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小美代姐さん愛縁奇縁 / 群ようこ
小美代姐さん愛縁奇縁
群 ようこ
集英社 2007-06
(単行本)


小美代姐さん花乱万丈」の続編というか姉妹編というか。 時期的には前作の後半と本作の前半が被ってますが、「小美代姐さん花乱万丈」は芸者さんとしての身過ぎ世過ぎ、「〜愛縁奇縁」は一女性としての私生活に重点が置かれているような印象。
どちらもあっけらかんとポジティブシンキングな小美代姐さんなのですが、個人的には前作がよかったなぁ。 軽妙さの中に、キラっと光る部分や、ほろっとくる部分が隠れていて、作品の濃度が劇的に変わるような瞬間があって、結構泣いてしまったんですわ。 こちらはもう少しクール仕立てかな〜と思いました。 時に殺伐とするほどに軽快な勢いで、一陣の風が吹き抜けていくような・・
とは言うものの、ラストは流石にホッと温もる着地点をみせてくれますし、サクサクと面白いのは確かです。 それに小美代姐さんの“ご縁”に対する考え方や気構えは、人付き合いがギクシャクしがちな今社会で、少しでも見習えたら・・と、その心意気に気持ちが揺さぶられます。
と同時に、“今の若いもんは”とか“今の親は”とかいろいろ言うけれど、なぁんだ、昔の人だってそうとうイッちゃってね?って、ちょっとホッとするところもありました。 だって、電車の中で我慢できずに嫁に迫ってコトに及んでしまう浩や、とら婆さんの常軌を逸した嫁いびりとか。 シュールですよ。 ある意味;;
昔の話は美化されてしまうことが多いと思うんですが、ダメダメ昔人がいっぱい出てくるし、そういう意味では妙な好感が持てたりもして。 そして小美代姐さんの自然体の人物像が、このお話のなによりのチャームポイント♪
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空中スキップ / ジュディ・バドニッツ
空中スキップ
ジュディ バドニッツ
マガジンハウス 2007-02
(単行本)


[岸本佐知子 訳] アメリカの文学界で“アンリアリズム”なる一派が注目されているという話を聞きかじったことがあるのだけれど読むのは初めて。 本書は、ケリー・リンクやエイミー・ベンダーと共に、その強力な担い手の一人であるといわれる若手作家の処女短篇集。
あとがきで訳者の岸本さんもお書きになっていましたが、奔放な空想力を通り越して、これはもう、“強靭な妄想力”の成せる技でしょう。 何が凄いって、平然と澄まぁ〜して奇天烈きわまりない世界を醸し出してくる肝っ玉が。 グロテスクで辛辣なユーモアの毒気にあてられて、ちょっと腰砕け気味の情けなさを露呈しておりますが、このシュールで喰えない感じは基本好きですし、慣れたら止められない予感もします。
個人的には「ブルーノ」みたいに後味よろしく笑えるのが一番よかったんですが、甘いんですかね。 インパクトがあったのは一作目の「犬の日」。 のっけでガツンと殴られましたから;; 「イェルヴィル」や「百ポンドの赤ん坊」も破天荒でドギツくて鮮烈に残ります。 寓話チックなモチーフの「作曲家」「スキン・ケア」「ハーシェル」「道案内」辺り好みだったなぁ。 
一見、現代アメリカのパラレルワールドじみた奇怪な異空間へ放り込まれる感じなんだけど、やっぱり閉塞感とか喪失感とか、矛盾に満ちた世の中のあれこれ、遣り切れないものらが犇めいている手触り。 でもジメッと感やドロッと感がまるでないので、重圧にはならないんです。
光と影、フルカラーで彩られた群像のパッチワークみたいで、それは全く美しくなどないのに、食い入るように見つめ続けずにはいられないような。 なんかこう・・表現が適当かわかんないんですが、現代アートっぽいようなイメージを抱きました。 勝手に。
