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イトウの恋 / 中島京子
イトウの恋
中島 京子
講談社 2008-03
(文庫)
★★

イギリス・ヴィクトリア朝の女性旅行家、イザベラ・バードの著作「日本奥地紀行」に着想を得て生まれた作品。 彼女の通訳として、維新の時代の北日本を共に旅した伊藤鶴吉という日本人青年は、バードの著作の中にも“イトウ”という名前で度々登場しているらしい。
また彼は後に、新旧の狭間のようなこの時代固有の文化の中から生まれた、“外国人向け個人ガイド業”で、時代を担った人物として名を残したようだ。
本書は、この日本人青年を“伊藤亀吉”として、イザベラ・バードを「秘境」という著作を残した“I・B”として蘇らせ、実在の2人からは、少しスピンオフした、純度の高い架空の恋の物語を紡いでいく。
日本古来の風俗、自然にまみえる旅路には、日常では得難い特殊な磁場が働いているかのよう。 世間一般の観念から解放されて、純粋に個人対個人がぶつかり合って、絡み合って、紡ぎ出される濃密な時空間。 罵る言葉さえもが息苦しいほどに匂い立ち、豊かな気配を漲らせる。
この時代にこの場所で・・という一期一会の出逢いを叶えた2人。 でも同時に、それはやはり、“秘境”の中だけにしか存在しえない、夢物語であるという重い現実。 秘境の結界が破られてしまえば、押し寄せてくる人種、国籍、宗教、文化の違いがもたらす偏見と差別。 西欧と日本の間に歴然とそびえ立つ分厚い壁に対して、素手で立ち向かおうとするかのような青年の激しさ、危うさ、傲慢さ、肥大しきってはち切れんばかりの自意識、一途さ、打てば響く繊細さ・・そんなものが酷く甘美で眩しく、一回り以上も年上のI・Bを酔わせてしまったのではなかったろうか。
亀吉の手記という体裁をとって亀吉の言葉として語られるので、I・Bの胸の内は記されていないのだけれど、なぜか不思議と、I・Bの内面にどんどん惹きつけられてしまうのだった。
何かに導かれるように、伊藤亀吉の残した古い手記を追っていくことになる男女。 現代を生きる郷土部顧問の中学生教師と女性劇作家の触合いが同時進行していく。 イトウとI・Bの恋が切々とした詩情を湛えているのに対して、こちらは、なんともユーモラスで仄々とした展開。 この緩急というか、温度差というか、トーンの描き分け方も見事だったが、古の恋物語に少しずつ共鳴していく現代人の、そのささやかな響き合い、微かな手応えが、温もりとして残る読後感もよかった。 懐の深い作家さんなのだろうなぁ〜と思わせてくれました。
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陰陽師 飛天ノ巻 / 夢枕獏
陰陽師 飛天ノ巻
夢枕 獏
文藝春秋 1998-11
(文庫)
★★★★★

陰陽師再読企画、第2弾。 戻ってきたくなくなりますねぇ。 ため息出ちゃいます。 晴明と博雅の掛け合いなんて、もうこれさぁ〜 じゃれ合ってるでしょ! って思ったら、獏さんが本文中で書いちゃってました^^; じゃぁ、イチャついてる!って書いちゃうよ。ふふ♪ だってそう見えるんだもの。
第二話の濡れ縁の場面では、唐土渡りの葡萄酒を瑠璃の盃で酌み交わしていたり、藤の精、木犀の精、萩の精・・四季折々の美しい式神たちがこの巻には勢揃いしていました。
「鬼小町」は、能楽の「卒塔婆小町」へのオマージュなのでしょうか。 激しく渦巻く桜吹雪の只中で、狂い踊る鬼の姿を描くラストシーンは、あまりに鮮烈。 なんか・・能っぽいですよね。 ゾクゾクします。 この巻の中でも最も印象的な場面。
今昔物語中の逸話の後日談のような「陀羅尼仙」も好きでした。 人の業の深さが哀れであり、だからこそ無性に愛おしくなります。
