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怪笑小説 / 東野圭吾
怪笑小説
東野 圭吾
集英社 1998-08
(文庫)


以前読んでるはずなんだけど、洗いざらい忘れているので幸か不幸か初読の味わい。 正直言うともっと相性よかった気でいたんだが・・ 自分の趣味が変わったのか。うーん;;
“怪笑”と題されるとおり、ブラック・ユーモアを効かせた9篇を収める短篇集。 醜悪な笑劇、エクストリーム感たっぷりのグロテスク狂想曲といった趣きで、アイデアは面白いのだけど、人間心理の毒素が露骨に流れ出ているので重たい・・ 描写過多なのでなんともドギツイし無粋に感じちゃうんだよなぁ。 まぁ、そういう持ち味というべきなのかもしれないが、細部に宿るユーモアが不足がちなのも残念。
一番のお気に入りはバブル後の社会風俗を失敬千万に諷刺した「しかばね台分譲住宅」。 悪ノリぶりがいい。 ここまでぶっちぎってくれたら、いっそ爽快。 どちらかというと“ほろ苦い笑い”の「逆転同窓会」は痛いところの突き方にクオリティを感じた。 地味だけどオチの弱さに滋味がある。 「超たぬき理論」はラストの一文がツボ過ぎ♪ 「鬱積電車」と「無人島大相撲中継」はキレのいいオチが魅力。 「動物家族」は、“怪物化する少年”という寓意をカリカチュアライズした妙技が光る。 ほとんどシリアス成分なのだが、ラストに漂う有るか無しかの“暗い笑い”が実は一番印象的かもしれない。
筆者によるあとがきがちょっとしたエッセイなみのボリュームでお得感あり。 シリーズはこの後、“毒笑”、次いで“黒笑”と順調に路線を継続しているようで、洗練が進んでるといいなと思う。 筒井康隆さん級のセンスを期待するのは違うんだろううけど、ジャンルは好きなので追ってみたい。

<後日付記>
歪笑”まで読んだけど、結局一番自分好みなのは本篇だったという・・オチ;;
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蒼い時 / エドワード・ゴーリー
蒼い時
エドワード ゴーリー
河出書房新社 2001-10
(単行本)
★★★

[柴田元幸 訳] “T”の文字入りのタートルネックセーターを着たアナグマみたいな瓜二つの犬(?)2匹が、哲学問答ふうのシンプルな対話を交わす絵本。 二匹のやり取りは成り立ってるのやら、成り立ってないのやら、果たしてデタラメなのやら深遠なのやら。 そのどっちつかずの均衡がまたとない世界観を醸し出しています。
“君の考えていることが重要なのか 僕にはわかったためしがない”って、ほんとその通りですよゴーリー。 でもやっぱり、君たち哲学のパロディして遊んでるのでしょ? ね? そうでしょ? と二匹の犬に突っ込みたくなってしまいます。 ふふ。
たぶん意味不明でいいのだ。 実は意味が込められていたりしては全然ゴーリーらしくないもの。 でもそれなのに、ポーザーでありながら本物を超えてしまうような得体の知れない止揚感覚がゴーリー作品にはあって、本作品はその醍醐味が今まで読んだ中で一番顕著だったと思う。 紛うことなき上質な癒し本なのだ。
原題はフランス語のL'Heure bleue(英語のthe blue hourのこと)で、“黄昏どき”を意味するそうです。 細い線画ではなく塗りつぶしの面で表現された絵柄は、いつになく構図が重視されており、ポスターデザインのように抽象的でスタイリッシュです。 メインカラーの青に影絵のような黒を重ねた背景に浮かぶ犬の白。 青、黒、白の取り合わせで表現された色彩空間が、観念世界を逍遥するイメージと深くシンクロしています。
滅多に遠出をしないゴーリーが、珍しくスコットランドへ旅した時の体験に基づいて描かれている(という説がある)そうですが、いったいスコットランド要素はいずこに^^; 人生のエアポケットのような時間が、優雅に、ひっそりと、ちょっと物憂げに流れていて、これが日常という座標の外に存在する“旅”の感覚に通じているように思えなくもありません。
それか、旅行中にふと耳にした行きずりの人々の会話の断片をコラージュしてみたら、まぐれにもクスッとしたり、ドキッとしてしまえて面白かったとかね・・ってのは冗談ですけど、ゴーリーならやりかねない気がして、そんな悪戯心までちょっと想像してしまった。
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不幸な子供 / エドワード・ゴーリー
不幸な子供
エドワード ゴーリー
河出書房新社 2001-09
(単行本)
★★★★★

