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ユーモレスク / 長野まゆみ
ユーモレスク
長野 まゆみ
筑摩書房 2007-07
(単行本)
★★★

大きな喪失感の中の陽だまりみたいな・・無機的で優しく、静謐な時が流れている。 そこには脆さと隣り合わせのようなひっそりとした緊張感もあって・・
ディテールも長野さんにしては凝った印象がないし、完全に“こっち側”の作品なのに、奇跡的に保たれた儚い調和を感じる。 美しい。 いつもながら、長野さんの描く世界にしっぽりと浸る幸せ。 セピアカラーの情景と、素朴なユーモレスクの音色が絶え間なく揺蕩っているような、ノスタルジックで淡く切ない空間です。
シンプルな“浄化”の物語のように読みました。 穏やかな愁いに包まれた読後感。 余韻を残します。 ボーイズラヴ系で、ちょっぴり生々しげな展開にもなるんですけど、衣装や調度品や家屋など細部に施された描写のこまやかさが、逆にリアルなものを消し去ってしまうようにすら感じられ、また登場人物がみなユニセクシャル的なので、やっぱり不思議と幻想的なんですよね。
文庫版は書き下ろしの「アラクネ」という短篇が併録されているとのこと。 図書館にハードしかなくて、そっちは読めてないんですけど。
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エコール・ド・パリ殺人事件 / 深水黎一郎
エコール・ド・パリ殺人事件
−レザルティスト・モウディ−

深水 黎一郎
講談社 2008-02
(新書)
★★

美術蘊蓄系ミステリ。 そして、かな〜り正統派な本格ミステリでもありました。 作中作として挿入される「呪われた芸術家たち」という美術書が事件の鍵になっていると同時に、素人にも解る美術論的な読み物としてとっても面白い。
作中作者である画廊経営者の見解には、作者の深水さんが素で書いた要素が多分に含まれているようにお見受けするので、愛情を込めて世に送り出された一冊のように感じられて、好感が持てます。
だいたいにおいて、モディリアーニやスーチンとエコール・ド・パリが結びついていないレベルでしたから;; そもそも“エコール・ド・パリ”って何ですか? 状態でしたから;; もう、全然ダメダメです。
こんなわたしをも手取り足取り誘導してくれ、なおかつ薄っぺらさを感じさせないのが素晴らしい。 蘊蓄系といっても独りよがりな読者置き去り系ではないので、警戒せずに手にとって正解だと思います。 まぁ、美術に全く興味を掻き立てられないというのでなければ・・
フランス人って、国民性としてどこか“一人一派”的なものを持ってますよね・・なんとなく今も。 真の芸術家気質的なものを。 20世紀前半にパリで活躍したエコール・ド・パリの画家たちの精神というのは、何らかのかたちで、土地に深く染み込んでいるのかも・・いてほしい。 そう願いたくなります。
比べてしまうと日本人というのは(自分もです)、哀れなくらい流行に踊らされちゃいますし、何かに属していないと安心できません。 自己の意思を超えて、大きな流れの渦に呑まれていても気がつきもしないことの怖さみたいな、現代社会への警鐘もちょっぴり込められているような気がしました。
脇役警部の駄弁のウザさといい、探偵青年の小生意気な青二才っぷりといい、なかなかにホットなので、シリーズ化して欲しいなー。
最近、怠け心がもたげてきて、ずっとアップさぼってました。 これも読んでからあまりに時間が経っていて、鮮明な感想が書けません・・やばし。
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幻の女 / ウィリアム・アイリッシュ
幻の女
ウィリアム アイリッシュ
早川書房 1976-04
(文庫)
★★★

