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妖魔の森の家 / ジョン・ディスクスン・カー
妖魔の森の家
−カー短編集2−

ディスクスン カー
東京創元社 1970-12
(文庫)
★★

[副題:カ−短編全集2][宇野利泰 訳] 1940年代に発表された中短編5篇を収録。 表題作の「妖魔の森の家」は、本格史上に残る名品といわれる短篇で、クイーンが絶賛したことでも有名みたい。 “理論のモザイクとなる手掛かりをさり気なく文中に忍ばせて、それを読者が全部拾って組み立てれば、真相に自力で到達することができる”という推理小説の鉄則に乗っ取って、ギリギリのところまで読者を導く犀利な技巧が埋め込まれているんですね。
自分の場合は自力での看破は完全に放棄していて(あいつか? いや、こいつか? 的な根拠のない脳内野次は絶えず飛ばしてますけれども;;)、ヘンリー・メリヴェール卿の名推理に、はなから全権を委ねるような読み方しかできないので、いわゆる真正の本格なのか、そうでもないのか、その辺りを読み抜く力が乏しいんですよね。 悲しい。
それでも読み終えれば、完璧ともいえるフォームに痺れるような美しさがありました。 ミステリ読みではないのにミステリ好きなんだよなーと、つくづく思う。 それにしても、ヘンリー・メリヴェール卿。 勝手にザコ認定してたら、名探偵だったとは あいすいません
密室に情熱を捧げたといわれるカー。 やはり密室もの多かったですね 因みに「軽率だった夜盗」と「ある密室」は、ギディオン・フェル博士もの。 表題作に絶妙の演出が見られましたが、怪奇趣味が発揮されてる作品群ではなかったです。 次回はそっち系が読みたいな。
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セックスの哀しみ / バリー・ユアグロー
セックスの哀しみ
バリー ユアグロー
白水社 2008-10
(新書)


[柴田元幸 訳] 弾けまくりにシュールなベリーショートストーリーズ。 テーマである愛、恋、性をめぐるざわめきの玉手箱。 身も蓋もなく要約すると、繊細な男心が、女の性に振り回されるの図っぽい。 それでも女を求めずにはいられない男の性が切ない・・ そしてちょっぴり愛おしい。(これは女心かなー?)
男性のロマンチックな一面、そのイメージを煮詰めるだけ煮詰めて、高純度の結晶として抽出しちゃった感じ。 可笑しみや哀愁がズキズキ、ジンジン響いてくるなぁ〜。
独立した超短篇90作(!)の連なりなのですが、ひとつの作品として、名状しがたいリズムがあって、まるで音楽を奏でるみたいなアーティスティックな編成が光ります。 なので、短篇というより、むしろ長編を読むような気構えで、一息に読み抜けた方が雰囲気を楽しめそう。 自分はブツ切りで読んじゃって、ちょっと失敗したなって気がしています。
でも面白かったです〜。小粋な寓話めいた序盤の明るい感じが特に好きでした。「毒」「レンギョウ」「花々」「人魚たち」あたり。「大地」が超好き♪ 閉所フェチとしては眩暈がするくらい官能的で。
対照的に終盤は、哀れここに極まれり。 怒涛のめそめそ責め。 勘弁して欲しい・・とか思いつつ、でもここまでくるとねぇ。 なにか崇高な域に達してるんじゃないかと思えてくるような、こないような。 抱きしめたくなっちゃいそうな、ならなさそうな。
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f植物園の巣穴 / 梨木香歩
f植物園の巣穴
梨木 香歩
朝日新聞出版 2009-05
(単行本)
★★

