スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - |
写楽百面相 / 泡坂妻夫
写楽百面相
泡坂 妻夫
新潮社 1996-09
(文庫)
★★★

泡坂さんはご自身が高校生の時に写楽に魅せられて、独自の写楽考を学校で発表されたという通人。 写楽の作品そのものに対しても、肯定的な目線が感じられるし、写楽が世に出た背景、そして消えた背景、江戸人たちと後世の人々の写楽感にまで深く切り込んでいて、時代の中の、歴史の中の写楽像が浮き彫りになるような確かな手応えを感じる一冊でした。
失踪した遊女、夭折した二代目尾上菊五郎、後の延命院事件、発禁本となった「中山物語」、医心方房内編を巡る駆け引き、朝幕間の微妙な軋轢などが絡んでくる展開の中から、写楽像が立ち現われて来ます。 後に鶴屋南北の代表作となった「桜姫東文章」に込められた想い、寛政9年に蔦屋重三郎、金井三笑、東国屋庄六の続けざまの死の後、十返舎一九が写楽について何一つ書かなくなった訳、並木五瓶が江戸に下った訳、初代仲蔵の死の真相までも、こんな可能性で繋ぎ合わせることができるのですね。
浮世絵、黄表紙や洒落本、川柳、相撲、芝居に加え、泡坂さんらしい手妻やからくり人形の見せ場もあり、時代の申し子たちの活躍もあり、江戸文化の芳しさが作品全体に散りばめられ、抑圧された世の中の底から何かが動きだす気配も、ひたひたと伝わってくる感じがします。 さらにお江戸らしく、縁語や掛詞など随所で駆使され、謎解きの鍵にもなっているのが楽しい。
それにしても、狂歌に取って代って、前句(後の川柳)が盛んになっていくことまで“先の見える男”蔦重は予見していた(かもしれない)のですね。
この時代が何でこんなに艶やかで活気に満ちているのか誰か教えてください。 松平定信によって始まった文化の弾圧にも等しいお上の改革自体が、化政文化の開花に一役買ってるとしか思えない皮肉さは何なんでしょうか。 でも、だからこそこの時代に惹き込まれてしまうのかもしれません。
余談ですが、皆川博子さんの「笑い姫」で活躍していた軽業師の“人馬の術”が思わぬところで使われていたのには感激しました^^

<追記>
時代伝奇夢中道 主水血笑録
↑ こちらのレビューがよかったです。 特に最後の年表について。 自分が冒頭に書いたことは、年表という形をとった終章を読んだからこそ、感じ取れる印象だったことに気付かされてハッとしました。
うんうん、そうそう! こういうことが書きたかったんだと思う。 でも書けないんだけどね;;
| comments(0) | - |
白蝶花 / 宮木あや子
白蝶花
宮木 あや子
新潮社 2008-02
(単行本)
★★

花宵道中」に続き、装画のさやかさんとタッグを組まれてるのね♪ パッと目を惹きます。 相性いいな。 このお2人。 そして「花宵道中」に負けず劣らずの構成力が光ってます。
四章から成る連作長篇と捉えると、全体としては三章目が最も長い本篇。 一、二章は序章、四章目は終章のようにイメージできると思うんだけど、本篇のみが書き下ろしで、その他は雑誌掲載されたものらしいです。 コレ凄いのは、本篇がなければ、それぞれ全く独立した(連作でない)短篇として味わえてしまうところ。 外堀を埋めておいて、真ん中の大きなブラックボックスを引っさげて、いざ出版! ってのが憎い。 もともと用意があったんでしょうか。 こんな繋がりを生み出してしまうなんて! みたいな構成の妙にワクワクさせられました。
戦前、戦中、戦後、しかも舞台となるのが、有馬の温泉街、博多市街地の官舎街、東京山の手、山形の港町・・と各地に跨り、時代や場所の描き分けなど、大変なご苦労だったのではないかと思う。 激動の時代に翻弄される・・というとありきたりなんだけど、抗いきれないものを受け入れるしかない女性たちの、操の立て方、我の徹し方、絶対譲れない想いなど、女心のサンクチュアリを描いたような物語。
背徳的な恋情ゆえの甘美さや切なさ・・みたいなシチュエーションは、どれもヒリヒリするほどの渇きと疼き、迸る欲情とが交錯し、生々しいのに透明感があって流石だなぁ〜と堪能。 特に戦地へ赴く男と交わす今生の一夜が凄絶。 生に対する動物としての本能っていうか、生きていることを確認したい、自分の種を残したい・・そんなこと頭で考えなくても、自ずと求め合う切実な肉体がそこにあって、打ちのめされる。 あと、このお話、秘めやかな“毒”の芳しさがあるような。
相当に抉られるし、相当に濃密なのに、どろっとした感じがしなくて、淡く儚く、ふっと吹いたら飛んでいってしまいそうなところも、もはや宮木ワールドの風格かも。 2人の少女と一頭の白い蝶の饗宴や、飽かずに庭の乙女椿を眺める少女のひたむきな眼差しや、銀のスプーンで掬ったアイスクリームの冷たさなど、くっきりと胸に刻まれる残像が美しくて、いつまでも転がしていたくなる。
| comments(0) | - |
霧のむこうに住みたい / 須賀敦子
霧のむこうに住みたい
須賀 敦子
河出書房新社 2003-03
(単行本
★★★★