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絵島疑獄 / 杉本苑子
絵島疑獄 上
絵島疑獄 下
杉本 苑子
講談社 1986-11
(文庫)
★★★★

江戸後期の歌舞伎ものを読んでいると、チラチラっと顔を出す幻の山村座と絵島生島事件。 ずっと気になっていて、いつか読みたいと思っていました。 江戸中期、絵島を筆頭とした大奥女中と人気歌舞伎役者の生島新五郎らのスキャンダルを理由に、木挽町にあった山村座がお取り潰しとなり、以降、江戸歌舞伎が四座から三座になったという話は、歌舞伎史として聞きかじっていた程度の知識でしたが、もっと個人的な不義密通みたいな話なのかと激しく勘違いしていました;; これはもう、いっそクーデターのような政争事件の様相です。 もちろん一考察ではあるのでしょうけども。
改革断行以前の大奥。 元禄文化の名残りをとどめた、奢侈にしてドロドロな大奥の時代ですね。 後期の町人文化に馴染んでいる身には、やや尻込みしていた方面なのですが、全然イケちゃいました。 ていうか、なんだか陰謀術数の渦、私怨や欲望が暴走する平安ものを読んでるような気分になってたかも。 しかも、これは杉本さんの考察ということになるのかもしれないけど、藤原北家の子孫が暗躍してるじゃないですかっ! なんという強力な腹黒遺伝子!
歴代中、稀にみる清廉な将軍と称えられながら、身体の弱さが惜しまれた六代将軍家宣と忘れ形見の幼い七代将軍家継の治世、その側近として知遇された新井白石らによる理想に燃えた短い一時代の幕開けから終焉まで。 まるで絵島生島事件の中に、五代綱吉から八代吉宗へと連なる時代の流れが凝縮しているかのように感じさせる見事な組み立て。
正室と側室、尾張家と紀州家、白石と官学の権威であった林家の対立、反目、暗闘・・ 保守派の幕臣たちの根深い不満など、様々に蠢く意趣が、表向きの風紀の粛清を隠れ蓑として、共通の利益へ向かって密かに結集したからこそ、連坐者一千五百人に及ぶ、大胆不敵な大量処罰事件が起こり得たとする説得力は非常に有効で、すとんと胸に落ちました。
弱い立場の芝居関係者たちが痛めつけられ、浅はかな大奥女中たちが足を掬われ罠に落とされ、その上に築きあげようとする正義。 勝ったものの言い分が正史となるという歴史の常套に、理路整然と待ったをかける格好よさがありました。
余談なんですが。 家宣ってあまり有名じゃない将軍・・ですか?(←無知;;) でも数奇な出生といい、運命の変転といい、不当な冷遇といい、美味しい素材っぽい気がしてしまいました。 杉本さんのフィクションなのかもですが、20代から30代の下積み時代には、お忍びで江戸市中を歩きまわり、見聞を広め、世情に通じ、新井白石や間部詮房を見出し深い絆を育み、町娘だったお喜代の方と恋に落ち、その間、綱吉の放つ刺客に脅かされ、そっと見守る家臣たちに助けられ・・って、めっちゃいい感じじゃないですか。 将軍になってからは薄命ですが、その儚さ無常さも逆に絵になりますし。
で、俄かに家宣にハマってしまって、若き日の彼を主人公にした、キラキラっとしたエンタメっぽい話とか、誰か書いてないかなぁ〜と思って探したんですが、見つかりませんねぇ。 誰か書いてくれないかなぁ〜。
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なぜ絵版師に頼まなかったのか / 北森鴻
なぜ絵版師に頼まなかったのか
−明治異国助人奔る!−

北森 鴻
光文社 2008-05
(単行本)


[副題:明治異国助人奔る!] エバンスならぬ“絵版師”という耳慣れない言葉が気になったのですが、この言葉は文明開化の嵐の中で、生まれては消えて、歴史の襞に埋もれていった数々の言葉の中の一つなのでした。
