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雨の塔 / 宮木あや子
雨の塔
宮木 あや子
集英社 2007-11
(単行本)


舞台設定が恩田陸さんの「麦の海に沈む果実」みたいで、こういう世界は大好き。 淀んだ空、灰色の海、岩壁に打ちつける波、港町・・ 北陸の方のイメージなんだけど、どうなのでしょう。
陶器の人形のような4人の美少女のみで繰り広げられる閉ざされた別世界。 痛々しさというよりは、怠惰な憂鬱っぽいのかなぁ〜 いや、それよりも読後感は“怖い”だったかも。 ネガ写真を観ているような不穏な気配がぞわぞわとなかなか去ってくれなかったのです。
読んでる途中、頽廃の香りや気だる感は、もっと人間に深みが出るお年頃でないと難しいんじゃないかってチラっと思ったんだけど、さらに読んでいると、なんだろう・・このチグハグな感じ? 玩具めいたチープさというか、ヒロイニズムに酔いしれているような甘々ちゃん的な底の浅さが、かえって少女期特有の魅力を引き出しているのかなぁ〜なんて思ってしまったりして・・
青空の写真を切り取ってコラージュして壁に貼っている少女がいて、偽物の青空が壁を侵食していくような怖さっていうか、境界線上で綱渡りをしているような危うげな感じなのだけれど、でも全てが薄っぺらいんだよね。 おそらくは確信犯的に。 このアンバランス感、壊れ方が妙に怖いっていうか、それよりのっぺりと病んでるっていうのかな。 そこに何故か惹き込まれてしまうものがあるような。
食生活の描写が結構出てくるんだけど、ケーキかお菓子か冷凍食品。 あと煙草。 煙草も苦さというより甘さ。 上手く言えないんだけど、背景のゴシック的なゴージャスさと少女たちの希薄さが相俟って、レプリカめいた耽美さが少女小説としてなんともいえないムードを醸し出している感じ。 そしてやはり折々の描写が感覚的で綺麗。 宮木さん、やっぱり只者じゃないかも。
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楽しい古事記 / 阿刀田高
楽しい古事記
阿刀田 高
角川書店 2003-06
(文庫)
★★★

またまた阿刀田さんの古典鑑賞読本シリーズ。 今回は古事記。 やっぱり上巻の神々の時代の破天荒な大らかさが良い。 次々と登場する定番のエピソードは何度読んでも飽きないから不思議。 地上の摂理が神々の取り引きや所業の結果として物語に組み込まれ、巧みに説明付けされているのも、神話ならではの面白さ。
芥川龍之介が「老いたる素戔鳴尊」という短篇を書いてるらしい。 オオクニヌシがスサノオの元から娘のスセリヒメを奪取する場面は大好きで、2人を見送る姿に大人になったスサノオを感じて、ついうるうるしてしまうんだれど、この辺りの心情を見事に描き切っているようで、スサノオファンとしてはそそられる。
そしてなんといっても“国譲り”の箇所が一番面白かった! 神話の中に潜む真実性を鋭く掬い取って、高天原と出雲王朝の攻防を非常に興味深い考察を交えて読ませてくれた。
中巻から下巻へかけて時代が下っていくと、どんどん複雑に絡み合い、人間臭く血生臭くなってきて、ちょっと食傷気味になってしまうんだけれど、本書は“楽しさ”を重視して書かれているので、系図や地名など、小難しい部分が気持よいくらいにバンバン省かれていることもあって、物語性に富んだエピソードなどを中心に、感触が掴みやすく、最後までぐいぐい読めた。
古事記は天武天皇の発案で、大和朝廷が如何に正統かを誇示するために後追いの形で作られた史書で、大和朝廷に都合よく、また天武天皇におもねって歴史を創造したきらいがあるのも“楽しく”紹介されている。 年代の辻褄を合わせるためか百歳超えの天皇がばんばん出てくるし、長い期間に渡り様々な人物の手で行われた遠征や討伐をヤマトタケルに集約し“大和朝廷の英雄”を生み出したり、天武天皇を意識してか、有能な弟が兄の上に立つエピソードが実に多かったり^^ 史書のかたちを取った壮大な民話というか・・民族の古典として純粋に楽しみたいなぁ〜と個人的には思うし、阿刀田さんもそういうお立場でお書きになっていたように思う。
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うたかたの日々 / ボリス・ヴィアン
うたかたの日々
ボリス ヴィアン
早川書房 2002-01
(文庫)
★★

