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マジックミラー / 有栖川有栖
マジックミラー
有栖川 有栖
講談社 1993-05
(文庫)
★★★

有栖川さんが“若手”だった初期のノンシリーズ作品。 消費税が始まった平成元年が舞台です。(お書きになったのも同時代かと思います) 二段構えのアリバイ崩しが双子トリックと華麗に融合しています。
本格ミステリにそこまで興味がなかった頃に読んで、頭が追いつかないまま凄いなぁ〜とひたすら感嘆していた記憶があるんですが、少〜し惹かれ始めている今、頭を振り絞って再読してもケチのつけどころが見当たらないです。
作者あとがきに“アンチ鉄道ミステリという評が最も我が意を得たものだった”とありました。 どの辺が“アンチ”なのか全然わからなくて暫し悩んでしまいました 完璧のその上をいくような鉄ミスだと思ったので。
もしかすると・・あえて“時刻表トリック”を踏襲し、その完成度を見せつけた上で涼しく前段(前座的)に使って、真の見せどころは鉄じゃないんだゼ!その先なんだゼ! っていうある種の挑戦的な作品だったってことなのかな。 違うかな。
タイトルが物理的にも比喩的にも犯人の動機や主人公の想いを表現しているのが上手いです。 トリック上の縛りでもあったでしょうけども、内面描写が薄いところが、感情表現の抑制効果にもなっていて、とてもエレガントな雰囲気がありました。 逆に切々としたものが行間から伝わってくるようで抒情性ってこういうことだよなぁ〜って。
本作には主人公の推理作家が大学のミス研で“アリバイ講義”をする場面があります。 ここは作者の素のパートでしょう。 アリバイトリックを細かく分類し解説してくれるのですが、これがなかなかにクール! 保存価値ありありです。 “アリバイとは四次元の密室”という言葉が印象深い。 あとがきでは分類されたアリバイ毎に、その代表作も紹介されています。
ちなみに解説は鮎川哲也さん。 若き有栖川さんが嬉しそうです 鮎川さんいわく、論理の積み重ねによって真相を看破するクイーンと、地道な捜査を重ねてアリバイを破るクロフツの、二つのタイプの作風を融合させ、発展させて優れた長篇にまとめあげているとのこと。 ふむふむ。 ( ..)φメモメモ
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ねにもつタイプ / 岸本佐知子
ねにもつタイプ
岸本 佐知子
筑摩書房 2007-01
(単行本)
★★★

エッセイ? 疑似エッセイ? 掌編集? 岸本エッセンスが凝縮されたバラエティに富んだ妄想本。 ディテールに拘り、遠近感で遊び、無機物のフォルムやスペックに陶酔する・・
当たり前のことがどうしようもなくヘンテコに思える瞬間を切り取り、愚にもつかないことに執着し、ちょんまげについて、コアラの鼻について、とことん深く考える。
翻訳のお仕事と格闘しながら、有象無象の妄想に脳内を占拠されて思考は果てしなく脱線し、国会図書館では自分の分類カードの隣の“岸本Q助”さんの日常に想いを馳せたり、昔の子供向け動物図鑑を執念深くウォッチしてはその奇妙な味わいを追及する精神に絆される;; 愛執渦巻く思索とイマジネーションの迷宮に誘われ、心のスキマを埋めてもらってまいりました〜。
理性や常識の壁に阻まれて明確な思考や言葉に至ることなく溶けていった愛すべき雑念たちのお祭りのよう。 逸脱し暴走しているかのようでありながら、読んだ者がツボってしまうのは、ふとこの感覚は知っているなと、気恥ずかしい愛着心をズキンと刺激されるから・・その辺りに要因があるんでしょうか。
これを読んで岸本さんが本当にヤバイ人だとは誰も思わないでしょう。 イっちゃってる見せ方がオサレだし、どこか文学的だし、スタイリッシュで品があり。 はっきり言ってしまうと(見事な)“読みもの”に昇華しているワケなのです。 だからこそ安心してニヤニヤウホウホ楽しませてもらえるのですもん。
“べぼや橋”をググりたくなる衝動を抑えられないのはわたしだけではないと思いますが、因みに現時点で25,400件。 “べぼや橋”大出世です^^;
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頭のうちどころが悪かった熊の話 / 安東みきえ
頭のうちどころが悪かった熊の話
安東 みきえ
理論社 2007-04
(単行本)
★★★

