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ありえない物語 / ポール・ジェニングス
ありえない物語
ポール ジェニングス
トパーズプレス 1994-10
(単行本)
★★

[吉田映子 訳] ファンタジーとSFとホラーのミックスにユーモアをふりかけたような鮮やかなショートショート8篇。 奇想天外なお話が詰まっているので、気を抜くと何処か別世界の出来事のような気がしてしまうんだけど、カンガルーとかウォンバットとか、オーストラリアの地名とか、ふっと出てきたりして、あぁそうだ、“ここ”はオーストラリアなんだよなぁ〜って^^
日常の中で子供たちが軽々と発想の壁を飛び越えていけるようなきらきらとした自由な空気があって、でも、どっしりとした健全さの中で安心して翼を広げられるような優しさと温もりで守られているなぁ〜と思った。
骸骨とか幽霊とかキスとか糞とかパンツとか^^ こういうアイテムが子供って大好きよねぇ。 アイテムは確かに子供向けなのだけれど、ショートショートとしての構成が素晴らしいし、嫌悪感を伴わないほんのりブラックな味付けもグッド♪ どこか古典的な、えもいわれぬ懐かしさも堪らない。 子供心を知り尽くして書いているよなぁ。 同時に、子供騙しではない“子供が本当に面白いと思える話”というのは、大人が読んでも面白いということを本書は証明してくれる。
スピードに乗ってワクワク楽しい読書タイムでした。 「シャツも着ないで」や「灯台のブルース」のようなじんわり系もすごくよかったんだけど、白状してしまうと「牛糞カスタード」にわたしのハートは擽られてしまいました。 品性を疑われそうで恥ずかしいんですけど、あまりに突拍子もなくて、壮大にバカバカしくて、こういうの子供の頃に読みたかったなぁ〜。
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銀の犬 / 光原百合
銀の犬
光原 百合
角川春樹事務所 2006-06
(単行本)


実は前回「ケルトの神話」を手にしたのは、この本を読むにあたり予習になるかなーと思ってのことだったのだけれど、どうでしょう・・俄か知識はあまり即戦力にはならなかったです。 というか、光原さんもあとがきでおっしゃっている通り、この本がきっかけになって、ケルト神話に興味を持つ・・という順番で読んで正解。
“ケルト民話に触発されて生まれた一つの異世界の物語”なのだけれど、竪琴の音色と光の粒子に包まれたような、光原さんオリジナルの透明感と神秘のワンダーランドが、ケルト初心者をもすっぽりと包み込んでくれました。
声なき美青年“祓いの楽人”オシアンと、オシアンの“声”を補う、可愛い顔してこまっしゃくれた少年ブランの2人が、旅をしながら、さ迷える死者(時には生者や妖精までも)の魂や心を癒していく連作集。 どれも、ちょっと不器用な人々の悲しい恋の物語なので、優しくて温かくて切なくて・・というお話が揃っている。
“祓いの楽人(バルド)”とは、万物の根源に響いているといわれる“音”を操り、この世の理(ことわり)を正すという天命を受けた選ばれし者。 御霊鎮めや憑き物落とし的な物語なので、こんな言葉が適当かわからないけれど、西洋風「陰陽師」っぽいお話。
全体的に物語が清らかで優等生的なので、やさぐれたわたしにはちょっびり息苦しめではあるんですが、背景が魅惑的で、キャラたちが可愛いくて、やっぱし無性に好きです。
“祓いの楽人”を商売敵(と勝手に思っている)呪い師のヒューとその相棒の黒猫トリヤムーアも可愛い♪ 続編が出るときにも是非是非準レギュラーにして欲しいな。(続編の構想がおありになるようです!) 自然と動物と妖精と人間がバランスよく暮らしている閉鎖的な美しいこの世界のことをもっともっと教えてください。
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ケルトの神話 / 井村君江
ケルトの神話
−女神と英雄と妖精と−

