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注文の多い料理店 / 宮沢賢治
注文の多い料理店
宮沢 賢治
角川書店 1996-06
(文庫)
★★★★★

生前に出版された唯一つの童話集。 大正13年刊の初版本の復刻版。 文庫という制約の中で可能な限り復元の試みがなされています。 白眉たる序と、宝石のような9篇を当時の挿絵と共に。
そして特筆すべき(多分)は、単行本の発行に先駆けた“新刊案内”が付載されていることでしょうか。 賢治自身による短篇毎の解説と創作姿勢に触れることができます。 イーハトーヴ童話集全十二巻という構想があったのですね。 「注文の多い料理店」は、その第一巻として位置づけられていたようなのですが、売れ行きが甚だ芳しくなく、いきなり頓挫してしまったようで・・
この上もなくローカルで、この上もなくコスモポリタン的。 人と自然が同化し、自然と文明が平和的な融合を見せるイーハトーヴ。 理想郷の実現を信じた賢治の真摯な眼差しを想う時、初恋のような胸の高鳴りと苦しさを覚えてしまいます。 賢治の心象スケッチを心に沁み込む慈雨のように大事に大事に焼きつけました。
恥ずかしながら、ちゃんと作品集を読んだことがなかったのです。 それでも半分くらいは薄っすら既知でした。 鹿可愛い過ぎるよ鹿 てか、根源的な尊さを内包したこの世界観の全てがラヴ
そこでは森と人が言葉を交わし、烏は軍隊を組織し、雪童子と雪狼が飛び回り、柏の林が唄い、でんしんばしらは踊り出す。暖かさと壊かしさ、そして神秘に満ちた、イーハトーヴからの透きとおった贈り物 ――。
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触身仏 / 北森鴻
触身仏
− 蓮丈那智フィールドファイル2 −

北森 鴻
新潮社 2005-07
(文庫)


東敬大学助教授で異端の民俗学者、蓮丈那智と、それに翻弄される気弱な助手の内藤三國が事件×民俗学の謎を解くシリーズ2作目。
軽く女王様と下僕の師弟萌え度が増してる気が 前回よりも取り扱われる民俗学的事象が素人好みな感じだし、お手柔らかになってる気が若干したかな。 でも今回も、一考の価値ありそうなエキセントリックな仮説がたっぷり披露されています。 そして御宮入りファイルは増えていく・・
古代製鉄文化とか三種の神器辺り、北森さん、耕しますねー 学習能力が低ので、新規ネタに関連してリユースのネタが復習のように出てきてくれるのは有難いです
東北の山村に伝わる一風変わった山人伝説を調べたり、死と破壊の神であった大黒天が福々しい豊穣の神に転化させられた訳や、海幸彦山幸彦の神話から八尺瓊勾玉に込められた真意を掘り起こしたり、日本書紀の菊理媛神と塞の神や道祖神との関連性を示唆したり。
記録と封印という二律背反の宿命を負う古文書や説話の読解・考察のベクトルが、ややパターン化されてたかなぁーという感じはあったんですけど、元々、神話や民話の寓意を読み解く話は大好きなので興味深かったです。
凶笑面」を読んだ時にも引っかかってるんだけど、大国主≒大和朝廷って前提で話が進んでいく?のが気になってならないのです。(出雲王朝は大和朝廷に相対する側だと理解してきたので・・) 素戔鳴尊から大国主への国譲りというのもあるんだろうけど、メインの大国主から天照大神の子孫への国譲りの解釈はどうなってるんだろうか・・という疑問がまたぞろ膨らんで落ち着きが悪いのです。 自分がなにか勘違いしている可能性は大いに考えられるので、納得させてもらえないものか
ひとくさり語ってますけども、このシリーズ好きです。 答えがどこにもないことを知りつつ、考証を重ねていく過程そのものが民俗学であり、民俗学とは混沌の海の中に光を当てようとする作業なのだという言葉が印象的です。 シリーズを通してもっともっと、触ったことのないロマンを体験させて欲しいなぁ。
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少女探偵は帝都を駆ける / 芦辺拓
少女探偵は帝都を駆ける
芦辺 拓
講談社 2009-08
(新書)