[柴田元幸 訳] 裕福な家に生まれ幸せに暮らしていた女の子のシャーロット・ソフィアの人生が一変し、不幸へと真っ逆さまに転がり落ちて、完璧なる不幸のどん底を極めてフィニッシュするような、ゴーリーならではの一種爽快(と言えなくもない)キワドイお話。
「小公女」に代表されるヴィウトリア朝風味な児童文学の定型をパロった作品で、ちょっとでも雑念が入ると、いつにも増してたちまち嫌な臭いを放つシロモノになりかねない世界なんじゃないかと懸念がよぎりもするわけなのだけど、苦労の跡も感じさせず完璧に(実は繊細に?)やってのけてる印象。
解説によると、ゴーリーが直接モデルにしたのは、フランス映画「パリの子供」だそう。 映画は“死んだはずの父と再会を果たし、父に抱きしめられて終わる”らしいのだが、その筋書きを見事に踏襲した不幸ヴァージョンに仕上げているのが憎い。
どのページの絵にもトカゲのようなコウモリのような、悪魔の化身バレバレの小さい魔物が見え隠れしていて、シャーロット・ソフィアはコヤツに魅入られてるので、絶対キャンセルできない不幸の運命が確定しちゃってるのだ。
姿形が流動的で不気味テイスト盛り盛りな変幻自在の魔物を虫眼鏡の眼差しでいちいち探す作業を怠らず、読んでるあいだ中、怖い怖い怖い!とひたすら連呼してた。 若干嬉々としながら^^;
だってそこはかとなくユーモラスなのだもの。 ゴシックやってるんですよみたいな空とぼけたノリが絶対あったでしょこれ。 ほらちゃんとゴシックでしょ? ね? と言わんばかりの表紙をずっと眺めているとクスッとなってしまうし。
感情移入させるツールは徹底して削ぎ落とし、目の前の状況とは裏腹に淡々としたテンションで、シンプルゆえにコミカルな言葉を紡ぎ、タブーを軽やかに踏み越えていく。 涼しい顔で・・
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オリエント急行の殺人 / アガサ・クリスティー
オリエント急行の殺人
アガサ クリスティー
早川書房 2003-10
(文庫)
★★