井村 君江
筑摩書房 1990-03
(文庫)
★★

[副題:女神と英雄と妖精と] ケルト初体験。 わたしには、カエサルが平定したフランス辺り(?)の“ガリア”のイメージしかなかったんだけど、ケルト神話って、いってみればアイルランドの神話のことらしい。 おぃそこからかい! って感じなんだけど・・orz
ケルト民族というのは、1つの国家を創らずに、部族単位で行動し、ヨーロッパ各地に散らばっていった民族で、言い方を変えるなら、ヨーロッパ中の国々に自分達の遺伝子を残しているのに、固有の文化を後世に伝えるのは難しかった民族のようだ。 それが他国に脅かされることが少なかったアイルランドという極西の島国で、純粋培養されたかのように、ケルトの特色が最も原型に近い形でもって保存され、今に伝えられているのだという。
大きく三つの時代に分かれるようで、まず神々の時代であるダーナ神族の時代、次いで神々と人間たちの時代であるアルスター神話群、とくれば次は人間たちの時代・・と、古事記のように移っていくのかなぁと思っていたら、一番時代が下ったフィアナ騎士団の時代でも、神々の末裔である妖精たちが、バリバリ活躍してる。 その元にあるのは“輪廻転生”の考え方なのだとか。 ダーナの神々が生まれ変わった精霊たちが、丘の下に常若の国を作って、ずっと棲み続けていると言い伝えられているのだそうだ。 よくもまぁ、キリスト教に邪教としてこっ酷く排斥されなかったなぁ〜と、ちょっとびっくりしてしまうんだけど、宣教師が入ってきた頃には、もう神々が揺るぎなくしっかりと土地に根を張っていて、キリスト教側も融和政策をとるしかなかった部分もあったとか。
素朴で大らかな神々の時代を過ぎると、英雄譚を織り交ぜながらも、段々と繊細で幻想的で美しい物語になっていく。 ホント、森と湖と白鳥がぴったりな。 そう、女神や乙女が白鳥や蝶に姿を変える話が結構でてきたなぁ。 あと鮭も。 海の彼方の常若の国に招かれた英雄の物語は、まるで龍宮伝説のようだし、父と子の対決や親友同士の対決、影の国に武者修行に行ったり、美女を奪ったり(美女に奪うよう嗾けられたり;;) 神話って洋の東西いろんな相違点があるのと同時に、不思議とモチーフに共通性があって面白い。 そういうのがわかってくるともっともっと楽しめるのだと思う。
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似せ者 / 松井今朝子
似せ者
松井 今朝子
講談社 2005-08
(文庫)
★★★★★

芝居の傍らで生きた江戸時代の人々の人間模様。 まだ元禄文化の余波を残す頃から幕末まで、四つの時代の物語が、江戸と上方を舞台に交互に描かれる。 松井さんは、やはり歌舞伎の世界が舞台となると俄然筆が冴える。 人物の人間味が最大限に引き出されて、生気溢れんばかり。 物語にデコやベタがなくて、わっさりと沁み込んでくる感じが大好き。
中堅どころの役者や世話役、興行師、囃子方などの“脇役”的な人物の視点で描かれる。 歴史に名を残した名優たちを間近に、その芸の真髄、凄絶な芸魂を垣間見ながら、激しく影響を受けたり、翻弄されたり、心の糧としたりする常人的な人々。 芸に携わる者として、同時に人間としての彼らの生身の葛藤がしみじみと伝わってくる。 常人などと書いてしまったけど、彼らによって天才たちが“輝かされている”のもまた事実なのだ。
芸の道を描きながら、やっぱりそこには、誰もが胸の内に抱えていそうな、自分らしさとは何かという問いや、身近な人への愛憎や執着、心の強さ弱さなどの普遍的テーマが底流しているので、歌舞伎や芝居に興味がなくても全く遜色なく味わえるのではないかと思う。 どろりとした重たさがなく、なのに軽くない。 しんなりと深い。 ラストに抒情的な一篇が配置されているの映えるなぁ。

以下、備忘録です。 個人的な余興です。 これらの事例に興味がなくても、物語には一向差し障りありません。
【似せ者】 上方歌舞伎の創始者である初代坂田藤十郎の没後、そっくりさんが現れて、束の間ではあったが人々を喜ばせ湧かせたというのは史実らしい。 この人物が二代目なのかどうかは調べたけど不明。 多分違うと思うけど。
【狛犬】 初代中村助五郎と二代目大谷広次がコンビを組んで、肉体の美しさを武器にした荒事を演じ、人気を博したという史実がモデルらしい。 辰巳芸者の始祖といわれる菊弥は実在の人物。
【鶴亀】 “一世一代”の引退興行を敢行しながら、死ぬまで芝居から離れなかったというお騒がせ人の初代嵐雛助という実在の役者がモデルであるらしい。
【心残して】 幕末に一世を風靡した女形、舞台での怪我がもとで脱疽を発症し四肢を切断しながらも舞台に立ち続けたという三代目澤村田之助は実在の人物。→「花闇」 皆川博子 著
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大江戸神仙伝 / 石川英輔
大江戸神仙伝
石川 英輔
講談社 1983-01
(文庫)