生命体は分解と再生を繰り返しながら、未来という一方へ向かって生きることを運命づけられているのに、とかく人は記憶の檻に囚われて、過去に足元をすくわれる。 溜め池、沼地・・ 生命力の源である混沌とした溶液のもとで、進めなくなってしまった生が息を吹き返し、再び川の流れに送り出されていくようなイメージ。 未分化の流動体に秘められた可能性・・ そんなものを喚起させられるのでした。
時代は明治の終わり頃なのかなぁ。 植物園に勤務する主人公の佐田豊彦の思惟の流れを追うように物語は進みます。庄屋の一族出のぼんなのです。
子供の頃から当たり前のように身にまとってきた儒学の縛りと、生物の摂理を学んでいくうちに培われた自然科学的価値観とが、なだめてもすかしても対立を来たし、知らず知らずのうちに心に大きな齟齬を抱え込んでしまっていたようなのです。 一回、人生を立ち止まざるを得ないくらい・・
芋虫はいったん蛹の中で液状になって、そこから蝶に姿を作り変えるのだそうです。落ちてしまったf植物園の巣穴は、蛹のような役割を担って豊彦に濃密な停滞の時間をもたらします。 処理しきれずにいた古い細胞を分解し、幼き生を終わらせ、全く別の構造に組み換わった新しい命として出現させる・・ そんな意識変革の道程が、水面下へ降りて行ったところの不思議世界に照らし合わせて物語られてゆきます。
意識と無意識の境界線上で、自分の利益の為に大切な人を組み敷こうとしていることに、一度気づいてしまうと、凄く苦しい。 自分を裏切らないと見越した相手に対する甘えだってことは、心の底でわかっていても、自分可愛さの幼児性が邪魔をして素直に認めることができなくて。 後ろめたくて居た堪れない想いから逃れるために忘れ去ろうとしてきた記憶は、分解されずに蓄積され続けるのかもしれません。 そしていつかちゃんと向き合わなくては前へ進めなくなってしまうのかも・・ それでも。 どんなに楽であったとしても一生気づけない人間でいたくはないのです。
なんか重たげなこと書いてますが、植物エキスとファンタジーの詰まった、ハッピーエンディングの美しいお話でした でも案外自分には、ズシンとリアルな風にも響いたかな。 ちょぴっと。
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終りのない紡ぎ唄 / 岸田今日子
終りのない紡ぎ唄
− ギリシャ神話の女たち −

岸田 今日子
中央公論社 1984-09
(大型本)
★★★

[副題:ギリシャ神話の女たち][絵:東逸子] ギリシャ神話に登場する15人の女性たちを描いたショートストーリー集。 焼き直し的なお話というよりは、神話世界をそのままに、行間に香るエッセンスで女性像を膨らませ、岸田さんの言葉で物語を綴られてる感じ。 瞬発力のあるイメージの喚起と深い余韻をもたらしてれる、詩情豊かな作品集でした。
汲めども尽きぬ泉のように湧き零れる愛と欲望のコラージュ。 抑制を保った文章の中で、ふと奥底に秘めた感情の欠片が弾けてズキンとくる感じがよかったです。 蠱惑的な艶めきと、茫漠とした虚しさが交錯するような一瞬。
アフロディテが海の泡から生まれた経緯は初めて読んだかもしれないですが、ヘラ、パンドーラ、デメテル、エコー、ダフネ、メディア、プシュケ、ヘレネ、ペネロペなど、馴染み深い女神や女人たちばかりですし、有名どころの物語が揃っているので、内容的には手に取り易いと思います。 喰い足りなさがないの。 手元に置いてバラバラしたい雰囲気なんですよねぇ。
ギリシャ彫刻のように端正で、それでいて匂い立つように神秘的な、東逸子さんの挿絵との相性もよくて、とっても素敵な一冊でした。 時の彼方に取り残してしまうのは本当に勿体ない。 文庫になったら絵が惜しいけど・・ お手頃なサイズ&価格で復刊して欲しいなぁ。
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少女の友 創刊100周年記念号 / 実業之日本社 編
少女の友 創刊100周年記念号
− 明治・大正・昭和ベストセレクション −