[中村能三 訳] 1934年発表のポアロシリーズ8作目。 自分にとっては、ほぼ初ポアロです。 ミステリにあまり興味なかった大昔に1〜2冊読んでるんだけど;;
ヨーロッパを横断する豪華な夢の国際列車、常に最高のサービスを誇ったといわれる黄金期のオリエント急行を舞台に幕を開ける殺人事件。 豪雪に閉ざされ立ち往生する列車は、様々な階級、国籍、年齢の人々を乗せた束の間の運命共同体。
大胆で意表を突く犯人像も然ることながら、クラシカルな様式美という舞台の中にまた舞台・・ といったら喋り過ぎかもしれませんが、この舞台劇じみた雰囲気が凄くいいのだ。
お国柄、国民性を皮肉った人物描写が愉快でならなかったのも、そうか、登場人物たちが自ら生き生きと動き回っていたからなのね・・というのも喋り過ぎです。ごめんなさい。
都合のよい証拠品、山ほどの手掛かり、乗客たちの証言から窺える堅牢なアリバイ・・ 綿密に計画され演出された犯罪の影がチラつくものの、“隙間のないモザイク”で埋め尽くされたような状況をどう切り崩していくのか。
小さな糸口からするするっと事件の裏舞台へ入り込んでは、灰色の脳細胞を閃かせ、真実の果実をもぎ取る名探偵ポアロ。
推理の飛躍が自白によって裏付けされてると言っちゃってもいいくらいな気もするけど、 これ、おそらくは、ポアロによるプロファイリングが“華”なのだな。
というより、アイデアそのものに論理の構築を大前提とする解決法を無化してしまうような反逆性があるっていうか、推理小説のお約束を逆手にとった群像喜劇というに相応しい味わい。
あえて二つの結論を用意するポアロが粋! ラストの彼の台詞がまたいいんだな。 あの一言によって物語に漂う正義感や感傷の腰が折れて。 作者とポアロの二重の照れ隠しなんだろうか、そそくさと話を切り上げるような幕切れも、きっと。
この超有名ミステリの犯人情報に触れることなくこの歳まで生きてきたわたしって・・やっぱド素人;; さすがに「アクロイド殺し」の犯人は小耳に挟んでいるんだけど読まずにいるのは気になりすぎるから近々読みたい。
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甘露梅 / 宇江佐真理
甘露梅
−お針子おとせ吉原春秋−

宇江佐 真理
光文社 2004-06
(文庫)


[副題:お針子おとせ吉原春秋] 宇江佐さんは、最初に読んだ髪結い伊三次シリーズが大好きで、他にも手を出す気になって数冊読んでみたんだけど、たまたまなのか・・合わないものに当たってます;; 話のまとまり感は流石だなと思うんだけど、合わないというのはどうしようもないのです。 苦手だった「卵のふわふわ」と同じニオイがします。
吉原の遊郭にお針子として住み込みで働き始めた町家の女房の目線を通して、内緒での悲喜交々、花魁たちの心模様などを連作長編のような構成で描いていく作品。
遊郭ならではの年中行事や四季の風情が色濃く織り込まれているんだけど、取ってつけたような郭情緒が、どうにも煩く感じてしまって・・ これは多分、わたしの穿った見方なんだと思う。
とにかく一言でいってしまうと、“主人公のおとせが嫌いっ!”という感情に終始してしまったので、本来ならプラスに働く様々なエッセンス全てに意地悪な反応を示したくなっているんだわ、きっと;; 内輪の会話で、こんなベタなありんす言葉を使うんかなぁ〜とか、そういう些細なことまで、いちいち鼻についちゃうありさまで。 ほっといたら、おとせの悪口を延々書いてしまいそうなので、もう自粛します。
どうにもこうにも野暮ったい吉原なんだよなー;; でもでも! 髪結い伊三次シリーズは大好きです!
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聖☆おにいさん 1巻 / 中村光
聖☆おにいさん 1
中村 光
講談社 2008-01
(単行本)
★★★

ふふふ。こそっとアップ♪ これ好きなのです。 東京・立川の古アパートをルームシェアして、下界で休暇をエンジョイしているイエスとブッタ。 21世紀の洗礼!を受けつつ、意外と逞しい順応性を発揮しながら、現代日本を満喫している2人w
電車に乗ったり、お買いものをしたり、ディズニーランドに行ったり、市民プールに行ったり、ブログにハマったり・・ささやかな日常風景なんだけど、ちょっとズレた2人のお茶目っぷりが可愛い^^ 時々興奮して変な奇跡を起しちゃったりしながら、いい感じでキョドってますw
そもそもの発想が日本人チックで好きです。 神社のお祭りで、お神輿担いでノリノリのイエスとブッタの姿を、ここまで嫌みのない優しい笑いの中に封じ込められるって凄いかもしれない。 本来、非常にデリケートなものやタブーを孕んだ分野に対して、全く腰が引けてないっていうか、肩肘張ったところがないっていうか。 決して神様や仏様をおちょくってるわけではなくて・・いえ、ウソです。 おちょくってはいます。
でも、親しみがあるからこそ、人々の中に穏やかに溶け込んでる存在だからこそ描ける境地かなとも思えて。 流石、八百万の神々のおわしめす国の漫画家さんって感じです。
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そろそろ旅に / 松井今朝子
そろそろ旅に
松井 今朝子
講談社 2008-03
(単行本)
★★