“仙郷があることを疑わないのが常識人”(ほんと?)といわれる江戸時代にタイムスリップしてしまった現代人の大江戸見聞録。 仙人として迎え入れられた科学評論家の主人公の目を通して、江戸時代を検証し直し、評価し直していく趣向。 比較文化論的な面白さが満載。 統計学なども駆使されていて、江戸庶民の暮らしぶりが、小説とはまた違う角度から楽しめる良書だと思う。 いっそ、小説は捨てて、“大江戸大辞典”に徹してくれればよかったのに・・
こぢんまりと安定した封建社会のウソ・ホントや、明治以後、江戸情緒の何処がどんな風に破壊されていったのか。 江戸とは一線を画した深川の成り立ちや、湯屋、駕籠、舟遊び、吉原などの追体験、いまいち把握できてなかった時の数え方がよくわかったのも嬉しい。 一番びっくりしたのが、“〜です”という言葉が下賤言葉だったということ。 “〜でげす”から派生した言葉であるらしく、丁寧語として現代に伝わることになった経緯も面白い。 使い捨て社会、欧米の物まね社会への警告的なメッセージもかなり声高に読み取れる。 本書が上梓された70年代後半という時代背景が窺える。
しかし・・ (以降、ファンの方すみません) ストーリーが、主人公が、つまり小説として、わたしにはムリ。 奇跡を起こして、ちやほやされて、自尊心を満足させる・・の繰り返しなので、いい加減げんなりしてくる。 そもそもこの主人公、江戸への愛が上滑りしてしまう。 その上に文明批判を振りかざすので始末が悪い。 江戸への一見優しい眼差しの底には、文明を享受している現代人としての優越感、傲慢さがちらつく。 高みから見下して、世の中ばかり非難して責任回避。 主人公の洋介の言動が思いっきりチグハグなので、せっかくの精緻な時代考証が溝に捨てられるような不快感を伴ってやりきれない。 ここまで露骨な男の自慰小説にしてしまう必要がどこにあったんだろう。 人形のように女を愛でることをフェミニズムと勘違いして、江戸の男達より優位に立っていると自惚れているのも気持ち悪い。 男のナルシスティックな妄想垂れ流し感が、わたしにはキツかった。
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狐罠 / 北森鴻
狐罠
北森 鴻
講談社 2000-05
(文庫)
★★★

旗師・冬狐堂シリーズの1作目。 旗師というのは、店舗を持たず、在庫を抱えず、投機的な売買に力を入れる古物商のことであるらしい。 古美術業界を舞台にした殺人事件と30年前の贋作事件、目利き殺し(プロに贋作を掴ませる)のコン・ゲームが錯綜する、スリリングでハードなミステリ。
はじめは、自意識とプライドが鼻についてしまい、なんだかなぁ〜と思っていた主人公の陶子さんでしたが、だんだん手負いの狐へ向ける眼差しのようなものが胸の内に育っておりました。
古美術品の真贋と殺人を巡り、骨董屋、保険屋、贋作師、研究者、刑事など、一癖も二癖もある輩が駆け引きや罠の仕掛け合いで暗躍しますが、騙し騙されるが当たり前の古美術業界、その独特の倫理観が支配する磁場の空気を余すところなく伝えながら、必要以上にコテコテと人物を描かないので意外とスマート。 スピード感を持って楽しめたと思う。
贋作ロマン♪ “真の天才贋作者は決して歴史に自分の名を刻まない”というレトリックに酔いしれてしまう。 ここまでくるともう、“偽”などという言葉を単純に当てはめてしまうことに戸惑うし、少なくとも“劣”ではあり得ない。 しかも“悪”ではあるかもしれないけれど、限りなく魅惑的な魔力。
でも贋作に限らず、作者、ディーラー、収集家、研究家などの情熱や陰謀や怨念やもろもろが積み重なって、骨董品は時と共に生モノのようになってしまうのだなぁ〜 それこそ“付喪神”ぐらい宿っていそうな。 いや、それより怖いよ、骨董業界・・ 大部分、北森さんの創作によるところが大きいのでしょうけれど。
奇しくも前回読んだ「黙阿弥オペラ」では、明治初期の日本人が抱える西洋への歪な憧れが描かれていたけれど、本作ではその裏返しのように、日本人が自分達の培ってきた文化に対して如何に無知で無防備で無責任であったか、価値ある美術品の多くが二束三文で海外に流出してしまったことも、西洋人の横暴だと切り捨てられないのだということにも言及されていたり。
漆器にも魅せられたし、古美術、骨董にまつわる蘊蓄のあれこれがとっても興味深かったです。 ウンチクタレもの大好きなのです^^
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黙阿弥オペラ / 井上ひさし
黙阿弥オペラ
井上 ひさし
新潮社 1998-04
(文庫)
★★★