[伊東守男 訳] なんていうか・・そこそこ幻想ものを読んでる気になってたけど、まだまだだなぁ〜と思う。 古典的な名作に対してこんな表現もおかしいけど、新感覚の読書体験。 作家の感性の途方もなさを思い知らされる。 解説は小川洋子さん。 この作品にぴったり。 読後のとめどない想いを的確に言葉に変換してくれて、殊更に何か書く気も起きないのだけれど・・
最初、物語に上手く入り込めずに戸惑ってしまった。 でも読んでるうちに頭より身体(というか細胞というか)が先に入り込んでるような感覚に捕らわれて、ちょっとゾクッとした。 固定観念とか“物語を読むぞ!”っていう気合や期待や先入観をできる限り取り除いて、頭の中を空っぽにして何時かもう一度読みたい。
太陽の光の粒子が散りばめられ、煌きに満ち、ブギウギのリズムに乗って踊るようなビビットで甘い世界が、少しずつグロテスクに歪んで破滅へと突き進む過程が、痛くて儚くて苦しくて・・でも美しくて瑞々しい。 多分、主人公たちのピュアさが損なわれないどころか、研ぎ澄まされていくからなんだと思う。 ある意味“滅びの美学もの”かもしれない。
作中の登場人物に“人間は変わるもんじゃない、物が変わるだけだ”というような言葉を喋らせているのだけれど、一貫してそういうスタンスの描かれ方がなされているように感じた。 シンプルな人間性と複雑に蠢く物質や世間を軽々と諧謔に包み込んで映し出す。 この軽々しさ可愛らしさが無性に痛くて胸が詰まる。 リアルを排除することで、浮かび上がってくる正真正銘の真実を掬い取っているかのような・・純度の高いエッセンスのシャワーを浴びたような感じ。
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時を巡る肖像 / 柄刀一
時を巡る肖像
−絵画修復士御倉瞬介の推理−

柄刀 一
実業之日本社 2006-11
(単行本)
★★

[副題:絵画修復士御倉瞬介の推理] イタリアの美術修復学校を卒業し、システィーナ礼拝堂のフレスコ画修復チームに大抜擢され(これってミケランジェロの“最後の審判”のことですか?)、そこで得たキャリアを手土産に、帰国後フリーの絵画修復士として身を立てる御倉瞬介。 彼が探偵役となり、仕事上で遭遇する絵画と隣り合わせの事件を解き明かしていく連作集。
留学時代に知り合ったイタリア人の妻と死別してしまったことが、瞬介にどこか憂いの影をまとわせている。 遠い日本の地で、忘れ形見の息子と共に過ごす慎ましく静かな日々にさざ波が打ちよせる・・ この設定、乙女を擽ります!
トリックや理詰めの推理といった本格路線で展開されていくので、肩が凝ってしまうかといえばそうでもなく、起こる事件はそれぞれに巨匠や名画の精神性、ルーツなどと絡められていて、薀蓄系ミステリとして楽しめるところが、個人的には美味しかったです。
キュビズムに至るピカソの天才ゆえの苦悩と孤独。 故郷を慈しみ、新しい光の時代に燦然とその軌跡を残したフェルメール。 衰えていく視力の中で絵を描き続けずにはいられなかった晩年のモネ。 宗教画や貴人の肖像画が絵画の存在意義であった時代に、西洋絵画史上はじめて自画像や風景画を描き、芸術に挑戦し続けた北方ルネサンスの巨星デューラーなど。
対象物への愛や画家としての尊厳や業の深さ・・ 巨匠たちの想いが見事に舞台装置に昇華され、彼らの亡霊が空気に溶け込んでいるかのような濃密感。 全体的にどこか静かで、でも狂おしいほどに内面的で、この雰囲気けっこう好きだったなぁ。
ラストに加えられた書下ろしの短い一篇は、僅かに推理から離れて幻想的な雰囲気をまとっていた。 この一篇によって、物語に深遠さが増して、美しく切ない余韻を残す効果を上げていたように感じられる。 本格の読者さんだけではなく、何気に小池真理子さんとか皆川博子さんとかお好きな方に、受け入れられそうな贅沢な上質感があったと思う。
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エロスに古文はよく似合う / 阿刀田高
エロスに古文はよく似合う
阿刀田 高
角川書店 1988-10
(文庫)
★★★