モダン・シティ文化がクライマックスを迎える昭和10年。 大阪で名の通ったレストラン・カフェーの娘で、女学校に通う探偵小説愛好少女の平田鶴子と、新米新聞記者の宇留木昌介コンビを主役に配した冒険ミステリ連作集。
全7篇中の6篇は商都大阪を舞台に、ラストの中編は鶴子の修学旅行先である鎌倉、帝都東京、日光と、関東へ活躍の場を広げています。
五瓶劇場」を読んだ時にも感服したんですけど、下調べに余念がないですねー! 芦辺さんって凝り性でしょ。絶対
大阪から東京へ主軸が流れていく感じが、「五瓶劇場」に近しいものがあるなーと思ったら、東京に居を移し、大阪への執心が緩められていく作者自身の心境というか・・スタンスの変化も背景に見え隠れしているみたいですね。
ラジオ放送の歩み、映画産業の変遷、テレヴィジョン実現化への熱い挑戦、漫才や落語、レビューなどで賑わう寄席小屋や劇場の活気、喜劇俳優や活劇スターの雄飛・・ 昭和初期の最先端風俗を余すところなくナビゲートしてくれて、そこへ時好に投じた探偵趣味テイストが加わり、当時の気風がヴィヴィッドに脈打ちます。
さらには満州国や内蒙古国をめぐる遠謀の影がチラつくなど、時代考証に裏打ちされた虚実の皮膜に戯れる妙味がどっさり♪
視点の切り替えが錯雑な印象なのと、いろいろ盛り込み過ぎて本筋のミステリが力負けしてるみたいに見えちゃうのが、うーーーん;; ってところだったんだけど、もはやレトロ・モダンにかぶれているので、十二分に楽しませてもらいました〜。
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タイムスリップ・コンビナート / 笙野頼子
タイムスリップ・コンビナート
笙野 頼子
文藝春秋 1998-02
(文庫)


芥川賞を受賞した表題作ほか2篇の中短篇を収録。 容赦ないアブナイ感漲らせつつも、笙野さんの描く世界はナイーブで、ふとした感覚表現に虚を衝かれてポロっときそうになることが正直あるんですけど、気持ち悪いですかね それでも表題作はちょっと希望的というか開放的だったかな。どうだろう。
マグロと恋愛する夢を見ていた悩める主人公が、見知らぬ人物からの電話で起こされて、どこかへ出かけてくれないものかと説得を受け、成り行きで海芝浦の駅へ向かうことに。 住んでいる都立家政から西武新宿線で高田馬場へ。 高田馬場から山手線で新宿へ。 新宿から中央線で東京へ。 東京から京浜東北線で鶴見へ。 鶴見から鶴見線で海芝浦へ・・ それだけのことなんです。
東京から神奈川にかけての、ごく普通の鉄道経路なのですが、無駄に鋭敏な神経系を作動させる我流社会科見学みたいな道中で。 車内や車窓の当たり前な風景が、一旦するするっと解体されて、笙野フィルターを通して再構築されると、グロテスクにも珍妙にも新鮮にも瞬き始め、思索、連想、回想・・目まぐるしい意識の躍動を繰り返すのです。
鶴見線沿線というのは、かつての工業地帯ということなのですかね(無知;;)。 鉄路の旅が終盤に差し掛かるにつれ、なんともトリップ感が激しさを増します。 過去に興隆した高度経済成長期の遺跡のような風景が、故郷である四日市のコンビナートを呼び起こし、遠未来の“ブレードランナー”の荒廃した世界とシンクロし、現在(1994年当時)のバブル景気後の衰退感や閉塞感、夢のあと的な感慨を際立たせるかのようで・・ 時空が縺れ合って一つのイメージに収斂されていく迫力が物凄くて。 自己の外側からの刺激に圧倒されて、少なくとも内なるマグロは掻き消されている・・ だから希望的というのは安易に過ぎるかもしれないけれど。
電車の床の下で無数の巨大なザリガニがはさみをふり立てて伴走する「下落合の向こう」と、自室のワンルームで蚤が増殖、巨大化する「シビレル夢の水」、どちらも強烈な幻視&妄想ワールド。 「タイムスリップ・コンビナート」は、「シビレル夢の水」の後日談のように感じたりもしたかな。 というかそう願いたいのかもな。
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柘榴のスープ / マーシャ・メヘラーン
柘榴のスープ
マーシャ メヘラーン
白水社 2006-06
(単行本)