一度に読んでしまうのが勿体ない・・ 本書は、須賀さんが亡くなられた後に単行本未収録作品をまとめた掌編エッセイ集。 毎回思いますが、日本語の美しさがまたとない輝きを放ってます。 磨き抜かれた言葉で綴られる上質な文体、本来の深い眼差しや静けさをそのままに、時に掌編らしいウィットで軽やかなリズムも加味されています。
言葉によって紡がれる世界の豊かさに、ただもう僕となって平伏したい 笑 他愛のない一場面から迸る馥郁たる芳香といったら・・ 簡潔な文章のうしろにどれだけの風景が広がっていることか。
小さなエピソード、心を奪われた本、街の風景、愛用の品々、イタリアの伝統行事などの点々とした記憶の原石が、大切な人々との絆と共に磨き込まれ、いつの間にか須賀さんの辿った軌跡を繋ぎ合わせて見せてくれる。
この作品集には、イタリアの街々が、どんなに須賀さんを魅了したかを描いた場面がたくさん登場し、抑制された筆致から止め処なく溢れ出す、生き生きと伸びやかな情景が印象深かったです。
それと本について。 ナタリア・ギンズブルグの「ある家族の会話」や、アントニオ・タブッキの「遠い水平線」、マルグリット・デュラスの「北の愛人」など。 作家や作品世界をめぐる衒いのない真摯な思索に寄り添えることも大きな喜びです。
解説は江國香織さん。 そうと知らずに手にしたので、思いがけない嬉しいオマケでした。 「ある家族の会話」は、江國さんにとっても深く心に刻まれた一冊なのだとか。 
須賀さんがクロスワードマニアだったということを初めて知りました。 言葉に対してとってもストイックな須賀さんらしいなぁ〜と思え、なんだか感慨深いです。 かっちりと言葉の嵌った枡目の前で、瞳を輝かせている姿を想像してみたくなります。
あと是非とも書き残しておきたいのは、うじ虫にまつわる想い出が2篇入ってるんだけど、須賀さんの手にかかると、うじ虫までもがちょっと詩的なのです。 しかも微笑ましくみえてくるんですよ。 ほんと・・うじ虫の可愛らしい描写が忘れられません。 こんな結びやだ(>_<)
| comments(0) | - |
球形時間 / 多和田葉子
球形時間
多和田 葉子
新潮社 2002-06
(単行本)