実業之日本社 編
実業之日本社 2009-03
(単行本)
★★★

[副題:明治・大正・昭和ベストセレクション] と、副題にはあるんですが、名編集長であった第五代、内山基主筆のもと、中原淳一や松本かつぢが腕を振るった黄金期といわれる昭和戦前期にスポットを当て、エレガントで教養溢れた当時の誌面を再現する形で構成されています。
一時代に偏った編纂ではあるのですが、明治41年創刊から昭和30年休刊まで、48年間受け継がれた編集理念が、最も輝かしく結実した時代として受け止めながら読みました。
幅広く網羅され、かなりタイトな構成で読み応え充分。 表紙、口絵、写真グラビア、詩、連載小説、教養記事、読者文芸欄に至るまで、その流れに沿ってディテールを紹介していくという趣向の中、マニア垂涎という付録の数々も目を楽しませてくれますし、世相と共に紹介される略年譜は資料的価値も有していそうです。
特筆すべきは、人気が高かったという読者投稿欄にページを割くなど、リアル読者の満足度が考慮されていた点と、誌面を飾った作品や記事だけではなくて、携わった編集者の功績がクローズアップされていた点。
でも、自社のアピール的なあざとさは全然感じなかったです。 読者に愛されていた内山主筆(や岩下主筆や森田主筆)の人柄が痛いくらい伝わってくるからか。 新参者の自分は、もともと中原淳一お目当てで手に取ったのだし、この辺はサッと目を通すくらいで・・などと思ってたのに、気がつけば隅々まで舐めるように読み耽り、胸を熱くしていました。
見せかけの迎合や子供騙しを鋭敏に感じ取る乙女心を裏切らないセンスは、少女たちをよりよく導こうと、作り手たちが知恵と技術を集結して取り組んだ真摯な志しの賜物なのですね。
田辺聖子さんや須賀敦子さんが夢見るような心地で愛読していたというだけで、わたしは飛びついてしまうんですが、色彩がどんどん薄れていく暗い時代に清新な風を届け続け、少女たちに潤いを与え続けたこんな素敵な雑誌があったことがなんだか嬉しい。 他の雑誌が軍事色を強める中、「少女の友」だけが毅然としていたと読者は声を揃えます。 粘り強くしなやかに時勢を掻い潜る内山主筆の手腕と、読者と編集部の強い絆のような連帯感がとっても眩しかったです。
イミテーションとして、当時の広告がいろいろ掲載されているのにも大喜び♪ そこまで喰いつくのか!と自分に突っ込みつつ隈なく捕食。 エジソンが常に愛用していたという“エヂソンバンド”なる健脳器とかね^^
それにしても・・ 淳一の美的感覚は色褪せないです。 一冊くらい淳一(の表紙)号が欲しいナッとか軽い気持ちで思ってたら、古本屋にも滅多に出回らない高嶺の花なのだそうで。 販促用の栞一枚でいいから欲しい・・ そうか作ればいいのか。「本棚探偵の回想」の喜国方式を採用して。 個人で楽しむ分にはいいんですよね?
連載小説の第一回目だけ掲載されていた川端康成の「乙女の港」は、ハァハァしそうなエス系の耽美小説。 続きが激しく読みたいです。

<補足>
“エス”とは。 女学生同士の疑似恋愛的な友情関係。 “男女七歳にして席を同じうせず”といわれた時代に花開いた女学生風俗。 お姉さまと妹が一対一の契りを結ぶのが鉄則。 とな。
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パンク侍、斬られて候 / 町田康
パンク侍、斬られて候
町田 康
角川書店 2006-10
(文庫)
★★★

舞台となるのは、なんちゃって江戸時代。 仕官に取り立てられるチャンスを狙っていた凄腕剣士の素浪人が、黒和藩に売り込む思惑で、巡礼親子を路上で殺めることに。 悪徳教団“腹ふり党”の信者と思い込んでのことでした。
ここから全てがノンストップで破滅に向かって歪み始めたのかも。 狂想曲の火蓋が切られた瞬間だったのかもしれません・・
藩制は、実はもう末期状態で、内側から腐りかけています。 そこに思いがけない外因が加わることで、化学反応のトリガーさながらの役割を果たし、負のエネルギーがひたひたと膨張、やがて炸裂。
地獄の道行きスイッチが完全に入ってしまいました。 力を入れるべき方向性を全力で間違えながら、辻褄合わせのでっち上げ工作に勤しむ輩たち。
責任の転嫁、危機意識の欠如、判断力の低下、問題の先送り・・ 現代人の耳に痛いキーワードで悉く地雷を踏みながら、ダメ企業人間の権化のような黒和藩の面々が、自爆ロードを迷走します。 取り返しのつかない最終局面に来て、お役目のそれぞれが、それぞれの落とし前をつけざるを得なくなるその日まで・・
ナイーブ星人、似非ニヒリスト、自意識人間を嘲弄し、詭弁を用いていたぶりのめす痛快さや、意思疎通が微妙にズレるウィットなど、ふざけた笑いにかまけていたのが、いつの間にかシャレにならない狂気に支配されていて、笑った口のまま顔が固まってしまいそうな突き抜けた恐怖の中に立ちつくしているのです。
おバカ過ぎる・・と思いながらも、他人事と割り切れない渡世術や、言葉を媒介に築かれる世界の虚妄性に冷や水をを浴びせられるような心持ち。 自意識を脅威に晒すまいと、永遠の不戦敗を続ける幕暮孫兵衛の末路に、ぐっさりとやられました。 深く身につまされるものがあります・・うぅ。
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箱男 / 安部公房
箱男
安部 公房
新潮社 1982-10
(文庫)
★★

