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くまちゃん / 角田光代
くまちゃん
角田 光代
新潮社 2009-03
(単行本)


体力が落ちたせいなのか、現代リアル部門がすっぽり抜け落ちてる感のある最近の読書傾向;; 久しぶりに角田さん、読んでみました。
そうそう、こんな風に、内面を凝視しようとする切実さ、自己と糞真面目に向かい合おうとする痛ましさみたいなものを、チマチマした情動を辿って実に端正に描き上げる方でした。 
俗っぽく言ってしまうと、失恋の連鎖によって転がっていくチェーンストーリー的な連作短篇集で、企画萌え性分なもので、趣向が面白かったです。 それぞれの章の主人公が次の章の主人公に振られるというパターンを踏まえながら、物語は90年代をゆっくりと下っていきます。 ある人には眼中にないような振られ方をされちゃう人にも、ちゃんとその人が主人公の人生がある。って当たり前なんだけど。
というわけなので、どれも報われないというか、すれ違う話ばかりではあるんですが、失うことによって得るものに重きを置いているため、憑き物が落ちたような、むしろ前向きな読後感。 仕事と恋が分ち難く影響を及ぼし合う20代から30代前半という世代の恋愛模様がフォーカスされていて、生きていくことのせせこましい実相が眼に沁みます。
自分らしさを求めて自分に裏切られたり、記憶から消し去りたいようなブザマな修羅場の一つや二つあるよね。 思いがけない隙をついてやってくる恋にギャフンとねじ伏せられてしまったり、虚無と焦燥にからだが蝕まれていく音が聞こえるような恋だってある。 でもそんな制御不能地帯のあれこれが、他人との距離感や自分の大きさを探る大事な糧となり、確実に人生の経験値となっていることにその時は気がつかないし、どんなに痛手を負っても、やがてまた性懲りもなく恋をする・・ いっぱいいっぱいの逞しさにそっとエールを送りたい。
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昨日のように遠い日 / アンソロジー
昨日のように遠い日
− 少女少年小説選 −

アンソロジー
文藝春秋 2009-03
(単行本)
★★★

[柴田元幸 他訳・柴田元幸 編][副題:少女少年小説選] 柴田セレクトならではの、心躍るラインナップ! いわゆる“少年少女小説”の括りから弾け飛んでしまったような、鮮烈な感覚性や斬新さを湛えた作品を揃えた選集で、うちの図書館ではティーンズに振り分けられてますが、むしろ“大人のための〜”に近いんじゃないかな。 削ぎ落とされたガールズ&ボーイズのエッセンスが香り高いです。
広い世界の限られたポジションに安息を見出すのが大人だとすると、子供時代って、狭い世界で無限を見据えているようなところがあって、その歪みや危うさ、切実さや清冽さ、孤独や頼りなさ、生硬さや滑稽さが、かけがえないものであったことを知らしめられる。 戻りたいとは思わないけど、戻れないからこそ、慈むことのできる記憶のあれこれを間断なく呼び起こす物語たち。
柴田さんは今回、ダニイル・ハルムスの紹介に熱意を込められていたようにも感じました。 選出されているのは詩と掌編なのですが、不条理感とウィットが手を取り合ってダンスを踊っているような味わいが忘れられそうにありません。 そして本書のタイトルが・・ これはもう、ハルムスと柴田さんの息の合ったコラボなんです♪
ミルハウザーの「猫と鼠」は、超細密な描写で書き起こされた(恰も)トムとジェリーの追い駆けっこ劇から、可笑しくて哀しい精神性を引き出した傑作で、大好きです。(ルパンと銭形警部の関係性を思い浮かべた
女子学生寮の蠱惑的な力学を描いた「パン」もお気に入りの一作。 レベッカ・ブラウン、実は初読みだったんですけど、いいですね〜。 刺激がツボでした。 もっと読んでみたい。
鋭利でグロテスクで瑞々しい少年期の目線に頬を張られた気がしたアレクサンダル・ヘモンの「島」。 飄々ととぼけた簡素さの中に思春期を描破したユアグローの「大洋」も好み。 というか、一作(か二作か三作か四作か・・)を挙げることが苦行。
そして、ユアグローの「大洋」で漕ぎ出して、デ・ラ・メアの「謎」で仕舞われるという、短編集を一篇の物語に作り変えてしまう企みに、ほぅーっとため息。
ノスタルジックなアバンギャルドがギュッと詰まっていた特別付録の新聞漫画2作に触れられたことにも喜びを感じます。