[渡辺佐智江 訳] イラン革命のテヘランを逃れ、ロンドンでの亡命生活ののち、西アイルランドの片田舎に辿り着いた3姉妹。 小さな村のメイン・モールの一角にペルシア料理のレストラン“バビロン・カフェ”を開店。 料理作りに奮闘する日々や、地元民との交流を通したコージーな悲喜交々と、革命前の祖国への郷愁、記憶に暗い影を落とす流血の過去をめぐる回想が同時進行で描かれていきます。
振舞われる郷土料理の芳香や、エキゾティックな調度品の色彩に絶え間なく感覚を刺激され、まるで魔法にかけられた塩梅で癒しと官能の空気感にクラクラです。
アイルランドの彩度の低い風景と保守的な地盤の中に、心地よい刺激に満ちたハーブやスパイスの香気と、健康美を発散させるペルシア娘の色香が少しずつ根を下ろしていくのですが、それでも、異文化に魅了される者、恐る恐る警戒心を解いていく者、戸惑い困惑する者、どこまでも排撃を試みる頑迷な者と様々。
タイトルの“柘榴のスープ”が物語のキーになっているようです。 死の象徴にも生の象徴にも成りうる柘榴。 彼女たちの暗い過去を活力のある未来へと繋げていくことができるのがこのスープなんですね。
広い意味では革命に翻弄されたと受け止めて間違いないのですが、彼女たちの逃避行はむしろ、プライベートな問題に起因し帰結するという印象でした。 それが悪いとかではないんですけど、革命的なメーンストリームと連動させる筆致はやや頼りなく、ちょっとしたチグハグ感が自分の中で消化しきれなかったせいか、気持ちの片付かないものが残ったような。若干。
でも、各章の話の中で作られるペルシア料理と章扉のレシピが、嬉しいフックになってくれたし、チャレンジしたいレシピを書き移しているうちに、そっちの方に気合入ってきちゃって、些細なわだかまりはそれとなく霧散してたかも
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夢の狩人 / ニール・ゲイマン
夢の狩人
− The sandman −

ニール ゲイマン
インターブックス 2000-10
(単行本)


[副題:The sandman][夢枕獏 訳、小野耕世 監訳、天野喜孝 画] 「サンドマン」シリーズの特別企画もので、天野喜孝さんとのコラボが実現した絵物語です。 「もののけ姫」の英語版執筆に際して、日本の歴史や神話の本を読み漁ったというゲイマンが、平安の雅と闇の世界を妖しく美しく織り上げました。
なまめかしさが迸る絵に呑み込まれるように耽読。 聖と頽廃が混沌と香る感じが凄く好みです。 日本の昔話の古い英訳本の中から、サンドマンの世界観に非常に近しいものを感じたという「狐、僧と夢の都」なる一話に着目し、この物語を下敷きに語り直した作品なのだとか。 原典の原典はどの辺りにあるのかしらん? 今昔かなw
小さな寺の若い僧と美しい雌狐の恋物語に、サンドマンとダークな陰陽師が介在してストーリーが練り込まれています。 異種恋愛譚は悲劇と相場が決まっているので、だいたい話は読めちゃうのですけど、もうそんなことは関係ないですね。
描写のきめ細やかさ、幻想美を浮き立たせる発想のセンス、確かな素養から繰り出されるジャパネスク・ホラーな演出の巧みさ、素晴らしかったです〜。 ところどころに西洋的モチーフがふと紛れ込んだり、訳が少しぎこちない(わざとなのかなー?)のも不思議と雰囲気を壊さない・・というより平安からほんの少し時空のずれたような独特なポジションが逆に幻夢的でそそられるのです。
サンドマンは“夢の世界の王”なので、古今東西、あらゆる人々の夢のかたちに合わせて自在に姿を変えることができるし、シリーズ通して様々なアーティストが絵を提供しているといいます。 自分はコミックを読んでないんですけど、またこうして舞台が変わり絵が変わっても全然違和感ないんじゃないかな? 国や時代を超えて無限に広がりゆく可能性を秘めた要素って、物語の宝だなぁーって思いました。
夢枕獏さんが翻訳を手掛けられているのですが、やはり白羽の矢が立てられちゃったんでしょうかね ご登場するのは晴明や道満とは似ても似つかぬ残念無念な陰陽師なんだけどね;;(道満は黒いけど残念ではない)
でも夢枕に獏が出てきますから・・ふふ
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女中譚 / 中島京子
女中譚
中島 京子
朝日新聞出版 2009-08
(単行本)
★★★