[絵:下和田サチヨ] ほんのり苦味の効いた動物寓話のショートストーリー集です。 概念から連想を広げる余地や、眼差しのバランスが素晴らしくて、自然体の温もりと厳しさをじんわり伝えてくれる作品。
人生って、どうにもこうにも割りきれなくて歯がゆいけれど、でもそんなこんなを全部ひっくるめて捨てたもんじゃないなって。 ちょっと書いてて気恥ずかしいんですが、森羅万象をまるごと抱きしめたくなるような気持ちに、熊さん、トラさん、ヘビさん、カラス、おたまじゃくし、牡鹿(途中から敬称略してごめんよ・・)たちが、身をもって導いてくれるようなお話ばかり。 みんなおバカだけど、人懐っこくて愛おしいんです。
かすかに教訓めいた香りも感じなくはないんですが、優等生的なところがないし、かといってシリアスに走り過ぎることもなく。 是非、このビターな滋味を大人に味わって欲しいと思いました。
前回読んだ小川洋子さんの「猫を抱いて象と泳ぐ」と被るんですが、滑稽な哀愁からは極上の可愛らしさが生まれるんですよね。 掌でそっと掬って慈しんでいたくなるような。
一話目の「頭のうちどころが悪かった熊の話」がお気に入りです。 このトホホな愛くるしさったらないです。 そしてなかなかどうして、いい夫婦〜w ラストの「お客さまはお月さま」も好き。 稲垣足穂の「一千一秒物語」のような楽しさが。 2作はどちらも熊さんが主人公。 しかもお友達同士♪
旅人やトラを通して、物語はほんのちょっぴりリンクしています。
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猫を抱いて象と泳ぐ / 小川洋子
猫を抱いて象と泳ぐ
小川 洋子
文藝春秋 2009-01
(単行本)
★★★

盤上に詩を奏でた伝説のチェスプレイヤーの生涯。 リトル・アリョーヒンとよばれた名もなき小さな偉人の物語。
小川洋子さんの作品の中に漂う慎み深い清廉さが好き。 遠慮深い礼儀正しさ(ちょっと可愛らしい)を身にまとい、周囲からどんな視線を投げつけられようと、自分の心の法則を静かに全うしながら生きている人たち。 そうせずには生きられない人たちの、声にならない声に胸が締めつけられ、寂しくて暖かくて優しくて愛おしくて・・泣きたくなる。 でも同時にそこに溢れる優雅で芳醇な孤独は妬ましいほどに自由で美しい。 囲われた空間の中で小宇宙を生み出し、その広大な海原へ漕ぎだして行くことの甘美さ・・
人生の様々な事象がチェスに符号し、チェスの対局や棋譜を通して、生きることの本質がメロディのように流れ、踊っている。 静寂と、ひんやりとした緊張感と、滑稽な哀愁といった小川作品の個性が、チェスの持つ独特の風合いと響き合い、見事なハーモニーを奏でていた。
チェスとは二人の心をぶつけ合い融合させて作り上げる、一つの広大な交響曲である
対戦ゲームを題材にしているはずなのに、心を添わすことのかけがえのなさが深く染みる慈愛に包まれた物語だった。
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ナ・バ・テア / 森博嗣
ナ・バ・テア
森 博嗣
中央公論新社 2005-11
(文庫)
★★★