収録作品
大洋 / バリー・ユアグロー (柴田元幸 訳)
ホルボーン亭 / アルトゥーロ・ヴィヴァンテ (西田英恵 訳)
灯台 / アルトゥーロ・ヴィヴァンテ (西田英恵 訳)
トルボチュキン教授 / ダニイル・ハルムス
 (増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ 訳)
アマデイ・ファラドン / ダニイル・ハルムス
 (増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ 訳)
うそつき / ダニイル・ハルムス (増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ 訳)
おとぎ話 / ダニイル・ハルムス (増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ 訳)
ある男の子に尋ねました / ダニイル・ハルムス
 (増本浩子、ヴァレリー・グレチュコ 訳)
猫と鼠 / スティーヴン・ミルハウザー (柴田元幸 訳)
修道者 / マリリン・マクラフリン (小澤英実 訳)
パン / レベッカ・ブラウン (柴田元幸 訳)
島 / アレクサンダル・ヘモン (柴田元幸 訳)
謎 / ウォルター・デ・ラ・メア (柴田元幸 訳)
眠りの国のリトル・ニモ / ウィンザー・マッケイ (小澤英実 訳)
ガソリン・アレー / フランク・キング (小澤英実 訳)
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やんごとなき読者 / アラン・ベネット
やんごとなき読者
アラン ベネット
白水社 2009-03
(単行本)
★★

[市川恵里 訳] エリザベス女王が読書に嵌ってしまったら・・というシュミレーション・コメディなんですが、今生陛下をネタに小説が出版されるってだけで、王室を取り巻く明け透けな気風が感じられて思わずドギマギします。 日本は宗教ネタならブッ飛んでる自信があるけど、ここはデリケート領域ですから。
個人秘書や侍従たちの渋り顔もなんのその。 公務も上の空に、超然と(マイペースともいう)読書道を一路邁進する姿は、それこそ女王の風格♪ 感情を抑制すること、好みを持たないこと、義務は喜びに先立つものと教育され、忠実に実践してきた女王陛下が、晩年になり、読書を通して人間性を培い、やがては書くことを通して自己表現に目覚めていく姿を好意的に描きます。 諷刺とウィットが効きまくってますけど、黒っぽさは全くなくて、ククって笑えるような和み系なので、大らかに楽しめる作品でした。
惑溺ぶりが微笑ましいんです。 本好きにはお馴染みのあるあるネタ(?)風で。 読みたい本リストを作り始めたり、かつては退屈と思えた小説が時間を経て読んでみると輝きに満ちていることに気づいたり、一冊の本は別の本へとつながり、次々に扉が開かれてゆく感覚とかね
本国ではきっとここってニヤリポイントなんだろうなぁ〜っと、笑いの尻尾は掴めるんだけど・・みたいな歯がゆい箇所が多々あるにはあります。 それを差し引いても面白いんですが、英国の社会や文化、特に文学やゴシップなどに精通していれば無敵。
ビギナーの女王は、どんな本でも予備知識なく、偏見を持たずに接していき、忌憚のない率直な感想を口にします。 自分にはもう出来なくなってしまった読み方だよなと、一抹の寂しさを覚えつつ、初心に立ち返りたいような想いに駆られたり。 せめて、今更・・などと臆せずに、女王の心で(!)放置してきた古典に親しんでいけたらいいな。 晩学の徒であっても決然と! ムリかな
新井潤美さんの巻末解説で、知的ではないことがイギリス上流階級人の美徳の一つとみなされるという論調が紹介されているんですが、これは、“そういう自虐的、韜晦的ポーズをとることが美徳”って意味でお書きになられていると思うんですけど・・違うのか
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私自身の見えない徴 / エイミー・ベンダー
私自身の見えない徴
エイミー ベンダー
角川書店 2006-03
(単行本)