秋葉原界隈を縄張りに、メイド喫茶に通いこむ風変わりな老婆の昔語り。 林芙美子の「女中の手紙」、吉屋信子の「たまの話」、永井荷風の「女中のはなし」へのトリビュート作品として構成された3篇。 昭和初期に女中奉公やカフェーの女給業を渡り歩いた一人の女性を軸に、先行3作品を再構築させた連作形式に仕立てられています。
元の話をどれも知らないのが痛すぎるんですが、何となく想像は膨らむんですよね。 「たまの話」は、作中にも登場した女性が、ドクトルの邸宅に女中奉公に上がっていた当時の、おそらくは令嬢が仕掛けてくる蠱惑的なモーションに溺れていく物語なんじゃないかなぁーとか、「女中のはなし」は、逆に文士の先生視点で女中を描いているんだろうなぁーとか(根拠はないです;;)。 林芙美子さんの「女中の手紙」は上手く浮かんでこないんですけど、ジゴロとその餌食となる女と主人公の奇妙な三角関係みたいな話、凄く既視感があったんですよね。 以前に似た話を読んでる気がするんですが、それ以上は何も思い出せず、気になって仕方ありません。 ともかくも、時代のフォーマリティを楽しみながら、思い切り空気を吸い込んで読んでた気がします。 面白かったです♪
一つところに腰を据えることのできない主人公すみの飽きっぽさには、どこか芯の醒めたところがあって・・ 一瞬垣間見ることはできてもドライ過ぎて当事者にはなれない。 でもそこには、成し得ない弱さと同時に、捉われない、折れない強さが見え隠れするのです。 依存、熱狂、陶酔といった甘美なるものに染まれない寂しさも少し。
一方には、捉われて一つの考えに凝り固まり、狂信的になっていく人々の危うい強さと紙一重の脆さがあったり、弱さを受け入れないさもしい強さとか・・
戦前の時節柄というのもあると思うんだけど、そんな対比をとても意識して読みました。 終盤に引用される荷風の小説の一節と、奇しくも老婆が遭遇することになったあの事件が重なり合って、痛みが胸を過りました。
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幻影の書 / ポール・オースター
幻影の書
ポール オースター
新潮社 2008-10
(単行本)
★★★★

[柴田元幸 訳] 2002年に発表された本書を皮切りに、ストーリーテラーとしての才覚を発揮し続けているというオースター。 内省的なテーマ性を継承しつつも、なるほど、途中で本を閉じられないくらい物語る力に牽引されました。 初期の観念的な作品は好き嫌いが分かれても、この面白さは読者を選ばないと思うんです。
飛行機事故で妻子を失くした主人公のデイヴィッド・ジンマーは、とある無声映画俳優の作品研究と論書の執筆に没頭することで辛うじて精神の均衡を保っています。 彼によって再発見されることになったヘクター・マン。 スラップ・スティック喜劇の秀作を残して忽然と姿を消した謎の過去が、書物の刊行を機に現実味を帯びて浮かび上がるにつれて、やがてデイヴィッドとヘクターの人生が時を経て呼応し、交差していきます。
パーソナル領域への鋭敏なアプローチ、停滞の時空が流れ出し奔流へと押し進められていく躍動、紙の上で自由自在に視覚化されていく映像の世界・・ それらが緻密に計算し尽くされた重層的な構成は、寸分の隙もないぼと完璧に機能しているかに思われ、隠喩や伏線に導かれて、文学的なホワイダニっトに結実する端麗なミステリとして水際立って迫ってくるのでした。
書物の幻影、フィルムの幻影、死者の幻影・・ 繰り返しイメージされる幻影的モチーフ。 その、どこかサブリミナルな揺さぶりの虜となってしまうようでした。 喪失や破壊や孤独の影が通低音のように響いていて、決して希望的といえる話ではないし、むしろ、追いつめられていく切迫感と恍惚感が錯綜するような破滅的な危うさが濃厚に香ります。 でも何なのだろう。 この偶然を必然に変えていくような頑迷なまでの意志のモチベに魅せられていく感じは。
ヘクターだけではなくてデイヴィッドも、生き残ってしまった贖罪の苦悩という幻影と戦い続けているかのようでした。 でも、言い方乱暴かもしれないけど、無自覚のうちに荒療治的な再生の物語になっている、そこに救われる気がするのです。 意図せずして、しかし確信的に人の底力を見るような。 活路なんて前向きなものは何処にもないけれど、それでも生きていれば否応なく動き出すしかなくて・・ 魂の深部に触れるような痛みと純度の高い硬質な美しさを感じる詩的な物語世界に沈みました。
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ゼロの王国 / 鹿島田真希
ゼロの王国
鹿島田 真希
講談社 2009-04
(単行本)
★★★