弥次喜多珍道中でお馴染みの「東海道中膝栗毛」の生みの親、江戸後期の戯作者、十返舎一九の若かりし日々を描いた評伝小説。 あっけらかんとした笑いと、下品さ、バカバカしさを併せ持つ独特の味わいで人気を博し、他人を貶すことには定評のあった滝沢馬琴を以てしても、“最も板元を潤した”(ま、これも皮肉だけども;;)と言わしめた江戸の大ペストセラー本が生まれるまでを描いています。
東洲しゃらくさし」を読んだ時に、脇役として登場した一九に対する今朝子さんの愛を感じたので、いつか書くんじゃないかとにらんでいました 笑
駿府町奉行所同心の倅として生を受けるも、故郷を飛び出し大坂へ。 東町奉行・小田切土佐守の知遇を得て家臣となるも、またそこを飛び出し武士を捨て町人へ。 商家に婿入りして浄瑠璃作者に名を連ねるも、またしてもそこを飛び出し江戸へ・・ “どこにいても腰がすわらん。すぐ旅に出とうなる”性分で、飄々とした根無し草のような、けれどどうにも憎めない一九のキャラクターをじんわりと満遍無くストーリーに沁み込ませる筆力がお見事。 それだけに、太吉を登場させず、シンプルに勝負してもよかったんじゃないかという気も・・ シリアスな精神性の暗喩がいまひとつ解釈できなくて。 おそらく一九という人物を読み解く上で、重要な部分と判断した今朝子さんの意図が、あの仕掛けに反映されているんだろうけども。
流離いの旅人であり続けたかのような人生の中で、天啓を得た瞬間の如きクライマックスシーンは、やがて山東京伝の影響下を脱却し、ライフワークとして世に問い続ける「東海道中膝栗毛」が生まれ落ちる舞台装置として、凝った演出が効いていて惚れ惚れしました。
時代はちょうど、開放政策の弊害による貧富の差の拡大や、天災が相次いだことにより、社会不安が膨張する田沼政治の末期から、松平定信の“寛政の改革”に始まる引き締め政策へと向かう転換期。 また、浄瑠璃の緩やかな衰退や戯作の勃興により、文化の中心地が上方から江戸へと移りゆく転換期でもあって、時代の変わり目を生きる大坂、江戸市井の様子が、まるで見てきたかのように活き活きと写し取られています。 世の中の変転と一九の足取りがストーリーの螺旋のように絡み合っていく展開にグッと惹き込まれました。
後半ではお馴染みの、馬琴、京伝、蔦重、三馬たちの面々も登場し、一九と交友を深めています。 どのキャラも光ってましたねぇ〜 この辺り、もしかすると興味がなければ退屈な部分なのかなぁと思いつつ、こんなに心置きなく彼らの個性を楽しませてもらえて嬉しかったです。 一癖も二癖もある輩たちの、その長所をキラッと描いて、みんな憎めない人物に仕立てていく手腕に感服。 登場人物の誰かに加担しないという手法が、この作品をとても好もしいものに引き上げている気がします。
戯作の大家、山東京伝ですら、筆一本では食べていけなかったという時代。 過酷な検閲の最中で、書くことに対する拘りを持ち続けた男たちの心意気が、さり気なく、でもしっかりと息衝いていました。
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アムステルダム / イアン・マキューアン
アムステルダム
イアン マキューアン
新潮社 2005-07
(文庫)