[菅啓次郎 訳] 女の子の自意識の世界についていくのが、少々しんどくなってきてるかもしれません;; これはギブか? と案じたけれども、“ぱちぱちと火花が飛び散る不思議な世界”にいつの間にか呑まれていました。
20歳のモナは小学校で算数を教え始めるのですが、10歳の時に父親が原因不明の病気を患って活動的人生から離脱して以来、心の均衡が危うい状態にあります。 “愛しながら止めること”を自らに課したり、石鹸を食べたりと、ある種の自傷行為を繰り返すのですが、それは喪失の恐怖から身を守る術としての、多感な10代の少女の悲痛な選択肢だったかもしれないし、私を見て! 私に気づいて! 私を叱って! という甘えん坊の捨て身のサインだったようにも思えてならないのですが、大人になりきれない自我の前に、否応なく体当たりしてくる手に負えない子供たちとのコミットの中で、生命の彩りを取り戻していく。 自分の痛みの世界に引き籠っていた少女が、他人の痛みに触れたり、心を開くことによって封印を解いていく・・そんな物語。
教え子のリサは、まるでモナの分身のようでした。 モナの剥き出しの魂の発露であるかのようで。 リサと向き合うことによって己と対峙する姿が、そこに重なるのでした。
アメリカ南西部とおぼしき、仄かにお伽の国めいた小さな町と微妙に奇異な住人たち。 ちょっぴりグロテスクで感覚過多で、ぶつかってくるような激しさ痛さを持ちながら、美しい旋律のような詩情があって・・ 摩訶不思議な色彩を放っています。
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おさがしの本は / 門井慶喜
おさがしの本は
門井 慶喜
光文社 2009-07
(単行本)
★★

N市立図書館のレファレンスカウンター担当職員である和久山隆彦。 利用者の持ち込むリクエストをクリアするべく、丹念な調査を重ね、同僚たちを交えて奮闘する日常業務を追った連作短篇集。
文学トリビアを駆使し“本探し”のために捧げられたミステリといった趣きです。 北村薫さんがお好きそうな でも、ピリっとシビアで鋭い作者の眼差しを背後に感じる作品でもあったなぁ。 書物や読書や図書館への手放しの賛歌ではないという新機軸が、逆に本好きを戸惑わせ、敵に回す恐れも。 自分はこういうの、ニヤリです
司書スキルや図書館の内幕など、食いつかずにはいられない素材がまず嬉しいし、外来語の輸入の歴史とか、江戸庶民と富士山の関係性とか、問題解決の過程で差し挟まれる論考にワクワクしたり。 キーとなる書物や手掛かりを得るための文献などは全て図書館に架蔵され実在するものであって、謎解き部分に架空の要素は恐らく皆無。
一篇一篇はそんな感じで衒学と日常の交々がバランスよく配置され、全篇を俯瞰してみると、図書館論とでもいうべきか、行政機構や地方社会の根源的な問題に食い込んでいるといった印象もあり。
本の虫の自分にとっては、図書館なくしては夜も日も明けないという想いのある一方で、体のいい無料貸本屋として都合よく甘えさせてもらうばかりで、特に新刊本をごっそり借り受ける時などは、何とはなしに有難過ぎて申し訳ない気持ちさえ芽生えることも正直あります。 もちろん図書館廃止論は極論だけど、幾ばくかの断片的な真実に穿たれる想いが残りました。 それに対抗する図書館存続論も、感情に訴えない理路整然とした弁論が実にいい。
視点がフェアなんですよね。 なので、作者の意見というよりは、ディベートの延長線上って感じです。 作者のメッセージと思えたのは“書物は身を助けるが書物に溺れるな”ということかな。 うっ、これも耳痛
主人公の和久山隆彦は、染みついた役人気質とやや皮肉屋なところはあるけれども、上昇志向を持った骨のある青年で好感が持てました。 予定調和とならずにしっくりこないラストも、個人的には評価。
尋常じゃない言葉遣いによって、しかつめらしい芝居めいた味つけがされているのも面白かったな。 “畢竟するに”とか“率爾ながら”とか知らねーよ “けだし”とか“毫もない”とか“たらちねの〜”とか使わんし
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宿命の交わる城 / イタロ・カルヴィーノ
宿命の交わる城
イタロ カルヴィーノ
河出書房新社 2004-01
(文庫)
★★

