好は仇討物に移り、追って滑稽本が台頭してくるのだけれど、一気に洒落本が廃れたわけではなかったんですね。 その頃流行りの“心学”でカモフラージュするなど、あの手この手の回避策を駆使して寛政の末頃まではかなり盛んに作られていたのだとか。 手鎖五十日の咎めというと山東京伝と蔦重が有名だけど、一九も歌麿も豊国も春水も三馬も筆禍を被っていたんだね。
彫師(米助)と版元(角丸屋甚助)の金銭トラブルに関わったとして、馬琴がお白洲沙汰に巻き込まれる件も面白かった。 馬琴が米助を手引きしていた証拠を握っているとして、馬琴の米助宛て書簡を角甚がお奉行所に提出するのだけど、それを見た吟味与力が、文中で他愛なく使われていた“天下”という一語に目をとめて、甚だしき過言也! と本筋そっちのけで反応してるのが可笑しい。 この顛末は馬琴と角甚、馬琴と米助、それぞれの後日談もまた小説のように読ませる。
雅であり、俗であり・・ 何気ない描写が自ずと発散してしまう江戸文芸情緒の、その現物の美風を、肺の奥までたっぷりと吸い込んでページを閉じました。 佳き読書体験でした。


近世物之本江戸作者部類
曲亭 馬琴
岩波書店 2014-06 (文庫)
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★★★★★
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