「露と答えて」もよかった。 ある意味、番外編・・っていうか、ちょっと毛色が違う作品ですが。
白玉か何ぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを
「伊勢物語」の中に出てくる、この非常に業平的な和歌とその裏の真相が、ちょっとした事件のヒントになっています。 宮廷サロンの風雅の道は実に奥深いのです。 博雅などはちょっとタジタジ気味なんだけど、業平的な漢はやや苦手なので、博雅の大らかさは何にも代え難い宝のように思えてしまうのです。
今回の巻では、博雅像を探る試みにページが割かれています。 今昔物語の中には、意外にも博雅の逸話は2つしかなかったのですね。 “博雅が生まれた時、天に楽の音が響いた”とか、博雅の奏でる葉二(鬼と交換したと言われる高名な横笛)の音色によって、人や鬼や天地を感応させる数々の逸話は、「続教訓抄」「古今著聞集」「十訓抄」などから拾い集められたものでした。
特に獏さんが注目しているのは、自分の稀有な才能に対して博雅という漢、相当に無頓着なのではないかと思えるところ。 存在そのものが、和みであり癒しであり、まるで天衣無縫のような人物なのです。 獏さんオリジナルの朴直でお人好しで可愛らしい博雅と無理なくシンクロして見えてくる幸せよ・・
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あやつられ文楽鑑賞 / 三浦しをん
あやつられ文楽鑑賞
三浦 しをん
ポプラ社 2007-05
(単行本)
★★

三浦しをんさんの文楽鑑賞記。 初心者のための文楽読本って感じです。 面白かったー^^ 文楽って何? というレベルで読んでしまって大丈夫です。 そういう人にこそお勧めと思う。 実は「仏果を得ず」が気になってるんですが、ど素人でいきなり文楽界を描いた小説を楽しめるのか? と、ちょっと尻ごみしていたので、本書は打って付けでした。 というか「仏果を得ず」のパイロット版(?)みたいな意味合いも込めて出版されたのかもしれません。
有名な演目の解説や、楽屋を覘いたり、演者さんへのインタビュー、東京や大阪での定期公演だけではなく、愛媛の内子座(江戸時代の風情を残した古い芝居小屋なのだそうです)にまで足を運んで上演の様子をレポートしたり、そこへ更に、しをんさんの愛あるボケやらツッコミやらが炸裂して、文楽を満喫している悦びが伝わってきます。
「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助の厭らしい“溜め”とか、ニヤリとさせられるし、「山崎街道出合いの段」の斧定九郎って、初代仲蔵が演じて当たり役を取ったという、あの定九郎? ひょぇ〜 こんなこんなチョイ役だったんかぁい。 などと、いちいち感嘆してました。
テレビドラマの「忠臣蔵」の、ただただ武士道精神への賛美を煽るような、泣かせますよぉ〜的な脚本が苦手だったんですけど(ごめんなさい、最近はどうなのか知りません・・)、忠義心を示さなくてはならない苦悩や虚しさが、しっかり描き込まれていて、むしろそこが「忠臣蔵」の醍醐味だったなんて。
近松門左衛門作の「女殺油地獄」は、しをんさんが最も傾倒していた感があったせいかもしれませんが、相当に心揺さぶられるものがありました。 近松ってやっぱり凄いです。 南北や黙阿弥関連の小説には、接したことがあるんですが、“もんもん”(←しをんさんが勝手につけた近松のあだ名w)とも、俄然、お近づきになりたくなりました。
あと、すっごく面白かったのが落語の中に登場する文楽^^ ジャイアンリサイタルを彷彿とさせる素人義太夫の傍迷惑ぶりが最高でした。 でもそれだけ文楽が生活に溶け込んでいて、人々に愛されていたんだなぁ〜と思えて、少しジンとくるのです。