[小山太一 訳] ロンドン社交界の花形だったセレブ女性の葬儀の場面から物語は始まります。 葬儀で顔を合わせる実業家の夫と、3人の元恋人(作曲家、新聞社の編集長、外務大臣)の運命が、亡き女性の遺した1枚のスキャンダラスな写真を巡って動きはじめ・・
1998年のブッカー賞受賞作品。 「愛の続き」がよかったので、調子に乗ってマキューアン読んでみたのですが、難解・・なのか? それすらよくわからないという情けないことになってます。
あとがきや解説があると、(思い切り影響を受けてしまうので)なるべく読まないうちに感想を書こうと思ってるんだけど、ブッカー賞ともあろう作品にショートショート風ブラックジョーク? って感想しか浮かばなくて。 ヤバいね;;
というか、文章がそっけなさすぎて、自分の読み取った結末で合っているのかどうかも心許なく、実は裏をかくような真相がわかってないとか? なんて悶々としてしまい。 で、先に訳者あとがきを読んでしまいました。
“平凡な俗世間のプロットの残酷さと意識的にエレガントに戯れてみせている”とのこと。 つまり、このプロットは一周まわって“ネタ”っていうか、ベタを再構築したパロディってことなんですかね。 そこまで見積もって読む力があったらもっと面白く思えたんだろうなぁ。
社会の成功者といわれる人たちも、当然なんだけど完璧な悪人じゃないし、完璧な善人でもない。 理性と常識で武装してもいるし、感情の起伏に突き動かされもする。 ことの成り行きで歯車を狂わされる危うさも・・
タイトルの“アムステルダム”は、作者と友人の内輪ジョークで“お前はどうかしているぞ!”ほどの意味らしい。 これもね、いったいどんな暗喩なんだ? と読後に肝を冷やしてました 笑
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仮題・中学殺人事件 / 辻真先
仮題・中学殺人事件
辻 真先
東京創元社 2004-04
(文庫)


初版は1972年。 著者の(小説家としての)デビュー長篇です。 帯に“犯人は読者だ!”の惹句がドーンと掲げられていて、なにやらイロモノギミックの予感にときめいてしまいました。
え? そこバラしちゃっていいの? と危ぶんだんだけど、確かにこれは予め告知した方が正解。 なぜ読者が犯人なのか気になって気になって、もうその吸引力だけで釘づけにさせられる。 で、まぁ、うん、そういうことね・・という感じではあった^^; この部分に関しては詭弁系というかね。 「メタフィクションを装った引っ掛け」みたいな趣向だったかな。
短篇をジョイントさせて長篇に組み立てた感じなので、“犯人は読者だ!”のセールスポイント以外にも小粒なアイデアがいろいろ埋め込まれてます。 密室あり、アナグラムあり、ダイイング・メッセージあり。 時刻表トリックのアリバイ崩し二連発は、食わず嫌い気味だったけど楽しかった!
以下、ネタバレ含んでおります。 しかし何と言っても一番心惹かれたのは、小説そのものに施された手の込んだメタフィクション構造。 作者の物語と作者が書いた物語が絡み合って同時進行するパターンだけなら珍しくはないのだが、特筆すべきは二人の作者がこの小説を書いていると主張しているところ。
読み終わった後、どっちが主でどっちが従なのかしばらく悩み抜いてしまった。 これは相互入れ子式というのか、胡蝶の夢式というのか・・ そんな理解でいいのか? 著者が“辻真先”なんだから、やっぱり“辻真先”の方が実質的な上位にはなるってことなのだろうけど、逆に言ったらその差だけだよね。 元々は両方とも著者のペンネームだったらしい。 執筆活動の中で統一、淘汰されていったという背景を重ねて読むと、ペンネームを授かった両登場人物が背負う明暗が感慨深くもある。
本篇は、スーパー&ポテトのシリーズ一作目。 超美少女と芋男子の中学生コンビについては、シリーズの歩みとともに成長の様子が追えるみたい。 本篇だけでも冒頭とラストでは、その関係性に青春期らしい変化が見られます。
この二人、探偵と助手ではなくてダブル探偵っぽいのだよね。 彼等が牽引するポップで軽妙なサイドと、犯人への憐憫や死による浄化といったエモーショナルな翳りのサイド(←この辺にはそこはかとなく時代性を感じる)と、何かとてもコントラストの強い小説空間。
当時の漫画文化や、古今東西の探偵小説への言及も多くて、サブカルチャー的なモードが薄っすらと敷き詰められているのも特徴的。 昭和四十年代に書かれたとは思えないくらい古さを感じないのだけど、創元社から復刊された新版には少し手直しが入っているのかも。
あっけらかんと罪もなく他作品のネタバレするのがデフォだった時代に、よくもここまで回避したなぁというのが地味な驚きだったりして。 もしかすると現代のマナーに合わせて修正してくれたのかな。
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変愛小説集 / アンソロジー
変愛小説集
アンソロジー
講談社 2008-05
(単行本)
★★★