本書で活躍するエルヴィン・フォン・ベルツは、明治政府の下、お雇い外国人として日本に招かれたドイツ人医師。 日本の近代医学の発展に尽力した実在の人物なんだそうです。 ベルツ宅に給仕として雇われて、その後書生となった医学生、葛城冬馬を主人公に、開化に沸き返る帝都に蠢く事件を追っていく連作ミステリ。
う〜ん、ぬるい;; なんで主人公をこんなに薄っぺらくしてしまったんでしょうか。 何か魂胆があるのかもしれませんがわかりません。 ベルツ博士が日本贔屓なのはよいとしても、もうちょっと冬馬くんに苦労させても・・ 軽妙なのは好きですが甘々なのは苦手で、むず痒くなってしまいます。 まぁ、昨今の流行りなんでしょうか。
それぞれの事件は新時代の闇を掬い取り、社会の陰影を刻み込んでいて興味深いんですが、安全な場所から首を突っ込んでくるお利口さんの坊やを通してしまうと、対岸の出来事のようにしか感じられなくて。 純粋にミステリとして謎解きを楽しめばいいって話なのかもしれませんが、なんだか勿体なかったです。
イトウの恋」の亀吉のような狂おしい内面とまではいいませんが、「横浜幻灯館」のおりんのように、事件を肌身に感じ取って成長していく姿とか・・ いっそベルツ博士を主役にしてもよかったんじゃないかなぁ〜なんて(←誰も読まない?)。 個人的には、単なる日本贔屓ではない、もっと奥深いベルツ博士の内面を垣間見たかったです。 当然、日本を見下している外国人が圧倒的だったのだから、そういう対抗馬をもってくるとか・・
でも、一見ストーリーの中で無造作に見えるんですが、要所要所で史実と符合させてくるあたりは流石です。 特に、森鴎外が脚気の伝染病説をなかなか捨てなかったのには深い理由があったとする筋書きは、実に憎いです。
初めて世界の表舞台へ飛び出した弱国の日本は、外交の免疫もないまま列強の脅威に晒されて、赤子のような扱いを受け、その危機感や焦燥感や屈辱感から、歪んだ猛進ぶりを露呈していく暗い影が醸成されています。 急速に高まる軍拡への意識や、闇雲に西欧文化を移植し、古来の伝統を葬り去ろうとすらしている日本を、またそこまで追い込んでしまう諸外国の偏見や圧力をベルツ博士は真摯に憂いていたようで、この作品からもそんな姿勢がうっすらと窺えます。
そういえば尾崎紅葉がチョイ役で出てくるんですが、まさにハマり役でした^^
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からくり灯籠 五瓶劇場 / 芦辺拓
からくり灯篭 五瓶劇場
芦辺 拓
原書房 2007-03
(単行本)
★★

上方と江戸を股にかけて筆を揮った江戸後期の歌舞伎作者、並木五瓶が活躍する連作長編。 タイトルに“劇場”と冠されている通り、歯切れの良い語り口で、まるで舞台を観ているような感覚でした。 “実は虚となり虚は実となる”的な境地を生きる物語作者の意気地や気構えが響いてくる作品。
並木正三に憧れながら、浜芝居(大坂の小芝居)の作者として夢を追っていた若き日。 京坂で名を揚げた後、上方歌舞伎の閉塞感に悩み、江戸へ向かう転機が訪れる時期。 鳴り物入りで下った江戸で、文化の違いを噛みしめる日々。 やがて江戸で名を馳せ、大作者となった円熟期。 四つのターニングポイントを取り上げ、歴史・歌舞伎史的背景と絡めながら、五瓶の作者人生を追っていきます。
さらに、第一章はうつろ舟伝説へのオマージュ、第二章は五瓶の代表作に隠された唐人殺しの真相、第三章は写楽ミステリ、第四章はクトゥルー神話と尊王攘夷思想の暗い影・・といった趣向が織り込まれていて読み応えあります。
三章目の「花都写楽貌」がやっぱり好き。 この時代から離れられなくなっているのもどうかと思うんだけど、飽きないの?と問われれば、ハイと答える他ないのです。 真相が俄かにぼかされていて、え? そういうことよね?? と少々混乱しますが、「蔦重」が「歌麿」に恩を仇で返されたという図式がグラっとする感じがよかったです。