文楽は、能や歌舞伎と違って、世襲制があまり強くないということも驚きでした。 本書の第1章は、三味線の鶴澤燕二郎さんへのインタビューで始り、最終章は、その燕二郎さんの、六世鶴澤燕三・襲名披露公演のレポートで幕を閉じます。 六世燕三さんは、家柄を持たない研修所出身者として文楽の世界に迎え入れられ、紛れもない実力で偉大な名跡を継がれたことに、そして五世燕三さんとの静かで熱い師弟の絆に胸がいっぱいになって、本を閉じたのでした。
読む前は、何でしをんさん、歌舞伎ではなく文楽? って思ってたんですけど、読んでみてなんとなく理解しました。 歌舞伎というのは、“人ありき”なんですね。 なんてったって役者さんという花形が存在するんですから。 文楽というのは、もうちょっとストイック?な感じ。 うまく言えないんだけども。 語り(義太夫)と音(三味線)と動き(人形遣い)という三要素が融合して、入れ物でしかなかった人形に魂が吹き込まれるということに、読んでいて、エロティックなくらいゾクゾクしてしまったし、その感覚がえもいわれぬ恍惚感に変わる瞬間があって、そこへ落ちてしまったんだろうなぁ〜。 しをんさん、幸せ者だなぁ〜と思いました。
専門知識で押してくるのではなくて、鋭敏な感性で勝負しているエッセイなので、素人をも引きずり込む吸引力が凄いです。
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新釈遠野物語 / 井上ひさし
新釈 遠野物語
井上 ひさし
新潮社 1980-10
(文庫)
★★★

ずっと昔に読んだはずですが、遥か忘却の彼方でした。 最後の愉快などんでん返しさえも、きれいさっぱり抜けていたのは、もはや幸運。
タイトル通り、「遠野物語」を下敷きに、遠野近郊に伝わる民話・説話の世界を井上ひさしさん流に再構築した連作物語集。
「遠野物語」が、遠野出身者の佐々木鏡石氏の語った内容を柳田国男が、簡素な文体でまとめ上げた形だったのに対して、こちらは、語り手となる犬伏老人と、聞き手となる青年“ぼく”のやりとりをそのままのスタイルで“ぼく”が書き留めたという体裁を取っています。 なので、より小説的になっていると同時に、これこそが民話が伝承される原風景なのだなぁ〜と感じさせられ、受け継がれる瞬間に立ち会わせてもらっているかのような味わいが残ります。
「遠野物語」の序文にはこんな一文があります。
鏡石君は話上手には非ざれども誠実なる人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。
対して本書では・・
犬伏老人は話上手だが、ずいぶんいんちき臭いところがあり、ぼくもまた多少の誇大癖があるので、一字一句あてにならぬことばかりあると思われる。
とあり、すっかりパロディになっていて笑えます^^
また、「遠野物語」の名文句
願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。
の部分は・・
平地人の腹の皮をすこしはよじらせる働きをするだろう。
と気弱げなのがナイスです。
馬と人間の娘が愛し合う話や、赤い顔をした河童の話、狐に化かされる話、沼の主の話、予言者の話、山男に追われる話、助けられる話などなど、山間部の大自然や獣たちや土着の神々との交わり合いなくしては生活が成り立たない、「遠野物語」の世界観をそのままに、物語性豊かな“小説”へと昇華させ、さらに「遠野物語」にはなかった艶っぽい部分も加えられ、民話の故里が活き活きと蘇ります。
主人公の青年“ぼく”は、若かりし日の著者自身がモデルのようで、大学を休学し、遠野近在の山奥の診療所でアルバイトをしていた時期が本当にあったらしいです。 本書の舞台となる昭和28年〜30年と同時期なのかもしれません。 アルバイトの傍ら、山中の岩屋に住む謎多き犬伏老人から、老人の過去に繋がる様々な話を聞く・・という趣向なんですが、それにしても、一話毎に犬伏老人の職業が変わりますし、なんとも重い過去を幾つも背負っておりまして、やはりちょっぴり胡散臭げといいましょうか・・まぁそこがミソなんですから 笑