むずかしい・・ 理屈で読み進めることは到底出来ず、かといって、感覚で捉えようにもキャパを遥かに超えてます。 それなのに、転がるようなストーリーの尻尾を追って、ミステリアスな罠の中へ落ちていく快感。 ちょっと外国のスリップストリーム小説っぽい。 ダンディで洒落てる。 写真に添えられた言葉などは、詩のように美しい。 海のある地方都市。 彩度の低い風景の静かで硬い呼吸音。
読み終えてみると、表と裏が地続きに繋がっていた気がしました。 メビウスの輪の中に迷い込んでしまっていたのかな・・って、自分なりの着地点。 “外の世界を覗いている本物の箱男”の手記で始ったはずなのに、どんな立ち位置の、誰が、何処に向かって記している物語なのか、目まぐるしく混乱をきたしてゆきます。
する行為とされる行為、本物と贋物、外の世界と内の世界・・ 視点の違いでいとも容易く反転する不確かさ。 錯綜が錯綜を呼び、能動と受動、絶対と相対、主観と客観の狭間のトワイライトゾーンを彷徨う放浪者であり続けるばかりでした。
真実は無数に存在し、人は意識的、無意識的に、感じたいもの、信じたいものだけを取捨選択して生きているに過ぎなくて。 困ったことに、味わったばかりの眩暈や不如意を求めて、またおずおずと手を伸ばしたくなってくるのです。

<付記>
某コミュニティのレビューを拝見していて、自分のもやもやの正体を的確に言い表してくださっている方がおられました。 どうして気づけないんだろう;; 的外れな感想を丸ごと削除したくなったけど、戒めとして敢えてこのままで。
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黒牛と妖怪 / 風野真知雄
黒牛と妖怪
風野 真知雄
新人物往来社 2009-05
(文庫)
★★★

江戸時代を中心に、戦国から維新までを舞台とした歴史ミステリ風味の短篇集。 95年の作品ですが、最近文庫化されたのですね。 全体的にカラッと渇いた陽気さがあり、その中に様々な滋味が沁み込まれている感じ。 泥臭くて、ユーモラスで、凄く楽しかったです。
作者がちょっと意地悪なんです。 登場人物に対して。 でもそれよりもっとずっと大きく深い愛情を抱いて見守っているみたいなところ、全っ然(分野も何もかも)違うんですけど、奥田英朗さんに通ずる何かを感じました。
みんなよかったのですが、最終話の「爺」か一番好き。 家督を継いで間もない頃の信長が、刺客に寝込みを襲われた事件と、守役であった家老の平手政秀の切腹にまつわる意外な真相を縦糸として、若き信長に翻弄される政秀の複雑な心模様を織りあげています。 終始下世話なんですが、不思議と大らかでお目出度い空気が醸し出され、そこへ老いの遣る瀬無さという陰影が加わって、どこか哀愁のある豊かな作品でした。
表題作の「黒牛と妖怪」は、維新を迎えて後も生き延びたという永遠の悪役、鳥居耀蔵の最晩年を描いています。 これもよかったなぁ。 政秀の死にざまが、歴史を動かす戦国の表舞台へと信長を送り出すようであったのに対して、耀蔵の死にざまのグロテスクな老醜は、どこかコントラストを成すように響いてくるものがあり。 時代を逆行する負のエネルギーが妖気となって全身を覆い尽くし、その中にずぶずぶと沈み込んでいくような・・ その圧倒的な惨めさが寂寞とした余韻をもたらして、いつまでも心に残りました。
この親にしてこの子あり? 勝海舟のお父さん、勝小吉が、座敷牢(笑;;)の安楽椅子探偵となって富くじのイカサマ事件を解決する「檻の中」とか、黒船来航時の庶民レベルの未曾有の混乱ぶりが生き生きと描かれていた「新兵衛の攘夷」など多彩です。
自分は単行本で読んだのですが、文庫とは若干構成が違うのかもしれません。 もしかすると加筆修正などもあるのかな? 未確認です。
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どこかにいってしまったものたち / クラフト・エヴィング商會
どこかにいってしまったものたち
クラフト・エヴィング商會
筑摩書房 1997-06
(単行本)
★★★★★