写楽を追いかける探偵役が、五瓶と俵蔵(後の南北)って凄くないですか? この2人が相まみえる図は初体験でした。
この年、江戸に下った五瓶は、初っ端で寒々しい不入りに辛酸を嘗めるのですが、早々に起死回生の一手をぶつけ、大成功をおさめています。 芦辺さんは、五瓶に写楽探しをさせながら、江戸の真髄を体感させ、江戸っ子の趣向をじっくり見定めさせてゆき、気ままで残酷な見物衆を一気に味方に引き込むことに成功したという筋書きを組み立てているんですね。
一章目の「けいせい伝奇城」も好きでした。 エキゾチックで幻影的で美しかったですねぇ。 源内先生や正三師匠が一役買っていたとは思えませんが、近いことが行われていたのでしょうか。 そうあって欲しいなぁ。 木村兼葭堂あたりは本当に絡んでいたかも・・なんて想像を逞しくしてしまうのも楽しかったです。
歴史上のあの人この人も嬉しくなるほど登場します。 単に大盤振る舞いなのではなく、きちんと物語の中での役割を果たしています。 四章目の「戯場国邪神封陣」に登場した南町奉行の根岸肥前守鎮衛は、宮部みゆきさんのお初シリーズの“耳袋”の人ですね? こんなところで会えるなんて。 文化年間の頃は、寛政と天保の改革に挟まれた、割と緩やかな時代だったようで、しかも北も南もお奉行がいい人だった感じ? そんな幸せな時代の奥底に蠢くものの存在感が、伝奇に絡めているので暗喩的なんですけれど強烈に描き込まれていました。
ついこの前、松井今朝子さんの「一の富」を読んだばかりですが、あちらは丁度、本書の第四章あたりの五瓶の日常ですね。 今朝子さんにしては、専門知識を極力控えたシリーズのように見受けられるのですが、逆に芦辺さんは、専門分野というわけではないと思うんですけど、お勉強されたことを遺憾なく発揮されていて、蘊蓄てんこもり♪ かなりマニアックに仕上がってます。 やはり五瓶が主役なだけあって、上方と江戸の文化比較が織り込まれているのが両者の共通点のようにも感じられます。
五瓶には“新風を吹き込む”というような派手さはないんですが、江戸歌舞伎にはなかった、人間の心理を細かく分析し理屈立てて組み立てる作劇法を上方から移植し、興業方式にも改革の手を入れ合理化を試みたり、その写実性は後の鶴屋南北にも影響を与えているといいます。 五瓶の功績がよくわかります。 後講釈ですが。
最後に登場した“バックス・トクガワーナ”という造語に感嘆の声をあげてしまいました! 芦辺さんのオリジナルですか? 知らなかったー、こんな言葉^^ 自分やっぱり戦国や活劇よりも、平和な時代の中に散りばめられた文化を感じ取りたい派なのだよなぁ〜としみじみ思うのでした。
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ホテル探偵ストライカー / コーネル・ウールリッチ
ホテル探偵ストライカー
コーネル・ウールリッチ
集英社 1997-05
(文庫)


[稲葉明雄・小川孝志 訳][副題:世界の名探偵コレクション10] ウィリアム・アイリッシュ名義で書かれた「幻の女」のみ、大昔に読んだことがあるんですが、あの格別な雰囲気は忘れられません。 ウールリッチ、気になりつつもなかなか読めずにいて、今回やっと手に取りました。
日本独自編纂の中短篇集です。 表題のホテル探偵が活躍する「九一三号室の謎」は 「自殺室」が前篇、「殺人室」が後篇に当たり、合わせると中篇のボリュームになります。 他、短篇3作を併録。 ないかもしれない殺人に疑念を持ち、独り憑かれたように追求する話が多め。