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花合せ / 田牧大和
花合せ
−濱次お役者双六−

田牧 大和
講談社 2007-10
(単行本)


[副題:濱次お役者双六] ネット上で時代小説を発表していたという新人作家さんだそうです。 文政期の江戸。 木挽町の森田座の大部屋女形・梅村濱次が、変化朝顔の行方不明事件に巻き込まれて、謎を追っていくうちに・・といった風な、日常の謎系っぽいミステリ仕立て。
ラストが、え? って感じで、なるほど、言われてみればあちらこちらに伏線が張ってありました。 ところどころ展開が乱暴な気がしていた部分も腑に落ちて、上手く纏まっているなぁ〜という印象。 一見コアなフィールドなんだけど、歌舞伎界隈の薀蓄などは殆どなく、ハートウォーミングな雰囲気に包まれていて読み易く、読者を選ばないのではないかと。
濱次は、すっきりとした色気のある様子のいい女形で、才能にも恵まれているんだけれど、人間関係が希薄というか、淡白でスマートすぎちゃうところがあって、その部分が克服できれば“化ける”こと間違いないのに・・と、温かい目で見守っている師匠や座元や贔屓筋から、ちょっとヤキモキされています。 そんな濱次が、朝顔事件にかかわりながら、少しずつ他人の心に触れて、感性を磨いていくという、主人公の成長物語としても読めそう。
江戸ものを読んでいると、変化朝顔の熱狂ぶりにしばしば出くわしますが、熱に浮かされたような人々がたくさん居たんでしょうね。 長安の牡丹を彷彿とさせるような。
花の色や形など、ファッションのように目まぐるしい流行り廃りがあって、盛んに品種改良されていたようなんだけれど、特に朝顔の変化花を作り出すことに取り憑かれた人々の情念が、江戸の空気中にゆらゆらと漂っているかのようでした。
全体を通して、着物の紋様や色遣いの表現がすっごく沢山出てきました。 美しかったので挙げてみると・・
浅葱の小袖に二藍の帯、梅幸茶の絽の小紋、梅鼠の小袖、木賊の渋い緑の小袖、朱鷺色の小袖と吉弥に結んだ臙脂の帯、浅縹の小袖、藍下黒の光沢のある絣、小豆色の小袖、七代目団十郎の“かまわぬ”の藍染の浴衣、青朽葉の絽の着物、一斤染の小花小紋、鉄紺の着流し、葡萄色の小袖に褐色の帯、滅紫の小袖、紫苑の小袖に脂燭色の帯、柿渋色の小袖、深川鼠の小袖、東雲色の小花小紋
などなど。 ほんと沢山! これらの色合いが、様々な変化朝顔と呼応して、江戸町人文化が放つ、艶やかな色彩となって醸し出されているようでした。
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オリガ・モリソヴナの反語法 / 米原万里
オリガ・モリソヴナの反語法
米原 万里
集英社 2005-10
(文庫)
★★

表紙キレイ〜♪ 米原さんは、ノンフィクション、エッセイなどで多くの名著を残されていますが、本作品はソビエト連邦現代史の真実に肉薄した“小説”です。
少女時代をチェコ・プラハのソビエト学校で過ごした日本人女性、弘世志摩が、30年の時を経て1992年、ソ連崩壊後のモスクワを訪れる。 志摩がソビエト所縁の人たちと共に過ごした60年代は、スターリンの死後、“スターリン批判”を経て、フルシチョフの“雪解けの時代”に差し掛かっていた時期。 その当時、多感な志摩の胸を揺さぶり、その後いつまでも居座り続けた想いや謎が、旅の道程で解き明かされ、詳らかにされていきます。
懐かしい恩師や旧友や初恋の少年の抱えていた苦悩や、知られざる過去の真実を紐解こうとするうちに、30年代後半から40年代(スターリン時代)の圧政の渦に呑み込まれ、数奇な運命を辿った人々の心の叫びがリフレインされ、ソ連という国家の深層部へとメスを切り込んでいくこととなる過酷さ。