多和田さんは「ヒナギクのお茶の場合」が好きだったので、いろいろ読んでみたいなぁ〜と思いつつ、なんとなく敷居が高くてそれきりになってました。 中島京子さんの「イトウの恋」を読んだ時に、本書にもイザベラ・バードが出てくるという情報を掴み、I・B(「イトウの恋」参照)に惹かれていた身としては、この機会を逃す法はない! と思い立ち、勇んで手にしたわけです。
が、しかし。 自分には難解すぎて、正直手も足も〜でした;; 難解でも居心地がよければよしなんですけど、それもない 笑
読み始めは、一人称で語られる思春期の少年少女たちが、おバカなんだか、鋭いんだか、可愛いんだか、可愛くないんだか・・これは藤野千夜さん風? と思いかけたんですけど、全然違う方向へ迷走していく感じ。 過激な躍動感とドン詰まりの閉塞感が共存しているかのような不穏なバランス感覚。 なんだかみんな感性が肥大しきっていて強烈。
垣間見える心象風景が不気味だったりするんだけれど刺激的。 ピュア過ぎるというのか・・だから呆気なく右にも左にも転がって、グロテスクなまでにぐんにゃりと歪んでもみせるのでしょうか。
登場人物たちが、社会的、民族的なメッセージ性を強く宿しているのに、著者は突き放すくらいに傍観している感じがするので(本来こういうスタンスは好きですが)、その為か毒々しいのに掴みどころがなく、どこか茫漠として殺伐として、酷く熱くて酷く寒いようなヒリヒリとした奇怪な世界に迷い込んでいまった気分。 なんだろうこの強烈な不毛感。
で、かのイザベラ・バードはというと、“土人”という名の喫茶店で少女がイギリスの老夫人(時空を彷徨えるイザベラ・バード)と邂逅し、昔旅をした未開の地で出会った、なんとも不思議な土着人(実は昔の日本人)の話を聞く件で登場します。 それだけなんですけど、とても印象に残ったし、いちばん好きなシーンでした。 このシーンが何かの暗喩になっているとか、そのようなことはよくわからないんですが。
「ヒナギクのお茶の場合」とは、かなり肌ざわりが違うので相当に戸惑いましたが、ドロップアウトするつもりはないのです。 多和田作品、わかるようになりたいな。
| comments(0) | - |
遺失物管理所 / ジークフリート・レンツ
遺失物管理所
ジークフリート レンツ
新潮社 2005-01
(単行本)


[松永美穂 訳] 現代ドイツが舞台の作品は殆ど読んだ記憶がなく、なんとなしに新鮮。 著者はドイツのベテラン作家。 ハンブルクらしき北ドイツの大きな都市の大きな駅の、遺失物管理所を起点に繰り広げられる物語。
窓際的な部署なれど、人と物の悲喜こもごもが宿り、今にもドラマが起きそうな気配。 配属されたばかりのヘンリー青年などは“おもちゃ箱”と勘違いしているありさま。 仕事というより、遺失物や届け出人の“声”に、嬉々として耳を傾け、甲斐甲斐しく世話をやいている。
人はこんな物まで失くしたり忘れたりするものなのか。 遺失物には一体どんな過去が秘められているんだろう。 持ち主に見捨てられる物もあれば、迎えに来てもらえる物もある。 取り置き期限を過ぎればオークションにかけられ、新しい持ち主と出会えることもあれば、廃棄されていくこともあるのだろう。 自分の物だと証明するために届け出人に課せられる手続きが凄いことになってたり^^ ヘンリーが調子に乗っていてかなりユーモラス。
一部に根差した排外的な空気や、若者たちの暴走、リストラなど、社会の陰影が色濃く織り込まれているんだけれど、それらを呑み込みながらも日々は流れてゆく・・みたいな、結構淡々とした抑揚のないストーリー。 何が一番の魅力かというと、規則重視のイメージが強いドイツの中で、ちょっと“規格外”気味に映る主人公のヘンリー。 読者によって好みが分かれそう。 それだけステロタイプのキャラではなくて、長所と短所がミックスされて、不思議なオーラを放ってるって言えるかも。
お坊っちゃんで、目標意識がなくて欲がなく、根無し草のようにフワフワしていて、世間を舐め切ってるように見えて、イラっとするところもいっぱいあるのに、妙に憎めない。 周囲の人たちが、小言をいいながらも、つい甘やかしてしまうのがわかるような気がする。 本質的に善意の人であるところ、めそめそぐじぐじしないところは、掛け値なしに彼の美点。
ストーリーの展開と共に欠点が克服されていくわけでもなく、それでもやっぱり彼のいいところを評価してあげられるようなエピソードも多々あり。 人間って結構こんなもんなんじゃないか? って思えてくる。
読み終えてみると、弱者に向けられた眼差しが優しい物語だったな・・という印象。 それと、遺失物管理所というのは、豊かな時代の副産物なんだろうなぁ〜と思う。
| comments(0) | - |
タルト・タタンの夢 / 近藤史恵
タルト・タタンの夢
近藤 史恵
東京創元社 2007-10
(単行本)
★★★