[稲葉明雄 訳] 再読。 “夜は若く”で始まる冒頭の銘文は、アイリッシュと稲葉氏からの至高の贈り物。 叙情的で簡潔で美しく、何度読んでも魅入られる。
コーネル・ウールリッチがウィリアム・アイリッシュ名義で1942年に発表したサスペンスの不朽の名作。 死刑執行までに身の潔白を証明しなければならないタイムリミットものの走りであり、1ジャンルを確立させた礎的な作品であるとも言えるのかも。
絶体絶命の緊迫感やギラギラするような焦燥感はさほどでもないのだ。 それより漠とした孤独感や虚無感、故意なのか偶然なのか・・ 得体の知れない理不尽さに蹂躙される悪夢的でノワールな雰囲気が濃厚に漂っていて、密やかでエレガントな都会小説の趣き。 時事的背景や実地に即した描写はほとんどないのに、ニューヨークの夜の街の匂いが甘美なまでに立ち込めている。
そのような感情がなぜ起こり得るのか。 三人称多視点と直接話法を有効に使い分けて仕掛けられた文脈の魔術が見事である。 時間経過と場面の切り替えも効果的で、読者の想像力に委ねたような省略箇所が、ミスリードになっていたり、なっていなかったりもする辺り、プロットの巧みさに唸ってしまう。
読み返してみると、徐々に薄暗さを増幅させる淡い伏線が張られていたことにも気づかされて、あっと驚く結末をわかっていてもまた読みたくなる、そんな作品。
1回目読んだ時は、“幻の女”は、幻のままでよかったのではないかという思いに駆られたのだが、今回またページを繰り読み終えてみると、影の薄い“幻の女”の、その実態こそが、物語をずっと潜在的に支配していたように思えてきた。
どこか病んだような、倦んだような時代の気配がそこはかとなく底流していて、やはり、この女性の実態抜きでは、この完成度は生まれ得なかった、そんな気がしたのだった。
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竹取物語 / 上坂信男 訳
竹取物語 全訳注
上坂 信男 訳
講談社 1978-09
(文庫)
★★

「源氏物語」に、“物語の出で来はじめの祖”と位置づけられた「竹取物語」。 成立は9世紀後半から10世紀前半。 作者は未詳。 本書は、現存する古写本の一つ“吉田博士蔵本”の注釈付き全訳版。
「竹取物語」がどのような作品か、これまでなされた多くの論及の結果として、21通りもの性格が序文で紹介されていてびっくり。 しかし、どうもあまりピンと来なかった;; 自分にとって一番近いのは(どれかっていったら)7番目の“成人向芸術童話”辺りかなぁ。
徹頭徹尾、俗と超俗の、地上と天上の対比で構成され、物語られていたんですね。 訳者さんはそこに“幼き人”と“大人しき人”との対比という観点を強く投影し、現実の渦中であくせくしている人々に、真の価値ある生き方の回復を訴えかける寓話として捉えることを奨励しています。
確かに世俗的な欲求と超俗への憧憬が葛藤する物語ではあったんだけど、なんていうか・・ 教訓は挟まず、優劣も善悪も超えて、ただ目に映る対比だけを見つめた時、深い感銘に到達できる心地がした・・かも。
自分は “宿運の物語”として読んだというのが一番近かった。 大切に育てた女の子が、娘盛りで死んでしまった時、もし父親に文才があったら書きたくなる(そして慰めを得たくなる)だろう寓話に思えてならないのだ。 罪によって下生した者が、時を経て罪を許されるという、根っこは輪廻転生の仏教思想なのかもしれないけど、宇宙からやってきて地上で仮初めの命を生き、また宇宙へ還るという、もう普通に自然科学の死生観として、どうしようもなく沁み込んでくるものがあって。
かぐや姫は人間的俗情と相容れない存在なのだけど、翁が示す子供への愛情と、帝が示す恋情の中の、我が身を省みない無心の成分だけが人の持ち得る超俗さのポテンシャルのように描かれていたこと、訳者さんのナビゲートによって理解を深めました。
地上と天上、あるいは生と死の間には侵すことのできない理がある。 だからこそ翁と帝が辛うじて許されたかぐや姫とのささやかな交感が、どんなに特別なものだったか・・と思うのです。 ラスト、不老不死の妙薬を手渡されながら、それを飲まなかった翁と帝の行為に、自分は不思議とカタルシスを得ました。 大きな定めの中に生きていることを感じてしまう何か。
来迎引摂のイメージが繰り広げられる終局のスペクタクルは、眼裏に残るような映像美。 それと初めて知ったんですが、5人の貴公子の求婚失敗譚には、それぞれ諺の起源説明(風)に掛けことば(ダジャレ?)を用いたオチがついてるんだね^^ 物語全体の締めまでも兵士(ふぇいし)≒不死(ふし)≒富士(ふじ)。 で、富士山の山名秘話になってるという。 ここに一番日本人の心を感じた・・orz だからダジャレを侮るなってあれほど! 好きw
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華々しき鼻血 / エドワード・ゴーリー
華々しき鼻血
エドワード ゴーリー
河出書房新社 2001-11
(単行本)
★★★★