スカイ・クロラ」から遡ること10年くらい。 以下、いきなりネタバレ入ります! 一人称は前作同様“僕”なのですが、主人公はカンナミから、カンナミの所属する基地の指揮官であったクサナギにバトンタッチされています。 そっちか! って思ったんですけど、パイロット時代のクサナギを追うことで、彼女の妹(娘かもしれないとの噂もあった)の出生の秘密、謎に包まれていたカンナミの前任者や、自分に合った戦闘機種を求めて敵方に寝返ったといわれる伝説のパイロットの横顔が浮かび上がり、おぼろげに相関図が広がりつつあります。
フェティッシュなメカ愛っぷりに、相変わらず頭はついていけてないのだけれど、心は相当に馴染んでいます。 白いリボンを棚引かせ、風と雲と太陽の祝福を浴びながら翼をふりふりダンスを踊っています。心は・・
白か黒かに支配された空の上のネバーランドと、地上に蠢くグレイなしがらみ社会とに棲み分けされる力学の中で、カンナミの意識がクリアに空へと向かい、いっそ潔いまでにさらさらと希薄であったのに対して、クサナギのそれは切実で息苦しい。 愛も憎しみも存在しない空への信奉や、地上の湿っぽい束縛への排撃が頑なであればあるほど、逆に彼女の秘めた内面を浮き彫りにしてしまうように。
キルドレが身に纏う、無駄のない張り詰めた透明さのようなものよりも、むしろキルドレの中に眠る人間臭さを絶妙なタッチで掘り起こす森さんの筆捌きに感服してしまう。 クサナギは、ティーチャの“大人”の部分に本当は憧れたのではなかったろうか? そんなことを勘ぐってみたり。
ティーチャかっこいいです! 空に地上の(大人の)ほろ苦さを持ち込んだ飛行機乗り。 ティーチャにロックオン状態です。 ティーチャやばい。(うるさいよ)
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千両花嫁 / 山本兼一
千両花嫁
− とびきり屋見立て帖 −

山本 兼一
文藝春秋 2008-05
(単行本)


[副題:とびきり屋見立て帖] 開国か攘夷か。 佐幕か勤皇か。 政情激変の渦中で、国の行く末を懸けて奔走する侍や浪人たち。 眼に強い光を宿した漢たちが跋扈する幕末の京の都で、我が身や家族を守りながら、日々の暮らしに身骨を砕き、逞しく生き抜く庶民の気概がキラリと光る。
三条木屋町に小さな店を構える“とびきり屋”は、なんでも商う町場の道具屋。 老舗の茶道具屋の愛娘ゆずと、奉公人の真之介の駆け落ち夫婦が店を切り盛りしながら、商いを通して成長していく連作短篇集。
やり取りや筋運びのベタっぽさが擽ったいんだけど、そんな感じも嫌味にはならない楽しく爽快な作品だった。 一話毎に幕末期の有名人がご登場。 庶民から見た新選組隊士や勤皇の志士たちの造形が、観相術を絡めたりしながら描かれていてなかなかに新鮮。 自分は二話目の「金蒔絵の蝶」がよかったなぁ。
見立て違いを時々やらかす真之介より、ゆずの方が筋がよく、一枚も二枚も上手だし、大概ゆずの機転で難局を乗り切ったりしていて、ゆずはいったい真之介の何処に惚れたの? と野暮な問いが脳裏に暫く居座っていたんだけど、働き者であること以外、これといった取り柄を描かないのに、読んでいるうちにだんだん真之介に愛着が湧いてくるのがさり気によいのです。
商いの綾、道具の目利き、贋作に込められた遊び心などなど、京言葉ではんなりと綴られ、京商人魂が馥郁と香る。
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毒笑小説 / 東野圭吾
毒笑小説
東野 圭吾
集英社 1999-02
(文庫)


