角の生えた男 / ジェイムズ・ラスダン
[谷みな子 訳] 7年前イギリスからアメリカに渡り、現在は、家を出た妻への未練を引きずりながら、ニューヨーク郊外の大学でジェンダー論を教えているローレンス・ミラーによって綴られた一人称の手記。 自身が携わる学問の理念を実現するのが職業上の責務と心得て、セクシャル・ハラスメント委員会のメンバーを務めている“私”ことミラーは、学生に対して秘めた衝動を仄めかすような醜態を見せないよう細心の注意を払って対応していると自負しています。
ある日、自分の研究室の書棚から一冊の本を取り出して、栞の挿んであったページを読もうとした“私”は、来客に中断され、栞をそのままに本を書棚に戻すのですが、翌日、再び開いてみると栞の位置が変わっていることに気づくのでした。 その日、診察室で“私”はセラピストに尋ねます。 ひょっとして“錯誤行為”の一例だろうかと。 この冒頭シーンで交わされる会話は、“私”による予防線であると同時に作者による布石であり、結末と綺麗に照応しています。
この栞の移動現象をきっかけに、“私”の周囲で次々と起こり始める不可解な出来事。 身に覚えのない通話記録、書いてもいない手紙の存在、隠れるように置かれていた金属棒、嫌がらせの贈り物、匿名のメモ、パソコンに残された文書ファイル・・ なんの変哲もない日常が、何かを隠蔽している不気味な気配を帯び始め、じわじわとその濃さを増幅させていくのは何故なのか? 陰謀者による手の込んだ仕打ちなのか? 事もあろうに“私”の人生を脅かす目的は? 現実なのか妄執なのか、異様に亢進した意識が錯綜する悪夢の迷路を彷徨いながら煩悶すればするほど、精神の深い裂け目に搦め取られ、抗えない破滅へと堕ちていく“私”。
ささやかな合図を送ってくるディテールによって、“私”を俯瞰している読者は気づくことになるのですが、陰謀者とは“私”の影、つまり、意識下の自分自身に他なりません。 抑圧した自我に復讐される自家撞着的ストーリーを、信用ならざる語り手小説の定法を踏まえて描いた玄妙なるサイコスリラー。 伏線や暗示を絶え間ない刺激として散りばめた設計図のように緻密な構築力。 非常に陰影に富んだ物語ですが、決して闇雲に弛緩することがありません。
セクハラとDVという大きな人倫の問題が表裏のように綾を成し、アメリカ社会のポリティカル・コレクトネスから感得した不安要因を極端に寓意化して体現した作品と言えるのかも。 また、アメリカのイギリス人というトランスアトランティックな主題も深く刻印されています。 因みに作者のラスダン自身もイギリス出身のアメリカ人なのだそうです。 本篇は2002年発表の初長篇。
特筆すべきは、様々な文学作品の水脈が注がれていて、ストーリーと意味ありげに共鳴反響している点。 カフカの「中年のひとり者ブルームウェルト」、シェイクスピアの「尺には尺を」、聖書正典から除外されたグノーシス派の福音書、そしてなによりエウリピデス作のギリシャ悲劇「バッコスの信女」は、本篇の通奏低音になっているようです。 解説で教えられなければ知る由もなかったのですが、この「バッコスの信女」を示唆する巧みな仕掛けが随所に施されており、テクストの彼方此方で符合を探す愉しみがあるのだとか。 原典を知らないのがつくづく残念です。 “私”がたどる自己崩壊の過程はペンテウスのそれをなぞっており、モチーフだけではなく、その中核に神話を抱え込んだ物語としての強靭さが感じられもします。
中世に流布した一角獣捕獲の神話を織ったクロイスターズ美術館の“一角獣のタペストリー”も、世界観の確立に欠かせない大きなウエイトを占めています。 角のエキスが持つ薬効作用のうちの同毒療法説に依るところの攻撃的で孤独な怪物としての一角獣像が“私”へと投影されてゆき、純化された毒素による自家中毒の痛みに襲われる末路まで制御が行き届き、呼び交わし合う詩と理知が、絶望の複雑な光沢を見事に現出させています。


角の生えた男
ジェイムズ ラスダン
DHC 2003-11 (単行本)
関連作品いろいろ
★★
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