[柴田元幸 訳] ゴーリーはアルファベット・ブックをネタにした絵本をいろいろ作ったそうですが、これもそんな一冊。 ただし名詞ではなく副詞にスポットを当てている点が特徴的。 言わずもがなですが、子供のためのABC学習という健全な大義が木っ端微塵に^^; 不条理なブラック・ヴァージョンとして生まれ変わっております。
AからZの頭文字を持つ26通りの副詞を組み入れた26通りの断片的な短文にそって、そのシチュエーションを視覚表現した26通りの絵がいつもの緻密な線で順番に描かれています。
使われている副詞がなんとも絶妙のくすぐりを発揮する文と絵のコラボ。 副詞が醸し出す“ざわめき”が揺曳していて、主役ではない品詞が持つデリケートな作用の面白さに改めて気づかされる。
“本書は副詞というものに栄光を与えた書として言語遊戯の歴史のなかでも特筆すべき一冊と言ってよい”とは柴田元幸さんの談。 原文をいろはカルタ調に訳したセンスがお見事でした。 いろは順にそのまま置き換えるのは流石に無理としても、上手く独特な世界観を喚起してくれます。 そもそもカルタはランダムに読み上げるものだしこれで合ってる。
柴田さんはゴーリーがチョイスした副詞の偏りっぷりを分析して、無為系、悪意系、切ない系、曖昧系の4系統に分類しておられるのですが、まさにこの4つを併せ持つ雰囲気のなかに不思議なユーモアを飄々と発散させる・・というのがゴーリーの魔術。
それにしても、タイトルと表紙の意味不明さは何なのw 内容との連関がさっぱり掴めないまま見つめ続けていると、そのギリギリの悪趣味さとバカバカしさに笑いが込み上げてくるから困る。 こういうセンスってどことなく英国っぽい気がするのはなぜか。 で、裏表紙に目を転じてゾクり&クスり。 想像力を刺激する澄ましかえった“不穏”がシュール過ぎます!
余談ですが、「キャッテゴーリー」の猫と「蒼い時」の犬が(擬人化されてないヴァージョンで)友情出演してると思っていいんでしょこれ? てか本篇の猫と犬が現実(笑)で、「キャッテゴーリー」や「蒼い時」は、猫と犬が夢見た魔法の国の物語だったのに違いないわ・・
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キャッテゴーリー / エドワード・ゴーリー
キャッテゴーリー
エドワード ゴーリー
河出書房新社 2003-10
(単行本)
★★★