暫く読んでなかった作家さんなんだけど、軽快さに驚いてます。 更に自分の中では歌舞伎もののイメージが強いんですが、ずいぶん以前に「アンハッピー・ドッグス」というパリを舞台にしたラブ・ストーリーを読んだのを思い出しました。 フランスも得意なのかしら? この作品でもフレンチへの並々ならぬ造詣の深さが窺えます。
下町の片隅の小さなビストロを舞台にしたミステリ連作集。 小粒だけどピリッと締まった短篇揃いです。 訪れるお客さんによって持ち込まれる、不可解な出来事やわだかまりといった感じの、いわゆる日常の謎を無口なフレンチ・シェフの三舟さんが鮮やかに捌きます。 料理や食材の知識が謎を解く鍵になっていて、“名探偵はシェフ”というスタンスが活きているのが実によかったです。 どの短篇もきちんと筋道を踏んでいるというか・・謎解きに破綻がなくて無駄がないのも気持ちいい。
四季折々のテーブル風景、食材の吟味、もてなしの心遣い、大皿や鍋でサーブされる肩の凝らない料理の数々、チーズやワインの蘊蓄などなど、フレンチ三昧♪ 舌をとろかし、心にぽっと灯が点るような結末へ導かれる中に、さり気なく人の心の機微が写し取られていて、じんわりと沁みてくる感じ。
知られざるシェフの逸品、ヴァン・ショーは、フルーツとスパイスの香りを散らせたホットワイン。 これがお客さんを包み、癒すという黄金パターンあり、商店街の俳句同好会に参加しているソムリエの金子さんが、時々披露する川柳もどきの俳句(?)も楽しいし、シェフを敬愛するスマートな料理人志村さんの過去に繋がる謎が盛り込まれたり・・ 変化のある趣向も凝らされていて、実に巧いです。 近藤さん、要チェック。 続編来ないかなー。
| comments(0) | - |
トマシーナ / ポール・ギャリコ
トマシーナ
ポール ギャリコ
東京創元社 2004-05
(文庫)


[山田蘭 訳] “可愛い猫ミス”くらいの気持ちで読んじゃったんだけど、けっこう感情的で重くて、こういう話を避けてきた身としては、しまった;; という気分(泣) 守備範囲ではなかったので感想をアップするのもどうかと思うんだけど、書き留めておきたいこともあったので。
ラストの大団円に繋がっていくミステリの構成が見事。 このシーンの描き方いいなぁ〜って思える印象深い箇所も多々あったし、表現にセンスの良さが溢れているのも魅力。 ペディ牧師の存在感がよかった。
1950年代に書かれた物語のようなのだけれど、西洋社会で急速に神が不在化していった時期なのかもしれない。 人々が拠りどころを求めて迷走しているような感触が伝わってくる。
おとぎ話の生物学」を読んだばかりで、少し敏感になっていたせいもあると思うんだけど、どうしてもママゴトめいて見えちゃう。 テーマになっている親子の心のすれ違いなんかは凄くわかるし、その辺のメッセージ性が強いだけに、かえって人間のフィルターにかけたような小奇麗な動物観・自然観が鼻についてならなかった。
西洋の牧畜文化の中で、肉食獣を悪者に仕立ててきた道徳観から抜け出せていないように思えたのは、年代的に仕方ないのかな。 生物の覇者となってしまった人間には、生態系をコントロールする義務がある。と思う。 可愛いから、可哀そうだからという理由で生態系に踏み入るのは許されないし、危険な考え方。 小動物を傷つける対象として、人間の悪意と肉食獣が一緒くたになっていて、その辺が微妙にぼかされているのが酷く気になった。
世界にたった一匹だけの自分のペットをそっと溺愛するお話は、大大大好きです。 偏愛なのだと割り切れているから。 それを正義であるかのように振りかざしちゃうのは人間のエゴだと思う。 その辺りが何だか混同されてる感じがして。 ジプシーが完全な悪役となって、その非道さが煽られ、虐げられた動物たちの痛々しさが煽られ、悲しみが煽られ・・みたいなのも、苦手とするところだった。
こんなこと書いてますけど、わたしが偏屈なだけですから。 普通にめちゃめちゃ楽しめる本です。 因みにアマゾンでの平均評価は星四つ半。 愛され続けている名作なのです。
| comments(0) | - |
笑い姫 / 皆川博子
笑い姫
皆川 博子
文藝春秋 2000-08
(文庫)
★★