[岸本佐知子 編・訳] 現代英米文学の愛にまつわる物語十一篇。 愛は愛でも“恋愛”ではなくて“変愛”なんです。 岸本テイスト全開な中毒性の高い逸品揃い。 いつの間にか“変愛”が、愛を突き詰めた一つの“純愛”に見えてくる快感!
一番心惹かれたのは、「五月」「リアル・ドール」「獣」辺りでしょうか。 いやいや、もう、みんなよかったです。 トップバッターの「五月」は、木を恋する語り手、語り手を恋するもう一人の語り手の片想いの連鎖が、美しい幻影的な筆致で描かれていて、のっけからキュ〜ンと胸が鳴ってしまいました。 「リアル・ドール」は、バービー人形とのマジ交際な話で、好き! と宣言するのが恥ずかしいタイプの作品なのに、でもやっぱり好きなのです。 岸本さんによるとカルト的な人気がある一篇とのことですが、なんかわかるわ・・ 「獣」は、短い作品ですが一番インパクトがあった。 これは勝手な思い込みなんだけど「父親に犯されたことを父親に守られたのだとすり替えて記憶している」みたいなイメージです。 それも語り手自身が強い意志を持って記憶を改竄している感じがします。 おぞましいはずなのに、なんでこんな怖いくらい透明感があって美しくて切ないんでしょう。
「僕らが天王星に着くころ」は、奇想天外な中に不思議な可愛らしさがある作品だったし、「まる呑み」は、グロテスクなのに、ラストには思わずホロっとくるくらいやられてしまったし、「ブルー・ヨーデル」のタダモノではない描写力にすっかり惹き込まれてしまったし・・ おこがましいかもしれませんが、この作品集の良さをお腹いっぱい味わえた気がしています。
有名どころ(?)では、ニコルソン・ベイカー、ジュディ・バドニッツも入っています。 単に雑誌掲載順というわけではなく、作品の順番まで綿密にプロデュースされていて、手間をかけて心を込めて世に送り出された感が伝わってくるのも読んでいて嬉しい。
あとですね。 読みながらずっと、川上弘美さんの短篇「物語が、始まる」が無性に頭を過ぎっていたのです。 日本代表として、この中に混ぜて欲しいくらい響き合うものを感じて・・

収録作品
五月 / アリ・スミス
僕らが天王星に着くころ / レイ・ヴクサヴィッチ
セーター / レイ・ヴクサヴィッチ
まる呑み / ジュリア・スラヴィン
最後の夜 / ジェームズ・ソルター
お母さん攻略法 / イアン・フレイジャー
リアル・ドール / A・M・ホームズ
獣 / モーリーン・F・マクヒュー
ブルー・ヨーデル / スコット・スナイダー
柿右衛門の器 / ニコルソン・ベイカー
母たちの島 / ジュディ・バドニッツ
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