[河島英昭 訳] 沈黙の語り手たちによって繰り出されたタロットカードを手探りに広がっていく画像の物語。 聖杯、剣、杖、貨幣、皇帝、愛、戦車、運命の輪、死神、星、月、愚者など、城や酒場に集まった会食者たちの運命が、七十八枚のカードの上に折り重り綾を成す札宴。
タロットの中に封じ込められている物語をひとつ残らず呼び醒ましたいという考えにのめり込んだという文学の魔術師カルヴィーノ。 カードは四方から読み進めることによって、全く違った物語を形成し、更には並べられた全体を一つの構図として物語を描き出すなど、複雑にパターン化された制約が課せられているのですが、絵柄を子細に観察し、様々な寓意を読み解き、遠大なイメージを膨らませながら、パズル的な美しさをカチっと決めてみせるという才腕を振るっています。
なんかふと、チェスの棋譜を思い出していました。 一手一手ならぬ一枚一枚の連なりから独創的な世界が広がって、盤上ならぬ机上という限られた空間から無限の物語が紡がれていく・・ シェークスピア悲劇、オルランド狂乱、ギリシア神話、ファウスト、キリスト教の聖人伝説などが下敷きになっているため、例によって古典の素養レベルが低すぎるのが痛いところ;;
第一部の「宿命の交わる城」では、15世紀に制作された手書き様式の細密画のタロットを。 第二部の「宿命の交わる酒場」は、より大衆的で素朴な木版画のマルセイユ版タロットを採用。 1969年に刊行された第一部のみのオリジナル版は、原寸大&金銀混じえた多色刷りで復元され、それは美しい豪華本だったそうです。 本書は当然ながら普及版を底本としているので、図版は簡素化されていて分かり辛いのですが、物語と相まって、タロットの持つイメージの源泉を初心者にもしっかりと届けてくれました。
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きのうの世界 / 恩田陸
きのうの世界
恩田 陸
講談社 2008-09
(単行本)


川と山に囲まれたM町。 町はずれにある人気のない果樹園の丘の管理小屋に住み着いた見知らぬ男の身に降りかかる“水無月橋殺人事件”の真相と、町のシンボルとなる塔と水路に隠された秘密。
章ごとに視点を変え、時を前後し、事件の謎を探る人物や街の住人たちによる証言と推理の断片が提示され、徐々に物語の全容が形づくられるというか、ますます混乱の渦中に叩き込まれるというか・・ といった展開は、これまさに恩田クオリティ。 視点の切り替えによって見え隠れする存在の不確かさみたいな不安定な気配が終始漂います。
異能者の苦悩と、古くからの共同体に根差したフォークロア的な謎と、どちらも大好物な題材なんですが、なんといっても舞台となる街が、ひんやりと美しい。 水路沿いに歩く歴史の散歩道、古い立派な構えの日本家屋の連なり、しのつく雨の音、匂い・・ この街に迷い込んで、背筋をゾワゾワさせながらそぞろ歩きたい。 老犬を連れた双子のお婆さんとすれ違ったり、レトロな佇まいの喫茶店で雨の檻に囚われながら、濡れそぼった猫を撫で撫でしたり・・
推理小説的なシチュエーションを雰囲気作りに活用するという手法も恩田ワールドの奥義の一つと思っているので、謎が回収されないくらいではへこたれませんけれど、この作品は比較的読者に親切というか、取り敢えず目立った謎は拾っとこくらいの配慮が窺えた気もします。 そこが逆に半端なミステリ感を強めてしまったようにも、ちょっと思うのだけど。 恩田さんの読者に阿らないってイメージがもはや好きなんで
ラストはまるで、スローモーションのように煌めくメルヘン。 静謐で甘やかで優雅で哀しくて・・ アリアかなんか流れてたら絵になるなぁ。 そういえば、高度情報化社会と異常気象が何気にキーワードっぽかったなー。
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幻色江戸ごよみ / 宮部みゆき
幻色江戸ごよみ
宮部 みゆき
新潮社 1998-08
(文庫)


久しぶりに再読してみました。 もっとホラー系だったかと勘違いしてました。 でも読んでる最中、じわっと情景が蘇る瞬間が多々あって、思っていたよりずっと心に留めていた一冊だったと気づかされました。 上質な時代物短編12篇。 寄る辺のない余韻を残します・・
怪異というガジェットを活かしつつも、そこはやはり宮部調で、貧しさや健気さや人情といった、足元の暮らしに根ざした真っ当さが主軸にあり、懸命に生きる人々を描いたヒューマンな趣きの作品集です。
四季折々の風物に、江戸市井の情趣が生き生きと映え、女中頭、商家の嫁、商家の隠居、職工、長屋の差配、丁稚の小僧など、町人たちの心模様を丹念に掬い取る確かさで貫かれています。
宮部さんの江戸ものは、シャキッとしたリズムのある文章がよいんですよねぇ。 ぽんぽんとテンポよく弾むような言い回しで転がっていく感じが大好きです。
「首吊り御本尊」が沁みましたねぇ。 前回読んだ時もこれが一番好きだったな。 物哀しい話、遣り切れない話も多いのですが、「器量のぞみ」の申し訳ないけど笑えてしまう感じとか、「春花秋燈」の人を喰ったようなウィットとか、自分は、どうもその辺がお気に召しているようです
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中国の神話 / 君島久子
中国の神話
− 天地を分けた巨人 −