皆川さんの描く江戸もの、特に頽廃的な浮世絵や芝居の妖しい世界が大好き。 この作品も、時代風俗の香り豊かなことに変わりはないのだけれど、いやもう、物語のスケールにびっくり。 しかも主人公が正統派なので、ちょっと意外な印象を受けました。
改革の嵐が吹き荒れる天保の江戸。 幕藩体制が弱体化し、無謀な圧政を強いることしかできない老中・水野忠邦。 さらに異国船が出没し始め、目に見えない激しい胎動の気配が日本列島を覆っている。
阿蘭陀通詞(通訳)として過労死した父や、シーボルト事件の不条理を垣間見た主人公の蘭之助は、幕政に失望し、半ば世を捨てた気ままな戯作者風情。 著した戯作がきっかけで一蓮托生となった軽業師の小ぎん一座共々、幕府内の抗争に巻き込まれ、謀略に絡め取られ、江戸から長崎、小笠原へと運命を変転させていく。 江戸情緒に、エキゾチック長崎、そして南の海の小島は、もう異文化そのもの。 舞台背景だけでも楽しめてしまう♪
江川坦庵(洋学信奉者の開明派)、高島秋帆(洋式砲術をいち早く取り入れた兵制改革の祖)、鳥居耀蔵(洋学を嫌う守旧派の親玉)、間宮林蔵(蝦夷地を測量した探検家で幕府隠密)などなど、脇を固める実在人物の造形がしっかりと物語の骨格になっているところも流石。
調べてみたら、小笠原諸島の入植の歴史まで史実に沿って描かれていて驚き。 最初に住み着いたのはアメリカ人だったなんて。 セボリ(セイヴァリー)も、マザロ(マザルロ)も実在するのね! 本作で敵役として登場する鳥居の手先の本庄茂平次も実在しました。 本庄の末路を描いた「護持院ヶ原の敵討ち」は歌舞伎や小説となって流布しているらしい。 そうとうにダークな人物であった模様・・
もともと皆川さんは、繊細な心の動きをさらりと書く達人で、そこが凄く粋だったりするんだけど、この作品も人々の内面描写は抑制されていて、その分、作中作の戯作「狂月亭綺譚笑姫」によって、イマジネーションを喚起させられるようなレイヤー仕掛けが施されています。 そのため、土臭い歴史冒険活劇なのに、幻想的な艶やかさや儚さ、余韻に包まれたような不思議な印象を残します。
読んだことがないのでなんとも言えないのだけれど、当時、曲亭馬琴が打ち立て一世を風靡した作品主潮、伝奇小説的な読本の世界観を、この作品そのものが体現していたりもするのかもしれない。
| comments(0) | - |
遠い山なみの光 / カズオ・イシグロ
遠い山なみの光
カズオ イシグロ
早川書房 2001-09
(文庫)
★★★★

[小野寺健 訳] イシグロ初の長編小説で出世作となった作品。 再婚で渡英し、静かな田舎町に住む初老の女性、悦子が、戦後間もない長崎で過ごした、若き日の一夏を振り返る。
日の名残り」に通ずるものがあります。“寡黙の効果”っていうのね。 語らない部分にこそ想いが秘められているという手法。 このタイプのお話はもともと大好きなんですが、この作品には、どこかダークでトリッキーな幻想小説みたいな味わいもあって惹き込まれました。←邪道かも;;
現実と悪夢のあわいを彷徨うような、妖しい揺らぎにも似た朧な記憶の中に立ち現われる長崎は、どこか幻影的で粘りつくような郷愁が漂い、美しかったです。
この人はいったい何を語っているんだろう。 何を語りたいんだろう。 いや、何を語りたくないんだろう・・ 抑揚のないシンプルな文体で紡がれていく作品世界から、触れることさえできない、けれど触れずにはいられない痛みが、ズンズン響いてくる。 戦後の新しい価値観の中で失われつつあるものと、がむしゃらに得ようとするものと、普遍的なものと・・それらがぶつかり合い、せめぎ合い、縺れ合い、錯綜しながら人の運命を呑み込んでいく。 でも、その狭間に生まれ落ちた鮮烈なひとコマが、まるで提灯の明かりに包まれたような仄淡い映像となって、あろうことか美しく脳裏に焼き付いてしまうのが怖いくらい。
希望を語れば語るほどに募ってくる閉塞感や、描かれるどの交流もが孤独を際立たせてしまうような息苦しさは、イシグロでなければ醸せない独特の妙味です。
著者は、5歳まで長崎で過ごしているのだそう。 彼の記憶の中の日本というのは、きっと現実を離れて頭の中でどんどん再構築されてゆき、彼自身そのことに気づいていて、一抹の寂しさというか、心許なさというか・・茫漠とした喪失感みたいなものを心の隅に抱え続けていたのではなかったろうか。 彼のそんな部分が“信用ならざる語り手”のような物語を生みだす一助になっているのでは・・などと、つい野暮な穿鑿を巡らせてしまいました。