阿刀田さんの古典鑑賞読本シリーズは何冊か手を出しているのだけれど、まいどまいど非常に面白い。 本書は今昔物語集読本。 ユーモラスでシニカルで、軽妙洒脱のお手本のような語り口。 癖になるわー。
今昔物語関連本はチョロチョロ漁っているので、何処かで一度は触れた話が多かったと思う。 千余話の収録数を誇るというけれど、作家さんの目に留まるのは、ほんの一部の選りすぐりということなのかしら?
後の作家さんが翻案を手懸けた作品がいろいろ紹介されていて、軽く挙げてみると、谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」、堀辰雄の「曠野」、芥川龍之介の「好色」「偸盗」「運」「羅生門」「藪の中」などなど、原話のモチーフをどのように活かし、どのように心理を掬い取り、どのようにオリジナリティを加えて、現代人が読むに堪え得る文学へと昇華させたか等々、詳細に紐解いてくれるのでとても興味深く読めた。
しばしば脱線して、例えば“月にはうさぎがいる”という伝承の元となった天竺篇の中の逸話のところでは、月にまつわるアメリカやドイツの民話が紹介されたり(このドイツの民話が可愛い〜)、翻案ではないけれど原話を読んで想起させられる古今東西の佳篇を紹介したり、時事ネタ(当然ながらちょっと古い;;)と絡めたり、バラエティに富んでいて飽きることがない。
一見ユーモラスな説話の中に、貴族社会の端々にひたひたと台頭し始めた武士の影を感じ取ったり、震旦篇の春秋時代の荒唐無稽な説話の中に、鉄の伝来のエピソードが潜んでいるかもしれない等々、裏読み的な薀蓄も冴えていて楽しい。
洗練された物語を紡がれる阿刀田さんは、今昔物語に関しても、小説性という観点で論じ、お書きになっていたと思う。 “小説”として読めばあまりに未熟で、はっきり言って面白くないと言明までされている。 “物語小説”の良き読者とはいえないかもしれない自分にとっては、この荒削りで茫洋とした感じ、“小説”になる前の原石のような味わい深さが、端正な物語に匹敵するくらい好きなのだけれど・・ と、ちょっと小さな声で抵抗を試みたくもなったり。
貴賎の別を問わず、ありとあらゆる階層を網羅し、さらに当時の大和民族にとっては世界の全てであった、震旦(中国)、天竺(インド)の説話まで汲みいれて編纂された、この壮大だけれどごった煮のような説話集には、やはり激しく心惹かれてしまうのだ。
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雪女郎 / 皆川博子
雪女郎
皆川 博子
読売新聞社 1995-12
(単行本)
★★★