井上ひさしさんは、たくさんの評伝的戯曲をお書きになられているようで、本篇もその路線かと思う。 歌舞伎史に燦然と名を残すと同時に、江戸歌舞伎最後の狂言作者といわれる河竹黙阿弥の生きた明治初期を中心に、世の中の移り変わりに翻弄される人々を滑稽に描く。 コミカルなヴェールを被っているけれど、実は結構シリアスで、メッセージ性の強い作品という印象。
新富座でオペラ狂言を上演するしない、黙阿弥にオペラ狂言を書かせる書かせないというゴタゴタは、井上さんの創作なのだと思うけど、当時の新政府や守田勘弥あたりなら目論みかねないように思えてきて怖い。 それこそ猿回し狂言の権化のようで、ぞっとしない(というかぞっとする)のだけれど、庶民を置き去りにして、外国への体面のためにのみ企画されたオペラ狂言に象徴されるような、日本の(薄っぺらい)西洋化が闇雲に押し進められる中で、根付いていないものや拠り所のないものを入れ物だけ、うわべだけ真似して体裁を保とうとする新政府のやり方と現代日本社会とが、いつの間にかシンクロして見えてくるような仕掛け。 踊らされて、痛い目に遭ってしまう庶民の滑稽、悲哀、それでもへこたれない心意気や逞しさ、本当の西洋文化を学ぼうとする志しの萌芽も気持ちよい。
上流階級や海外の御歴々の鑑賞に堪え得る品格のある芝居だけを書けという、新政府の意向に逆らって、明治十四年に黙阿弥が「河内山と直侍」という、まさに庶民のための狂言を書き、大喝采で迎え入れられたことは、歴史背景に照らし合わせても、とても意義深いことなのだと思った。 日本人の魂に染み入るものを書き続けようとした黙阿弥の想いが胸を熱くする。
戯曲はちょっと読みにくそうで、今まで敬遠していたんだけど、意外にもテンポ良く読めたかも。江戸(東京)庶民の会話が生き生きと楽しかったせいかもしれない。ちょっと戯曲に踏み込む勇気が湧いてきたりして。特に文語調が厳しくてタジタジの泉鏡花は、戯曲から入ってみるのも手かもしれない?
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香水 / パトリック・ジュースキント
香水
−ある人殺しの物語−

パトリック ジュースキント
文藝春秋 2003-06
(文庫)
★★★

[副題:ある人殺しの物語][池内紀 訳] まず冒頭の“18世紀のパリが如何に悪臭に満ちていたか”という怒涛の描写に息つく暇なく圧倒されることから始まる。 そんな悪臭を覆い隠すべく、香水文化が花開いた時代の物語。
体臭を持たないことと引きかえに絶対嗅覚とでもいうのか、この世のあらゆる匂い・臭いを見極め、操れる天性の才能を持って生まれたグルヌイユ。 香りへの執着以外の人間的な個性を何も持たず、黙々と淡々と嗅覚だけの世界にのめり込んでいく。 グルヌイユがその人生の岐路で出逢い別れていく人々を通して、18世紀半ばに差し掛かったフランスの、中世と近代の間でもがいている時代の鼓動が透けて見えてくるのも秀逸。
草花、樹木、海、汚水、動物、食べ物、排泄物、死体、人が放つ様々な体臭・・ありとあらゆる臭いと匂いの濃厚さにクラクラする。 もう芳香と悪臭を同時に嗅いでいるような眩暈感。 香水の調合や精製の場面の錬金術のような魔性、至高の香りを求めて迷い込む狂気と官能のアブノーマル領域に否応なく惹き込まれていく。
サイコスリラーのような恐怖を味わう娯楽的な読み方と、底知れない孤独をぶつけられているようなヒューマン的な読み方と両方できてしまう感じ。 読者に任せますよって託されてるのかなと思うと、ちょっと自信なくて戸惑ってしまったりもするのだけれど、わたしはどちらかというと後の印象だった。 グルヌイユの欠落感や特異性による悲劇が狂気よりも勝って迫ってくる感じがしたのかも。 ラストはかなり衝撃的なのだけれど、グロテスクでブラックでシニカルな中にも、やっとグルヌイユは満たされ安らげているんじゃないかな・・「遂に自身が匂いの粒子になれるのかも・・」なんてことをちらっと考えたりもするのでした。
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横浜幻灯館 / 山崎洋子
横浜幻燈館
−俥屋おりん事件帳−