表題作はニューヨークの聖アンセルムというホテルが舞台で、時代は1930年代前半。 夜のストーリーのせいか、仄暗くひんやりとしたイメージ。 ちょうど世界恐慌の頃で、ことさらには背景を描かないんだけど、内側から自ずと染み出てくる時代の気配が好き。 あとウールリッチって、こんなド派手な物理トリックもやらかすのか・・と、これは新たな発見。 まぁ、古典ミステリの世代だもんね。 でもやはり基調はサスペンススリラー。 トライ&エラーなパターン化された経過を辿るのだけど、とにかく飽きない。 むしろ執拗な繰り返しにどんどんハマってしまう。 軽妙なユーモアも漂っていて、気の利いた佳篇です。
ホテルに雇われて宿泊客を監視しながら安全を守ったり、トラブルに対処したりする“ホテル探偵”なる職業は実在したらしい。 ウールリッチはホテルで半生を送った作家として有名なのですが、ホテル・聖アンセルムは自らが過ごしたホテル・マルセイユがモデルみたい。 またホテル探偵ストライカーは、初めて日本に紹介されたウールリッチの作品らしいです。 でもウールリッチはシリーズものを書かなかった作家なので、ストライカーの探偵譚が読めるのもこの中篇だけなのです。
「裏窓」よかったです。 初めて読みました。 原作に比べるとヒッチコックの映画はかなり陽性なのだね。 原作は偏執的で緊密で孤独な手触りが半端なかった。 でもラストをウィットで締めるのがエレガント。
残りの2篇は意外にもジュブナイル調で、眩しいような切ないような・・背伸びをした子供の冒険譚。 実は意外でもなくて、ウールリッチの一つのオハコ分野だったらしい。 知らなかった。
背景社会もそうだけど、人物も事細かく描写していないんだなぁと、解説読んでいて気づきました。 背景や人物が素っ気ないのに、場面や動きの細部を異様なほどフォーカスして描いたりする。 だから靄の中に押し込められたような、あの独特の世界が生まれるんだろうな。 リアルを削ぎ落とした空間と張り詰めた想念のミステリアスな均衡がたまらないです。 ウールリッチまた読みたい。
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三色パンダは今日も不機嫌 / 葉村亮介
三色パンダは今日も不機嫌
葉村 亮介
ランダムハウス講談社 2008-03
(単行本)
★★

にゃはははっ 発想が単純で可愛ゆい^^ ランダムハウス講談社新人賞の優秀賞作品。 ランダムハウス講談社って、美味しいミステリとか出してるところよね? なんとなく勝手に軽めの癒し系ミステリなイメージなんだけど(多分違うと思う)、本書はまさしくその路線まっしぐら。 こういうナンセンスものは、ちょっとした気分転換に最適かもです。 頭からっぽぉ〜にして、ふくふくっとほくそ笑んで、なんだか幸せ気分。
森見登美彦さんのブログ調な語り口と言って、わかる人にしかわかんないですね。 脱力気味のセンスがなかなかに芸の域です。 「叙述トリック」系なので、多くは語れませんが・・ 真ん中ら辺で、ん? んん? と?マークが付き始めて、もしや? もしや? と思いながらページを繰る手が止まりません^^ 何気に負の連鎖の断ち切り方など示唆されていたり。 でも軽妙さの妨げにはなっておらず、微かなほろ苦さが物語を優しくしています。 期待以上・・などといったら失礼ですが、好みでしたw
以下、内容紹介の一部。 三色パンダの特徴^^
 1. いつも不機嫌
 2. 主食は雑草(笹はNG)
 3. ドレッシング(雑草用)にはこだわりがある
 4. 詩の朗読が日課
 5. 精神科に通院中
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おはなしの知恵 / 河合隼雄
おはなしの知恵
河合 隼雄
朝日新聞社 2003-12
(文庫)
★★★