現実と幻覚、正気と狂気の狭間で妖しく饗される魔宴のような6篇の短篇集。 作家さんが独りで酔いしれてしまっていて、読んでると逆に引いてしまうような幻想小説って稀にあるけど、皆川さんのはそれと対極にあるような感じがいつもしている。 書いてるご本人は凄く醒めた意識下にあるんじゃないかというような。 だからこそ読者は心置きなく誘われ、もてなされ、酔わせてもらえるんじゃないかと。
みんなよかったのだけれど、2作目から4作目の頽廃的な香りが好き。 特に一番よかったのは2作目の「少年外道」。 冥府へ旅立たんとする鶴屋南北が語り部となり、若き日の記憶を辿り回想している。 南北の絢爛たる悪の世界が凝縮されたようなこの短篇は、先にお書きになった「鶴屋南北冥府巡」に連なる物語として息衝いている。 「吉様いのち」では御出木偶芝居の徒花的色香に、「闇衣」では物乞いたちの夜宴の妖美さに惹き込まれクラクラした。
1話目の「雪女郎」とラストの「夏の飾り」は、意図的なのか共通性のあるシチュエーションの幻夢譚。 読み終えるとぐるっと廻って小説世界がシンクロしていくような幻惑感を味わえる。
90年代前半の作品が揃う中で5作目の「十五歳の掟」という一篇は、79年に発表された皆川さん初の時代短篇であるらしく、想い入れも深いようである。 皆川さんの時代小説は、濃密なのにさらりとした儚さや幻影的な感覚の世界で遊ぶような、ある意味どこか優雅な感じがするのだけれど、この初期の一篇は毛色が違うなぁ〜と思った。 心理サスペンス的な色合いが強くさらり感がない。 追い詰めて切り裂いてしまうようなシャープなド迫力が・・凄すぎる。
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ドクター・ヘリオットの猫物語 / ジェイムズ・ヘリオット
ドクター・ヘリオットの猫物語
ジェイムズ ヘリオット
集英社 2001-12
(文庫)
★★★

[大熊栄 訳] 北ヨークシャーの田舎町の獣医さん、ヘリオット先生と猫と町の人たちとの交流を描いた物語を集めた短篇集。 私小説・・というか、虚構を交えた自伝的作品と紹介されていました。 ヘリオット先生のシリーズは世界各国で愛され続けているのですが、読むのはこれがはじめて。 本篇は生前最後に刊行された作品集なのだそうです。
動物ものが実はウィークポイントで、特に悲しみを煽る系は絶対ダメで、用心深く避けてるんですが、ヘリオット先生は大丈夫でした。 しんみりするお話も少し入ってるんですけど、語り手を絶対的に信頼して読んじゃってるんです・・いつの間にか。
温かくて愛情に充ち満ちていて心が洗われます。 クスクス笑えて可愛くて癒されます。 そして、なんかこう・・品があるんですね。 ジェントルマンなんです。 言葉にしちゃうとなんか陳腐で申し訳ないんですが;;
ヘリオット先生はドクターであるわけなのですが、一飼い主、一動物好きの目線を大事にします。 気持ちがいつも飼い主さんや猫たちと一緒にあって、真正面から向き合って受け止めてくれる先生なのです。 もうずぅ〜と、ジワジワ泣いてました。 うぅ、ヤバいです。 可哀想だからじゃないんです。 温もりが沁みて沁みてどうしようもないの。
50年代頃なのでしょうか。 町も人々もゆったりと長閑で牧歌的で。 登場するたくさんの猫たちは、一匹一匹がとっても個性豊か。 そんな猫たちに向ける先生や飼い主さんの親バカな眼差しが、笑っちゃうし泣けちゃうしで顔がくしゃくしゃです。 素直に気持ちよくハートフルな作品、久々に読んだかも。
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夜明けの縁をさ迷う人々 / 小川洋子
夜明けの縁をさ迷う人々
小川 洋子
角川書店 2007-09
(単行本)


シュール〜。 独特のストイックでスクエアでひんやりとした雰囲気。 なのに淫靡で猥雑でユーモラスで余韻があって・・不思議〜。 小川さんの研ぎ澄まされた感性の結晶のような物語たち。 9篇の短篇集。
曲芸師、エレベーターボーイ、涙売り、人体楽団・・特殊な能力を突き詰めてしまうような人や、黙々と淡々と規則正しく使命を果たすような人や、小川さんの作品に多くみられる、痛々しかったり哀しかったり滑稽だったり美しかったりする登場人物たちが、今回も揃っている。
あと最近の傾向なのかな? “喰えない”と“可愛い”のどっちともつかない爺さん婆さんが漂わせる可笑しみの仕込み加減が絶妙。 短篇集「海」の中の「風薫るウィーンの旅六日間」に登場したお婆さんが、わたしの中では今のところナンバーワンなのだけど、彼女に匹敵する可笑しみを湛えた爺婆が心を擽ってくれました。 「パラソルチョコレート」のお爺さんはもろ可愛い^^ 「ラ・ヴェール嬢」のお婆さんも曲者ですね〜 いい味出てます。 なんや・・爺婆品評会になってきてしまいましたが;; 個人的に脱線しているだけですから。 そういう話ではないですから。
「曲芸と野球」「パラソルチョコレート」の仄かな温もりもよかったし、「再試合」の解き放てない濃密な狂気の中に懸命に立っている感じもよかった。 すごく気になってしまったのが「銀山の狩猟小屋」。 コレもう生粋のホラーとして読めてしまう。 外から鍵を掛けられた密室で怪しいJ君(怪しくていいんですよね??)に抱きしめられるところがすんごく怖かった。 ムードも満点。
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不機嫌な恋人 / 田辺聖子
不機嫌な恋人
田辺 聖子
角川書店 1989-09
(文庫)