山崎 洋子
集英社 2000-04
(文庫)
★★★

[副題:俥屋おりん事件帳] 20世紀の幕開け間近な明治30年代、開港以来、文明開化に活気付く、異国情緒豊かな港町横浜の光と影を映し出した連作ミステリ。
宵闇に浮かび上がるガス灯、赤レンガ造りのゲーテー座に集う燕尾服や夜会服で着飾った異人たち、外人商館やホテルの立ち並ぶ海岸通り、土蔵造りの大店が軒を連ねる関内馬車道、舶来品や外国人の好む磁器や漆器を取り揃えた弁天通りなどの高級商店街、人力車、自動車、馬車が往来し、日本人、西洋人、清国人、インド人が行き交うエキゾチックタウン横浜。
しかしそんな華やぎの一方では、成らず者外国人の魔窟であるブラッドタウンの存在や、裏路地の貧困街で喘ぐ人々、女郎や囲われ女に身を落とす女性たち、不平等条約に端を発した日本人と西洋人の微妙な摩擦など、光の裏に張り付く暗い影が、事件の種を無数に孕んでいるかのよう・・
主人公おりんは俥屋の一人娘。 三つ編みをマーガレット巻きにして海老茶の袴を穿いて、フェリス女学校に通っている女学生でありながら、時には、股引はんてん向こう鉢巻姿の俥引きにも変身して家業を手伝う快活な乙女。 全編通して仄かなロマンスのお相手となるのが、オリエンタルホテルのチーフコックを務める亜麻色の髪の混血の美青年。 ついつい「はいからさんが通る」のような、少コミ的な絵面が頭を駆け巡ってしまいトキメキます♪
そんな2人が巻き込まれる数々の事件を解決していくというスタイル。 短篇としては、本格とハードボイルドと時代を映した社会派ミステリとが渾然一体となった感じでしっかりと組み立てられているし、緩やかな長篇としては、ラヴの行方とおりんの成長物語が楽しめます。 そしてやはりなんといっても背景となる世俗史観が丹念に描き込まれているのが素晴らしかった〜 生き生きと瑞々しい時代の息吹を感じることができました。
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ヒナギクのお茶の場合 / 多和田葉子
ヒナギクのお茶の場合
多和田 葉子
新潮社 2000-03
(単行本)
★★★★

多和田葉子さんはハンブルグに在住し、日本語とドイツ語で文学活動されている。 気にかけていた作家さんだったが読むのは初めて。 本作は主に現代ドイツが舞台の短篇集で、擬似エッセイ風の作品と寓話風の作品が織り交ぜられた無性に魅惑的な、個人的にはストライクゾーンど真ん中の一冊となりました。
なんだろう・・北ドイツの空気を想わせるような、ひんやりとした透明感に包まれた現代ヨーロッパのビビットな背景と、その中にふっと溶け込んでいる可笑しみのエッセンスと幻想味。
長距離列車の旅と小説を書くことを二重写しにして描いたような、一作目の「枕木」に象徴されるように、どの作品も動的なイメージ。 絶え間なく動き、現れては消えていくような。 でもその中にストップモーション的な描写の美しさもあって、残像がくっきりと残るのです。 大都市の水路を貸しボートに乗って流されていく風景の涼しさとか、何十何百もの落ちた林檎が発酵していく甘酸っぱい小径に広がった、芳醇で静かで少し寂しい気配とか・・
文章表現も独特の肌触りとリズム感とが雅で、でもそれ以前に感性の研ぎ澄まされ方が半端なくて。 なんだかこう、イマジネーションの原石が美しく磨き上げられる様子を見ているような気がしてくる。 この作品の良さや読んで感じた気持ちをアウトプットできないのが辛い・・ えもいわれぬ、ならではの世界なのでした・・ひたすらに。
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