1から50までの数字と、一定のヴァリエーションの小道具と一緒に50通りの決めポーズ(?)を披露する猫たち。 ただそれだけなのです。 それだけなのだけど、眺め続けているうちにじわじわ〜っと味わい深さが募ってきて、手放せない宝物のように思えてしまいます。
のほほぉ〜んとしたブサカワ風の猫たちは、ゴーリーの愛猫がモデルなんでしょうね。 足ばってんにしてお腹上にしてアンニュイ気に微睡んでいる風情など、猫好きならではの猫アルアルっぽくてクスッとなります。
モノクロームの薄暗い緻密な線画とは趣きの違う明るいカラー画です。 いつもの言葉遊び的な文章も添えられておらず、絵だけで構成されているので、絵本というより画集に近いかというと一概にそうとも言えず、あるやなしやの淡いストーリー性が見え隠れしてそうな、してなさそうな・・ ゴーリー・ワールドの不思議さが詰まっていることに違いはありません。
マリン・ルッキングな風合いで全体が淡く彩色されています。 凪いだ海、ボート、岩、砂浜、船出を見送る紙テープ、荷物、手紙、桟橋? 埠頭? 甲板? 船梯子? 海を見下ろす丘の墓地・・? 潮騒の音が聞こえてきそうなアイテムの中に、一輪車や壺や墓標などゴーリーらしいアイテムも混ざっていて、そこに縞シャツを着た船乗りチックな猫たちが、やけに長閑に、あるいは曲芸師もかくやというキワキワな一瞬のポーズで佇んでいたりして。
潮の香りを運ぶ風がさわさわと吹いていそうな・・ なぜかそこはかとなく郷愁を唆るシチュエーションなのです。 でもゴーリーがやってるからメランコリーのパロディかなって思えてしまうし、実際にそうだからお茶目。 とぼけた顔して何してるのw みたいな。
しましまシャツがデフォなんだけど、中にはしましまマフラーをなびかせてる猫や、一匹だけしましまタイツの猫がいて笑った。 ページをめくるに連れ、あれ? どこかで見たな・・って感覚に。 道具、縞シャツの色、猫たちのポーズ、数字の書体・・ 様々な分類法で何通りにもカテゴライズできそうな、パターン化されてるような、されてないような、似て非なる絵面の組み合わせが既視感を擽るのです。
表紙は“CATEGORY”のEをRとYの間に移動させて“CAT GOREY”に変えようとしてる猫二匹。 タイトルの「キャッテゴーリー」は、“カテゴリー”と“キャット ゴーリー”の中間をとった感じの造語だろうか。 原書もこの読み(音?)なのかな、たぶん。
ゆったりとした時間の中に漂う仄かな内面性がキラッとしていて、既読作品では「蒼い時」に通ずるものがあったかなぁ。 本書の猫と「蒼い時」の犬が共演してる「Cats & Dogs」というポストカードセットがあって、そっちでは犬たちが猫の横しましまカラーシャツ仕様に合わせた縦しましまカラーシャツに着替えてるのですよ。 可愛すぎて欲しすぎる><。
一般の数字やローマ数字や英語表記の中に一つだけ混ざる漢数字の“五”! しかもこれ絵面が枯山水!(ゴーリーの大好きな竜安寺のイメージかな?) 石庭の石の一つになりきっちゃった猫さんが、白砂の波間に神妙な風情で佇んでる和テイストなのだからテンション上がらずにおれません^^ やはりこの一枚が依怙贔屓のお気に入り♪ 「蒼い時」の“カンパンヨー・イス”のページと一緒に飾りたいw
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ある閉ざされた雪の山荘で / 東野圭吾
ある閉ざされた雪の山荘で
東野 圭吾
講談社 1996-01
(文庫)
★★