“不思議の品売ります”という謳い文句を掲げ、百年の歴史を歩んできたクラフト・エヴィング商會。 そのモットーを受け継いで、キャリアを活かし、科学万能の現代に不思議のあれこれを提供してくれる三代目たち。
・・という、壮大な架空劇をでっち上げ、精魂込めて不思議を捏造(!)し、読者に魔法をかけてくれるユニット、クラフト・エヴィング商會の極上のもてなしを堪能致しました。
微に入り細を穿った洒落っ気と、手作りの愉楽が詰まっていて、大好きな一冊です。 再読です。
クラフト・エヴィング商會の引き出しの奥に眠っていた“不在品目録”にスポットを当てる・・という趣向を採用したのが本作。 明治から戦後にかけて、風流を解する人々に珍重され・・いや、違うな。 リアルタイムの人たちは皆、実直にこれらの品々を求めていましたもんね。 そこがなんともユーモラスなわけなのですが。
とにかく、人々に愛用(?)されながらも、時の狭間に取り残され埋没していった品々、時の試練に耐えられずに散逸していった品々・・ 辛うじて現存するという取扱説明書やパッケージやチラシなど、断片的で心細い物証を手掛かりに浮かび上がらせるおぼろな輪郭。 かつて存在したという本体とは一体・・ 見果てぬ空想に掻き乱され、虹の彼方の桃源郷へ逝ってしまいそうです。
“どこかにいってしまったものたち”と銘打たれた謎多き珍品の数々は、科学魔術の粋を集めた奇妙なアイディアに充ち満ちて、夢と浪漫を溢れさせていました。
取扱説明書やパッケージやチラシ・・ これ即ち贋作(!)なわけなのです。 古色を帯びて本物と見紛うばかりの存在感。 闇にライトアップされる写影やレトロモダンな装幀といい、“イメージ違反”を侵すことのない、細部に渡る注意深さによって、ムンムンと胡散臭い怪しさが薫ります。 そこには詩があり、物語があり、哲学があり、気づけば背後に横たわる、もやもやとした形而上学的な瞑想領域へと迷い込み、想いを遊ばせているのです。
個人的な溺愛は、アストロ燈の解説書の中の“珍しい使い方あれこれ”と、水蜜桃調査猿の解説書の完全復刻版。 突っ込みどころ満載&愛すべき無駄の数々にかけて最強ですw
立体十四音響装置を発売したベレー音響のマスコット“直立クマ”の変遷もお気に入り♪ あと七色李酒! これは現物が残っている数少ない品のひとつなのですが、勿体なくて中身を確認できないという・・ シュレディンガーの猫状態で夢が封印されています。 万物結晶器が作動中に発するという“硝子の砕けるような音”にも笑いを禁じえません。 クスっとさせる笑いがまた乙なのです。
でもほんとね。 洒脱な遊び心に溜息漏れます。 生真面目な顔して神秘主義をパロッている滑稽味と、神秘を卑近なものとして、当たり前に受け入れていた近代へ注がれる、憧憬にも似た愛惜と郷愁。 その辺の匙加減が絶妙なのです。 エンターテナーたちに敬意を捧げずにはいられない逸品です。 三谷幸喜さんが帯で悪ノリしているのも一興^^