第5回絲山賞に輝いた作品だそうです。 絲山賞〜♪ 全部読みたくなってきました 現代版「白痴」という情報は得ていたのですけど、もっと換骨奪胎されたものを想像していました。 ここまで堂々とがっぷり四つで焼き直しているとは思いもよらず。 しかもクオリティ高っ! テーマとしては「白痴」の合わせ鏡的な印象といった感じでしょうか。 聖者の受難ではなくて、俗世を生きる一人の人間の成長というか、心の解放の物語として生まれ変わっていました。
聖人君子たる吉田青年の数奇にして珍妙な愛の冒険が、テンポよく転がるタッチで綴られ、舞台劇を観ているような躍動感があります。 自己犠牲や無欲や平等といった圧倒的な“聖”に対して、“俗”である人間が抱く永遠の憧れと反発。 神の国の論理を俗世のコードで読み解けばどんな変換がなされるか、哲学やイデオロギー的な命題を包含しつつ、ウィットある筋書きに託して存分に語り下ろされていたと思います。
友情も恋愛も親子愛も弱者へ向ける憐憫も、全て平らかな一つの慈愛で表現される吉田青年の“愛”と、それに翻弄される人々とのボタンのかけ違えのような噛み合わなさが痛くて滑稽ですが、そこから迸る生命の実感は力強く、人間に対する肯定が感じられたように、自分には思えました。

<↓ 以下、内容に激しく言及してます!>
「白痴」のムイシュキン公爵が、最後まで人間の心の法則を悟ることができずに、狂気の中に自分を閉じ込めてしまった姿は、高潔で哀しく甘美でした。 愛されたいと願うことを、助けを求めていいのだということを、渇きを、孤独を、欺瞞を、絶望を、そして恋の何たるかを悟り始めた吉田青年は、楽園ではなく、紛れもない地上の住人なのだと思いました。 似非聖人であり、ちゃんと真っ当な人間なのです。 貪欲だから進歩もするし、幸福ではいられない。 闇があってこその光・・ そんな俗世の彩りを噛みしめながら、泥臭く汗臭く大地を踏みしめて生きていけることを予感させるラスト。 その姿はやけに眩しく逞しかったです。
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黒後家蜘蛛の会 1 / アイザック・アシモフ
黒後家蜘蛛の会 1
アイザック アシモフ
東京創元社 1976-12
(文庫)
★★

[池央耿 訳] アシモフの残した安楽椅子探偵ミステリの傑作。 そのシリーズ第1弾です。 月例の晩餐会、黒後家蜘蛛の会(ブラック・ウィドワーズ)に集うのは、弁護士、画家、作家、暗号解読家、化学者、数学者の6人と、名給仕のヘンリー。 その月の主人役が連れてきたゲストを肴に、謎を孕んだ話の種をつつき回して、喧々諤々の推理合戦に興じる会員たち。 一癖も二癖もあるけれど、基本はインテリジェンスな面々によって、衒学を捏ね繰り回した乱れ打ち推理が披露されます。 しかし、誰も考えなかった真相(これが呆気なくてシンプルだったりする・・)に行き当たり、名探偵の座を掻っさらっていくのはいつもヘンリーなのです。 慎み深い物腰で知識人たちを唸らせる構図が小気味よい連作短編集。
身近な謎が中心なので小粒ではありますが、ネタが多彩で飽きが来ません。 西洋古典スパイスが結構効いてて洒脱。 会話や知的探偵遊戯の楽しさがいっぱい詰まっていました。 材料と舞台が完璧に整っている上に、アシモフの筆が乗りに乗っちゃってる感じです。 まるでエッセイ級のまえがきと、短篇ごとに(!)あとがきが付いているというお宝ぶり♪ この講釈臭さが大好きですw
舞台は70年代のニューヨークなのに、会員たちは英国貴族に、ヘンリーは執事に見えてくるから不思議です。 “黒後家蜘蛛の会”って、ヴィクトリア朝ロンドン辺りの怪しげな秘密クラブ(どんなw)みたいなネーミングっぽいし しらんけど。
クリスティの「火曜クラブ」から想を得ているらしいのですが、マンハッタンの喧騒の片隅に、古き良き英国ミステリ世界が蜃気楼のようにぽっかりと現れたような・・ 優雅さを滲ませます。
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