“本格推理のイミテーション”であり、“本物とは一味違うところがミソ”と、東野さん曰く。 なるほど、当時の新本格ムーブメントを揶揄るようなチクリとしたスパイスが効いてたり。 でも、パロディなんておふざけの次元じゃないと見ました。 メタ趣向を用いてリアル社会に適合しうるガチ本格をやってのけることで純然と内側から揚げ足をとった挑戦作。 “演技者”という属性を皮肉なまでに有効利用した狡知な手腕が心憎く、アイデアとテクニックが掛け値なしに痛快。
演出家の指示のもと、高原のペンションに集められた役者志願の男女7人の若者たち。 ペンションを“閉ざされた吹雪の山荘”に見立てた、シナリオのない創作推理劇の舞台稽古が幕を開ける。 織り込み済みの演出なのか、殺人鬼の暗躍なのか・・ 芝居の中の現実と現実の中の芝居が並走し、錯綜し、膠着し、その狭間で宙吊りにされた登場人物たちを覆う不穏な空気が徐々に醸成されていくプロセスもスリリング。
フーダニット的には人物造形でピンと来る(ようにあえて仕向けられている?)からこそ、「アリバイ崩し」というレッドへリングを嗅がされることになり、どんでん返しの仕掛けに唸るほかなかった。 そこへ真打ちたる視点トリックが畳み掛けてきて、微かに燻っていたアンフェア疑惑を一掃していく巧者ぶり。
ディスカッション場面で、ノックスの十戒に代わる新時代の鉄則と称し、作中人物が揚言するあれやこれやは、今にしたらお題目のような本格批判なわけなのだけど、時代に則したミステリを模索する変革的スピリットから生まれた強度を持ち、本格ミステリ史に刻みたい意義と輝きを内在させている作品だと感じました。
種明かしの段では、見える悪意、見えない悪意、愛と憎しみ取り混ぜて動機周辺のドラマが掘り下げられ、ゲームで終わらせないための“人間を描く”の有言実行が試みられていたのかもしれないのだけど、個人的には蛇足に感じちゃうんだなぁ。 ここのベタベタさえ削ぎ落とせば傑作なのに惜しい・・と思っちゃうのは考え違いなのかしら;;
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ひまつぶしの殺人 / 赤川次郎
ひまつぶしの殺人
赤川 次郎
角川書店 1984-01
(文庫)
★★★

楽しかったー! 1978年に書き下ろされたユーモアミステリ長篇で、赤川さんの初期の傑作・・と言っていいですよね?! 恩田陸さんの「ドミノ」とか伊坂幸太郎さんの「ラッシュライフ」とかお好きな方にお勧めしたい。
一見なんの変哲もなく平穏そうに見える早川家の面々が、皆で朝食を囲む日常の団欒風景で物語の幕が開けます。
しかしこの五人家族、実のところ、美術商の母親は泥棒一味の首領、ルポライターを自称する長兄は遣り手の殺し屋、インテリア・デザイナーの美貌の長女はいくつもの顔を持つ詐欺師、そんな家族の裏事情も知らず、日夜正義感に燃える三男は熱血刑事、偶然各々の秘密を知ってしまい、家族の大問題に一人頭を抱えている次男は弁護士・・といった具合。
まずこの大胆不敵な設定に心が踊りまくりです。 いったいどんな物語になるのぉ? と、否応無く期待値ガン上がり状態でしたが、その期待に応えてくれるから凄い。
ある時、石油で財を成した謎多き大富豪がダイヤ・コレクションを携えて日本へ帰国します。 すると滞在中の湖畔のホテルには、それぞれの思惑や使命を抱えた早川家の面々が、吸い寄せられるように集結してしまい、当然の成り行きですったもんだを繰り広げる・・といった展開。
なんとか家族の衝突を回避しようと、涙ぐましくも孤軍奮闘する気苦労の絶えない次男を主軸に据えながら、場面転換を多用して驚きやどんでん返しを小粋に連ねた物語は、テンポよく軽快に回っていきます。 ダイヤ争奪戦と殺人劇をコミカルに、ちょっぴりお色気ありで描いた、さながら狂想曲のような、洒脱なスラップスティック・コメディです。 ラストに隠し持った一大切り札が切られるまで、弾むように転がり続け、読者の心を掴んで離しません。
この物語の素敵なところは、職業稼業とその巡り合わせ、秘密を知る者知らざる者など事情はさておき、家族が愛情深くお互いを思い合ってるところでしょう。 それ故に、人物属性とその絡み合いの滑稽さがこんなにも引き立ってくるのだと思いました。
小説技法は然ることながら、社会背景などもそんなに古さを感じなかったんだけど、大臣が公認の愛人を連れて歩いても誰も何も言えない空気って。 にわかには信じ難いけど当時はアリだったんだろうか? 流石に誇張か??ってのが気になったり 笑
あと、最後、ちょっとギョッとするような真相の、ユーモアの中にあっては異物のようなあのインパクトは、時間とともに余韻となって奇妙に馴染み、むしろ自分の中ではこの物語の華になってしまった感があります。
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ノミ、サーカスへゆく / 金井美恵子
ノミ、サーカスへゆく
金井 美恵子
角川春樹事務所 2001-07
(単行本)
★★★★★