ソ連人で、スターリン時代の粛清に無関係でいられた人は皆無に等しいというほどの深く果てのない恐怖政治の闇が、真実に近づくにつれ、容赦なく立ち現れてきて、読んでいて胸が塞がれる思いなのだけれど、物語のトーンは決して暗くない。
希望と不安が綯い交ぜとなった船出ではあるけれど、虐げられた人たちの声が、少なくとも社会の表舞台へ掬い上げられ始めた民主化ロシアの息吹を感じたり、独裁体制下のラーゲリで、懸命に前向きに生きようとした人たちに敬意を払いたくなるような、温もりと強さを湛えている物語。
ロシアという国は、伝統的に踊り子の国なのですね。 普通の市民が地元のダンス教室の発表会を凄く楽しみにしていたり、そもそも日本とは、ダンサーの需要そのものが圧倒的に違うのだろうし、踊りが生活の中に活き活きと根付き、大衆と共にあり続ける土壌があるからこそ、人々を魅了して止まない超一流のプリマドンナが誕生し得るのでしょう。
ロシアと日本のことわざや比喩表現などの言語比較も、それとなくあちこちに盛り込まれていて、民俗文化的なエッセンスが芳しい作品でもありました。
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アイの物語 / 山本弘
アイの物語
山本 弘
角川書店 2006-06
(単行本)
★★

[李夏紀 挿画] 数百年後の未来。 美しいアンドロイドが人間の青年に物語を聞かせるスタイルで、7篇の作中作を編み上げていくという構成は、まるで千夜一夜物語のような情趣。
語られるのは、20世紀末から21世紀初頭頃(つまり現代ですが、作中ではかなり昔ってことですね)に人間が作った、仮想現実の世界やアンドロイドに纏わるSFファンタジーで、古めな自分は、旬のサブカルっぽさに時々置いてけぼりにされましたが、いやぁ〜新鮮だったなぁ。
巻末の初出を見ると、短篇として発表された作品と、ラストの2篇が書き下ろし。 各短篇毎のインターバル、プロローグやエピローグを書き加え、長篇に仕上げたということでしょうか。 後付けでアレンジされたのだとしたら、センス凄いです。
どの短篇も健全過ぎるくらいのお話なので、実は途中、こんな感じね・・みたいな思い上がった気分になってしまったんですけど、読み終えれば、清らかで正しい物語が集められていたことにはこんな想いが込められていたのか〜と、胸が熱くなります。 最後に語られる真実の断片が、どの物語にも埋め込まれていたことに気付かされ、全ての物語が再び息を吹き返し、胸に刻み直されるような気持ちになります。 奥深いです・・
「ブラックホール・ダイバー」が好きでした。 ちょっと翳りを帯びたお話で、途方も無い孤独と静けさが、打ちのめされるほどに美しく・・ さらに、ラストの“真実”へとシンクロしていく、ダイナミックに突き抜けた部分とのコントラストが絶妙で。
今日、地球の覇者となり君臨する“ヒト”という生命体の本質、その可能性と限界の捉え方が素晴らしかった。 高度な知能を持ちながら、世界を平和に導くことのできるAIには、種の保存の本能が組み込まれていないということが、興味深かったです。 種の保存の本能というのは、それがなければ、種を繁栄に導くことはできないけれど、利己的な一面が働きすぎれば、その種を滅びヘ導く可能性さえ秘めかねない。
まるで藍と青のことわざのようなヒトとAIなのですが、ヒトの驕りを戒めると同時に、その果てしのない想像力には、何かしら未来を切り開く鍵が隠されているという、力強いメッセージを受け取った気がしました。
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マーティン・ドレスラーの夢 / スティーヴン・ミルハウザー
マーティン・ドレスラーの夢
