女が嘘をつくとき / リュドミラ・ウリツカヤ
[沼野恭子 訳] 人気と実力を兼ね備えたロシアの現代作家、ウリツカヤの連作短篇集。 素朴でありながらウィットがあり、辛辣で温かく、真面目に受け取ればいいのか笑えばいいのか、独特の語り口から生まれる文章の呼吸が好もしく、すっかりファンになってしまいました。
必要に迫られ、状況を見極めてつく謀めいた建設的かつ実利的な嘘が男の嘘であるならば、女の嘘とは、“ひょいと、心ならずも、なにげなく、熱烈に、不意に、少しずつ、脈絡もなく、むやみに、まったくわけもなく”つかれるものであるとウリツカヤは指摘します。 天賦の才を持った女が奏でる嘘の、歌のような、おとぎ話のような、その厚かましくも無邪気な創造性に霊感を刺激された作家が、この問題を扱ったささやかな文学研究と称し、心に開いた空隙を埋める危うくも魅惑を秘めた女の嘘をテーマに6つの短篇を編みました。
南ロシア地方の保養所で、モスクワのアパートで、チューリッヒのキャバレーで・・ その時々に出くわす嘘つき女たちの打ち明け話の聞き手となるのはジェーニャ。 第一話から最終話まで約20年の時間が経過し、ジェーニャ自身については、一度目、二度目の夫との間に一人ずつ息子を設け、破綻しかけるも二度目の結婚生活をなんとか立て直し、二人の息子と夫とモスクワで暮らしながら、研究職からテレビ、出版の仕事へとパワフルに転身を重ねていく・・といった大筋の歳月を遠景で捉えています。
“うまくいかない私生活”の悩み事を抱えている局面で、決まっていつも法螺話を聞かされるというシチュエーションなのですが、嘘だと知って大変なショックを受けるウブな20代から、30代、40代と歳を重ねるうちに、部分的にしろ嘘を見分けたり、騙されたことを笑い飛ばせたり、騙された者の慰め役になったり、観察者の目線を持ったり、人間的成熟に伴う反応の変化が見て取れます。
トータルでジェーニャの人生を見据えた一つのストーリーが淡く紡がれていると言ってもいいのですが、何かしら警句を得ようと法螺話がジェーニャに与えた影響などを短略的に推し量ろうとすることに意味がありそうな感じはしなかったです。 ジェーニャ自身が主役となって前面に押し出され、一気に単調なパターンの奥行きが広がる最終話の位置付けが、まだ自分の中で定まっておらず、作品の全体像がぼやけているからかもしれないのだけれど。
リーリャの夢の話を聞いたジェーニャが、一種のカタルシスを得て生きる気力を取り戻したとするのは、どうもあまりしっくりこなくて。 嘘(虚構)の力を肯定するためのこじつけ的解釈程度にしか思えないというか。 それよりも、リーリャやハーヴァが封印してきた嫉妬心を吐露し、ジェーニャに対して本心で向き合ったことが、また彼女の心をも解放へと導いたのではないかと、シンプルにそう思ってしまった。 最後の一篇だけは、嘘から反転する合わせ鏡のような“本心”の物語だった気がしたのだよなぁ。
しかしながら。 この、乾いた心に染み込む慈雨のような物語こそが、ウリツカヤの拵えた嘘(虚構)に他ならない事実。 小説家の紡ぐ素敵な嘘を、読み手をチャームするスペシャルに真っ赤な物語を、自分はやはりどうしようもなく欲しているのだとしみじみ思ったり。
停滞の70年代からペレストロイカを経て、ソ連崩壊後の新生ロシアまで、約20年の輪郭が時代背景として溶かし込まれています。 社会情勢、経済、宗教、ロシア文学、伝統、気風、生活スタイル・・ 日常の光景の中に簡素でありながら力強く民族的な鼓動が脈打っていて、“風俗作家”という形容がとても似つかわしいものに感じられました。
偽善なんていう概念の生っちょろさが尻尾を巻いて逃げ出しそうな。 西洋の古風な小説にしばしば登場する意固地なまでのハイパーお人好し婦人の衣鉢を継いでそうなジェーニャの人間味が好き。


女が嘘をつくとき
リュドミラ ウリツカヤ
新潮社 2012-05 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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