怪笑小説」より更に笑える要素が薄れ、求めてるものから離れてしまった。 合わないなぁ;; 嘲弄されてる者の痛さを笑う気になれなかった。 ブラック・ユーモアって決してさもしい嗤いではないと思うんだけどな。 まぁ、それも単に描き方の巧拙なのかな。
東野さんは物語小説の書き手なのであってアイデア小説の書き手ではないってことなのか・・ 「超・殺人事件」が好きで、あのセンスを期待してページを繰るのだけども。 記憶そのものに自信がなくなってきた・・orz 背後の主義主張をもう少し隠さないと笑いには昇華できないと思う。 そういうテクニックをわざと使わないのだとしたら読者を舐めてない?
今読むとお題目のような古臭さを拭えないし、浅ましい価値観や社会意識の諷刺が暑苦しく、悪い意味で品がないのだけど「誘拐電話網」は巧いと感じた。 チェーンメールをフィーチャーした作品に思えるけど、加害者と被害者がいとも簡単に逆転してしまう怖さや、責任逃れ的な心理の盲点を鮮やかに突いた戯画になってる。
電化製品の取扱説明書(の煩わしさ)をパロディ化した「殺意取扱説明書」や、本格ミステリマニアのための“なんでも鑑定団”をやってみました的な「本格推理関連グッズ鑑定ショー」の着眼や捻りも流石だと思う。 後者は何気にメタなんだよね。 おまけに「名探偵の掟」所収のとある短篇の後日談(真相のどんでん返しバージョン)にもなってるんだね。 個人的には一万円札の鑑定結果がツボだった。 笑わせ方が下手なのが勿体ない。
文庫は京極夏彦さんとの巻末対談付き。 色々と興味深かった。 このお二人にしたってユーモア小説なんて生ぬるい、ユーモア小説を書くのは格好悪い、ユーモア小説という言葉自体が冴えない、我々が書くのはユーモア小説なんかじゃなくてもっと意識の高い嗤いだ!ってスタンスなんだね。 そういう力みが逆にフットワークを重くしてない? この対談自体も笑いの要素皆無だし。 クソ真面目さにふふってなるけど。
まぁ、お二人がどんな小説を指して“ユーモア小説”と軽んじているのか今一つ理解できてないし(筒井康隆作品をリスペクトしておられるのは伝わってきた)、昨今とは若干事情が違うのだろう。
でも、寒いことになってたらどうしよう、面白くない奴と思われたくないと恐怖しながらも書く! そのスピリットはメチャメチャ尊敬する。 この対談当時(1998年?)に比べたら、良質な笑いを提供する小説の地位は向上してるんじゃないだろうか。 そう考えるとユーモア小説のルネサンスを標榜し牽引した功績は大きい。
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11の物語 / パトリシア・ハイスミス
11の物語
パトリシア ハイスミス
早川書房 2005-12
(文庫)
★★

[小倉多加志 訳] 1970年刊行の短篇集。 日本では1990年に翻訳されている。 その後のハイスミス再評価の流れに繋がったという。 本書はその再販本。
グレアム・グリーンが序文(もちろん称賛している)を寄せているのだが、巻末解説によると、対してハイスミスは“わかってないね”的なことを言ってるらしくてちょっと笑える。 ちなみにハイスミスの趣味は、絵画、木工、汽車の旅、かたつむり観察らしい。 マジか。
この短篇集にもかたつむりを扱った作品が収められていた。 しかも2篇も! 微に入り細に入る姿形描写がもう鳥肌もんなんだけども、「かたつむり観察者」は数、「クレイヴァリング教授の新発見」はデカさの脅威で人間を凌駕してくるおぞましさが圧巻。 どちらも“魅入られた”というニュアンスがあって、行きすぎた欲望のグロテスクな投影にも感じられていっそう怖い。
ハイスミスは、文学とサスペンスの統合に成功した作家と評されるそうだが、本篇も心理サスペンスを主軸に置きながらも、文学的な香りをまとった作品が多数。
フラストレーションや強迫観念をつのらせ、徐々に追い詰められ壊れていく心理との親和性が高い。 特にラストで破綻しない作品は、息苦しさがふつふつと密閉されていて好みだった。
「からっぽの巣箱」がよかったな。 日常にふと入り込んだ異物は、抑圧された後ろめたい感情を呼び覚ます装置になっていて、幸福感がぐらっと歪んでいくさまが怖かった。 罪に問われるほどでなく、だからこそ厄介な罪悪感を人は心に飼って生きているし、生きていかねばならないのだと。
「愛の叫び」も好き。 共依存とは少し違うけど、滑稽なくらい無様で哀れで、でもそれだけではないなにか超越した境地が描かれていた気がして、心がざわついた。
本編には1945年発表の「ヒロイン」が収められている。 著者の実質文壇デビュー作とのこと。 これが大好物なメイドもので、ハイスミスの手にかかるとこうなるんだ!と、感慨深い。
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スカイ・クロラ / 森博嗣
スカイ・クロラ
森 博嗣
中央公論新社 2004-10
(文庫)