スティーヴン ミルハウザー
白水社 2002-07
(単行本)


[柴田元幸 訳] 19世紀末から20世紀初頭のニューヨーク。 電気や電話が普及し始め、ビルが建ち始め、地下鉄が動き出し、社会が急激な近代化に晒されて、構造的未来像を模索しているかのような・・ 一種異様な熱気に浮かれた空気は、寓話的な物語の中にしっくりと嵌り、強烈な時代のにおいを放ちます。
葉巻商の家に生まれた青年が、とんとん拍子に出世して、次々と夢を叶えていくストーリーに、いつの間にか知らず知らずのうちに、幻想的な色彩が滑り込んでいて、それが主人公マーティンの危うさと混ざり合っていく終盤が凄いのです。 めくるめく怒涛のような異空間の描写力に圧倒されてしまいました。
マーティンの究極の夢、都市の中の都市として自己充足しているホテル。 全てが網羅され、完結された小宇宙は、結局マーティン独りのものであり、大衆をそこへ閉じ込めることはできないのかもしれません。
でも実業家ではなくて、チャレンジャー的資質のままに夢を追い求め続けたマーティンのような生き方も、それはそれであっぱれではないか、と、肩を叩いてあげたくなるようなエンディングも悪くありません。
でも、どうなんでしょうか。 マーティンは、時代を先走りすぎたというか、ポスト・モダンの先取りのような感じもしますし、また、住居ではなく、テーマパークとして捉えたならば、現代でも(現代だからこそ?)充分すぎるほど魅力的な気が。
とはいっても、それが住居であり、唯一無二の世界なのだとしたら、やっぱり引いてしまうし、生活の場とレジャーの場というのは、一体化させようとしたり、どちらか1つというのでは無理があって・・ 未来人がどう考えるかはわからないけど。 居住空間の未来ってすごく興味あります。
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陰陽師 / 夢枕獏
陰陽師
夢枕 獏
文藝春秋 1991-02
(文庫)
★★★★★

陰陽師シリーズ再読企画、始めてみました。 平安の雅な闇の世界です。 やばい。 やっぱり大好きです。 記念すべき第一話には、今昔物語の説話が5話くらい織り込まれていて、なんと贅沢な! と、今にして思いました。 そして獏さんもそうとう拘られているのだと思うんですけど、この第一巻の雰囲気を崩すことなく、変わることなく継承し続けている気がします。 わたしが今昔物語ヲタになってしまったのも、陰陽師のせいなのです。 もとの話がどんなだったか、誰がどんなリメイクを手がけたか、なんやらもう、頭の中ぐちゃぐちゃになってて、整理できなくなってますけども;;
野山の土地をそのまま唐破風の塀で囲ったような、ぼうぼうとした庭の四季折々の風情。 それを縁から眺める二人の漢。 酒を酌交しながら、訥々と語り合う密やかな佇まい。 藤の木、萱鼠、野の獣、屏風絵などの式神たち・・ 藤の木の式神である蜜虫は、第一話目で儚くなってしまうんですが、晴明は何気に彼女を気に入っていたようで、やがて復活させて、そばに置くようになりました。 だって一枝の花を咲き残して、晴明の帰りを待っていたなんて、健気ですもん・・ でも、それもこれもみな呪(しゅ)の力なわけですから・・ やっぱり晴明の深い孤独を感じてしまいます。 晴明にとって博雅は、唯一、呪をかけることなく、心を通わせ合える相手なのかもしれません。
この一巻目の一番印象深い情景は、四話目の「蟇」での百鬼夜行との邂逅。 幽鬼のような燐光を放つ唐衣裳を纏った女(式神)に先導されて、この世ならぬ陰態の闇の内を音もなく進む牛車・・ 禍々しくて美しくて、鮮烈なシーンです。
恋すてふ我が名はまだき立ちにけりひと知れずこそ想い初めしか