久々の平安♪ 王朝を舞台にしたハーレクインロマンス?! 田辺聖子さんもあとがきで宣言しておられるとおり、ずばりストレートに“恋”をテーマにした作品かなと。 しかも「王朝懶夢譚」のような可愛らしい感じではなく、こちらはかなり大人チックな心理に趣きが置かれていて、甘さ控えめビターな仕上がり。
平安人なので刹那的というか・・後先考えずで、その場凌ぎな人々ではあるのだけれど、駆け引き、本音、プライド、甘え・・複雑な女心男心が時代を超えてズキズキと響いてきた。 悲しいくらい何処までもすれ違っていく心と心に、読んでいて漠然とした不安感や心許なさ、やるせなさが募っていく。 なのに少将と小侍従が見せてくれたラストシーンのえもいわれぬ滋味といったらどうだろう。 全てはここへ繋がるためだったのかと思えるほどに。
市の雑踏や参籠の様子、淫祀邪教や盗賊絡みの場面など、宮廷の内部で終始してしまわずに、御簾を出て外気に触れながら展開されていくので、少人数の内面的、精神的なお話なのに、風通しがよい感じがして息苦しくならない。 また、調度品や衣裳の細やかな描写、特に香草などを調合して練香を作る場面の典雅な情趣に惚れ惚れさせられた。 贅沢なひと時でした。
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猫探偵カルーソー / クリスティアーネ・マルティーニ
猫探偵カルーソー
クリスティアーネ マルティーニ
扶桑社 2007-12
(文庫)


[小津薫 訳] ヴェネツィアが舞台の猫ミステリ。 野良猫たちが自分たちの街と暮らしを守るため、殺人事件の捜査に乗り出します。
ストーリーは、正直物足りないのです。 でも、ゴンドラや運河や路地、ロマンティシズムと音楽の都ヴェネツィアと、そこに暮らす猫たちを作者は愛しているんだろうなぁ〜というのが伝わってきて、なんとも憎めない作品。 猫たちが駆け回りながら通り過ぎていく街々の風景なんかも折々に紹介されるので、観光小説としても楽しめる一冊。
ヴィヴァルディの秘宝の謎など盛り込まれてるんですが、その辺はあんまり・・^^; 猫視点、猫流儀、猫の勘で物語が終始しますので、かなり乱暴というか強引です。 いっそアンチ・ロジックみたいな楽しさをそこに見出してしまいそうです。
マザコン猫やワル猫やプレイボーイ猫や娼婦猫や、もう猫、猫、猫・・って感じで。 ボス猫のカルーソーが“雌猫そして雄猫諸君”と演説打つのも、なんだかローマ皇帝みたいで絵になっちゃってます^^ しかも音楽の都の猫たちは歌うんです♪ “運河ネズミ”という巨大化した凶暴なネズミたちに、しばしば痛めつけられたり、目先のことしか考えられないので、捜査そっちのけですぐ寄り道して脱線しちゃうのも誠に可愛い。
巻末の解説によると、このヴェネツィア猫たちの活躍する物語はシリーズになっていて、原書では2007年時点で3作が刊行されているとのこと。 猫たちの活躍と共に、ヴェネツィアという都市のさまざまな側面を切り取って見せてくれているそうです。
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