<補足>
最初に翻訳された筑摩書房版の邦題は「女たちの遠い夏」でしたが、ハヤカワepi文庫版で再販される際に「遠い山なみの光」へと改題されました。
| comments(0) | - |
おとぎ話の生物学 / 蓮実香佑
おとぎ話の生物学
−森のキノコはなぜ水玉模様なのか?−

蓮実 香佑
PHPエディターズ・グループ 2007-04
(単行本)
★★★

[副題:森のキノコはなぜ水玉模様なのか?] おとぎ話や昔話に隠された真実や可能性を紐解いていくサイエンス・エッセイ。
桃太郎、浦島太郎、ウサギとカメ、白雪姫、かぐや姫、かちかち山、舌切り雀、アリとキリギリス、ジャックと豆の木などなど、おとぎ話の中に詰まった“なぜ?”への名解答続出で、目からウロコ。
著者は農学博士なのだそうですが、文章が平易で読みやすく解りやすく、素人の知的好奇心を気持ちよく満たしてくれる良書です。 非常に読み口がよかったです。
動植物の生態がこんな昔話の中で、こんな風に描かれていますよ〜っていう、生物学的な解釈が中心ですが、昔話の背景とか、そこに込められている暗示的なものとか・・文化人類学や民俗学的な方向へ繋がっていく考察が印象深かったです。
一番心に残ったのは「三匹の子豚」から脱線していく日本オオカミの話。 オオカミと共存していた昔の日本人の姿は、あぁ、これは「遠野物語」の世界観だなぁ〜としんみり読んでしまったのですが、自国の文化を捨て去ろうとせんばかりに盲進していた維新以後の一時代の中で、日本オオカミは生き延びることを許されなかったのですね。 森羅万象に神が宿ると考え、八百万の神々と共に暮らしてきた日本の地に“大神”がもういないというのは、なんだか皮肉です・・ 
あと、興味深かったのは、鳥の鳴き声を言葉で表現する“聞きなし”のように、音を言葉に置き換える特技(?)が日本人にはあるみたいですねぇ。 昔、琴を習っていた時に“ちんとんしゃん”とか“つるつるてん”みたいな感じで音を表現していたのを思い出しました。 なんでも日本人は左脳で、欧米人は右脳で音を聴いているらしい。 つまり日本人は言語として、欧米人はイメージとして音を捉える傾向があるんですって。 日本語って擬態語が異様に発達してるというのとも関係ありそう? 個人的には音楽だったらやっぱりイメージで聴きたいなぁ〜 そういう力が弱いのかと思うとちょっとしょんぼりです。 でも昔の日本人たちが、自然や動物たちの“言葉”に耳を傾け、分かり合おうと、共存しようと努めてきた証しなのかもしれません。
「さるかに合戦」の猿を人間に例えて、自分ばかりが赤い実を食べ、他の生物たちには青い実を投げ与えてないだろうか? そして「さるかに合戦」の結末は? という考察にはズキンとしてしまいます。 決してお説教臭い本ではないんですけど、わくわく楽しい中に、ふと立ち止まって周りを見渡してみたくなるような、はっと何かに気づかされるような、自然や動植物への澄んだ眼差しが心に残る一冊でした。
(↑ このレビュー、思いっきり脱線しまくっちゃってマス;;)
| comments(0) | - |