古来より伝わる“おはなし”の中に隠された深い知恵を紐解き、“如何に現代を生きていくか”ということの手助けとなり得るかを考察していく。 洋の東西、有名無名問わず、昔話、説話、神話、伝説と、実に幅広く拾い集められていて、臨床心理学的見地からの分析、更に民俗学や文化比較論的な示唆にも富み、興味津々、有意義な読書タイムでした。
一番印象深かったのは、イタリア民話の「まっぷたつの男の子」から展開されていく考察。 キリスト教の下で、善悪が明確に分離された倫理観を持つ西欧では、複雑な現代社会の中で画一的な基盤では把握しきれない事象が増えたことや、善から切り離された悪が暴走する危険性の問題など、如何に善と悪を統合していくかが課題であるのに対して、“清濁合わせ呑む”ことを当然と考える日本では、善悪が混沌とし過ぎていて、それをどうやって分離していくかが課題であるという。
社会的地位の高い人にも基本的な倫理観が欠如していることが多いのが、恥ずかしいが日本人の特徴と言われていると聞く。 ちょっと思ったのは、昔の日本人は、神から善悪を示されることはなかったけれども、儒教思想が歯止めになっていたんじゃないのかなぁと。 今は儒教は流行らないし、一神教にも馴染みがないしで、ゆるくぬるく甘ぁ〜く流れ流されてしまったんじゃ・・ 自分を振り返っても、思わず身の縮む気持ちに駆られてしまうのが痛い。
あと、興味深かったのは、西欧では人為的な力によって物語が推進していく傾向が強いのに対して、日本では自然現象などの寓意によって物語が左右される傾向があるという指摘。 これもやはり、運命や自然を切り開いていく西欧型に対して、運命や自然を受け止めていく日本型という対比になるのかと思うんだけど、「となりのトトロ」の一場面をふと思い出してしまった。 たしか、「またトトロに会えるかなぁ」みたいなことをメイちゃんに聞かれたお父さんが、「いい子にしてれば会えるよ」とは言わずに、「運がよければ会えるよ」みたいな答え方をするのが、印象に残ってたんだよね。
果てしなく暗く哀しいアイルランドのケルト民話も心に残ります。 太陽崇拝から来るのでしょうか。 闇と死が直結してしまうような感覚。 同じ輪廻の思想があっても、闇と共に生きていく日本とは全く違う民話の世界が広がっていました。
人間の発達段階や成長過程に見立てて語られるグリム童話の「白雪姫」や、生殖機能を果たさない人々にも社会的価値を見出すナバホ族の創世神話、老いを生きるヒントを宿した「花咲爺」、生と死、神と人間と動物と自然が見事に循環している世界観を持つアイヌ民話、コスモロジカルな秩序を秘めた男女の在り方が示唆されている七夕伝説などなど。
そして最後に“おはなし”を失った世の中の、想像力を失くし、全てがリアルに流れ出してしまうことの危険性が語られます。 長い時間のふるいにかかって生き延びてきた昔話の普遍的な真理が、現代人に及ぼす効力を甘く見てはいけないのでした。
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鍵のかかった部屋 / ポール・オースター
鍵のかかった部屋
ポール オースター
白水社 1993-10
(新書)
★★

[柴田元幸 訳] 本書はオースターの“ニューヨーク三部作”といわれる作品群の3作目なのだそうで;; 知らずに読んでしまいました。
とはいってもテーマとしての共通性があるということで、それぞれの物語は独立しているようですし、前2作は未読ですが違和感はありませんでした。 因みに前2作は「シティ・オヴ・グラス」と「幽霊たち」。
3作共に、不在の人物をめぐる依頼を引き受けることになった主人公の内面を追いながら、“私とは何か?”の周辺を彷徨う姿を描出していくスタイルのようで、本作も主人公と、彼にかかわるファンショーという名の不在の人物との関係性が描かれていて、自己の中の他者、他者の中の自己、自己と他者との境界線といった、曖昧で繊細な領域に鋭く焦点を当てたストイックな空気が作品全体から漂います。