[金井久美子 絵] なんなのコレめっちゃ好み>< チャーミングでシュールな四篇の絵物語集。
前半の二篇は連続しているノミの話で、飼い猫トラーの毛の中に暮らすノミたちの日常を描いた「ふかふかのもりの(猫の)うち」と、そのノミたちがノミの大サーカスでスターになることを夢見てトラーのおうちから旅立って行く「ノミ、サーカスへゆく」。
ノミ目線でイメージされる世界がなんとファンタスティックなことか。 シニフィアンとシニフィエ的な? 言葉の名前性と意味性で遊んでるみたいなウィットがいい感じなのだ。 なんでノミたちが旅立ってしまうお話が出来上がったか、あとがき読んでふふふっとなりました。 トラー絶対つまらないなんて思ってないしw でも素敵。 こんな発想で物語が創造できてしまうなんて。
後半二篇は、それぞれ独立した豚の話で、ヨークシャーの名門出の豚ホッグがブラジル大草原の名門出のパイナップル娘に恋をする「ホッグの初恋」(・・と書いてるだけでオチがバレバレなところが好きだ♪)と、町が動物飼育熱に浮かされていた子供の頃に飼ったピンクという豚のことを綴った「豚」。
甘い蜜のようなブラック・ジョーク風。 なまめかしいような、恬淡としているような。 祝福したらいいのか慰めればいいのか、対処に悩む気持ちを誘発させる感性が、食材である生き物に対する独特な距離感が、ただそこに差し出されていて・・
現実と物語にはおぼろな接点があります。 なんとなくノスタルジックな香りがするのはご自身の子供時代に取材した話だからなのだね。 カラフルで華やかで夢のような絵の描き手は姉の久美子さんだそうです。 金井美恵子さんの作品の装画、装丁を手がけるそうですが、こんなにがっつりコラボした作品は他にあるんだろうか。 文と絵が分かち難い。 ご姉妹の共同ワークの精華。
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聖☆おにいさん 2巻 / 中村光
聖☆おにいさん 2
中村 光
講談社 2008-07
(単行本)
★★

ふふふふ・・更にちゃっかりアップ♪ 下界でのクリスマス&初詣に浮かれ〜の、ダイエットに燃え〜の、秋葉原へ聖地巡礼(笑)に出かけ〜の、初体験三昧です。 ツボは山ほどあるのですが、一人称“私”に、全話通して地味にヤラレれてますw
ちょっと気合いが入ると、ブッタは後光が差してしまうし、忍耐の限界に達するとイエスの聖痕からは血が;; 往年のキャパシティはいったい何処へ逝ってしまったのかというくらい、小市民レベルのこんまいことにうつつをぬかして一喜一憂、右往左往しておりますね。 相変わらずラブリーです。 ウチのお風呂もワイン風呂にしちゃってくれないかしらん。
ホントんとこ(であるはず!)の2人のエピソードに因んだ小ネタ(宗教ネタ)が小憎らしいほどふるっていて劣化をみせません。 仕掛けられたスイッチに反応しきれていないのが勿体ないような気がしてきて、そして、おにいさん達の昔の雄姿(なにか間違ってます?)を拝ませてもらいたい気分の方へと押されてゆく今日この頃。 これも聖なる効果かしらん。
酒見賢一さんの「泣き虫弱虫諸葛孔明」を読んだ後に、吉川英治版「三国志」を読むという邪道(?)すら足元にも及ばない暴挙だったりしないだろうかと、ちょっと不安はよぎりつつ。 まずはやっぱりブッタの愛読書、手塚治虫の「ブッタ」でしょうか。
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