初読みの時はスルーしてしまっていたのですが、歌合わせに破れて、食事が喉を通らなくなって死んでしまった壬生忠見が、その時に詠んだ“恋すてふ〜”の歌を口ずさみながら、怨霊となって宮中をさ迷っている・・という話は、その断片が、皆川博子さんの短篇のどこかにも出てきたのを思い出しました。 “コイスチョウ〜”と始まるメロディのような歌の響きがずっと頭に残ってしまうんです。
「忠見どのは元気か」
二杯目の酒を口に運びながら、晴明が言った。
「ふむ。時おり、宿直(とのい)の晩に見かけるよ」
博雅が答えた。
---- 中略 ----
「なぁ、博雅よ」
「なんだ」
「こんど、酒を持って、ふたりで忠見どのの歌を聴きにゆこうか」
「とんでもないことを言うな」
博雅はあきれ顔で晴明を見た。
可哀想な忠見なんですが、晴明と博雅はこんな会話をしちゃってるんですよ^^ 女々しくて気弱げで、どこか憎めない怨霊ですけど。
ストーリーが一番好きだったのは、「鬼のみちゆき」でしょうか。 最終話の「白比丘尼」も味わい深いです。 そもそも怨霊や鬼を綺麗さっぱり退治する勧善懲悪ものではなく、人の魂も鬼の魂も浄化させるべく動く晴明なのです。 でも救い切れない無常観や縹渺とした物語もあって・・そういうところが好きです。 あまり過去を明かさない晴明ですが、初体験の女性を告白してるんですよ! びっくりしますよ〜!
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遠野物語 / 柳田国男
遠野物語
柳田 國男
新潮社 1973-09
(文庫)
★★★

改版前の昭和48年版の新潮文庫で読みました。 「遠野物語」と「遠野物語拾遺」が収録されているものを読みたかったんだけど、角川ソフィア文庫が図書館になかったので。 「遠野物語拾遺」は、厳密には柳田国男の執筆ではないという見解の下、この古い文庫では、ゴタゴタの経緯などが付記されていたけれど、現在はどういう扱いになっているのかわかりません。 でも、改版の際に外されちゃったんですよね。 言わずと知れた名作ですが、再読ではありません。 初読みです。
なんかこう・・知的原石の宝庫のよう。 実はもっと物語チックなのかと思ってたら全く違ったのね。 逆に物語性を殺してる。 教訓や考察のようなものも一切なく。 極端な話、言い伝えを箇条書きにしたかというほどに徹底された簡素なスタイルでありながら、民俗学としても文学としてもずば抜けているところが、この作品の凄さなんだね
極めて土着的な遠野郷の村人の暮らしと、その底に横たわる根源的なものを、純粋に、忠実に、写し取りたかったのだろう著者の信念が響いてくる。 一話一話の小さな話が、やがて複合的に作用して、気がつけば、頭の中には豊穣な遠野ワンダーランドが広がっている感じ。
狐に化かされたり、神仏像が動いたり、死者が生き返ったり、河童、天狗、座敷童子、山男、山女、神隠しなど、どこか馴染み深い怪異譚だけではない。 姥捨ての話や子殺しの話、人肉を喰う話などのタブーの領域、名所の由来や“まじない”などの俗信の類、冠婚葬祭や年中行事などの習俗、信仰に至るまで、自然を畏れ、自然に親しみ、八百万の神々や動物や野山と溶け合って暮らしている村の人々の深い息遣いが、そこはかとなく立ち込める。
でも不思議と、淫靡で艶っぽい男女の話がない。 そこだけ、すっぽりと抜けている感じさえする。 坂東眞砂子さんの民話の世界とか、今昔物語に馴染んでいたせいか、ふと気になった。 絶対その類の伝承がないはずがないので、敢えて外したとしか思えないのだけれど。 そのせいか、どこか静謐で敬虔な雰囲気が強められているのかなとも思う。
常民の遺伝子に刻まれているような、同時に結界に守られた特別な故里であるかのような究極の味わい。 つい“常野”の人々が頭にチラついてしまうのでした。 本末転倒なんですけど 笑
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