君島 久子
筑摩書房 1983-01
(単行本)


[副題:天地を分けた巨人] 中国56民族に伝わる神話の中から、漢民族の他、ヤオ族、ミャオ族、チベット族など少数民族の民間伝承を中心に20話が紹介されています。 神話が残されなかった国といわれる中国。 歴史や経典の中に織り込まれて切れ切れになっているのだそうですが、本書が刊行された1983年当時は、欠けてしまった櫛の歯を拾い集めるように、活発に発掘、採集が行われ始めた時期だったようなのです。
ですので本書も体系的な形としてではなく、天地創造神話、民族の創世記、天と地の神話、起源伝説といったジャンルに分けて、各民族に伝わる伝承を幅広く断片的に取り上げているといった感じです。
卵のような混沌の中の眠りから覚め、天地を分けて世界を創った巨人・盤古の話や、弓矢の名手のゲイが太陽を射落としたり、妻に裏切られて不老不死になり損ねた話は、漢民族の神話として伝わるもののようで、中国に疎い自分にも多少の馴染みがありました。
太陽がいっぱい出現する話や、洪水による破壊と再生、近親結婚に戒心を促す話や、ふくべ(瓢箪)から子供が生まれたり、中に入って守られたりといった話などは、モチーフとして共通性が見られたように思います。 一つの民族の伝承の中にいろんな民族の起源が語られていたりするのは大陸ならではですね。
天の岩戸や、イザナギとイザナミの求婚の場面を思い起こすようなエピソードがあったり、太陽を女神、月を男神と見立てるあたりに日本と近しいものを感じたり・・
竹を尊び先祖として祭る風習があるイ族の「竹の息子たち」や、トウロン族の「土をこねて人をつくる」、竜犬という犬を祖先に持つという神話を伝えるヤオ族の「盤王の伝説」などなど、豊かな叙事詩の片鱗を垣間見れたように思います。
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侠風むすめ / 河治和香
侠風むすめ
− 国芳一門浮世絵草紙 −

河治 和香
小学館 2007-05
(文庫)


[副題:国芳一門浮世絵草紙] 玄治町に居を構える歌川国芳とその門下の弟子たち周辺の浮世模様を描いたシリーズ一作目。 一門の能天気でカラっとした笑いや、青春の甘やかさやほろ苦い心象風景が、国芳の娘で絵師でもある登鯉の目を通して活写されます。 江戸風俗を掬いとるタッチが瑞々しい。
各章扉には、本編に因んだ浮世絵が添えられていて、お陰でイメージを喚起しやすかったのが好感触。 国芳画塾の気風を伝える河鍋暁斎の「暁斎幼時周三郎国芳へ入塾の図」からは、社中の活気や奔放さ、師匠の温かさや懐の深さが、余すところなく汲み取れる気がします。(国芳の傍には猫がいっぱいw)
舞台となる天保10年代は、水野忠邦による改革の嵐が吹き荒れ、雨のように “御触れ”が降ってきたという御時世。 しかし既に爛熟、頽廃に傾く世の中の流れを食い止めるのは手遅れで、あらゆる“ゆとり”をもぎ取られた庶民は、なおいっそ捨て鉢な明るさをまとい、無頼に染まり、いよいよ内側へと驕奢に淫靡に揺らめいていく・・ そんな江戸末期の不安な世相が鮮やかに映し出されています。
国芳の水滸伝豪傑シリーズの武者絵がきっかけとなって総身彫りが主流になり、ブームに拍車がかかる彫りもの文化や、風流に信心が結びつき、凝った千社札に嵌っていく庶民の様子などが物語の中に巧みに取り入れられています。
御禁制を掻い潜りながら、猫や子供に見立てて芝居絵を描いたり、憂いをパロディにして笑い飛ばしたり、幾ばくかの諷刺を込めて世に送り出された国芳の戯画は、江戸庶民に熱狂的に迎え入れられていくのですが・・
初めて出逢う江戸言葉が結構あって。 とってつけたような解説も殆どなくて、前後の脈絡でふむふむ味わっていく感じ。 ちょっと通気分 良作。
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