遺伝子研究によって期せずして変貌しているらしきパラレルな日本(とおぼしき国家)の戦闘地区が舞台となっています。
大人になることなく、永遠の命を生きるといわれる“キルドレ”たちは、戦争ビジネス社会において前線に送り込まれ、戦闘パイロットとなって空を飛び、日々戦っている・・ それが当たり前の日常風景。
圧倒的な無力感というか、社会に対するこの絶望的な違和。 ちょっと頭をかすめたのは、これを突き詰めると「わたしを離さないで」の世界に行き着いてしまうんじゃないかということでした。 でもこの作品にはもっと叙情的な雰囲気が香るのです。 その甘さ(といったら語弊があるけど)が愛おしかった。
永遠の命と死への憧憬が空中で刹那のダンスを踊っているような・・ 地上の束縛から離脱して初めて自由を獲得し、空に命の証しを求め、死と隣り合わせという極限状態に身を置いて、いつか墜落することを夢見る甘美なロマンティシズム。 緊張や諦観や虚無感の中にそんなものが紛れている。
希薄な自意識、冷めた思考の端々に潜む繊細な疼きは、茫漠とした波動でしか伝わってはこないのだけれど、柵から解放された“無”の中に生きようとする主人公の僕(カンナミ)がラストに選び取る行動は、捨てきれない人間性の発露にも思えてキュッと胸が痛くなる。
物語の背景については殆ど終盤まで触れられないし、しかも最終的に明かされるのも最小限。 そんな靄のかかったロケーションの中で、生命の根源に迫る哲学的なテーゼを淡い詩情と無常感で包み込むようにさらさらと描いていく。
フラッシュバックのように現れる讃美歌や蛾の鱗粉、意志を宿した右手、植えつけられたかのような記憶の謎・・ 封印された扉がどのように開かれていくのか、そこにはどんな景色が広がっているのか・・この世界をもっともっと浮遊したいです。
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北神伝綺 / 大塚英志 + 森美夏
北神伝綺 上
北神伝綺 下
大塚英志 + 森美夏
角川書店 2004-09
(単行本)
★★

大塚英志さんの同名の小説を森美夏さんの作画でコミカライズした作品。 民俗学の始祖である柳田國男のダークサイド的な物語でもありました。 昭和初期、国粋主義が勢いを増す中、柳田が切り捨てた裏の民俗学領域を引き受けた異端の“邪学者”が見つめた正史の闇。 かつて柳田が提唱した、日本の先住民の末裔である“山人”をめぐり展開される伝奇&歴史ミステリ。
宮沢賢治の15冊目の手帳、北一輝の霊告日記の原本、伊藤晴雨の責め絵と竹久夢二の抒情画のモデルを同時期にこなしたというお葉の怨霊、甘粕正彦と李香蘭秘話などなど、あっ、乱歩も登場します。 でもやはり、国家と自説の間で自己矛盾に陥っていたであろう柳田國男の懊悩とは如何ばかりだったか・・というところに一番気持ちが残りました。
島崎藤村の“椰子の実”の一節が、柳田の心情と響き合うようで、著者の柳田に対する幾ばくかの愛惜が込められているようにも感じられ、熱いものが込み上げたり。 賢治や夢二が時代に抗うように、ひっそり逝ってしまうのと、なんとも言えないコントラストをなしていて・・
著者は本書の主題を“国家の歴史への違和の表明”と言明しているとおり、大和民族による選民思想を強める大日本帝国で、勝者の歴史として捏造された正史の裏で、歪められ、抹殺されていったもう一つの歴史を明るみにしていく趣向で、とても興味深かったですし、力によって築かれた歴史にメスを入れる話って好きです。
異様な熱に浮かされた時代の暗黒面がざわさわと押し寄せ、脳裏に絡まりついて離れません。 森美夏さんの絵が凄烈なのもあるかな。 銀座界隈を中心に昭和の消費文化が華開き、女学生たちが清く正しく美しく生きていた「街の灯」や「俳風三麗花」と、ほしんど同じ時代ですよね・・ なんと陰影の濃い時代だろう。
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