正直、観念的というのか・・わたしには難しかったんですけど、自己に対する“他者”という存在には、もっと何か隠喩のようなものが込められているのではないかということは激しく感じました。 というか、ファンショーという存在が、ふと人間には思えなくなったりして・・
例えば“死”とか。 人は呼吸して酸素を取り込まないと生きられないけれど、それと同時に確実に身体は酸化していくわけで。 生命というのは、そもそもこの大いなるジレンマの上に成り立っているというか。 死という不在の存在感と共に生き続ける他はないというか・・
例えば“分身”とか。 “言葉”とか。 言葉にしてしまうと、それはもう自分の“想い”と切り離されてしまうような感覚。 真実を言葉にしたつもりでも、言葉にした途端に嘘に思えてしまうこともあれば、意図して嘘をつくこともある。 自分であって自分でないような“言葉”って・・
読後はなんだか無性にもやもやと思索的になってしまいました。 でも文章が流れるように美しくて、ひたひたと追い詰められる予感や、鮮やかなターニングポイントなど、あれよあれよと惹き込まれ、のめり込んでいく感じです。 主人公が郵便箱について語る場面が何故か印象的でした。

<追記>
スミマセン! その後、検索してみたら、ちゃんと流れがあるようで、やっぱり順番に読まないとダメみたいです・・うぅ ><。
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いのちのパレード / 恩田陸
いのちのパレード
恩田 陸
実業之日本社 2007-12
(単行本)
★★

早川書房から復刊されている“異色作家短篇集シリーズ”が気になっていたところ、本書はかのシリーズに触発された恩田さんの“無国籍で不思議な短篇集を作りたい”という想いが実って誕生した奇想短篇集なのだと知ってウキウキで手に取った。
SF、耽美、ミステリ、辛辣なユーモアなどで彩られたダーク風味な幻想譚15篇。 恩田さんらしいエッセンスが香り高く、ムード満点。 小説を読んで酔うというのはこんな感じだよなぁ〜と再認識。 3年半掛けて雑誌掲載されていたらしいんだけど、見事に雰囲気が統一されている。
というか、恩田さんって「六番目の小夜子」の頃から、雰囲気変わらないよね。 既視感を覚えるくらい。 イマジネーションの断片によって紡がれていくような独自の世界は、どんどん増幅されてゆき、果ても底も見えません。 いつものことながら、確かだと思っている基盤がグラっとするような世界観が光ります。
短篇集「図書室の海」の中の「オデュッセイア」が大好きだったんだけど、あの趣きは「走り続けよ、ひとすじの煙となるまで」に受け継がれていました。 文字通り大地を揺るがすようなスケールと「常野物語」にも通ずるような土着的でノスタルジックな風合い、末枯れたような物悲しさが好きでした。
「いのちのパレード」は前半の咽ぶほどの生命力からの反転、「夜想曲」はやがて訪れる未来の予感・・と、ラストの2篇は、孤独に枯れゆく人類を挟んで繋がっているようなイメージ。 最も好きだったのは、甘美な映像と悲しみが心に刻まれた「かたつむり注意報」と「蝶遣いと春、そして夏」。 シュールでコミカルな「夕飯は七時」も好きな一篇。
短篇にしておくのが勿体ないような題材がたくさん・・というのは、短編に対する褒め言葉にはならないのかもしれませんが、ホントそんな感じなのです。 一回、恩田さんの頭の中を体験してみたい衝動に駆られますよ。 キャパを超えたイメージの洪水にヨレヨレになるのがオチでしょうれども;; まことに贅沢なひと時でございました。
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