<余談>
クラフト・エビングは実在した科学者。 倒錯的性愛の研究で名を残した人物なのですが、足穂作品の中に名前を見つけ、足穂へのオマージュとして命名されたという由来が記されていました。
この前読んだ「廃墟の歌声」にも、名前が出てきていたなぁ〜と思い出し、書き留めておこうかなと。
19世紀の一時代、禍々しいもの、異端なるもの、怪奇なるものの温床であり、それ故に精神医学が花開いたというウィーンに集った学者たちの一人であった・・云々。 フロイトらと名を連ねて紹介されていたような記憶。
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カレワラ物語 / キルスティ・マキネン
カレワラ物語
− フィンランドの国民叙事詩 −

キルスティ マキネン
春風社 2005-05
(単行本)
★★★

[副題:フィンランドの国民叙事詩][荒牧和子 訳] 19世紀、エリアス・ロンロートは、フィンランドの東部からロシア領内に至る地域を巡り、吟遊詩人から数多の口承歌謡を集め、組み合わせて編纂し、創作を加え、フィンランドが世界に誇る民族叙事詩「Kalevala」を著わしました。
その中から主軸を抜粋し、読み易い散文調で焼き直したのが本書。 原典は韻律調かつ一大長編、と来れば尻込みしてしまいますので、手に取り易い本書と出会えて嬉しかったです。
キリスト教以前、フィンランドの大地に、サンポの欠片による恵みと、音楽の悦びをもたらした魔術師たちの伝説です。 寒い国の豊かな自然の中に息衝く物語。 森と海と澄んだ冷たい空気が、ふと肌に触れそうです。
創世記神話に始まり、カレワラの勇者たちの求婚にまつわるエピソードが少しずつ絡まり合いながら描かれ、後半はポポヨラとの戦い(殆ど魔法合戦!)、そして終盤は、なんと、異教からキリスト教への国譲りみたいな展開になっています。 この部分はロンロートの創作ということになるんでしょうか? 著された時代背景が垣間見えて興味深かったですし、他国の支配下での歴史が長かったというフィンランドにとって「Kalevala」は、民族への想いの結晶のように誕生し、慈しまれてきた作品なのだと知り、心揺さぶられるものがありました。
大気の乙女イルマタルの胎内に700年も籠っていたので、生まれた時は既に年を取っていたという老賢者のヴァイナモイネンが主役。 年甲斐もなく若い乙女に接近しては、いつも冷たくあしらわれてしまいます。 でもカンテレの名演奏では、森羅万象を酔わせてしまうし、偉大な魔術師でもあって、いいお爺ちゃんなんですよ。
準主役のうちの1人は、鍛冶屋のイルマリネン。 腕のいい職人さんで、永遠の幸運をもたらすといわれる“サンポ”という道具を作り出すことに成功するんですが、それがもとで、後にポポヨラの魔女ロウヒと攻防戦を繰り広げることに。 可哀そうなヴァイナモイネンに、自作のダッチワイフ(?)をプレゼントしようとする章があって、あそこは爆笑しちゃいました
そしてもう1人は、漁師のレンミンカイネン。 “死んでも治らない”を地でいく阿呆キャラです。 無鉄砲で軽薄な男前野郎ってなもんで。 “起源を明らかにすることで魔力が弱まり道が開ける”というパターンが、物語の中に多用されているんですが、レンミンカイネンが語る蛇の起源は・・ ほんとにあれでいいんでしょうかねぇ^^;
みんな憎めないのです。 いい味出しまくりで。 概ね心地よい可笑しみに包まれながら英雄譚が展開されていくのですが、勇者たちが求婚していたポポヨラの乙女の末路に関連して語られるクッレルヴォの破滅的な逸話が、ひときわ凄みを放っていて。 この深い慟哭が滋味を生み、作品を引き締めているようにも感じられました。
そして、ヴァイナモイネンが舞台を去るラストは、こんなにコンパクトにまとめられた物語なのにグッときてしまって・・ 胸を震わせました。
ヴァイナモイネンは今も、フィンランドを見守っていてくれてますね。 きっと。
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